(向田邦子)日常の些細な風景も、この人が描けばたちまち色鮮やかに生まれ変わった。   

2014年 11月 13日
〔日常の些細な風景も、この人が描けばたちまち色鮮やかに生まれ変わった。
向田邦子のドラマは、なぜ時代を超えて愛され続けるのか。その魅力を語り尽くす。〕
    


『熱討スタジアム』第124回 〔向田邦子ドラマを語ろう〕
今週のディープ・ピープル 黒柳徹子×鴨下信一×向田和子
週刊現代2014/10/25号
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お茶の間が笑った、泣いた、昭和のテレビは彼女とともにあった

〔森繁久彌も困らせた〕
ある日、収録現場に遊びに行ったら、森繁さんがスタジオの隅でポツンとしているんです。
どうしたのかと聞くと、「脚本ができてないんだ」と。
そのそばで、台本を書かずにスタッフとキャアキャア騒いでいたのが向田さんだった。

〔観察の天才だった〕
遅いし悪筆。けれど、向田さんの文章は素晴らしかった。
ドラマの脚本でもエッセイでも、
日常のありふれた場面に隠されている人間の喜びだとか悲しみだとか、
心の機微を描くのが本当に上手でした。


〔幸せと災いは交互に来る〕
「禍福は糾える縄の如し」ということわざの意味を教えてもらったことがあるんです。
「幸せと災いは縄を撚り合わせたように、交互に訪れるのよ」って。
私は呑気だったから、「幸せだけの縄はないの?」って聞くと、向田さんは「それはない」と言ってましたね。


【企画展「向田邦子の女 向田邦子の男」】
この3編に共通するのは、男の不器用さと女の傲慢さです。
男女平等が唱えられ、
「男らしさ」や「女らしさ」が薄れてきた現在、

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〔日常の些細な風景も、この人が描けばたちまち色鮮やかに生まれ変わった。
向田邦子のドラマは、なぜ時代を超えて愛され続けるのか。その魅力を語り尽くす。〕


〔森繁久彌も困らせた〕
(向田)姉の邦子が台湾で起きた飛行機事故で亡くなってから、もう33年が経ちました。
いま姉が生きていれば84歳。
時間が過ぎるのは早いものです。

(鴨下)向田邦子さんといえば、
ドラマ『あ・うん』や『阿修羅のごとく』、『だいこんの花』など数々のヒット作を生み出した、
昭和を代表する脚本家。
彼女の作品はいまでも繰り返し再放送され、時代を超えて愛され尊敬されています。
僕も演出家として『寺内貫太郎一家』や『幸福』などで一緒に作品を手がけましたが、
本当にユーモラスで、機知に富んだ人でした。
(黒柳)向田さんは脚本家としてだけで、『父など詫び状』などのエッセイでも成功しました。
物書きとしての才能はもちろん、なにより人間が面白かった。

(鴨下)彼女との出会いは強烈だったな。
森繁久彌さんの紹介でした。
‘63年頃だったと思いますが、
当時森繁さんはTBSのラジオエッセイ『森繁の重役読本』という番組に出演していた。
ある日、収録現場に遊びに行ったら、森繁さんがスタジオの隅でポツンとしているんです。
どうしたのかと聞くと、「脚本ができてないんだ」と。
そのそばで、台本を書かずにスタッフとキャアキャア騒いでいたのが向田さんだった。

(黒柳)たしかに向田さんは原稿が遅いことで有名でしたね。
私は女優の加藤治子さんに紹介されて以来、
向田さんと親しくさせて頂きましたが、
1度ラジオドラマで一緒になったことがあったんです。
私たちが連続ものの収録をしているとき、
よくスタジオのガラス越しに必死になって次の脚本を書いている向田さんの姿を見ました。
それで、出来上がったら慌てて私たちのところに持ってくるの。
(鴨下)どうしてあんなに遅かったんだろう。
ドラマでも、1話分まとめて稽古したことがなかったですね。
前半を撮影している間に「できました!」とようやく後半が届く。
そんな脚本家は彼女だけだった。

いざ書き始めても、すぐ中断しちゃうんだよね。
「スーパーで欲しいものが売り切れそうだったから買いに行った」とか
「夕食の出汁を取りに家に帰らなきゃ」とか(笑)

(黒柳)ある時、向田さんが「インスタントラーメンを美味しくする特別な調味料を作ったのよ。
アナタにも一瓶あげる」と自慢げに下さったことがあるんです。
食用油を煮立てて、すりおろしたニンニクとしょうがを入れた、いい香りのする調味料でした。
たしかに美味しいんですけど……。
(向田)そういう研究ばかりしているから、どんどん書くのが遅くなっちゃう。

〔観察の天才だった〕
(黒柳)ドラマ『時間ですよ』などで向田さんとコンビを組んだ演出家の久世光彦さんも、
向田さんのことを「稀代のウソつきだ」って冗談めかして言ってましたね。
久世さんが向田さんと喫茶店で待ち合わせをしていると、
悠然と歩いてくる向田さんが窓越しに見えたそうなんです。
それなのに、店に近づいた途端走りだして、
「ごめんなさい」と店に駆け込んできたらしい(笑)

(鴨下)あの人は字も下手でしたね。
原稿に「犬の目に眼帯」と書いてあったので、
どういう意味か電話して尋ねた演出家がいたそうです。
すると、「あら、それは『戌の日に腹帯』よ」って。

(黒柳)出演者が集まって台本を読んでいた時、
女優の池内淳子さんが「私、こんなことできません」と言い出したことがあったそうです。
その場に向田さんも立ち会っていたので、どうしてできないの、
と台本を見たら、「猿股する」と書いてあった。
向田さんは「狼狽」と書いたつもりなのに、
字が汚ないから印刷屋さんが間違えたみたい。
(向田)お恥ずかしい話です…(笑)

(黒柳)遅いし悪筆。けれど、向田さんの文章は素晴らしかった。
ドラマの脚本でもエッセイでも、
日常のありふれた場面に隠されている人間の喜びだとか悲しみだとか、
心の機微を描くのが本当に上手でした。
(鴨下)演出家は台本を直したくなるものですが、
彼女の作品には手を入れたことがないですね。
彼女は記憶力が良くて、細かいことをよく覚えていた。
お父様が亡くなった時のことを書いたエッセイで、
枕元に駆けつけた時、
向田さんがストッキングを2枚重ねて履いていたことに気づいたくだりがありますが、
そういう細かいディテールを描くことで、グッと作品のリアリティが増すんです。
それが結果として人の心を打つことになる。

(黒柳)向田さんのまわりには、どんな時でも面白いことが起きるのね。
ある時、タクシーから降りる際、
「お釣りはいいから」っておカネを渡したら、
運転手さんに「奥さん、いいのか。本気にするぜ」と言われたことがあったそうです。
おかしいなと思ったら、おカネじゃなくて自宅のカギを渡してた(笑)。


(鴨下)そういう細かいことをすべて覚えている。観察の名人なんだ。
ドラマでも、それは活かされていた。
『寺内貫太郎一家』では、朝食シーンで献立をテロップで流していたけど、
「昨日の残りのカレー」なんていうのもあった。
視聴者に「あるある」と思わせる描写が得意でした。

(向田)どちらかと言えば世の中を斜めから見ていたのかもしれません。
素直に物事を見ても本の「タネ」は見つかりませんから。
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〔幸せと災いは交互に来る〕
(黒柳)細かいことにはこだわらなかった。
直木賞を受賞した「かわうそ」という作品がありますが、
作中に登場する女性の顔をかわうそにたとえるべき場面で、
ゲラを見たら「いたち」になっていた。
タイトルが「かわうそ」なのだから、それはおかしいだろうと思いますよね。
「いたちとかわうそって区別がつかないのよ。やーね」
と笑っていましたけれど。

(鴨下)でも、ここが大事と思ったら、徹底的に調べるんですよ。
『寺内貫太郎一家』で「親不知」がテーマの回があったんですが、
なぜこういう字になったのか調べ始めて、
夢中になりすぎて台本が3日も遅れたことがあります。
しかも、歯について調べるうちに気になって、
「なぜ八重歯というのか」なんて関係ないことまで調べていた(笑)

(黒柳)あんな素敵な人なのに、
人気作家になってからも恋愛の話は聞いたことがなかったですね。
以前、森繁久彌さんが「僕と向田クンの仲を怪しんでいる人もいるようですが、誓って何もありません」っておっしゃっていたことがあったけど(笑)。
隙がないタイプだから、向田さんを口説くには殿方もかなり勇気が必要だったのでしょう。
(鴨下)間違いを起こしにくい人なんだよ(笑)。
向田さんは、人に会うときは基本的に一対一だから、
僕も彼女の部屋に朝の4時とか5時までいたこともあったけど、何もなかった。
(向田)あるとき、久世さんが「朝まであの人の家にいても何も噂にならない。僕だって男なのに」と複雑な表情をしてましたね(笑)

(黒柳)向田さんと知り合ったばかりのころ、
「禍福は糾える縄の如し」ということわざの意味を教えてもらったことがあるんです。
「幸せと災いは縄を撚り合わせたように、交互に訪れるのよ」って。
私は呑気だったから、「幸せだけの縄はないの?」って聞くと、
向田さんは「それはない」と言ってましたね。
向田さんの人生を振り返ると、本当に禍福は糾える縄の如しだな、と思うんです。
テレビで大活躍中に乳がんを患って、直木賞を取った翌年に亡くなってしまったーー。
(鴨下)事故とはいえ、51歳で亡くなったのは早過ぎましたね。
生前、彼女は「同じことしてると飽きるから、少しずつ違うことをやるのよ」と言っていました。
だから脚本だけじゃなくエッセイも書いていたんだと思います。
でも、みんなでワイワイやる仕事が好きだったから、
生きていたら今もテレビの脚本を書いていたかもしれませんね。

(黒柳)結局、私は向田さん脚本のテレビドラマには出演したことがなかったんです。
「あなたみたいな人は『寺内貫太郎一家』や『時間ですよ』には向いてないのよ」って。
そのかわり、「いつか個性的なお婆さんの話を書くから、そのとき出てね」と言ってくれていました。
私も、早くお婆さんになって向田さんの作品に出るのを楽しみにしていたのに……。

(向田)姉は気忙しい人でしたから、人よりも早送りでいきたんでしょうか。
(鴨下)それに、彼女の作品は、色あせることなく残っている。
いまでも彼女は作品のなかに生き続けているんだと思います。

【企画展「向田邦子の女 向田邦子の男」】
かごしま近代文学館・かごしまメルヘン館
会期2013年11月20日(水)~2014年2月11日(火)
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1980(昭和55)年に「かわうそ」「犬小屋」「花の名前」の3編で直木賞を受賞した向田邦子。
短篇3作品かつ連載中という異例の受賞には本人も驚きました。
この3編に共通するのは、男の不器用さと女の傲慢さです。

向田が描く女と男の世界。
そこにはそれぞれが生まれもった性質が見え隠れします。
男女平等が唱えられ、
「男らしさ」や「女らしさ」が薄れてきた現在、
彼女が描く女と男を通してそれぞれの魅力を改めて見つめる機会となれば幸いです。

【平蔵の独り言】
日常の些細な風景も、この人が描けばたちまち色鮮やかに生まれ変わった。

ある日、収録現場に遊びに行ったら、
森繁さんがスタジオの隅でポツンとしているんです。
どうしたのかと聞くと、「脚本ができてないんだ」と。
そのそばで、台本を書かずにスタッフとキャアキャア騒いでいたのが向田さんだった。

「お釣りはいいから」っておカネを渡したら、
運転手さんに「奥さん、いいのか。本気にするぜ」と言われたことがあったそうです。
おかしいなと思ったら、おカネじゃなくて自宅のカギを渡してた(笑)。


【独り言】
市井の人の日常はそんなに変わったことが起こらない。
些細なことの観察力が、向田邦子のドラマ、エッセイに ほっとするのだろうと思う。

“素”の向田邦子を知って、旅立って33年経っても
色褪せることのない人だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【平蔵の独り言】
この3編に共通するのは、男の不器用さと女の傲慢さです。
男女平等が唱えられ、
「男らしさ」や「女らしさ」が薄れてきた現在、

【独り言】
男女平等じゃないんですよね。
性差があるから、哺乳類の世界だと思うので、
ライオンもペンギンもツバメも
雌とペアを組むために雄は命がけの努力をしているのに
人間(日本人?)は“草食系”という言葉で
かたずけている。
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by asanogawa-garou | 2014-11-13 14:29 | 人間模様 | Comments(0)