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児玉清 雑魚扱いされ、腕組むだけで黒澤明から怒られた過去   

2011年 06月 29日
『パネルクイズ アタック25』(テレビ朝日系)の司会で知られる児玉清さん

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・雑魚扱いされ、腕組むだけで黒澤明から怒られた過去
  児玉氏にも色紙を差し出した店員にこう言い放ったのだ。
  <この人は雑魚だからサインして貰っても仕方がないよ>

・木村拓哉上司役オファーに「いまさら脇役なんて」俳優の仕事には消極的に。
  2001年に放送されたSMAPの木村拓哉(38)主演のフジテレビ系ドラマ「HERO」の出演依頼もいったんは断った。
  しかし、当時マネジャーを務めていた長女、奈央子さんから説得され、引きうけたという。


75年に「パネルクイズ アタック25」の司会者に抜擢された。

以来、3月下旬に収録を休むまで、36年にわたり担当。
一般出場者を気遣う知的で誠実な司会ぶりが、幅広い年齢層から支持された。

アタック25
36年間司会をしていて、一度として満足したことはない。
こんなことを知っていて、何の役に立つのだろうか?
クイズを出しながら!
読書家:気が弱く冒険が出来ない。読書はいろいろな世界に連れて行ってくれる。

・読書家としても知られ「子どもたちが本を読まない社会、国に未来はない。
  あらゆる人生が込められている活字の世界に触れることが大事」というのが持論。
  「翻訳が待ちきれない」と外国の本は原書で読み、分厚い新刊を月に4冊読破。
  蔵書は1万冊を数え、食堂まで山積みになっていた。
  テレビの書評番組や産経新聞の書評連載も好評だった。

すべての人に心地よい距離…児玉清さん本当の素顔とは

 児玉さんに会うと、いつも穏やかで静かな笑みの中に、力んでいた私の肩の力がすーっと消えた。
 芸能界にありがちなギラギラとした空気は無かった。

 「失敗だらけで、いつも“よーし、これで”と満足したことなど一度もない。
 この職業が本当に向いているのか、まだ答えが出ない。
 個性的といわれる人が大勢いる中で、自分は無個性。この無個性が、ここまで来た要因かな」

 そう話し、微笑んだ児玉さんの顔が忘れられない。

 ロケ現場でも、近年は目立たないように名脇役として主演のヒーロー、ヒロインを支える重要な役どころを演じてきた。

 フジテレビのドラマ「HERO」(2001年)や昨年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で、時代を走る木村拓哉や福山雅治など才能あふれる人達と交流し、人生の越し方を伝えてきたのだろう。
 それほどに、重要な存在になっていた。

 別れは突然、訪れた。
 皆が皆、「もう一度会いたかった」「もう一度話したかった」と口にする。
 一度でも会い、言葉を交わした人々が、人柄と気遣いを口にする。

 どんな人にも、どんな立場でも、人には、心地良い付き合いの距離感がある。

75年に「パネルクイズ アタック25」の司会者に抜擢された。
 以来、3月下旬に収録を休むまで、36年にわたり担当。
一般出場者を気遣う知的で誠実な司会ぶりが、幅広い年齢層から支持された。

読書家としても知られ「子どもたちが本を読まない社会、国に未来はない。
あらゆる人生が込められている活字の世界に触れることが大事」というのが持論。
「翻訳が待ちきれない」と外国の本は原書で読み、分厚い新刊を月に4冊読破。
蔵書は1万冊を数え、食堂まで山積みになっていた。
テレビの書評番組や産経新聞の書評連載も好評だった。

 その分、10年以上前から、俳優の仕事には消極的に。
2001年に放送されたSMAPの木村拓哉(38)主演のフジテレビ系ドラマ「HERO」の出演依頼もいったんは断った。
しかし、当時マネジャーを務めていた長女、奈央子さんから説得され、引きうけたという。
奈央子さんは02年、当時4歳の息子を残し、胃がんのため36歳の若さで亡くなっている。
 我が子に先立たれたつらさを「こんなに悲しいことはない」と周囲に語っていた児玉さん。
司会者として俳優として、ものを考える力や想像力の大切さを世間に伝え、奈央子さんのもとへ旅立った
(5月16日午後、都内の病院で胃がんのため亡くなった。享年77)

 児玉さんは1958年、学習院大学卒業後、俳優として芸能界デビュー。
『戦場にながれる歌』など数多くの映画に出演。
 1975年に『アタック25』スタート後は、俳優業からは距離を置いていたが、2002年に転機が訪れる。

 当時、最愛の娘である奈央子さん(享年37)は末期がんで闘病中だったが、そんななか、児玉さんの元に木村拓哉(38)主演で超高視聴率ドラマとなった『HERO』(フジテレビ系)の“木村の上司役”の出演オファーが舞い込む。
児玉さんは「いまさら脇役なんて…」と断ろうとしていた。
しかし、奈央子さんに「絶対出演してほしい」と説得され、出演したのだった。
 以来、若者からも人気を集め、NHK大河ドラマ『龍馬伝』など話題作にも次々と出演した。
※女性セブン2011年6月2日号

児玉さん新聞で書評、08年に最後の寄稿 (2008年2月24日付で、サイラス・M・コープランド著「友よ 弔辞という詩」を取り上げていた。俳優のハンフリー・ボガートやアインシュタイン博士ら、歴史的な著名人へ送られた友人や仕事仲間の弔辞29通が掲載されており、児玉さんは「その文章の素晴らしさ、語りの見事さに圧倒されるほどの感動を覚え、もうどうにも止まらない」と紹介。


児玉清 雑魚扱いされ、腕組むだけで黒澤明から怒られた過去 
2005年に発売された故・児玉清氏の回想録『負けるのは美しく』(集英社)――上品で温厚で知的なイメージのある児玉氏が同書で描いた自画像は意外や意外、コンプレックスにまみれ、敗北に敗北を重ねた負け犬の相貌であった。
児玉氏が同書発売当時に語っていた思いを紹介する。(週刊ポスト2005年11月4日号より)

 * * *
 そもそも俳優という商売はどこまで行っても後悔の連続で、これという答えがないものですから、と児玉氏はいう。

「思えば僕の役者人生は負けばかり。自分で自分が勝ったと思えることなんて、1度としてありませんね。
それでも闘っては負け、闘っては負けを繰り返し、敗北感、絶望感に常に打ちひしがれてきた」(児玉氏)

 役者とはそういうものだと人はいうかもしれない。
だがその役者に、なりきれなくてもがき、懊悩した日々を児玉氏は本書に綴るのである。
学習院大学を卒業後、母の死によって大学院進学を断念し、ひょんなことから受けた東宝ニューフェイスに合格。

「翌年の新卒採用までの、ほんの腰かけ程度の気持ちで」

 映画界に入り、1961年にデビューを果たしたものの、その後は大部屋生活が続いた。
ろくに人として扱われない日々に嫌気がさし、何度もやめようと思ったが、それはロケで訪れた博多の街に、同い年の某スター氏とくりだしたときのこと。
ある店でサインを求められたスター氏が、児玉氏にも色紙を差し出した店員にこう言い放ったのだ。

<この人は雑魚だからサインして貰っても仕方がないよ>――。
<雑魚が雑魚と言われて怒るのもおかしいが>
<もし、僕がこのまま俳優をやめたら、いつまで経ってもあいつは雑魚だったで終ってしまう>
<こうなったら意地でも俳優に踏みとどまってギャフンと言わせてやるぞ>

「僕にはどうもそういう生意気なところがあるんだなあ。
雑魚は殴られ、罵倒されて当然の現場でも、何かにつけて反発し、バカヤローと襟首を掴まれると、僕の襟首を掴まないでください、なんてことを大監督に平気でいう」

 あの、故・黒澤明監督にも、散々噛みついた。

「当時の黒澤さんは、まさに天皇のごとく君臨していて、僕が現場で腕を組んでいるだけで、腕組むなっと雷が落ちる。理屈も何もなかったな。
なのに、怒らせるなよといわれればいわれるほど、僕は“巨匠とはいえ同じ人間じゃないか”と思ってしまうんだなあ(笑い)。
納得いかないことにいちいち食ってかかる、そんな自意識過剰でヘボ役者の僕を、しかし黒澤さんは、アイツがあの気概をあと10年持っていられたら何とかなるかもしれない、といってくれていたらしい。突っ張ってばかりで、でもとにかくしゃかりきだった雑魚の思いを、感じていてくださったんですね」

【平蔵の独り言】
『パネルクイズ アタック25』(テレビ朝日系)の司会でしか
知らなかった 児玉清さん

東宝ニューフェイスとして映画界に入りしたが、大部屋生活。
<この人は雑魚だからサインして貰っても仕方がないよ>
雑魚扱いされ、腕組むだけで黒澤明から怒られた過去

読書家としても知られ「子どもたちが本を読まない社会、国に未来はない。
あらゆる人生が込められている活字の世界に触れることが大事」というのが持論。
「翻訳が待ちきれない」と外国の本は原書で読み、分厚い新刊を月に4冊読破。
(テレビの書評番組や産経新聞の書評連載も好評だった。)

自画像は意外や意外、コンプレックスにまみれ、敗北に敗北を重ねた負け犬の相貌であった。
 * * *
そもそも俳優という商売はどこまで行っても後悔の連続で、これという答えがないものですから、

「思えば僕の役者人生は負けばかり。自分で自分が勝ったと思えることなんて、1度としてありませんね。
それでも闘っては負け、闘っては負けを繰り返し、敗北感、絶望感に常に打ちひしがれてきた」(児玉氏)

人生とは何だろう  ・・・・・・ と

高峰秀子さんも三國連太郎さんも児玉清さんも

本を読んでいる。

三國連太郎さん(著書)【生きざま死にざま】の中に
[迷いに迷って今]→【親鸞】「生の事実」

《現在が大切だと思う》  とある。
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by asanogawa-garou | 2011-06-29 13:56 | 人間模様 | Comments(0)

生前「葬式は無用、戒名も不要。人知れずひっそりと逝きたい」「私の死亡記事」高峰さん自身が書いている   

2011年 06月 13日
今年始め1月5日付 よみうり寸評 で高峰秀子さんの訃報に目が留まった。
(昨年12月28日、肺がんで亡くなった。86歳であった。)
1月5日付 よみうり寸評 より
 〈女優・高峰秀子さんが三ヶ月ほど前に死去していたことが判明した〉――「私の死亡記事」(文芸春秋刊)で高峰さん自身が書いている
◆〈生前「葬式は無用、戒名も不要。人知れずひっそりと逝きたい」と言っていた。その想いを見事に実践したようだ〉と続く

 高峰秀子(以下、さんを省略)については、名前は知っていたが、主演映画『二十四の瞳』、『浮雲』など、多々あるのも知らない。

自身のエッセイに「私の死亡記事」を書いている事を知り、興味を持った。

高峰秀子【にんげん住所録】
『私の死亡記事・「往年の大女優ひっそりと」』という文章を書いている。
 それの、頭の文章は、次のように続く…
<女優・高峰秀子さんが3ヵ月ほど前に死去していたことが判明していた。
生前「葬式は無用、戒名も不要。人知れずひっそりと逝きたい」と言っていた。
その思いを見事に実践したようだ。>
 とある。

読みながら、えっ!これはなんだろう?
注釈に平成十二年十二月文芸春秋

その通り、「ひっそりと」平成22年
サラリと消えた。

【高峰秀子(86)】『にんげん住所録』・『にんげんのおへそ』
『にんげん住所録』
・クロさんのこと
黒澤明が助監督の時、
「ねぇ、デコ。そこでサ、左の手の甲に蚊が止まったと思ってよ。
その蚊をピシャリと叩いて…」
クロさんは黒い絹糸を長い指先で器用に糸を結んで「蚊」を作り、
その蚊をそっと私の手の甲に置いてニッコリした。

・老いの花道
八十歳を越えてなお現役の歌手の道をひたすら歩んだ淡谷のり子さん
「わだすはデコちゃんみたいにメンコくないし、こんなデブッチョだべ。
せめて衣装でごまかさねば、アハハ」
衣服に身体を押しこむというのは聞いたことがないから、
私はビックリ仰天した。
「まるでソーセージだべサ。衣装をつけたら最後、座るもシッコも、
なーんも出来ネ。アハハハ。だども、このお肉、どこさいぐんだべ?」
と、また淡谷さんは冗談を飛ばし、上等の香水を浴びるように全身に吹きかけてステージに向かうのだった。
人に聞かれたくないような、そんな裏話でもズバズバサラリと言ってのける、
淡谷さんを、「プロ中のプロというのだろう」
老いの花道を華やかに歩きぬいてスッ!と消えていった。
生前から「ひっそりと送ってほしい」と願っていた淡谷さんの言葉通り、
葬儀は簡素に行われたらしい。
サラリとした淡谷さんらしい見事な幕切れだった。

・美智子さまへのファンレター
「文藝春秋」の誌上座談会
テーマは「20世紀の美女ベスト50」
私の心の中には、ベスト・ワンはこの人の他にはあり得ないと思いこんでいる女性が既に用意されていた。
その女性は、品格があって聡明で、最後の大和撫子ともいえる方、美智子さまである。
私の眼でかいまみた素顔の美智子さまの思い出を綴らせていただきたい。
「ご成婚のパレードの実況放送を徳川夢声」美しいお姿にただ呆然とみとれるばかり、

皇太子殿下、美智子妃が映画をごらんになってから何ヵ月かの後
「遊びにいらっしゃいませんか?」
美智子さまもよくお笑いになった。

しかし、昭和の皇后陛下は美智子妃にだけは、ただの一度もお言葉をかけたことがなかった。
挨拶される時も美智子妃の前だけは素通り

われわれの一番は美智子さま!

・呼び名
「秀ちゃん」「秀坊」「デコちゃん」「あねぇ」「秀さん」「お姉ちゃん」「姐さん」

【しあわせな晩年であった】

エッセイの最後に
「私の死亡記事」
で書いてある。


――――――――――『にんげんのおへそ』
【ひとこと多い】
昔から、饒舌をいましめる格言、金言はたくさんある。
「舌はわざわいのもと」
「言わぬが花」
「目は開けておけ、口は閉じておけ」
「ものは言いようで角が立つ」
「言いたいことは明日言え」
「知る者は言わず、言うものは知らず」
「沈黙は金なり」
「寸鉄、人を殺す」
そして「ひとこと多い」

ほとんどはいまや「死語」に近く、この中の一言でも自身への教訓として日々拳々服膺している人が、
いるのか、いないのか

「ひとこと多い」で私の人生がヒン曲がってしまったのだから

【ただ今自分と出会い中】

ある朝、台所へ行ったは行ったが、何をどうしていいのかサッパリわからない。
手は脳の出張所というけれど、脳からの指令がないから両手はダラリと下がったままである。
私は呆然とつっ立ったまま呟いた。
「いよいよ来たか!こりゃえらいこっちゃ」
私がはじめて「老い」を感じたのは、髪に白髪を発見したときと、
「ドッコイショ!」という思いがけない掛け声が唇から飛び出したときである。
もの忘れ、持続力の低下

老いは寸時も休まずそのとがった爪の先で背中をつつく。

平和な毎日、そこへ「両手ダラリ」
「老いる」ということはなんと「忙しいこと」でもある。

司馬遼太郎先生に、
「もう、生きているのアキちゃった」と言ったら、
「そうかナァ、世の中そんなにアキることもない。
例えば1人の人間をじいっと見ていたって結構面白いもの」というお返事がかえってきた。
司馬先生の言葉は本当だった。
「老い」「ボケ」進行中の自分をじっと見ているのは結構面白い。
次はどんなポカをやらかすだろうと、スリルもあってワクワクする。

人間に不可欠なものは、一にも二にも「絶え間ない緊張感」だと、私は今更ながら思い知った。

「緊張、緊張」身体と頭に向かって

(ここには高峰秀子(デコ)を女優として人となりが語られている)

【平蔵の独り言】
人知れずひっそりと  から エッセイに読んでみた。
高峰秀子さんは5歳から55歳まで女優をしていたので
小学校も満足に行っていない。

しかし、エッセイの人間味のある 温かさ に引き込まれてしまった。

甘えず、こびず、おごらず   潔い生き方   すごい!

できそうもないので  煩悩のままに!

「高峰秀子の流儀」(斉藤明美(著)) 読んでいる。
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by asanogawa-garou | 2011-06-13 16:36 | 人間模様 | Comments(0)