〔仰木マジック〕あなたがいたから野球が面白かった。パ・リーグを盛り上げた奇策の数々   

2015年 03月 19日
〔仰木マジック〕あなたがいたから野球が面白かった。パ・リーグを盛り上げた奇策の数々
熱討スタジアム/仰木マジックを語ろう
   仰木彬、中西太、金村義明、吉井理人、オリックス、近鉄
今週のディープ・ピープル(中西太×金村義明×吉井理人)
週刊現代 2014年 11/1号

〔選手を怒鳴りつけるのは日常茶飯事。しかし細かいことは、一切言わない。魔法とまで称されたその野球は、並外れて器のでかいこの男だからできるものだった〕
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〔一軍をかけて酒場で勝負〕

金村:あのとき、たまたま審判部の人たちが同じ店に来ていて、呆れてた。
「お前らアホか。近鉄はおかしいんちゃうか」って。
吉井:シーズン中のスタメンも、一気飲みで決めたりしていましたよね。

〔気を抜く奴は許さない〕
吉井:野球はチームスポーツ。
仰木さんは輪を乱す選手に厳しかった。
金村:エラーはしゃあない。
でも気が抜けている奴は許さなかった。
セカンドだった村上隆行が、エラーをしたにもかかわらず、
イニングの合間にロッカールームで整髪料をつけていた。
それを仰木さんが見つけて、
「きさん!なにを髪の毛いじっとんねん。
おまえ、内野はクビや!外野に行け!」と怒鳴った。

〔教え子が集まった「生前葬」〕

「この人は過去にこだわるよりも、いまに生きている」と選手達に思わせた。(仰木彬)

金村:´04年の野球殿堂入りのパーティーに、教え子をみんな集めた。
近鉄の選手たちはもちろん、野茂、イチローらメジャーリーガーもみんな来た。
吉井:「生前葬だ」と言ってましたもんね。僕も駆けつけました。
中西:彼の人徳だよ。
仰木くんは他人の悪口や陰口は一切言わなかった。
豪快で、優しくて、男気があった。
だからこそ、誰からも慕われたんだ。

〔いまも忘れられない【仰木彬の伝説】〕
〔敵チームを怒らせる達人だった〕
〔闘将が見せた唯一の涙〕

僕は一度だけ見たことがあるんです。
´88年の「10・19」。
負けたのが悔しくて僕が便所で号泣していると、後から仰木さんが入ってきた。
僕がいることに気づいて、すぐに顔を洗ってごまかしてたけど、明らかに泣いてました。
その後、「見たな~」って表情で僕をにらんでた。

〔遠征先でなぜか犬を散歩させていた〕

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仰木マジック
〔一軍をかけて酒場で勝負〕
中西:仰木くんが亡くなってから、来年で10年になるのか。早いなぁ。
金村:仰木さんほどの人物は、この先はもう出てこないでしょうね。
本当に豪快な人でした。
吉井:人柄だけでなく、実績も素晴らしかった。
近鉄とオリックスでの通算14年の監督生活で、
日本一1回、リーグ優勝3回、Aクラス11回。
いまのパ・リーグ人気の礎を築いたのは、仰木さんでしょう。
金村:監督就任1年目から「仰木マジック」が炸裂。あの「10・19」を演出したからな。
吉井:´88年10月19日、優勝がかかっていたロッテとのバブルヘッダー。
惜しくも優勝は逃しましたが、あの熱戦はいまでもプロ野球ファンの間で語り草になっていますよね。
中西:前年最下位だったチームを改革して、よく結果を出したよ。
ベテラン陣に退いてもらって、活きのいい若手を起用していった。
金村:僕ら野手はベッドコーチの太さんに鍛えてもらって、投手陣は権藤(博)さんがまとめていた。
そして当時はまだ若く血気盛んだった仰木さんが、リーダーとしてチームを引っ張ってくれた。
吉井:仰木さんは人心掌握に長けていました。
´87年の夏場に、当時ベッドコーチだった仰木さんと偶然ウェットルームで会ったとき、
「ヨシよ、来年はいいところで使うからな」って言ってもらったんです。
僕はそれまで活躍できていなかったけど、その言葉がすごく励みになった。
そして本当に、´88年はよく投げさせてくれました。
金村:伸び悩んでいたショート真喜志泰永も「2割5分打ったら時計やる」って言われて
レギュラーに定着。
ほんまにロレックスをもらったからね。
ショックでしたわ。僕にくれると言うたはずなのに(笑)
中西:給料が安くて頑張っている選手を気にかけてたんだよ。
お前はそこそこもらっとっただろ。
吉井:仰木さんは、選手の起用法では、伝説のエピソードが山ほどあります。
金村:伝説といえば、シーズン前の北海道遠征や。覚えてるよな。
吉井:忘れるわけないじゃないですか。
中西:わしは知らんぞ。
金村:遠征中、食事にいったとき、
仰木さんが一軍の椅子をかけたビールの一気飲み大会を開催したんです。
飲みっぷりで一軍に残す選手を決めると。
吉井:チームの台所事情で、ピッチャーを一人だけ二軍に落とさないといけなくなった。
   それで、僕と加藤哲郎と品田操士の3人で勝負させられたんです。
金村:吉井は下戸だったから、みんな負けると思っていた。
だけどスタートがかかると、ものすごい勢いで飲んで勝ちよった。
吉井:一軍がかかってるんだから当然でしょ!もう必死でしたよ。
金村:あのとき、たまたま審判部の人たちが同じ店に来ていて、呆れてた。
  「お前らアホか。近鉄はおかしいんちゃうか」って。
吉井:シーズン中のスタメンも、一気飲みで決めたりしていましたよね。
中西:うーん、仰木くんはそれで負けん気を見ていたんやろ(笑)
金村:仰木さん自身、無類の酒好きでした。
門限が過ぎた時間に店でばったり会って逃げようとすると
「待て!飲め!」と怒らずに飲ませてくれた。
中西:現役中(西鉄ライオンズ)からよく飲み歩いていたよ。
わしが夜中まで部屋で素振りをしていると、
「モテた、モテた」と言いながら帰ってくる。
博多雀を何人も泣かせとった。
金村:ファンにも野次られとった。
大阪球場で「おーい仰木、昨日、新大阪で女連れて歩いてたやろ!」って(笑)
吉井:それでも、仰木さんは堂々としてましたね。
金村:全部ほんまの話やったからな。
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〔気を抜く奴は許さない〕
中西:でも野球に対しては、彼ほど熱心な男はいなかったよ。
綿密なデータをもとに、徹底的に研究していた。
金村:ベンチでもようメモを取っていました。
吉井:僕、一度メモ書き見たことがあるんです。
広告のチラシの裏みたいな紙に殴り書きでギッシリ。
しかもいろんな向きで字が書いてあって、これで読めるんかなと思いました。
選手の特徴や癖、気づいたことを書いていましたね。
中西:運の要素も見てたわ。
あいつはいい当たりでも守備の正面ばかりや、とかな。
金村:魔術師と称されましたが、データ野球が仰木マジックの根幹。
奇策と見えるような選手起用にも、ちゃんと根拠がありました。
吉井:分業制がまだ確立していなかった当時にあって、
5回途中で先発投手を交代させたりしてましたね。
金村:勝利投手目前で替えれば、投手は怒るわな。
中西:それに、近鉄のライバルだった西武戦に、
ローテーションをずらしてわざとエースの野茂(英雄)をぶつけたりな。
吉井:「猫の目打線」も有名でしたよね。
予告先発を見て、打順や選手をいつも入れ替えてた。
金村:内野手が複数のポジションを兼任するのは当たり前。
外野だった谷佳知や田口壮が内野を守ることもあったけど、
それがことごとく当たった。
中西:相手チームとの兼ね合いが大きな理由だけど、
選手の競争心を煽る目的もあった。 
スタメンを約束されないほうが、選手はハングリーになるからな。
吉井:野球はチームスポーツ。仰木さんは輪を乱す選手に厳しかった。
金村:エラーはしゃあない。
   でも気が抜けている奴は許さなかった。
セカンドだった村上隆行が、エラーをしたにもかかわらず、
イニングの合間にロッカールームで整髪料をつけていた。
それを仰木さんが見つけて、
「きさん!なにを髪の毛いじっとんねん。おまえ、内野はクビや!外野に行け!」と怒鳴った。
中西:村上はそれで、本当にコンバートされたからな。
吉井:「きさん」は小倉弁で貴様。頭に血が上ると「きさん!」とよく言っていました。
ブライアントら外国人選手にも容赦はなかった。
中西:チャーリー(マニエル)なんてケツを蹴り上げられてたもんな。
金村:叱られたといえば、ショートの米崎薫臣。
ある試合でサヨナラエラーをした米崎は、ホテルに帰っても放心状態。
そこにたまたま仰木さんの奥さんから俺に電話があって、
「うちの人がそんなことで怒るわけないでしょ」と励ましてくれて、食事に誘ってくれた。
それで俺と米崎と奥さんの3人で、飲めに行ったんやけど……。
吉井:いい話じゃないですか。
金村:それがちゃうねん。
その後、その店に仰木さんが偶然来てしもたんや。
中西:そうだそうだ。そのときはわしも一緒だった。
   エラーをした選手が、自分の嫁と寿司食ってビール飲んどる。
そら腹立つわな。
金村:米崎を見つけるなり、顔を真っ赤にして「きさん、奥に来い!」と。
   米崎は引っ張られていって、正座させられ、説教を食らったんやけど、
同時に飲まされてました。
怒られてるのに、ビールをどんどん注がれて「飲め飲め」って。どっちやねん(笑)。
吉井:仰木さんらしいな。
でも、怒っても試合には使ってくれるんですよね。
僕も仰木さんとはよくぶつかっていましたけど、ずっと使ってもらいました。
金村:お前くらいやで。
試合が終わったあと監督が差し出した握手にソッポを向いて、外野のほうに走って逃げたのは。
吉井:理由は忘れたけど、何か、ムカついてたんでしょうね。
中西:仰木くんにしてみれば、血の気が多くて可愛い奴じゃのう、
くらいの気持ちだったはずだよ。
吉井:そうなんですよね。
晩年に、オリックス時代に、「お前はちょっと怒らしているくらいのほうがエエ球投げたからな」って言われて、すべて計算ずくやったんやとわかりました。
中西:指導者は長所、個性を生かすのが仕事。仰木くんはそれができる男だった。
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〔教え子が集まった「生前葬」〕
吉井:技術的なことに関して、細かいことを言われた覚えはありません。
自主性を重んじて、のびのびやらせてくれた。
金村:それが、仰木さんの教え子たちの多くがメジャーリーガーになれた理由かもな。
野茂、イチロー、吉井、長谷川滋利、田口、佐野慈紀まで行っている。
中西:教え子がメジャーに行くのを、仰木くんは喜んでいた。
金村:晩年、がんの闘病中でも、一人一人、順番に会いに行ってましたね。
中西:イチローのところに行っているときは一番嬉しそうだったな。
これもろうて来たって、イチローの帽子を見せてくれたりしたよ。
金村:仰木さん、アメリカのメディアに「ジャパニーズマフィア」と思われてたらしい。
上半身裸でサングラスをかけたパンチパーマのおっさんに
イチローがぺこぺこしているから、
イチローがジャパニーズマフィアに脅されたって(笑)
吉井:裸になるのが好きだった。
僕らがウェイトトレーニングをしていると、仰木さんも一緒にやるんですが、
いつも上半身裸でした。
金村:それと日焼けな。
サイパンでのキャンプのときも、暑い中、裸でよく走っていた。
サンオイル代わりになぜかメンソレータムを顔に塗って(笑)。
それで練習が終わったらプールや船着き場に行って、また焼きついている。
面積の小さな三角水着でね。
中西:真っ黒けに日焼けしとったな。
金村:船着き場に呼ばれて、夕日を見ながら一緒にビールをガンガン飲んでいました。 
楽しかったなあ。
吉井:あの時代は面白かったですね。
金村:あの人は生き方そのものが豪快だった。
  ´05年には、「ユニフォームを着たまま死ねたら本望」と、
病を押してオリックスの監督を引き受けたんやから。
中西:仰木くんには常にパリーグ魂があったんよ。
盛り上げるために、いろいろ工夫してた。
金村:俺にピッチャーやらせたりね。
ヤクルトとのオープン戦の前日、「明日、カネを投げさせる」と
マスコミに言って本当に投げさせた。
あれも何とか近鉄に注目してもらうためや。
吉井:僕はオリックスを´04年にクビになったんですが、
翌年に仰木さんが監督に就任して拾ってくれた。
ただそれにも、パリーグを盛り上げようという計算があった。
後になって聞かされたんですが、
「お前のようなおっさんがチャレンジ精神を持って頑張っている姿を、
(球界再編で近鉄と)合併して新しくできたチームの若手に見せたかった。
だからお前を雇ったんや。活躍するかどうかはどうでもよかった」って。
金村:清原(和博)をオリックスに呼んだのも仰木さん。
巨人でクサクサしてた清原を見かねて、
「キヨ、大阪に帰って来い。最後に俺がいやっちゅうほど試合に出してやる」言えてな。
中西:仰木くんは清原を買ってたからな。
金村:清原も仰木さんだけは尊敬していました。
清原と仰木さんがばったり新幹線のホームで会ったときのこと。
清原は直角に身体を折ってお辞儀をして、仰木さんの乗る新幹線が走り去るまで見送っていた。
吉井:でもキヨが実際に入団したときには、仰木さんはすでに他界していた。
中西:フロントとしてオリックスに残る話が出とったのにな。
監督辞めて2ヶ月で逝ったんやからな、最後は急やった。
金村:僕、ひとつ落ち込んだことがあるんですよ。
   仰木さんが亡くなって、お通夜のときに奥さんに家に入れていただいたんです。
   光栄なことだったんですけど、その後、応接間に入ってがっくりしました。
吉井:なにがあったんですか。
金村:応接間には教え子の写真がバーッと飾られているの。
   でもメジャーに行った選手ばかりで、どれだけ見渡しても俺の写真は1枚もない。
中西:ははは。
金村:そうしたら奥さんが「カネちゃん、来て」って。
ついていくとトイレの便器の横に貼ってあった。
中西:くさい仲、いうことやな。
金村:まいりましたよ。
なぜかトイレの床には、皆川睦雄さんの写真が貼ってあるし(笑)。
中西:仰木くんは子供がいなかった。
だけど、かわいい教え子がたくさんいた。
それが財産やという話をいつもしていたよ。
金村:´04年の野球殿堂入りのパーティーに、教え子をみんな集めた。
近鉄の選手たちはもちろん、野茂、イチローらメジャーリーガーもみんな来た。
吉井:「生前葬だ」と言ってましたもんね。僕も駆けつけました。
中西:彼の人徳だよ。
仰木くんは他人の悪口や陰口は一切言わなかった。
豪快で、優しくて、男気があった。
だからこそ、誰からも慕われたんだ。
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仰木彬監督(右)の野球殿堂入りを記念するパーティーで、仰木彬監督と談笑するイチロー

〔いまも忘れられない【仰木彬の伝説】〕
〔敵チームを怒らせる達人だった〕
監督に就任したばかりの頃は血気盛んだった仰木くんだが、後年は老獪な一面もあった。
選手交代を告げるとき、わざとゆっくり審判に伝えたりするんや。
マウンドまでの歩くコースまでシミュレーションしとった。
打者が外国人のときなんかは、「早くしろ!」と明らかにカッとなっていた。
勝負は冷静さを欠いたほうが負ける。
仰木くんは相手に怒鳴られても、「何や」と泰然としとったよ(中西)

〔闘将が見せた唯一の涙〕
「人前で泣いたことがない」。
それが自慢だった仰木さんですが、
僕は一度だけ見たことがあるんです。
´88年の「10・19」。
負けたのが悔しくて僕が便所で号泣していると、後から仰木さんが入ってきた。
僕がいることに気づいて、すぐに顔を洗ってごまかしてたけど、明らかに泣いてました。
その後、「見たな~」って表情で僕をにらんでた。
後年、「あの一回だけや」って認めてましたね。(金村)

〔遠征先でなぜか犬を散歩させていた〕
ある年の東京遠征のときのこと。
朝、僕はウェイトトレーニングをしたくて、
チームメイトとトレーニングできる場所をタクシーで探していたんです。
すると、見覚えのあるパンチパーマの人がジャージ姿で犬を散歩させている。
あれ、と思って近づくと、仰木さんでした。
朝帰りばかりしているとは聞いていましたけど、驚きました。
この人いったい、どこに泊まっとるんやろって思いました。(吉井)
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【平蔵の独り言】
仰木さんが旅立ってから、来年で早10年!
これほど記憶に残って語られる人はいないと思う。

記録に残っていても、イチロー、野茂が登場するたびに
仰木さんが語られる。

吉井、金村、中西 が熱く語っているように、
野球人として人間として魅力のある人が・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2015-03-19 15:31 | 人間模様 | Comments(0)