〔人生は運や偶然によって決まる部分が大きい(思い通りにならない会社人生だから面白い)〕   

2013年 06月 19日

〔人生は運や偶然によって決まる部分が大きい(思い通りにならない会社人生だから面白い)〕
週刊現代6/15号

【「異動」人間、腐ったらおしまい】
  〔畑違いの仕事で評価を高めた〕
【「左遷」4度左遷を経験した】
  〔落ち込むのは仕方ない〕
【「左遷」社長の彼にしてみれば正反対の考えの人間が傍にいるのが煙たかった】
【「転籍」友人は去っていった】
  〔人事に不満があっても言葉や表情に出したら負けなんです。
  行けば必ず何か自分のためになることがある。
  だから、私はポジティブな感覚を失わずに、新しい環境で仕事をすることができた〕
【「降格」2度の降格人事・苦境を「三つの支え」によって乗り切れた】
   一つ目:あきらめないこと
   二つ目:演技すること
   三つ目:心のよりどころとなるメンター(師)を見つけること。
【「会社の不祥事」・『いままで自分はなんと無責任だったのか』】
  〔会社とは何だ、人生とは何だ〕

---------------------------------
【「異動」人間、腐ったらおしまい】
「不本意な人事異動を命じられた場合、
 多くの人がやる気を失うか、異動先で埋没してしまうのが実情です。
 だが一方で、腐りそうになる気持ちをこらえ、不本意なポストでも踏ん張る人たちがいます。
 左遷や降格人事を受けたときこそ、サラリーマンは真価が問われるとも言えるのです」

〔畑違いの仕事で評価を高めた〕
 専門外の部門で、勉強をして、インタビューに淀みなく答えられるほどの知識を身につけて、
 新天地でもやるべきことをやる姿勢が抜擢された要因になる。

【「左遷」4度左遷を経験した】
 最初の左遷は入社11年目かな。花形部署から帰って来たときだった。
 課長職を目前して上司の不興を買い飛ばされた。
 飛ばした本人が『飛ばした』と話していたので勘違いではないでしょう。
 
 単身赴任先では、仕事らしい仕事もなく、完全にふて腐れました。
 不思議なもので、類は友を呼ぶ。
 終業時間になると、似たような境遇の人間が集まって、飲みに出かけるようになる。
 話題は愚痴と上司批判です。毎晩、安酒をかっくらって、体調を崩す者までいた。
 私はだんだん恐くなり、彼らとは付き合わないようになった。
 左遷を本当の左遷にするのは自分なんだな、と痛感しました。


 しかし、遅かった。2度目の左遷です。
 しかし、腐ってはいけないと最初の左遷で思い知ったので、
 何とかあがいて現地の責任者と親しくなり、業務改善に成功した。

 〔落ち込むのは仕方ない〕
 左遷されて落ち込むのは当たり前。むしろ、とことんしょげるべきです。
 悪いときはすり鉢の底に向かって駆け降りる。
 すると、勢いでそのまま上がっていくものです。
 飛ばされることよりも気力を失うことのほうがはるかに怖い

【社長の彼にしてみれば正反対の考えの人間が傍にいるのが煙たかった】
 最年少で順調に出世コースを辿った。
 ところが突然出向、明らかな左遷だった。
 当時の社長と僕の考え方が正反対だったからでしょう。
 サラリーマン人生初の挫折。
 役職定年を前に戻れる可能性がゼロに近いことを意味する。

「僕は活字中毒で、歴史書はこれまでに山ほど読んできた。
 そのなかで、人生は運や偶然によって決まる部分が大きいことを学んだ。」

「ただ、経験を後輩たちに残したいという気持ちもあった。
 そこで、『遺書』として『生命保険入門』という本を書きました。
 それで、きっぱりと保険業界のことは忘れるつもりだった。
 しかし、知遇を得て、保険会社を作ることになり、再び保険業に携わることになりました。
 結局のところ、人生は偶然の積み重ねなんですよ」

【「転籍」友人は去っていった】
 左遷、出向以上に会社員にとって辛いのが、完全に別の会社の社員になってしまう「転籍」。
 そんな転籍を命じられた後、本社に復帰を果たした稀有な経験を持つ。
 転籍して、周囲の誰もが「出世コースから外れた」と感じた人事だった。
 「全く予期せぬ転籍でしたね。突然命令されたんです。
  会社が変わったことを思い知らされたのは、社員証の色が変わったことと、
  保険証の内容も変わ  ったことです。一抹の寂しさを感じました。」

 不本意なはずの人事を、表面上は淡々と受け止めた。
 「私はサラリーマン人生の中で、一度も異動希望を出したことがないんです。
  いつでも『行けと言われればどこへでも行きます』とだけ書いてきたし」

〔人事に不満があっても言葉や表情に出したら負けなんです。
 行けば必ず何か自分のためになることがある。
 だから、私はポジティブな感覚を失わずに、新しい環境で仕事をすることができた〕

 転籍での業績が評価され本社に復帰。
 転籍の2年間は私の会社人生で、最も意味あるものでした。充実した日々でした。
 信用を得るためには、肩書で人を判断してはいけないことも学んだ。

 それまで付き合いのあった人のなかには、
 転籍になった途端、あからさまに態度が変わった人がいましたから。
 『食事に行きましょう』としょっちゅう誘ってきたのに、一切連絡したこなくなった人。
 話していると、腹の中で見下しているのを感じるかつての部下。
 彼らの姿を見て、私は人に対して誠実に正直に付き合おうと思いました

【「降格」2度の降格人事・苦境を「三つの支え」によって乗り切れた】
 2度の降格人事を経験している。
 1度目は同期トップで課長になったのもつかの間、平社員へと落とされた。
 2度目は本社の部長から課長に降格された。
 いずれも上司との衝突が原因だった。

 当時の苦境を「三つの支え」によって乗り切れたと語る。
 「まずは、あきらめないこと。サラリーマンにとって『あきらめ』は楽だし、最大の誘惑です。
  これに負ければ未来はない。
  
  二つ目は、演技することです。
  降格されたとき、それを喜ぶものが社内には必ずいますが、いちいち反応してはいけない。
  芝居でもいいから、嬉々として仕事をするべきです。
  良い意味で周りを騙すんです。前向きな態度は、次第に周囲の評価を高めるものです。
  
  そして最後に大切なのが、
  社内でも社外でもいいから、心のよりどころとなるメンターを見つけること。
  メンターとは日本語で『師』でしょう。
  私にとって彼らの存在は、降格の憂き目にあったときの駆け込み寺でした。
  私の場合、30代半ばで自分より人生経験のあるメンターを社外に持つように努め、
  ことあるごと に相談していた」

【「会社の不祥事」・『いままで自分はなんと無責任だったのか』】
 会社そのものの不祥事に直面し、思わぬ仕事に従事させられたこともある。
 『挨拶はいい。大阪に行ってお詫びの部隊に加わってくれ』と指示されました。
 大阪では驚きの連続でした。
 『お客様リストは手元にありますね?一に謝罪、二に謝罪、三に謝罪、四に謝罪、五に謝罪です』
 逆に言うと、それ以外、対応マニュアルがない。
 これは大変なことになっていると思いました。
〔会社とは何だ、人生とは何だ〕
 お詫び行脚の日々が始まってすぐ気づいたことがあった。
 「私は実感がなかったんです。事件現場から遠い営業担当で、『自分のミスではない』
 という思いもあり、頭ではお詫びしなければと思っていても、腹にまで落ちていなかった。
 しかしお詫びをしていくうちに、『いままで自分はなんと無責任だったのか』と気づいた。
 製造現場のことをほとんど知らなかった。工場はどんな体制で製造して販売する。
 研修程度の知識だけでお客様に販売していた。
 次第に、この事態は私と、私が所属する企業の体質が起こしたものだと腑に落ちました。
 責任の所在を自分に求めたのです。
 多い日には一日13軒を土下座して回った。罵声を浴びることもあった。
 「私はそれを理不尽だとは思わなかった。
 本当に自分が悪かったと反省し、心からお詫びしていました。
 それがお客様に伝わったのかもしれません。
 『兄ちゃん、頭上げて、これから頑張ってくれたらええから』と言われ、
 涙が出そうになったこともありました。」

出向、転籍、降格、そして不祥事。
それぞれの困難を乗り越えた彼らが口を揃えて言うのは、
あのとき泣いた経験によって人間が磨かれたということだ。
会社人生は何が起こるかわからない。
しかし、だからこそ面白いのだ。


【平蔵の独り言】
振り返って見ると、いままでの人生でそうだよな!
〔人生は運や偶然によって決まる部分が大きい〕
というよりは、過ぎ去った時間(これを人生というのか)は
何か見えない力が 積み重なって今という時間あるように思う。

あの時、”ああしていれば”ではなく”ああしていなかったから”
今がある。

さあ!今から最終コーナーに向かって
五木寛之(80歳)が言っていた
充実した”終活”をして行こう・・・・・・・・・・・・
[PR]

by asanogawa-garou | 2013-06-19 17:58 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)