<   2011年 08月 ( 2 )   > この月の画像一覧   

◆蹴る5人を決めると、オシム監督はプレーを見ずにロッカールームへ消えた。   

2011年 08月 12日
2010 ワールドカップ(南アフリカ大会)は駒野選手のPKを外して
     日本のワールドカップはあっけなく終わってしまったが、
     20年前のW杯イタリア大会、イビチャ・オシム監督の
     サッカーのPK戦をめぐる印象深い挿話があることを見つけた。

     退場者とゴールキーパーを除く9人の中から
     PKを蹴(け)る5人を選ぶとき、
     7人が監督に申し出たという。「私を外して」
  
c0219232_16345389.jpg

◆蹴る5人を決めると,オシム監督はプレーを見ずにロッカールームへ消えた。
 「(PK戦は)クジ引きみたいなものだから」。
 そう語ったと、木村元彦氏の著書『オシムの言葉』にある

 【平蔵の独り言】
 駒野友一選手にとって、20年後この出来事がどのように
 語られるのか、確かめてみたい。
 何故なら、この経験に恵まれたのは 駒野選手ただ一人であるから

2010年10月12日のアウェー韓国戦で悪質なタックルを受け、
右上腕部を骨折する重傷を負って14日に手術。

来年1月のアジア杯は新生ザックジャパンにとっても初の公式戦。
現役時代、右サイドバックだったザッケローニ監督から個人指導を受け、
韓国戦でも右サイドバックに抜てきされた駒野が
6月のW杯パラグアイ戦ではPK失敗に泣くなどつらい経験が重なっているが、
早期復活への道は自身で切り開くしかない。
悲運のサイドバックがアジア杯出場に向け、突き進む。

2011年8月10日 駒野、躍動!骨折“借り”返した
サッカー・キリンチャレンジ杯(10日、日本3-0韓国、札幌ドーム)
右肩脱臼で欠場のDF長友(インテル・ミラノ)に代わり、
左サイドバックで先発したDF駒野が起用に応えた。
c0219232_1325323.jpg

日本-韓国 後半、本田(左端)のゴール後に、天に向かって指を突き上げる日本イレブン=札幌ドーム
(右 駒野  3)
後半8分、中央へ切り込み左足シュート。
相手GKが弾いたボールがMF本田につながり、2点目が生まれた。
「海外組が多くなって、個の力が上がっていますね」とJで頑張る30歳は謙遜したが、
昨年10月の韓国戦で右腕を骨折した“借り”をしっかり返した。


2011年10月11日 駒野“笑顔”の代表初ゴール/W杯予選
c0219232_14173939.jpg

前半35分、チーム3点目のゴールを右足で決める駒野(撮影・松本俊)
<W杯アジア3次予選:日本8-0タジキスタン>◇C組◇11日◇大阪・長居スタジアム
 もう涙はいらない-。
日本代表DF駒野友一(30=磐田)が代表初ゴールとなる前半35分の得点と2アシストの活躍で大勝に貢献した。
10年W杯南アフリカ大会の決勝トーナメント1回戦パラグアイ戦でPKを外し、泣きじゃくった男が苦難を乗り越えた。
フィールドプレーヤーでは日本代表史上、最も遅い国際Aマッチ65試合目での初得点で存在をアピールした。
 右足でぶち抜いた。DF駒野件が史上最も遅い65試合目で待望の代表初ゴールを決めた。
前半35分。
相手のクリアボールを低い弾道で蹴り込んだ。
「ゴールはずっと思っていたこと。やっとゼロが1になった。うれしい」。
苦労人らしく積み重ねた日々が“記録”となって結実した。
前半11分と後半2分には正確なクロスでFWハーフナーの2得点も生んだ。
右足から1得点2アシスト。圧勝への流れを作り上げた。
 歓喜のピッチで駒野件は笑っていた。心の底から笑っていた。
もう泣き顔など必要ない。昨年のW杯のパラグアイ戦。PKを外しそのまま敗退。ピッチ上で泣きじゃくった。
日本中にそのシーンが流れた。
ワイドショーも取り上げ、日本が進撃を演じた歓喜の裏で陰の主役のように扱われた。
 W杯帰国後は「あれで日本のW杯が終わってしまった」と自分を責めもした。重い十字架だった。
今年8月のスルガ銀行杯で“あれ”以来となるPKを蹴って成功させた。
スタンドで見守った夫人は成功の瞬間、涙をこぼした。
1年以上たってなお、駒野のまわりには涙があった。
どれだけ重い失敗だったか…。家族さえも、十字架を背負っていた。
 PK失敗後も苦難は続いた。
心の傷が癒えかけた昨年10月の韓国戦で右上腕部骨骨折の重傷。
代表復帰まで10カ月を要した。
ただ、日本代表における存在は揺らぐことはなかった。
若手を積極的に登用するザック政権下でもケガのブランクも関係なく招集。
この日の先発11人中、国際Aマッチ出場数はMF遠藤の112試合に次ぐ2番目。
右サイドバックの位置を争う内田をケガで欠く中“代役”と表現しては失礼なほどの働きだった。
 泣き顔と決別した駒野は、新たな1歩を踏み出した。
 「(PK失敗は)忘れたわけじゃない。でもあれがあるからこそ、立ち直って今の自分があるんだと思う。しっかりもう1度あの舞台に立てるようにしたい」
 つまずいても立ち上がる-。
そして強くなる-。そんな無言のメッセージ。記録的な圧勝劇を、心の強い男のドラマが彩った。【八反誠】
 [2011年10月12日8時37分 日刊スポーツ紙面から]





     
[PR]

by asanogawa-garou | 2011-08-12 17:29 | サッカー | Comments(0)

〔高峰秀子〕人は生涯のうちにどれだけの人と出逢うものか知らないが、その中で、幸せをくれる人は!   

2011年 08月 06日
「鶏卵」:「目立たず地道にやっている人間」
目立たず、真面目に歩んでいる人、心の中に明かりの灯るような

人は生涯のうちにどれだけの人と出逢うものか知らないが、その中で、幸せをくれる人は何人いるだろう。

「高峰秀子の捨てられない荷物」
――――――――――――――
「高峰秀子の流儀」(斉藤明美(著))
c0219232_1715181.jpg

動じない。求めない。期待しない。甘えない。媚びない……。
不世出の名女優、高峰秀子の研ぎ澄まされた感性と心の内にあるものを、唯一側にあることを許された著者が、高峰の肉声を交えながら鋭く描く。
何が醜くて何が美しいか。何が本物で何が偽りか。
まもなく86歳を迎える彼女の日々の中にその答えがある。

【動じない】
【求めない】
【期待しない】

  「あんたが思うほど、人はあんたのことなんか気にしてないよ」
【振り返らない】
  「私は考えても仕方のないことは考えない。自分の中で握りつぶす」

【迷わない】
【甘えない】
【変わらない】

  高峰秀子は相手によって態度を変えない。
  決して上から人を見ない。

【怠らない】
【こだわらない】

  こだわることによって、人は心乱れ、右往左往し、ストレスを溜め、
  挙げ句、自分だけでなく、他人まで苦しめる。

  「心のノートにゴタゴタ書きこみたくない。いつも真っ白にしておきたい」

【二十七歳のパリ】
【媚びない】

  「私は本当は陰気な人間だよ」

【驕らない】


ーーーーーーーー

【動じない】

「私は松山じゃないから。つまり礼儀ですね」
相手に対しての【礼儀】

この人が大切にするものは【真意】だ。
飾り立てた表現ではない。
真実、相手が思っている、その気持ち。
朴訥(ぼくとつ:武骨で飾りけのないこと)だろうと、たとえ地味だろうと、それが心からの厚意であれば、深く受け止め、忘れない人である。


【振り返らない】
「私は考えても仕方のないことは考えない。自分の中で握りつぶす」
「秀さんは女じゃありませんよ」
『高峰さんみたいに面倒臭くない女優は世の中にいません』(松山)

見苦しさの三種の神器「愚痴」「昔話」「説教」が全くない。
(見苦しい人間かどうかという指標)
三種を制する薬が一つだけある。それは、客観性である。

高峰秀子の随筆群「私」がまるで黒衣ででもあるかのように、
風景のように「無私」なのである。

【迷わない】
麻布の家を建てて二十二年、豪邸を壊すに際しても、
もう女優業をやめたのだからこんな大きな家は要らない、
壊すについては一切迷わなかったという。
以前、高峰さんが言った。
「人はそのときどきの身丈にあった生活をするのが一番です」
名言だ。
豪邸をぶっ壊す。
しかも膨大な費用をかけて、2年がかりで。

55年前の麻布永坂町「なんてさっぱりしたいい所かしら」と。
そして番地を聞くと、麻布永坂町一番地
「きっぱりしていて気持ちがいい。絶対ここに決めた」

この辺に売り物がないか探してもらう。
「売り物がありました」
さっそくその館を一人で訪ねた。

玄関のチャイムを押すと、出てきたのは英国人の老紳士。
「この家、お売りになるそうですね?」
「ハイ、ソウデス」
「お幾らですか」
「五百万円デス」
「わかりました。明日、お金を持ってきます」
翌日、高峰さんは東宝から出演料を前借りすると、「はい、五百万円です」

高峰秀子には、迷いがないのだ。
そして、人生で最も大切な決断。
―結婚する時、迷いましたか?
「全然ッ、迷わなかった。ぁ、いいのがいた、と思った」

【甘えない】
高峰秀子は、人間にとって時間というものがいかにかけがえのないものかということを、実感として知っている人だ。

「時間があったら本を読む」

「私の救急車」と呼ぶ人物がいた。
作家の司馬遼太郎氏、
評論家の大宅壮一氏、
文藝春秋の社長・池島信平氏

高峰秀子は連絡することはしない。
「あの方達が同じ空の下で生きていてくれると思うだけで、幸せ」

高峰さんは五十年間の女優人生を無遅刻無欠勤で通した。

本当に優れた人間は、自分にできることを人ができなくても、
その人間を見下したり責めたりしないのだ。こうしろと強制もしない。
それでいて、高峰さんはあまりにも多くのことを教えてくれる人である。

【変わらない】
「自分をかえたい」だが、
曰く「三つ子の魂百まで」「バカは死ななきゃ治らない」
「高峰秀子は変わらない」常に良い状態を保ち、
極めて高い水準を維持している。

高峰秀子は相手によって態度を変えない。
決して上から人を見ない。
そういう人は滅多にいない。
普通、身分や肩書き、立場で「態度を変える」
身分、肩書きを言っても「それがどうしたの」

高峰は、いい仕事をしてくれた人、労を惜しまず働く人のことを決して忘れない。

人はよく高峰さんのことを「怖い人だ」と言うが、それは、人間を肩書きや地位で見るのではなく、裸のその人そのものを見るからだ。
大切なのは、何者かでなく「どんな人間か」なのだ。

「つまんない」と高峰秀子が言うと、
山本嘉治郎監督が
「何でもいいから興味を持ってごらん。
なぜだろう?どうしてだろう?って・・・。
考えるっていうことはワリと間が持つよ。
そうすると世の中そんなにつまんなくないよ」

「眼からウロコが落ちた気持ちがした」
どうせなるなら「プロになれ」という一言だったのだ
チャンスは誰にでもある。
それを「転機」にできるのは「感性」ではないのだろうか。

信用とは責任なくしてはあり得ない

【求めない】
高峰秀子にとって重要なことは、映画賞をもらうことでも、
目の色変えて金を稼ぐことでも、日本映画史に名を残すことでもなく、
ただ、日々の暮らしを自己流に快適に過ごすこと。
自ら求めたものは「結婚だけ」だから、
いかに心地よく毎日を送れるかに腐心する。

【期待しない】
「あんたが思うほど、人はあんたのことなんか気にしてないよ」

だが、本当の意味で人間を【認める】人だ。

【怠らない】
高峰さんは今年の干支、子年。春には84歳になる。
しかも小学校に通算1ヶ月も通っていない。
「イヤァ、ファイン。ハッピー・ニュー・イヤー。・・・・・」

独学で全て学んだ。

映画『東京オリンピック』(市川昆)
記録性をまったく無視した、ひどい映画。
高峰は20年以上も疎遠だった市川のために、
たった一人で声を上げた女優・高峰秀子。

「あんたの場合は、いつも一本通っているもの。
何をしてもあんたの個性をなくさないもの。
そういうものもいつもきちんと出ているよ」
市川昆は高峰秀子に言う。

【怠らない】
【二十七歳のパリ】
「女優としての最後」
「夜逃げ同然」
昭和26年6月14日羽田空港を発つ

「逃れ」たかったもの
高峰秀子が最も逃れたかったもの、
それは「女優・高峰秀子」自身からだったのだ。

バカンスのパリ
大風邪を引いてしまう。そして、(孤独)を味わう。
「高熱を出して3日3晩ベッドにひっくり返っていた」
「やっぱ、人間は一人ぽっちじゃ生きられねえんだな」
熱が下がるとお腹が空いた。

行きつけのレストランで食事をし、下宿へ戻る途中で、空を見上げた。
燃えるように赤い夕焼けだった。
突然、淋しさが私を襲い、涙がにじんだ。
アパートに一人きりで一週間二週間と経つうち、
「1日中、だれとも口をきかない、ということが、なんとも説明の出来ない疲れとなって現れ、
欲求不満は日一日と苦痛に変わっていった」

高峰さんは一体の人形を買う。(百ドルもする)
そして外から帰ると人形に「ただいま」と話しかけ、
夜寝る時はそっと隣に横たえた。

私はパリに半年しゃがんでいることによって、
心身共に健康を取り戻したようである。
その結果が「結婚」という姿で現れ
『結婚をパリで拾った』んだよね?
「そんなこと書いたっけ?」

【媚びない】
女優を生業にしていて媚びないというのは、(致命的)と言えなくもない。
女優は(見られてなんぼ)の商売であり、
一人でも多くの人の「歓心を買う」ことが使命だと考えられているから。

高峰秀子が最後まで女優業を好きになれなかった理由は、
まさにここにある。

媚びるのが大嫌いだ。というより、できない。
高峰さんは自分の性格を、「そっけない」と言う。
お世辞も言えなければ、愛嬌を振りまくこともなく、
持って回った言い方もできない。

ただ、率直である。
彼女が女優という職業の本当の使命を知っていた。
それは人間を演じること。
媚びることではない。
役柄を理解してその人物になりきることであり、
演じている自分を観客に良く見せたり美しく見せて
歓心を買うことではない。

「わざわざ映画館まで足を運んで、
少なくとも私が出ている映画を観に来てくれたお客さん。
その一人一人が私の勲章です」

この言葉を聞いた時、心が震えた。
高峰は他者に対して自分を押し付けない。

人は人、自分は自分。
人の心を縛らない。

高峰秀子は野生動物のように、無心で無我なのだ。
その作為のなさが、人の心を惹き付ける。
無心であることほど可愛らしいことはない。

ポツリとこんなことを言ったことがある。
「私は本当は陰気な人間だよ」
その時、私はドキッとしたが、どこかで深く納得した。

【驕らない】
女優は高慢である。

「なんでこんなにエラそうにするんだろう」
「感じ悪いなぁ」
「この人は、一体、自分を何様だと思っているのだ」
「きれい」「素敵」とチヤホヤされ、世辞を言われ、
スポットライトを浴びていれば、(普通の人間)は勘違いする、
「私は特別な人間なのよ」と。
そして何度か思った、
「あぁ、この人はここまでだ。だから演技もあそこまでなんだ」と。

やがて私は一つの法則を発見した。
演技の下手な女優ほど威張る、という法則。

私が体験した女優に対する認識を、
後にも先にも根こそぎ覆した、唯一の人。
それが、高峰秀子である。

いよいよインタビューするために、初めて本人にあった。
一人で来た。
私が知る限り、取材現場へ一人でやってきた女優はいない。
銀幕で名を馳せた女優が誰も連れずに
取材現場に現れることはまずない、と私は断言する。
だが、銀幕の大スター高峰秀子は、たった一人で来た。

「こんにちは。高峰です」
ニカッとして、私にそう言った。
「十年か二十年して一度おめにかかればと思っていたのに」
私は直立不動で、言った。

すると高峰さんが、「十年か二十年?死んでます、私」
ケロリと返した。いいぞッ、この人!七十歳でこんな返球をする人。

高峰秀子にとって、一番大切なこと。
当たり前の一人の「人間であること」

初めて会った記者である私に、彼女は意見を求めてくれ、
その上、きちんと納得して、私の意見を取り入れてくれたのだ。
私は彼女から、取材する側とされる側の「対等」を教わった。
そして彼女の仕事に対する(真摯)を感じた。
以後、私は高峰さんと数え切れないほど仕事をさせてもらった。
彼女が初めて会った時に見せた、仕事に対する姿勢、人に対する対応、
その誠実さは、何一つ変わることがない。

高峰秀子が、自分を「特別な人間」などとは全く思っていないこと。
それに尽きる。
「普通にして欲しい」
ぞんだいな物言いをしたり、見下したにしないで、
お互いがお互いを尊重している。

高峰さんの新しい著者が出た時だ。一冊取り出して
運転手さんに「一冊、貰ってくださる?」
その数日後、偶然、運転手さんと出くわした。
見れば、大きな紙袋を提げている。
「知り合いの者に、奥様の新しいご本を配ろうと思いまして」
はにかむように言った。
高峰秀子の人望。そこに一瞬の「驕り」もない。


【こだわらない】
「いちいちこだわっていると女優なんかしてこられなかったからね」
肩に力の入っていない人である。

「こだわる」
①さわる。さしさわる。さまたげとなる。
②気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する。

こだわることによって、人は心乱れ、右往左往し、ストレスを溜め、
挙げ句、自分だけでなく、他人まで苦しめる。

高峰秀子という人間を見ていて、言えることは、一言(意志)である。

その意志を実行に移すための(知性)である。
(知性)は知恵とは違う。
本人さえ望めば、いくらでも手に入れることができる。
「心のノートにゴタゴタ書きこみたくない。いつも真っ白にしておきたい」

明らかな、高峰の(意志)である。
『こだわらない意志』

高峰さんが(歩く)ようになった。
「歩くために歩く」ようになった。
「イチ、ニッ、イチ、ニッ…」

この春、高峰秀子は、八十五歳になる。

「高峰秀子の流儀」斎藤明美(著)

c0219232_17344295.jpg

ーーーーーーーーーー

【平蔵の独り言】

高峰秀子さんが随筆の通り

葬儀不要、戒名不要

逝去

ニュースを目にして、随筆を読んで見る。

高峰秀子さんのように 「潔く」生きるのは出来そうもない・・・・・・・

人のこころに不動などない。(寒ければ寒い、痛ければ痛い)

それでいいのだろう!

「鶏卵」に「目立たず地道にやっている人間」
目立たず、真面目に歩んでいる人

そういう生き方に思いが行く。

心の中に明かりの灯るような

人は生涯のうちにどれだけの人と出逢うものか知らないが、
その中で、幸せをくれる人は何人いるだろう。

この励ましをくれる人との出会いが本との出会いが

明治維新、太平洋戦争に匹敵する東日本大震災

明治維新の「命もいらず、名もいらず」山岡鉄舟
太平洋戦争の「落日燃ゆ」廣田弘毅

を、読んでいる。
[PR]

by asanogawa-garou | 2011-08-06 17:35 | 人間模様 | Comments(0)