「よそ者」人生:日本の世間と感覚がズレているからこそ、作品や研究を生み出せる。(〔物書き人生〕最終章・養老孟司 VS.塩野七生) 共に御年満80歳   

2018年 01月 17日

「よそ者」人生:日本の世間と感覚がズレているからこそ、作品や研究を生み出せる。(〔物書き人生〕最終章・養老孟司 VS.塩野七生) 共に御年満80歳

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養老孟司さんと塩野七生さんは、共に御年80の「同級生」である。旧知の仲でもあるそのお二人が、相次いで新書を出版。
デビュー50年の塩野さんが著したのは『新しき力』。
「ギリシア人の物語」全3巻の悼尾を飾る本書は、歴史長編としては、塩野さんの最後の著作となる。
その作品で主人公に選んだのは、アレクサンダー大王、最後の先品として最も若い主人公である。
一方の養老さんは『遺言』。
一気呵成の書き下ろしとなる本作は、動物とヒト、感覚と意識、アナログとデジタルなどの概念を考察することによって、いまの時代の「おかしさ」を浮き彫りにした新書である。

〔よそ者〕「よそ者」人生
〔「よそ者」「はぐれ者」〕
〔AI(人工知能)〕AIが処理できない存在
〔健康診断〕
〔僕らが小さい頃は80歳まで生きている人はヘンな人というくらい珍しかった〕
〔心配しないで。いずれどうにかなりますよ(笑)〕


〔よそ者〕「よそ者」人生
(塩野)「よそ者」性がないと、常識や当たり前のことに対して「何で?」という疑問を持てなくなるという面がありますよね。
例えばなぜオリンピックが生まれたのかという疑問に対して、多くのヨーロッパ人の間では「戦争ばかりしているのは不毛だから、休戦のためのイベントでもしようということで始まった」というのが常識になっています。
でも私は「よそ者」だから「なぜ」と興味を持って調べていくわけです。
だからもしあの時に養老さんの提言を受け入れて鎌倉に移住していたら「ギリシャ人の物語」は書けなかったかもしれません。
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〔「よそ者」「はぐれ者」〕
(養老)作家というのは、ある程度、「よそ者」性が必要なんです。
「よそ者」性が日本の世間と感覚がズレている「はぐれ者」と感じます。

〔AI(人工知能)〕AIが処理できない存在
(塩野)人工知能によってヒトは職を奪われると言われているけれど、私はちっとも怖くありません。
塩野七生はデータ化不能なものを扱っているから。
だってギリシャの歴史はデータにできないものに突き動かされて書くものだから。

(養老)人間の意識がある時間は、1日の3分2しかないし、その前後だってだいぶ怪しい。
お酒を飲んだりすればあやふやになったりするでしょう。
にもかかわらず、その意識を絶対視して、人間にとって一番最後に進化してきた部分だけをAIにしているんですよ。
だからものすごくたくさんのものが欠落している。
AIの中には、0か1しかない。でも0と1の間には無限があるけど、それは“ノイズ”なのでAIが処理できない存在です。

(塩野)そうか、塩野七生が考えることもノイズということね。
(養老)だからデジタル慣れした人は、同じ室内にいてもメールで話したりするんですよ。なぜなら対面でやり取りするとノイズだらけで邪魔になるから。
(塩野)直接話すことは大事よね。
国際電話で編集者と話していると、それまで考えつかなかったようなことを思いついたりするんです。
編集者は長電話で迷惑かもしれないけど(笑)。
私はコンピュータには触らないし、ケータイも持っていないんです。
ここまでアナログだと絶望的ですよね。
いい加減、始めるべきなんでしょうけれど。
(養老)別にいいんじゃないですか。これからはデジタルからアナログに戻る。というよりも、デジタルに対する人間の対応が変わってくるでしょうね。

〔健康診断〕
塩野:日本で倒れたことがあって調べたらタンパク質の数値がとても悪かった。
でも、帰国してイタリアで検査を受けてみたら許容範囲内だった。
日本とイタリアでは許容範囲が全然違うんです。

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最も偉大なイタリア人女性科学者、リータ・レーヴィ=モンタルチーニ
〔僕らが小さい頃は80歳まで生きている人はヘンな人というくらい珍しかった〕
〔人間ダメな時はダメになりますから大丈夫ですよ〕
〔心配しないで。いずれどうにかなりますよ(笑)〕

(塩野)我々はもう80歳まで生きたんですから、何があってもどうってことないですよね。
(養老)十分ですよ。あとは余計なお世話で生きているだけです。
僕らが小さい頃は80歳まで生きている人はへんな人だ、というくらい珍しかった。
(塩野)私は人に迷惑をかけないようになるべく適度な時に死んだ方がいいと思っているの。
だから長生きのために必要なことと反対のことをするようにしています。タバコは吸う。お酒は飲む。ご飯は好きなものを好きなだけ食べる。
でも何かを食べたいと思っているうちはーーー。
(養老)元気だということ(笑)
いいじゃないですか。
人間ダメな時はダメになりますから大丈夫ですよ。
(塩野)イタリアの学者でノーベル生理学・医学賞をとったリータ・レーヴィ=モンタルチーニは100歳になった時にテレビのインタビューを受けていたんです。
とってもおしゃれでエレガントな方で。
長生きの秘訣を尋ねられて彼女は
「明日目が覚めたら何をすべきかが、私にはわかっているから」と答えていたんです。
その時、私も同じかもしれないと思ったんです。
(養老)心配しないで。いずれどうにかなりますよ(笑)

週刊新潮2018/1/4・11新年特大号

【平蔵の独り言】(よそ者)(はぐれ者)に寛容な社会

〔よそ者〕「よそ者」人生
〔「よそ者」「はぐれ者」〕
〔AI(人工知能)〕AIが処理できない存在

【独り言】
(よそ者)(はぐれ者)に寛容な社会
団塊の世代の“市井”はこんな社会にいたような気がする。

小学3年:担任が年賀状「届かなかった」と言われた。
小学3年の学年末:“挨拶もしない”で転向
転校先:すぐ親切にしてくれた子はクラスの嫌われ者
中学:教室が足らないので二部授業
こずかいのもらえない者同士が夏休み、町工場でアルバイト
(格差社会は当時からあった。貧乏同士、助け合った)
高校、大学:新設校を量産
就職先:希望先は全滅、専門分野で滑り込み
いろいろと紆余曲折はあったが、この分野で来年は50年
(希望先、全滅で良かったと思う。まだ、現役である)

【平蔵の独り言】検診を受けながら、古稀は過ぎ、喜寿へ

〔健康診断〕
〔僕らが小さい頃は80歳まで生きている人はヘンな人というくらい珍しかった〕
〔心配しないで。いずれどうにかなりますよ(笑)〕

【独り言】
48歳:生死を彷徨う(まだ独り言できない)
その後:胆管結石(胆嚢全摘)左冠動脈狭窄(カテーテル)
顔面神経麻痺、歯周病(2本奥歯インプラント)、ドライアイ
胃カメラ、大腸内視鏡、

〔僕らが小さい頃は80歳まで生きている人はヘンな人というくらい珍しかった〕

→へんな人〔心配しないで。いずれどうにかなりますよ(笑)〕



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# by asanogawa-garou | 2018-01-17 16:22 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

〔五木寛之〕【百年人生への不安】(後生( ゴショウ) が不安なんですよ) 〔後半生が大変〕   

2018年 01月 11日
〔五木寛之〕【百年人生への不安】(後生( ゴショウ) が不安なんですよ)  〔後半生が大変〕
この国でいう後生(ゴショウ)とは今生(コンジョウ)の後のことだ。
今生とは現世である。だから死んだ後のことが後生なのだ。

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〔後半生が大変〕
〔健康寿命と経済寿命〕
〔加齢というのはとんでもなく厄介なものなのである〕


「やっぱり後生のことが気になりますよね」それを時代の先端をゆくテレビ局のディレクターが口にするのが納得がいかない。

「きみのお家の宗旨は?」
「さあ。たぶん曹洞宗だと思いますけど」
「ふ~ん。どうして後生が気になるんだい」

「定年退職後の人生が気になるのは当然じゃないですか」
「えっ、きみみたいな若い人でも、やっぱり後生のことが気になるのかい」
「そりゃあ、気になりますとも。ぼくだってあと五、六年たてば定年退職ですから」
「失礼だが、きみは、いくつだっけ」
「四十九です」

若いディレクターと書いたが、八十五歳の私にとっては五十歳以下はみな若い人に感じられるのである。

「五十代半ばで定年だって?まさか」
「法律はともかく、うちの局では定年が五十五歳です。だから後生が不安なんですよ」

彼の言うことはわかるのだが、その後生という言葉の使いかたがよくわからない。


後生というのは、この国では一種の仏教用語だからである。
後生をコウセイと読めば中国流になる。
<後生畏るべし(こうせいおそるべし)>とは論語の言葉と昔教わった。
羽生永世七冠が藤井四段に抱く感想だろう。
後生とは後輩、若い人のことだ。

しかし、これをゴショウと発音すると、かなり変わった意味になる。
この国でいう後生(ゴショウ)とは今生(コンジョウ)の後のことだ。
今生とは現世である。だから死んだ後のことが後生なのだ。
「後生、お頼みもうします」
とか、「死んだあと、お浄土にいけますように」
などと昔のお年寄りはひたすら念じたものだった。
「後生の一大事」というのは、ちゃんと往生、成仏できるかどうかという話である。


〔後半生が大変〕
つまり彼のいう後生とは、退職後の生活のことであるらしい。
あの世の話ではないのだ。彼は続けて、
「最近、百年人生というじゃないですか。
そうなると五十代で退職しても、あと五十年ちかく生きなきゃならない。
その後半五十年が不安でないわけがないでしょ」
「要するに後半生のことを言ってるんだね」


〔健康寿命と経済寿命〕
平均寿命よりも健康寿命が大事、とはよく言われることである。
しかし寿命は必ずしも健康に比例しない。
そして、健康寿命のほかに経済寿命ということもある。
特別な人たちをのぞいて、一般に長生きだとお金の苦労をすることが多い。
貯金や年金なども余り当てにできないのである。


〔加齢というのはとんでもなく厄介なものなのである〕

さらに年をとるということは、体のあちこちが不自由になるということだ。
私も現在、身体的能力は十年前にくらべて半減しているといっていい。
道に落とした一円玉を、親切に注意してくれる人がいる。

「一円、落とされましたよ」
「あ、どうも。ありがとう」

と礼を言っても、人通りの多い道路で体をかがめてその一円貨幣を拾うのは、大変な苦労なのだ。
路面に片膝をつかなければ手がとどかないのである。
拾ったら拾ったで、起ちあがるのにまたひと苦労する。
情けないことに、何か片手でつかまるものがないと、膝がガクガクしてなかなか起てないのだ。

万事につけそんな具合いで、加齢というのはとんでもなく厄介なものなのである。

コップ一杯の水を飲むのにも誤嚥しないように慎重に飲まなければならない。
つい二、三日前も、飲んだ水にむせてジタバタしたばかりだ。
百年人生も結構だが、後生のことより後半生のことを重荷に感じるのは、私だけだろうか。

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〔生き抜くヒント!(五木寛之)〕週刊新潮2018/1/4.11号


【平蔵の独り言】
この国でいう後生(ゴショウ)とは今生(コンジョウ)の後のことだ。
今生とは現世である。だから死んだ後のことが後生なのだ。

〔後半生が大変〕
〔加齢というのはとんでもなく厄介なものなのである〕

【独り言】後生と後半生
後生?・・・・・(ゴショウ)
今生(コンジョウ)→今生の別れ(この世)は分かるが

〔後半生が大変〕やはり、後半生の今が大変だ!

加齢:健康を求める戦い(団塊世代はやはり戦うような時代)


【平蔵の独り言】
体をかがめてその一円貨幣を拾うのは、大変な苦労なのだ。
コップ一杯の水を飲むのにも誤嚥しないように慎重に飲まなければならない。

【独り言】
腰をかかめて、膝を曲げて、そして伸ばして:大変!
誤嚥しないように薬を飲むときは、
まず(eテレで見た)誤嚥防止の口のストレッチ!



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# by asanogawa-garou | 2018-01-11 15:22 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

向田邦子「眠る盃」〔中野のライオン〕〔新宿のライオン〕   

2018年 01月 07日
向田邦子「眠る盃」〔中野のライオン〕〔新宿のライオン〕

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【中野のライオン】
今の住まいは青山だが、二十代は杉並に住んでいた。
日本橋にある出版社に勤め、通勤は中央線を利用していたのだが、
夏の夕方の窓から不思議なものを見た。

場所は、中野駅から高円寺寄りの下り電車の右側である。

その日は、どうした加減か人並みの時間に吉祥寺行きの電車に乗っていた。
当時のラッシュ・アワーは、クーラーなど無かったから車内は蒸し風呂であった。
吊皮にブラ下り、大きく開け放った窓から夕暮の景色を眺めていた。

私が見たのは、一頭のライオンであった。
お粗末な木造アパートの、これも大きく開け放した窓の手すりのところに、一人の男が坐っている。
三十歳位のやせた貧相な男で、何度も乱暴に水をくぐらせたらしいダランと伸びてしまったアンダー・シャツ一枚で、ぼんやり外を見ていた。

その隣りにライオンがいる。
たてがみの立派な、かなり大きい雄のライオンで、男とならんで、外を見ていた。
すべてはまたたく間の出来ごとに見えたが、この瞬間の自分とまわりを正確に描くことはすこぶるむつかしい。

私は、びっくりして息が詰まったようになった。
当然のように、まわりの、少なくとも私とならんで、吊皮にブラ下がり、外を見ていた乗客が、
「あ、ライオンがいる」
と騒ぎ出すに違いないと思ったが、誰も何ともいわないのである。
両隣りのサラリーマンは、半分茹で上ったような顔で、
口を利くのも大儀といった風で揺られている。

その顔を見ると、
「いま、ライオンがいましたね」とは言えなかった。
私は、ねぼけていたのだろうか。
幻を見たのであろうか。
そんなことは、絶対にない。
あれは、たしかにライオンであった。
縫いぐるみ、といわれそうだが、それは、現在の感覚である。
二十何年前には、いまほど精巧な縫いぐるみはなかった。
この時も私は少しぼんやりしてしまい、駅前の古びた喫茶店でコーヒーを二はい飲んでから、うちに帰った。

〔早口の東京弁で、おしゃべりで、おまけに気が弱いものだから、少しでも他人さまによく思われたい一心で、時々はなしを面白くしてしゃべる癖がある〕

「中野にライオンがいるわよ」
「中央線の窓からライオンを見たのよ」
私ではいつもの嘘ばなしか、暑気当りと片づけられるのがオチである。


そのあとも、私は、中央線に乗り、例の場所が近づくと、身を乗り出すようにして外をのぞいたが、同じような窓が並んでいるだけで、アンダー・シャツの男もライオンの姿も見えず、その後中野方面でライオンが逃げたというニュースも聞いていない。

ーーーしかしーーー
いまだに、あれはほんもののライオンとしか思えないのである。
人にしゃべると、まるで嘘みたい、と言われそうな光景が、現に起っている。
それを五十人だか百人だかの人間が見ているのに、その中にいて、見なかった人間が、一人はいたのである。
ここまで来たら、もうどっちでもいいや、という気持もある。
記憶の証人は所詮自分ひとりである。
そう思って居直りながら、気持ちのどこかで待っているものがある。

実は、二十年ほど前に、中野のアパートでライオンを飼っていました、という人があらわれないかな、という夢である。
つい最近も中央線の同じ場所を通り、同じように窓の外に身を乗り出して眺めて来たばかりである。
(別冊小説新潮/1979春季号)

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【新宿のライオン】
うちの電話はベルを鳴らす前に肩で息をする。

〔「実は、中野でライオンを飼ってた者なんですが」〕

その電話が掛かったのは夕方であった。
中年と思われる男の声が、もう一度私の名前をたしかめ、
ひと呼吸あってからこう言った。
「実は、中野でライオンを飼ってた者なんですが」
咄嗟に私が何と答えたのか覚えがない。
いたずら電話でないか確かめかけ、相手の声の調子で、
これは本物に間違いないとすぐ判り、
それでもまだ半分は信じられなくて、
「本当ですか。本当にライオンは居たんですか」
と繰り返した。

相手は、物静かなたちの人らしく、はにかみを含んだ訥弁で、
「あなたの書かれたものを読み、当時を思い出して懐かしくなり失礼かと思ったが電話した。ライオンは確かに自分が飼っていた」と言い、
岡部という者ですとつけ加えられた。

この電話のあった5日ほど前に店頭に出た別冊小説新潮(1979年春季号)に私は「中野のライオン」と題する小文を書いている。
二十年ほど前の夏の夕方、中央線の窓から不思議なものを見たーーー。

『私が見たのは、一頭のライオンであった。
お粗末なアパートの、これも大きく開け放した窓の手すりのところに、一人の男が坐っている。
三十歳位のやせた貧相な男で、何度も乱暴に水をくぐらせたらしいダランと伸びてしまったアンダー・シャツ一枚で、ぼんやり外を見ていた。その隣りにライオンがいる。
たてがみの立派な、かなり大きい雄のライオンで、男とならんで、外を見ていた。』

私はびっくりして息が詰まったようになり、
まわりを見まわしたが、ならんで吊皮にブラ下がり、
外を見ていた乗客は誰ひとりとして騒がない。
半分茹で上がった顔で口を利くのも大儀といった風に揺られている両隣りのサラリーマンを見ると、
「いまライオンがいましたね」とは言い出せず、
ねぼけていたのか、幻を見たのか、
いや、あれはまさしくライオンだったと自問自答を繰り返しながら、
狐につままれたような気持ちになり、
駅前の古びた喫茶店でコーヒーを二はい飲んでうちへ帰ったのである。

ことがあれば面白おかしくしゃべり廻るところがあるのだが、
これだけは親兄弟にもしゃべらなかった。
中央線に乗って中野駅あたりを通過すると、
記憶の底から鎌首をもたげることもあったが、
それすら二十年の歳月のかなたに霞みかけていた。
たまたま文章にしたものの、
九十九パーセントは自信はないものだから、
五十人だか百人が見た交通事故現場からそんなものは見もしなかった、という風に全く気づかず立ち去った一人の婦人のことを書き、
百人見て一人見ないこともあるなら、一人が見て百人が見なかったことだってありえないことではないと屁理屈をこねた。

もうどっちでもいいやと居直りながら気持のどこかで待っているものがある。


〔中野にライオンはいたのである。〕

実は二十年ほど前に、中野のアパートでライオンを飼っていましたという人があらわれないかな、という夢である。
絶対に帰ってこない、くる筈のない息子を待つ「岸壁の母」の息子は、二十年ぶりに帰ってきた。
中野にライオンはいたのである。
私は受話器を握ったまま、こみ上げてくる笑いを押え切れず、
裂けた夕刊に顔を押しつけ声をたてて笑ってしまった。
悲しくもないのに涙がにじんでくる。
洟も出てくる。


岡部氏は、私の笑いの鎮まるのを待って、
ポツリポツリと話して下すった。
ライオンは、もともとは新宿御苑のそばで「八洲鶴」という酒の店をやっていた岡部氏の姉上が飼っておられた。
姉上がなくなったあと、岡部氏が引き継ぎ、
のちにライオンごと中野へ引越したのだが、
私が見た当時は百キロ近い体重があった。
一番おどろいたのは、ライオンが牝だったことである。
どこでどう取り違えたのか、私は記憶の中で、ライオンにたてがみを生やしてしまった。MGM映画の見過ぎかも知れない。
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二十年前に電車の窓から一瞬見えた、いや、見たと思いながら、
あれは幻だったのだと自分で打ち消していたライオンが本当にいた、
私は間違っていなかった。
大吉を知らせる電話は、
私に刀の柄に手を掛けるゆとりを与えず、
いきなり真っ向唐竹割りにしたのである。

牡だと思ったライオンは、牝であった。
見えなかったが、ライオンのまわりには鉄の格子があった。
電車の窓から見当をつけた場所も少し違っていた。
二階だと思ったのは一階であった。

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5月に入って、新宿で一夕ライオン青年とお目にかかる段取りが整った。

ライオン青年は二十年昔のライオンを語り、
牝ライオンは、名前を”ろん子”といった。
はじめは猫ほどの大きさだったがみるみる大きくなった。
「あいつは、ただの一度もほえなかった」
だから街なかで飼えたのでしょうと、かなしく笑われた。
せまい中で飼っていたので佝僂病になり、
多摩動物公園で預かってもらった。


それにしても、たのしくも不思議な一夜であった。

あと二十年か三十年したら、耄碌した私はこんなことを言うかも知れない。
「昔、新宿でライオンとお酒のんだことあったのよ」
(別冊小説新潮/1979・夏季号) 


【平蔵の独り言】
お客様は、2010/1/23にこの商品を注文しました。

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〔向田邦子〕「眠る盃」のあとがき

「荒城の月」の「めぐる盃かげさして」の一節を「眠る盃」と覚えてしまった少女時代の回想に、戦前のサラリーマン家庭の暮しの手触りをいきいきと甦らせる表題作をはじめ、片々とした日常から鮮やかな人生を截りとる珠玉の随筆集。
知的なユーモアと鋭い感性を内に包んだ温かな人柄が偲ばれるファン待望の書。・・・・・「眠る盃」(向田邦子)

一番おどろいたのは、ライオンが牝だったことである。
どこでどう取り違えたのか、私は記憶の中で、ライオンにたてがみを生やしてしまった。


【独り言】
「めぐる盃かげさして」の一節を「眠る盃」
牡だと思ったライオンは、牝であった。

市井の人の日常はそんなに変わったことが起こらない。
しかし、向田邦子の手に掛かると起きている。

2010年に読んでいたが8年経って、
週刊現代 それがどうした〔男たちの流儀〕伊集院静2017/12/9号
で蘇ったのだ!

向田邦子は20年前に見たライオンが1979年に蘇ったのだ!

【平蔵の独り言】
それにしても、たのしくも不思議な一夜であった。
あと二十年か三十年したら、耄碌した私はこんなことを言うかも知れない。
「昔、新宿でライオンとお酒のんだことあったのよ」

【独り言】
耄碌した向田邦子から“新宿のライオン”の話、
何ていうか聞きてみたい。
でも、聞くことは叶わない!


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# by asanogawa-garou | 2018-01-07 17:14 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

【伊集院静】〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい〕中央線から見えたライオン   

2018年 01月 02日
【伊集院静】〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい〕中央線から見えたライオン
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〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい〕
それがどうした〔男たちの流儀〕中央線から見えたライオン【伊集院静】

〔大人になるとさして面白いことなどないのが人生であるから〕
〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい、面白いことであふれてるんじゃないか〕

〔人生は君たちが考えているより長いし、考えているより短い〕

自分の半生の大半が旅路の中にあったことは、この連載でも何度か書いた。
少年の頃から自転車でも、トラックの荷台でも、頬に風が当たり、流れる風景を見るとワクワクした。

それは今も同じで、電車でも飛行機でも、車窓に映る景色を眺めているだけでまたたくうちに時間が過ぎる。

待てよ、もしかして私はこれまでの半生でかなりの時間を風景を見続けていたのか?
そうだとしたら、恵まれた半生と言える。

〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい〕
通院している歯科医院が阿佐ヶ谷にあるので、時折、昼間の中央線に乗る。
その時、私はドアの側に立つ。
そこで沿線の家々や木々、空、雲などを眺める。
見ていて飽きないし、もうすぐ冬だナとかと、
オヤ、こんな時に祭りか、子供御輿しはあるのかと、
その日、その時間でしか遭遇しないものに目が引かれる。

〔中央線から見えたライオン〕
たしか作家の向田邦子さんだったと思うが、
中央線に乗っていて、
或る家の窓から”ライオン”がこっちを見ている姿が目に留まり、
自分の錯覚ではと思い、
その後も電車がそこを通る度に目を凝らして車窓を見ている文章があった。
まさかと思われようが、
結論としてそこに”ライオン”が暮らしていたのである。

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〔大人になるとさして面白いことなどないのが人生であるから〕
楽しい話である。何が楽しいか?
大人になるとさして面白いことなどないのが人生であるから、
その手のことにめぐり逢うのは、
どこか誰かからのプレゼントに思えてしまう。

〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい、面白いことであふれてるんじゃないか〕
そう思えるだけで、
現状の些細なことに悩んでいた自分がこまか過ぎるのではと思えて来る。
人生は考え方ひとつで違う風景になる。
ユーモアとはそういう力を持っている。

〔人生は君たちが考えているより長いし、考えているより短い〕
それがどうだ!
通院の折の車両に乗る人たちの7割近くがスマホを覗いている。
初めはたいした普及だと思ったが、すぐに思った。
ーーーこの風景は不気味じゃないか?
そう、不気味どころか、何かが間違っているし、
おかしい時間の過ごし方なのである。

おぞましい光景から目を離し、
私は午後の武蔵野の空を、雲を眺める。
あの雲はどこへ行くのだろうか。
どこかの窓辺で、どこかの散歩道で、
何ごとかをかかえた人たちが、イイ雲だナ、と仰ぎ見ている。

スマホが悪いとは言わぬ。
ライオンを見つけないとも勿論言わぬ。

しかし人生は君たちが考えているより長いし、考えているより短い。
短さは、君の周囲にかつていて、
若くしてこの世を去った人たちを思い出せばわかる。
人は決して順番でこの世を去ることはない。
人は寿命で生を終える。

週刊現代 それがどうした〔男たちの流儀〕伊集院静 2017/12/9号

【平蔵の独り言】
〔人生は君たちが考えているより長いし、考えているより短い〕
それがどうだ!
通院の折の車両に乗る人たちの7割近くがスマホを覗いている。
初めはたいした普及だと思ったが、すぐに思った。
ーーーこの風景は不気味じゃないか?
そう、不気味どころか、何かが間違っているし、
おかしい時間の過ごし方なのである。

〔中央線から見えたライオン〕
以前読んだ記憶があるので、向田邦子を検索したら〔眠る盃〕と出てきた。
本棚から〔眠る盃〕を出して、読み返してみた。

〔中野のライオン〕
今の住まいは青山だが、二十代は杉並に住んでいた。
日本橋にある出版社に勤め、通勤は中央線を利用していたのだが、
夏の夕方の窓から不思議なものを見た。

場所は、中野駅から高円寺寄りの下り電車の右側である。

その日は、どうした加減か人並みの時間に吉祥寺行きの電車に乗っていた。
当時のラッシュ・アワーは、クーラーなど無かったから車内は蒸し風呂であった。
吊皮にブラ下り、大きく開け放った窓から夕暮の景色を眺めていた。

私が見たのは、一頭のライオンであった。
お粗末な木造アパートの、これも大きく開け放した窓の手すりのところに、一人の男が坐っている。
三十歳位のやせた貧相な男で、何度も乱暴に水をくぐらせたらしいダランと伸びてしまったアンダー・シャツ一枚で、ぼんやり外を見ていた。
その隣りにライオンがいる。たてがみの立派な、かなり大きい雄のライオンで、男とならんで、外を見ていた。
すべてはまたたく間の出来ごとに見えたが、この瞬間の自分とまわりを正確に描くことはすこぶるむつかしい。

【独り言】”中野のライオン”は木造のアパートにいたのである!
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「荒城の月」の「めぐる盃かげさして」の一節を「眠る盃」と覚えてしまった少女時代の回想に片々とした日常から鮮やかな人生を截りとる珠玉の随筆集。

ガラ携の“一斉メール”で知らないでいいことが送られてきたり、
“フェイスブック(Facebook)”やりましょう!→「やりません!」
→“せっかく誘ってあげているのに、いつもそうなんだから”

若い頃から今でも興味のある記事、本、情報から得るもので
結構忙しい・・・・・・・・・

「眠る盃」を読み返してみたら、さすが“向田邦子”
2014/11/13(向田邦子)日常の些細な風景も、この人が描けばたちまち色鮮やかに生まれ変わった。

日常の些細な風景(出来事)がこんなに記憶に残るのか!

「中野のライオン」「新宿のライオン」をアップする!
(講談社文庫 と 向田邦子 に許してもらおう)


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# by asanogawa-garou | 2018-01-02 16:04 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

<古稀>古稀の壁と扉(なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから)   

2017年 12月 12日

<古稀>古稀の壁と扉(なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから。)


〔古稀〕(人生七十年生きる人は古くから稀 (まれ)である)
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〔古稀を抗うか受け入れるか!〕

〔定年退職者が居場所と孤独に戸惑うのは日本も米国も同じ
60歳からの「黄金の15年」をどう生きるか〕

【〔定年後~60歳からの「黄金の15年」をどう生きるか〕】
〔米国の男性定年退職者も大変〕
〔無気力になって一人ぼっちで過ごす日々〕
〔自分で人とのつながりを築かなければならない〕

【最高の人生の見つけ方】「大切なものは自分の足元にあるのだ」
〔やりたいことをやり尽くしてみると・・・〕
〔覚悟ができていない日本の男性定年退職者〕

【寂聴さん曰く「男はつくづく純情だと思います」】
〔なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから〕

〔褒めちぎるのがいい〕
〔褒められてひとは元気になる〕

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〔古稀〕(人生七十年生きる人は古くから稀 (まれ)である)
「人生七十古来稀なり」・唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)
(人生七十年生きる人は古くから稀(まれ)である)に由来している。
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唐の詩人杜甫

〔古稀を抗うか受け入れるか!〕→〔古稀〕の壁、扉

→「古稀を受け入れる」ことから、新たな人生(扉)が開く。
抗っていても、古稀の壁があるだけ。

(扉)を開けて、踏み出せば、(そこには踏み出すしかない)喜寿を信じて歩んで行く。
“ロードモデル”がない世代、自ら切り開いて行く。

〔定年退職者が居場所と孤独に戸惑うのは日本も米国も同じ
60歳からの「黄金の15年」をどう生きるか〕

DIAMONDOnline 2017.11.8
楠木 新[ビジネス書作家]
生命保険会社に勤務するかたわら、「働く意味」をテーマに執筆、講演などに取り組む。
12万部を超えるベストセラーになった『人事部は見ている。』(日経プレミアシリーズ)、『就職に勝つ!わが子を失敗させない「会社選び」』(ダイヤモンド社)など著書多数。近著に『定年後』(中公新書)がある。

【〔定年後~60歳からの「黄金の15年」をどう生きるか〕】
〔米国の男性定年退職者も大変〕
〔無気力になって一人ぼっちで過ごす日々〕
〔自分で人とのつながりを築かなければならない〕


【最高の人生の見つけ方】「大切なものは自分の足元にあるのだ」
〔やりたいことをやり尽くしてみると・・・〕

〔覚悟ができていない日本の男性定年退職者〕


「いつかは、その日が来る」。
それはだれもがわかっているが、近づかないとピンとこない。
いつまでも「この仕事」が続くかのように感じていても、それは、いずれ終わる。
60歳が定年だとすると、家族の扶養義務からも解放されて、かつ他人の介助も受けずに裁量をもって活動できる75歳位までは案外と長い。
それを「黄金の15年」にできるなら、人生の締めくくりとして素晴らしい。
では、その15年をどのように生きるか。
また、その時が来てから慌てないために、いつから、どんな備えをすればいいか。
書籍『定年後』(中公新書)の著者である楠木新氏が語る。

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③『定年後』

「定年後」の生活は、必ずしも事前に思い描いたようには運ばない。
試行錯誤をしながらも、最後に戻るところは、「誰かの役に立つこと」、「自らの家族のところに戻ること」。
2本の米国映画を題材に、あるべき定年後を考えてみよう。(ビジネス書作家 楠木 新)

〔米国の男性定年退職者も大変〕
 『アバウト・シュミット』(2002年制作)という米国映画をご存じだろうか。
名優ジャック・ニコルソンが演じる主人公シュミットが、保険会社の部長代理で定年退職日の終業を迎えるのがオープニングである。彼は60代半ばである。
 その夜、彼のハッピーリタイアメントを祝う会がレストランで盛大に行われる。
妻と一緒にメインの席に座り、昔からの友人や仕事の後任者からスピーチを受ける。
後任者は「いつでも会社に遊びに来てくれ」と言い、引き続き仕事の指導もお願いしたいと述べる。
 彼は妻と、今は離れて暮らす娘との三人家族で、仕事一筋だったまじめな男だ。
会社中心の生活リズムが染みついていたせいか退職後は手持ち無沙汰になる日々が続いた。
 家では部屋で横になってリモコンをパチパチしてチャンネルを変える姿がスクリーンに現れる。
これは日本でも米国でも変わらないようだ。
 退職後にシュミットが会社に立ち寄ると、「いつでも来てくれ」と言っていた後任者は忙しいからと嫌がる態度を見せる。
また自分が作成した引継ぎ書類がダンボール箱に入れられたまま放置されていることを知ってショックを受ける。

〔無気力になって一人ぼっちで過ごす日々〕
 退職して何もすることがなかったからか、彼はテレビコマーシャルでアフリカの子どもたちを援助するプログラムを知り、6歳の少年ンドゥグの養父になって彼に手紙を書くようになる。
 間もなくして妻が急死してしまう。
妻の手紙を整理していて彼女と親友が過去に不倫をしていたことを知り、親友に対して怒りをぶちまける。
その後、彼は家で一人ぼっちになって食事の片付けもせずに無気力な日々を過ごす。
 シュミット自身もこれではいけないと思い、
「人生は短い。無駄に過ごすわけにはいかない」
と自ら車を運転して旅に出る。
自分が生まれた土地や通った大学にも行ってみるが、
過去のいい思い出が蘇ることはなく、
逆に厳しい現実が次々とシュミットを襲う。

 さらに、一人娘の婚約相手の実家を訪ねてみると、
婚約者本人もその家族もどうみても彼にはまともにはみえない。
娘に結婚をやめるように諭すが全く耳を貸さない。
シュミットは結婚式で心にもないスピーチを終えると、
すぐにトイレにかけ込み、自らの怒りを鎮めるのがやっとだった。
 結婚式を終えて帰宅したシュミットは留守中に届いていたチャリティ団体からの手紙を見つける。
その中にンドゥグが描いた太陽の下で手をつなぐ人の絵があった。
それを見た彼は思わず涙を流してしまうのがラストシーンだ。
 この映画は、シュミットの日常の姿を淡々と描きながら、彼の戸惑いと孤独を見事に描いている。
ジャック・ニコルソンの演技力には舌を巻く。
日本ではここまでリアルに定年後を扱っている作品はないだろう。

〔自分で人とのつながりを築かなければならない〕
 最後の場面は感動的ではあるが、一人になったシュミットに対して新たな助け船は出ない。
自分自身で人とのつながりを築いていかなければならないことを暗示しており、後味にも厳しさが残る作品になっている。
 私は10年以上前にこの映画を見ていたが、自身が定年退職したうえで改めて鑑賞すると、すべての場面でシュミットと自分を置き換えてみることができた。

【最高の人生の見つけ方】「大切なものは自分の足元にあるのだ」
「最高の人生の見つけ方」
 面白いことに、偶然であろうが、名優ジャック・ニコルソンは別の映画で定年後に対処すべきヒントを示している。
 映画『最高の人生の見つけ方』(2007年制作)は、大金持ちの実業家(ジャック・ニコルソン)と、勤勉実直に生きてきた自動車修理工(モーガン・フリーマン)が、入院先の病院で知り合い、ともに余命6ヵ月であると宣告されるストーリーで、病室で意気投合した二人は、残された時間でやりたいことをすべてやりつくすために病院を脱出する。


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④ジャック・ニコルソン

〔やりたいことをやり尽くしてみると・・・〕

 二人は「やりたいことリスト(棺桶リスト)」を作成し、実にさまざまなことに挑戦する。
専用ジェット機をチャーターして、インドのタージマハル、エジプトのピラミッド、ヒマラヤ山脈などの世界旅行を楽しみ、高級料理を食べ歩き、レーシングカーで競争したり、スカイダイビングで空を舞ったりもする。
その中で二人は互いにかけがえのない友情を育む。
 ややもすると、陳腐な内容になりかねないストーリーであるが、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンという二人の名優のやり取りがリアリティーを出している。
 そして「やりたいことリスト」をやりつくした二人が地元に帰ってくると、実業家は今までうまくいっていなかった娘の自宅を訪問して、ぎこちないながらも孫とも時間を過ごす。
また「社会のために」と資産の寄付を申し出る。
家族思いだった自動車修理工は、以前と同様に温かい家族の元に戻る。
「大切なものは自分の足元にあるのだ」
 残りの人生をとにかく好きなことをやり尽くそうと世界中を巡り、いろいろ行動した2人であったが、最後に戻るところは、「誰かの役に立つこと」、「自らの家族のところに戻ること」だと示していた。
「大切なものは自分の足元にあるのだ」とこの映画は主張しているように私には思えたのである。
米国の定年後も、日本の定年後も「想定通りにはいかない」
 この二編の映画を見ていると、自立して個人で生きていくスタンスが強い米国の老人の方が、より大きな孤独に耐えなければならないのではないかと感じた。

〔覚悟ができていない日本の男性定年退職者〕
 一方で、妻や家族を頼りにしていて一人で生きていく覚悟ができていない日本の男性定年退職者は少なくない。
そして彼らは自分が介護や援助をしてもらうことを前提に考えている。
しかし必ずしもそうなるとは限らない。
 例えば、ある地域では親や配偶者の介護をしている人たちの定期的な会合があって、互いに有効な情報を交換したり、普段の苦しい思いを共有することによって精神的な負担の軽減を図っているそうだ。
その会合の世話役を担っている女性によると、参加者の3分の1は中高年の男性だそうだ。
配偶者との間に年齢差があっても、亡くなったり、病に倒れる順番は決まっているわけではない。
 定年退職者の男性が一人で親の面倒を見ている例や、定年を目前にして妻が若年性認知症を患い、片時も目を離せない状況になって介護に努めている男性の話を聞く機会があった。
「50歳の頃は、定年後は海外旅行にでも行こうと二人で話し合っていたのに、想定していなかった事態に陥った」と語っていた。
私のみならず話を聞いていた男性はみな、身につまされる思いだった。
 会合の世話役の女性に対して、「中高年の男性は、定年後を見据えてどう対応すればよいと思われますか?」と私が聞くと、「会社の仕事だけでなく地域の人ともつながりを持ち、最低限の家事ができること、普段から家族とのコミュニケーションをきちんと取っておくこと」という回答が返ってきた。
 米国でも日本でも、定年後に向けて準備することにはそれほど変わりはないようだ。
(ビジネス書作家 楠木 新)

【寂聴さん曰く「男はつくづく純情だと思います」】
〔なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから〕

〔褒めちぎるのがいい〕
〔褒められてひとは元気になる〕


寂聴さん曰く「男はつくづく純情だと思います」
『95歳まで生きるのは幸せですか?』瀬戸内寂聴さんに聞く
日経ビジネス編集部 2017年11月16日(木)
彼女の元には、いまも多くの迷える男女が法話を聞きに訪れます。
ところが、問題は「男のほう」でした。

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⑤迷える「男のほう」
 新刊『95歳まで生きるのは幸せですか?』では、ジャーナリストの池上彰さんと対談されました。
〔なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから〕
なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから。
そしていったん、うつになっちゃうとそこから逃げ出すのはとっても大変です。
 私も出家する直前、40代のころにうつになったことがあるんです。
そのとき診てくださったのが、古沢平作さんという日本の精神分析の権威の先生でした。
古沢先生はなんと戦前のウィーンであのフロイトに直接習った、フロイトのお弟子さんなんです。
古沢先生の、私は最後の患者さん。
その古沢先生のやり方がとってもユニークでした。
とにかく褒めるの、患者の私のことを。
うつになるってことは、自信を失っている。

〔褒めちぎるのがいい〕
だからひたすら一生懸命褒めてあげる。
ああ、あなたは着物の趣味がいいなあ。性格がいいなあ。
古沢先生は、徹底的に私のことを褒めてくださいました。
そうしたらね、治ったの、私のうつ。
褒められてひとは元気になる
褒めちぎるのがいい、と。
歯が浮くような台詞を並べて褒めても大丈夫。
そのくらい盛大に褒めるのが、うつには一番効くんです。
古沢先生に教わった「うつの人は褒めてあげよう」は、その後の私の人生の指針のひとつになりました。
いま、私のところには、法話を聞きにたくさんの人々が訪れます。
法話を聞きたい人には、人生がつらいって人がとても多い。
だから、私はそんな人たちのことを徹底的に褒めます。
お話をうかがって、とにかく褒めてあげる。
するとね、ちゃんと治るのよ。
いままで何人のうつを治したか数えきれないほどです。
どうやって褒めるんですか?
うつ状態のひとはとにかく自信を失っています。
その自信を取り戻すのが目的ですから、褒める内容はなんでもいいんです。あなたはとってもチャーミングよ、今日の洋服の色はとっても素敵だわ、いい声しているわよね。ほんとうにたわいもないことでいいから、そのひと自身の個性を褒めてあげる。
会うたびに褒めてあげる。
すると何度か顔を合わせるうちに、だんだん元気を取り戻してくるんです。
 「日経ビジネスオンライン」の読者でもある、中年以上の男性も褒められると元気になるんでしょうか?


私の法話を聞きにいらっしゃる方たちの中にも、うつっぽくなった中高年の男性、多いですから。
 そもそも、人間、歳をとったら、だいたいうつ状態になりやすくなります。
なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから。
そしていったん、うつになっちゃうとそこから逃げ出すのはとっても大変です。
もう定年で職場を去らないといけない。
でも、そのあとの人生の希望や展望が見えない。
僕はどうすればいいんだろう。

〔褒められてひとは元気になる〕
 褒めちぎるのがいい、と。
 歯が浮くような台詞を並べて褒めても大丈夫。
そのくらい盛大に褒めるのが、うつには一番効くんです。
古沢先生に教わった「うつの人は褒めてあげよう」は、その後の私の人生の指針のひとつになりました。
 いま、私のところには、法話を聞きにたくさんの人々が訪れます。
法話を聞きたい人には、人生がつらいって人がとても多い。
だから、私はそんな人たちのことを徹底的に褒めます。
お話をうかがって、とにかく褒めてあげる。
するとね、ちゃんと治るのよ。
いままで何人のうつを治したか数えきれないほどです。
 どうやって褒めるんですか?
 うつ状態のひとはとにかく自信を失っています。
その自信を取り戻すのが目的ですから、褒める内容はなんでもいいんです。あなたはとってもチャーミングよ、今日の洋服の色はとっても素敵だわ、いい声しているわよね。
ほんとうにたわいもないことでいいから、そのひと自身の個性を褒めてあげる。会うたびに褒めてあげる。すると何度か顔を合わせるうちに、だんだん元気を取り戻してくるんです。

『95歳まで生きるのは幸せですか?』(PHP研究所)


【平蔵の独り言】
〔古稀〕(人生七十年生きる人は古くから稀 (まれ)である)

【独り言】
〔古稀〕の知ると、抗うことも受け入れることも
同じことだと思う。
抗うことを受け入れて「一日一日を過ごす」

【平蔵の独り言】
〔定年退職者が居場所と孤独に戸惑うのは日本も米国も同じ
60歳からの「黄金の15年」をどう生きるか〕
【最高の人生の見つけ方】「大切なものは自分の足元にあるのだ」

【独り言】
「黄金の15年」ということは、現在“古稀”で10年は過ぎた。
まだ、抗う日々の気持ち「そうか、居場所と孤独か!」
喜寿まで 7年、受け入れれば・・・・・

【平蔵の独り言】
【寂聴さん曰く「男はつくづく純情だと思います」】
〔なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから〕

【独り言】
 面白いこと、感激することが経験的になくなってくるのか
“純情”???



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# by asanogawa-garou | 2017-12-12 16:27 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)