【林 隆三】それが60代になると、肩の力も抜けて少し楽しいねって丸みも加わってくる。   

2014年 06月 16日
【林 隆三】それが60代になると、肩の力も抜けて少し楽しいねって丸みも加わってくる。
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やっぱり70歳っていうのは、60歳とは違いますか?
50代はまだ男だっていうリキミがあるんですが、それが60代になると、肩の力も抜けて少し楽しいねって丸みも加わってくる。

ところが、70歳になって僕は初めて風邪をひいたりして調子が悪くなったときに、あ、ちょっと体力落ちてきたな、疲れが残るぞと自覚した。
初めて加齢ってあるんだなと思いました。
恵まれてやってきた、と思います。


<人間としてのリアルな感覚が薄れていくことに危機感があるんです。どんどん肉体が崩壊し、遠くなっていくのはすごく怖い>

〔人生は夕方から楽しくなる:「人生の大根役者」呼ばれてにやり 林隆三さん〕(2009年7月4日掲載)

 「若いころの熱き思いが体のどこかに残っている。長いこと役者をやっていて、あかはついているけど、自分の視点や立ち方といった芯の部分は変えたくない。ぶきっちょでも何か自分なりの感じ方を確認していたい」
 「賢治の朗読も、ピアノを弾いての弾き語りもちゃんと最後までやった。
でも、司会者との会話で同じことを繰り返してしゃべったと知って、落ち込んじゃった。ばかなことをした。ああ、いい年して」
 本気で悔しがっている。まだまだとんがっている。

毎日新聞エンタメ2014年06月09日
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近くの公園に移った。手には宮沢賢治の作品集。低い声が流れ出た=須賀川理撮影
 キャリアを積んだ俳優が最も嫌う言葉が、「大根役者」だろう。
ところが、「人生の大根役者」と呼ばれたら、にやりと笑う男がいる。林隆三さんである。
 もともとは、フランスの音楽家、シャルル・アズナブールが作ったシャンソンの題名だ。
 詞がふるっている。

 <お世辞も言えず 頭をさげず うそもつけない 立ち回るのも世渡りも下手 正直なだけ>

 曲を知ったのは1960年代末。
「渋谷(東京)のジァンジァンというライブハウスでオープニング歌手として歌った」。
役者に歌わせたいということだった。

「当時は、こういうアウトローの歌が受けたんです。若造には難しい曲だったけど、何度も歌って覚えました」

 ただ、歌手より、役者がしたかった。俳優座養成所を卒業して間もない20代半ば。
 「なんで、才能のあるおれに芝居の仕事がこないんだ」

 自信とやる気ではち切れんばかりの若者と、既存の社会との折り合いの悪さは、昔も今も変わらない。
ましてや、安保の時代。みんな、とんがっていた。

 歌詞はこう続く。

 <たとえ私は 飢えて死んでも魂は売らぬ だから私は この人生の大根役者>

 「歌っているうちに気がついた。これは、まさにおれの歌じゃないかって」

 77年に、新藤兼人監督の「竹山ひとり旅」で第1回日本アカデミー賞主演男優賞をとり、才能を証明した。
それから、舞台やテレビドラマに引っ張りだこになった。
 「役者の仕事はうそをつくこと」と言う。
だからこそ、「このうそはつきたくねえなあ」と、時に仕事を選んだ。周りを戸惑わせてきた。

 「若いころの熱き思いが体のどこかに残っている。
長いこと役者をやっていて、あかはついているけど、
自分の視点や立ち方といった芯の部分は変えたくない。
ぶきっちょでも何か自分なりの感じ方を確認していたい」

 8年前に始めたのが、宮沢賢治の朗読劇だ。
お気に入りは「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」。
賢治が自身を投影したとされる虔十少年が、周囲から笑われても、
家族に見守られて小さな杉林を育てる童話だ。

 喫茶店内にいることも忘れた様子で林さん、よく通る声で演じた。
 「虔十さーん。今日も林の立ち番だなす」

 離れた場所から声を掛ける村人の様子が目に浮かぶ。
使い慣らされた花巻弁(岩手)の素朴な響きがなんともいい。
「ぼくの両親は山形の出身で、父の仕事の都合で少年時代は仙台で育った。
だから、東京で長く暮らしていても、どこか東北にひかれていく。
田舎の山並みを見るだけで気持ちよくなって、
ぽかんと口を開けている自分と、賢治の描いた世界が重なるんです」

 原点は母親の昔語りだった。またもや、林さんは声を張り上げた。
 「子どものころ、東北の海で盛んだった捕鯨の様子を語ってくれた。
『ざぶーん、ざぶーんとくじらっこが泳いでいたのさ。
捕鯨しぇんのモリっこがよお、ぶるぶるぶると、
くじらっこの背中さ刺さって、まず痛いこと』って」

 熱のこもった言葉がどれほど想像力を膨らませ、感動させてくれるのか。
それを伝えたくて、小学校の体育館や公民館など150カ所を回った。面白くなければ子どもはそっぽを向く。いつも真剣勝負だ。

 「最近、失敗しちゃった」とぽつり。
母校の中学校で、頼まれた朗読会の冒頭、盛り上げようと校歌を熱唱した。
ところが、張り切りすぎて酸欠となり、頭がくらくら。

 「賢治の朗読も、ピアノを弾いての弾き語りもちゃんと最後までやった。
でも、司会者との会話で同じことを繰り返してしゃべったと知って、落ち込んじゃった。
ばかなことをした。ああ、いい年して」
 本気で悔しがっている。まだまだとんがっている。
【坂巻士朗】

 ◇人物略歴
 ◇はやし・りゅうぞう
 1943年、東京都新宿区生まれ。俳優。
NHKドラマ「天下御免」「たけしくん、ハイ!」など出演多数。
中学生から親しむピアノは玄人はだしの腕前だ。



花の15期

☆はやし・りゅうぞう=1943年9月29日生まれ。東京都出身。立教高校中退後、63年に俳優座養成所に入所。同期から原田芳雄、地井武男、栗原小巻、太地喜和子ら多くのスターが生まれ「花の15期生」と呼ばれた。

赤座美代子 同期・林隆三さん訃報「残念」かわいがられた“末っ子”
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林隆三さんを偲んだ赤座美代子
Photo By スポニチ 2014/6/9
 女優の赤座美代子(70)が4日に腎不全のため亡くなった俳優の林隆三さん(享年70)を悼んだ。
9日、所属事務所を通じてファクスでコメントを発表した。

 1963年に俳優座養成所入りした林さんとは同期の仲。
「隆三さんはリュッコと呼ばれて、皆の末っ子のような存在でした。
教室で休み時間にピアノ弾きしながら楽しそうに歌っていたのが忘れられません。
最近は得意の東北弁で宮沢賢治の朗読公演をしたりして、
被災地支援などいい仕事をしていらしたのに…残念です」と肩を落とした。

 先に鬼籍に入った太地喜和子さん、原田芳雄さん、地井武男さん、夏八木勲さんらを含め、
林さん、赤座、小野武彦(71)前田吟(70)栗原小巻(69)村井国夫(69)ら、そうそうたる顔ぶれは俳優座「花の15期生」と呼ばれる。

林隆三さん 昨年手術していた…同期・小野武彦「本当に元気に…」
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林隆三さんを偲んだ小野武彦
Photo By スポニチ
 4日に腎不全のため亡くなった俳優の林隆三さん(享年70)は昨年、手術をしていた。
9日、俳優の小野武彦(71)が所属事務所を通じてファクスで発表した追悼コメントで分かった。

 1963年に俳優座養成所入りした林さんとは同期の仲。
今年4月に俳優座養成所の仲間と会う機会があり
「昨年の手術がウソのように本当に元気にしていたので、ただただ驚き、まだ心の整理がつかない状態です」とショックの大きさがうかがえる。

 「しばらくして落ち着いたら、隆三の朗読やライブ映像などを見たり聴いたりしながら、静かに振り返る時間を持ちたいと思います」と故人をしのぶ時間をつくるとした。

[ 2014年6月9日 16:35 ]


原田さん、地井さんに続き…俳優座「花の15期」ショック
夏八木勲さん死去
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11日に死去した夏八木勲さん。13年3月撮影
Photo By スポニチ
 俳優座養成所時代に苦楽をともにした仲間たちもそれぞれの言葉で夏八木さんをしのんだ。同期には先に鬼籍に入った原田芳雄さん、地井武男さん、太地喜和子さんらを含め、林隆三(69)、小野武彦(70)らそうそうたるメンバーがいて「花の15期生」と呼ばれた。

 中でも夏八木さんととりわけ仲良しだった前田吟(69)は「養成所2年の夏、千葉の海で2人で遠泳の競争に出たことがあるんです。ところが、泳いでいる途中で彼が私の横からどんどん離れていくんです。後で聞くと、足がつったので、おまえのそばで泳ぐと巻きこんでしまって2人とも溺れてしまうからな…だから離れて泳いだんだよ。夏八木勲とはそういう男なんです」と青春時代の秘話を明かして悔やんだ。

 栗原小巻(68)は「人の心を打つ演技に、敬服していました。全ての俳優の夢、作品は残る――。どうぞ、安らかに」と悼み、赤座美代子(69)も「年齢を重ねてますます良い俳優になっていくのを、同期として誇らしく、またうらやましく拝見していました。無口で優しく、若いころから存在感のある人柄でしたが、最近とみに風貌も演技も味が出てきて、良い仕事をされるはずだったのに…15期の仲間が原田芳雄、地井武男と次々と病に負けて亡くなっていくのは寂しいし、悔しいです」とコメントを寄せた。

[ 2013年5月13日 06:00 ]

栗原小巻 俳優座同期・林隆三さん訃報に悲痛「胸がつぶれそう」
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林隆三さんを悼んだ栗原小巻
Photo By スポニチ
 女優の栗原小巻(69)が4日に腎不全のため亡くなった俳優の林隆三さん(享年70)を悼んだ。

 1963年に俳優座養成所入りした林さんとは「親しい同期」で「悲しみに胸がつぶれそうです」と悲痛な思いを吐露した。
 
 NHK大河ドラマ「黄金の日日」(78年)などで共演。
「芸術への強い志を持った真の俳優でした。演じた作品と林隆三という役者の記憶は永遠です。」と評し「『リュッコ』とニックネームで呼べる親しみやすさと、作品への真剣な姿勢の両方がありました。もっと一緒に作品を作れればよかったのに、と悔やまれます。どうぞ安らかに」と冥福を祈った。

 先に鬼籍に入った太地喜和子さん、原田芳雄さん、地井武男さん、夏八木勲さんらを含め、林さん、小野、赤座美代子(70)前田吟(70)栗原小巻(69)村井国夫(69)ら、そうそうたる顔ぶれは俳優座「花の15期生」と呼ばれる。
[ 2014年6月9日 12:25 ]
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【平蔵の独り言】
50代はまだ男だっていうリキミがあるんですが、
それが60代になると、肩の力も抜けて少し楽しいねって丸みも加わってくる。

 本気で悔しがっている。まだまだとんがっている。

恵まれてやってきた、と思います。

<人間としてのリアルな感覚が薄れていくことに危機感があるんです。
どんどん肉体が崩壊し、遠くなっていくのはすごく怖い>

【独り言】
60代になると、肩の力も抜けて少し楽しいねって
の言葉にホッとしていた。

そして“まだまだとんがっている。”

還暦もとうに過ぎ、古希を実感し始めて、
“まだまだとんがっている。”
「恵まれている」 と口にしている自分がいる。
ことも感じる。

林隆三さんはとんがったまま、旅立ったのか・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2014-06-16 16:45 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(1)

Commented by skuna@docomo.ne.jp at 2014-06-23 12:27 x
えっとこちらのブログすごいびっくりして…

なんだか自分のことを言い当てられてる気がするくらい、思わずブックマークしちゃいました!

共感もしたし、本当にウチの中で大切なことが書き込まれてるブログだと思ったんです。こんなにも素敵なブログを書く方ってどんなひとなんだろう?って思って

興味津々で初めて書き込みさせてもらいました!

なのでできれば直接お話ししたいと思って、名前の部分にウチの連絡を入れておいたのでよかったら連絡してくださいね。待っていますです!

※もし面倒ならこの書き込みも抹消しちゃって構わないので気にせずにお願いします。

いっぱいお話ししたいことだらけです!