カテゴリ:市井の人が一番えらい( 4 )   

〔市井の人が1番偉いんだ…〕普通に生きて、生活している。〔下町には〕とりたてて大きな事件は起こらない   

2013年 10月 10日

〔市井の人が1番偉いんだ…〕

【普通に生きて、生活している】2012/8/27

【〔下町には…〕とりたてて大きな事件は起こらない】2013/10/10
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【〔下町には…〕とりたてて大きな事件は起こらない】

下町には、
いろんな事情を持った人間を抱え込む懐の深さや、
住んでいる人の暮らしが家の外にほんの少しだけはみ出しているような独特の感覚があります。


とりたてて大きな事件は起こらない、
ささやかな日常が積み重なっていく、単調な暮らしがある。

それが下町にはある。(人の暮らしの中に)

しかし、季節の移ろいは歩くとある。
それはささやかな暮らしの中にもある。(年とともに見えない“老い”という形で)

みんな、少なからず〔心に蓋〕して向き合って歩いていく。

「このままで終わる」

後悔してはいない

そんなに生き方で三国連太郎さんは歩いていたのか!

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向田邦子【エッセー「ねずみ花火」】
ウェイトレスや看護婦さんやユニフォームを着て働く人を見るたびに、
この下には、一人一人、どんなドラマを抱えているかも知れないのだ。
十把ひとからげに見てはいけない、と自分にいいきかせている。

〔家族の何気ない日常をこまやかに描き出したエッセイ〕    
不自由な日常の中にも豊かな日常の暮らしがある。
普通の生活というのが一番大事なんだという感じ
家族そろってご飯を食べて
他愛のない話をしているのが
一番なんだなと思います。
エッセーを読んでいると、心がおだやかになっていくと感じる。

【今、】
皆それぞれ、いろんなものを犠牲にして働いている。
いろんなものを背負って生きている。
だからこそ、今を(仕事には)真剣に向き合って行かなくては!

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【平蔵の独り言】
下町には、
いろんな事情を持った人間を抱え込む懐の深さや、
住んでいる人の暮らしが家の外にほんの少しだけはみ出しているような独特の感覚があります。
―――――――――――――――――――――――――
【独り言】
今も下町には残っているのかと思うが、

高度成長に入口、39年東京オリンピックの頃
遊ぶ時、子供・小学生・中学生が思い思いに交じり合って
みんな貧乏だから、他所の家を羨ましがったりすることもなく
少し裕福な家(自営業、お店)にテレビを見に集まったり、
飲み物、お菓子を貰ったり、

出来ることをしていたように思う。

―――――――――――――――――――――――――――

【普通に生きて、生活している】2012/8/27
・名が知られていることに何の意味があるのでしょうか。
・市井の黙々と真面目に働いている人間が一番偉い。

たとえば工場の人々の職人技は、
別に有名になりたいとおもってやっているのではない。
人の役に立つ技術を自分の能力の限り追い求めているだけ。
それが仕事をする人間の本来の姿である。

〔『キマジメ人生相談室』作家〔山口瞳〕…〕

・高度経済成長期を「一生懸命生きた」人々の身近な悩みに作家が親身に答える
週刊現代(2012/5/19号ブックレビュー)
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「宮本武蔵なんて、ちっとも偉くないよ、アイツは強かったんだから。
ほんとに『えらい』のは一生懸命生きている奴だよ」


高度経済成長期に、
「一生懸命生きている奴」の本人は真剣でも、他人には滑稽だ。
『人生相談』とは小説よりオモシロイ。

日本人たちの「悩み」はどこか哀れで懐かしい。
山口瞳はそれによく付き合っている。
こういう人生指南役が、いまはいないような気がする。

「市井の人として生きる」

市井の人として生きることと、
自己実現を達成して名誉や富を獲得した人間の幸福度の差異はなにほどにもないのかも知れない。

「普通の人として、平均的な庶民として」ではあるが、
人間は【煩悩】の固まりであると思うから、欲があるから「悩み」がある。

市井の人(しせいのひと): 街の中にいる普通の人という意味。

【平蔵の独り言】
「市井の人として生きる」
市井の黙々と真面目に働いている人間が一番偉い。
日々「悩みながら」ですね!
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by asanogawa-garou | 2013-10-10 16:00 | 市井の人が一番えらい | Comments(0)

佐藤真海選手(1人のパラリンピアンが伝えた)一語一語に人生が詰まる。   

2013年 09月 15日
佐藤真海選手(1人のパラリンピアンが伝えた)一語一語に人生が詰まる。
「新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力、人々を結びつける力」
五輪を引き寄せた名スピーチ

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【佐藤真海選手「スポーツの力」訴えたスピーチ】
 〔そして、佐藤の目にも…。招致の命運は、彼女とともにあった。〕
 〈スポーツは人生で大切な価値を教えてくれた〉
【秘策!佐藤真海プレゼンが五輪引き寄せた】
 「私がここにいるのはスポーツによって救われたからです」
 「自分が立場に追いついてないな」
【東京招致委最終プレゼン全文〔佐藤真海〕】
 一語一語に人生が詰まる。
 「新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力、人々を結びつける力」
 五輪を引き寄せた名スピーチ

【被災地アスリート、訴えるのは「スポーツの力」】
 「パラリンピックの代表として、(招致)チームの一員であることを誇りに思う」
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【佐藤真海選手「スポーツの力」訴えたスピーチ】
〔そして、佐藤の目にも…。招致の命運は、彼女とともにあった。〕
2020年東京五輪・パラリンピック招致を呼び込んだ立役者の一人、
パラリンピック走り幅跳び代表の佐藤真海(まみ)さん(31)。

 右足を切断し、その後、東日本大震災で故郷・宮城県が被災しながら「スポーツの力」で乗り越えた経験を、国際オリンピック委員会(IOC)総会の最終演説で笑顔で訴えた。
支えてきた人たちは「彼女らしい素晴らしいスピーチ」とたたえた。
〈スポーツは人生で大切な価値を教えてくれた〉
 佐藤さんの義足を20個以上作った義肢装具士の臼井二美男さん(58)はこのスピーチを聞き、「彼女の誠実さや周囲の人たちへの感謝の気持ちが伝わってきた」と言う。
出会いは03年春。
大学生の佐藤さんが骨肉腫で右ひざから下を切断した後だった。
「義足でスポーツを続けたい」と相談されたが、初めは歩くことさえやっと。
臼井さんは義足を調整しながら練習に付き添ってきた。

 日本を出発する2日前の8月26日。
佐藤さんが「10年間のお返しをしたい」と、臼井さんの誕生会を開いた。
「長生きしてくれなきゃ困るからね」。冗談交じりに臼井さんを気遣ったという。
 「スピーチ、素晴らしかったよ」。決定後、臼井さんはメールでねぎらった。
(2013年9月9日15時38分 読売新聞)

【秘策!佐藤真海プレゼンが五輪引き寄せた】
日刊スポーツ - 2013年9月9日(月)9時22分
「私がここにいるのはスポーツによって救われたからです」
「自分が立場に追いついてないな」
「位の高い人からスピーチするのが常では」
そんな声に、日本社会の常識を打破した先に、
新しい日本を作るための東京五輪があると信じた。

 佐藤が抜てきを伝えられたのは、アルゼンチンにわたる1週間前。
「そんな大役…。びっくりして、できるのか心配になったけど、信じてくれる人のために頑張ろうと」。
一語一語に人生が詰まる。
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プレゼンテーションで東京招致をアピールする佐藤真海(撮影・菅敏) 
 東京に五輪がやってくる! 国際オリンピック委員会(IOC)は7日(日本時間8日早朝)にブエノスアイレスで開いた総会で、2020年の第32回夏季五輪・パラリンピック大会の開催都市に東京を選んだ。
64年の第18回東京大会以来56年ぶりのスポーツの祭典。

最終プレゼンテーションでは、走り幅跳びでパラリンピック3度出場の佐藤真海(31=サントリー)をトップバッターに起用する秘策で「スポーツの力」を訴え、招致成功をたぐり寄せた。
 日本時間2013年9月8日午前5時21分、1枚の白い紙が、半世紀ぶりの祝祭の到来を告げた。
       「TOKYO 2020」
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 その瞬間、ロゲ会長の前に座る招致団が、オールジャパンがはじけた。
最終プレゼンターの太田はいすから跳び上がる。
その後ろで滝川クリステルが泣きだしそうなかれんな表情で、喜び合う相手を探す。
太田は顔を両手で覆い、チームメートの千田が、太田に笑顔で手を差し伸べた。
体操女子の田中も最初は笑顔だったが、太田と抱き合うと目に涙があふれた。
そして、佐藤の目にも…。招致の命運は、彼女とともにあった。
 命運を分けた最終プレゼン。
東京は大胆で、緻密で、情感豊かな45分間を披露した。
高円宮妃久子さまが被災地復興支援に謝意を述べられた後にプレゼンが始まった。

壇上に立ったのは世界的には無名のパラリンピアンの佐藤だった。
プレゼンメンバーの紹介をチアリーダー仕込みの高らかな声で、明るく華やかにスタート。
 少し間をおき、東京決定へ流れをつくったエレガントなスピーチは始まった。

彼女は、「私がここにいるのはスポーツによって救われたからです」と静かに語りかけた。
目線はカメラに。両端に設置されたプロンプターは見ない。

フワリと黒髪を揺らしながら、カメラ越しにIOC委員1人1人に語りかける。
抜てきに「自分が立場に追いついてないな」と話していた3日前がうそのよう。
 「骨肉腫で足を失ってしまいました」。
右足膝下を切断したつらい過去には、言葉が詰まりそうになる。

故郷の宮城県気仙沼市が東日本大震災で津波の被害を受けた。
スクリーンには被災地の様子、佐藤が肉親と笑うシーンが映される。
一瞬、佐藤はあふれそうになる涙に言葉が出なくなった。
悲しみがあふれ出す寸前、佐藤は耐え、必死に話し続けた。

 だが、幾度もスポーツに支えられた体験をアピールするうち、自然と笑みがこぼれた。
決してオーバーアクションではなく、時に胸に手を当て、かみしめるよう。
実感こもる姿に、聴衆は引き込まれていった。
 人生を貫く「スポーツの力」。
演技では表せない自然な笑顔、悲しい表情を交えて、約4分間。
自分の人生をさらけ出し、IOC委員に届けた。「気持ちを込めて話せたな」。
それは確かに人々の心を打った。

 「とても印象的(impressive)でした」。
プレゼンを終え、佐藤がロゲ会長にあいさつすると、耳元で優しくささやかれた。
同会長は報道陣の前では「ベリーグッド」と親指を立て、佐藤のスピーチをたたえた。
モナコ公国のアルベール2世公は「エモーショナルで感動的だった。
他のIOC委員にも響いたはずだ」と絶賛。

それは、東京が温めた「秘策」が成就した瞬間だった。
 昨年12月だった。
英語によるスピーチの実績がない佐藤を、最終プレゼン1番手で起用する案が検討された。
東京が掲げる「スポーツの力」を体現する存在であり、宮城県の出身。
被災地と開催地東京。
その2つをスポーツで結ぶ、シンボルになれると考えたから。
 12年ロンドン、14年ソチでともに招致を成功させたプレゼン指導のプロ、ニューマン氏とバーリー氏らは議論を重ねた。
日本社会に根深く残る年功序列がちらつく。
「位の高い人からスピーチするのが常では」。
そんな声に、日本社会の常識を打破した先に、新しい日本を作るための東京五輪があると信じた。

 佐藤が抜てきを伝えられたのは、アルゼンチンにわたる1週間前。
「そんな大役…。びっくりして、できるのか心配になったけど、信じてくれる人のために頑張ろうと」。一語一語に人生が詰まる。


最終プレゼン前夜にはお風呂で身ぶり手ぶりを交えて練習しながら、感情が高ぶって号泣した。
「でも(涙を)出し切ってお湯と一緒に流したら、そのおかげですっきりした」。
本番では「ゾーンに入っていたかな」と足も震えなかった。
 その後に登壇した猪瀬知事は「チームジャパンでバトンリレーを本当によくできた」と、佐藤の役割をたたえた。
先頭でIOC委員を引き込み、皆が流れに乗った。
安倍首相も懸念される汚染水問題で「状況はコントロールされている」と説明。
滑らかな流れは最後までよどみなく続いた。
 決選投票の結果は、東京60、イスタンブール36。
日本の常識を超えたプレゼンで勝ち取った祭典は、低迷する日本社会へのくさびになる。

1人のパラリンピアンが伝えた「スポーツの力」は7年後、さらにその先まで日本を支えていくだろう。
「新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力、人々を結びつける力」。
五輪を引き寄せた名スピーチに、佐藤が懸命に生きてきた強さの礎が込められていた。【阿部健吾】
 ◆投票経過 1回目の投票でイスタンブールとマドリードが26票で2位タイ。どちらかを除外するために2カ国での除外決選投票が行われ、イスタンブールが過半数を取り、東京との開催都市決選投票に進む。開催都市決選投票で投票数が96になったのは除外されたスペインの委員3人が投票に加わり、そのうちの1人が欠席したため。

【東京招致委最終プレゼン全文〔佐藤真海〕】
2013.9.8 01:21産経ニュース[五輪 東京招致委最終プレゼン 2013・9]
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 IOC総会で、東京のプレゼンテーションをするパラリンピック陸上の佐藤真海選手=7日、ブエノスアイレス(ゲッティ=共同)
2020年五輪東京招致委の最終プレゼンテーション(日本語訳)

【パラリンピック女子走り幅跳び代表・佐藤真海】 
 会長、そしてIOC委員の皆様。佐藤真海です。
 私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。

スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。
それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。
本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。
 
 19歳のときに私の人生は一変しました。
私は陸上選手で、水泳もしていました。
また、チアリーダーでもありました。
そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに骨肉種により足を失ってしまいました。
もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。

 でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。
私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。
 そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。
 私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。
スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。
2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。

しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。
6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。
そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。

 私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。
食糧も持って行きました。
ほかのアスリートたちも同じことをしました。
私達は一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。
 そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。
新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。

200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしています。
 私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。
そして、日本が目の当たりにしたのは、
これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです。
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【被災地アスリート、訴えるのは「スポーツの力」】
被災地出身の佐藤さんに海外メディアから質問が飛んだ。
 「震災と東京の五輪招致はどう結びつくのか」。
佐藤さんは質問者を真っすぐに見つめると、決して滑らかではないが、英語で懸命に話し始めた。
 「日本のアスリートたちは復興に向けて努力しています。東北は私が生まれた土地。2020年までこうした素晴らしい活動を継続するチャンスがあります」
 続けて「パラリンピックの代表として、(招致)チームの一員であることを誇りに思う」。
堂々と答えた。
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アスリートによる東京招致への宣言をする会見で、招致への情熱を語るパラリンピアンの佐藤真海さん(5日、ブエノスアイレスで)=増田教三撮影
 【ブエノスアイレス=土方慎二】東京が招致を目指す2020年夏季五輪・パラリンピックの開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会が6日夜(日本時間7日午前)、ブエノスアイレスで幕を開けた。
 勝敗を分けるとされる最終演説で、東京のキーマンはパラリンピック走り幅跳び代表の佐藤真海(まみ)さん(31)。
宮城県気仙沼市出身のアスリートが、被災地で感じたスポーツの持つ無限の力を全世界に発信し、東京の勝利を呼び込む。
 現地のホテルで5日午前(同5日夜)、招致委員会が開いた日本のアスリートによる記者会見。
被災地出身の佐藤さんに海外メディアから質問が飛んだ。
 「震災と東京の五輪招致はどう結びつくのか」。佐藤さんは質問者を真っすぐに見つめると、決して滑らかではないが、英語で懸命に話し始めた。
 「日本のアスリートたちは復興に向けて努力しています。東北は私が生まれた土地。2020年までこうした素晴らしい活動を継続するチャンスがあります」
 続けて「パラリンピックの代表として、(招致)チームの一員であることを誇りに思う」。堂々と答えた。
(2013年9月7日13時12分 読売新聞)

【チャレンジする姿を見てほしい…佐藤真海さん】
IOC総会のスピーチには、「自分の物語が、『スポーツの力』を訴える日本のテーマになるなんて」と驚く。
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インタビューに答える佐藤真海さん(13日午前、都内で)=松本剛撮影
 2020年夏季五輪・パラリンピックの東京開催が決まった国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京のプレゼンターを務めたパラリンピック走り幅跳び代表、佐藤真海(まみ)さん(31)が13日、東京都内で読売新聞のインタビューに応じた。
 障害者スポーツの未来、周囲の反応、アスリートとしてのこれから……。
帰国後の思いを打ち明けた。

 佐藤さんは、障害者スポーツへの国内の認知度について
「これまでは、はれものに触る感じだったが、総会の最終演説のスピーチで、関心の高まりを感じている」と話した。

 日本代表として世界を転戦し、日本は障害者スポーツへの支援が足りないと痛感していた。
ロンドンパラリンピックの1年後にロンドンで開かれた障害者スポーツの国際大会は、
8万人収容の競技場が満員になったが、
「日本ではどんな大会でも観客席はガラガラだった」。

 10月12日に東京で全国障害者スポーツ大会が開幕し、佐藤さんも参加する。
「まだ障害者スポーツを見たことのない人が多い。興味を持ってくれるきっかけになってほしい」と期待を寄せた。

 骨肉腫で右足の膝から下を失ってから、競技に取り組む意識は大きく変化したという。
佐藤さんは「以前は根性ばっかりで、スポーツを楽しめなかったが、義足を装着することで逆に心からスポーツを楽しめるようになった」と振り返る。
 31歳の今も自己ベストを次々と更新。

20年大会については「まだ見通せないが、自分で自分の限界が見えません。
1年、1年続け、限界を作らずチャレンジする姿を見てほしい」と笑顔を浮かべた。

 震災や障害を乗り越えた体験に触れたIOC総会のスピーチには、
「自分の物語が、『スポーツの力』を訴える日本のテーマになるなんて」と驚く。
 スピーチの終了直後から、知人をはじめ、多くの人から電話やメールなどで「みんなの思いをつないでくれてありがとう」「2020年に向けて希望が持てた」といった声が寄せられたという。
同じ障害を抱える人からもあり、「明日に向けて一歩でも前を向いてもらえたらいいなと思った」と話した。
 最終演説後、ロンドン五輪組織委員会会長のセバスチャン・コー氏に肩をたたかれた。
佐藤さんは「『素晴らしいスピーチだったね』と言われて、(ロンドンから)バトンを引き継いだ思い。20年大会の成功に向けて尽力したい」と語った。
(2013年9月13日14時35分 読売新聞)

【平蔵の独り言】
一語一語に人生が詰まる。
「新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力、人々を結びつける力」
五輪を引き寄せた名スピーチ

日本社会に根深く残る年功序列がちらつく。
「位の高い人からスピーチするのが常では」。

 佐藤が抜てきを伝えられたのは、アルゼンチンにわたる1週間前。
「そんな大役…。びっくりして、できるのか心配になったけど、信じてくれる人のために頑張ろうと」。
一語一語に人生が詰まる。
最終プレゼン前夜にはお風呂で身ぶり手ぶりを交えて練習しながら、感情が高ぶって号泣した。
「でも(涙を)出し切ってお湯と一緒に流したら、そのおかげですっきりした」。本番では「ゾーンに入っていたかな」と足も震えなかった。

七年後2020年の2度目のオリンピックが日本人に日本にどのような
夢と希望をもたらしてくれるのか・・・・・・・

50年前は何もない 日本、日本人に夢、希望が実現したのであるが

見ることが出来るか・・・・・・・・・・・・・

〔1964年東京オリンピック〕
オリンピックマーチ、日本選手団の赤いブレザーの行進、聖火台への点火
マラソン・アベベ→円谷幸吉 すぐ後ろにイギリスのヒートリー

50年前の出来事が思い浮かぶ

2020年東京オリンピック開催が
50年前のオリンピックの記念切手を持っているのを思い出させてくれた。
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昭和34年の〔美智子妃殿下〕のご成婚もあった。
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〔美智子妃殿下〕のご成婚馬車パレードは当時テレビのある家で見ました。

映画 「3丁目の夕日」 の世界がリアルタイムに広がる。

ありがとう! 佐藤真海さん
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by asanogawa-garou | 2013-09-15 18:54 | 市井の人が一番えらい | Comments(0)

〔笑福亭鶴瓶〕人間って、みんな面白い。だから、無理に面白くしようとしないでいいんです   

2013年 02月 07日
〔笑福亭鶴瓶〕人間って、みんな面白い。だから、無理に面白くしようとしないでいいんです

「作ったらアカンのです。見る人には、わかる。“あざとい”と感動できない。」

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【笑いにおいで】
NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』。
ゲストと日本各地を訪れ、ときには海外まで足を伸ばし、
そこに住む人と出会い、交流していく。
ただそれだけの番組なのだが、今やNHKの看板番組のひとつになっている。

なぜ、これほどの人気があるのか。

鶴瓶はこう語る。
「大事なのは“何もしない”ということなんです。何も作らない。この自分のこだわりを、何年もかけてNHKの人たちに理解してもらったんです」

この番組は、テレビの常識にことごとく反して作られている。
台本はない。スタッフは、事前視察はするものの、
番組がとりあげることは一切、住民には伝えない。

鶴瓶も、準備しない。
待ち合わせ場所に行くまで、ゲストと顔合わせも打ち合わせもない。
オープニングでゲストが鶴瓶を見つけた瞬間の、
あの安堵の笑顔や言葉は、まさに“本音”の反応なのだ。
そしてそこから行き先を偶然に任せた撮影が始まる。
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〔人間って、みんな面白い。だから、無理に面白くしようとしないでいいんです〕

「作ったらアカンのです。見る人には、わかる。“あざとい”と感動できない。
面白いものは、後からできあがるんです。段取ったらダメなんですよ。
“美意の案配”という故事があります。
起こったことすべてに意味がある、という意味の言葉です。
僕はこの言葉が大好きなんですよ。
すべての行動に意味があるんやから、思うように、自然に動いたらええんやと。最初は嫌に思えることでも、必ずどこかでいいことにつながるんです」


相手から面白い話を次々と引き出していく、あの独特の話術も同じだという。

「何かあると思って聞くんではなく、“何もない”と思って聞くんです。
人間って、みんな面白いんですよ。無理に面白くしようとしない。
僕は、聞き方が上手なわけでもないんですよ。自分が楽しんでいるだけ。
ただ、まずは人を好きにならないといけないですよね。
嫌いになったりしたら、自分が煩わしいだけやないですか。
面白さも、人を受け入れるところから生まれるんです」

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〔“面白さ”を生み出す天才と言えば、ビートたけしだ。〕
鶴瓶は、年末の特別番組『たけしが鶴瓶に今年中に話しておきたい5~6個のこと』で毎年共演している。
今年で4度目。鶴瓶にとって、たけしの存在は特別だという。
「あれだけの大物に突っ込む人、もういないですからね」

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〔勘三郎が古典落語への挑戦を支えてくれた〕
中村勘三郎とも親交があった。
「今日、お別れをしてから来たんです。」

テレビタレントとして絶頂にいた鶴瓶は、50歳を超えてから突然、落語を始めた。
その新たな挑戦を応援してくれたのが、勘三郎だった。

落語を始めて4年目で、古典落語の名作『らくだ』をひっさげ、落語ツアーを行った。
横綱のような演目を選んだことに、プレッシャーがないはずがなかった。笑いはもらえた。
だが、自分が自分でないかのような高座に、納得がいかなかった。

初日の夜、鶴瓶は、悔しくて泣いた。
しかし、歌舞伎座で観客として高座を見ていた勘三郎は、鶴瓶にこう語ったという。
「公演前は、
『なんであなたが古典落語なんかやるの。そんなことしなくても、日常の話をするだけでも十分面白いじゃないの』
と反対してたんです。

ところが見終わったら、良かった、と言うてくれて。
『あなたがあんなアガっている姿を見たことがない。
それは、伝統に敬意を持っている証拠。だから、あなたは古典落語をやるべき人だ』と。
うれしかった。同時に、この人にはかなわんな、と思いました」


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〔落語の世界は天才だらけで、とてもかなわない。僕は、僕らしい落語をやりたい〕
鶴瓶だからこその落語のかたち

『笑福亭鶴瓶一門会』
トリの演目に選んだのは、人の死をテーマにした古典落語の名作『死神』。
色っぽい女死神を登場させ、
男女の愛情を絡めた鶴瓶流の演出が加えられた一席に、観客は万雷の拍手で応えた。

深々とお辞儀をし、拍手の中で幕がおりていく。

それを制して、最後に、鶴瓶はゆっくりと語りはじめた。
「僕の落語のテーマは“愛”なんです。
人間はいずれ死ぬんですよ。死ぬと思うてなくても死ぬんです。
志半ばでも、持って行かれる。簡単に死んでしまう。
短い人生なんだから、人を好きでいたい。面白いことをやり続けたいんです。
勘三郎も、同じ思いだったと思います。
クサいと思われるかもしれませんが、人生って、笑いって、愛なんですよ」



〔短い人生なんだから、人を好きでいつづけたいんです〕


密着インタビュー【笑福亭鶴瓶】「笑いにおいで!」週刊現代(2013/1/5・12号)


【平蔵の独り言】
ゴールデンタイム見る番組がほとんどない『鶴瓶の家族に乾杯』は何気なく、
唯一毎週見ている。
じいちゃん、ばあちゃんが主役になったり、
日々の暮らしを地道に生きている人たちが主役になったり、
鶴瓶は市井の人たちを主役にしている。

鶴瓶が言うように番組出演者仲間が楽しんでいる、
受けを狙っている“あざとい”番組ばかりの中で、キラッと光るのだろう。

人間って、みんな面白い。だから、無理に面白くしようとしないでいいんです。

〔短い人生なんだから、人を好きでいつづけたいんです〕

これが難しいですね!
“煩悩”いっぱいの毎日の中で!

健康年齢まで残り短いが、
楽しく活きたい・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2013-02-07 14:07 | 市井の人が一番えらい | Comments(0)

「宮本武蔵なんて、ちっとも偉くないよ、ほんとに『えらい』のは一生懸命生きている奴だよ」   

2012年 05月 20日

「宮本武蔵なんて、ちっとも偉くないよ、アイツは強かったんだから。

ほんとに『えらい』のは一生懸命生きている奴だよ」


高度経済成長期に、
「一生懸命生きている奴」の本人は真剣でも、他人には滑稽だ。
『人生相談』とは小説よりオモシロイ。

日本人たちの「悩み」はどこか哀れで懐かしい。

山口瞳はそれによく付き合っている。
こういう人生指南役が、いまはいないような気がする。

〔『キマジメ人生相談室』作家〔山口瞳〕…〕

高度経済成長期を「一生懸命生きた」人々の身近な悩みに作家が親身に答える
週刊現代(2012/5/19号ブックレビュー)
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by asanogawa-garou | 2012-05-20 14:53 | 市井の人が一番えらい | Comments(0)