向田邦子ふたたび〔直木賞を受賞しなければ!〕   

2011年 10月 18日
向田邦子ふたたび
〔直木賞を受賞しなければ、台湾旅行中に飛行機の墜落で事故死に会わなかった!〕

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【向田邦子は戦友だった】(山口瞳(作家))
「直木賞をとらなければ、写真集を出そうなんて物好きな出版社もなかったろうに…」
「バカな死に方をして!」
「直木賞をとらなければ」という言葉には辛い思いをした。
昭和55年の7月17日の午後8時ちかく、意外にも向田邦子は劣勢だった。
「そうそう。うますぎるんだよ。うまいことは認めるが」
「一回は見送っていいんじゃないか」
「そうかもしれない。そのほうがいいか」
「向田邦子は、もう、51歳なんですよ。そんなに長くは生きられないんですよ」
と、私が言ってしまった。
私の発言は、カウンター・パンチのように効果があったらしい。
向田邦子は非常に若く見えるのである。
「向田邦子さんという人は、私より小説が上手です」
「それから、随筆も私より上手です。いやんなっちゃうねえ」
この女(ひと)は戦友だなと思った。〔山口瞳〕
向田邦子は、直木賞を受賞したらどういうことになるかがわかっていないようだった。
あんなものを書いてしまった作家を、マスコミが放っておくわけがない。
時には承知で潰しにかかってくるのである。

この女、何もわかっていない。
向田邦子は平然としていた。
その気っ風が怖い。
その度胸が怖い。
私は彼女にこんなことも言った。
「僻み、嫉み、妬み、これが怖いよ」
自分に近い人間で、これがある。
これが怖い。
「インテリ美人が特に狙われる」
「私、インテリでも美人でもないわ」

彼女がごく最近
「山口さんに言われたこと、みんなその通りだったわ」
そのときは疲れはてていた。
ある人は、最後まで元気一杯に飛び廻っていたと言うかもしれないが、私はそうは思わない。
とにかく傷々しくって見ていられない。
「直木賞をとらなければ死なずにすんだかもしれない」
遺影が私に話しかけてきた。
「あなたがいけないのよ。私のことを五十一歳なんて言うから」
その写真も笑っていた。
戦友〔芳章院釈清邦大姉〕
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【向田邦子が惚れた男・マハシャイ(伯爵)・マミオ(コラット種)】(須賀三郎(編集者))
向田さんの死後、マミオは一歩も自分の部屋から出ようとはしなかった。そして3ヶ月ほどたった納骨の前夜、部屋を出たマミオは、あたかも主人を探してでもいるかのように、家の中を歩き回った。
【マミオ】偏食・好色・内弁慶・小心・テレ屋・甘ったれ・新しもの好き・体裁屋・
     嘘つき・凝り性・怠け者・女房自慢・癇癪持ち・自信過剰・健忘症・
     医者嫌い・風呂嫌い・尊大・気まぐれ・オッチョコチョイ…。
きりがないからやめますが、貴男はまことに男の中の男であります。
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【その日、部屋を片づけて旅に出た】(松井清人(編集者))
旅に出る前々日、親友がふと、本や雑誌でいつも乱雑な部屋が、ひどくきれいに片付いていることに気づい。
「どうしたの、今は!」
向田邦子はいたずらっぽく笑って、こう言った。
「へへ、あたしだってたまにはやるよ」
その声が今も耳に残って離れない。

【ふっとつぶやくように言った】(吉行淳之介(作家))
「あと2年ですから」
「それ、どういうことですか」
意味不明なので、聞いてみた。
癌の手術をすると、とりあえず五年延命となる。
五年後にまた次の五年が保証されることもある。
その2年が残っている、という意味のことを、説明してくれた。
「だから、いまのうちにたくさん旅行しているんです」
と、向田邦子が言った。
しかし、間もなくの飛行機事故の予感は全くなかったにちがいない、とおもっている。

【向田さんについて語る人すべて、死後のみならず生前からすでにうっとりした表情を浮かべていた】(野坂昭如(作家))
生まれ育った時代のけじめをきちんと保った雅やかなお辞儀、おいしそうなものの食べ方、正しく見惚れてしまう女性であった。
惚れ惚れと、そのお召しになった衣装もふくめ、たたずまいに見とれ、あるいは口になさる言葉に耳を傾けることは、許されるだろう。
向田邦子さんは、まさしく、見とれてしまう女性であった。
〔向田さんの突然の最期を思い合わせて、向田さんについて語る男たちの、多くが、その在りし日々、すでにうっとりした表情を浮かべていたのである〕

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【賢姉愚弟】(本田靖春(作家))
テレビ『誘拐』の成功は向田さんを抜きにしてはあり得なかった。
拙著『誘拐』はテーマが暗いと企画が一年にわたりタナざらしされる。
吉展ちゃん事件を犯人小原保の側から描いた『誘拐』が明るい内容であるはずがない。
企画の打ち切りを繰り返ししていう中で初対面の向田さんが真正面に私を見据える切れ長の目があった。
「向田さんのこと」の中で、次のように書いている。
〈ありふれた時代劇仕立てで恐縮だが、狭い堀端の道か何かを道場剣法の私が行くとする。
向こうの闇の中から、ふわっと浮かび上がった懐手の浪人者が向田さんである。
ぶっかって抜き合えば、肉の厚い剛刀でこちらが斬られる。が、あいにく逃げ場がない。
まあ、そういう感じであった〉
「斬られる」と直感したのは、実をいうと、私を見据える向田さんの視線に出逢ったその瞬間のことである。

「テレビ・ドラマというのは、脚本家の力だけではどうにもならない面があるんですよ。
でも、私のことはいいの。このお仕事だけは、何としてでも成功させなくちゃねぇ。
私、入れ込んでいるんですよ」
向田さんが『誘拐』に賭ける熱心さは、私のように離れた位置から見ていても、並々ならぬものがあった。
スタッフに主演の小原保役として泉谷しげるを推薦したのも向田さんである。
作品が完成して、局の試写室で小原を演じる泉谷の姿が映し出されたとき、
誇張ではなく私の背中を冷たいものが走った。
放送日が本決まりになると、向田さんは批評家やテレビ担当記者に自分から電話を入れて、「これを観ておかないと、あなた恥をかくわよ」といったふうに、試写を勧めた、
という話をスタッフから聞かされた。
向田さんは、終始、スタッフにとって心強い援軍であり続けた。
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賞の下馬評が伝えられるたび「大丈夫よ。きっともらえるわよ」とスタッフを励まし、
「でも、そうなると、私のがはずされるんだわ」と笑われていた向田さんの顔が浮かぶ。

下種な言い方になるが、一文の得にもならないよその仕事に情熱を注ぎ、
その成功をわがことのように喜ぶ向田さんに接して、路上での別れ際に向田さんはこういった。

「あなたは私より三つも弟じゃないですか。姉として申し上げますけどね。あなたそのまま行くと、ただの拗ね者になりますよ。
あれがいけない、これがいやだなんていわず、いまは黙ってどんどんお書きなさい。
そういうことだって大切なんですよ。いいですか。ここで約束なさい」
初対面の席での直感が現実になったのである。一刀両断。私には返す言葉がなかった。

【できすぎた小姑をもった不出来な嫁の憂鬱を私に感じさせた】(桐島洋子)
向田さんと私は、同じ時期に週刊文春で同じ二頁のエッセイを連載していた。
向田コラムの裏番組が桐島コラムというわけだから、彼女の存在は当然ひどく気に懸かる。
一度一読しておぬしできるなと尻尾を垂れて以来、臆病な私は、彼女の頁からなるべく眼をそらすようにしていた。それでも時々読んでしまうのだが、その度にいささか憂鬱になった。
できすぎた小姑を持った憂鬱とでも言おうか、何もかも心得たオネエサマのいたいたしいほどこまやかな気働きに感服しながらも
「どうしてそんなによく気がつくの、もう少し気楽にしてくれなきゃ、こっちまでシンドイじゃない」
とお尻をもぞつかせる不出来な嫁の気分なのである。
特に彼女の、これでもかこれでもかと中年男の郷愁のツボに触れる絶妙な指圧の指さばきに、
「かなわないなあ、いい加減にしてよ」
と、ちょっといじけた女は私だけではないだろうと思う。
それでいて彼女は、かなわない女の憎たらしさを全く感じさせないひとだった。
むしろいたいたしくてならないひとなのである。
向田さんは、多分私にもまして臆病で人見知りで傷つきやすく世間への脅えにみちみちた淋しがりやだったのだろう。
彼女と二人きりでゆっくり話をする機会をはじめて持ったのは、文藝春秋の忘年会の席だった。
この会はほとんど中高年大家ばかりのお集まりだから、
私のような下っ端編集者上がりの若輩は身の置き所のない思いにうなだれてしまうのだが、
同じように隅っこでオドオドと身をひそめている向田さんと眼が合った途端、
お互いホッと救われたように歩み寄り、最後までつるんでしゃべり続けながら、
同病相憐れむべき人種であることを認識し合ったのだった。
二人とも内気な性向に逆らって、世間にしゃしゃり出る職業を選んでしまったが、
それが成功して露出部分が増すほど、赤むけの因幡の白兎のように風当たりへの脅えも深まるのである。
勿論彼女の方が私よりも神経が繊細なだけ、言動で気配りが細かい。
向田さんが亡くなって大勢の人々が追悼分を書いたとき、彼女がかなり厭がっていた何人かの人までが、
いかに彼女と仲良くつきあっていたかということを披露しているのに驚いた。
多分それは本当なのだろう。
向田さんはときには嫌いな人にもにこやかにつとめたり尽くしたりすることのできる我慢の人だったらしい。
彼女の口癖であるらしい
「後妻の口がないかしら」
この言葉を聴くたびに私は、これは本音だなと思い、なにか胸を衝かれるのだった。
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【平蔵の独り言】
没後30年にあたる今年NHKで【胡桃の部屋】がドラマ化された。
以前「知るを楽しむ」・私のこだわり人物伝「向田邦子・女と男の情景」
(NHK教育、2005年6月)で、向田邦子を思い返させてくれた。

向田作品には、日常の残酷さ、滑稽さ、無邪気だからこそ怖いところ、
ちょっとしたいやらしさなど、悪くて魅力的なことを堂々と書いてしまう。
そこが、震えるほど恐ろしいが、惚れ惚れするほど、格好良いのだという。
怖さと切なさを思い起こさせてくれる。


と、あった。

東日本大震災があった今年(2011)は、くしくも作家・脚本家の向田邦子が亡くなって30年目の年だった。
昭和の家族を描いた向田作品が今、改めて見直されているという。
その背景にあるものは、何なのか。
向田作品を今読む意味は、人が支え合うことの大事さを学び、
乾いた心が潤うことにあるのではないでしょうか(女優・岸本加世子)

「人は完全ではなく、家族であっても弱さから、裏切ったり憎しみあったりするものなのです。
どんなにひどい関係であったとしても、『最終的には家族の絆は大事なんだ』ということを伝えたかったのではないでしょうかね」
向田作品

『家族でいるためにはもっとこらえ性がないとね!』
「どう人と支え合って生きていくか」
向田作品はそんなこと伝えてくれる。

サンデー毎日「向田邦子と3,11」
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by asanogawa-garou | 2011-10-18 15:32 | 人間模様 | Comments(0)