〔中村勘三郎〕『型を身に付けねば型破りにはなれない』型を身につけてから、破るから“型破り”って!   

2013年 02月 13日
〔中村勘三郎〕『型を身に付けねば型破りにはなれない』
型を身につけてから、破るから“型破り”っていうんだよ!


型があるから、型破りっていうんだよ!型がなかったら「形無し」

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「若い人はすぐ型破りをやりたがるけれど、型を会得した人間がそれを破ることを『型破り』というのであって、型のない人間がそれをやろうとするのは、ただの『かたなし』です」

【子供電話相談室の無着成恭さんの言葉に痛く感銘し、以後座右の銘にするくらいであったとか。】
無着さんのそのひと言とは。
『型を身に付けねば型破りにはなれない』


【中村勘三郎(型破りの挑戦) 破天荒こそ伝統、生涯かけて貫く】

【(中村勘三郎さん)▼それでも「名優」と呼ぶのは憚(はばか)られた。「やんちゃ」のためもあろうし、一生かかって究める芸の道はまだまだ先が長いと思ったからでもある。】
春秋 2012/12/6付

【寺島しのぶ 中村勘三郎にかけてもらった大切な言葉紹介】


【「あんた、渋谷で歌舞伎なんて都落ちだよ」。
若者の街でコクーン歌舞伎を始めると、祖母に泣かれたそうだ。】

2012年12月6日付 天声人語


【中村勘三郎さんが影響を受けた言葉】

~『型を身に付けねば型破りにはなれない』

【中村勘三郎の「告白」太地喜和子との本物の恋】
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【中村勘三郎(型破りの挑戦) 破天荒こそ伝統、生涯かけて貫く】
破天荒こそ伝統、生涯かけて貫く2012.12.5 20:50 [有名人の訃報]

中村勘三郎さん
 57歳という若さで5日亡くなった中村勘三郎さん。
歌舞伎という伝統芸能に新しい時代の風を吹き込み、
現代に生きる芸能として、多くの人に歌舞伎の楽しさ、魅力を伝えた。
 現代歌舞伎の“創造者”ともいえる勘三郎さんだが、発する言葉はいつも「伝統と、もっと伝統です」だった。

平成22年秋、大阪城公園・西の丸庭園で行われた「平成中村座」公演の際、
勘三郎さんはきっぱりとそう言い切った。
「平成中村座」は12年、江戸時代の芝居小屋を現代によみがえらせた劇場として開場。
もともと勘三郎家は江戸三座のひとつ「中村座」の座元。
先祖の芝居小屋をよみがえらせた「平成中村座」は、座布団に座る桟敷席を再現するなど、随所に勘三郎さんの思いがこもった芝居小屋であった。
それは勘三郎さんの夢の結晶でもあり、この小屋でさまざまな新しい試みを行った。

 大坂の下町の片隅に生きるしがない侠客の姿を描いた「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」では、ラストで舞台の背景が開く仕組みに。
勘三郎さん扮する団七と中村橋之助さん扮する徳兵衛の2人が舞台から飛び出して、大都会に向かって全速力で逃げていくという外の空間を使う大胆な演出で喝采を浴びた。
 また、東京・渋谷の劇場「シアターコクーン」で行ったコクーン歌舞伎では現代演劇の演出家が演出、椎名林檎さんらポップミュージシャンの曲を起用するなど評判となった。
 これほど新しい試みに挑戦し、革新的な舞台を創造した勘三郎さんなのになぜ、「伝統」という言葉にこだわり、重んじたのか。

〔中村勘三郎さん〕
 勘三郎さんが生涯かけて追求したのは、
歌舞伎の原点ともいえる破天荒さ、
そして懐の深い江戸歌舞伎を現代に生きる歌舞伎としてよみがえらせることであった。
 それは歌舞伎が時代とともに洗練されるにつれ、置き忘れてきたものかもしれない。
 大阪との相性は抜群で、若いとき、「東海道四谷怪談」のお岩をはじめ道頓堀・中座で大役に挑み続け、
「僕は大阪に育てられた」と口にして、「大阪はラテンの血。僕と一緒」
とこよなく大阪を愛し続けた。

 現在、京都・南座で長男、勘九郎さんの襲名披露の真っ最中で、どれほど心残りだっただろうか。
 来年4月、東京に新装開場する新しい歌舞伎座の舞台に立つことなく勘三郎さんは逝ってしまった。
 歌舞伎界ばかりでなく、日本の芸能界全体にとっても、その損失は計り知れない。
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【子供電話相談室の無着成恭さんの言葉に痛く感銘し、以後座右の銘にするくらいであったとか。】
無着さんのそのひと言とは。
『型を身に付けねば型破りにはなれない』


勘三郎さんも随分前のこと、ちょうど移動中の車の中で何気に聴いていた子供電話相談室の無着成恭さんの言葉に痛く感銘し、以後座右の銘にするくらいであったとか。

無着さんのそのひと言とは。
『型を身に付けねば型破りにはなれない』
そこなんです。
きっちりと基本を身に付けているからこそ、慣例にとらわれずにかたちを崩し破天荒なことも出来るしサマにもなるということ。
歌舞伎にしてもお茶にしても華道にしても、よろず日本の伝統というのはそうでなきゃ進歩も生まれないし個性も輝きません。
厳しい鍛練を重ねて何百年も続いているお家芸、所作のひとつひとつを体と心で覚えて会得する。
そしてある年齢を過ぎた時から様々にチャレンジして型破りを楽しみ楽しませるようになるのではないでしょうか。
勘三郎さんがまさしくそれをして芸を高みにもっていった人だったと思いました。
基本が出来ているから美しく映えるということだと思います。
そこには手抜かりや妥協なんていうものはないはずです。
私がいつも思っていたことをこんなにも的確な言葉で表していた無着成恭師。
そしてその言葉に確信を持ってこの世を駆け抜けていった勘三郎さん。
目から鱗が剥げ落ちた思いがしました。
水は高所から流れるのが自然のならわし。
今回のマインドは下流にいる私にもしっかりと届いたような思いがしました。

ちなみに無着成恭師は今、大分県国東半島にある泉福寺の住職を務めていらっしゃいます。

しかし勘三郎さんの病はずっとがんとの闘いだったようですね。
食道がんは初期、でも既に転移していたというのですから、
それを知った彼の諦念たるや驚きでした。
最期のインタビューにはまだ生きているというオーラがありましたが、サプライズ出演した松本市での最後の舞台の姿にはもうこの世の人ではない、体と心が離脱してしまっているような儚さが見えました。

価値ある人は57歳を一期に短命で逝き、こうやって人や世の中を弄ぶクズが生き長らえている不条理さにも腹が立っています。
世の中にはこんなバカタレの命よりももっと大切な命がたくさんあります。
そして命の長らえを願っている人だって多くいます。
そんな人までをも足蹴にしているようでつらいですね。
一寸の虫にも五分の魂どころかこんな人間は虫にも五分にも足りません。 

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【寺島しのぶ 中村勘三郎にかけてもらった大切な言葉紹介】
12月07日16時46分

 歌舞伎俳優、中村勘三郎さんが死去(享年57)したことを受け、
女優の寺島しのぶ(39)が公式ブログに思い出をつづっている。

 6日から、「哲明さんとの思い出はつきません」と、中村の本名である「哲明」で呼びかけ、
夫を紹介したときに一生懸命フランス語で喋りかけてくれたことや、
妊娠を知らせたときに大喜びしてくれたことなどを回想し、
舞台に観客が入らなかったときには

「面白かったよ。
一番良いのは面白くて客が入る舞台。
二番目は面白くて客が入らない舞台。
三番目はつまんなくて客が入らない舞台。
一番最悪なのはつまんないのに客が入ってる舞台。
だからあなたのは二番目だから。
あとはお客さんが入ってくれればね。
そういう舞台を僕たちは目指さないとね」

と声をかけてくれたことを振り返った。

 さまざまなエピソードを紹介しながら、
寺島は、「絶対いつも『こうした方がいい』って言わない哲明さん。僕たちはこうして行こうよ って同じ目線で喋ってくださる哲明さん。この言葉は私の引き出しにいつもしまってあります」とつづった。

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平成23年9月、新歌舞伎座で舞踊劇「お祭り」に出演する中村勘三郎さん=大阪市天王寺区
記事「「歌舞伎座こけら落しを心のより所に…」 家族が明かす闘病」
2012.12.5 09:06 [有名人の訃報]
III 1211:中村勘三郎さん逝く

【「あんた、渋谷で歌舞伎なんて都落ちだよ」。
若者の街でコクーン歌舞伎を始めると、祖母に泣かれたそうだ。】

2012年12月6日付 天声人語

同世代の死はこたえるが、きのうは心底もったいないと沈んだ。
歌舞伎の開拓者にして当代きってのエンターテイナー、中村勘三郎さんはまだ57歳。
満席の客を残し、早すぎる幕である
▼「あんた、渋谷で歌舞伎なんて都落ちだよ」。
若者の街でコクーン歌舞伎を始めると、祖母に泣かれたそうだ。
野田秀樹さんら、現代劇の異才とも組んだ。
そして平成中村座。観衆を楽しませ、ファンの裾野を広げる熱と技は人一倍だった

▼地方公演の楽屋で、女形の化粧を落としていると「拍手が鳴りやまない」という。
コールドクリームまみれで舞台に戻ったサービス精神は語り草だ。
おちゃめな人柄そのままに、時事のアドリブも交えた自在の芸である
▼あるフラワーデザイナーが、「藤娘」の踊りには造花より生花がいいと持ちかける。
勘三郎さんは「女形そのものが造花ですから」と拒んだ。
攻めて崩すのみならず、守るべきものを知る人でもあった

▼初舞台から40代まで名乗った勘九郎は長男に譲った。
孫を加えた三代での共演を夢見て、来春の歌舞伎座こけら落としを心待ちにしていたという。
十八代目の襲名にあたり「勘と嗅覚(きゅうかく)、あとは運」と語っていたが、
最後の一つがままならなかった
▼この日の東京は朝から日本晴れ。
勘三郎さんが完成を待ちわびたその小屋も、同じ思いで中村屋の復帰を念じていたに違いない。
仕上げに入った唐破風(からはふ)の屋根が、青藤(あおふじ)色の工事用シートから透ける。
人目をはばかり、泣いているように見えた。
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【中村勘三郎さんが影響を受けた言葉】
『型を身に付けねば型破りにはなれない』

「若い人はすぐ型破りをやりたがるけれど、型を会得した人間がそれを破ることを『型破り』というのであって、型のない人間がそれをやろうとするのは、ただの『かたなし』です」

「型のある人が型を破ることを型破りといい、型のない人が型を破ることを型無しという」
つまり
人を魅了する面白いことをするためには、基礎をしっかり身につけることだと。
この言葉を聞いて中村勘三郎さんは、よし!と思ったそうです。
これ結構人生の真理をついた重要な事です
勘三郎さんはこの回答に大きな感銘を受け、その後の人生に大きな影響を与える
言葉になったそうです。
つまり型破りな人は、継続的に成果を出せるのに対して
形無しの人は仮に短期的に成果が出せたとしても
いずれ伸び悩み、長続きしないと思われます。
中村勘三郎さんといえば歌舞伎界では
「型破り」
な歌舞伎で有名な方でした。
しかし、その裏には20年間にも渡り徹底して型にはまった
基礎の歌舞伎を体にしっかり染み込ませて来た背景からくるものなのだったんですね。
こういった事ってどんな世界でもいえる事です。
やはり成功した人は裏で凄まじい努力しているのです。


【平蔵の独り言】
「若い人はすぐ型破りをやりたがるけれど、型を会得した人間がそれを破ることを『型破り』というのであって、型のない人間がそれをやろうとするのは、ただの『かたなし』です」

“すり足”だけを「能楽師」に教えを乞うていた。
と、勘三郎さんの追悼番組で以前話していた。

また一人 魅力のある人が旅立ってしまった。

もし、17年前意識のないまま旅立っていたら、このような出来ごとに
遭遇出来なかったのだから、

さあ!今日も健康に感謝して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2013-02-13 15:46 | 人間模様 | Comments(0)