【樹木希林】家族について語る「最期ぐらいは裕也さんの歌を聞きながら」〔“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”〕   

2017年 03月 27日
【樹木希林】家族について語る「最期ぐらいは裕也さんの歌を聞きながら」〔“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”〕

樹木希林、家族について語る「最期ぐらいは裕也さんの歌を聞きながら」
週刊女性2017年1月17・24日号


〔“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”〕あれで、たまにはいいこと言うのよ。

〔年とったら耳も遠くなるし、滑舌(かつぜつ)も悪くなるし。もう限界だと、〕

【“私の不満の人生の中で、危険なものをつかんだ。ここなら生きられると思った” という相手。】

〔本木さんとは全然性格が違うから、よくわからなかった〕ただ、みんな調整しながら、譲り合いながら乗り越えてきたんだわね

〔年をとっていくことに対して何も抵抗ないから、苦労もないし。もともと少欲なの。〕別に我慢や無理はしてないですよ。

【最期ぐらいは花を持たせてあげないと】

【内田裕也、毎年欠かさず被災地に贈る“ロック”な支援】
〔まあ、オレもいろいろと誤解されますけど、そんなに悪いやつじゃないですから、ヨロシク!〕


c0219232_16242975.jpg
①「いやっほぅ、撮れーっ!!!」(樹木)
________________________________________

 老夫婦の素敵な暮らしを描いた映画『人生フルーツ』でナレーションを担当した樹木希林さん。
ご自分の人生には、どんな果実を思い描いているのだろうか。
長い別居生活を過ごしつつ、今も夫婦でいる夫・内田裕也さんとの葛藤、娘と本木雅弘さんとの生活、そして自身の今後について語ってくれた。
☆  ☆  ☆
c0219232_16343323.jpg
②樹木希林さん 撮影/枦木 功
「私、女性週刊誌に出るのが嫌いなのよね。売るために面白いタイトルをつけるじゃない? 書かれるほうはつらいのよ」

〔“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”〕あれで、たまにはいいこと言うのよ。

 “週刊女性です”と名乗ったスタッフに、いきなりカウンターパンチをくださったのは樹木希林さん(73)。
「若いころ、マスコミから逃げ回っていたことがあるんだけど。
夫に“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”って言われてね。あれで、たまにはいいこと言うのよ。
私も作り手なら、気をひくタイトルをつけちゃうだろうしね」
 とフォローもあって、その押し引きは絶妙─。

「何かあるたびに、ここで記者会見を開くことになっちゃってるのよね(笑)」
 という、渋谷区にあるご自宅の応接間には、モノは持たない主義ということでグランドピアノと最小限の家具しかない。
その中で、ひときわ目立つ木製のテーブルは平幹二朗さんが使っていたものを、人づてにもらったのだとか。

「だから、何か事件があってうちで会見をするたびに平さんが“僕のテーブルが映ってる”と言ってたそうなんですよ(笑)。
直接面識はなかったけど、魅力的な方でしたね。
肺がんにかかられたのに、最期まで立派な役者として生きられて……」

杖はどこいった? じゃ、夫婦ゲンカにもならない
 自身もがんを患いながら仕事を続けている希林さんは、1月2日に公開された映画『人生フルーツ』でナレーションを担当。
完成品を見たプロデューサーが、
「地上と天空の間から発せられるような見事なナレーション。これは、呪文だ」
 と驚嘆したほどの、沁(し)みる声だった。
c0219232_16372087.jpg

〔年とったら耳も遠くなるし、滑舌(かつぜつ)も悪くなるし。もう限界だと、〕
「渡された台本を下読みもせずに、ただ読んだだけ。
まぁ、60年近く声で人を騙(だま)してきてるからね(笑)。
ナレーションはセリフを覚えなくていいからラクだと思ってたのに、年とったら耳も遠くなるし、滑舌(かつぜつ)も悪くなるし。
もう限界だと、スタッフには言ってるんだけど」

 映画で描かれているのは90歳の夫・津端修一さんと、87歳の妻・英子さんの暮らしと人生。
建築家の夫が建てた丸太小屋に住み、雑木林と畑で育てた約70種類の野菜と50種類の果物を季節に応じて収穫し、妻が丁寧に作った料理を、ふたりで食べる。
お互いに“さん”づけで呼び、ほぼ自給自足の生活を支え合い、ゆっくり豊かな時間を過ごしている。そんな夫婦に、やがて別れの時が訪れ─。

「英子さんは可愛らしい人でね。映画が完成した後、初めてお会いして一緒に居酒屋に行ったんですけど、いいエネルギーに満ちあふれていた。
ああいう女性は、修一さんのようないい旦那さんがちゃんと来るのね。
散らかさなくてつつましくて始末がよくて、でも大胆なところもある旦那さんで、本当に素敵なご夫婦。

 映画を見て“こんな人生を歩めたら言うことなし”だって、みんなそう思うんじゃない? 
もちろん、その人生がうらやましいとか、自分の人生がイヤだとか、そういうことはないのよ。
でも、それはそれ。こういうふうな道しか歩けない私は私。
だけど、津端さんのような人生も見事だなぁと思いますね」

【“私の不満の人生の中で、危険なものをつかんだ。ここなら生きられると思った” という相手。】
 反骨のロックンローラー・内田裕也さんとの結婚生活は43年になる。
 “私の不満の人生の中で、危険なものをつかんだ。ここなら生きられると思った”という相手。
警察ざたになるほど大ゲンカをしたこともあるし、離婚しかけたこともある。
しかし、長い別居生活を過ごしつつ、今も夫婦でいる。
「うちは年をとっても若いときと変わらない。
性格がまったく同じだから、何を考えてるか読み取れるし、争いにもなる。ただ、最近は年とってきてエネルギーがなくなったからケンカしなくなっただけ。
“この野郎!”となっても、“杖はどこいった?”じゃどうしようもない。そのうちに“面倒くさいかぁ”で終わり。

別に仲よくなったわけじゃないのよ。
『人生フルーツ』の英子さんは旦那さんのことを“年とっていい顔になった”と言ってるんだけど、うちは両方ともそんな境地じゃないわね。
たまに顔を見ると“この人、昔はもうちょっと男前だったのに。
どうしてこうなっちゃったのかなぁ”なんて思うもの。
それはお互いだろうけど、決していい顔にはなってない。
むしろ“奇っ怪(きっかい)”。とんでもないキャラクター商品って感じ(笑)」
c0219232_16382276.jpg
④撮影/枦木 功

〔本木さんとは全然性格が違うから、よくわからなかった〕ただ、みんな調整しながら、譲り合いながら乗り越えてきたんだわね
 30歳のときに出産したが、子育ても希林さん流だったという。
「私は、相手の気持ちに入り込むのが面倒くさいの。一歩引いてるというか。子育てもそう。例えばケーキをもらったら、私はまず自分が好きなのを取っちゃう。娘に“どれがいい?”と言って先に選ばせるなんてこと絶対にしない。だから、早く嫁に行ったんじゃない? きっとうちが居心地悪かったんだと思う」
c0219232_16390069.jpg

 娘の也哉子さんは19歳のとき、俳優の本木雅弘さんと結婚。
長らく二世帯で同居し、3人の孫にも恵まれた。
「今、娘一家はイギリスに行っちゃったけど、それまではうちの上に住んでました。
家族円満に見える? なんかねぇ。
円満になっちゃったのよね。
最初はそうじゃなかったのよ。
本木さんとは全然性格が違うから、よくわからなかったし。
ただ、みんな調整しながら、譲り合いながら乗り越えてきたんだわね。

〔年をとっていくことに対して何も抵抗ないから、苦労もないし。
もともと少欲なの。〕別に我慢や無理はしてないですよ。
 別に我慢や無理はしてないですよ。
ああ、そうなんだ、この人はこういう性格なんだと思うだけで、どうこうしようと思わない。
それは子どもや孫に対しても同じ。
まぁ、二世帯住宅で、台所も玄関も違うし、まったく会わない日がいっぱいあった。
距離がおける暮らしだから、やってこれたんでしょうね」

 同居しているときから、自分のことは自分でする主義。
石けんはひとつしか持たず、それで身体も食器も衣服も洗う。
お経をあげるのと、掃除をするのが日課だそうだ。
仕事もマネージャーはつけず、ひとりで現場に向かう。
「病気してからも普通に食べるし飲むし。
無理してる感じはないのよね。
年をとっていくことに対して何も抵抗ないから、苦労もないし。
もともと少欲なの。
仕事については、基本的に来た順番に引き受けているだけ。
あまり先のことだと、わからないからお断りすることもあるけどね」

【最期ぐらいは花を持たせてあげないと】
『人生フルーツ』では、夫と最期のお別れをするシーンがあるが、希林さん自身の人生の最期には、裕也さんが歌う『朝日のあたる家』を聴いて逝(い)きたいという。

「最期ぐらいは花を持たせてあげないと、怒るだろうと思って。
まぁ、歌自体がいい歌だしね。私が先にボケると信じてるので、もし、裕也さんが最期に駆けつけてくれたら、“まぁ、ご親切にしていただいて。……ところでおたくどちらさま?”と言って死ぬのが理想なんですよ。
ただ、本当は向こうが先に逝かないとあとが困るかなぁという心配もあるんですけどね。
向こうは向こうで“おまえ、ハンコのあり場所だけはちゃんとしとけよ”って言ってるから、自分のほうが長く生きるつもりらしいですよ」
 というところで、取材時間終了。
この後は、映画宣伝のため、自分で戸締まりして出かけることになっている。

「『週刊女性』としては、こんな話じゃもの足りないんじゃない? 
もっと中吊り広告のタイトルになるようなこと言えばよかったわね(笑)」
 女性週刊誌が嫌いと言いながら、キャッチになる言葉もけっこうしれっと語ってくれた、サービス精神旺盛な希林さんだった。
◎取材・文/伊藤愛子
c0219232_16393548.jpg

【左】津端さん夫妻の日常を描いた映画『人生フルーツ』は1月2日〜全国順次公開。(c)東海テレビ放送 【中・右】『あしたも、こはるびより。』『ひでこさんのたからもの。』(ともに主婦と生活社刊)。老夫婦のゆっくりと豊かな生活や絶品手料理のレシピなどを綴る

【内田裕也、毎年欠かさず被災地に贈る“ロック”な支援】
週刊女性4月1日号
2014/3/18
〔まあ、オレもいろいろと誤解されますけど、そんなに悪いやつじゃないですから、ヨロシク!〕
c0219232_16400769.jpg

 2011年3月11日の東日本大震災から4年。
震災直後、炊き出しや募金を精力的に行った芸能人はたくさんいたが、あれから4年がたった今も、以前と変わらず積極的な支援活動を続けている芸能人もいる。
 そのひとりが1995年の阪神・淡路大震災のときにも支援ライブを開いたり、物資を届けていた内田裕也。
今回、ある被災地に特別な“縁”を感じているという。
 本人がズバリその理由を語る。
「石巻は、英語でいえばロックンロール」
 震災から8日後の3月19日には東京・渋谷でゲリラ募金活動を敢行。集まった費用をもとに、4月5日には石巻で炊き出し&ミニライブを催した。
「友人のピザ店の協力で、ピザ&ミネストローネを400食分、バナナ690本、みかん690個を届けました。おにぎりとか、豚汁ばっかりのところだったから、若い人たちに喜ばれましたよ」
 また、2012 年に行われた恒例の年越しロックフェス『NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL』に除染服姿で出演して、原発事故の収束を訴えたり、会場の隅では、『HELP募金』も始めた。
「それが貯まったお金で、被災地に行って支援活動をするんです。
でも、日本人って、そんなにお金集まんねーんだよ。
やっぱり忘れ去られていくもので、でも風化させないためにもロックンロールの役割は大事なんだよね。
社会への貢献を何かしらさりげなくやること。できる範囲内で被災地に駆けつけるというのは、人間の誠意としても大事だと確信しています」

 インタビューをした3月11日、ちょうど『東日本大震災三周年追悼式』が行われている国立劇場へ向かう途中だった内田。
「毎年お花を買って、必ず参加しています。エラい国会議員のみなさんたちと一緒じゃなくて、一般の方々と一緒に並ぶのがロックンロールらしいと思っています。
派手でなくても継続性が大事ですね。まあ、オレもいろいろと誤解されますけど、そんなに悪いやつじゃないですから、ヨロシク!」


【平蔵の独り言】
夫に“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”って言われてね。あれで、たまにはいいこと言うのよ。

【独り言】
社会に出て、看板を持って仕事をしている時は“楽”だった。
自然の流れとして、看板を無くした時、以前の先輩に言った言葉
「看板が無くなると大変ですよ!」
(看板があれば、「**会社の・・・」)
その先輩がある時「お前の言っていることが今、分かったよ」
でも、会社を見るな!は自身でも難しい。

【平蔵の独り言】
ただ、みんな調整しながら、譲り合いながら乗り越えてきたんだわね。
 別に我慢や無理はしてないですよ。
ああ、そうなんだ、この人はこういう性格なんだと思うだけで、どうこうしようと思わない。
【独り言】
みんな調整しながら、譲り合いながら。
これが難しい。
少しは出来ているかな!




[PR]

by asanogawa-garou | 2017-03-27 16:20 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)