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誰もが「右へならえ」をしている最中に、批判を承知で異論を唱えてきたのが吉本隆明氏だった。   

2012年 07月 07日

誰もが「右へならえ」をしている最中に、批判を承知で異論を唱えてきたのが吉本隆明氏だった。

「世間でまかり通る聞こえのいい正義に、『違う』と言い続けよう」。

みんなが一つの方を向く怖さ。戦争体験が言わせたと読めた

◆そういえば、10年ほど前だったか、日本が「そわそわしてきた」と懸念していたのを思い出す。

多様性を失い、同じことを言い始めた社会は危ない。
なぜなら、戦争中の日本がそうだったから

我々の世代が吉本さんを熱烈に支持したのは
「自分に嘘をつかない」という倫理的な信頼感があったからです。
誰もが反対しにくいことで、それが損になることが分かっていても異議を唱えた。
基本的な姿勢がブレない思想家だったからです。
「知の巨人」といわれた〔吉本隆明〕

誰もが「右へならえ」をしている最中に、
批判を承知で異論を唱えてきたのが吉本隆明氏だった。


高齢にもかかわらず、質問にじっと耳を傾け、
時には手振りも交えて熱っぽく語った吉本氏。

◆幅は広く奥行きは深かった。
戦争や知識人の転向を問い、消費社会を論じた。
全共闘運動の理論的支柱になったかと思えば、
漫画「ちびまる子ちゃん」から言葉のありようを説いた。
思索を深めるテーマは多様だった

◆何を論じても、一人で荒野に立つ気迫を感じた。
誰もが「右へならえ」をしている最中に、批判を承知で異論を唱えてきたのが吉本隆明氏だった。_c0219232_15132630.jpg

以前、芦屋市での講演会でこう語った。
「世間でまかり通る聞こえのいい正義に、『違う』と言い続けよう」。
みんなが一つの方を向く怖さ。戦争体験が言わせたと読めた
◆そういえば、10年ほど前だったか、日本が「そわそわしてきた」と懸念していたのを思い出す。
多様性を失い、同じことを言い始めた社会は危ない。
なぜなら、戦争中の日本がそうだったから

◆色紙に書きたい言葉があったそうだ。「恥ずかしながら、生涯物書きです」。
もう無理だが、「物書き」の前に4文字をはさんでもらいたかった。「刺激的な」と。

若いころ「ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる/もたれあうことをきらつた反抗がたおれる」と詩にした。

徒党を組まず、戦後という時代に向き合いながら、
幅広い分野に骨太な思想を組み立てた稀有(けう)な存在だった。

だが、その人柄は「知の巨人」といったイメージとは遠い、
優しく、一徹な下町の職人のようだった。

吉本隆明さん死去:晩年まで独自の思考を重ねる
毎日JP 2012年3月16日 12時28分 更新:3月16日 16時0分

◇評伝=誠実で穏やか 庶民的な雰囲気
 記者が吉本隆明さんに初めて会ったのは1997年。
既に70代だったから、晩年と言っていい。
以来、2度の聞き書き連載などで度々話を聞いたが、
偉そうなところはまるでなく、
不思議なくらい肩の凝らない人だった。

 語尾に「ぜ」や「さ」が付く東京の下町言葉で、
話し出すと止まらなかった。
誰が相手でも、誠実で穏やかな熱を帯びた話しぶりは変わらない。

初対面の人は決まって「これが、あのヨシモトリュウメイなのか」と驚き、
庶民的な雰囲気にひかれた。
ある世代の人々にカリスマ的な影響力を持った秘密は人柄にもあったに違いない。

 突き放した言い方になるが、世代を超えた「吉本人気」は、
意外と自身の提供する話題性にも支えられていたのではないか。

新進批評家として戦後論壇に登場した最初、
当時はインテリ層の間で権威の高かった日本共産党や、
花田清輝らの論客を相手に、舌鋒(ぜっぽう)鋭く論争を挑んだ。

60年安保で学生とともに行動し、
警官隊に追われ飛び込んだ先が首相官邸で、
逮捕されたという話も有名だ。

 サブカルチャーの分析を通じ消費社会の意味を論じた80年代には、
盟友だった作家の埴谷雄高とも論争した。
ブランドファッションを身に着けた吉本さんが女性誌「アンアン」に出たのを、
埴谷から「資本主義擁護」と非難されたが、
逆に倫理主義的なインテリの視線そのものに批判を加えた。

96年には海水浴に訪れた伊豆の海岸でおぼれ、
辛うじて一命を取り留めるという事故も報じられた。
 熱烈に支持する読者の存在から“吉本教”などとも呼ばれたが、

本人は組織の束縛を嫌い、
あらゆる権威主義に反骨を通した。

安保闘争の敗北後、谷川雁らと同人誌「試行」を刊行し
(61~97年。途中から吉本さんが単独で編集)、
主要な発表の場としたのもその表れだろう。

 2011年の原発事故後も「反原発」批判の持論を変えなかった。
「大衆の原像」に寄り添い、独自の道を歩んだ吉本さんの生涯は、独立した知識人の生きざまとして人々の注目を浴び続けるものだった。【大井浩一】

石原都知事「ひとつの世代の象徴」
産経ニュース 2012.3.16  16:25
 東京都の石原慎太郎知事(79)は16日の定例会見で、
吉本さんの死に「権威に反抗するオピニオンリーダー。
1つの世代の象徴的な存在だった。残念です」と悼んだ。

「体制派、反体制派にしろ、彼を継ぐような論客ってのは現れて来ないね。(文芸評論家の)江藤淳も死んじゃったし。今はロクな評論家しかいない」とも話した。
 石原氏は戦後日本を代表する思想家の死去を受け、国家への危機感をあらわに。

「日本には激しい議論がなくなった。侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論がなくなった社会は成長しない」と指摘。

青春時代を振り返り、「みんなよくしゃべったな。同世代の人間が相互に口角泡を飛ばして議論した」と述べた。

誰もが「右へならえ」をしている最中に、批判を承知で異論を唱えてきたのが吉本隆明氏だった。_c0219232_15144547.jpg

【吉本隆明さん死去】
思想の根底に「生活」への視点 田中紘太郎氏寄稿
産経ニュース 2012.3.16 19:13

2010年、東京都文京区の自宅でインタビューに答える吉本隆明氏
 評論家の栗本慎一郎さんとの対談設定のため、
東京都内の吉本宅にうかがった際、
こちらの車が到着するのを自宅前で、じっと待っておられた。
そんな姿が今も印象に残っている。
平成2年、新聞での対談は本紙が初めてのものだった。

 「自分の客は自分でもてなす」の考えから、
自らお茶を出し菓子を振る舞う姿に恐縮するばかり。

質問にじっと耳を傾け、丁寧に答えていただいた。
威圧するような怖さはなく「戦後最大の思想家」「知の巨人」の権威的イメージは、初対面で溶解する。
ごく気さくな、普段着の生活人という実像にかえって圧倒された。

 「マス・イメージ論」などで、生産から消費へと社会構造が変容した時代の潮流を、
誰よりも早く読み取り分析した功績も大きい。
1980年代の高度消費社会を積極的に評価、女性誌にコム・デ・ギャルソンの服を着て登場したりした。
後に、作家の埴谷(はにや)雄高(ゆたか)さんと消費社会をめぐる論争に発展。
その姿は「時代はこんな軽みを持つようになった」と宣言しているようだった。
その軽みは文学や思想、サブカルチャーを同列に論じる視点と重なり、その後の評論に生き続けた。
 「評論や詩、文芸は25時間目の問題だ」との言葉も印象深い。

一日24時間は仕事や家事をしっかりやる。
評論活動はそれが済んだ後の“余技”の意味だ。
自己に厳しく課した倫理であり、自負だった。
思想の根底には、生活を基礎に据えた視点があった。
 平成8年に伊豆の海でおぼれ重体に陥った後にお会いしたときは、足腰が弱りお茶のもてなしはなかった。
だが、同じ主題を丁寧に語りつつ、らせん状に論点レベルが上がっていく独特で魅力的な語り口は健在だった。
(元産経新聞文化部編集委員田中紘太郎)

【平蔵の独り言】
吉本隆明?亡くなった初めて名前を知った。
“思想家”の“思想”という言葉は余り理解できないが
「自分の客は自分でもてなす」の考えから、自らお茶を出し菓子を振る舞う姿に恐縮するばかり。
質問にじっと耳を傾け、丁寧に答えていただいた。
威圧するような怖さはなく「戦後最大の思想家」「知の巨人」の権威的イメージは、初対面で溶解する。
ごく気さくな、普段着の生活人という実像にかえって圧倒された。
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 東京都の石原慎太郎知事(79)の、「権威に反抗するオピニオンリーダー。
1つの世代の象徴的な存在だった。残念です」と悼んだ。
「体制派、反体制派にしろ、彼を継ぐような論客ってのは現れて来ないね。
(文芸評論家の)江藤淳も死んじゃったし。今はロクな評論家しかいない」とも話した。

 石原氏は戦後日本を代表する思想家の死去を受け、国家への危機感をあらわに。
「日本には激しい議論がなくなった。侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論がなくなった社会は成長しない」と指摘。
青春時代を振り返り、「みんなよくしゃべったな。同世代の人間が相互に口角泡を飛ばして議論した」と述べた。
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体制派、反体制派 が健全に育っていくのが国家だと思うので、
同じ方向を向いて、安心している。
事が起こっても
「誠に申し訳ございませんでした」
で、済んでしまう国
本当は“じゃあどうするか”が一番大切なはずだと思うのだが

2011/3/11 東日本大震災、福島原発事故 全原発の停止
2012/7/4  そして大飯原発の再稼動

日本に原発に変わるエネルギーがすぐにはないのだから と思うが

毎週金曜日に首相官邸前の反原発デモは市民運動から自然発生して
きた抗議行動であるが、大きなうねりなのか。
それともすぐに冷めてしまうかの。
(マスメディアが自主規制して「遂にNHKも報道」とあるように、裏を返せば)

by asanogawa-garou | 2012-07-07 13:43 | 今 今日この頃 | Comments(0)