誰のために走ったか(東京五輪)〔マラソン 円谷幸吉〕   

2014年 08月 07日
誰のために走ったか(東京五輪)〔マラソン 円谷幸吉〕
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〔婚約破棄、故障〕
円谷には交際している女性がいた。
だが、体育学校長の反対で婚約は破談となり、
結婚を勧めた理解者の畠野は札幌に転勤を命ぜられる。

〔国民との約束〕
円谷は4年後のメキシコ五輪の活躍を誓う。

〔誰のために走るのか〕
ヒートリーは「ユニオンジャック(英国旗)のために走ることは名誉だと思うけど、
私は自分のために走った」と、当時を回想した。

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誰のために走ったか(東京五輪)〔マラソン 円谷幸吉〕

1964年10月21日午後3時すぎ、
国立競技場は東京五輪のハイライト、マラソンの勇者を迎え、興奮に包まれていた。

エチオピアのアベベが2時間12分11秒2の世界最高記録で五輪2連覇を達成、
4分ほどして、歓声が悲鳴に変わる。
2位で戻ってきた円谷幸吉が残り200メートルで英国のヒートリー(80)に抜かれ、
3位でゴールした。

衝撃的なレース展開は、円谷が「敗れた」かの印象を与えたが、
関係者はメーンポールに「日の丸」が掲揚されたことを喜んだ。

陸上で戦後初のメダル。
163センチ、55キロの小柄な男が不振の日本を救った。

翌日、防衛庁長官から第一級防衛功労章が贈られ、
円谷は4年後のメキシコ五輪の活躍を誓う。
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〔婚約破棄、故障〕

この「約束」が結果的に重くなって、歯車が狂ってゆく。
婚約破棄、コーチの転属、足腰の故障・・・。孤独な戦いが続いた。


メキシコ五輪の年を迎えた68年1月9日、
自衛隊体育学校の幹部宿舎で自殺した円谷が発見される。27歳だった。

遺書には「父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまってはしれません」。

兄の円谷喜久造(82)は無念を口にした
「あれは本当に嫌な言葉だ。それほどまでに走らせなければよかった。
幸吉は枠の中から逃げることもできない。やむを得ないです」

須賀川高校から陸上自衛隊に入隊。郡山に配属され、健脚が認められる。
東京五輪を目標に、62年に発足した体育学校の陸上班に選ばれた。
64年4月、最終選考の毎日マラソンで2位に入り、五輪代表に抜てされる。
体育学校の畠野洋夫がコーチ、南三男と宮路道雄(77)が練習パートナー。

3人は鹿児島出身だ。
宮路は「円ちゃんにメダルを取らせようと、鹿児島トリオで応援した」と懐かしむ。
4人のチームは団結し、円谷を支えた。生涯で最も充実した日々だった。
五輪のマラソンに備えて逗子市で合宿した。
レースの朝、東京に出発、給水ポイントには、マヨネーズのチューブに入ったチーム特製のドリンクが置かれた。

最初の10キロが13位。次第に順位を上げ、40キロを2位で通過。
アベベが独走し、3位のヒートリーとは1分15秒差。
銀メダルを望まれたが、円谷に余力はなかった。

喜久造は弟の疲労した姿に驚いた。『倒れないで、何とかゴールしてくれ』。
父の教えを守って後ろを振り返らなかった。
振り返ったとしても、逆転を阻むことは難しかった。

円谷には交際している女性がいた。
だが、体育学校長の反対で婚約は破談となり、
結婚を勧めた理解者の畠野は札幌に転勤を命ぜられる。

競技に専念し、次の五輪を目指すことを求められた。

東京五輪で活躍が期待された君原健二(73)は8位に終わり、絶望のふちに立たされた。
2年後に結婚して立ち直り、メキシコで銀メダルを手にする。

円谷にも伴侶がいれば、違った人生は送っていたのではないか。
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〔国民との約束〕

67年5月、全日本実業団選手権が最後の競技会となった。
君原はメキシコで日の丸を揚げることを、円谷が「国民との約束」と話すのを聞いた。

3ヵ月後に椎間板ヘルニアとアキレスけんを手術。
世界では2時間10分を切る選手が現れ、日本人も11分台をマークした。
円谷のベストは東京五輪の2時間16分22秒8だ。
焦りが募り、袋小路に追い込まれてゆく。

〔誰のために走るのか〕
誰のために走るのか。
ヒートリーは「ユニオンジャック(英国旗)のために走ることは名誉だと思うけど、私は自分のために走った」と、当時を回想した。

東京五輪陸上総監督の織田幹雄は
「指導者として生きる道はあったのに残念でならない」
と円谷の死を悼んだ。
引退する選択肢はあったのか。

喜久造は言う。
「幸吉は決められなかった。上司の命令だから」

北国新聞2014/8/2 東京五輪半世紀

【平蔵の独り言】
衝撃的なレース展開は、
円谷が「敗れた」かの印象を与えたが、
関係者はメーンポールに「日の丸」が掲揚されたことを喜んだ。
陸上で戦後初のメダル。

父の教えを守って後ろを振り返らなかった。

円谷には交際している女性がいた。
だが、体育学校長の反対で婚約は破談となり、
結婚を勧めた理解者の畠野は札幌に転勤を命ぜられる。

【独り言】
円谷幸吉さん 陸上で戦後初のメダル   なんですよ。
後ろを振り向かなかった
交際している女性がいた。

東京オリンピックが日本の高度成長の大きな節目の時代

昭和33年 長嶋茂雄 巨人入団
昭和39年 東京オリンピック
昭和45年 大阪万博

2002年 ワールドカップ(W杯日本開催)

団塊の世代にとって、思い起こさせてくれる 円谷幸吉さん
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by asanogawa-garou | 2014-08-07 18:00 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)