「日本人が不幸になったのは…」山田洋次監督が語る“寅さん”と“東京五輪” |
2013年 12月 30日 |
管理されていない状態にいる人間に対する憧れかな。
産経新聞 10月5日(土)12時44分配信
〔管理された社会、窮屈 → 自由〕
一つは、管理されていない状態にいる人間に対する憧れかな。
今の時代は、本当に日本人がどんどん厳しく管理され始めている。
映画館に行ったって、指定券見せて入って、
入ったら私語は交わさないでくださいとか、盗撮は犯罪ですとかいろいろとある。
そういう窮屈さを今、日本人は感じ始めているのではないか。
それは今のこの国の政治状況からいって、どんどん窮屈になるんじゃないかと思う。
そんな中で寅さんは自由で、なんの拘束も受けない。
それは発想が自由ということ。
考え方がだんだん管理されているということが一番怖いことです。
寅さんの発想は管理されていないから、極めて自由である。
〔 --なぜ寅さんは今でも愛されているのでしょう〕
一つは、管理されていない状態にいる人間に対する憧れかな。
〔 --「寅さんを作った理由は渥美清さんに会ったから」と言われていますね〕
渥美さんは自由な人だったんじゃないかな。
あの人はおそらく、どこにも所属したことがないんじゃないか。
拘束されるのは似合わないし、誰にも縛られない。
【--「男はつらいよ」で描かれた昭和という時代について聞かせてください】
〔 --戦後は〕オリンピックまで。東京五輪以後は
〔 --番組では「オリンピックが日本をめちゃくちゃにした」と言われてましたね〕
【 --7年後にまた東京で五輪が開かれます】
--東京五輪に反対だったのですか
--来年公開される「小さなおうち」は、何をテーマに描きたかったのですか
--監督が理想とする日本人の家庭の姿が、戦前にあったと
【 --大事な文化を失ってしまったということですが、映画で描きたいのはそういう部分ですか】
山田洋次監督(栗橋隆悦撮影)(写真:産経新聞)
日本映画界の巨匠、山田洋次監督(82)が、
「男はつらいよ」全48作を順次放送するBSジャパンの新番組「土曜は寅さん!」
(土曜午後6時54分)が10月12日から始まるのを前に、産経新聞のインタビューに応じた。
山田監督は「男はつらいよ」の主人公、寅さんが最近、
若者を中心に人気を集めるようになった事情や、
56年の時を隔てて行われる2度の東京五輪についての考えなどを語った。
〔 --なぜ寅さんは今でも愛されているのでしょう〕
一つは、管理されていない状態にいる人間に対する憧れかな。
「今でもというか、ずっと人気があったんじゃなくて、近年また人気がありますね。
どうしてなのかな。
一つは東日本大震災の後、あちこちで寅さんの上映会をずっとやってきて、
つらい時、悲しいことがたくさん起きたときって、
その人たちが求めるのは笑いなんだなって。
その笑いも、バラエティーのような笑いじゃなくて、寅さんの持っている笑い。
寅さんのような人間に会いたい、なぐさめられたい。
そういう役割を寅さんは持っているということを、
一昨年の震災後に感じたことはあります。
それがきっかけになって、映画館でもちろん見たことのない若い人、
おじいさんが好きだったとか、父親がテレビの再放送を見て笑っているのを見て
『なんでうちの親父はあんなもの見て笑っているんだろう』
と言っているような若者が、寅さんを見てみたら面白かったって。
『寅さんって面白いな』という感じが、スクリーンから離れてフィードバックを始めている。
それを僕も面白いと思っている。
じゃあ人気の理由は何なんだ、と。
一つは、管理されていない状態にいる人間に対する憧れかな。
今の時代は、本当に日本人がどんどん厳しく管理され始めている。
映画館に行ったって、指定券見せて入って、
入ったら私語は交わさないでくださいとか、
盗撮は犯罪ですとかいろいろとある。
そういう窮屈さを今、日本人は感じ始めているのではないか。
それは今のこの国の政治状況からいって、
どんどん窮屈になるんじゃないかと思う。
そんな中で寅さんは自由で、なんの拘束も受けない。
それは発想が自由ということ。
考え方がだんだん管理されているということが一番怖いことです。
寅さんの発想は管理されていないから、極めて自由である。
そんなことへの憧れが今、改めて若者たちに、寅さんを通して感じられる気がする」
〔 --BSジャパンの番組(10月8、15日午後9時から放送の「昭和は輝いていた」)では、「寅さんを作った理由は渥美清さんに会ったから」と言われていますね〕
「(寅さんのキャラクターは)2人で作ったんだよ。
渥美清という人間から触発されて、
この寅さんというキャラクターはますます膨らんでいった。
渥美さんは自由な人だったんじゃないかな。
あの人はおそらく、どこにも所属したことがないんじゃないか。
拘束されるのは似合わないし、誰にも縛られない。考え方も縛られない」
【--「男はつらいよ」で描かれた昭和という時代について聞かせてください】
「昭和といったって、3種類ある。まず戦前。戦中はない。これは消えてしまいたい時代。
全く最低な時代。戦中は昭和に入らない」
〔 --戦後は〕
オリンピックまで。東京五輪以後は
「復興の時代。(昭和39年の)オリンピックまで。
このころ、もう一回自分たちの生活を回復しようと思って、日本人は一生懸命頑張った。
それまで日本人が築いてきた生活をもう一度取り戻そうと。
昭和20年代から30年代にかけて、あの時代が僕は本当に懐かしい。
みんな元気で、子供がいっぱいいて。
あのころの写真は本当に子供がいっぱい写っているよね。
小さいお店がたくさんある。乾物屋さんとか、小間物屋さん、魚屋さん、八百屋さん。
あの時代は日本人は元気だったんじゃないかな。労働組合も元気だったし、学生運動も盛んだったし。そういう活気にあふれていた」
〔 --では東京五輪以後は…〕
「高度成長になって、競争社会になっていく。
学歴社会になり、管理社会への道が始まっていくんじゃないかなあ。
風景もどんどん味気なくなってきたし」
〔 --番組では「オリンピックが日本をめちゃくちゃにした」と言われてましたね〕
「めちゃくちゃにしましたよ。
この国がどういう国であるべきかというイメージがあのとき作られなかったことに問題がある。
だから、モータリゼーションもあるし、日本中に高速道路を走らせ、何千億も金をかけて道をつくり、車に乗って日本中が移動しだす。
どんどん線路が消えていく。
そのことで幸せになったのか、ということがある」
【 --7年後にまた東京で五輪が開かれます】
--東京五輪に反対だったのですか
--来年公開される「小さなおうち」は、何をテーマに描きたかったのですか
--監督が理想とする日本人の家庭の姿が、戦前にあったと
「期待していない。
オリンピックが終わった後がどんなに悲惨かというのは、ロンドンであり北京であり見えているんじゃないかな。
施設のあとが荒涼としてしまう。東京もああなるかと思うとぞっとする。
今大切なのは、オリンピックじゃなくて、福島じゃないですかね。
この国は安全だって宣言しちゃったけど、本当にそうなのか。
絶対そうじゃないと僕は思うな。
だって毎日汚染水が見つかって海に流れ込んでいるんでしょ。
何の見通しもなくて、どうして100%安全だって言えるのだろうか」
〔 --東京五輪に反対だったのですか〕
「オリンピックがいいとはあんまり言わないね。
だってあれは日本人が言い出したことじゃないでしょ。
政治主導で言い出したことでしょ」
〔 --来年公開される「小さなおうち」は、何をテーマに描きたかったのですか〕 「戦前の昭和です。東京の郊外のサラリーマンの家庭で、そこにはある穏やかな生活があった。
それは戦後の昭和とはだいぶ違う。
物語の中身は、人妻が若い青年に恋をする危ない話。
そういうことを含めて、戦前の昭和のサラリーマンの家庭の穏やかな暮らし方を思い返したい、見つめてみたいということ。これは僕の少年時代の思い出でもあるわけだ」
〔 --監督が理想とする日本人の家庭の姿が、戦前にあったと〕
「理想というと大げさだけれど、一つの形があった。
つつましく暮らすということ。
オリンピック以降は、うんとぜいたくな暮らしをしようとか、海外旅行だとか、豪華マンションとか、欲望が果てしなくなり、日本人が欲望の充足に貪欲になっていった。
それが僕はとても不幸だと思う」
〔 --「男はつらいよ」のDVDマガジンで、監督は寅さんの子供時代について小説を書いています。あれを映画化するという話は?〕
「そういう夢もありますけどね」
〔 --今の時代に、新しい寅さんを見てみたい〕
「(寅さんの子供時代は)昭和10年代だからね。
今の若者は、東京というか、日本の暮らしのなかで、
お店屋さんを知らなくなっているんじゃないかね。
日本の子供たちはかつてお店屋さんに育てられた。
お豆腐屋さんにお豆腐買いに行ったり、
八百屋さんにネギ買いに行って、
豆腐屋のおじさんや八百屋のおばさんにしかられたり、
『お父ちゃん元気か』って言われたり。
今は不便になって、
この前、鉛筆買いに行ったら、近くに文房具屋がありゃしない。
コンビニ行きゃあるんだけど、
もうちょっと面倒くさいものだとコンビニに売ってないでしょ。
文房具屋がなくなる、
本屋がなくなる、
金物屋でちょっとした針金、トンカチ、くぎとかを買うために、
なんとかセンターまで行かなきゃいけない。
ネット(通販)になったり。
昔はそれをお店に買いに行った。
お店がなくなってしまったということは、日本人は大事な文化を失ってしまった。
オリンピック以後だな。
国の発展、人々の暮らしの形が変わった。
(「東京物語」などの監督)小津安二郎は、ぜんぶ戦後の昭和20~30年代でしょ。
かつての日本人の暮らし方を表現しているね。
今度は、お祭り騒ぎはこの国には似合わないと思うな。静かに暮らしたいと思う」
【 --大事な文化を失ってしまったということですが、映画で描きたいのはそういう部分ですか】
「そんな風に大げさに考えているわけじゃないよ。
そういう思いをいつも抱いているわけで、それぞれの映画にはそれぞれのテーマがある。小津安二郎の映画が世界で大変な評価を受けているのは、それじゃないかな。
日本人の暮らしに驚くっていうか。
日本人の暮らしにあるさまざまな礼儀作法とか、たたずまいとかしぐさとか。
それを外国の人は驚くんじゃないのかな」
〔 --今年1月に公開された「東京家族」では、そういう部分にこだわった〕
「そうですね。暮らしというか、ちゃんと見るということをしようと思った。
だから、日本人の文化っていうか、日本人を簡単に表現するにはどうすればいいかは、これから先、戸惑うことになる気がする。
オリンピックの話を聞いたとき、最初に思ったのがそれよ。
オリンピックの開会式なんて何をやるのだろう。
最も日本人を表現するものとは。阿波踊りとかになっちゃうのかね」
〔 --監督は開会式の芸術監督になる気は?〕
「全くその気はない(笑)生きてないよ、そのときは」
〔 --監督にとって映画とは何でしょう〕
「あまりそういうことを考えたことはない。
君にとって新聞記者とは何か。
僕の仕事よ、商売よ。
僕は映画を作ってそれで生計を立てている。
新聞社の試験を通っていれば新聞記者になっていた。そういうものですよ」
(聞き手 本間英士)
万博 太陽の塔
【平蔵の独り言】
〔管理された社会、窮屈 → 自由〕
オリンピックまでは、1円5円を握り締めて
お金がなくても1日を楽しく暮らしていた。
こずかいは“お駄賃・おつり”
朝の”豆腐”、きざみタバコ“ききょう”、”寶の焼酎“
テレビ、電話も他所の家に・・・・・・
団地が出来た頃から
みんなと同じ(こと)なら、安心。
昭和45年大阪万博 「見に行った」ということで
満足していた。
(どのパピリオンも並んでいて、何も見ていない、3日間)
記憶に残るのは“太陽の塔” 爆発だ!(岡本太郎)
管理された社会に気がつかないうちを歩み始めていた。
やはり、市井の人が・・・・・・・・・・・・・・・・・
by asanogawa-garou | 2013-12-30 17:47 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)