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〔人生〕“人生って”普通じゃダメなんですか!〔「人生設計」っていうけれど、「人生」って「設計」できるのだろうか?〕   

2017年 10月 05日
〔人生〕“人生って”普通じゃダメなんですか!〔「人生設計」っていうけれど、「人生」って「設計」できるのだろうか?〕

〔人生〕人生って“普通”じゃ、ダメなんですか?

〔「人生設計」っていうけれど、「人生」って「設計」できるのだろうか?〕

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〔理不尽が付きまとう人生〕

〔人生、いまが好きだ。そんな人生になればいいな!〕
そんな充足感は健康でなければ、味わえない。

心も身体も“時の移ろうんだから”合わせて、年齢に応じて変えていかないと!


〔「年のせい!」〕

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「年のせい!」という病気はない。「どう幸せ!」になるか病気に向き合う。

30代で悩んでいたようなことを80代でもやっぱり悩んでいるし
それはいくつになったって同じ

若そうにしても、60歳になれば60歳が、70歳になれば70歳〕

“誉められる”と嬉しいし力が湧くもんだ!
旅はまだ続く(人生まだまだ続く)

〔人生は働くことよ〕(1943年生まれ73歳)メルボルン女性

〔つるむな!〕
人生、欲しく欲しくでもうまく思い通りにいかない!

〔才能はないけど、努力ならできる〕


2017/9/25〔人生は山あり谷あり「それって普通じゃねえか」〕【ビートたけしの一言】

〔君は、いまある自分と、違う自分を想像できるか。〕
想像だけならたやすいが、真剣にそれを考えることができるか。
私は歳だから、もうそういうことはやめる。
「50歳過ぎたら開き直りだ」〔北方謙三1947年生〕


〔人生は山あり谷あり「それって普通じゃねえか」〕ビートたけしの一言
人生は山あり谷あり。良い時もあれば、つらい時もあるものです。


〔だいたい生きるってことが“たの苦しいこと”ですからね〕佐藤愛子
「本音を言えば、「本が売れて、何がめでたい」(笑)」


「生きているなんて辛いなんて思ったことはない。生きているからいろんなことができた(内海桂子(94歳))」

93歳!今なお現役 爆笑漫才師・内海桂子

大正、昭和、そして平成と生き抜く女性は、今もなお三味線と都々逸などを舞台で披露している。
その人は〝芸人〟内海桂子さん、93歳。

「人間、持って生まれた性分で、精一杯生きるより仕方ないんでしょ?精一杯生きる。誰もそれしかないんだな」(新撰組沖田総司)
人事を尽くして天命を待つ。

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【平蔵の独り言】
〔「人生設計」っていうけれど、「人生」って「設計」できるのだろうか?〕

【独り言】
時折思い描いて、歩いてきた道が「人生」だと思うから「設計」は・・・・・

【平蔵の独り言】
〔「年のせい!」〕

「年のせい!」という病気はない。「どう幸せ!」になるか病気に向き合う。

30代で悩んでいたようなことを80代でもやっぱり悩んでいるし
それはいくつになったって同じ

〔若そうにしても、60歳になれば60歳が、70歳になれば70歳〕
“誉められる”と嬉しいし力が湧くもんだ!

【独り言】
古希になって、「健康」と向き合い、悩んでいることは変わらない。
気が付けば、年齢は重ねてきたが、人間としての経験は積んできたのか!

これが「年のせい!」




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by asanogawa-garou | 2017-10-05 15:05 | 今 今日この頃 | Comments(0)

〔人生は山あり谷あり「それって普通じゃねえか」〕【ビートたけしの一言】   

2017年 09月 25日
〔人生は山あり谷あり「それって普通じゃねえか」〕【ビートたけしの一言】

〔北方謙三氏「50歳過ぎたら開き直りだ」〕

〔だいたい生きるってことが“たの苦しいこと”ですからね〕佐藤愛子

〔93歳!今なお現役 爆笑漫才師・内海桂子〕
「生きているなんて辛いなんて思ったことはない。生きているからいろんなことができた(内海桂子(94歳))」

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【〔人生〕人生って“普通”じゃ、ダメなんですか?】

〔人生は山あり谷あり「それって普通じゃねえか」 → 苦しい時に読みたいビートたけしの一言〕
2017/2/5ビートたけし, 北野武

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①人生は山あり谷あり「それって普通じゃねえか」

人生は山あり谷あり。良い時もあれば、つらい時もあるものです。


〔「人生設計」っていうけれど、「人生」って「設計」できるのだろうか?〕

〔君は、いまある自分と、違う自分を想像できるか。〕想像だけならたやすいが、真剣にそれを考えることができるか。
私は歳だから、もうそういうことはやめる。〔北方謙三1947年生〕

北方謙三氏「50歳過ぎたら開き直りだ」

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②北方謙三氏「50歳過ぎたら開き直りだ」
遊びも決して手抜きをするな! 創刊記念インタビュー

 JAGZY創刊記念インタビューの第1弾として、小説家の北方謙三氏に人生充実の生き様について聞いた。
遊ぶために働き、働くために遊ぶ。
「俺にオン・オフはないのさ」と言い切る北方氏。船に乗り釣りをすることも、スポーツーカーで疾走することも、銀座で飲み歩くことも、すべて小説のネタになるから全力で遊ぶ。
「すべてが必要経費なんだよ」と言うが、税務署だけは認めてくれないという。
齢は“定年”過ぎの65歳。しかし、パワフルな生き方は、ますます磨きがかかっている。その秘訣とは。(写真=八木澤芳彦)


〔だいたい生きるってことが“たの苦しいこと”ですからね〕
佐藤愛子
「本音を言えば、「本が売れて、何がめでたい」(笑)」

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「生きているなんて辛いなんて思ったことはない。生きているからいろんなことができた(内海桂子(94歳))」span>

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93歳!今なお現役 爆笑漫才師・内海桂子

大正、昭和、そして平成と生き抜く女性は、今もなお三味線と都々逸などを舞台で披露している。
その人は〝芸人〟内海桂子さん、93歳。
終戦後の当時まだ〝女性漫才コンビ〟が珍しい時代に、内海桂子・好江でコンビを結成。28歳だった桂子さんはすでに2児の母だった。
一方、コンビを組むことになった好江さんは14歳。
倍ほどの年齢差があり、ひとたび舞台を降りれば2人はコンビではなく師弟関係。稽古を積み、テンポの良い"江戸っ子漫才"で、やがて人々を笑いの渦に引き込んでいく。
そして結成から30年後、漫才界では初となる「芸術選奨 文部大臣賞」を受賞。名実ともに、漫才界を代表するコンビとなった。
さらに、桂子さんは64歳の時に出会った24歳年下の男性と交際。
その13年後、周囲の反対を押し切り晴れて夫婦となる。
今ではその年下の夫がマネージャーに。
93歳の今も、24時間、夫と離れる時はない。
今回は、数々の困難を乗り越えてきた、内海桂子さんの波乱万丈の人生を紹介する。


【独り言】
〔人生〕人生って“普通”じゃ、ダメなんですか?

毎年、身近な人とのお別れ、行きつけの喫茶店が今月2店閉店
“いつか”とか“そのうち”とか口にしている日々に

“今”、“今日”生きている人生が“普通”なんですね・・・・・・・・・

人生って“普通”


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by asanogawa-garou | 2017-09-25 16:27 | 今 今日この頃 | Comments(0)

〔人生は取り越し苦労の連続か〕これまで思い悩んだことのうち、98%は取り越し苦労だった(マーク・トウェイン)   

2017年 09月 06日
〔人生は取り越し苦労の連続か〕これまで思い悩んだことのうち、98%は取り越し苦労だった(マーク・トウェイン)


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①「シガー ラベルの世界」〜葉巻の箱の小さな芸術〜
MARK TWAIN マーク・トウェイン
葉巻会社:Wolf Brothers Cigar Company (米国)
制作年 :1915年

『トム・ソーヤーの冒険』などの作者であるマーク・トウェインの死(1910年)を悼んで制作された。
•身長:174 cm
•書籍:ハックルベリー・フィンの冒険、もっと見る
マーク・トウェイン、本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズは、
アメリカ合衆国の作家、小説家。ミズーリ州出身。


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②Mark Twain
マーク・トウェイン(1835年~1910年)
米国の小説家。「トム・ソーヤーの冒険」の著者。
「マーク・トウェイン」の由来、”by the mark, twain”は、水深約3.6mのことで、蒸気船が座礁せず通航できる限界の浅さ。

〔人生は取り越し苦労の連続か〕これまで思い悩んだことのうち、98%は取り越し苦労だった(マーク・トウェイン)

思ったようにいかないこともある。トラブルに見舞われることもある。
周囲の人に誤解されることもある。
一生懸命やっていることをきちんと評価してもらえないと感じるかもしれない。

身近なグループから疎外されていると感じることもある。
順風ばかりが吹くわけではなく、いつまで続くか分からない逆風にさらされることもあるのだ。
身近に支え合う仲間がいれば耐えられるのに、
つらいときに限って、誰にも相談できず、
たった一人で立ち向かわなくてはならない状況だったりもする。

いったいどうしたらいいのだろう。このままでは失敗してしまう。
つらくて耐えられない。逃げ出したい。
自分が至らなかったからこうなったのか。力が足りないのかもしれない。余計なことをしたのがまずかったのか。

答えはない。特効薬もなさそうだ。ただ耐えるしかないのだろうか。
思い悩んでもどうにもならないとき、今の悩みは、後から振り返ると、きっと、取り越し苦労だったと思えるようになる。
マーク・トウェイン(アメリカの小説家)


きょうの言葉 北國新聞2017/08/14

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③「マーク・トウェイン」の由来、”by the mark, twain”は、水深約3.6mのことで、蒸気船が座礁せず通航できる限界の浅さ。

英語の名言・格言【マーク・トウェイン】

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④【マーク・トウェイン】名言・格言
・人生で必要なものは無知と自信だけだ。
 これだけで成功は間違いない。

・自分が多数派の側にいると気づいたら、もう意見を変えてもいいころだ。

・やったことは、例え失敗しても、20年後には、笑い話にできる。
しかし、やらなかったことは、20年後には、後悔するだけだ。

私がこれまで思い悩んだことのうち、98パーセントは取り越し苦労だった。

夢を捨ててはいけない。
夢がなくても、この世にとどまることはできる。
しかし、そんな君はもう生きることをやめてしまったのだ。

私に批判的な人たちが、私のことを何と言おうと、
彼らが真実を語らない限りは気にしない。

我々が皆同じ考え方をしたからといって、
それが一番いいということにはならない。
競馬だって、意見の違いがあるからこそ成り立つのだ。

気の利いた即席のスピーチの準備には、大抵3週間以上かかる。

48歳より前に悲観主義者になる者は物事を知りすぎ、
48歳を越えてもなお楽観主義者である者は物事を知らなさすぎる。

若いうちはどんなルールにも従っておくのが良い。どうせ歳をとればルールを破る力が手に入るのだから。


【平蔵の独り言】
〔人生は取り越し苦労の連続か〕これまで思い悩んだことのうち、98%は取り越し苦労だった(マーク・トウェイン)

古希を前に“くよくよ”して対して成長していない!
こんな“きょうの言葉”が目に留まった!

【独り言】
思い悩んでもどうにもならないとき、今の悩みは、後から振り返ると、きっと、取り越し苦労だったと思えるようになる。

古希になっても悩んでいることは同じだろうし、
いままでの悩みも過ぎて見れば、何だろうと忘れているのだから、
毎日“取り越し苦労”と付き合っていく“生きている証拠”・・・・・



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by asanogawa-garou | 2017-09-06 15:34 | 今 今日この頃 | Comments(0)

〔人生は一度しかない。〕「老いは突然やってくる。だんだんと年老いていくのかと思っていたのだが」   

2017年 06月 30日
〔人生は一度しかない。〕「老いは突然やってくる。だんだんと年老いていくのかと思っていたのだが」

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「老いは突然やってくる。だんだんと年老いていくのかと思っていたのだが」エミリー・ディキンソン(アメリカの詩人)

【「老いは突然やってくる。だんだんと年老いていくのかと思っていたのだが」】

人生は一度しかない。
老いていくことを経験する機会も一度だけだ。


「老い」がどんなものか、古今東西の書物から学ぶことができないわけではない。
だが、書物に書かれた「老い」がそもそも何歳の時のことだか分からない。
読み取れるのは抽象的な「老い」ばかりだ。

・身近な年上の人のようすや言葉からなら、年齢と付き合わせることができる。

・人生の先輩たちの動作を見ながら、言葉を聞きながら、「まだ自分は大丈夫」と思う。

そして何年か後に「ああ、ついに自分にも来たか」とまた思う。

・疲れが取れない。

・息が切れる。
・体が硬い。
・目がよく見えない。
・動作が鈍い。
・視野が狭まる。

・どの項目も、漏れなくやって来て、服用する薬の数が増えてくる。

・ゆっくり、そして、確実に、衰えてくる。

・突然、転ぶ。振り返っただけでは体が硬くて後ろが見えない。
・眼鏡を置いた場所を思い出せない。


毎日伸びる髪の毛に、ある日突然我慢できなくなって散髪したくなるのと同じように、ある日突然、自分の新しい衰えに気づくのだ。

きょうの言葉2017/6/30北國新聞


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②老いは突然やってくる
【平蔵の独り言】
「老いは突然やってくる。だんだんと年老いていくのかと思っていたのだが」
こんな“きょうの言葉”が目に留まった!

【独り言】
急にこの2週間程、腰痛に襲われてる。
「老い」を認めてないと突っ張っているが、
その実、素直に認めている自身がいる。

先日、基幹病院の受付で「車いすで行きましょう」
→“いや、何とかいけます”
→「お仕事をさせてください」
→(何故か素直に)“はい!ありがとうございます”

自身、辛いくせに強がっている。
 何十人、何百人と見ていて人には
見透かされているのだ!

【平蔵の独り言】
「老い」と「生きる!」を実感している日々が

“幸せ”:“自分の脚”で“普通のことができる”→「生きる!」

〔古稀〕を「生きる」とは、受け入れることはすごいことだ。(寺島しのぶ)

エミリー・ディキンソン(アメリカの詩人)
1830年代の詩人が「老いは突然やってくる」

しかし、古希は“痛い”(腰痛は痛い)・・・・・・・



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by asanogawa-garou | 2017-06-30 16:00 | 今 今日この頃 | Comments(0)

 【国谷裕子】「地球は人間なしで存続できても、私たちは地球がなければ存続できない。先に消えるのは、私たちなのです」地球維持する取り組み、伝えたい 国谷裕子さん   

2017年 02月 10日

 【国谷裕子】「地球は人間なしで存続できても、私たちは地球がなければ存続できない。先に消えるのは、私たちなのです」地球維持する取り組み、伝えたい 国谷裕子さん

朝日新聞デジタル20171310138

〔このままだと地球がもたない。〕

 「地球は人間なしで存続できても、私たちは地球がなければ存続できない。先に消えるのは、私たちなのです」


 
Gsのとりまとめに奔走したナイジェリア出身のアミーナ・モハメッドさんから聞いたことばが忘れられません。

 先ごろ国連の副事務総長に抜擢(ばってき)されたアミーナさんは、故郷でチャド湖を見ながら育ちました。

けれども、彼女が子どものころ海だと思っていた琵琶湖の40倍もある大きな湖は、今は温暖化と灌漑(かんがい)の影響で消滅の危機にあります。

 このままだと地球がもたない。

その危機感から各国が共同で変革に取り組んでいくために産み出されたのが、SDGsです。

 2年半に及ぶ多国間交渉でようやくまとまった国際合意なのですが、私は2015年9月に国連総会で採択される直前まで知りませんでした。

番組作りのためいろいろなアンテナを張って情報収集をしていたというのに、動きがあることすら知らなかった。

とても恥ずかしく思いました。

 採択目前に取材に入ったニューヨーク。

SDGsの合意形成に関わった人たちの間には、地球の限界が見えてしまっているという危機感が共有されていて、SDGsを手がかりに、世界を変えていくのだという強い思いを感じました。

 けれども日本では、SDGsは積極的に取り上げられませんでした。
1年以上たった今も、よく知られていません。

どこまでできるかわかりませんが、SDGsを伝えていく使命を感じています。


 ニュースキャスターとして16年3月まで23年間、日本社会の課題と世界の変化を追いながら、ありとあらゆるテーマに切り込みました。
そうしたなかで、ひとつの問題に向き合って解決策だと思ったことが、別の問題を引き起こすことがあり、課題解決の難しさを実感することが多くなっていました。

 そんな私にとって、SDGsとの出会いは、とても新鮮でした。

地球を維持していくための17の目標から逆算して、必要な行動を考える発想。

互いに深いところでつながっている課題を解決するために、経済、社会、環境などをつなげてとらえ、統合的に解決していく手法。

かつてない意欲的な取り組みに、大きな可能性を感じています。

 SDGsに合致しているかどうかを問うことが、政治や経済、生活のありようを変えていく糸口になります。

私たちは「新しいものさし」を、手に入れたのです。

それを使いこなしていくことは、政府だけでなく、企業や市民にも求められています。


 目標の達成に向けて、日本が弱いと指摘されている分野があります。貧困や
ジェンダー、エネルギー、気候変動などです。

一人ひとりの認識が変わらなければ、達成は遠のくばかりではないでしょうか。

 情報の発信と共有が必要です。

私もメディアの一員として、SDGsを広めていくお手伝いができたらと思っています。

20120825〔たまたま現在は、人類が地球の主人公ヅラしているけれど、太古は植物や恐竜が主人公だった。〕

サルの時代だってあったわけだから、われわれは大きなカオはできないのである。

水をグビグビ飲んでいるけれど、水が液体でいられるのは、
1気圧のもとで摂氏0度から100度までの、わずかの間だけ。
もしも地球と太陽との距離が、現在の
85パーセント以下に縮まると、
計算上、海の水はすべて蒸発してしまう。

逆に、現在の1.2倍以上に広がると、海は凍りついてしまう。

〔水が液体のままでいられる、地球と太陽の、この絶妙な距離の、何という幸運!〕
太陽は誕生してからほぼ46億年たっているそうだ。
あと50億年ほどは水素を燃やしながら輝きつづけたあと、膨張して太陽の表層が地球スレスレになる。
地球は蒸発して、消える。ただし人類は、とっくに死に絶えている。
あと10億年もしないうちに地球の表面温度が100度にまで上がる可能性があるからだ。
「地球にとって私たち人類のかわりはいくらでもいるのです」

人類が主人公でいてくれてよかったなあ!
と地球がシミジミつぶやいてくれるような生きかたを選ぶのか?

週刊現代2012/8/1825
人生のことば〔第76回〕轡田隆史

【平蔵の独り言】

 「地球は人間なしで存続できても、私たちは地球がなければ存続できない。先に消えるのは、私たちなのです」(国谷裕子)

太陽が膨張して地球がなくなる。(50億年)

10億年で地球の表面温度が100度(水がなくなる)


〔このままだと地球がもたない。〕

その前に このままだと地球がもたない。

 先ごろ国連の副事務総長に抜擢(ばってき)されたアミーナさんは、故郷でチャド湖を見ながら育ちました。

けれども、彼女が子どものころ海だと思っていた琵琶湖の40倍もある大きな湖は、今は温暖化と灌漑(かんがい)の影響で消滅の危機にあります。

やっぱり、何をチマチマと今の主人公はやっているのやら?
国谷裕子さん が教えてくれた。


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by asanogawa-garou | 2017-02-10 16:15 | 今 今日この頃 | Comments(0)

箱根駅伝の復路10区で神奈川大学選手とワゴン車があわや衝突のトラブル発生!   

2017年 01月 10日
箱根駅伝の復路10区で神奈川大学選手とワゴン車があわや衝突のトラブル発生!

箱根駅伝であわや事故 交通規制の連携ミス
•1月5日 15時26分
箱根駅伝の復路10区で神奈川大学選手とワゴン車があわや衝突のトラブル発生!
〔連携ミスで車止められず〕

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3日に行われた箱根駅伝の復路で、神奈川大学の選手が都内の交差点にさしかかった際、交通規制が適切に行われず、選手が車にはねられそうになっていたことがわかり、規制を担当していた警視庁は担当者の間に連携ミスがあったとしたうえで、「再発防止に努めたい」としています。

トラブルがあったのは、箱根駅伝の復路のゴール地点の手前にある東京・千代田区の日比谷交差点で、警視庁によりますと、3日午後1時半ごろ、神奈川大学の10区の選手が交差点にさしかかった際、交通規制が適切に行われず、左から来た車にはねられそうになりました。
選手が直前でスピードを緩めたため、事故にはならなかったということです。

この交差点の交通規制は、数人の警察官が選手の通過に合わせて断続的に車を止める方法で行われていました。
交差点の手前にいる警察官が選手の通過を確認すると、交差点内の警察官に車を止めるよう無線で連絡しますが、トラブルがあった際は担当者の間に連携ミスがあり、情報共有がうまくいかず、一部の車を止めることができなかったということです。

警視庁は「警察官の連絡方法の見直しなど、再発防止に努めたい」としています。
関東学連「再発防止を」
箱根駅伝を主催する関東学生陸上競技連盟は「大会の交通規制は、すべて警察にお願いしているが、これまでの大会でこのようなことはなかった。選手の安全を第一に考えているので、来年以降の大会でこうしたことが起きないように警察と協議して再発防止に努めていきたい」と話しています。

〔連携ミスで車止められず〕
トラブルがあった日比谷交差点は、日比谷通りと晴海通りが交わる交通量の多い場所で、警視庁によりますと、当時、神奈川大学の選手は、日比谷通りを大手町方面に走っていました。

この交差点の交通規制は、数人の警察官が選手の通過に合わせて断続的に車を止める方法で行われていて、当時、交差点からおよそ数十メートル手前の日比谷通りにいた警察官が選手の通過を確認すると、無線を使って交差点内の複数の警察官に車を止めるよう連絡しました。

その結果、霞が関方面に向かって走行していた車は止まりましたが、銀座方面に走行していた車は連携ミスで情報共有がうまくいかず、止めることができなかったということです。

【箱根駅伝の復路10区で神奈川大学選手とワゴン車があわや衝突のトラブル発生!】
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3日にあった第93回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)のコースになっていた東京都内の国道1号交差点で、車の規制ができておらず、神奈川大学の選手が車にはねられそうになっていたことがわかった。
規制にあたった警察官の連携ミスが原因といい、警視庁は「再発防止に努める」としている。
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トラブルは3日午後1時半ごろ発生。
主催者の関東学生陸上競技連盟や目撃者によると、復路10区で神奈川大の選手が日比谷交差点(千代田区)を通過しようとした際、左から横断する車列が途切れず、選手とワゴン車が衝突しそうになった。
直前で選手が速度を緩め、レースは続行した。
警視庁交通規制課によると、同交差点では選手の通過に合わせて断続的に車を止める規制を実施。
手前の地点で通過を確認した警察官が、交差点にいる警察官に無線で連絡し、規制する手順だった。
神奈川大の選手の時は、通過の連絡はしたが連携がうまくいかず、東進する3車線が規制されなかった。
対向車線は止まっていた。

他の選手が通過した際は、問題はなかったという。
警視庁は連携強化や配置する警察官の増員を検討しているという。
選手の約50メートル後ろを走る車に乗っていた
神奈川大の大後(だいご)栄治監督は「通過する直前になっても車が横切っていた。事故にならず、何とかゴールしてくれてよかった」と話した。
レース後にあった監督らの会議で状況を説明し、
「タイミングが悪ければ箱根駅伝の存続が危ぶまれる事態だった」と発言したという


近くで観戦した埼玉県の女子高校生は「選手が近づいているのに車が止まらず、大丈夫かと周りもざわついていた。車は減速せず、選手がひかれそうでハラハラした」。
関東学連の担当者は「あってはならないことで、来年に向けて態勢を確認したい」と話した。
過去の大会で、選手と車が接触する交通事故が起きたことはないという。
参照元:ヤフーニュース

【平蔵の独り言】
警視庁交通規制課によると、同交差点では選手の通過に合わせて断続的に車を止める規制を実施。
手前の地点で通過を確認した警察官が、交差点にいる警察官に無線で連絡し、規制する手順だった。
神奈川大の選手の時は、通過の連絡はしたが連携がうまくいかず、東進する3車線が規制されなかった。
対向車線は止まっていた。
レース後にあった監督らの会議で状況を説明し、
「タイミングが悪ければ箱根駅伝の存続が危ぶまれる事態だった」


【独り言】
対向車線は止まっていた。
ということは、見ればわかるような状態を
慌てて、警察官は何を見ていたのか?

走者を見ながら交通規制をしていたら、
このような状況にならなかっただろうに!
交通整理(車)、観衆、走者の順・・・・・・・・
責任を果たしてない。

もし、事故になっても「お詫び申し上げます」
と、頭を下げてはい!おわり・・・・・
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by asanogawa-garou | 2017-01-10 15:07 | 今 今日この頃 | Comments(0)

〔テレ東・狩野アナが「モヤさま」で学んだこと〕“間”を理解できず、“間”を埋めすぎてしまったり、   

2016年 10月 21日
〔テレ東・狩野アナが「モヤさま」で学んだこと〕“間”を理解できず、“間”を埋めすぎてしまったり、お二人の言葉で場が盛り上がった直後に言葉をかぶせてしまって

テレ東・狩野アナが「モヤさま」で学んだこと(20代に伝えたい、仕事との向き合い方)
“間”を理解できず、しゃべりたいときにしゃべりたいことをしゃべり、“間”を埋めすぎてしまったり、お二人の言葉で場が盛り上がった直後に言葉をかぶせてしまって

東洋経済オンライン2016/10/16

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①ありがとうございます
〔モヤさまで学んだこと〕周りから見られる仕事という意識さえなかった。
「いま、何が分からないかを伝えるのも、新人の役目なんだよ」とのお言葉。

〔モヤさまとの出会い〕きちんと周りを見て、人のアドバイスを聞きなさい。

〔モヤさまとの出会い〕
番組独特の“間”を理解できず、
しゃべりたいときにしゃべりたいことをしゃべり、
“間”を埋めて“間”を埋めすぎてしまったり、
お二人の言葉で場が盛り上がった直後に言葉をかぶせてしまって、
面白さを半減させてしまったりするようなことが何度もありました。

「オイ狩野!“間”というものをもっと楽しめ! 大人になれ。まぁ、おまえにはまだ難しすぎる話かな、ハハハ!」

〔伊藤Pの「心に響く言葉」〕「その場、その場に感謝して生きなさい」
伊藤P曰く……。
この番組についたのは狩野自身の引きの強さもあるかもしれないが、それを生かすのも殺すのも周り次第だ。

この番組のスタッフは皆、おまえを大事にしようとしてくれているのだから、常に周りの人たちに感謝をして、一回一回を大事にして仕事をしなさい、と。

〔「大江さん、なんで私なんですか」と号泣した夜。テレ東・狩野恵里書『半熟アナ』〕
大江麻理子アナウンサーの熱烈プッシュで抜擢「狩野恵里って、誰?」
大江アナは「私の時とは全然違った感じで、さまぁ~ずさんは狩野ちゃんに接してくれているね。きっとこんなふうになるって、私は思っていたんだよ」と語りかけたという。


狩野 恵里 :テレビ東京 アナウンサー 狩野 恵里テレビ東京 アナウンサー1986年10月29日生まれ、東京都出身。2009年、国際基督教大学教養学部卒業後、テレビ東京にアナウンサーとして入社。2013年4月より、大江麻理子キャスターに代わって「モヤモヤさまぁ~ず2」を担当、2016年秋までの約3年半、レギュラーを務めた。11月からは、新番組・経済ニュース『ゆうがたサテライト』のキャスター就任が決定している。
2016年10月16日
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②ついに「モヤさま」卒業!テレビ東京・狩野恵里アナが20代に伝えたい「仕事論」とは?
「半人前」から「一人前」に成長する過程で、人はふつう、多くの失敗を経験します。
そして、その失敗を「糧」にできた人が、一人前へと成長します。
しかし、たった一度の失敗に萎縮して本来の実力を出せなくなる人や、プライドが邪魔をして、他人の言葉に耳を傾けられず、成長のチャンスを逃す人も少なくありません。
そこで、今年20代を卒業し、10月16日(日)に「モヤモヤさまぁ~ず2」を卒業する『半熟アナ』の著者・狩野恵里アナウンサーに、20代に伝えたい「仕事の向き合い方」について聞きました。

何が分からないかを伝えるのも、新人の役目
新人の頃の私は、失敗ばかりのアナウンサーでした。
同期や先輩たちに追いつかなければ、という焦りだけで空回りしていました。

自分の中で「アナウンサーはこうあるべきだ」という気持ちが先行して、
がむしゃらにやってきたつもりでも、それは周囲から見れば、
独りよがりの「自己満足」でしかなかったのかもしれません。

入社して、半年ほどたった頃です。
席で予習などをしている自分に、デスクの先輩から声をかけられました。
「狩野。そろそろ自分で気づくかと思って見ていたけど、何も変わってないな。おまえ、この半年間、何やってた? 自分に何が足りないのか、自分で考えてみろ」

いきなりの出来事に、正直戸惑いが隠せません。
私は何をやらかしてしまったのだ。
誤読? 遅刻? いや、思い当たることはいまのところない……なんのことを言っているのだろう。
特定の仕事のことを指すわけでもなく、「自分で考えてみろ」というただその一言。
先輩の寡黙な背中に、「おまえはアナウンサー失格だ」と言われている気がしました。

〔モヤさまで学んだこと〕周りから見られる仕事という意識さえなかった。
テレ東・狩野アナが「モヤさま」で学んだこと 2016年10月16日

自分には何が足りないのか。
いまになって振り返ってみれば、
当時の自分はアナウンサーとしての技術はもちろん、
取り組み方や身だしなみ、普段の言葉遣いまで、足りないことばかりだったと分かります。
しょっちゅうノーメイクで出社していましたし、ラフな格好ばかりしていました。
アナウンサーというものが、周りから見られるものだという意識もありませんでした。

また、忙しそうな先輩方に発声を聞いてくださいと頼むのは厚かましい。
けれど、自分なりに練習してみたものの、その練習方法がまったく的を射ていなかったり……。

デスクから「考えろ」と言われた次の瞬間から、自分がどうしたらいいのか分からなくなりました。

それもこれも「言い訳」だと気付いた
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③迷った揚げ句、アナウンス部の先輩、水原恵理さんに相談したところ、

「いま、何が分からないかを伝えるのも、新人の役目なんだよ」とのお言葉。

自分ひとりで、ただがむしゃらに練習をするのではなく、いま、自分がどんな段階にいて、何がわからないかを周りに伝えるのも、新人の仕事だというのです。

それまでの自分は、わからないことがあっても、上司や先輩に聞くのは申し訳ない。
忙しそうな先輩たちに原稿読みを見てくれるように頼むなどというのは畏れ多い。
自分のために時間を割いてもらうだなんて、とんでもない! と思っていました。
でも、結局のところ、それは自分に都合のいい“言い訳”だったのかもしれません。
「こんなこともできないのか」と思われるのが嫌で、「教えてください」の一言が言えず、分からないことがあっても、「明日聞こう」と先延ばししていた気がします。

面倒くさい新人だと思われたくない。
恥ずかしい思いをしたくない。
そんな変なプライドも、あったかもしれません。
何もかもうまくいかないと落ち込んでいる自分に、水原さんはこうも言われました。
「うまくいくわけがないよ、新人なんだから。入って数カ月で、しかもひとりで何かをやろうと思ってはダメ。先輩は、後輩に聞かれるのも嬉しいときだってあるんだから」

〔モヤさまとの出会い〕きちんと周りを見て、人のアドバイスを聞きなさい。
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④癒やし系スマイルで人気の狩野恵里アナウンサー。
仕事で悩んだ際は「とにかく現場に出る! 考えすぎるとマイナスの方向へ行ってしまうから」と“行動派”だ=東京・虎ノ門

入社して8年目のいまになれば、その言葉の意味がよく分かります。
入社してすぐの新人が、ひとりで何かできると思うほうが、よほど、おこがましい。
すぐにできるほど簡単な仕事ではないし、もし本気でそう思っているとしたら、その仕事をなめているということになります。
デスクが言いたかったのも、こういうことだったのかもしれません。
仕事というのは、それほど簡単なものではない。
一人でできると思わず、きちんと周りを見て、人のアドバイスを聞きなさい。
仕事を軽くみてはいけない、ということだったのでしょう。
若いときに注意されること、しかられることは「残念」なことではありません。むしろ「幸せ」なことです。
何事も、言ってもらえるうちが華! なのです。
「狩野にはもう言っても仕方がない。もう成長しないのだから、言うのはやめた」
もしもそんなふうに思われてしまったら、失敗は放っておかれ、そのミスにも気づかないままお気楽に毎日を過ごしていたかもしれません。当然ながら、何も成長できずにいたはずです。しかられるのも、注意をされるのも、少なくとも、まだ伸びしろがあると思ってもらえているということ(だと思いたい)。
これからも「しかられることの幸せ」をかみ締めながら、日々精進していきます。

〔モヤさまとの出会い〕番組独特の“間”を理解できず、しゃべりたいときにしゃべりたいことをしゃべり、“間”を埋めて
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⑤大出世の狩野恵里アナ(C)日刊ゲンダイ
「モヤさま」ならではの”間”に苦戦するも…
2009年にテレビ東京に入社し、その後、「モーニングサテライト」や「ワールドビジネスサテライト」の現場を経た、2013年の春。「モヤモヤさまぁ~ず2」に携わることになりました。
今回、卒業となるまでの約3年半、私にとって初めてのバラエティ番組は、勉強の連続、かけがえのない財産になりました。
「モヤさま」は言わずと知れた、さまぁ~ずさんの番組です。
数々のレギュラー番組を持つお二人のいちばん近くで、もはや特等席でその楽しい現場を体感できている一方で、求められているその場での役割を何ら全うできていない自分に、毎度「喝!」を入れてきました。
『半熟アナ』にも書きましたが、偉大な先輩、大江麻理子キャスターからバトンを受け取った直後は、
番組独特の“間”を理解できず、しゃべりたいときにしゃべりたいことをしゃべり、“間”を埋めてこのかた20数年生きてきた自分としては、“間”を埋めすぎてしまったり、お二人の言葉で場が盛り上がった直後に言葉をかぶせてしまって、面白さを半減させてしまったりするようなことが何度もありました。

そのたびに周りからは、「狩野! 出すぎているぞ!」と注意を受けることもしばしば……。

「あああ、しまった。また調子にのって、つい出すぎてしまった……」
恥ずかしくなって、小さく小さく縮こまって静かにしていたときに、さまぁ~ずのお二人から、「狩野! 振られたら全力でいけよ! トライ精神をなくしたら人生終わりだぞっ!」と言われたことは忘れられません。
その言葉にどれだけ励まされて、背中を押されたことか……。

〔伊藤Pの「心に響く言葉」〕「その場、その場に感謝して生きなさい」

テレ東・狩野アナが「モヤさま」で学んだこと
20代に伝えたい、仕事との向き合い方


“間”恐怖症の私を救ってくれたのも、三村さんの言葉でした。番組の打ち上げのときのことです。
「オイ狩野!“間”というものをもっと楽しめ! 大人になれ。まぁ、おまえにはまだ難しすぎる話かな、ハハハ!」
……そうか。
「楽しむ」という考え方をしてみればいいのか。
ほろ酔い気分の三村さんが冗談ぽくおっしゃった言葉でしたが、その言葉で気持ちがラクになったことを思い出します。
その場、その場に感謝を
また、番組スタッフからも多くのことを学びました。
番組に携わるようになって、しばらく経った頃です。
「その場、その場に感謝して生きなさい」
プロデューサーの伊藤さん(伊藤P)が、そうアドバイスしてくれたことがあります。
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⑥初エッセイ『半熟アナ』。オビにはさまぁ~ずからの絶賛コメントも!?

「この表紙は写真写りが良すぎる!」とさまぁ~ずにツッコまれていたが、たしかにこの表紙の狩野アナは最高の写真写りだ。

伊藤P曰く……。
この番組についたのは狩野自身の引きの強さもあるかもしれないが、それを生かすのも殺すのも周り次第だ。
この番組のスタッフは皆、おまえを大事にしようとしてくれているのだから、常に周りの人たちに感謝をして、一回一回を大事にして仕事をしなさい、と。
「モヤさま」チームは、数ある番組のなかでも、特に一体感が強いことで知られています。
番組のスタッフは、「面白いものをつくろう」という一念で通じ合っています。
そのために、さまぁ~ずさんだけでなく、私をどう活かすかも考えてくださっていました。
そして、スタッフ全員に一致した明確な目標があるためか、非常によいチームワークで仕事をしています。
足を引っ張る人や、他人をねたむ人、不平不満を言うような人は、このチームにはいません。
もちろん、番組をつくるうえでの必要なアドバイスや提案はあります。失敗やミスをした本人に、あのときはこうしたほうがよかったとズバリ、ダメ出しをすることもあります。
厳しい言葉をいただくこともありますが、良いところも悪いところもフィードバックをしてもらえる環境はありがたく、いまの自分の成長に必要不可欠だったことは間違いありません。


〔「大江さん、なんで私なんですか」と号泣した夜。テレ東・狩野恵里書『半熟アナ』〕大江麻理子アナウンサーの熱烈プッシュで抜擢「狩野恵里って、誰?」

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⑦がんばれ!狩野アナ
彼女自身は「テレ東でしか開花しなかった」と思っているようだが、視聴者による印象はどうなのか?
 実は以前、狩野アナは視聴者からこんなツイートをされたという。
「『モヤさま』を観て、狩野アナをテレビ東京が採用した意味がわかりました。
『モヤさま』を観て、狩野アナを他局が採用しなかった意味もわかりました」
まさに、オリジナリティが問われるテレビ東京ならではの選球眼。
素晴らしい会社である。

〔大江麻理子アナウンサーの熱烈プッシュで抜擢〕

そんな狩野アナが「モヤさま」レギュラーに抜擢されたのは、2013年。
これは、当時ニューヨーク行きが決まっていた大江アナ自身による推薦が大きかったらしい。
何しろ、スタッフの多くは「狩野恵里って、誰?」なんてリアクションだったというのだから。
それまで主に報道番組を担当していた狩野アナの情報は、バラエティフロアに届いていなかった。
しかし「大江アナがそこまで言うなら……」と次第に風向きは変わり、
さまぁ~ずが「どんな人間がくるかはわからないけど、『体当たり』で受けてみよう」と答え、狩野アナの抜擢が決定したという。

でも、何度も言うが前任者が偉大すぎる。
やはりこの3年間、狩野アナは何度も壁にぶつかっていた。
「『モヤさま』を見てくださっている方はおわかりになるかもしれませんが、あの番組には独特の“間”があります。…アナウンサーにとってバラエティは、とりわけ「モヤさま」はすごく難しいはずだ。
場が静かになった時に「これは○○ですね」と情報を提供していくスキルこそが、アナウンサーに本来求められる技術である。
「たしかに、自分は“間”恐怖症で、いらないことばっかりをしゃべってしまっている……」

狩野アナが「モヤさま」のレギュラーになって1年が過ぎた頃、
ニューヨークから帰国した大江アナがロケ後の打ち上げに参加した。
こんな状況になれば、盛り上がらないわけがない。
「1年ぶりに会ったのに、息がぴったりで、お互いに言わんとすることをわかり合えている、この空気感。なんだか一人、取り残されたような気持ちになってしまいました。なんだ、この心地よい空気感は。そして、なんだ、この疎外感は……」

感極まった狩野アナは、遂には号泣してしまう。
「狩野ちゃん、どうしたの?」という大江アナの優しい言葉に、さらに号泣してしまう狩野アナ。
「大江さん、なんで、なんで私なんですか……」

この日の帰り道、狩野アナと二人きりになった大江アナは「私の時とは全然違った感じで、さまぁ~ずさんは狩野ちゃんに接してくれているね。きっとこんなふうになるって、私は思っていたんだよ」と語りかけたという。
家に帰った狩野アナは、一人でまたホロリ。
そして、やっぱりさすがは大江アナである。
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⑧子持ちの雰囲気

【平蔵の独り言】
“間”を理解できず、しゃべりたいときにしゃべりたいことをしゃべり、
“間”を埋めすぎてしまったり、
お二人の言葉で場が盛り上がった直後に言葉をかぶせてしまって

【独り言】
“もやさま”のすごい美人でもない、頭が良さそうに見せない
でも、飾らずに必死でさまーずに立ち向かっていく姿は日曜の午後何も残らない番組(ただ、楽しい)
(売れない芸人が仲間内でげらげらしている低俗な番組しか民放で放送していない中で)
唯一無二(笑点と双璧)であったが、著書「半熟アナ」で
“間”の話が出ている。
これが“もやさま”を見ていて心地いい原点?

“間”と〔余白〕
“間”話しの“間”を作る。
会話に相手から聞く、考える時間が次の会話につながる。(引き出す)
“間”を埋めて(被せて)はいけない。
“間”を「楽しむ」(“間”を「楽しめ」)
“間”から新しいこと(もの)が産まれてくる。

〔余白〕余白のある人生の方が楽しい、余白に書き込みができる。


「その場、その場に感謝して生きなさい」
〔“場”(その場)〕“場”が読めるか。その場に立てるか、立っているか?
立ち位置がわかっているか。
「その場、その場に感謝して生きなさい」:周りの人たちがいて(相手がいて)、その場にいる。

【平蔵の独り言】
〔「大江さん、なんで私なんですか」と号泣した夜。
テレ東・狩野恵里書『半熟アナ』〕大江麻理子アナウンサーの熱烈プッシュで抜擢「狩野恵里って、誰?」

【独り言】
当たり前だが、大江アナから「狩野恵里って、誰?」
ほんとうにさまーずに馴染んでなかった。(見る方も)・・・・・
でも最後まで、立ち向かっていく(ちょっとずれている)「狩野」楽しかった。
「狩野」のもやさまは“作為”がない、感情も全身全霊で不器用だから?
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by asanogawa-garou | 2016-10-21 17:09 | 今 今日この頃 | Comments(0)

5年後の〔3.11〕震災特番「視聴率全滅」が意味するもの、5年後の熊本地震、メルトダウン隠蔽発覚   

2016年 06月 29日

5年後の〔3.11〕震災特番「視聴率全滅」が意味するもの、
5年後の熊本地震・5年後のメルトダウン隠蔽発覚



日本人は冷たいのか? 震災特番「視聴率全滅」が意味するもの
「5年後の3.11」に起きたこと
(週刊現代2016/4/9 号)

〔「無力感に襲われる」〕
テレビを見ている人も、震災復興が大切だとわかっています。
でもたとえば、いま話題になっている保育園の待機児童の問題は、
自分が現実に子育てや低賃金、
介護の問題に追い立てられてしまうと、
そんな気持ちはなかなか持てません。

東京オリンピックや伊勢志摩サミットを進める国の政策に対し、
「その予算を復興に回すべきだ」と憤った人は多くいた。
しかし今は「介護士の待遇改善を」「奨学金制度の見直しを」と、
より身近なテーマに引きつけて話すことが増えている。

〔答えが出ないことの疲労感〕
「震災・津波・原発事故(メルトダウン):被災地、被災者」
いつも結論が出ないまま、敏感な視聴者は、
放射能の問題が可視化されにくいことをもう知っているんです。
『結局、答えは出ないんでしょう?』(専門家が議論を交わされても、一般の人々は簡単には理解できない。
次の1年後に先送りしているだけ。

震災をきっかけに移住した被災者は言う。
『目を逸らす』という態度と、『端から無関心』は違います。
無力感だったり、変わらない原発行政への絶望だったり、
家族を喪った人を見るのが辛いという気持ちだったり、
そういうものから目を逸らして生きるのは、むしろ生きる術なのではないでしょうか」

〔忘れられないけど忘れたい〕
『総括はまだ』と言いますが、そもそも総括などできないし、する必要もないと思います。

〔不運とではなく、そういう生だったのだ〕
 忘れたいわけではないが、忘れなければ生きていけない。
そんな悲しみが、人間の人生にはあるのだろう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今年も3月11日にはテレビで震災や原発事故の映像が繰り返し流された。
しかし、震災特番を見る人は年々減り続けている。
あの日のことを、忘れてしまったのか。
それとも、見られない理由があるのか。

Nスペですらダメだった

 誰もが忘れえぬはずの、あの3月11日から、5年が経った。
震災が起こった時刻、14時46分をまたぐ時間帯では各テレビ局が震災特集を放送。
出演者が、犠牲となった方々に黙禱を捧げる姿が映しだされた。

 今年も多くの震災特番が作られ、様々な番組内で特集が組まれた。
NHKは、被災地の課題や原発事故をテーマにした「NHKスペシャル」を多数制作。

 その視聴率は、3月5日放送分が6.0%、6日が7.5%、8日が4.4%、10日が5.5%と推移し、第5夜の11日に、前述した「津波」特番を放送した。

 5年後の3.11に、震災特番の視聴率が全滅した。

この日のことは絶対に忘れない、
自分の力の及ぶ限り、被災地に寄り添っていこう――
誰もがそう思ったはずなのに、人々は震災特番から目を逸らした。

〔「無力感に襲われる」〕

 なぜ人々は震災関連の番組から目を背けるのか。
これは日本人の「冷たさ」の表れなのか。
経済ジャーナリストの荻原博子氏は、今の社会の停滞感が、
震災特番を避ける気持ちに拍車をかけていると指摘する。

「テレビを見ている人も、震災復興が大切だと分かっています。
でもたとえば、いま話題になっている保育園の待機児童の問題は、
お母さんたちにとっては本当に切実です。

 震災直後は、みんな被災地のために、と心を一つにしましたが、
自分が現実に子育てや低賃金、介護の問題など目の前の問題に追い立てられてしまうと、
そんな気持ちはなかなか持てません」

 東京オリンピックや伊勢志摩サミットを進める国の政策に対し、
「その予算を復興に回すべきだ」と憤った人は多くいた。
しかし今は「介護士の待遇改善を」「奨学金制度の見直しを」と、
より身近なテーマに引きつけて話すことが増えた。

 だがもちろん、日本人は、あの大災害を忘れたわけではない。
今年の3.11も、「被災地に向き合わなければ」と心のどこかで思っていたはずだ。
でもそれができなかった。

福島の地元テレビ局記者が、こんな経験を語る。

「取材で知り合った、ボランティアで度々福島を訪れている東京在住の30代の男性から、
先日こんなことを言われたんです。
『怒らないで欲しいんだけど、震災の番組は見ていないんですよ』と」

 理由を聞いてみると、

「自分のできることなんてたかが知れている。
震災の特番を見ると、自分の活動は自己満足なんじゃないかとか、
被災者の感情にはどうしたって寄り添えないのでは、と無力感に襲われるんです」

 と答えたと言う。

「福島で会うとそんな様子は見せないのですが、
テレビを見ることで客観的になると、精神に負担がかかるそうです。
現地の人間の悩みとはまた違ったものだったので、驚きました」(前出の記者)

〔答えが出ないことの疲労感〕

 ボランティアや募金など形のある支援でなくても、
誰もが心のどこかで、被災地を思っている。
でも、テレビを通じてあの災害を見つめなおすことは辛い。
そう考える人は多い。

 でもそれは、心が冷たいのとは少し違うのではないか、と、
震災をきっかけに東京へと移住した60代の被災者女性は言う。

「『目を逸らす』という態度と、『端(はな)から無関心』は違います。
無力感だったり、変わらない原発政策への絶望だったり、
家族を喪った人を見るのが辛いという気持ちだったり、
そういうものから目を逸らして生きるのは、むしろ生きる術(すべ)なのではないでしょうか」

 3.11の報道は、悲しい過去を振り返るものが多くなる。
本当は知らない現実が報じられているのかもしれないが、
伝え方が紋切り型なために、視聴者は番組を敬遠する気持ちが強くなるのかもしれない。

 元日本テレビ記者として貧困問題などのドキュメンタリーを手がけた、
水島宏明法政大学教授はこう語る。

「特に民放で顕著ですが、震災特番が、『24時間テレビ』化している。
3月になったから震災を扱わないといけない、という義務感で番組を作っているように感じられます。

 それ自体は必ずしも悪いことではないでしょう。
しかし番組作りがマンネリ化し、安易なお涙頂戴や、
3.11前後だけ被災地に足を運ぶコメンテーターが復興の遅れを批判するという、
同じような番組ばかりになっている」

 震災から5年が経ち、3.11当時に隠されていた事実が明らかになったり、
新たに大きな困難が発生したりすることは、幸か不幸か少なくなっている。

3・11の「わかりやすい、新しいニュース」が世を賑わすことは多くはない。
そこで、テレビ局はこれまでの蓄積をもとに、番組を作ろうとする。
だがそれでは、どうしても既視感が強いものになってしまう。

 象徴的なのが、3月13日21時から放送されたNHKスペシャル「原発メルトダウン 危機の88時間」だ。
90分間にわたり、震災当時の福島第一原発の緊迫した状況を再現。
当時フクイチの所長だった故・吉田昌郎氏を俳優の大杉漣が演じた。
今年の震災特番の中でも規模の大きい番組の一つだ。

 しかし、視聴率は7.6%と低迷。
直前に放送された『真田丸』と、続く『ニュース・気象情報』の16%超から、一気に数字を落としている。
大河ドラマを楽しんでいた人のおよそ半数がチャンネルを変えた、見るのを嫌がったのだ。

 誰もが関心を持っていた、放射能の問題はどうだろう。
「報ステ」の視聴率が低迷したことは先に触れた通りだ。
原発事故についてはそもそも専門性が高い問題が多いうえに、
放射能の人体への影響は、科学者の間でも議論が定まっていない。
そんなわかりづらさが、事態を難しくしている。

『「フクシマ」論』などの著書がある社会学者の開沼博福島大学特任研究員が言う。

「『報ステ』の特集はセンセーショナルな作りでしたが、
結局は、県民健康調査で報告される甲状腺がんと、
福島第一原発事故由来の放射能との因果関係はわからない。

『報ステ』は昨年からこの問題を追っていますが、
いつも結論が出ないまま番組が終わっています。

敏感な視聴者は、放射能の問題が可視化されにくいことをもう知っているんです。
『結局、答えは出ないんでしょう?』と、はじめから分かってしまう。

 見ている側は、報道にカタルシスを求めています。
答えが出ない問題に、疲労感や、もやもやした思いばかりが募る。
そうなってしまうと、視聴者は離れていく」

 専門家の間で議論が交わされても、一般の人々は簡単には理解できない。
放射能の問題に不安を抱く人たちに、シンプルな答えを出してくれる人がいるわけではない。

〔忘れられないけど忘れたい〕

 本誌は、震災特番の視聴率が低迷していることについてどう考えるのか、
また、今後の放送について各局に問い合わせた。

 各局、「総括はまだ」としながらも、
NHKは「視聴率を想定していない」、
フジ、TBS、日テレ、テレ朝の民放キー局からは「震災報道・番組についての視聴率は度外視」との答えが返ってきた。

そして、どの局も震災報道の社会的な意義を強調し、「今後も継続していく」と回答する。

 ある民放ディレクターは言う。

「『総括はまだ』と言いますが、
そもそも総括などできないし、する必要もないと思います。
私はもし社に『震災特番を作れ』と命じられたらいい番組を作ろうと考えますが、
正直に言うと、自分から手を挙げようとは思いません。
でもそのことで、自分を責めるのはやめようと思っています」


〔不運とではなく、そういう生だったのだ〕

 被災者でもある作家の伊集院静氏は、本誌連載「それがどうした」で、こう書いた。

〈何人かの知人に悔みの言葉を言わねばならない。
どうか笑って欲しいと思うが、
胸の底に残る記憶はそんなに簡単に、
五年くらいで整理がつくものではない。〉

 しかし、と氏は言う。
亡くなった人の死を不運と嘆くことは、逆に彼らの生の尊厳を損なうのではないか、と。

〈不運ではなく、そういう生だったのだ。
 不運と思っては、哀し過ぎるではないか。
 不運と思うな。そう自分に言い聞かせて、今日まで来ている。〉


 忘れたいわけではないが、忘れなければ生きていけない。
そんな悲しみが、人間の人生にはあるのだろう。

2016/04/09号

【平蔵の独り言】
五年後の熊本地震(2016年(平成28年)4月14日)

 2011年の原発事故を巡っては、東電は発生から3日後の3月14日には1号機から3号機で最大55%の炉心溶融、いわゆる「メルトダウン」が起きたことを知りながら、2カ月後の5月まで明らかにしませんでした。
そして、今年2月になって、炉心の5%が損傷した場合はメルトダウンと認めて公表する社内基準があったことを明らかにし、強い批判を浴びています。

【独り言】
自然に対する無力感

都合の悪いことを知らせない無力感
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by asanogawa-garou | 2016-06-29 12:36 | 今 今日この頃 | Comments(0)

同じ方向を向いていれば(安心)という国になった!不思議な日本   

2016年 04月 18日
〔同じ方向を向いていれば(安心)という国になった!不思議な日本〕
日本では異論を言う人間、組織に同化せず自ら行動する人間は左遷されてしまう。
そうして顔色を伺う、
同じような考えを持つ人間ばかりが残り「優秀」といわれる人が揃っていようと、問題解決能力はない。

司法、立法、行政すべて出世すればするほど、同じ考えの人しか残らない。
〔「単線路線のエリート」〕
〔出世するほどダメになる〕

なぜエリートほど大きな間違いを犯すのか?
「国会事故調」元トップが明かす「ニッポンの病理」
日本のエリートたちは、いざというときに明言を避け、
「知らない、忘れた、聞いていない、関与していない」と責任逃れする人が圧倒的に多いのです。
国会事故調での聴取を通じて、私は原発のみならず、日本の中枢そのものが「メルトダウン」していると痛感しました。

「規制の虜」はどの国でも起こりえますが、
日本には、起こりやすい社会構造があるのです。
たとえば、原発問題については、電力会社が地域独占であったことも大きかった。
さらに役所、企業などの多くの組織が持つ、固定化された常識も、「規制の虜」を生んでいます。

〔「単線路線のエリート」〕
日本は「単線路線のエリート」が多いのが問題なのです。
大半の日本人は、大学を出て企業や役所に就職すると、
ずっとその組織に所属し続け、年功序列で出世することが当然だと考えます。
たとえば経産省に入省すれば、省内もしくは外局組織に所属しながら、
入省年次によって昇進していく。
近年は省庁間の人事交流も多少はありますが、「本籍」は変わらない。

企業の場合でも同様です。
異業種への転職はありえますが、
三菱東京UFJ銀行から三井住友銀行に転職するとか、
あるいは東芝から日立に移るなど、同業間での転職はほとんどない。

〔出世するほどダメになる〕

そして「単線路線」において出世するためには、「何もしない」ことが最も重要になってきます。

'13年に人気を博したテレビドラマ『半沢直樹』を思い出してください。
主人公の半沢は常務の不正を暴き、会社の窮地を救いますが、
待っていたのは「出向」でした。
結局、日本では異論を言う人間、
組織に同化せず自ら行動する人間は左遷されてしまうのです。
それがわかっているから、多くの人は異論を言わず、
ひたすら上司の顔色をうかがい、前例を踏襲する。
そうして、同じような考えを持つ人間ばかりが残り、意思決定する。
その世界の中でどれだけ「優秀」といわれる人が揃っていようと、
それでは問題は解決しません。

「週刊現代」2016年4月16日号より

【平蔵の独り言】

戦後、まず団地に入る(文化的な生活)
一戸建てを持つ。
マンションに入る(購入)

〔3種の神器〕
1950年代後半、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の3種類の家電

1960年代半ばの高度経済成長時代には、
カラーテレビ・クーラー・カーの3種類の耐久消費財が新三種の神器と呼ばれるようになる。

価値観が多様化して、格差も広がって来ているのに、
※格差が広がって来ているというのは、勘違いかもしれない。
(戦後、小学生の時、橋の下に住んで、学校に来る仲間もいた)

何故同じ方向を向きたがるのか?
格差社会なら同じ方向を向かなくてもいいのではないか!

“個”を大切にして、人と人との出会いを大切に

文化人・芸術家・企業人・ 名を残している人は“変人(除け者)”

からしか生まれないと思うが、時代が違うのか・・・・・・・
ホンダ(本田宗一郎)、ソニー(盛田・井深)、松下(松下幸之助)

【独り言】
同じ方向を向いていれば、の社会をつくったのは“団塊世代”?
団地も居住者の高齢化、地域「コミュニティ」の崩壊

日本は大きな時代の変革を乗り越えてきた。
明治維新、太平洋戦争の敗戦

しかし今はリスクがなさ過ぎる。
痛い目に合うことに対してビクビクし過ぎ。
刺激を求めず、「マニュアル人間」が心配・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2016-04-18 14:19 | 今 今日この頃 | Comments(0)

突然すくっと立ち上がって「おれは反対だ!」小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』   

2016年 04月 13日
突然すくっと立ち上がって「おれは反対だ!」と叫ぶという異例の事態、というかハプニングになったわけです。
小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』


【厚木からの長い道のり】考える人 2013年 11月号
小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』
大西順子はこの「松本Gig」のおかげで仕事を失ったのだ。
この七月、サイトウ・キネンの公演に演出するために、
アルバイト先に二週間の休暇とシフトの変更を申し出たら、「もう来なくていいよ」と通告された。
「だから東京に帰って、明日からまた仕事探しをしなくちゃならないんです。大変ですよ」と彼女は苦笑いしながら言う。

突然すくっと立ち上がって「おれは反対だ!」
【小澤征爾×大西順子 夢の共演】2013/09/18
【なぜ “ラプソディー・イン・ブルー”を大西さんとやるか、について】

【(文化往来)大西順子が直接指導、ジャズのピアノラボ】2014/5/29
大西順子〔ジャズフェスティバル「第14回東京JAZZ」〕
ジャズ・シーン復帰〔2015年9月7日〕
【大西順子】今年の「名古屋JAZZ」に登場!
「大西順子」Web 限定インタビュー 取材日:2015.08.07


【(文化往来)大西順子が直接指導、ジャズのピアノラボ】
2014/5/29付 日本経済新聞 朝刊
 日本を代表するジャズピアニストの大西順子(47)が4月、マンツーマンでジャズピアノの演奏法を指導する講座「大西順子ピアノラボ」を川崎市内に開講した。

2000年からの長期休養を経て07年に活動を再開したが、
12年末のライブで引退を表明。今後は後進のピアニストの育成に力を注ぐ。

 「体に力が入りすぎて、いい音が出し切れない若手ピアニストが結構多い。彼らにうまく弾くためのコツを伝えたい」と思ったのが、講座開講のきっかけだったという。
大西本人が、ほどよく力を抜いて力強くピアノを弾くための体と指の使い方や、ブルース、スイング、ビバップといったジャズの核となる基本スタイルの演奏法を直接指導する。
講座は1回90分の完全予約制で、指導は1日最大4人まで。
受講方法は公式サイトに掲載した。

 昨年、長野県松本市で開かれた音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」では、9月に指揮者の小澤征爾(78)が率いるオーケストラと共演し、1日限りの“現役復帰”を果たした。「自分の中では演奏者としてはやりきったという思いが強い」と大西は語る。
「これからは長年の経験を生かし、1人でも多くの素晴らしいピアニストを送り出したい」と意欲を見せる。

大西順子、〔ジャズフェスティバル「第14回東京JAZZ」〕
ジャズ・シーン復帰〔2015年9月7日〕
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日野皓正(左から2人目、トランペット)、ラリー・カールトン(同3人目、ギター)のスーパーバンドに参加した大西順子(左端、ピアノ)=東京国際フォーラム

 秋恒例のジャズフェスティバル「第14回東京JAZZ」が6日、最終日を迎え、東京国際フォーラムのホール公演(THE HALL)
昼の部で、世界的ジャズピアニストの大西順子(48)がトランペットの日野皓正(72)とギターのラリー・カールトン(67)のスーパーバンドに参加し、ジャズ・シーンへの復帰を果たした。

 大西は2012年に引退を表明。
13年に小澤征爾氏(80)の指揮するサイトウ・キネン・オーケストラとの共演で一時復帰したが、今回はジャズが誇るヒノテル、カールトンという世界的なスーパースターとの共演だ。
 黒いチューブトップに黒いパンツ姿の大西は、両巨頭のド派手なプレーをグランドピアノとエレクトリック・ピアノで支えつつ、2、5曲目ではグランドピアノ、4曲目ではエレピで迫力あるソロを披露。
笑顔で手を振って観客に応える場面もあり、本格的な復帰への期待を抱かせた。


【大西順子】今年の「名古屋JAZZ」に登場!
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「大西順子」Web 限定インタビュー 取材日:2015.08.07

人気実力ともに日本ジャズ界のトップを走り続け、シーンを牽引してきた大西順子。
2012年、突然の引退宣言で世間を驚かせたのも記憶に新しいところです。
そんな彼女が、今年の「名古屋JAZZ」に登場!
日米のトッププレイヤーが一堂に会するジャズの一大フェスで
どんな音を聴かせてくれるのか…。
ジャズファンならずとも必聴のステージは目前です。

今年も「名古屋JAZZ」には錚々たる顔ぶれが揃います。
それぞれのアーティストとは、これまでにも共演なさっていると思いますが。
カリーム・リギンスは若いときから知っていますね。
ジョン・パティトゥッチとはヨーロッパのジャズフェスティバルでセッションしたことがありますが、ちゃんとガッツリやるのは今回が初めて。
ラリー・カールトンには、まだお会いしたことがないんです。
日野さんは、私がまだニューヨークでいろんなバンドでやっていたときに知り合いまして、その頃からいろいろアシストしてくださって、頭が上がらない存在です。
何年か前にプロモーション用か何かでちょっとご一緒したことはあるんですけど、ちゃんと仕事として共演するのは20年ぶりですね。

〔日野さんと大西さんは、師弟関係のような間柄ですか?〕

日野さんは偉そうにしたり、若い人に説教したりするようなところは全くありません。
知り合った当時のニューヨークには、仕事としてジャズにきちんと取り組んでいる人はほとんどいなかったんですよ。
そんな中で、同じフィールドをしっかり味わっている数少ない日本人同士という感覚がありました。
私の方が年齢もキャリアもずっと下ですが、同じシーンの中で久しぶりに会った日本人という感覚がお互いにあって…私よりもずっと長くそのシーンで苦労されてきた方なので、ちょっと言えばすぐ通じるみたいな感覚が嬉しかった。
それ以来、私にとっては頭が上がらない存在です。

深いところでつながっている感覚をお互いに持っていらっしゃる。
そうですね。アート・ブレイキーとか、ああいう本当のレジェンドと実際に演奏するという経験を運良くできたのは、私が最後の世代じゃないかと思うんです。
日野さんは、もっと長く一緒にいる時間があったと思います。
ジャズのレジェンドをリアルに知っているという皮膚感覚は、今の若い世代のプレイヤーにはありませんから、彼らと同じことをやろうとしていてもなんとなくズレが出てくる…日野さんとは、同じ感覚で話ができるんです。

〔大西さんから見た日野さんの音の魅力はどのようなものでしょうか?〕
日野さんはトランペッターとしても素晴らしいんですけど、実は作曲者として名曲をたくさん作っていらっしゃるんですよね。
今回のライヴでそれがフィーチャーされるということで、私はとても楽しみにしています。
小さい頃に流行っていた曲、よく聴いた曲を本物と一緒に自分が演奏できるというのは、それこそアート・ブレイキーの「モーニング」を本人と一緒に演奏するようなもの。すごく光栄ですね。

昔から聴いていたミュージシャンの曲を本人と一緒に演奏するにあたって、どんな気持ちでプレイにのぞみますか?
日野さんの場合は特に、テレビをつけると日野皓正の曲が流れているという時期が本当にありましたよね。
だから、譜面を見なくても覚えているような曲もあります。
今からいろいろ考えてはいますが、当日どう変わるのかも楽しみです。
私のキャリアのスタートは、サイドマンとしてサポートを始めたことでした。だから、サポートをするのがすごく楽しいんですよ。
リーダーを映えさせてその曲を忠実に再現するんですが、その上で特にピアニストというのは味付けがいろいろできるので、それによってどんどん変わっていったりする。
相手もちゃんと聴いているわけですから、リーダーとかフロントの人たちも私のピアノをきっかけにどんどん変わっていくことがすごく楽しいんですよね。たまたまデビューしちゃったので、その後は自分のバンドばかりやっていたんですけど、本当はスタジオマンになりたかった(笑)。
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今回はエスペランサ・スポルディングも登場します。
若い世代ですし、彼女のほかにもロバート・グラスパーなどが活躍し、ジャズシーンに新たな流れができているように思います。

大西さんは2012年に引退宣言をなさいました。
その後、一昨年には小澤征爾さん率いるサイトウ・キネン・オーケストラとの共演で表舞台にも立たれましたが、今、オーディエンスの前で演奏することについて、どのような心境をお持ちですか?

引退したときは、音楽を作る上で自分があまりにエンプティだなと感じてしまっていたんです。
空っぽになってしまって。
何かしら弾けと言われたら弾けるんですけど、何を弾くかというところが未だにわからない。弾けないんです。
ただ、小澤さんは「ラプソディ・イン・ブルー」というお題を出してくださった。
今回も日野さんが「ちょっと一緒にやろうよ」と声をかけてくださって、しかも日野さんの当時のあの曲というお題もあります。
それに応えたいという音楽的欲求はあるから、こうやってまた出てきちゃっているんですけど…。
今、菊地成孔さんからも声をかけていただいているんですね。
「自分にいろいろアイデアがあるから、こういうことをやって欲しい」と。
そういうありがたいオファーをいただくと、ぜひやってみたいなと思うんです。もしかしたら、こういうことを続けているうちに本当に自分から発信できる何かが出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない。
そこはわからないですね。
これまで、あまりに長く自分の楽曲をやり過ぎたから…。

アーティストとして非常にレベルの高いところでご自身の音楽やジャズという音楽について考えていらっしゃる…。
言い当てようとすると、自己表現とかオリジナリティとか…そんな言葉になってしまいますし、そんなの当たり前じゃないという話なんですけどね。
やればやるほど「これ、前にもあったじゃん」という感じを覚えてしまう。
ジャズは1920年代から1970年代初頭ぐらいまでにアメリカで出来上がった音楽なので、ちょっと太刀打ち出来ないんですよね。
どの方向を見ても、すでに全部ありますからね。
あまりに分厚い壁なんです。
そこに対してどれだけ妥協…というか「ま、いいか」と思えるようになるのか、もっと反抗するのかはわかりません。
ただ、やっぱりピアノを弾くことは好きだし、こういう面白い題目を提供されると喜んでやりたいと思うので、それを繰り返しているうちにうやむやになって、またやるんじゃないかな。

引退宣言の前には、名古屋のジャズクラブ「jazz inn LOVELY」でもライヴをなさいました。
名古屋のジャズファンの印象や思い出をお聞かせください。
まだデビューして間もない頃、ラブリーに7日間連続で出演したんですよ。
しかも7日間、私以外のメンバーが毎日違う。
毎日午後3時からリハーサルをして夜中の3時ぐらいまでああだこうだ言ってやった覚えがありますね。疲れました(笑)。
当時はやりたいことだらけだったから、それを全部やって。
毎晩、青臭い音楽を聴かされるお店の人たちも大変だったと思いますよ(笑)。
だから、名古屋にはすごく愛着があります。
いつも慌ただしくて、ゆっくり街を歩いたりはできないんですけど、アメリカから帰ってきて味噌煮込みうどんを初めて食べたときは感動しましたね。
東京に帰って赤味噌を買って作ってみたんだけど、全然違うんですよ。

9/10 THURSDAY 名古屋JAZZ


【厚木からの長い道のり】考える人 2013年 11月号
サイトウ・キネン・フェスティバル松本Gig 2013年9月6日

満場のスタンディング・オーベーション。
奇跡の『ラプソディー・イン・ブルー』に、拍手はいつまでも鳴りやまなかった。
ClassicとJazz、小澤征爾と大西順子、そして村上春樹。
その夜、それぞれの魂が響きあい、困難を乗り越え、ナチュラルな喜びに満ちた音楽が誕生したのだ。
小さなジャズ。クラブからサイトウ・キネン・オーケストラとのステージへ。

良き音楽のために、道は続いて行く―〔村上春樹〕

 コンサートのあと、楽屋で小澤さんにオリジナル・パートと大西さんの即興パートのバランスについて尋ねられた。
「ねえ春樹さん、あれくらいで良かったと思う?」と。
「いや、完璧です」と僕は答えるしかなかった。
それ以外の答えを思いつくことができなかった。

 やはり楽屋で大西さんに言われた。
「うまく指が動かないところが一箇所あって、普通そんなことってないんだけど、やはり緊張していたんですね。参ったな。」と言われた。
「いや、完璧だったよ」と僕は言った。
それ以外に言うべき言葉は見つからなかった。
 そう、すべては完璧だったのだ。少なくとも僕にとっては……。
それ以外にいったい何が言えるだろう。

 いや、完璧でないことも少しはあった。

それはここにしっかり明記しておかなくてはならない。
大西順子はこの「松本Gig」のおかげで仕事を失ったのだ。
この七月、サイトウ・キネンの公演に演出するために、アルバイト先に二週間の休暇とシフトの変更を申し出たら、「もう来なくていいよ」と通告された。
「だから東京に帰って、明日からまた仕事探しをしなくちゃならないんです。大変ですよ」と彼女は苦笑いしながら言う。


 どこかの音楽大学なりの教育機関なりがこの女性ピアニストに、落ち着いて後進を育成し、場合に応じて自分の演奏をも追究できるような、安定したポストを提供するべきなのだ。
僕は心からそう思う。

彼女は若いミュージシャンたちを指導することに、とても強い興味と意欲を持っている。
また今回の松本の「ジャズ勉強会」で彼女が残した実績が、彼女の教育者としての能力を見事に証明しているはずだ。
年若いピアニストたちの短期間における見事な成長ぶりに、みんなが(小澤さんをも含めて)舌を巻いた。
この人を―日本が誇りとするべき傑出したジャズ・ピアニストを―アルバイト探しに走り回らせているような日本の音楽状況に対して、僕は不満と怒りを覚えないわけにはいかない。

「そんなのは間違っている!」僕は小澤征爾さんにならって、ここで立ち上がって大声で叫ばなくてはならない。
「でもたとえばビルの清掃なんて、一時期のソニー・ロリンズみたいで、ちょっとかっこいいじゃないですか」と彼女は笑って言う。
もちろん冗談だろうけど。

 うん、でも、そういえばそうかもな、と僕はふと思う。
少なくともソニー・ロリンズは数年間の隠遁のあとに、ジャズ界に力強く復帰したではないか。
大西さんも同じように……と僕はつい期待してしまうのだが。

【平蔵の独り言】
小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』
大西順子はこの「松本Gig」のおかげで仕事を失ったのだ。

【独り言】
引退を表明したら、大西順子に見えていなかった。財産が見えてきた。
村上春樹さん、小澤征爾さん 
小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』

(文化往来)大西順子が直接指導、ジャズのピアノラボ 2014/05/29
大西順子、〔ジャズフェスティバル「第14回東京JAZZ」〕
ジャズ・シーン復帰〔2015年9月7日〕
【大西順子】今年の「名古屋JAZZ」に登場!2015.08.07

自身が昭和49年後楽園球場の長嶋茂雄引退試合を観戦して
面接をスッポカして、職がなくなった時
“遊んでいるのか”と助けくれた元上司
昭和55年伴侶のいる地に移り住んだ際
“遊んでいるのなら手伝ってくれ”と声をかけてくれた元同僚

気が付けば、助けられている人生ですね・・・・・・

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【プロの誇り守り引退】2012/11/26
日本のジャズシーンをけん引してきたピアニスト大西順子が、突然引退を表明した。
演奏家として円熟期にあっただけに、なぜ!という戸惑いと惜しむ声が広がる。
ツアー最後のライブを終えた大西に、引退の理由とその背景を聞いた。
11月8日、最後のライブは神奈川県厚木市の小さなライブハウスで開かれた。
会場いっぱいに集まった観客。
大西と親交のある指揮者小澤征爾や作家村上春樹の姿も。

突然すくっと立ち上がって「おれは反対だ!」
【小澤征爾×大西順子 夢の共演】2013/09/18
【なぜ “ラプソディー・イン・ブルー”を大西さんとやるか、について〔小澤征爾〕】
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① (ピアニスト「大西順子」日本のジャズ界けん引)
何度か、春樹さんに誘われて大西順子さんのライブを聴きに行きました。
今回は急なことでしたが、春樹さんから大西順子さんが引退をするらしくその最後のライブが厚木のライブハウスであるんだと聞いて驚き、娘の征良と連れ立って聴きに行きました。
 大西さんトリオの素晴らしいライブで、これが最後だなんてたいへん残念である、かつ、もったいないなぁと思いながら聴いていました。
アンコールを弾き終わった後で、
彼女がマイクをもって、残念だけれどこれが最後です、みたいなことを話し始めたんで、
僕は聴いている人たちみんなもそう思うだろうと思ったから、それには「反対∼!」と思わず叫んでしまいました。

【大西順子さん「世界のオザワ」に挑んだ夏】 2013/09/18
【信じられない展開〔村上春樹〕】
〔マエストロの「引退反対!」宣言〕
〔挑戦する姿を若手に見せたい〕
〔カムバックを期待する声も〕

【信じられない展開〔村上春樹〕】
彼女が演奏活動から引退を表明したときはがっかりしないわけにはいきませんでした。
そして「彼女の最後のライブが厚木の小さなジャズクラブであるんですよ」という話をしたとき、
「じゃあ、おれも行く」ということになりました。
そして大西さんが最後に感無量のおももちで「残念ながら、今夜をもって引退します」と聴衆の前でしみじみ話しているときに、
突然すくっと立ち上がって「おれは反対だ!」と叫ぶという異例の事態、
というかハップニングになったわけです。
僕も隣で本当にびっくりして、言葉もありませんでした。
でも思わずそう叫びたくなる小澤さんの気持ちは、痛いほどよくわかります。
それくらい素晴らしい演奏だったのです。

そのあとで、打ち上げの会に呼ばれて行ったときに、僕は彼女に、今ここでピアノを止めちゃうなんていうのはまったくもったいない話で絶対続けるべきだ、と話しました。
そして、春樹さんといっしょに「サイトウ・キネン・オーケストラと一緒にガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルーもやらないか」と、突飛な提案もしました。
 最初、彼女はびっくりして目を丸くして聞いていたけれども、NOという答えじゃなくて「これからかんがえよう」と、僕からすると、日本語で言えば前向きな答えをもらったつもりでした。
 村上さんからも説得してもらって、今年9月6日に松本でのフェスティバル千秋楽の公演として、彼女にラプソディー・イン・ブルーを弾いてもらうことになったわけです。
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毎年夏に開催されるクラシックとオペラの国際音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で、ことしはクライマックスにちょっと異色のプログラムが組まれました。
ドラムスとウッドベース、ピアノのジャズトリオが、小澤征爾さん指揮するオーケストラと「ラプソディー・イン・ブルー」を共演したのです。
力強いピアノを披露したのは人気ジャズピアニストの大西順子さん。
去年、演奏活動から引退を表明した大西さんが「世界のオザワ」と組んでクラシックの祭典にサプライズ出演をした理由には、同じく世界的に活躍している、ある作家の存在がありました。
〔マエストロの「引退反対!」宣言〕
大西順子さん(46)は22歳のときにアメリカでプロデビューし、力強いタッチとスウィング感あふれる演奏で人気を集め、数々の大物ミュージシャンと共演してきましたが、「自分にできることはやり尽くした」として去年、引退を表明しました。
しかし去年11月に開かれた最後のライブでハプニングが起きました。
「ツアー最終日にマエストロ(小澤征爾さん)に来ていただきまして。
自分としては最後になる演奏のMC(あいさつ)をしている途中で、突然(小澤さんが)スクッと立ち上がって『引退反対!』って・・」(大西順子さん)

小澤さんを連れてきたのが、作家の村上春樹さんでした。
大西さんの長年のファンである村上さんが知人の小澤さんを誘い、そのライブのあとの出来事が、今回の出演につながったということです。
「ライブのあと、打ち上げみたいなものがありまして、そのときに村上春樹さんもいらっしゃって。
春樹さんは私とマエストロが一緒にいるところを見て、『2人でラプソディー・イン・ブルーなんてやってるのを聴けたら最高だな』って。
そういう話というのはその場のノリで終わってしまうことが多いんですけれど、もう次の日から電話がかかってきて、ずっとしゃべり続けで、気がついたら私が『はい』って言ってる、みたいな」(大西さん)

〔挑戦する姿を若手に見せたい〕
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今回あえてステージに上がることにしたのは、巨匠・小澤征爾さんに挑む姿を見せることも、若手のためになると考えたからでした。
「昔のジャズのレジェンド(伝説的名手)たちと同じステージに上がって、怒られながらも自分が何か学んでいくっていう手応えというのは、経験としては本当にすばらしいものだったので。もしあのときと同じようなことが起こるのであればそれは願ってもない、というのはどこかにありましたよね」(大西さん)

〔カムバックを期待する声も〕
本番当日、楽しみにしていることは「終わったあとの一杯」と語った大西さん。


【小澤征爾×大西順子 夢の共演】2013.9.11 16:30(SANKEI EXPRESS)
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「ラプソディー・イン・ブルー」を演奏するジャズピアニストの大西順子さんと指揮をする小澤征爾さん(手前右)=9月6日夜、長野県松本市(提供写真)

 音楽家の小澤征爾さん(78)が指揮するサイトウ・キネン・オーケストラとジャズピアニストの大西順子さん(46)率いるピアノトリオが、長野県松本市で開催されていた音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)松本」で初めて共演した。
 曲は、米国の作曲家、ジョージ・ガーシュイン(1898~1937年)がジャズピアノのテイストを取り入れて作った名曲「ラプソディー・イン・ブルー」。
小澤さんは大西さんを振り向きながら、息を合わせて指揮。
体をスイングさせたり、足踏みをしたりしながら30分近くを振り切り、
病気療養からの本格復帰を印象づけた。

演奏後、約2000人の観客からは大歓声があがり、会場からは長い間、拍手がやまなかった。

 この共演は、作家の村上春樹さん(64)が昨年秋、引退を表明していた大西さんの最終ライブに小澤さんを誘ったことがきっかけで実現した。

ライブ終了後、大西さんと会った小澤さんが「ここでピアノをやめちゃうというのはまったくもったいない。
絶対続けるべきだ」と話し、村上さんも大西さんを説得して共演が決まったという。村上さんは「本当に夢のような展開」とコメントしている。

 夢の共演となったコンサートには村上さんも姿を見せ、
演奏が終わると立ち上がって大きな拍手を送っていた。

【平蔵の独り言】
2012/11 目に留まった 「大西順子さん 引退」を
 【独り言】今頃何故?
村上春樹さん、小澤征爾さん の力で「大西順子さん」が甦っていた。

【小澤征爾×大西順子 夢の共演】2013/09/18
【なぜ “ラプソディー・イン・ブルー”を大西さんとやるか、について】
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by asanogawa-garou | 2016-04-13 16:28 | 今 今日この頃 | Comments(0)