〔伊集院静〕「許せない」はもう、やめにしないか。「かつて、私もあの人は許せなかった」   

2014年 04月 29日
〔伊集院静〕「許せない」はもう、やめにしないか。「かつて、私もあの人は許せなかった」
週刊現代 2014/4/26号

〔哀しみの周辺に許す、許さないがあるんだろう〕
「生きるということは哀しいことであり、哀しみとともに歩くことである。
それが、大切な人たちを失ってなお生きてきた私の実感。
そして、その哀しみの周辺に、許す、許さないがあるんだろうね」


〔孤独が人を育てる。大人の男は群れてはいけない〕

〔誰か一人のために、丁寧に誠実に書く。それが文章の基本〕
サラリーマンなら懸命になれる時期はそう長くはない。
だから現役の人たちには、今やっておかないとだめだよ言いたいね。

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〔哀しみの周辺に許す、許さないがあるんだろう〕
3月刊行の最新刊『許す力 大人の流儀4』は、発売から1ヵ月で17万部のベストセラーとなった。

「つまりは、許す、許さないが多くの人にとってこれほどまでに普遍的かつ大きなだったということだろうね。
どうやら人間のなすあらゆる禍には、このことが関わっているらしい。
国と国にしてもそうだ。
日本と韓国はいま、お互いに許せないと言い合って、収拾がつかなくなっている」

「許す力」と言いつつも、伊集院は決して許し方のノウハウを説くわけではない。
何せ、冒頭の章の題からして「許さなくていい」なのである。
曰く <それもあなたの生き方だから>。


「母から『あなたの度量のちいささを直しなさい』と言われてね。
生きるとはこうした理不尽さの連続であり、傷つかない人生などない。
人は皆、許せないことを抱えて生きているんだとわかってからは、
せめて『許せない』と自分を責めるのはやめにしないか、と」

理不尽は他者からの仕打ちだけではない。
逃れられない運命の理不尽にも、人はときに遭遇する。
<妻を死に至らしめた運命を許せなかったのである。
運命に噴った己一人がのうのうと生きることが許せなかったのである>

「生きるということは哀しいことであり、哀しみとともに歩くことである。
それが、大切な人たちを失ってなお生きてきた私の実感。
そして、その哀しみの周辺に、許す、許さないがあるんだろうね」
生きるために運命を許し、自分を許した。
そして、創作に勤しむ現在がある。


〔孤独が人を育てる。大人の男は群れてはいけない〕
「そもそも文章を書くのは、気力、体力の勝負、
私に言わせれば、才能などというものはほんのわずかでいい。
じゃあなぜ書けるかというと、長い間書き続けて培った、
慣性の法則のようなものがあるからだろうな。

どんな仕事においても、できる人というのはこの法則をこしらえるまで相当踏ん張っている。
「こうやって生きるしかない」という覚悟ができているということだと思う」


ふと、「さすらった、と言ったけれども」と氏がつぶやく。
「今でも、酒を飲んだあと、人と歩いていると、何も変わっちゃいないなと思う。
とくに、二日酔いで目覚めた朝、床に脱ぎ捨てたスーツなぞをぼんやり眺めて座っていると、『このままじゃまずいぞ』と。やっぱり、一人の時間だけが、当人を改革させるんだろう。

大人の男は群れてはいけない」

〔誰か一人のために、丁寧に誠実に書く。それが文章の基本〕
小説や文章はいつもたった一人のために書いている。と伊集院。
「相手は見えないけれど、誰かのために丁寧に誠実に。それが文章の基本だね。
百万人のためには書かない。
結果、百万人のためになれば、おいしいお酒を飲めるということになるけれど(笑)」
丁寧に、誠実に。そして言い添えるならば、「懸命に」ということになるだろう。
だからこそ氏の文章は読む人の胸に沁み、心を動かす。

「陶芸家とか絵描きとか、一生をかけて取り組む長い仕事というのもあるけれど、

サラリーマンなら懸命になれる時期はそう長くはない。
だから現役の人たちには、今やっておかないとだめだよ言いたいね。


そして、懸命にやっているとしても『まだまだこの程度じゃ足りない』と思うことが大事。
自分よりももっとやっている人が、必ずどこかにいるはずだと」

許されざる運命を受け入れ、己の道を懸命に進む人々を、
伊集院は作品のなかでしばしば「愚者」と表現する。
最新小説『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』では、
作家人生に並走した亡き友人たちのことを、愛情を込めてこう称した。

「自分も含めて、私は『愚者たれ』と言いたい。
謙虚であるためにも、それくらいがいいんだと思う」


【家族の前では口にしないが、いつでも死ぬ覚悟はある。
目が覚めるたび『ああ、今日か』と】


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【「許せない」はいつも「生きる」の隣にある。】
生きるとは、理不尽で許せないことに出あうこと。
「許せない人や行為というのは、まるで、水や空気のようにそばにあるもの。
だったら、いっそ許さなくてもいいんじゃないか。
ただ、許しちゃおうかなっていうくらいの気持ちでいると、ラクになる。
もしかしたら許せるかもしれないと思えてきて、力がわいてくる。
それが“許す力”なんです」

身内にも、許せない人間がいる。人間が小さいって言われたっていい。
許せない気持ちを捨てたらオレじゃなくなる。
“許せない力”はバネにもなるんだよ。

若い時分、自分を許せないこともあった。
再会したら謝りたい人も何人かいる。
だからといって、年齢を重ねて丸くなったわけじゃない。
譲れない“軸”が、きわめてシンプルになったのだ。


「自分のためだけに生きたい、というですよ」

(サンデー毎日)


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【平蔵の独り言】

生きるということは哀しいことであり、哀しみとともに歩くことである。
〔誰か一人のために、丁寧に誠実に書く。それが文章の基本〕
「こうやって生きるしかない」


【独り言】
毎月の月命日、お墓詣り

2月の初め、大切な人との相次ぐ訃報、旅立ちの別れ

カテーテル治療で入院中(3回目)、ひたすら病棟を歩く。
入院中は朝早くから、喧騒で目覚めるが
退院の朝は 「えっ!」 そうか退院したのか

「こうやって生きるしかない」

生きているんですね。
今起こっていることが人生
死ぬ覚悟はできていない・・・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2014-04-29 15:14 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(1)

Commented by 柴犬 at 2014-06-30 22:33 x
伊集院先生の作家としての迫力は心酔しますが、先生に人としての生き方や訓辞をする魅力はないと思える。
先生の言葉や文の力に比べて、ご自身の行動が公開されている範囲ではまるで伴っていらっしゃるとは思えないです。