野茂英雄、空前絶後のノーヒットノーランの夜〔メジャーに愛された男〕【WBC準決勝で野茂英雄氏が始球式】   

2017年 04月 07日
野茂英雄、空前絶後のノーヒットノーランの夜〔メジャーに愛された男〕【WBC準決勝で野茂英雄氏が始球式】

【野茂英雄、空前絶後のノーヒットノーランの夜】
〔トルネードを封印〕
〔勝負所を掴む〕
〔メジャーに愛された男〕

【WBC準決勝で野茂英雄氏が始球式…鈴木が必死のジャンプ】
〔日米関係も改善〕

野茂英雄、空前絶後のノーヒットノーランの夜
1996年9月17日、気温5度のクアーズ・フィールドにて
NHK・プロデューサー 久保健一
時効スクープ ~今だから、聞けた

日経ビジネスONLINE 2017年4月4日(火)

 1968年、大阪で生まれたその男は、89年、ドラフトで史上最多の8球団競合の末、近鉄バファローズに入団、プロ野球選手となった。
恵まれた体躯をグイッとひねるトルネード投法は人々の目を釘付けにし、剛速球と鋭いフォークで三振の山を築く圧巻の投球はプロ野球ファンの心を鷲掴みにした。

道なき道を
 ルーキーイヤーに18勝で最多勝、さらに新人王、沢村賞、MVPなど賞を総なめにした後も勝ち星を重ね、入団から5年間で79勝を挙げた。

 しかし94年、退団。
そして、メジャーリーグへ。
ロサンゼルス・ドジャースとのマイナー契約から始まった挑戦は、全米に「NOMOマニア」を生み、2008年、日米通算201勝で引退するまで続いた。
 NHK-BS「アナザーストーリーズ」プロデューサーの久保健一は振り返る。

 「『大リーグで通用するはずがない』『日本プロ野球を捨てた裏切り者』…野茂さんの大リーグ挑戦に対するバッシングは酷いものでした。
僕はそれに猛烈な違和感と怒りを覚えました。
道なき道を切り開こうというチャレンジスピリットが、なぜ日本では認められないのか、と。
そしてその後、大リーグで大活躍すると、今度は一気の手のひら返し。
また、違和感です。
さらに言うと、引退までの数年間、なかなか勝ち星が重ねられなくなってからも、野茂さんはいくつもの球団を渡り歩きながらチャレンジを続けました。
僕は、その姿に強い共感を覚えましたが、報じられるのは試合結果のみ。
もちろん、自分もマスコミの人間ですから、限られた取材リソースをどこに配分するかという理屈は分かっているのですが、3Aで投げている野茂さんの姿こそ、開拓者だ!と何度となく思っていました。
その後、何度も野茂さんの番組を企画しながら実現しなかったのですが、ようやく今回『野茂ストーリー』にたどり着くことができました」

 NOMOマニアの一員である久保の記憶には、数々のエピソードが刻まれている。
その中から今回、スポットを当てたのは「ノーヒットノーランの夜」だ。

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①野茂の偉業の舞台となったクアーズ・フィールド。

標高1マイル(約1609メートル)という高地に位置するため、気圧が低く空気抵抗が少なく、打球が飛びやすい。
ここでの試合は乱打戦が多く、“打者天国”とも呼ばれる

 野茂英雄はメジャーリーグで二度、ノーヒットノーランを達成している。

その一度目は、新人王を獲得した翌年の1996年9月17日、強打打線を誇るコロラド・ロッキーズとの最終カードでのことだった。
場所はロッキーズの本拠地で、高地にありボールが飛びやすいことから打者有利とされるクアーズ・フィールド。
試合は雨のせいで予定より2時間以上遅れ、21時過ぎに始まった。気温は5度にまで下がっていた。

〔トルネードを封印〕
 野茂の立ち上がりは不安定だった。
体を大きくひねるトルネード投法から繰り出されるボールはコントロールがばらつき、1回裏、フォアボールでランナーを出し、盗塁も許す。
このパターンは2回裏も同様で、点を取られるのは時間の問題のように見えた。
 野茂は3回裏から、ランナーがいなくてもセットポジションで投げるようになる。
 ロッキーズの当時の監督、ドン・ベイラーはこのとき「野茂は何をすべきかに気付いた」と証言する。
その何かとは盗塁を阻止すること。
「自分で、この流れを止めないといけない、と分かったんだ」
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②対戦相手コロラド・ロッキーズの監督 ドン・ベイラー。試合前に「野茂の攻略は済んでいた」そうだが…

 一方で、野茂の150km/hを超えるストレート、魔球と呼ばれたフォークを受け続けてきたロサンゼルス・ドジャースの捕手のマイク・ピアッツァによると、
野茂がセットポジションで投げるのは制球力を高め、かつ、試合を速く進めるためだという。
実際に野茂は3回裏を三者凡退で切り抜けており、要した時間は2分42秒。
1回裏には8分16秒をかけていたので、3分の1近くに短縮されている。

 ではなぜ野茂は、試合のペースを速めようとしたのか。
ピアッツァは狙いをこう理解していた。
 「試合のペースが速まると、守備陣も守りやすくなります。
ピッチャーがテンポ良く投げると、守備陣の調子が上がり、打撃に良い影響が出るのです。野茂の狙いはそれでした」
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③野茂の女房役、正捕手マイク・ピアッツァ。“ノーヒットノーラン”のもう一人の立役者

しかし4回裏、またしても野茂はこの回の先頭打者バークスを四球で歩かせる。
そして、主審のビル・ホーンが「後になって考えると、分かれ目だった」というプレーが起こる。
 アウトをひとつとった後、ガララーガが放った鋭い打球は三遊間へ飛んだ。
ショートのギャグニーはぎりぎりでそれ追いつき、二塁に投げ、ファーストランナーのバークスをアウトにした。

 ショートゴロ。
このときのギャグニーの捕球体勢では、一塁に投げてアウトを取るのは難しい。

 ホーンは「もしランナー(バークス)がいなければ、(ショートへの内野安打となって)ガララーガは一塁セーフ。この時点でノーヒット・ノーランはなくなっていたでしょう。フォアボールでランナーを出していたことが幸いしたのです」と振り返る。
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④歴史的ゲームの主審を務めたビル・ホーン

〔勝負所を掴む〕
 6回にもまた、勝負所が訪れた。
 野茂はまたしても先頭打者のエリック・ヤングに四球を与えた。
ヤングは以前、野茂と対戦したときに1イニング3盗塁を決めていた俊足の持ち主だ。
当然、リードを大きく取る。
そこに野茂は牽制球を投じて一・二塁間に挟み、アウトをもぎ取る。
 その後、この日三度目の打席が回ってきたバークスは、いつもならセンター前に抜けていくような高く弾んだ打球を軽々と野茂に処理され、このピッチャーは記録を狙っているのではと強く意識するようになる。

 ロッキーズ打線が焦り始めたことを、ドジャースの正捕手は察知していた。
 「キャッチャーは、バッターがどれくらい打ち気にはやっているか、それを見抜くのが仕事です。相手が攻撃的になれば、それに応じて戦略を変えます」とピアッツァはいう。
 「彼らが早いカウントで打ってくるのに気付き、早め早めにフォークを使いました」

7回、8回もノーヒットに抑え、9回表に打者としての野茂がこのイニング3つめのアウトを献上した時点で、スコアは9対0。
ドジャースの勝ちは確実で、あとはロッキーズが本拠地で屈辱を味わうか、それを回避するかだけ。
敵将のベイラーは「誰かひとりでいい、ノーヒットノーランを破ってくれ」と願っていた。
 セカンドゴロが二つ続き、打席にはバークス。
6回にピッチャー強襲のゴロを打ったバッターだ。
狙いはストレート。フォークは見逃すか、カットしてファールにすることを決めていた。
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⑤エリス・バークス。コロラド・ロッキーズの強力打線“ブレイク・ストリート・ボンバーズ”の一人

 初球のフォークは見送ってボール。
2球目もやはりフォークで、これはカットしてファールに。
3球目はボール、4球目は空振り。
これでツーボール・ツーストライクの平行カウント。

〔メジャーに愛された男〕
 野茂は何度か首を横に振る。
ピアッツァは何のサインを出したか覚えていない。
バークスはストレートが来ると踏んでいた。
が、野茂の110球目はフルスイングしたバットから逃げるように落ちていった。
野茂が表情を変えずに小さく右手でガッツポーズを作ったとき、時刻は23時57分。終わってみれば、3時間を切るハイスピードゲームだった。

 あれから20年近くが経ったが、コロラド州デンバーにあるクアーズ・フィールドでノーヒットノーランを達成したことがあるのは、2016年のシーズン終了時点で野茂ただひとりだ。
この試合の模様はMLBが公開する動画「9/17/96: Nomo's No-No」で見ることができる。

 久保はなぜ、この試合を選んだのか。
 「力いっぱいの剛速球でバッターを豪快にねじ伏せていく。
野茂さんにはそんなイメージを持つ人が多いと思いますが、この試合には『別の一面』がよく表れています。
試合開始まで2時間も待たされ、震えるような寒さの中、ぬかるんだマウンドに立つ。
ただ力任せに投げるピッチャーが、そんな試合で好結果など期待すべくもないでしょう。

しかし彼は、試合の流れを冷静に捉え、トルネードを封印し、テンポを上げ、したたかにゲームを自分のものにして、誰ひとりなし得なかった偉業を達成しました。
NOMOが常に研究を怠らず、どれほど真摯にベースボールと向き合い続けたか。
それを知るからこそ、ともにプレーした選手やメディアは今も彼をリスペストしている。
道なき道を切り開き、メジャーリーグを愛し、そして愛されたNOMOのアナザーストーリーをぜひ改めて堪能してください」

 あの日を、本稿に登場した関係者への取材で振り返る『アナザーストーリーズ 野茂英雄ノーヒットノーラン~NOMOが伝説になった日~』は、4月4日火曜日21時、BSプレミアムでプレイボール。

【平蔵の独り言】
 NHK-BS「アナザーストーリーズ」プロデューサーの久保健一は振り返る。
 「『大リーグで通用するはずがない』『日本プロ野球を捨てた裏切り者』…野茂さんの大リーグ挑戦に対するバッシングは酷いものでした。
僕はそれに猛烈な違和感と怒りを覚えました。
道なき道を切り開こうというチャレンジスピリットが、なぜ日本では認められないのか、と。
そしてその後、大リーグで大活躍すると、今度は一気の手のひら返し。また、違和感です。

【独り言】
今でもアメリカ球界に愛される“野茂”
松井、イチロー 大リーグに移った時、
日本球界は“野茂”の時ほどでないにしても
後から石を投げるようなことを球界はしてきたと思う。
ここには “同調意識”の強い国民性が出ているか!

【WBC準決勝で野茂英雄氏が始球式…鈴木が必死のジャンプ】
SANSPO 特集:WBCニュース 2017.3.22
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⑥WBC準決勝の日本-米国戦で始球式を務める野茂英雄氏。右は元ドジャース監督のトミー・ラソーダ氏=ロサンゼルス(共同)

 WBC準決勝の日本-米国戦(ドジャースタジアム)。
試合前には感動的なセレモニーが開催された。
1995年から米大リーグ、ドジャースでプレーし、日本人選手初の新人王に輝いた野茂英雄氏(48)が、始球式に登場。
当時の監督で恩師のトミー・ラソーダ氏(89)がボールを手渡した。
侍ジャパンの背番号「16」でマウンドに登った野茂氏は捕手役の鈴木(広島)に投球。
高めに大きくそれたボールを鈴木が必死のジャンプで捕球し、スタンドからは大きな拍手が送られた。
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⑦始球式を務める野茂英雄氏。右はトミー・ラソーダ氏=ロサンゼルス(共同)
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⑧始球式を行う野茂英雄氏=ドジャースタジアム

〔日米関係も改善〕
野茂が救ったのはメジャーリーグだけではない。…

日米関係をも救ったのだ。
1995年当時は貿易摩擦などの影響で日米関係は冷え込んでいた。
そんな中、野茂が好投したことで関係に好ましい影響を与えたのだ。

米大手メディアのNY times紙は「野茂のおかげで日本の鎖国癖は消えつつある」で語り、
当時のクリントン大統領は「野茂は日本からの最高の輸出品」と讃えた。

このように野茂はただ「アメリカで活躍した」という事実以上に多くのものを残していったことが分かる。
日本人選手にメジャーリーグという選択肢を与えてくれたのは間違いなく野茂英雄だ。
あの黒田博樹もドジャースでメジャー生活のスタートを切ったときに
「野茂さんがいなければ我々は誰もアメリカに来られなかった」と語っている。


日本とアメリカの野球に橋を掛けて、日米球界に大きすぎる貢献をした彼はまさしく"英雄"ではないだろうか。
(さのゆう)

【平蔵の独り言】
 WBC準決勝の日本-米国戦(ドジャースタジアム)。
試合前には感動的なセレモニーが開催された。
1995年から米大リーグ、ドジャースでプレーし、日本人選手初の新人王に輝いた野茂英雄氏(48)が、始球式に登場。

【独り言】
大リーグは純粋にベースボールに記憶に残るプレーヤーをこのように歓待してくれる。

〔松井の今でもヤンキースタジアムでは大歓迎を受ける松井氏〕
今でもファンの心に強烈に刻まれており、セレモニーなどで松井氏がヤンキースタジアムに姿を現すと、スタンディングオベーションで迎えられる。



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by asanogawa-garou | 2017-04-07 16:44 | 人間模様 | Comments(0)