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「怠け者になりなさい」「努力しても結果はなかなか思い通りにならないこともある」(水木語録)   

2016年 01月 06日
「怠け者になりなさい」「努力しても結果はなかなか思い通りにならないこともある」(水木語録)

〔「非常識」の中に隠れた本質〕「水木語録」人生の本質 怠け者になりなさい
著書「水木サンの幸福論」で強調しているのは「努力しても結果はなかなか思い通りにならないこともある」ということ。
「怠けることの大切さ」を述べているようにみえるが、時には力を抜き良い結果を出すための方法について語っていた。

〔「睡眠をバカにしちゃあいけませんョ」〕睡眠も大切にする姿勢が「数多くの漫画家の命を救った」

「睡眠をバカにしちゃあいけませんョ」
「眠っている時間分だけ長生きするんです 幸せなんかも“睡眠力”から湧いてくる」
と主張する内容です。

〔「最後は神様が決めることに従ったらええ」〕「何かうまいものはないの?」

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常識の枠にとらわれない発想、ユニークな言動や人柄が愛された人でもあった。
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「努力しても結果はなかなか思い通りにならないこともある」

「怠けることの大切さ」を述べているようにみえるが、
時には力を抜き良い結果を出すための方法について語っていた。

子育ても一風変わっていた。
娘が寝坊して学校に遅刻しそうなときでも「眠たいと言っちょーのに。寝かしてやれ」

水木さん自身も睡眠を大切にし、93歳で亡くなるまで現役を続けた。

次女悦子さんが小学校でいじめに遭い自殺を考えたときのことだ。
水木さんは「死んでしまえば何にもならん。幸せはな、心と体で感じるものなんだ」
「生きておればいずれ分かる。だからもう少し生きてみないか」と語り掛けたという。

〔「非常識」の中に隠れた本質〕「水木語録」人生の本質 怠け者になりなさい
2015年12月1日 夕刊
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  ②
2014年5月、「水木しげる漫画大全集」を手に笑顔を見せる
水木しげるさん(左)と妻の武良布枝さん=東京都調布市で

十一月三十日に死去した漫画家水木しげるさんは作品だけでなく、
常識の枠にとらわれない発想、ユニークな言動や人柄が愛された人でもあった。

水木さんの人生哲学には過酷な戦争体験の影響もあるとされ、
数多く残された「水木語録」には、物事の本質が隠れている。

 「怠け者になりなさい」。

水木さんの人生哲学の中で、多くのファンに支持されている言葉だ。

著書「水木サンの幸福論」で強調しているのは
「努力しても結果はなかなか思い通りにならないこともある」ということ。

「怠けることの大切さ」を述べているようにみえるが、
時には力を抜き良い結果を出すための方法について語っていた。

 世界各国にある大好きな妖怪の“すみか”を訪ね、「目に見えないものを感じる」ことの重要性も説いた。

合理主義ではなく、世間に流布する価値観で捉えきれない事象を解明することが、人々の「幸福につながる」と考えていた。

 子育ても一風変わっていた。
娘が寝坊して学校に遅刻しそうなときでも「眠たいと言っちょーのに。寝かしてやれ」と妻と口論した。
水木さん自身も睡眠を大切にし、九十三歳で亡くなるまで現役を続けた。

 水木さんの二人の娘は、幼いころ、人前でおならをすることが、良いことだと思い込んでいたという。
水木さんが喜ぶからだ。
夫婦や家族でいさかいがあっても、誰かがおならをすれば笑いに変わった。
場を和ませようと、わざと人前で鼻をほじる水木さんの「ゆるキャラ」ぶりは大きな魅力だった。

 水木さんの規格外ともいえる発想は、不条理な戦地体験が大きく影響しているとされる。
 戦記漫画の代表作「総員玉砕せよ!」では、目の前で大勢の戦友が死んでいった戦地でのやるせない思いを、登場人物たちによって語らせた。

 作品の中で、日本本土が爆撃されていると知った兵士は、上官に切々と語る。
「かんじんの内地がめちゃくちゃにやられてたら、一体我々はなにしにこんなところで戦うのでしょうか」。
また軍医は「(軍隊は)本来のあるべき人類の姿じゃないのです」
「すみ渡る空やさえずる鳥や島の住人のような健全さはどこにもありません」と訴えた。
機会を捉えては、戦争や軍隊の非人間性を語り続けた。

 次女悦子さんが小学校でいじめに遭い自殺を考えたときのことだ。
水木さんは「死んでしまえば何にもならん。幸せはな、心と体で感じるものなんだ」「生きておればいずれ分かる。だからもう少し生きてみないか」と語り掛けたという。


【「睡眠をバカにしちゃあいけませんョ」】睡眠も大切にする姿勢が「数多くの漫画家の命を救った」

睡眠も大切にする姿勢が「数多くの漫画家の命を救った」( 水木しげる)
「睡眠をバカにしちゃあいけませんョ」
手塚・石ノ森両氏に「睡眠をバカにしちゃあいけませんョ」と主張した水木さん。

『死にかけるほど頑張らないといい作品は描けない』と思い込んでた数多くの漫画家の命を救ったと思う。

漫画家の水木しげるさんが11月30日に亡くなったことについて、漫画家をはじめ多くの人々が弔意を表明。
水木さんが遺した格言・名言に思いをはせるツイートが相次いでいます。
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水木しげるさん(画像は水木プロダクション)
 過酷なイメージがともなう漫画家という職業ですが、
水木さんは食や睡眠を大切にしながら数々の功績を残し、93歳の長寿をまっとうしました。

そこで注目を集めている水木作品が、
展覧会「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」へ特別寄稿された2ページ漫画「睡眠のチカラ」。

徹夜続きの手塚・石ノ森両氏に対し水木さんが
「自分はどんなに忙しくても十時間は寝ています」
「睡眠をバカにしちゃあいけませんョ」
「眠っている時間分だけ長生きするんです 幸せなんかも“睡眠力”から湧いてくる」
と主張する内容です。

 「3月のライオン」の漫画家・羽海野チカさんは、
「漫画家みんながつい、良くないことのように思って、競うように睡眠時間を削って無理をしてしまう中、時々流れてくる水木先生の言葉やエピソードに( ゚д゚)ハッ!としていました」とツイート。

「クロサギ」の黒丸さんも、「あれだけの作品を描きながら『毎日がっつり寝た方がいい漫画が描ける』とおっしゃったことで、
『死にかけるほど頑張らないといい作品は描けない』と思い込んでた数多くの漫画家の命を救ったと思う。私もその一人」と、
水木さんの姿勢に畏敬の念を示しました。

〔「最後は神様が決めることに従ったらええ」〕「何かうまいものはないの?」
2015年12月02日
 漫画家の水木しげるさん(享年93)が亡くなってから一夜明けた1日、
遺族が「亡き戦友との再会を喜んでいるかもしれない」などとコメントを発表した。

◆布枝夫人「これも神様が決めたこと」
 11月30日に死去した漫画家の水木しげるさんの妻武良布枝(むらぬのえ)さんら遺族が1日、「『最期は神様が決めることに従ったらええ』と言っていた水木。
苦しまず自然に最期を迎えられたことは良かったと思います。
家族に囲まれて穏やかに逝きました」とのコメントを水木プロダクションの公式サイトで発表した。

 【水木さん遺族コメント全文】
 「お父ちゃんが亡くなる」
 信じられないことでした。
 「100歳まではいくようだネ、いや120歳かな」と水木はいつも話していました。

これからも淡々と歳(とし)を重ねていつの間にか100歳を迎える、
今後もずっと同じような日々が続いていく、と思っていました。

 昨年暮れに心筋梗塞で倒れ2カ月入院して、今年2月には車いすでの退院でした。

すっかり体力が落ちたのですが、その後持ち前の強さを発揮して少しずつ歩けるようになりました。

 家から会社までの1kmの道のりを歩けるまでに回復。
食欲も戻って「何かうまいものはないの?」が口癖でした。

 「最期は神様が決めることに従ったらええ」と言っていた水木。
苦しまず自然に最期を迎えられたことは良かったと思います。
家族に囲まれて穏やかに逝きました。

自宅で転倒したことがきっかけになったのはとても残念でしたが、
これも神様が決めたことだったのかも知れません。

 家族を一番大切に思ってくれたお父ちゃん。
これからもきっと見守っていてくれると思います。
今は、亡き戦友との再会を喜んでいるかもしれないですね。

 最後になりましたが、ファンの皆様、関係者の皆様、長い間、
水木を応援していただきまして、ありがとうございました。(スポニチ)

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【平蔵の独り言】
心筋梗塞で倒れ2カ月入院して、今年2月には車いすでの退院でした。
すっかり体力が落ちたのですが、その後持ち前の強さを発揮して少しずつ歩けるようになりました。
 家から会社までの1kmの道のりを歩けるまでに回復。
食欲も戻って「何かうまいものはないの?」が口癖でした。

 「最期は神様が決めることに従ったらええ」と言っていた水木。
苦しまず自然に最期を迎えられたことは良かったと思います。
家族に囲まれて穏やかに逝きました。
自宅で転倒したことがきっかけになったのはとても残念でしたが、

【独り言】
心筋梗塞で倒れ2ヶ月入院⇒車いすでの退院⇒
持ち前の強さを発揮して家から会社までの1kmの道のりを歩けるまでに回復
自宅で転倒したのをきっかけに・・・・・・・

水木しげるさん(93歳) がたくさんの事を残してくれた。

20年前を思い出した。
リハビリの最中、「(杖を買いなさい)」購入したら⇒「杖は使うな」⇒
(「先生が杖を買いなさいと言ったんですよ」)⇒「杖を使わないで退院させる」⇒
退院するとき、婦長さんが「退院する人はめずらしいんですよ!」⇒
(うん? そうか先に退院していった人は“転院” だった)
「(この一言で)」今がある。
杖は現在玄関の飾りになって鎮座している。

そして、やはり怖い転倒をしないように
“日常の中で簡単に実践できることは何でも取り入れる”
一日の一週間のメニューが増えてきている。


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2011年2月25日「楽して、ぐうたらに生きる」を座右の銘にしている、漫画家の〔水木しげるさん〕
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「楽して、ぐうたらに生きる」を座右の銘にしている、漫画家の水木しげるさん
「不安はしょっちゅうだったけど、そんなこと気にしてちゃいかんです。
 やめるって言ったってアンタ、他にやることがない。
 将来、食えなくなったらどうしようなんて、いっさい考えない。
 ただ、ばく進あるのみだから」の水木しげるさん
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by asanogawa-garou | 2016-01-06 16:19 | あの人 この一言 | Comments(0)

【山本周五郎が描いた男たち】(さまざまな男の心情15の物語)   

2013年 01月 16日

【山本周五郎が描いた男たち】(さまざまな男の心情15の物語)

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山本周五郎の小説

「ひとりの人間はひとつの人生しか生きられない。
しかし、ああも生きたい、こうも在りたいと願った人生を、
必ずいくつか持っているはずだ。
小説という世界では、読者のそういう願望を表現することが可能である」

世の中には男があり女がある、哀しいもんだな、
という山本周五郎の人間認識は、汲めどもつきぬ深い含蓄をたたえている。
小説とは、ほんらい人間を描くものだから、男と女が登場するのは当たり前といえるだろうか?

山本周五郎の小説についての持論に、
<死の影で縁どられていない作物は、よい小説ではない>というのがあった。
山本は、生の喜びを死という陰影で、よりなまなましく浮かびあがらせた。

失意と挫折の運命に、希望と光明への期待を匂わせることで、
より迫真的な小説世界を構築した。
生と死、栄光と絶望とは、
ときに裏になり表になってそこに描かれるさまざまな人生の奥行きを、
いちだんと深いものにしていた。

どだい小説とは、
“花鳥風月”を描写するものでなくて
“人間を描く”ことを目的とするものならば、
当然、そうあるべきだと山本周五郎はいうのであった。

――――――――――――――――――――――――――――――――
【男の忍耐】『樅木の木は残った』
日本人という国民はよろずにつけて辛抱がたりない。
粘り強さにかけている。諦めが早い。熱し易く冷めやすい。
これではいけないね、と山本周五郎が云った。


【男の見切り】『虚空遍歴』
「ぼくは、新しい小説に取りかかるとき、いつも遺書を書くつもりで机に向かう」
<苦しみつつなお働け、安住を求めるな、人生は巡礼である>


【男の賭け】『赤ひげ診療譚』
山本が歴史上の有名な英雄・豪傑描くことを拒否したのは、あくまで庶民と生活感情を共有し、かれらに生きる励ましの杖を提供しようとする山本の人生観によるものだった。


【男の宥し】『ちくしょう谷』
俗世間でのいわゆる立身出世というものと、貧しくはあるが、限りない寛容、ゆるしによって得た本当の人間らしい生活と、どちらがたっといか、と作者は問いかけているのである。
人間は弱い生き物で、多くの過ちを犯す。誘惑にも溺れやすい。
作者は限りなくやさしい精神で人間を抱擁しようとする。


【男の献身】『さぶ』
すぐれた小説とは、典型的な人物を創造し得た作品、といわれる。
ところで山本周五郎の作品は、
たやすく出喰わすことのむずかしい粒えりの小説がずらりと並んでいる。
なぜか?
最初にいったように、人物造型がしっかりしているからである。
土台となる人間のデッサンが正確に描かれているためである。
しかも山本周五郎は、こういう性格の人間を書こうと思い定めたら、何年もかけてメモをとり、自分の内部で十分に映像が熟成しないかぎり筆を執らない。


【男の求道】『内蔵允留守』
山本作品には、つねに人生いかに生くべきかの問いかけがあると指摘している。

山本の作品の、“求道性”は、かれの作品の大きな特色のひとつである。
一つの技術に優れ、その技術を誇るものは、同時に自らの技に溺れやすい。
道はどこにでも、身近なところに転がっているのに、
架空の高遠な幻想を求めて、おろかな試行をくり返す者が世の中にはあまりにも多い。


【男の誇り】『ちゃん』
どんな人間にも、秘めたる誇りがある。
傍目からは、あまり格好のよくない男も、
自ら恃むプライドをもっているものである。

『ちゃん』の重吉は、きみのあなたのお父さんなのだ。
そして隣近所に似た小父ちゃんたちが、ホラおおぜい居るよ、と、
作者はわれわれに指さしているのである。


【男の情愛】『つばくろ』
山本周五郎には、「愛」にかかわる小説が多い。
「愛」と云っても、さまざまな態様がある。
取りあげたく思うのは、複雑に屈折した夫婦愛
男女が夫婦となった以上、
愛情の行き違い、誤解、紆余曲折や、
なんどかの危機に当面するのはあたりまえ、といっていいだろう。
そんなとき、どう自分をみつめ、いかにして波風をのり切ってゆくべきかーー。


『四日のあやめ』
人間社会は、すべて法律どおりに運営されるものではない。
人間は感情の生き物だから、“正論”であるがゆえに、
正当に素直に受けとめてくれるとは限らない。
正義正論という鎧に装われた屁理屈よりも、
人間の素裸の真心の表白のほうが、はるかにストレートにひとのこころを打つ。


【男の宮仕え】『蕭々十三年』
「そちは余を他人の纔言で家来を誤りみるほどの愚者と思うか。
今こそ申し聞かせるが、そちは他を凌いでも己いちにん奉公すればよいと考えている。
いかにも出精で、余もうれしく思う。
しかし家来はそちいちにんではないぞ。
そちだけが無二の奉公をして、ほかの者はどうするのだ」

人間が各自の分(本分)をまもるということが、
いかに困難なものであるかを知らされた。


【男の秋霜】『晩秋』
「このたびの御吟味は藩政革新の姿を明らかにするのが主眼で、
罪人を出すのは目的ではないと信じます。
このような調書による裁断は、少なくとも主馬にはできませぬ」
「いやこれが裁きだ」と主計が云った。
「進藤主計を裁くにはここまでやる必要があるのだ、彼を容赦してはならぬ」
主計は自らを「彼」と呼ぶ。


己にもっとも厳しい人物だけがこの難事を成すことができる。
山本周五郎自身も容易に自分を許さぬきびしい小説家であった。


――――――――――――――――――――――――――――――

【男の忍耐】『樅木の木は残った』
日本人という国民はよろずにつけて辛抱がたりない。
粘り強さにかけている。諦めが早い。熱し易く冷めやすい。
これではいけないね、と山本周五郎が云った。
桜の花のちりぎわ散りぎわの潔さを日本人は賞でる、という。
しかしぼくは反対だ。
いのちあるかぎり、藁しべにすがってでも、
最期の最期までおのれの最善をつくすほうに、ぼくは共感する。

真の文化というものは、長い風雪に耐えぬき鍛えぬかれた伝統のうえに誕生するものなので、
日本人のように表面の現象だけに色目をつかって右往左往するような軽薄な国民性からは、
ロクなものが生まれてくるはずがない。
文字においてもまったく同様のことがいえる。

【男の見切り】『虚空遍歴』
山本周五郎は基本的な小説観の支柱として、
死の影が感じられない作品はホンモノではない。
と説くのをつねとした、と書いた。

「ぼくは、新しい小説に取りかかるとき、いつも遺書を書くつもりで机に向かう」

<苦しみつつなお働け、安住を求めるな、人生は巡礼である>

【男の賭け】『赤ひげ診療譚』
山本が歴史上の有名な英雄・豪傑描くことを拒否したのは、
あくまで庶民と生活感情を共有し、
かれらに生きる励ましの杖を提供しようとする山本の人生観によるものだった。

山本とて、ぜったいに英雄や豪傑を描かなかったわけではない。
しかし、英雄・豪傑が小説の素材として爼上にのせられるときは、
否定さるべきもの、唾棄さるべきものとして取りあげられるのであった。

短編「よじょう」は、
吉川英治が人生の求道者とたっとんだ宮本武蔵を、
虚栄にこりかたまったコチコチの棒ふり男と決めつけた痛快な作品であり、
山本はここでは存分に武蔵の非人間性を痛烈に罵倒しているのである。

「『赤ひげ診療譚』論(水谷昭夫)」
<作品(赤ひげ診療譚)は
「現在われわれにできることで、まずやらねばならないことは、貧困と無知に対するたたかいだ」(駆込み訴え)と主張しながら、すべての不幸の原因を「政治」に転嫁するという思考をさけて通る。
どのような「政治」、いつの「時代」にあっても、とりのこされ、嘆きかなしむ役割を背負わされるものがいることをくりかえして語り、その人たちの苦悩のために書く事を信条としている周五郎にとって、
どのような事態においても、責任を他に転嫁して非難するという思考のなかに、
人間の基本的なものの荒廃を見る。
したがって赤ひげは、あたえられた「小石川養生所」のなかで、
このような人間のたたかいをたたかう>

<「あらゆる病気に対して治療法などはない」
と言い切る赤ひげは、保本登に、精一杯、あの「技術と人間」の不条理なかかわりと、その不条理なものと精一杯たたかっている自分の愚かさを開示している>

山本周五郎が描いた“赤ひげ”という人間は、
架空の観念的な男性像などではなくて、
少々きむずかしく見えはしても、まさしくこの世に、
いやいつの世にも実在する隣人なのである。

【男の宥し】『ちくしょう谷』
俗世間でのいわゆる立身出世というものと、
貧しくはあるが、限りない寛容、
ゆるしによって得た本当の人間らしい生活と、
どちらがたっといか、と作者は問いかけているのである。

人間は弱い生き物で、多くの過ちを犯す。誘惑にも溺れやすい。
作者は限りなくやさしい精神で人間を抱擁しようとする。

人間が人間をいったん宥したならば、際限なく宥すべきだ、
適当なところで一線を画すという宥し方は偽善にすぎない、
というのが山本周五郎の持説であり、
その持説を“小説”というかたちに具体化したのが『ちくしょう谷』であった。
この百数十枚の作品は、作者にとっても重いテーマで、脱稿まで四ヶ月を要した。

ようやく書き終えたとき、「こんなスローモーでは商売にならないな」と苦笑したのを、
わたくしは今でも覚えている。

【男の献身】『さぶ』
すぐれた小説とは、典型的な人物を創造し得た作品、といわれる。
ところで山本周五郎の作品は、
たやすく出喰わすことのむずかしい粒えりの小説がずらりと並んでいる。
なぜか?
最初にいったように、人物造型がしっかりしているからである。
土台となる人間のデッサンが正確に描かれているためである。
しかも山本周五郎は、こういう性格の人間を書こうと思い定めたら、
何年もかけてメモをとり、自分の内部で十分に映像が熟成しないかぎり筆を執らない。

安直にチョコチョコとなぐり書きしたような登場人物が、
人間として実在感のある、陰影をもった生き物として描かるわけがないと、山本はいうのであった。
だから山本の作品に登場してくる人物たちは、
どんな端役でも、人間として実際に生きているように感じられる。
それほどに彼は、作中の人物たちと十二分につきあったのちに、彼らを小説化したのである。
だから山本は、作品の登場者たちに、徹底した人間性を付与することができたのだ。

尽くして、尽くして尽くしぬく……という人間として、
もっとも困難にしてたっとい行為のつみ重ねによって、
“さぶ”も無意識のうちに、いつしらず人間完成に近づいていたのだ。

【男の求道】『内蔵允留守』
山本周五郎は、人生派の小説家だと評価する批評家がいる。
これは山本が、小説の目的は、花鳥風月や“事件”を描くものではなくて“人間”を描くものだということを信条としたことからも、当然でてくる批評であろう。

山本作品には、つねに人生いかに生くべきかの問いかけがあると指摘している。

山本の作品の、“求道性”は、かれの作品の大きな特色のひとつである。
「山本さんは長ずるにしたがって、小手先の器用さで変わった趣向の作品を書くことをだんだんやらなくなっていきました。
そのころ『内蔵允留守』という小説がありましてね、うん、これはいいモノだと感服したのを今でもよく覚えています」

一つの技術に優れ、その技術を誇るものは、同時に自らの技に溺れやすい。
道はどこにでも、身近なところに転がっているのに、
架空の高遠な幻想を求めて、おろかな試行をくり返す者が世の中にはあまりにも多い。

しっかりと自己を掌握し、地面に足をつけて、まず足元から一歩一歩を踏み出せ、というのが、
山本周五郎の求道の第一義であったようだ。
求道に当たっては、いかなる方法によるも“道はひとつ”というのが、
山本の確固とした認識で、さまざまな視点から、その考えを示した小説があり、
緊張美をもつ作品として結晶している。

【男の誇り】『ちゃん』山本周五郎は、よくこう云ったものだ。
「ひとりの人間はひとつの人生しか生きられない。
しかし、ああも生きたい、こうも在りたいと願った人生を、必ずいくつか持っているはずだ。
小説という世界では、読者の、そういう願望を、第二、第三の人生として表現することが可能である。
人間というものには、案外、まぬけなところがあって、
とかく自分の都合に関係のあることにしか関心をもたない部分がある。
他人の苦しみやつらさは考えないことはないにしても二の次、三の次まわしにする。
そういう種類のひとびとは、あまり周囲のことを思いやらない。
せっかく大事な人生を現実に生きているのに、ついウカウカと暮らしてしまって、
無意識な生涯を終えるという例が、あんがい多いんだよ。

小説では、そういった、ついウッカリ見過ごしてしまうような人生に光をあてて、
読者の視線をひくことができる。
小説で描かれる社会はもちろん現実そのものではない。
しかし、無神経に生きている人々の生き方よりも、
架空の小説世界での人生のほうに、はるかに真実の人生がある場合があるし、
その小説を読むことによって、自分の人生が、なにか間違っていたのではないか、と反省させられる……というケースも珍しくない。
わたくしはそういう作品を書きたい。それが小説の効用というものだと思う」
というのであった。

どんな人間にも、秘めたる誇りがある。傍目からは、あまり格好のよくない男も、自ら恃むプライドをもっているものである。
くり返すようだが、山本周五郎の小説にあらわれる男性、女性は、外見では、あまり水際だった人物は出てこない。
もちろん例外はあるけれども、颯爽としている登場者は極めて少ないのである。『ちゃん』の重吉も、しがない職人のひとりである。
どこにもここにもいる典型的な小市民だ。
富貴も金銭も、名誉も地位も、しょぼくれた呑んべえの、長屋住人である重吉を中心とする一家の生き方が、人間として、もっとも大切な、生きることの誇りとはなにか!

『ちゃん』の重吉は、きみのあなたのお父さんなのだ。
そして隣近所に似た小父ちゃんたちが、ホラおおぜい居るよ、と、
作者はわれわれに指さしているのである。


【男の情愛】『つばくろ』
山本周五郎には、「愛」にかかわる小説が多い。
小説とは、人間を描くものだというのが信念だった作者にとって、至極当然のことだと思う。

「愛」と云っても、さまざまな態様がある。
隣人愛、自己愛、主従愛、友人愛、兄弟愛、同志愛、師弟愛、国家愛、郷土愛、会社愛、職場愛……など数かぎりないかたちで、愛は人間のこころに存在している。
同志愛とは反対に、敵を愛するこころさえ、人間にはあるのだから。

取りあげたく思うのは、複雑に屈折した夫婦愛
男女が夫婦となった以上、愛情の行き違い、誤解、紆余曲折や、なんどかの危機に当面するのはあたりまえ、といっていいだろう。
そんなとき、どう自分をみつめ、いかにして波風をのり切ってゆくべきかーー。
とくに夫の立場にあるものは、
「おれには自分にできることしかできない、おれは人の苦しむのを見るより、自分で苦しむ方がいい、もしこれが人間を侮辱することになるのだったら、喜んでその責めを負うよ」

自分が忍耐してゆくために、つねに家康の家訓ー人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し、いそぐべからず、という一条を胸に噛みしめる。

ここにも山本が、生涯の坐右の銘としたストリンドベリーの
〈苦しみ悩みつつ、なお働け。安住を求めるな、人生は巡礼である〉


『四日のあやめ』
人間社会は、すべて法律どおりに運営されるものではない。
人間が感情の動物である以上、そしてもちろん侍も人間であるからには、
法という規範を無視しても、意地や面目を立てなければならない場合に、
ぜったいめぐり合わないという保障はない。
人間は感情の生き物だから、“正論”であるがゆえに、正当に素直に受けとめてくれるとは限らない。
正義正論という鎧に装われた屁理屈よりも、
人間の素裸の真心の表白のほうが、はるかにストレートにひとのこころを打つ。

【男の宮仕え】『蕭々十三年』
「そちは余を他人の纔言で家来を誤りみるほどの愚者と思うか。
今こそ申し聞かせるが、そちは他を凌いでも己いちにん奉公すればよいと考えている。
いかにも出精で、余もうれしく思う。
しかし家来はそちいちにんではないぞ。
そちだけが無二の奉公をして、ほかの者はどうするのだ」
半九郎は息が止まるのではないかと思った。
主君の言葉は、彼の全身を微塵に砕くかと思われた。
「戦場では『ぬけ駆けの功名』をもっとも戒むべきこととする。
平時にあっても変わりはない。
己一人が主人のきにいられようとすれば、寵の争奪となり、岡崎五万石は暗となってしまう。
そちの奉公は、ぬけ駆け同然だ。
無役にしたのも反省の機会を与えるためであったが、他人の纔言などとは見下げはてた奴だ。
さような者は余の家臣ではない。いとまを遣わすゆえ、でてゆけ」
半九郎は身動きもせず、面もあげなかった。
肺腑を絞るような声で、半九郎は泣いた。

人間が各自の分(本分)をまもるということが、いかに困難なものであるかを知らされた。

【男の秋霜】『晩秋』
「このたびの御吟味は藩政革新の姿を明らかにするのが主眼で、
罪人を出すのは目的ではないと信じます。
このような調書による裁断は、少なくとも主馬にはできませぬ」
「いやこれが裁きだ」と主計が云った。
「進藤主計を裁くにはここまでやる必要があるのだ、彼を容赦してはならぬ」
主計は自らを「彼」と呼ぶ。
「岡崎藩では」と主計が云っていた。

「襲封このかた、御政治向きには多くの手段を必要とし、領民にも過酷な政治を強いた。
それは藩礎が固まるまで、どうしても必要だったのだ。
今や藩礎は定まった。領民にも耐え忍んでもらったものを返せる時がきた。
新しい政治が始まるのだ、そしてそれは進藤主計の秕政を余すなく剔抉することから始まるのだ」

「しかし、果たしてこれが過誤でしたろうか」
「可斂誅求は政治の最悪なるものだ。
これだけでも進藤主計の罪は死に当たる。
そしてこれは初めから覚悟していたことなのだ。
残念なのは家中から幾人か犠牲者を出したことだ、
中には惜しい者、心を打ちあけてみたい者も少なからずあった。
老人の愚痴になるが、
そういう者に黙って死んでもらわねばならない気持ちは、かなり堪えがたいものだったよ」。

おそらく鈴木主馬だろう、声を殺して咽びあげるのが聞こえてきた。
「自然の移り変わりの中でも、晩秋という季節のしずかな美しさはかくべつだな」
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昭和二十年八月十五日、日本は太平洋戦争に、有史以来の敗北を経験し、
連合軍が進駐して来てこの国の占領者となり、
それまでの日本における価値観が大幅な転換を余儀なくされた。
戦争責任の所在が問題になると、
日本人のなかには“一億総懺悔”論を唱えるムキも出てきたりして、
問題の本質をはぐらかそうとする。
あいまいなままに、なんとかうまくゴマかそうという要領のよい卑劣さが観取されたものである。

戦勢が香しくなくなってからでも、
退却を転進、全滅を玉砕、敗戦を終戦と言い換える小才を弄した不正直さに、
日本人の見えすいた強がりや虚栄を感じて、
不愉快な思いを味わった同胞も少なくなかったはずである。

『晩秋』は、まさにこうした世相を背景に描かれた作品であった。
進藤主計は秕政を徹底的に剔抉される悪徳の政治家として描かれている。
主計は己れの保身をはからないばかりか、
藩礎の固まったいま、自分の責任を徹底的にあばくための資料をみずからの手で作成し、
自らを裁くのである。

武士も俸禄生活者である以上、一種のサラリーマン的な生活側面をもっているといえる。
サラリーマンの大半は、立身出世欲の所有者であり、
ふつうは責任を問われるような仕事は敬遠して、なるべく苦労すくなく甘い汁を吸おうとする。
人間である以上、いたし方のない生存本能みたいなのかもしれない。
自ら責任を取る、ということは、いかにもいさぎよく爽やかだが、実際には至難の行為である。

己にもっとも厳しい人物だけがこの難事を成すことができる。
山本周五郎自身も容易に自分を許さぬきびしい小説家であった。

【平蔵の独り言】
高倉健さんの『プロフェッショナル仕事の流儀』
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』で
【健さんが持ち歩いている愛読書】
木村 久迩典の『男としての人生 山本周五郎のヒーローたち』
以前、薦められて「青べか物語」を読んだが、もう一つ山本周五郎の作品は
ピンと来なかった。

山本周五郎の小説
「ひとりの人間はひとつの人生しか生きられない。
しかし、ああも生きたい、こうも在りたいと願った人生を、
必ずいくつか持っているはずだ。
小説という世界では、読者のそういう願望を表現することが可能である」

・山本周五郎の小説に対する思い
市井の中に生き生きとした人間像を描く
慎ましく生きて来た人達が一番えらい!
市井の人が一番えらい(高倉健〔あなたへ〕)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

独り言ではなく、
映画「あなたへ」と高倉健さん
木村 久迩典の『男としての人生 山本周五郎のヒーローたち』

との出会いに感謝!
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by asanogawa-garou | 2013-01-16 16:58 | あの人 この一言 | Comments(0)

山本周五郎流 「非常識で生きる」【ヘソ曲がり人生哲学】   

2012年 10月 03日

山本周五郎流 「非常識で生きる」【ヘソ曲がり人生哲学】


「人生は、50歳を過ぎてからが本番」

彼独特のユニークな人生哲学は、
世間の常識からはかけ離れているが、
ヘソ曲がりゆえの深い含蓄で、自分らしく生きる知恵を与えてくれる。

〔権威や常識に背を向けた辛辣な言葉から人間社会の真実が見えてくる〕

庶民への愛を貫き、生きることの尊さを描いた小説で読者の魂を揺さぶり続けた
作家・山本周五郎
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【財産】

「浪費のない人生というものがもしあるとすれば、それはもはや人生ではない。
刑務所の生活です」

【酒】

酒は人類が生み出した傑作
《酒がない人生なんて、ほんとうの人生ではない》

【旅行】

大きな旅館やホテルには泊まらない
《旅館に限らず、ビルディングも工場も、
酒場も住宅もマンモス化してきた。

人間の生活も集団化し、
個人の感情は集団の力に屈伏して、
一億右へならえというふうになるらしい。
ぞっとするような傾向である》

【趣味】

道具に凝るのはタブー。精神的な欲深さが大事。

人生これからというときに「脂っ気の抜けた人間」にはなりたくない。
(分別のついた、わび、さびなどと「現実生活の厳しさから目をそらす」のでなく、)
現実の人間や社会に密着すべきで、そのためには精神的欲深さが大事だと説くのである。

【健康】

体には人一倍気を使っていた。
《規則正しい生活を続けていると、人躰は同一刺激によって活力を消耗しやすい。
ときどきバランスをこわし、人為的に耗弱させれば、
却って肉躰はそれを恢復させようとして眼ざめ、活力を呼び起こすものだ》

やけに説得力のある詭弁だが、つまるところ、下手な養生はかえって不養生。
周五郎は、人の生き死には「寿命の問題」で「天命にまかせるのがいい」というのである。
《どっちにしろ、死なないやつは生きるのである》

【交遊】

「人のつきあいは生きてる間だけのものです。
亡くなったあとで、ああもしてあげればよかった、
こうもしてあげればよかった、そんな後悔を残さないよう、
生きてる間に誠意をもってつきあうことが大切です」

●特集「非常識」で生きる十か条 【山本周五郎流ヘソ曲がり人生哲学】
サライ(98/7/16号)
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【平蔵の独り言】
高倉健の愛読書:「男たちの人生」(山本周五郎)
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「プロフェッショナル仕事の流儀」高倉健スペシャルで、
健さんが持ち歩いている愛読書「男としての人生」(1982年 グラフ社)が紹介されていた。
『山本周五郎が描いた男たち』(2010年7月 グラフ社)に、
改題されてようだが絶版ということで、読んでみたい。

以前『青べか物語』を読んだが、正直な気持ち、いま一つピンとこなっかった。

個の人間【山本周五郎】は「ヘソ曲がり」で興味を持った。

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【旅行】

大きな旅館やホテルには泊まらない
《旅館に限らず、ビルディングも工場も、
酒場も住宅もマンモス化してきた。

人間の生活も集団化し、
個人の感情は集団の力に屈伏して、
一億右へならえというふうになるらしい。
ぞっとするような傾向である

------------------------------
一億総中流階級はあっという時間に崩壊して
格差社会になっている。

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【交遊】

「人のつきあいは生きてる間だけのものです。
亡くなったあとで、ああもしてあげればよかった、
こうもしてあげればよかった、そんな後悔を残さないよう、
生きてる間に誠意をもってつきあうことが大切です
------------------------------
生きるということは、こういうことですね。

〔渡辺淳一〕さんが言っている
「いい人だった」なんて、そんなのつまらない!
生きているあいだに精一杯生きなきゃと思った。

今懸命に何かをしなくては
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by asanogawa-garou | 2012-10-03 17:12 | あの人 この一言 | Comments(0)

「神仏を尊び神仏に頼らず」じっとしていること(休養)も必要です。【小野田寛郎(90歳)】   

2012年 08月 07日
「神仏を尊び神仏に頼らず」じっとしていること(休養)も必要です。【小野田寛郎(90歳)】

終戦後、約三十年にもわたりフィリピン・ルバング島の山の中にこもって、帰国した。あれから38年後のいま、どのような死生観をもたらしたのか。
赤裸々に語ってもらった。
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「神仏を尊び神仏に頼らず」(宮本武蔵)
「子供の場合、周りがああだこうだ言って、病気をこしらえていると思う」

「自分がいざ死ぬときは人に迷惑をかけたくない」
と、小野田氏は朗らかに笑う。

食べ物は、その人の身にあったものを食べるのが一番でしょうね。
つまり、好きなものは御先祖様が我々に教えてくれていて、
それさえ食べてればいいようにできてるんだよ。
だから、嫌いなものはできるだけ食べません。

運動も、僕はやりたいときにやる。
毎日散歩しなきゃいけないって言う人もいますけど、

じっとしていること(休養)も必要です。

自分以外に誰も気をつけてくれないんだから、
自分の健康、体調のチェックは毎朝欠かせません。


「心機一転」
身体の調子が悪くてふさぎこんでいたから、心機一転しなきゃ、と。

やっぱり人間、頭半分、身体半分なんです。
頭の部分は、自分で鞭うたないと怠けてしまう。
身体は、内から湧いてくる力がないと、生気はつらつという訳にいかない。

【自分の目的を忘れたら死んだ方が楽】
子供は何も考えなくなった元気でいられますけど、
やっぱりだんだん大人になってくると、頭で補わなければならない。

それに、人間は文明に慣れてるから、
放っといたって健康でいられるってわけでもないんですね。
身体が弱くなってますから、少し頭で考えないと。

週刊文春2012/8/9号
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【小野田寛郎の名言】から
鋼のように強靭に、青竹のように柔軟に、男は「時代」を生き抜いた。

・世の中には出来そうにないことでも、やらなければならないことがあるし、
できることでもやってはいけないことがある


この判断基準こそが、その人の価値を決める。

・生まれた時は自我ばかり、生きるためには自制と自律がなければ

・やってしまったことは「しかたがない」。
これからどうするかだ。
くよくよ負け犬になってしまう。
負け犬は遠くから吠えるだけで向かってこない。

・コンパスは方向は教えてくれるが、川や谷の避け方は教えてくれない。
コンパスばかり見ていると川や谷に落ちてしまう。
自分で考えて判断しなければ。

・若い意気盛んな時に、全身を打ち込んでやれたことは幸せだったと思う。

・馬鹿な人は嫌いだ。
馬鹿な人とは頭のわるい人のことではない。
自分勝手で思いやりや常識のない人のことだ。
人は一人では生きられないのだから。


・自制や自律は筋肉と同じ。
鍛練すれば強くなり放っておくと、生まれた時の自我に戻ってしまう。


・生きることは夢や希望や目的を持つこと。
それらは教えられたり強制されたりしても、湧くものではない。
自分で創り出すしかない。甘えてはいけません。

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【平蔵の独り言】

「死生観」:「死」自分の生きている目的を忘れたら
ということは、「生」生きているというに目的がある。

・好き嫌いではなく、食べたいものを食べる。
・運動も自分に合わせてやる。
・自分以外に誰も気をつけてくれないんだから、
自分の健康、体調のチェックは毎朝欠かせません。

「心機一転」
身体の調子が悪くてふさぎこんでいたから、心機一転しなきゃ、と。

やっぱり人間、頭半分、身体半分なんです。
頭の部分は、自分で鞭うたないと怠けてしまう。
身体は、内から湧いてくる力がないと、生気はつらつという訳にいかない。

自然に生きなさいと言っているんですね。

「煩悩」真っ只中  頑張ろう!
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by asanogawa-garou | 2012-08-07 15:09 | あの人 この一言 | Comments(0)

彼はニコリともせずに言う。「難しいことはしていない」と(我喜屋優・沖縄興南監督)   

2012年 07月 27日

彼はニコリともせずに言う。「難しいことはしていない」と(我喜屋優・沖縄興南監督)

就任3ヶ月で、母校を甲子園に導いた辣腕の野球部監督は、
沖縄では、大げさではなく「長嶋茂雄」並みのカリスマとして讃えられている。
彼はニコリともせずに言う。
「難しいことはしていない」と。
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【絶対に心を読ませない男】

2010年夏、興南は、史上6校目となる春夏連覇を果すと同時に、
県勢として初となる夏制覇を達成した。
「うちはたまたま勝ったわけではない。十分な準備をしてきた結果ですから」

【バカにされても気にしない】
「監督の仕事は逆境を順境に変えることなんだから。
いいんだって、ヘソを曲げれば。
真っ当な人間でいようとするから、おかしなことになる。
変わってるって言われてもいいからやれ、って。
俺も異端児だったからね。
人に何をいわれようと、違うと思ったら改革してきた。
社会人の監督時代もそう。
その日のメニューを考えるとき、仕事中に突然机を離れて、試しに腕立てとか腹筋をやったりするじゃない。
そうすると、会社の女の子に『頭おかしいんじゃないの?』って顔をされたもんだよ」

まったく隙を見せない反面、普通の人では考えられないような隙を見せるときがあるのだ。

また、堅物のようで、ユーモアも忘れない。
私がいちばん気に入ってるジョークはこんなものだ。
近しい知り合いが数人で開いた春夏連覇のお祝いの席でのこと。

我喜屋が登場するなり、ひとりが
「よ!ときの人」と囃すと、
我喜屋は「いえ、いっときの人です」
と返したという。
単なる駄洒落に終わっておらず、なかなか含蓄がある。


だが、本領を発揮するのは、やはりこんな話をしているときだ。
我喜屋の話に耳を傾けていると、
崩すことなど不可能に思われていたコンクリートの壁が、
一瞬にして障子戸に変わるような感覚があった。

「月を見てウサギが住んでると思った人はそこまでの人。
なんとかすれば行けると思った人がいたから、人類は月に行けるようになった。
行けるって言った人は、最初はバカにされたと思うよ。
野球も同じじゃない。
できるはずだって信じた人間が道を切り開いてきた」


この言葉を地で行っているのが、他でもない、我喜屋だった。
圧倒的な自信には、相応の裏付けがある。
我喜屋がこじあけた一枚目の歴史の扉……。

【「琉球人お断り」という時代】
我喜屋は1968年夏、興南3年生のときに「4番・センター」として甲子園に出場。
主将としてチームを牽引し、沖縄勢として初の4強入りを果たしている。
いわゆる「興南旋風」だ。
<全沖縄に“興南台風”国際通りがら空き>
「その頃、本土ではアパートなどに『琉球人お断り』って書いてあった時代。
劣等感を抱えてる沖縄の人間にとっては本当にうれしい出来事だった。
そういう意味で、我喜屋監督は本物の沖縄のヒーローだったんですよ」

【手を抜く選手は絶対使わない】
また興南では生活のルールも徹底的に見直した。
イスの出し入れの際には音を響かせないようにする。
食事中も食器の音をできるだけ立てない。
身だしなみも、ワイシャツは第一ボタンまでしめ、Tシャツやポロシャツであっても裾はズボンの中に入れるなど、約束ごとは細部にわたる。


あるとき我喜屋は鞘から刀を抜くように言った。
「俺はいつも(メンバーから)誰を落とすかしか考えてないからね」
その迫力に射竦められ、何も返せなかった。
すると続けて、
「簡単さ。ここで決めるから」
と言って胸に手を置いた。
「朝の散歩、手を抜いている。
そうじ、手を抜いている。体操、手を抜いている。
全身を使ってアピールしてるじゃない。
僕は絶対にミスをします、って」

甲子園で、ある試合を観戦していた我喜屋が、こう力説していたことがある。
「あそこでセカンドが全速力でカバーに行ってたら、あの試合はわからなかったよ。
あのセカンドはね、普段からチームの約束事、守ってないよ。
俺は、シャツの第一ボタンをしめない、裾を外に出す、そういう選手は絶対に使わない。
小さな決め事を全力でできない子、必ずああいう失敗をするから。
そいつで負けたら、絶対、後悔するもん」


私生活と野球を関連づける指導者は数多くいる。
だが、その多くはどこかタテマエ的だ。
「高校野球らしく」という一種のポーズに映る。

だが我喜屋は違う。
「俺は最初から慌てなかった。
まず、相手に勝てるの、どこからだろうって探した。
だから、片付けの部分、散歩の部分、整理整頓の部分、そっちから始めた。
甲子園なんて、技術の差だけで勝敗が決まるケースはほとんどない。
だいたいがちょっとしたミス。だから逆に小さいことをやってたら、大きなこともできるのさ。
ほんとだよ。小さいことやってたら3ヶ月で甲子園、出れたでしょう?」


我喜屋は指導者になってから、社会人時代を通じて、一度も手を上げたことがない。
この「非腕力主義」は、我喜屋が持つ美点の内、最大のものと言ってもいい。
「何で、はたかないとダメなの?殴ってきかせるのは犬に教えるときのやり方。
その代わり何回も同じこと言うよ。わかるまで言う」

高校野球の名将たち
週刊現代2012/7/21・28号
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【平蔵の独り言】
普通のことを普通に毎日する。

ビックコミック【浮浪雲】に
“ねえ、シンさん 「富士山に登ろうと心に決めた人だけが富士山に登ったんです。
 散歩のついでに登った人はひとりもいませんよ。」

を、思い浮かべた。
我喜屋監督の思いが、「難しいことはしていない」
となっているのか。

でも、難しいことではなく普通のこともしない“今の世?”
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by asanogawa-garou | 2012-07-27 15:14 | あの人 この一言 | Comments(0)

「今日一日、楽しくやろう!」・・・・・【山崎努】(75歳)   

2012年 07月 10日

「今日一日、楽しくやろう!」


僕ぐらいの年になるとさ、残された時間は長くないから、
毎日楽しく生きたいって思うんだよね。

だから現場でも「今日一日、楽しくやろう!」って言うんです。
そうすると不思議なもので面白いことに出会うんです。
この先もどんな楽しいことに出会うのか、それを考えると心が躍るんですよ。


私の地図(あの場所へ帰りたい) 山崎努(俳優)1936年生まれ

週刊現代2012/7/7号

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高校入学時、生活は厳しかったので、僕は家計を支えるために働かなければならなかった。
だから、高校は都立上野高校の定時制に進みました。
一年ぐらいは真面目に通っていたけど、あとはほとんど行かずに上野公園でぶらぶらしてましたよ。
いわゆる落ちこぼれ。成績もドンケツでした。
卒業して、特にやりたいこともなくて、
この先どうしようかなと将来のことを考え始めたときに、
俳優志望の友達に誘われて一緒に俳優座と民藝の試験を受けたんです。
一攫千金で、俳優業で当てたら儲けもんだ、みたいな感覚だったね。
そしたら、両方受かったのに、友達は両方落ちてしまった。

俳優座養成所にいた3年間は非常に充実してました。
一番よかったのは、演技とはこういうものだとか、
何がいい演技だとかっていうのを教えられなかったことだね。
自由にやらせてくれて、ダメなときだけ助言をする教育だった。
これは今でも感謝してます。

僕は本当に運が良くて、
養成所を卒業してすぐ映画やテレビの仕事が来たから、
売れない時期がなかったんですよ。
下積み時代がないの。全然僕の力じゃないのに仕事には恵まれた。
もうこれは運としか良いようがない。


【山崎努】仲人は石原慎太郎氏!元宝塚の妻働かせゴロゴロ

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6.07
 誰もが知る名優は、どのように誕生したのか。
1963年の黒澤明監督作品「天国と地獄」で誘拐犯役を演じ、
一躍スターダムに躍り出た名優に、しばし思い出話をしてもらった。
      ◇
 「天国と地獄で一気に売れ、シンデレラボーイというんでしょうか、ゴールデンボーイとでも言うのかなあ…、一夜にして生活が変わりましたね」

 実感したのは、同じ63年の三船プロ作品「五十万人の遺産」(三船敏郎監督)でフィリピン・ロケに行き、羽田空港に帰国した時だった。

 「カメラマンがバチバチすごいんです。なんじゃこれは、って…。
写す対象は三船さんだとばかり思っていたら、実は僕だった。
犯人役が話題になっているなんて全然知らないんですよ。
フィリピンにいたからね。ああいう経験は面白かったですね」

 複雑な思いも経験した。
「タクシーに乗ると、運転手さんが『あんたがあんな映画をやるから、世の中が悪くなるんだ』なんてことを言われてね。役と僕が混同しちゃってんだよね。事実、あの映画の後、誘拐事件も多発したんです」

 「天国と地獄」を皮切りに仕事は殺到。
だが、当人は逆に役者の仕事から逃げることにした。

 「この世界、一発当たると仕事がわんさかくるんです。
でも、売れた原因は僕の実力じゃない。
黒澤監督がうまく撮ってくれたからで、僕の芝居は“からっ下手”。
僕自身にはなんの力もないんで、と全部の仕事を断ったんです。
充電期間にしよう、とね。とはいえ、食うための最低の仕事はしたんですがね」。
そういってニヤリと笑う。

 同じ年、元宝塚の女優、黛ひかるさんと結婚した。
「結婚して妻に働かせ、僕は家で寝っころがって読書や、毎日ダラダラ過ごしていた。そう、ヒモみたいにね。ははは」

 黛さんとは石原慎太郎氏が脚本を書いたNHKの「アラスカ物語」(1962-63)で知り合った。
「石原さんが『山崎の結婚は俺が仲人なんだよ、俺の作品で知り合ったんだ』って言っているんだけど、あれは本当です。だけど、そのことを石原さんが知っていること自体が僕には意外だった」

 大作家と名優の意外な関係だが、名優は実は作家でもある。
『俳優のノート--凄烈な役作りの記録』(文春文庫)に続き、
このほど『柔らかな犀の角』(文藝春秋)を出した。
2006年から昨年にかけて「週刊文春」に連載したエッセーをまとめたものだ。

 「『ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに』。
これは井上ひさしさんの金言ですが、及ばずながらこれでいきたい」と連載を引き受けたという。


 最近は俳優以外の仕事も増えた。なんと、沖縄「美ら海水族館」の名誉館長でもあるという。

 「『ドルフィンブルー』という映画を5年前に撮ったんです。
美ら海水族館の話で、館長の役をさせてもらいました。
それが縁で内田詮三館長(昨年退任)やスタッフの方々たちが好きになり、
年に1回は水族館に行くようになったんです。
行くと『山崎館長』って呼ばれる。
やっぱり、こっちも好きだと向こうもなじんでくれるんですねえ」。
名誉館長を任命されたのは自然な成り行きだった。

 水族館の話になると、人が変わったような笑顔になった。
目を背けてしまいたくなるような恐ろしい表情から、
ずっとながめていたい優しい笑顔まで、この人にはいくつもの顔がある。
これが名優の顔というものか。(ペン&カメラ・城山仁)

 ■やまざき・つとむ 1936年12月2日、千葉県生まれ、75歳。
高校卒業後、俳優座養成所を経て、59年に文学座に入団。
60年に三島由紀夫の戯曲「熱帯樹」(初演)でデビュー。
同年、『大学の山賊たち』(岡本喜八監督)で映画初出演。
63年の「天国と地獄」を機に幅広く活躍、受賞歴も多数。
2000年に紫綬褒章、07年に旭日小綬賞を受章。
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【平蔵の独り言】
「今日一日、楽しくやろう!」
僕ぐらいの年になるとさ、残された時間は長くないから、
毎日楽しく生きたいって思うんだよね。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
まだ、ここまでの心境になっていないが
たまに肩の力が抜けているかな!
と、思う時もあるけれど たまにですね。

「楽しくやろう!」
ですね。
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by asanogawa-garou | 2012-07-10 17:12 | あの人 この一言 | Comments(0)

九十歳の言いたい放題・人間は身体より心ですよ!(瀬戸内寂聴(九十歳))   

2012年 03月 15日

九十歳の言いたい放題・
人間は身体より心ですよ!(瀬戸内寂聴(九十歳))

――――――――――――――――――――――――――――
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半年近く寝込んだままの状態で、3月11日を迎えました。
とんでもないと思って、ハッと気がついたらベッドから降りて、立ってたんです。
お医者さんからは奇跡だと言われました。
一度立ちさえすれば、少しずつでも歩く練習ができるじゃないですか。
それで歩行器を使ってうろうろしてるうちに回復してきて。

人間は身体より心ということですね。

6月になって名誉住職をしている岩手県の天台寺へ法話に行くことができた。

法話をして、その足で被災地の慰問を始めたんです。
私、長年生きてきて、いまの日本がいちばん悪いと思ってたんです。
カネがすべての世の中になって、堕落した日本はやがて滅びるだろうと。

でも、被災地の子供たちが明るくて、目がキラキラ輝いてる。
いまどきの若者がすごくいいのよ。
被災した人も、ボランティアに来ている人も若者と話したらほんとに〔心根〕がいいし、前向きだし。

無一物からだから、日本はまだやっていけるなと思った。


被災地に行くたびにパワーをもらって、こっちが元気になっていく。
これには驚きましたね。
最初のほうはヨボヨボの顔をしてるのに、
被災地を回っているうちにだんだんシワが消えていくんですよ。(笑)

みなさんそれぞれ立場がおありだから、それを失うのが怖いんでしょう。
私なんてもう九十で、怖いものがないんです。
どうせもうすぐ死ぬんだから何でも言ってやれって。

オール読物(2011/12号)

どん底の状態は続かない 寂聴さん、胸にしみた「無常」

――――――――――――――――――――――――――――
作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(88)が、東日本大震災の被災地に向けたメッセージを寄せた。
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 去年死んでいたら、この未曽有の悲惨な災害は見ずにすんだのにと思ってしまいます。
たまたま私は昨年十一月から背骨の圧迫骨折で入院したり、
自宅で治療をつづけていて、
自分の足で歩けなくなっていたので、
これまでのように、すぐ現地に飛んでいって被災者を慰問することも励ますこともできませんでした。

こんな役立たずになった自分に今、何ができるのかと、
考えつづけ、あらゆる報道に目をさらして、やきもきしていました。

地震に大津波、さらに原発事故と、追い打ちをかけてくる災害は、
地球の終わりを知らされるような怖ろしさでした。

「無常」という仏教のことばが胸にしみました。
一寸先に何が待ち受けているのか知らないのが人間です。

無常:この世の中の一切のものは常に生滅流転(しょうめつるてん)して、
    永遠不変のものはないということ。
    特に、人生のはかないこと。また、そのさま。

人間の能力には限界があり、自然の底力には果てがないということを思い知らされたのです。
 子供の時から耳にこびりついていた非常時という言葉を思い出しました。
この現実こそ非常時でなくて何でしょう。

これを乗り越えるには人々が我を捨て互いの力を合わせ災難に立ち向かうしかないのです。
 一瞬にして、永い歳月えいえいと積み上げてきた家も財産もすべてを失い、愛する家族を目の前でさらわれた人々の絶望を想いやると、痛ましさに身も心も凍ります。

体の動かないわが身が腹立たしく、私は悶々と悩みつづけました。
そのあげく、ふと気づいたら、私の体調は変化していたのです。
寝たっきりで、四六時中あれほど痛がった脚の痛みがずいぶん和らいでいます。
トイレに行けず食事もベッドに運ばれ、
顔も洗えず、風呂にも五十日も入れなかったのに、そのすべてが今はクリアされていたのです。

半年で治るという医者の言葉は正しかったのです。四月で半年目になります。

「無常」とは、同じ状態はつづかないことと、私は法話のたび、話してきました。その通りです。

 今、生き地獄のどん底の状態の日本も東北の被災地の方々も、
このどん底から、気がつけば、変化していたと気づく日が必ず訪れるはずです。

これだけ国民のすべてが心を一つにしてがんばっている努力が報われないことはないと、希望を忘れないでいてください。

私は体がきくようになれば、何でもして少しでも役に立ちたいと今、切実に思っています。待っていてください。
産経ニュース 2011.3.23 [ライフスタイル]

×瀬戸内寂聴「辛くても絶望しないで」×
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【平蔵の独り言】
今の日本人が生きて抜く為に、
瀬戸内寂聴さんのような人が必要なのだ!
力を求めているのだ!

オール読物(2011/12号) に
九十歳の言いたい放題・人間は身体より心ですよ!( 瀬戸内寂聴(九十歳) )

を知った。

戦後の苦労もしたが(生まれた時がそうだったから)、
平和で希望ある時代を生きてこられたと、
感謝して自分のためでなく、人のために何ができるか、
一生懸命働いて、働き続けて命を全うする。
それが一番幸福だと(瀬戸内寂聴)

それが生き抜く糧になる。
自分の意志をしっかりと持って

とも、言っていた。

---------------------------
まだまだ、やはり「旅の途中」
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by asanogawa-garou | 2012-03-15 18:04 | あの人 この一言 | Comments(0)

人生で大切なのは「いかに長く生きるか」ではなく、「いかに楽しく生きるか」である。(天野祐吉(78歳))   

2012年 03月 12日

人生で大切なのは「いかに長く生きるか」ではなく、「いかに楽しく生きるか」である。
(天野祐吉(78歳))しなやかに生きるコラムニスト)


天野祐吉さんにこれからの日本人の「生き方」について聞いてみた。
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「成長のない豊かな社会」へ――江戸時代の暮らしに学ぼう
「成長のない豊かな社会」のモデルのひとつが、江戸時代の暮らしです。
約300年続いた江戸時代は、初期には飛躍的に人口が増えましたが、
幕府が安定してからの200年から250年の間、
ほとんど人口の増減がなかったし、経済成長もゼロだったそうです。

だからといって、江戸時代の人々が食うに困ってたくさん死んでいったかというと、そんなことはない。
たとえ貧乏でも、歌舞伎や浮世絵や落語を産み、すばらしい大衆文化を創造したんです。

明治維新以降、この100余年(20世紀)とは、人間が非人間的になって、
科学の発達=効率第一主義は世の中を便利にしたけれど、
それだけ人間を自由にするということのはずなんだけど、

逆に「信じられるのはおカネだけ」人間はこれを「経済成長」の成果とした。

戦争直後の「貧乏暇なし」から
豊かさの物差しが「お金」と「時間」とするならば、
戦後の日本人は「金持ち暇あり」を目指して
みんな一生懸命働き、高度成長を支えたわけです。

ところが、結果的にはゆとりのない「金持ち暇なし」状態になって、
しかも金持ちといっても、せいぜい小金持ち程度でしょう。

世の中を元気にするためには、まず言葉が元気にならないといけない。
今の日本は言葉が元気じゃない。


言葉というのは、人と人とをつなぐ一番の道具なのに、
ろくに挨拶もしない現代では人間関係が希薄になって当然です。

元気な言葉を使うということは、
想像力で相手の気持ちをくみ取ろうとすることです。
相手の言った言葉だけじゃなく、その向こうにある気持ちをも理解しようとすることです。
もちろんしっかりした挨拶ができるようになれば社会も変わるという単純な話ではないけれど、

言葉を大事にして、言葉が元気だとそんな元気な言葉に支えられて、生きていく。

これからは「貧乏暇あり」が・・・・・・・・・・・一番
―――――――――
週刊現代(3月10日号)
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天野祐吉さんは自身のブログで[天野祐吉のあんころじい]2011-09-07

いい国へ行こう[ことばの元気学]

で、このように言っていた。

豊かさを測るモノサシは二つある。お金と暇だ。カネ尺とヒマ尺。
で、この二つのモノサシを使って測ると、いくつかの生活スタイルが浮かび上がる。

①貧乏暇なしの生活
②金持暇ありの生活
③金持暇なしの生活
④貧乏暇ありの生活
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【平蔵の独り言】
人生で大切なのは、「いかに楽しく生きるか」
〔アメリカの価値観・・・・・・・・・・・・・・・自由と自立〕
「最後までどう生きるか」と同じですね!
自立できる社会の仕組みができれば、
病気・老いに対するケアは充実?しているが
健康な老いに対する自立のサポートがない。

東京タワーができた頃まで、東京オリンピックの頃までかな?
近所のばあちゃん(おばさん)たちは、
やかましい世話焼き”ばばあ”で温かかった。
この頃まで ①貧乏暇なしの生活(というより みんな貧乏)

街灯テレビに集まって、「力道山」のプロレスを見たり
「長嶋」(背番号3)に熱狂したり、
「美智子妃殿下」の馬車列に気品があってきれい

必ず、口やかましい 世話焼き”ばばあ” がいた。

39年の東京オリンピック・高速道路・新幹線
40年代からの高度成長に入ってから
45年の大阪万博で人気パピリオンに殺到したり

国民すべて中流階級意識(一度も金持ちにはなっていないのに)

気がつけば、④貧乏暇ありの生活(?いつまでも働け!)

戦後の苦労もしたが(生まれた時がそうだったから)、
平和で希望ある時代を生きてこられたと、
感謝して自分のためでなく、人のために何ができるか、
一生懸命働いて、働き続けて命を全うする。
それが一番幸福だと(瀬戸内寂聴)


それが生き抜く糧になる。
自分の意志をしっかりと持って

と言っている。
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by asanogawa-garou | 2012-03-12 17:31 | あの人 この一言 | Comments(0)

『育てるチカラ』沖縄・興南高校野球部(我喜屋優監督)VOL.3~5   

2011年 11月 02日
『育てるチカラ』沖縄・興南高校野球部(我喜屋優監督)
ビッグコミックオリジナル「育てるチカラ」沖縄・興南高校野球部 我喜屋優監督
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昨年、沖縄の興南高校が史上六校目となる春夏の甲子園連覇を達成した。

――――――――『育てるチカラ』 ・Vol.1

【最後の言葉まではっきりさせる(言葉と挨拶)】

「お前たち、そこで挨拶の練習をしろ。
(おはようございます、こんにちは)。やってみろ!」

【裏の部分を一生懸命やっている】

裏の部分を一生懸命やっている生徒を大切にしないといけないんです

【無駄は必ず、あとで役に立つんです】

「試合に出られない、それは嫌な経験かもしれない。
ただスタンドで立っているだけだもの。
でも、嫌な経験は数多くすれば実になる。
社会で成功するのは選手よりもマネージャーとか裏方の方が多いじゃないですか。今は無駄かもしれない。でも、そこから人間は覚えていくんです。

――――――――『育てるチカラ』 ・Vol.2

【常識にとらわれてはいけない。
今ある逆境から逃げてはいけない。
野球選手である前に、人間として強くなれ…
社会に出る前に必要なことを我喜屋は教えてくれる】
【野球ができればどこでもいい】(逆境は友達になった方がいい)
【大切なのはこれからの人生だ】

我喜屋は外れた選手にはこう言ってきた。
「試合に出るのも出ないのも関係ない。
大切なのはこれからの人生だ。
将来、社長になってメンバーを使ってやれ。
今は、そのための修修業だと思って、頑張れ」

――――――――『育てるチカラ』・Vol.3

【野球で勝つためには「準備」が必要である。
なかでもっとも重要なのは――、意外にも「躾」】

野球には私生活が出る。
「躾」は、日常の気遣いや気配りにつながっている。
〔躾〕とは行儀作法のことで、人間形成の根幹にあたる。
そこには神仏や自然への感謝と共に謙虚さ、
協調性といった人が生活を営む上での大切な教えが含まれる。
【アイデアが浮かんだら実行する】
【野球には私生活が出る】

 〔一人前の大人にならないと一人前の野球ができない〕
「野球には私生活が出る。私生活から正さないとダメ何です」
これが我喜屋の信念である。
「社会に出たら自分のことは自分でやらなきゃいけないでしょう。
みんな修行の身なんですから」
【野球は気配りの勝負だよ】
 〔五感を鍛えておかないと第六感は働かないよ〕

――――――――『育てるチカラ』 ・Vol.4

【食事は躾の基本である】

「食べ物に無関心な親はダメです」
千円を渡して買って食べなさいという親がいる。
一方に忙しくても自分で作った弁当を持たせる親がいる。
その差は大きいという。
「お金を持たせる親の子は、やはり好き嫌いが多い。
そういう子は反応が悪いし挨拶もできない。
だから食事から指導しないといけないんです」

【小さな綻びを見落としてはいけない】

「子供だって光を当てて水をやり、風を当てないと干からびる。
ようは環境ですよ。環境があって技術があれば心も豊かになる。
特に大切なのが光ですね。
光を当てず、大人が見て見ぬふりをしていたら
どうしていいかわからなくなる。
心の中は見えないけど、一緒にいれば表情からわかる」

【選手を育てるのは愛情ですよ】

「社会人は大人の集団だから放っといても自分たちでやる。
こっちは手取り足取りやるもんだから、それが嫌で早く大人の野球ができるようにしたのさ。
その方が楽でしょう(笑)」
現代の高校生を大人にするには、周到な準備と大変な労力が必要だ。
「選手を育てるのは愛情ですよ」

――――――――『育てるチカラ』 ・Vol.5

【人生は野球だけじゃない】

「野球のスコアボードは9回だけど、人生のスコアボードは一生続く。
お前たちはその長いスコアボードを戦っていくんだ」
「人生は野球だけじゃない、野球だけ出来てもダメだって教えられました」

【根拠があるから選手はやるしかない】

練習試合になると、監督は自分たちの欠点を容赦なく指摘してくる。
試合開始から終わりまで、ずっと怒っています。
選手は、そこから自分に足りないものを探し、なにをすべきか考え、
「ノルマ」以外の練習で繰り返し覚えていく。
「感じる」「考える」力が必要なのだ。
ところが公式戦になると一転、我喜屋は全く怒らない。
それまでに「教えた」というより「学んだ」野球を見せて来いというわけだ。
「大会は楽しかった」

【監督は厳しいだけじゃない】

〔いちばん厳しいのは私生活ですよ〕
「監督は厳しいだけじゃない。ミーティングでも褒めるときは褒めてくれた。」

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――――――――
『育てるチカラ』沖縄・興南高校野球部(我喜屋優監督)・Vol.3
【野球で勝つためには「準備」が必要である。
なかでもっとも重要なのは――、意外にも「躾」】

野球で勝つためには「準備」が必要である。
なかでもっとも重要なのは――、意外にも「躾」と我喜屋監督はいう。
野球には私生活が出る。
「躾」は、日常の気遣いや気配りにつながっている。
野球のカバーリングに通じる日常の気配りというフォローが、
チーム力の基となる。
連帯感と協調性とを育てる。
そして、そのことに気づくために選手自身の「考える力」が必要なのだ。

【アイデアが浮かんだら実行する】
〔いつも試合で起こりそうな、実戦的な練習はないか考えてますよ。
アイデアが浮かんだら実行する。必ず結果はでますね〕
日常の練習から試合に向けた準備の蓄積が自信を生み、堂々と自分たちのプレイとなってできる。


【野球には私生活が出る】

〔一人前の大人にならないと一人前の野球ができない〕

「今の子どもは昔の自立型と違って、なんでも両親にやってもらう依存型だから、なにもできない。なにも考えられない。
でも、野球は自分のことは自分でしなければいけないんです。
一人前の大人にならないと一人前の野球ができないんです。
だから、うちは野球選手の前に立派な大人になれるように厳しく躾をしているんです」
〔躾〕とは行儀作法のことで、人間形成の根幹にあたる。
そこには神仏や自然への感謝と共に謙虚さ、協調性といった人が生活を営む上での大切な教えが含まれる。
ところが現在の高校野球は、勝つことばかりに目が向き、人間教育が抜け落ちている。野球が終わったとき、その選手に果たして何が残るのか。
将来を考えた指導がなされていないのだ。
「よその選手たちを見て驚いたことは一度や二度じゃないですよ。
食べ方も片づけ方もなっていないし、身なりも高校生らしくない。
食事の最中、子どもたちを置いて帰ってしまう指導者までいるからね」
食べ方、片づけ方は感謝の現れである。身なりは協調性といっていいだろう。
「野球には私生活が出る。私生活から正さないとダメ何です」
これが我喜屋の信念である。
「社会に出たら自分のことは自分でやらなきゃいけないでしょう。
みんな修行の身なんですから」
夕食で驚いたのが、実に静かなこと。
52人の高校生が無駄口を叩かず、食器も鳴らさない。
残飯もほとんどない。こういった「躾」が日常生活から徹底されているのだ。


【野球は気配りの勝負だよ】

〔五感を鍛えておかないと第六感は働かないよ〕
朝6時、キャプテンの挨拶で選手は四方八方に散る。
15分後、公園、駐車場の空き缶、ゴミを拾って集合。
そこで4~5人が指名され、一分間スピーチが行われる。
思ったこと、感じたことを発言するのだ。
「監督からは散歩中に考えろと。だからネタを探すのに必死です」
これが我喜屋流指導の原点であり、躾であり、「考える力」である。

15分程度の間に1分間話せるだけの材料を探すことは、大人だって難しい。
草木の成長、虫の様子、雲の変化から季節を感じ、拾ったゴミから捨てた人を想像する。道路工事や家の建築から未来を思う……
毎日毎日、考え続けることで想像力が豊かになり気づくことが多くなる。
「野球は気配りの勝負だよ。あるいは第六感、直感の勝負といっていい。
普段から五感を鍛えておかないと第六感は働かないよ」
視覚、聴覚、嗅覚、触覚を散歩でフル活動、朝食で味覚も鍛えられる。
発達した五感は第六感を生み、気配りのできる敏感な心を育む。
これがどれだけ野球に役立つか、社会に役立つか。

ゴミ拾いも同じだ。心を育てる。
「あれは自分の心を洗うんです。面倒くさいけど気持ちいいよ。
自分の後から来る人は汚いものを見なくてすむしね。
それはゴミを落としたやつのカバーでもある。
野球はミスしたやつに文句を言うんじゃなくて、
いち早くカバーすることが大切じゃないですか」

時に、カバー=気配りはエラーした選手の、打たれた投手の心まで及ばなくてはならない。自分の言葉で勇気づける。
特にリーダーなら落ち込んだチームに、自分の態度で諦めないことを示す必要がある。
「日常生活がしっかりしている人間は発言もちゃんとしているし技術も高い。
面倒くさいことを一生懸命やるから精神力も強い。
日常の小さいことの積み重ねが大きな成功を生むんです」

我喜屋は、野球の技術だけでなく、
心の部分もしっかりバランスのとれた人間を育てたいのだ。
それが選手の将来のためであり、強いチーム作りのためでもある。
どんなにうまかろうが野球は所詮、一生の一部にすぎない。
監督として野球部という部活動から社会を教え、部員全員に自信を与える。
それは学校で教えてくれるどんなことよりも、大切なことかもしれない。


――――――――
『育てるチカラ』沖縄・興南高校野球部(我喜屋優監督)・Vol.4
・自分に対するちっちゃな期待を確実にこなすこと。
・うちの選手は自分のことは自分で操る。
【食事は躾の基本である】
「日々、成功体験を味わえば、あとで大きな成功につながるんです」
「今日はすべて右打ち」
「絶対に打ち上げない」
「苦手な球を克服する」
と決めて達成すれば成功である。
毎日の成功体験の積み重ねが選手の自信に繋がり、大人の集団に成長させる。
我喜屋が求める「大人」とは?
協調性、道徳心、計画性、行動力を挙げる。
言うなれば年齢ではなく、経験値の問題だ。

そのため躾から選手を指導し、それらを根底から支える「我慢」を育んできた。
泣きたいときに泣けばいいといった自由な感情表現「自然体」が素晴らしいとされて
長いが、裏を返せば辛抱できないということである。
「我慢」は家庭でも学校でもあまり強いられない。
野球に限らずスポーツには「我慢」比べの局面が多い。
社会に出れば必要な場面ばかりだ。
辛抱できない人間は逆に弾きだされる世の中である。
だからこそ、我喜屋は家庭にも苦言を呈する。
「食べ物に無関心な親はダメです」千円を渡して買って食べなさいという親がいる。一方に忙しくても自分で作った弁当を持たせる親がいる。
その差は大きいという。
「お金を持たせる親の子は、やはり好き嫌いが多い。そういう子は反応が悪いし挨拶もできない。だから食事から指導しないといけないんです」

〔週末は選手一人300円を徴収して時間のある母親たちに昼食を作ってもらう。チーム全員が合宿所で同じものを残さず食べることで一体感が生まれ、
作ってくれた人への感謝と「我慢」が芽生える。
食事は躾の基本であることを忘れてはいけない。〕


【小さな綻びを見落としてはいけない】

「練習は常に全力といっても、走塁練習なんかベース直前に力を抜くでしょう。あれじゃ間一髪の場面でセーフにならない。
アウトの練習しているようなもんでしょう。
絶対に全力で駆け抜けてセーフになる練習をしないと。
監督はそういう小さな綻びを見落としてはいけないんです。
そのためには自分も動いて、常に五感を拡げて、
選手個々やチームの状態を把握しておかないと。
だいたい監督が動いていないと周りも動いてくれませんよ」
気や力を抜いた練習は心が疲れる。
その点、全力で練習すると体は疲れても気力は充実する。
充実した練習は必ず選手を逞しく育てる。
「子供だって光を当てて水をやり、風を当てないと干からびる。
ようは環境ですよ。環境があって技術があれば心も豊かになる。
特に大切なのが光ですね。
光を当てず、大人が見て見ぬふりをしていたらどうしていいかわからなくなる。心の中は見えないけど、一緒にいれば表情からわかる」

部員全員に毎日、その日の反省をノートに書かせる。
すべて提出させたら見る側の体力が厳しいうえ、
選手も人を真似たりするから効果も薄い。
だから数人を選んで抜き打ちで提出させるのだ。
そこで選手の悩みを知る。
光を当て、アドバイスという水を与えれば、明確な目標は見えてくる。

我喜屋の言葉で、もう一つ重要なのが「自分から動く」ということだろう。
それを象徴するのが練習内容である。
「スイング1000回」や
「階段上り下り」「腹筋・背筋」
といったメニューがならぶ。
すべて我喜屋自身が体験したもので、
社会人野球の大昭和製紙北海道のコーチ時代から続くことで、
自分でメニューを考え、体験してから指示してきた。
「どのくらい走ればぶっ倒れるとか自分で体験して、選手に言い訳させないだめですよ」この説得力には誰も反論できない。
また「競走」でもゴールしてからの対応に目を見張る。
早くゴールした者は終了、遅い者はもう一周は、よくある話だが、
我喜屋の場合は真逆だ。
「なんで競走に負けた選手に練習させて、頑張った選手を帰すの。
早くゴールした者が次の練習に進んで、遅れた選手は帰れ、でしょ」
発想の逆転である。練習は辛いものと考えるかわ上達するものと捉えるか。
練習はペナルティではない。指導者の考え方次第で、チームのスタート地点が違ってしまうのだ。


【選手を育てるのは愛情ですよ】

そもそも我喜屋は高校野球の指導者になるつもりはなかった。
社会人野球監督経験者にすれば、あまりにも幼く思えたのだ。
「社会人は大人の集団だから放っといても自分たちでやる。
こっちは手取り足取りやるもんだから、それが嫌で早く大人の野球ができるようにしたのさ。
その方が楽でしょう(笑)」
これまでの高校野球は、自分の命令だけを聞けばいいという監督が多かった。それはただの子供扱いにすぎない。
「子供の野球は監督が操る。うちの選手は自分は自分のことは自分で操る。
そこに違いがある」
現代の高校生を大人にするには、周到な準備と大変な労力が必要だ。
「選手を育てるのは愛情ですよ」
それでも選手に変わろうとする意志が感じられなければどうするか。
「変わるまで言い続けるしかない。
それもただ言うんじゃなくて、変わってくれよと願わないとダメ。
変わらないよ」

選手を上手に育てる魔法はない。
選手のことを真剣に考え、手間暇をかける。
中途半端は絶対に許されない。
そこに指導者の覚悟が試される。
流されやすい現代社会に立ち向かうだけの哲学と意識が必要だろう。
ただ、成長した選手の姿は、それ以上の喜びをもたらしてくれるようだ。
5月中旬、興南高校を訪ねると中間試験の時期だった。
午前中に試験が終わると選手たちは午後1時から5時まで練習。
終わると制服に着替え、家路につくのかと思えば、校舎に吸い込まれていった。
選手たちが自主的に教室を借りて、
野球部全員で2時間ほど勉強するというのだ。
以前、紹介した野球部の5つある委員会のひとつ
「学力向上委員会」が仕切ってのことである。
「ほかの部はやってないよ。野球部だけ。うちは赤点が許されないからね」
一瞬、口元が緩んだ。
うちの子どもたちは野球だけじゃないんだ、そう誇らしげに宣言していた。

――――――――
『育てるチカラ』沖縄・興南高校野球部(我喜屋優監督)・Vol.5・自分が決めた道を信じてやればいい。
・逆境を楽しめ。ピンチはチャンス。

【人生は野球だけじゃない】

進路に関し、選手個々と我喜屋監督が面談をする
「自分が決めた道を信じてやればいい。
これが社会人としての第一歩だから、頑張れ」
我喜屋は選手の決断に水を差すことはしない。
常に「考える」ことを求めた選手の決断を尊重する。
我喜屋のこの言葉がある。
「野球のスコアボードは9回だけど、人生のスコアボードは一生続く。お前たちはその長いスコアボードを戦っていくんだ」
「人生は野球だけじゃない、野球だけ出来てもダメだって教えられました」

【根拠があるから選手はやるしかない】
根拠は人を素直にさせる。だが、弱い心が顔を出す時もある。
1000スイングを始めとする種類も量も豊富な「ノルマ」メニューをこなせばそれ相応の力はつくが、時間との戦いである。
練習試合になると、監督は自分たちの欠点を容赦なく指摘してくる。
試合開始から終わりまで、ずっと怒っています。
選手は、そこから自分に足りないものを探し、なにをすべきか考え、
「ノルマ」以外の練習で繰り返し覚えていく。
「感じる」「考える」力が必要なのだ。
ところが公式戦になると一転、我喜屋は全く怒らない。
それまでに「教えた」というより「学んだ」野球を見せて来いというわけだ。
「大会は楽しかった」


【監督は厳しいだけじゃない】

〔いちばん厳しいのは私生活ですよ〕
「時間のことや身だしなみとか。朝の散歩だってもっと寝かせてくれと思いましたよ。でも起きるとすっきりする。
服装もどんなに暑くてもシャツの第一ボタンまで締めて裾はズボンの中に必ず入れるんです。最初は抵抗ありましたよ。
でも、それが当たり前になってきた時、
結構、チームとしてまとまってきた気がしました」
・身だしなみは「協調性」を生むが、さらに一体感をうんだ。
・規律を重んじたことで強い仲間意識が芽生え、それが互いを助け合う気持ちを生む。
私生活の厳しさが、結束力を生んだ。
「監督は厳しいだけじゃない。ミーティングでも褒めるときは褒めてくれた。」


ビッグコミックオリジナル
「育てるチカラ」沖縄・興南高校野球部 我喜屋優監督

昨年、沖縄の興南高校が史上六校目となる春夏の甲子園連覇を達成した。


【平蔵の独り言】
「育てるチカラ」のコラムは人生の4コーナーから最終ストレッチを走っているのに思ったほど成長していない日々を過ごしている中で、
なるほどと興味を持って、楽しく読んでいる。
我喜屋優監督は何も変わったことをしていない。
ただ、今みんなが忘れてしまっている事の積み重ねをしている。

・挨拶、食事、食事の片付け。
・身なり、気配り、日常生活を一生懸命にやる。
・「躾」は、日常の気遣いや気配りにつながっている。
・〔躾〕とは行儀作法のことで、人間形成の根幹にあたる。
【食事は躾の基本である】:「食べ物に無関心な親はダメです」

「面倒くさいことをコツコツ一生懸命やると精神力が強くなる。」
「小さい積み重ねが成功を生む」
「選手を育てるのは愛情ですよ」
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by asanogawa-garou | 2011-11-02 17:26 | あの人 この一言 | Comments(0)

『育てるチカラ』沖縄・興南高校野球部(我喜屋優監督)VOL.1~2   

2011年 11月 02日
『育てるチカラ』沖縄・興南高校野球部(我喜屋優監督)
ビッグコミックオリジナル「育てるチカラ」沖縄・興南高校野球部 我喜屋優監督
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昨年、沖縄の興南高校が史上六校目となる春夏の甲子園連覇を達成した。

――――――――『育てるチカラ』 ・Vol.1

【最後の言葉まではっきりさせる(言葉と挨拶)】

「お前たち、そこで挨拶の練習をしろ。
(おはようございます、こんにちは)。やってみろ!」

【裏の部分を一生懸命やっている】

裏の部分を一生懸命やっている生徒を大切にしないといけないんです

【無駄は必ず、あとで役に立つんです】

「試合に出られない、それは嫌な経験かもしれない。
ただスタンドで立っているだけだもの。
でも、嫌な経験は数多くすれば実になる。
社会で成功するのは選手よりもマネージャーとか裏方の方が多いじゃないですか。今は無駄かもしれない。でも、そこから人間は覚えていくんです。

――――――――『育てるチカラ』 ・Vol.2

【常識にとらわれてはいけない。
今ある逆境から逃げてはいけない。
野球選手である前に、人間として強くなれ…
社会に出る前に必要なことを我喜屋は教えてくれる】
【野球ができればどこでもいい】(逆境は友達になった方がいい)
【大切なのはこれからの人生だ】

我喜屋は外れた選手にはこう言ってきた。
「試合に出るのも出ないのも関係ない。
大切なのはこれからの人生だ。
将来、社長になってメンバーを使ってやれ。
今は、そのための修修業だと思って、頑張れ」

――――――――『育てるチカラ』・Vol.3

【野球で勝つためには「準備」が必要である。
なかでもっとも重要なのは――、意外にも「躾」】

野球には私生活が出る。
「躾」は、日常の気遣いや気配りにつながっている。
〔躾〕とは行儀作法のことで、人間形成の根幹にあたる。
そこには神仏や自然への感謝と共に謙虚さ、
協調性といった人が生活を営む上での大切な教えが含まれる。
【アイデアが浮かんだら実行する】
【野球には私生活が出る】

 〔一人前の大人にならないと一人前の野球ができない〕
「野球には私生活が出る。私生活から正さないとダメ何です」
これが我喜屋の信念である。
「社会に出たら自分のことは自分でやらなきゃいけないでしょう。
みんな修行の身なんですから」
【野球は気配りの勝負だよ】
 〔五感を鍛えておかないと第六感は働かないよ〕

――――――――『育てるチカラ』 ・Vol.4

【食事は躾の基本である】

「食べ物に無関心な親はダメです」
千円を渡して買って食べなさいという親がいる。
一方に忙しくても自分で作った弁当を持たせる親がいる。
その差は大きいという。
「お金を持たせる親の子は、やはり好き嫌いが多い。
そういう子は反応が悪いし挨拶もできない。
だから食事から指導しないといけないんです」

【小さな綻びを見落としてはいけない】

「子供だって光を当てて水をやり、風を当てないと干からびる。
ようは環境ですよ。環境があって技術があれば心も豊かになる。
特に大切なのが光ですね。
光を当てず、大人が見て見ぬふりをしていたら
どうしていいかわからなくなる。
心の中は見えないけど、一緒にいれば表情からわかる」

【選手を育てるのは愛情ですよ】

「社会人は大人の集団だから放っといても自分たちでやる。
こっちは手取り足取りやるもんだから、それが嫌で早く大人の野球ができるようにしたのさ。
その方が楽でしょう(笑)」
現代の高校生を大人にするには、周到な準備と大変な労力が必要だ。
「選手を育てるのは愛情ですよ」

――――――――『育てるチカラ』 ・Vol.5

【人生は野球だけじゃない】

「野球のスコアボードは9回だけど、人生のスコアボードは一生続く。
お前たちはその長いスコアボードを戦っていくんだ」
「人生は野球だけじゃない、野球だけ出来てもダメだって教えられました」

【根拠があるから選手はやるしかない】

練習試合になると、監督は自分たちの欠点を容赦なく指摘してくる。
試合開始から終わりまで、ずっと怒っています。
選手は、そこから自分に足りないものを探し、なにをすべきか考え、
「ノルマ」以外の練習で繰り返し覚えていく。
「感じる」「考える」力が必要なのだ。
ところが公式戦になると一転、我喜屋は全く怒らない。
それまでに「教えた」というより「学んだ」野球を見せて来いというわけだ。
「大会は楽しかった」

【監督は厳しいだけじゃない】

〔いちばん厳しいのは私生活ですよ〕
「監督は厳しいだけじゃない。ミーティングでも褒めるときは褒めてくれた。」

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お前たち、よくこれで甲子園を目指します!
         なんて言えたな、と(苦笑)。

興南高校野球部(我喜屋優監督) Number734号(2009/7/30)
「僕が興南に監督として来たときの子どもたちには驚いたねぇ。寝ない、起きられない、食べられない、整理整頓できない、挨拶できない、しゃべれない。もう、ないない尽くしで、お前たち、よくこれで甲子園を目指しますなんて言えたな、と(苦笑)。だから、生活面では容赦しなかった。学ぶ力があれば野球はうまくなるんですよ。『なんくるないさ(なんとかなるさ)』なんて絶対に言わせない。時間厳守、整理整頓、挨拶の徹底。それが、こんちわですよ」
と監督に就任した'06年当時を振り返る。「なんくるないさ(なんとかなるさ)なんて絶対に言わせない」と生活面の指導を徹底。'10年には甲子園の春夏連覇を成し遂げ、沖縄にはじめて大優勝旗をもたらした。
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「魂知和」と書いて「こんちわ」と読む。

 こん、ちわ?
「ああ、それはね、『魂知和』と書いて『こんちわ』と読むんです。興南の野球部の創部当時のモットーなんです」
 魂を込めてこそ時間を守れる。整理整頓に知恵を使い、挨拶を徹底することで仲間との和を築く。そうか、だから“こん”がハッキリと聞き取れたのか。
 こん、ちわー。
 彼らの挨拶は、今の興南が目指す場所を象徴していた。興南は、我喜屋監督が就任して早々の'07年夏、いきなり沖縄大会の決勝戦に進んだ。

こん、ちわー。
 遥か彼方の選手たちが一斉に帽子を取って頭を下げる。陽射しが照り返して、眩い眼下のグラウンドには、真っ白なユニフォームを着た130人の野球部員が散らばっている。
 こん、ちわー。
 こん、ちわー。
 ちわー、ではない。こん、ちわーなのだ。こん、が遠くからでもハッキリと聞こえる。高校球児は、ちわー、とか、ちわーす、だと思っていたのに、興南球児は全員が、こん、ちわー、だったので、やけに新鮮だった。
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『育てるチカラ』沖縄・興南高校野球部(我喜屋優監督)・Vol.1
【最後の言葉まではっきりさせる(言葉と挨拶)】
選手たちの練習を中断をさせた。
「お前たち、そこで挨拶の練習をしろ。
(おはようございます、こんにちは)。やってみろ!」
掛け声に不満を持った監督の指示に、選手はニ組に分かれ、大声で挨拶を始める。
我喜屋は選手たちの声を背後に聞きながら言った。
「ほらね、後ろがはっきり聞こえない。
沖縄の子はね、発声がちょっと苦手なんですよ。
最後の言葉まではっきりさせることが、
ゲーム中においても的確な指示に繋がるんです」
確かに「おはようございまぁ…」と聞こえる。
「次、(オーライ、任せた。)10回ずつ」
ふたたび我喜屋の声が飛ぶ。
「たまにこういう練習させますよ。絶対、身に付くから。
そうすると試合でも自然と声が出るようになるんです」
この日、我喜屋は選手たちに試合時の整列と挨拶、日常生活の挨拶から試合中の掛け声まで、言葉に意識を持たせ、さまざまな発声練習をさせた。
一見、野球とは結び付かないが、我喜屋の指導法は、こういった礼儀・作法が野球に繋がることを教えてくれる。
たとえば昨秋の九州大会順々決勝、勝てばセンバツ出場をほぼ手中にできる大事な試合を、興南高校はミスで落とした。
決定的な場面で送りバンドを投手と三塁手が譲り合い、その後タイムリーと犠牲フライで三点を失って得点6-5とわずか一点の差で敗れたのだ。
「選手たちはショックだったと思う。ほんとちっちゃなミス、オーライ、任せたという声の掛け合いができなかっただけで大きな甲子園出場を逃したんだもん。声を大にして言うけど、小さいことができないと大きなものを失うんです。
言葉と挨拶は大切ですよ」
そして語気を強めてたたみかけた。
「高校野球の場合、先輩を見ていたらわかるだろう、は当てはまらない。
毎年、一からやり直しです。新チームになってすぐは保育園児。
そこから始まって小学生、中学生、
夏までに高校野球へ成長させなくてはいけない」
高校野球の監督には辛抱強さが必要なのだ。
それも技術や戦術といった高度な野球の指導ではなく、
まさに保育園の園児を教えるように人間教育から始めなくてはならない。

【裏の部分を一生懸命やっている】
次の言葉に耳を疑った。
「うちは特待生をとりません」
興南高校は通常とは違う角度から採用している。
「最初は高野連も信用してくれなかったけど、
私は中学生を勧誘しないし、OBの推薦も受け付けない。
最初からゲーム出場が約束されているような特待生がいたら、
ほかの子のやる気がなくなる。
だから通常の特待生はとりません。
そのかわり学歴優秀とか模範となる生徒には入学後に奨学金制度がある。
模範というのは(大人)。
協調性があり、練習、授業、先生に対する態度など総合的に優れて、
なおかつ経済的に大変と思える生徒ですよ。
ただ私は推薦するけど最終的には理事会が決めること。
監督が決めたら偏見が出るからね。
だから選手じゃなくてマネージャーが奨学生になることもある。
試合に出るから模範というわけじゃないよ。
裏の部分を一生懸命やっている生徒を大切にしないといけないんです」

特待生という存在は野球を強くするには簡単かつ有効な制度である。
ただ、その扱いを間違えると不平等が際立ち、
チーム内に不協和音を生む諸刃の剣でもある。
よく生徒のことをミカンにたとえ、
腐ったミカンがひとつあると、箱の中のミカンはすべて腐ってしまうと言われる。
だが、逆に真面目なミカンがあると、みんな真面目になっていくから面白いと
我喜屋は言う。
興南高校も我喜屋が就任した時は正選手の6~7割が特待生、
でも、活躍したのはそのうち一人か二人。あとは無駄金だよ

現在、興南高校野球部に入るためには、一般学生と一緒に受験し合格する必要がある。
「どんな選手でも、入学して興南高校の一員になってから入部する。
その考えは貫いています。だから、どんな選手が来るかわからない(笑)。
ただ入学したら横一線からのスタート。それが大切です。
選手のやる気が違うし、自ら興南を選んだ一生懸命な子なら、
こっちも心から育ててやろうという気になります」
大切なのは選手のやる気である。
我喜屋はそれを引き出し、(大人)へと成長させチーム力を増大させてきた。
一年生は、とにかく部に放り込んで慣れさせるのが肝心というが、
練習に来なくなる部員はいる。我喜屋は基本的に待つ姿勢だ。
「なれるまで強制はしません。ノイローゼになるからね。
今の子は精神的に弱いから、昔のように軍隊式は無理。
根性の要らない時代に育っているから精神面も配慮しないと…」

【無駄は必ず、あとで役に立つんです】
興南高校では一年生だけの紅白試合がある。
病院で腸炎と診断され、長期間休んでいた一年生が治ったと言って参加し、
翌日から腹痛を訴えた。
「こうなったら難しいよ。ただ三年間、辞めるなよ、とだけは伝えました。
だって卒業後の方が人生は長いんですよ。
最後まで部活を続ければ先輩後輩合わせて200名以上のネットワークができる。将来に向けて人脈は多いほうがいいじゃないですか」

たが、選手のなかには将来のことより、試合に出られない今が辛く思える場合もある。
「試合に出られない、それは嫌な経験かもしれない。
ただスタンドで立っているだけだもの。
でも、嫌な経験は数多くすれば実になる。
社会で成功するのは選手よりもマネージャーとか裏方の方が多いじゃないですか。
今は無駄かもしれない。でも、そこから人間は覚えていくんです。
東大合格者の多いことで有名な進学高校は無駄のない受験勉強をしているというけど、心の教育をしているか疑問が残る。
そういうエリートばかり集めても組織はうまく機能しない。
エリートばかり集めたチームは勝てない。
細かいところに気が回らない選手じゃ勝てるわけがない。
いろんな無駄を知っているからこそ、細かいところにまで気がつくようになる。
無駄は必ず、あとで役立つんです」

今春、卒業した部員は入学時53名で、卒業時にも45名が残っていた。
そこには選手が辞めないための工夫があるのだが、

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『育てるチカラ』沖縄・興南高校野球部(我喜屋優監督)・Vol.2
【常識にとらわれてはいけない。今ある逆境から逃げてはいけない。
野球選手である前に、人間として強くなれ…社会に出る前に必要なことを我喜屋は教えてくれる】

〔やっぱり野球は外でやらないと〕
午前中の激しい雨が小雨になった午後、
選手たちは長靴をはき、ウインドブレーカーを身につけ打撃練習を始めた。
「雨が降ったら、なんで練習、中止にするの?」
「やっぱり野球は外でやらないと、特にバッティングは、子どもの箸と同じで毎日やったほうがいいんですよ」
興南高校の我喜屋監督は当たり前のように涼しい顔で答える。
「私の野球はすべて、なんで?から始まるんです」
・雨の中でボールがダメになるなら濡れても構わないボールを使えばいい。
・グランドが荒れるなら整備すればいい。
常識にとらわれず、やれない理由をひとつずつ潰していく。
それが我喜屋の考えだ。

【野球ができればどこでもいい】 (逆境は友達になった方がいい)

1968年、夏の甲子園で興南高校が初のベスト4進出を果たした。
「興南旋風」のチームの主将が我喜屋だった。
卒業すると北海道白老町にある大昭和製紙北海道へ、
1月のこと。一面銀世界。気温は氷点下10度を下回っていた。
「寒いなんてもんじゃない。寒いって言わない。大変って言わない。プラス思考でいくって」
そして降り積もる雪を見ながら、こう思ったという。
「逆境は友達になった方がいい。逃げていたらいつまでも追いかけてくる。
逆境が普通になれば逆境は逆境でなくなるんです」
我喜屋はグラウンドにある雪を取り除いた。
「氷点下15度ぐらいなら十分に練習できますよ」
雪をどけて練習を始めた大昭和製紙北海道は日に日に強くなった。
そして1974年、都市対抗野球で優勝。黒獅子旗が初めて津軽海峡を渡ったのだ。
「逆境を乗り越えると精神的に強くなる。人前でも上がらなくなるんです」

【大切なのはこれからの人生だ】
我喜屋の指導を現すキーワードが、「逆境」、それと「役割」である。
「ベンチ入りのメンバーじゃない人間がいかに頑張ってくれるか。
チームのために自分を犠牲にできるか。
それができる選手が多いから、うちは勝てるんです」
高校野球とはいえ、ベンチ入りメンバーだけで勝てるほど甘くはない。
メンバーのために練習を手伝い、
スタンドで応援してくれる控え選手の心づかいがあるからチームが一丸となって勝ち進むのだ。
選手と控えに亀裂の入ったチームは、些細なピンチで脆く崩れ去る。
そこに心が入っていないためである。
我喜屋は外れた選手にはこう言ってきた。
「試合に出るのも出ないのも関係ない。大切なのはこれからの人生だ。
将来、社長になってメンバーを使ってやれ。今は、そのための修修業だと思って、頑張れ」
メンバーに引き上げられないと、悔しさを前面に出す選手もいる。
「それは素直に出せばいい。でも監督として情けはかけない」
毅然とした態度が信頼を育んできた。
また、興南高校野球部には独自の委員会がある。
「環境保全委員会」
「時間/風紀委員会」
「学力向上対策委員会」
「節約委員会」
「記録/情報分析委員会」
「チームワーク委員会」。
部員全員がどこかに所属しチームのために働く。
チームの一員という自覚を持つことで選手自身が一人一人、自分の役割を考える。
それがチームに一体感を生むのだが、同時に選手が社会に出ていく準備も作り上げているのだ。
自分はどうやって社会や会社に貢献するか。
それが「考える力」である。


ビッグコミックオリジナル
「育てるチカラ」沖縄・興南高校野球部 我喜屋優監督

昨年、沖縄の興南高校が史上六校目となる春夏の甲子園連覇を達成した。

【平蔵の独り言】
「育てるチカラ」のコラムは人生の4コーナーから最終ストレッチを走っているのに思ったほど成長していない日々を過ごしている中で、
なるほどと興味を持って、楽しく読んでいる。
我喜屋優監督は何も変わったことをしていない。
ただ、今みんなが忘れてしまっている事の積み重ねをしている。

・挨拶、食事、食事の片付け。
・身なり、気配り、日常生活を一生懸命にやる。
・「躾」は、日常の気遣いや気配りにつながっている。
・〔躾〕とは行儀作法のことで、人間形成の根幹にあたる。
【食事は躾の基本である】:「食べ物に無関心な親はダメです」

「面倒くさいことをコツコツ一生懸命やると精神力が強くなる。」
「小さい積み重ねが成功を生む」
「選手を育てるのは愛情ですよ」
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by asanogawa-garou | 2011-11-02 16:41 | あの人 この一言 | Comments(3)