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なでしこジャパン:左サイドバック 鮫島彩   

2011年 10月 26日
なでしこジャパン:左サイドバック 鮫島彩

なでしこジャパン:女子ワールドカップ(ドイツ大会)初優勝
なでしこ鮫島、新天地モンペリエに出発(2011/9/18)
なでしこジャパンDF鮫島彩(24=モンペリエ)が26日、
公式動画ブログ「鮫島彩オフィシャルTV」を開設(2011/10/26)


[ドイツ戦から気になる選手(左サイドから駆け上がってきて、ドリブルのボールさばき、スルーパス、クロス) 誰だろう?]

(長友を彷彿させるのような サイドバックは)・手をペンギンのように振って、内股(女の子走り)の15番(鮫島彩)と知った
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鮫島彩・Q&A でこのように語っている。
――鮫島選手といえばドリブルが持ち味のひとつですが、狙いは常に「ゴール」ですか?
「積極的にゴールを目指して得点が取れれば最高なんですが、仕掛けることで相手ディフェンスのバランスがくずれて、味方の選手がフリーになって、結果としてゴールにつながればいいと思っているんです」

【なでしこ 左サイドバック(鮫島彩)】

(所属チーム:米国・ボストンブレーカーズ)は東日本大震災でサッカーを続けられない状態になり、米国に移籍するまで在籍したのは、なでしこリーグの東京電力。
社員として福島第1原発で勤務していた鮫島は、東日本大震災の影響によるチームの活動停止を受け、一時はサッカーをやめることも頭をよぎった。
 それでも競技を続けたのは「すぐにサッカーができる環境を周りの人が整えてくれた」ことへの感謝の気持ちから。
国内の他チームは「心情的に難しい」と、英語も話せないまま異国に新天地を求め、1試合の出場を果たしてから代表に合流。
W杯では「少しでも勇気づけたい」と、被災者のことを思って戦い続けた。

なでしこ鮫島、新天地モンペリエに出発(2011/9/18)
W杯ドイツ大会初戦からロンドン五輪アジア最終予選まで全11試合連続フル出場でアジア最終予選1位突破に貢献した。
不動の左サイドバック。

米国ボストンからフランスのモンペリエに移籍
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フランスのモンペリエ デビュー
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公式動画ブログ「鮫島彩オフィシャルTV」を開設(2011/10/26)
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by asanogawa-garou | 2011-10-26 13:39 | サッカー | Comments(0)

向田邦子ふたたび〔直木賞を受賞しなければ!〕   

2011年 10月 18日
向田邦子ふたたび
〔直木賞を受賞しなければ、台湾旅行中に飛行機の墜落で事故死に会わなかった!〕

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【向田邦子は戦友だった】(山口瞳(作家))
「直木賞をとらなければ、写真集を出そうなんて物好きな出版社もなかったろうに…」
「バカな死に方をして!」
「直木賞をとらなければ」という言葉には辛い思いをした。
昭和55年の7月17日の午後8時ちかく、意外にも向田邦子は劣勢だった。
「そうそう。うますぎるんだよ。うまいことは認めるが」
「一回は見送っていいんじゃないか」
「そうかもしれない。そのほうがいいか」
「向田邦子は、もう、51歳なんですよ。そんなに長くは生きられないんですよ」
と、私が言ってしまった。
私の発言は、カウンター・パンチのように効果があったらしい。
向田邦子は非常に若く見えるのである。
「向田邦子さんという人は、私より小説が上手です」
「それから、随筆も私より上手です。いやんなっちゃうねえ」
この女(ひと)は戦友だなと思った。〔山口瞳〕
向田邦子は、直木賞を受賞したらどういうことになるかがわかっていないようだった。
あんなものを書いてしまった作家を、マスコミが放っておくわけがない。
時には承知で潰しにかかってくるのである。

この女、何もわかっていない。
向田邦子は平然としていた。
その気っ風が怖い。
その度胸が怖い。
私は彼女にこんなことも言った。
「僻み、嫉み、妬み、これが怖いよ」
自分に近い人間で、これがある。
これが怖い。
「インテリ美人が特に狙われる」
「私、インテリでも美人でもないわ」

彼女がごく最近
「山口さんに言われたこと、みんなその通りだったわ」
そのときは疲れはてていた。
ある人は、最後まで元気一杯に飛び廻っていたと言うかもしれないが、私はそうは思わない。
とにかく傷々しくって見ていられない。
「直木賞をとらなければ死なずにすんだかもしれない」
遺影が私に話しかけてきた。
「あなたがいけないのよ。私のことを五十一歳なんて言うから」
その写真も笑っていた。
戦友〔芳章院釈清邦大姉〕
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【向田邦子が惚れた男・マハシャイ(伯爵)・マミオ(コラット種)】(須賀三郎(編集者))
向田さんの死後、マミオは一歩も自分の部屋から出ようとはしなかった。そして3ヶ月ほどたった納骨の前夜、部屋を出たマミオは、あたかも主人を探してでもいるかのように、家の中を歩き回った。
【マミオ】偏食・好色・内弁慶・小心・テレ屋・甘ったれ・新しもの好き・体裁屋・
     嘘つき・凝り性・怠け者・女房自慢・癇癪持ち・自信過剰・健忘症・
     医者嫌い・風呂嫌い・尊大・気まぐれ・オッチョコチョイ…。
きりがないからやめますが、貴男はまことに男の中の男であります。
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【その日、部屋を片づけて旅に出た】(松井清人(編集者))
旅に出る前々日、親友がふと、本や雑誌でいつも乱雑な部屋が、ひどくきれいに片付いていることに気づい。
「どうしたの、今は!」
向田邦子はいたずらっぽく笑って、こう言った。
「へへ、あたしだってたまにはやるよ」
その声が今も耳に残って離れない。

【ふっとつぶやくように言った】(吉行淳之介(作家))
「あと2年ですから」
「それ、どういうことですか」
意味不明なので、聞いてみた。
癌の手術をすると、とりあえず五年延命となる。
五年後にまた次の五年が保証されることもある。
その2年が残っている、という意味のことを、説明してくれた。
「だから、いまのうちにたくさん旅行しているんです」
と、向田邦子が言った。
しかし、間もなくの飛行機事故の予感は全くなかったにちがいない、とおもっている。

【向田さんについて語る人すべて、死後のみならず生前からすでにうっとりした表情を浮かべていた】(野坂昭如(作家))
生まれ育った時代のけじめをきちんと保った雅やかなお辞儀、おいしそうなものの食べ方、正しく見惚れてしまう女性であった。
惚れ惚れと、そのお召しになった衣装もふくめ、たたずまいに見とれ、あるいは口になさる言葉に耳を傾けることは、許されるだろう。
向田邦子さんは、まさしく、見とれてしまう女性であった。
〔向田さんの突然の最期を思い合わせて、向田さんについて語る男たちの、多くが、その在りし日々、すでにうっとりした表情を浮かべていたのである〕

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【賢姉愚弟】(本田靖春(作家))
テレビ『誘拐』の成功は向田さんを抜きにしてはあり得なかった。
拙著『誘拐』はテーマが暗いと企画が一年にわたりタナざらしされる。
吉展ちゃん事件を犯人小原保の側から描いた『誘拐』が明るい内容であるはずがない。
企画の打ち切りを繰り返ししていう中で初対面の向田さんが真正面に私を見据える切れ長の目があった。
「向田さんのこと」の中で、次のように書いている。
〈ありふれた時代劇仕立てで恐縮だが、狭い堀端の道か何かを道場剣法の私が行くとする。
向こうの闇の中から、ふわっと浮かび上がった懐手の浪人者が向田さんである。
ぶっかって抜き合えば、肉の厚い剛刀でこちらが斬られる。が、あいにく逃げ場がない。
まあ、そういう感じであった〉
「斬られる」と直感したのは、実をいうと、私を見据える向田さんの視線に出逢ったその瞬間のことである。

「テレビ・ドラマというのは、脚本家の力だけではどうにもならない面があるんですよ。
でも、私のことはいいの。このお仕事だけは、何としてでも成功させなくちゃねぇ。
私、入れ込んでいるんですよ」
向田さんが『誘拐』に賭ける熱心さは、私のように離れた位置から見ていても、並々ならぬものがあった。
スタッフに主演の小原保役として泉谷しげるを推薦したのも向田さんである。
作品が完成して、局の試写室で小原を演じる泉谷の姿が映し出されたとき、
誇張ではなく私の背中を冷たいものが走った。
放送日が本決まりになると、向田さんは批評家やテレビ担当記者に自分から電話を入れて、「これを観ておかないと、あなた恥をかくわよ」といったふうに、試写を勧めた、
という話をスタッフから聞かされた。
向田さんは、終始、スタッフにとって心強い援軍であり続けた。
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賞の下馬評が伝えられるたび「大丈夫よ。きっともらえるわよ」とスタッフを励まし、
「でも、そうなると、私のがはずされるんだわ」と笑われていた向田さんの顔が浮かぶ。

下種な言い方になるが、一文の得にもならないよその仕事に情熱を注ぎ、
その成功をわがことのように喜ぶ向田さんに接して、路上での別れ際に向田さんはこういった。

「あなたは私より三つも弟じゃないですか。姉として申し上げますけどね。あなたそのまま行くと、ただの拗ね者になりますよ。
あれがいけない、これがいやだなんていわず、いまは黙ってどんどんお書きなさい。
そういうことだって大切なんですよ。いいですか。ここで約束なさい」
初対面の席での直感が現実になったのである。一刀両断。私には返す言葉がなかった。

【できすぎた小姑をもった不出来な嫁の憂鬱を私に感じさせた】(桐島洋子)
向田さんと私は、同じ時期に週刊文春で同じ二頁のエッセイを連載していた。
向田コラムの裏番組が桐島コラムというわけだから、彼女の存在は当然ひどく気に懸かる。
一度一読しておぬしできるなと尻尾を垂れて以来、臆病な私は、彼女の頁からなるべく眼をそらすようにしていた。それでも時々読んでしまうのだが、その度にいささか憂鬱になった。
できすぎた小姑を持った憂鬱とでも言おうか、何もかも心得たオネエサマのいたいたしいほどこまやかな気働きに感服しながらも
「どうしてそんなによく気がつくの、もう少し気楽にしてくれなきゃ、こっちまでシンドイじゃない」
とお尻をもぞつかせる不出来な嫁の気分なのである。
特に彼女の、これでもかこれでもかと中年男の郷愁のツボに触れる絶妙な指圧の指さばきに、
「かなわないなあ、いい加減にしてよ」
と、ちょっといじけた女は私だけではないだろうと思う。
それでいて彼女は、かなわない女の憎たらしさを全く感じさせないひとだった。
むしろいたいたしくてならないひとなのである。
向田さんは、多分私にもまして臆病で人見知りで傷つきやすく世間への脅えにみちみちた淋しがりやだったのだろう。
彼女と二人きりでゆっくり話をする機会をはじめて持ったのは、文藝春秋の忘年会の席だった。
この会はほとんど中高年大家ばかりのお集まりだから、
私のような下っ端編集者上がりの若輩は身の置き所のない思いにうなだれてしまうのだが、
同じように隅っこでオドオドと身をひそめている向田さんと眼が合った途端、
お互いホッと救われたように歩み寄り、最後までつるんでしゃべり続けながら、
同病相憐れむべき人種であることを認識し合ったのだった。
二人とも内気な性向に逆らって、世間にしゃしゃり出る職業を選んでしまったが、
それが成功して露出部分が増すほど、赤むけの因幡の白兎のように風当たりへの脅えも深まるのである。
勿論彼女の方が私よりも神経が繊細なだけ、言動で気配りが細かい。
向田さんが亡くなって大勢の人々が追悼分を書いたとき、彼女がかなり厭がっていた何人かの人までが、
いかに彼女と仲良くつきあっていたかということを披露しているのに驚いた。
多分それは本当なのだろう。
向田さんはときには嫌いな人にもにこやかにつとめたり尽くしたりすることのできる我慢の人だったらしい。
彼女の口癖であるらしい
「後妻の口がないかしら」
この言葉を聴くたびに私は、これは本音だなと思い、なにか胸を衝かれるのだった。
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【平蔵の独り言】
没後30年にあたる今年NHKで【胡桃の部屋】がドラマ化された。
以前「知るを楽しむ」・私のこだわり人物伝「向田邦子・女と男の情景」
(NHK教育、2005年6月)で、向田邦子を思い返させてくれた。

向田作品には、日常の残酷さ、滑稽さ、無邪気だからこそ怖いところ、
ちょっとしたいやらしさなど、悪くて魅力的なことを堂々と書いてしまう。
そこが、震えるほど恐ろしいが、惚れ惚れするほど、格好良いのだという。
怖さと切なさを思い起こさせてくれる。


と、あった。

東日本大震災があった今年(2011)は、くしくも作家・脚本家の向田邦子が亡くなって30年目の年だった。
昭和の家族を描いた向田作品が今、改めて見直されているという。
その背景にあるものは、何なのか。
向田作品を今読む意味は、人が支え合うことの大事さを学び、
乾いた心が潤うことにあるのではないでしょうか(女優・岸本加世子)

「人は完全ではなく、家族であっても弱さから、裏切ったり憎しみあったりするものなのです。
どんなにひどい関係であったとしても、『最終的には家族の絆は大事なんだ』ということを伝えたかったのではないでしょうかね」
向田作品

『家族でいるためにはもっとこらえ性がないとね!』
「どう人と支え合って生きていくか」
向田作品はそんなこと伝えてくれる。

サンデー毎日「向田邦子と3,11」
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by asanogawa-garou | 2011-10-18 15:32 | 人間模様 | Comments(0)

なでしこジャパン:女子ワールドカップ(ドイツ大会)初優勝   

2011年 10月 11日
なでしこジャパン:女子ワールドカップ(ドイツ大会)初優勝
2011/7/17 女子ワールドカップ ドイツ大会 優勝
2011/9/11 なでしこジャパン、アジア最終予選一位通過


【女子ワールドカップ(ドイツ大会)】
女子ワールドカップが開かれているとは知らなかった
[1次リーグ、メキシコ戦で 澤 ハットトリック]
((釜本のゴール記録を抜く)昭和43年メキシコオリンピックでサッカー(銅メダル)獲得の立役者)
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・1次リーグを2勝して、ベスト8に進む最後のイングランド戦の完敗したころから、マスコミも注目し始め知った。
当然、試合も見ていなかった。

[ドイツ戦から気になる選手(左サイドから駆け上がってきて、ドリブルのボールさばき、スルーパス、クロス) 誰だろう?]
(長友を彷彿させるのような サイドバックは)

・手をペンギンのように振って、内股(女の子走り)の15番(鮫島彩)と知った。
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鮫島彩・Q&A でこのように語っている。
――鮫島選手といえばドリブルが持ち味のひとつですが、狙いは常に「ゴール」ですか?
「積極的にゴールを目指して得点が取れれば最高なんですが、仕掛けることで相手ディフェンスのバランスがくずれて、味方の選手がフリーになって、結果としてゴールにつながればいいと思っているんです」

【平蔵の独り言1】
プレミアもリーガ・エスパニョーラ、ブンデスリーガもサイドバックにいいプレイヤーのいるチームが実績を上げて、注目されている。
ロベカル(ロベルト・カルロス)、メッシ
FW、2列目のシュート、ゴールは華やかだが、サッカーの醍醐味はその過程にあると自負しているものとしては、15番(鮫島彩)のプレーは見ていて楽しい。
・DFラインから前線までをカバーしている攻撃的左SB、サイドをスピードに乗ってドリブルして切り込み、時にはシュートを打つ。

【なでしこ 左サイドバック(鮫島彩)】
(所属チーム:米国・ボストンブレーカーズ)は東日本大震災でサッカーを続けられない状態になり、米国に移籍するまで在籍したのは、なでしこリーグの東京電力。
社員として福島第1原発で勤務していた鮫島は、東日本大震災の影響によるチームの活動停止を受け、一時はサッカーをやめることも頭をよぎった。
 それでも競技を続けたのは「すぐにサッカーができる環境を周りの人が整えてくれた」ことへの感謝の気持ちから。
国内の他チームは「心情的に難しい」と、英語も話せないまま異国に新天地を求め、1試合の出場を果たしてから代表に合流。
W杯では「少しでも勇気づけたい」と、被災者のことを思って戦い続けた。

なでしこ鮫島、新天地モンペリエに出発(2011/9/18)
W杯ドイツ大会初戦からロンドン五輪アジア最終予選まで全11試合連続フル出場でアジア最終予選1位突破に貢献した。
不動の左サイドバック。
米国ボストンからフランスのモンペリエに移籍
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【女子ワールドカップ ドイツ大会】
準々決勝(ベスト8):ドイツ戦 1-0:延長後半3分、澤からのクロスを丸山が値千金のゴール
(後半頭から 永里に替えて丸山を投入、その丸山が延長後半にゴール!)
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準決勝(ベスト4):スウェーデン戦 3-1:川澄のループシュートを含む2点(ドイツへ入ってから好調だったがサブメンバーの川澄を大一番で先発)
「前線からの守備」戦術で先発起用した川澄が大仕事
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佐々木監督がスウェーデン戦で打った手は控えの川澄奈穂美を先発メンバーに起用したことだった。
「前線で守備、攻撃とも走り回れ」
これが川澄に与えられた役目だった。川澄はスタミナのあることではチームでも有数の選手だった。
「運動量を求められての起用でした。だから守備では相手にプレッシャーをかけ続けようと思っていました」と川澄は振り返った。
この川澄先発は日本の関係者、メディアも驚いた。
こういうところに佐々木監督の深みのある作戦といろいろなタイプの選手を作っていた巧みさがうかがえた。
永里優希を外し、安藤梢と2トップを組ませた戦法は、前半19分にその川澄の同点ゴールという結果をもたらした。
後半に入り、15分に澤のゴールで逆転すると、19分、飛び出した相手キーパーのクリアボールが川澄の足元に。
すかさず29mの位置から無人のゴールめがけて放ったループシュートが決まり、この試合2点目。このロングシュートはFIFAの「ゴール・オブ・ザ・デイ」に選ばれた。
準決勝という重要な試合で、始めて先発メンバー変更をやってのけた佐々木監督の勝負勘と選手使いの妙が光った。

決勝(ファイナル):アメリカ戦 2-2(延長・PK3-1)
後半アメリカ先制、81分同点
延長前半アメリカ先制、延長後半終了3分前に同点
PK GK海堀のセービング(PK3-1)
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PK戦までもつれたW杯決勝を制して優勝したなでしこジャパン。
世界ランク1位のアメリカを倒し世界の頂点に立った
「パワーとスピード」のアメリカに、「連動性と走力」で対抗する日本。
しかし、どうもしっくりこない。
パスミスからピンチを招くことも多く、アメリカがゲーム序盤を支配。
日本はハイプレッシャーにさらされながら耐え続け、前半が終わった。
 前半に勝負をかけていたアメリカに対して、日本はそれをしのいでチャンスを狙っていた。
後半、アメリカに先制を許しはしたが、徐々に日本のいい攻撃パターンが出るようになってきた。
 すると81分、永里優希のクロスを丸山桂里奈が中央で受け、こぼれたクリアボールを宮間あやが押し込んだ。同点。試合は延長に突入する。
 延長戦の直前、最初に引き上げてくる澤を、水を持って迎えたのはベテランGK36歳の山郷のぞみだった。山郷は澤にドリンクを差し出すと、澤の足をほぐしはじめた。
ベンチの選手たちが、ピッチで走り続けた選手全員に同じ行動を取った。
 延長前半、アメリカが再びリードを奪う。
104分、警戒し続けていたワンバックの一撃だった。これで終わりか――。
しかし、なでしこたちは誰ひとりとして、そんなことを思っていなかった。
「絶対に私たちの方が勝ちたい!って気持ちが強かった」と鮫島彩が言うように、彼女たちはあきらめていなかった。
そしてチャンスは訪れた。
117分、宮間のCK。ニアに走り込んだ澤が右アウトサイドで合わせる。ゴール。
日本が再び同点に追いついた。
 延長後半終了間際には、岩清水梓がモーガンの突破を退場覚悟のファウルで阻止。
佐々木監督はピッチから出る岩清水から視線を外さず、ベンチに戻ってくると声をかけた。
「それでいい」。
直後、延長後半終了のホイッスルが鳴り響いた。
 この時点で勝負は決していたのかもしれない。
たしかに日本はPKが決して得意ではない。
しかし、それ以上にアメリカには「なぜこんな展開になったのか」という焦りや混乱、
割り切れない思いが120分を通して蓄積していたはずだ。
失うものがない日本の方が精神的に有利だった。
 さらにGK海堀あゆみのセービングが冴えわたった。
1本目をストップして追い風を生みだすと、2本目にミスを誘い、3本目を再びセーブ。
日本4人目のキッカーである熊谷紗希のプレッシャーを取り除いた。
 ピッチでは澤が、近賀が、鮫島が、そしていつも動じる表情を見せない宮間までが、祈るように静かに目を閉じ、その瞬間を迎えようとしていた。
 熊谷の蹴ったボールがゴールネットに吸い込まれた瞬間、ピッチは歓喜に包まれた。
はかなくも強く、まっすぐで不器用な、けれど世界で一番美しい花がそこにはあった。
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澤穂希 PKの順番は10番だった? 2011.7.14 09:07
(PKの間、一番最後に澤・鮫島と並んでいた 10番目)
澤穂希がワールドカップ決勝のPK戦でける順番が10番だったそうです。
「PKは苦手でけりたくない」という澤穂希は、順番を決めようとする佐々木監督に
「最後にしてください」と頼んだという事です。
岩清水が退場して10人となっていた日本で、澤はGK海堀より後の「10番」に。
周囲からは「ええっ」「澤さん、ずるい」などと声が上がったが、佐々木監督は
「さっきお仕事をしてくれたから」と延長後半の澤の同点ゴールを理由に順番を確定。
笑いが起きたらしい。

そして、極めつけは澤がPKを大の苦手にしていることです。
5年前のドーハアジア大会の北朝鮮との決勝戦で、先攻の日本は澤が1番手で蹴りましたが相手GKに阻止されてしまい、日本は2-4で敗れて大会初優勝を逃した苦い経験があるからです。
澤はこれがトラウマになって、現在に至るまで公式戦では2度とPKは蹴ってないです。
最も大事な場面であんな難しいゴールを決める人でも自信が無いのだから、PK戦とは全く別物なのでしょう。
これだけ不利な材料が揃っていたにも関わらず、GK海堀あゆみの驚異的な大活躍もあって勝ったのだから、本当に恐れ入ります。
やはり、笑顔で円陣を組んでリラックスしていたのが良かったのかもしれませんね。

【平蔵の独り言2】
女子ワールドカップ(ドイツ大会)初優勝 :すべては澤のハットトリックから
始まった。
準々決勝・ドイツ戦:後半頭から斬った“丸山”が決勝のゴール
準決勝・スウェーデン戦:(ドイツへ入ってから好調だったがサブメンバーの川澄を大一番で先発)“川澄”のループシュートを含む2点
決勝(ファイナル)アメリカ戦:先制されては同点、延長前半ワンバックのゴール、延長後半117分、“宮間”のCK。ニアに走り込んだ“澤”が右アウトサイドで合わせる。ゴールで再び同点。
PK戦GK海堀あゆみのセービング。
主役:澤穂希、脇役:丸山、川澄、宮間、海堀 他  監督:佐々木則夫

東日本大震災の暗い思いを爽快になでしこジャパンW杯優勝を「サッカーの神様」がくれた。

[なでしこジャパン、アジア最終予選一位通過]2011/09/11
9月1日からロンドン五輪アジア最終予選が始まるなでしこジャパン。
・予選は6か国の総当たりで上位2か国が五輪出場権を獲得する。

わずか11日間で5試合を戦う超過密日程を通算4勝1分け、勝ち点13の1位で予選を終了、3大会連続4回目の五輪出場を決めた。
日本3―0タイ  ロンドン金へ号砲!川澄弾がなでしこ救った!!
日本2―1韓国 なでしこ2連勝 韓国に2―1で勝利
日本1―0オーストラリア 川澄、五輪王手弾!なでしこ、豪州も突破し3連勝
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日本1―1北朝鮮佐々木監督「冷や冷やドキドキ。まずは安心」
・北朝鮮に苦戦し、後半37分にオウンゴールで先制も、終了直前に失点して1―1で引き分けた
日本1─0中国中国下し無敗で1位


【平蔵の独り言3】
読売新聞が2011/7/19の[社説]・[編集手帳]・[よみうり寸評]
すべて「なでしこジャパン」であった。
ロンドン五輪アジア最終予選を1位通過
これからのロンドン五輪まで話題が豊富で目が離せない。
なでしこジャパン、フランスのモンペリエ鮫島彩

【編集手帳】◆サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で日本代表「なでしこジャパン」が初優勝の快挙を成し遂げた。
準々決勝の直前には全員で被災地のビデオ映像を見たという。
被災者の懸命に生きる姿が選手たちに上を向かせ、選手の躍動が被災者に上を向かせる。
【よみうり寸評】◆今年一番の爽快な思いだった。
「なでしこジャパン」に心から、おめでとう、そして、ありがとう
【社説】なでしこ世界一 日本中を元気付けてくれた


◆今年一番の爽快な思いだった。「なでしこジャパン」に心から、おめでとう、そして、ありがとう
7月19日付 よみうり寸評  から
 今年一番の爽快な思いだった。「なでしこジャパン」に心から、おめでとう、そして、ありがとう
◆〈最後まであきらめない〉――その強い心と行動力でつかんだ夢の世界一。
  過去一度も勝てなかった米国相手のW杯決勝戦はそれを象徴するゲームだった
◆延長戦まで2度も先行されながら、その都度追いつき、2―2でもつれ込んだPK戦の末の快勝。
  延長戦でのキャプテン沢穂希の同点ゴール、PK戦でのGK海堀あゆみの2本のセーブはともに神業を思わせる高度のプレーだった
◆決勝までドイツ、スウェーデンの強豪を倒してきた歩みでも、
  途中出場や初先発だった丸山桂里奈、川澄奈穂美らの活躍を思う。
  強い結束の勝利だ
◆延長も時間切れ寸前にレッドカードで退場した岩清水梓。
  レッド相当かどうかに疑問もあるが、あのプレーも〈あきらめない〉表れ。
  ゴール正面で米の決勝点を身をもって防いだ
◆18年も日本代表で戦い、今大会のMVPとなった沢は最後まであきらめない日本イレブン全員の象徴でもある。
(2011年7月19日13時46分 読売新聞)
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by asanogawa-garou | 2011-10-11 17:28 | なでしこジャパン | Comments(0)