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道具 機器の奴隷になるな(お願いです。電子機器の奴隷にならないでください。)   

2012年 12月 18日
道具 機器の奴隷になるな
お願いです。電子機器の奴隷にならないでください。

【夜回り先生のエッセー】2012年12月18日(全文)

子どもたち、この世の中に道具ほど便利なものはありません。
私たち人類は、道具を作り利用することを通じて、この文明をつくってきました。
農耕のための鋤(すき)の発明は、それまでの不安定な狩猟採集生活から、定住して穀物を多量に作ることを可能とし、私たち人類の人口を飛躍的に増大させ、さらに備蓄できる穀物の栽培は、私たちに富と権力そして学問や科学を生み出すゆとりをつくり出しました。
 今現在は、さらに優れた道具が発明され、世界中を飛行機で飛び回ることもできますし、かつては暗い闇の中でおびえながら過ごしていた夜は、電気の明かりに駆逐され、歓楽の時となっています。
子どもたち、君たちの周りを見渡してみてください。
いかに、たくさんの便利な道具が溢(あふ)れているか。

 でも、子どもたち、この世の中に道具ほど危険きわまりないものはありません。
銃の発明や、ノーベルによるダイナマイトの発明は、たくさんの人の命を奪ってきました。
また、今問題となっている、原子力発電は、今回の大震災の事故によって、
多くの人から住む家や故郷を奪っています。

子どもたち、この道具の危険さを、君たちは知っていますか。
 今、多くの子どもたちが、いやほとんどの子どもたちが、
小学校時代から、ゲーム機や携帯電話、インターネットを使っています。
確かに、これらの道具は、情報を調べたり使ったりすることに対しては、とても役に立つ道具です。
また、日々の娯楽のためにも、楽しい道具でしょう。
でも、危険な道具ではないのでしょうか。

私は、君たち子どもたちにとって、
これらの電子機器は、君たちの明日を汚しつぶす可能性のある、危険な道具だと考えています。

 子どもたち、君たちは、親や大人たちによって、守られています。
自分が生きるために働くことを免除されています。
それは、君たちに、一生を生き、充実した人生をおくるための技術や知識、経験を身につけてほしいからです。
言い換えれば、君たちは、私たち大人が義務として課せられている労働を免除されていますが、明日のための勉強という仕事を課せられています。
その勉強のための多くの時間を、多くの子どもたちが、ゲーム機などの電子機器で遊ぶことで失っています。
今は、確かに勉強より、その方が楽しいでしょうが、
将来にどれだけ悪い影響を与えることになるか、実は君たちは気付いているはずです。
 子どもたち、自分の欲望に負けた楽しい今は、必ずつらい人生を君たちにもたらします。
お願いです。電子機器の奴隷にならないでください。

【夜回り先生のエッセー】2012年3月26日
夜は休憩する。明日への活力を得る時間なのだ!
自分を見失う危うさ 不安な夜
 君たちが毎日、家で、ゲームやメール、インターネットをしていたら、どうなりますか。
君たちの成績は、どんどん下がり、君たちの明日が失われていきます。
君たちは、わかっているはずです。
 子どもたち、お願いがあります。
夜9時から朝まで、携帯電話やゲーム機、インターネットを使うことを止めましょう


【平蔵の独り言】
お願いです。電子機器の奴隷にならないでください。

なっていますね!

パソコン→携帯(ガラケー)→スマホ

完全に使い分けて、依存症?

自身で“TOOL”と言って、使う側が如何に使うかと言っているのに!

【夜回り先生のエッセー】2012年3月26日

 子どもたち、お願いがあります。
夜9時から朝まで、携帯電話やゲーム機、インターネットを使うことを止めましょう

【夜回り先生のエッセー】2012年12月18日
お願いです。電子機器の奴隷にならないでください。


明らかに本を読む時間と気の入れ方が変わってきている。

やはり、納得
子どもたちだけではない。

気が付けば、懐かしい言葉「一億総白痴」まっしぐら・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2012-12-18 15:22 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

三宅久之の書けなかった特ダネ(私が書き残しておかなければ、永久に歴史の闇に埋もれてしまう事実がある)   

2012年 12月 17日

三宅久之の書けなかった特ダネ


(今、私が書き残しておかなければ、永久に歴史の闇に埋もれてしまう事実がある)

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〔昭和26年(1951)、ワンマン宰相と呼ばれた吉田茂首相の下、
サンフランシスコ講和条約を締結。晴れて主権を取り戻した〕

サンフランシスコ講和条約を締結

【乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝負】
―日ソ共同宣言、日米安保改定……(戦後政治の舞台裏)―

〔日ソ国交回復―鳩山一郎〕日ソ共同宣言
〔六〇年安保。首相の極秘米大使館単独訪問―岸信介〕日米安保改定


【金と権力をめぐる権謀術数】
―高度経済成長、東京五輪、沖縄返還……―

〔“実弾”乱れ飛ぶ総裁選――池田勇人・河野一郎〕ニッカ、サントリー、オールドパー
〔「国民所得倍増計画」――池田勇人〕
〔「東京オリンピックの成功」河野新党の挫折〕
〔池田後継をめぐる暗闘―――佐藤栄作・川島正次郎・河野一郎〕
裏で糸を引いた大物
〔「沖縄返還」の知られざる真実――佐藤栄作〕


【政治家の虚々実々】
―日中友好条約、椎名裁定、ロッキード事件、大福密約……―
稀代の政治家・田中角栄の首相就任と、金脈問題による墜落。
そして、“クリーン三木”首相への移行。
そしていまなお謎の多いロッキード事件の発覚……。
政治家のモラルが声高に問われた時代に、政界の表舞台を駆け抜けた政治家たちの、表に出てこなかったもう一つの顔を浮かび上がらせる――

〔恐るべき人心収攬術とロッキード事件――田中角栄〕

今なお根強い角栄人気の秘密

〔ポスト佐藤の本命・福田をしのいだ底力〕
〔田中の見事な人心収攬術〕
〔「日中国交回復」に懸けざるを得なかった裏事情〕
〔ロッキード事件発覚の発端〕

・三木首相も田中逮捕を知らされてなかった?
・トライスターとは一体何だ?


【異端児たちの戦い】
―本懐を遂げた者、敗れ去った者……
〔田中角栄を動かした豪胆無比の男ーー春日一幸〕

【そして最後に問う、政治家の器、記者の器】

〔プロフェッショナルである、ということ〕


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〔昭和26年(1951)、ワンマン宰相と呼ばれた吉田茂首相の下、サンフランシスコ講和条約を締結。晴れて主権を取り戻した〕

【乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝負】
―日ソ共同宣言、日米安保改定……(戦後政治の舞台裏)―

〔日ソ国交回復―鳩山一郎〕

北方領土問題での四島一括返還を要求する日本側の主張に対し、
ソ連側の態度が硬く、交渉は難航した。
交渉は、10月19日、クレムリン宮殿において、
両国間の共同宣言として正式調印されたが、
懸案の領土問題については、
「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。
ただし、これらの諸島は平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」(共同宣言第九項)
とし、国後、択捉両島については、共同宣言の効力が発した後、
継続交渉することになったが、その明記はなかったことが、
今日まで領土問題が解決しない大きな原因となった。


〔六〇年安保。首相の極秘米大使館単独訪問―岸信介〕
「安保反対」
「岸退陣」を叫ぶ数万から十数万のデモ隊が国会周辺を埋め尽くした。
岸は、赤城宗徳防衛庁長官に自衛隊の治安出動を求めたが、
赤城は、
「自衛隊は日本人に銃を向ける訓練はしておりません」
と断った。

そして六月十五日、全学連の一万人が国会に乱入、
阻止しようとした機動隊との乱闘の中で、
東大生樺美智子が死亡するという惨事が起きた。
安保条約の成立を花道に岸の退陣
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【金と権力をめぐる権謀術数】
―高度経済成長、東京五輪、沖縄返還……―

〔「国民所得倍増計画」――池田勇人〕
1960(昭和三五)年七月に就任した池田勇人首相が打ち出した
「国民所得倍増計画」を旗印に、日本は脅威的な高度経済成長を遂げ、
一九六九(昭和四三)年には国民総生産が世界第二位に躍り出る。
東京五輪に沸き、3C(カラーテレビ、カー、クーラー)の大衆消費社会が到来する。
そんな世相を反映するかのように、政治の世界でも派閥政治が全盛を極め、
総選挙や総裁選で莫大な“実弾”が飛び交じった時代でもあった。

〔“実弾”乱れ飛ぶ総裁選――池田勇人・河野一郎〕
ニッカ、サントリー、オールドパー
総裁選がニッカ(二陣営からカネをもらう)、
サントリー(三陣営からもらう)
オールドパー(全陣営からもらう)
という総裁選をめぐる実弾戦のはしりとなった。

岸退陣を受けての自民党総裁選は六〇年(昭和三五)年七月に行われ、
池田勇人、大野伴睦、石井光次郎、松村謙三、藤山愛一郎の五人が出馬した。

ここに河野一郎はいない。
総裁選後、河野は孤立感を深めた。

〔「東京オリンピックの成功」河野新党の挫折〕
孤立した河野は新党樹立に踏み切る決意を固めるが、
河野の思惑に反して同調する者は六、七人どまり、
ついに河野も新党は断念する。
池田首相の国務相(オリンピック担当)として、
「東京オリンピックの成功」に陰で大きく貢献した。
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〔池田後継をめぐる暗闘―――佐藤栄作・川島正次郎・河野一郎〕
裏で糸を引いた大物
池田は折角総裁に三選されたものの、まもなく咽頭ガンが判明、
東京オリンピック閉会の翌日、六四(昭和三九)年一〇月二五日に退陣を表明、
後継者の指名は池田に任されることになった。
河野は後継者の指名にかなりの自信を持っていた。
一時、池田の心境は河野に傾いていたようである。
この最中、大磯に陰棲していた吉田茂が東京に現れる。
「河野を推すなどというのは一時の気の迷いだ」
「河野は所詮、傍流の人間。池田も佐藤も保守本流、吉田学校の仲間ではないか」
結局、裁定は「佐藤後継総裁」となった。

〔「沖縄返還」の知られざる真実――佐藤栄作〕
「待ち」の政治家ならではの幸運

佐藤栄作は幸運児である。
七年八ヶ月の長期政権を維持し、念願の沖縄返還を
「核抜き、本土並み」で実現。
在任中の非核三原則
「核を作らず、持たず、持ち込ませず」
が評価されて、ノーベル平和賞を受賞した昭和の大宰相である。

内閣のスローガンも、池田の「寛容と忍耐」に似た「寛容と調和」を上げ長期政権も沖縄返還も筆者は幸運がもたらしたものと思っている。
佐藤をもっとも嫌った大野伴睦、政敵河野一郎、煙たかった池田勇人など、
佐藤にとって手強かった政治家は相次いでいなくなった。

〔「沖縄返還論」が浮上した本当の理由〕
佐藤が「沖縄の返還なくして戦後は終わらない」との名句を吐き、
任期中に沖縄返還を実現したことは大きく評価されるべきだが、
こうした時系列的な佐藤の言動を筆者の記憶からたどると、
政権発足からの佐藤の強い意志によって実現したものではなく、
佐藤の長期政権の間に、米国の極東軍事戦略が変わってきて、
沖縄は日本に統治させ、
軍事機能だけを維持した方が米国にとっても都合がよくなってきた。
そういう状況が沖縄返還を実現させたといえる。

【河野に政治家転身を勧められて】
五八(昭和三三)年ごろのこと。
ある時、河野から、「君の郷里はどこかね」
と聞かれた。
「私は東京の生まれです。もともとは倉敷の出ですが」というと
「岡山二区だな。あそこいいな、五人区だし、どうだ、三宅君やってみないか。カネの心配はしてやる、橋も道路も造ってやる」
「いやあ、私は政治家には向きません。お辞儀は苦手だし、怠け者だし、政治家たる覚悟がない。その分、新聞記者の方が気楽だし好きですから」

【政治家の虚々実々】
―日中友好条約、椎名裁定、ロッキード事件、大福密約……―
稀代の政治家・田中角栄の首相就任と、金脈問題による墜落。
そして、“クリーン三木”首相への移行。
そしていまなお謎の多いロッキード事件の発覚……。
政治家のモラルが声高に問われた時代に、
政界の表舞台を駆け抜けた政治家たちの、
表に出てこなかったもう一つの顔を浮かび上がらせる――

〔恐るべき人心収攬術とロッキード事件――田中角栄〕
今なお根強い角栄人気の秘密

田中がロッキード事件の被告人となって以後、
片時も田中の傍らを離れることのなかった早坂茂三は、筆者に、
「角栄本の筆者の七割は田中のオヤジに会ったことがない」と断言したが、
それでも彼らが描く角栄本は、
人生を生きるノウハウや知恵を学ぶ本として売れに売れたらしい。

〔ポスト佐藤の本命・福田をしのいだ底力〕
佐藤栄作は自分の内閣の後継者として、実兄、岸信介の腹心であり、
大蔵省のエリート官僚出身の福田赳夫を考えていたことは間違いない。
佐藤は七年八ヶ月という長期政権維持のため、
交互に福田と田中を幹事長に起用したが、
佐藤が重視した蔵相は福田と水田三喜男に託した。
つまり、田中へ権力が集中して、田中が肥大化するのを好まなかったといえる。
田中は佐藤が総裁四選を果たし、
沖縄返還が現実のものとなってきた七二(昭和四七)年初めから、
かねて布石を打ってきた田中派結成の具体化に乗り出した。

〔田中の見事な人心収攬術〕
田中神話にはいくつかの作り話もある。
例えば、記憶力抜群神話でする。
目白の田中邸に陳情に行った人が、田中に会うなり、
「二年前に受けた陳情は、すぐ手配させたが、うまくいったか」
と聞かれ、「そんなことまで覚えていてくれたのか」
と感涙にむせんだ。
これは目白台の事務所が前回の陳情の記録をカードにして、
事前に田中へ渡していたからでする。
ゴルフ合宿が終わって東京に引きあげる前夜には、
必ずゴルフ場のキャディや地元警察の護衛官、秘書、書生や番記者をすき焼き屋に招待して慰労の懇親会を開いた。

〔「日中国交回復」に懸けざるを得なかった裏事情〕
田中角栄は七二(昭和四七)年の総裁選で田中が(福田赳夫、大平正芳、三木武夫)に勝つためには、弱小派閥ではあったが三木、中曽根両派の協力が不可欠だった。
この両派は協力の条件として「日中国交回復」を政権公約に入れることを要求した。
中国の毛沢東主席、周恩来首相は、
アメリカのニクソン大統領の訪中を実現し、
次に日本の首相の訪中を実現することで中国の国際舞台への登場を描いていただけに、
田中内閣の送った国交回復のメッセージには敏感に反応した。

〔ロッキード事件発覚の発端〕
さて、そのロッキード事件である。
昭和史を彩る政治的事件の中でも、これほど奇怪な事件はなく、
真相はいまだに闇の中である。
ロッキード社がトライスターと呼ばれる民間機を各国民間航空会社に売り込むに当たり、
正規の帳簿にのせない多額のカネをばらまき、
その一部が日本の政府高官にも渡ったことが明るみに出た。
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〔三木首相も田中逮捕を知らされてなかった?〕
逮捕は七六(昭和五一)年七月二七日に行われたが、
その日、稲葉修法相は渓流釣りを楽しんでいた。

〔トライスターとは一体何だ?〕
早坂茂三の話。
オヤジ(田中)と車に乗っていた時、オヤジが、
「早坂、最近トライスターとやかましいが、トライスターとは一体何だ」と聞くから、
「ロッキード社が開発した旅客機で、お尻にエンジンが三つついているので、トライスターというんだと思います」
と答えたら、
「ふ~ん、それでトライスターか」といっていた。
全日空への導入で請託を受けていたら、そんなことは知っているはずだろう。
オヤジは全く知らなかったと思う。

【異端児たちの戦い】
与党があれば野党があり、主役がいれば脇役がいるように、
いつの時代も政界の傍流を駆け抜けた異端の政治家たちがいた。

時に政治の表舞台に大きな影響を与えた彼らが果たしてきた、
決して小さくない役割とは
―――本懐を遂げた者、敗れ去った者……

〔田中角栄を動かした豪胆無比の男ーー春日一幸〕
すべての女性と手を切るか、書記長を辞めるか
女性問題について、女性週刊誌がかぎつけるとなった!
「すべての女性と手を切って、書記長に留まるか、書記長を辞めて彼女らとの生活を続けるか、二つに一つ、この場で即答してもらいたい」
春日は言下に答えた。
「書記長の方を辞めさせてもらいます。彼女らには何の罪もない。もし、ポスト欲しさに彼女らを切ることがあれば、人は許しても、天は許しますまい」
のセリフを吐いて、春日は書記長を降りた。
しかし、これでは対外的に説明がつかない。
「中小企業対策に専念するためと書いてほしい、武士の情けだ」
と懇願。
各社記者は別に談合したわけではないが、それを受け入れた。
筆者は春日のとった態度について「男はこうでなくてはならない」と大感激。
有志の記者で慰労会をやることにした。
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【そして最後に問う、政治家の器、記者の器】
〔プロフェッショナルである、ということ〕
「昔は、昔は」というと、
若い人から「それは老化の典型的症状」と笑われるのだが、
それを承知の上で
「昔の政治家は風格があった」と思う。
中曽根康弘は
「私が会った政治家の中で“風圧”を感じたのは、吉田茂と河野一郎の二人だけ」
と筆者に語ったが、その中曽根も今や元老的存在として、
政権与党の民主党からも一目置かれている。

今の政治家に欠けているものは何か。
“志”である。
政治家を志す以上、
この国をどうしたいのか、
どういう社会を作りたいのか、
正義とは何か、
さらにいえば「自分の考える正義とは何なのか」を国民に問わなければなるまい。

しかし、一つ記者OBとして注文をつけるならば、
記者会見場にパソコンを持ち込み、
会見者の顔も見ずにキーを押し続けている姿には、違和感を覚える。
「記者会見は会見している政治家が、質問に誠実に答えているか、そうでないか。顔色も見ないで判断できますかねぇ。現役の記者諸君にそういうと、“デスクが早く原稿を上げろ”というので仕方がない、いうんです」
質問される側の政治家もそういうのである。
記者は政治家とやり合う中で大きく育つ。

【平蔵の独り言】
戦後、高度成長の時代
それぞれの時代に存在感と使命・志を持った政治家
三宅さんは“かたりべ”として、残してくれた。
失われた20年、まだ続くのか・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2012-12-17 16:25 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

【三宅久之】沈香も焚かず屁もひらずな政治家はポンスケである。清濁併せ呑む政治家でなければならない。   

2012年 12月 10日
【三宅久之】沈香も焚かず屁もひらずな政治家はポンスケである。清濁併せ呑む政治家でなければならない。
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[追悼企画!三宅久之さん、愛しの悪党ハマコーさんの名言暴言から日本の将来を考える!『TVタックル』]

[書評:三宅久之の書けなかった特ダネ 三宅久之 著]

【民主主義とはとてつもなく愚劣で手間のかかる方法だけれども、ほかに方法がありますか!!(三宅久之)】
●政治家なんて叩けばいくらでも埃が出るし清濁併せ呑む度量がないと代議士なんてやってられない。

[『たかじんのそこまで言って委員会』 政治評論家の三宅久之さんが82才を機に来年3月でテレビからの引退を表明]

[『たけしのTVタックル』、そして評論家生活からの卒業、私の売り物ってわけでもないけど、かんしゃくを起こして人を怒鳴っているときに、“一服”をつかないと後が続かなくなっちゃうんですよ。自分で(自分の)ビデオを見ていても、“もう賞味期限は過ぎたな”と思うわけですよ。それでわがままを聞いてもらって全ての評論活動から引退しようと思っています」と明かした。]

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[追悼企画!三宅久之さん、愛しの悪党ハマコーさんの名言暴言から日本の将来を考える!『TVタックル』]
 公示間近となった衆議院選挙。政党乱立、様々な争点に国民は混乱するばかりだが、日本の将来を決める大切な選挙であることは言うまでもない。
そこで、今夜(12月3日)放送の『たけしのTVタックル』(テレビ朝日系)では、
そんな選挙の結果を見る前に、この世を去ってしまった政治評論家の三宅久之氏と愛しの悪党ハマコーこと浜田幸一氏の追悼の意を込め、
今は亡き愛すべき長老の在りし日の名言暴言から日本の政治・将来を考える。

 日本の戦後復興を例に「日本は必ず立ち直る」と日本を信じていた三宅氏。
その数々の発言を振り返ることで日本の将来が見えてくるのではないか。
さらに2012年は8月に浜田氏(ハマコー)もこの世を去った。

浜田氏のような破天荒な政治家はもう出てこないのか、
三宅氏のようなご意見番は二度と現れないのか。

 政治家の資質について、
三宅氏は「タックル」最後の出演回で
「小選挙区制を考えなおさないと政治家の劣化が進む」と発言。

ある時は「素人ポンスケ議員」とも。
確かに昔は官僚と互角に渡り合う骨太の政治家が多くいた。
時には政治家にも腕力が必要と言っていた三宅氏。
清濁併せ呑むぐらいの政治家が必要ではないか、というのが三宅氏の主張だった。
 清濁併せ呑む政治家、といえば、浜田氏ともいえるのだが…。


政治家の資質は政治家を選ぶ国民の資質でもある、
と国民に対しても厳しい言葉を投げ掛けていた三宅氏。
総選挙を前に三宅氏の発言を振り返りながら、改めて政治家の資質を考える。

 そのほか、「タックル」での三宅氏、浜田氏の「迷場面集」を紹介。
番組では三宅氏にいじめられた大学教授がいて、
「自民党の小泉純一郎氏の総裁再選はない」と予想し、
大外れとなってしまったその教授に三宅氏は批判の雨あられ。
当時を振り返り大学教授は感想をコメント。その教授とは…!?

■『たけしのTVタックル』
2012年12 月3 日(月) 21:00~ 21:54(テレビ朝日系)
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■三宅久之 追悼番組『たかじんのそこまで言って委員会』2012/12/01
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【[書評:三宅久之の書けなかった特ダネ  三宅久之 著]】

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三宅久之の書けなかった特ダネ (青春新書インテリジェンス)

政治の裏話。昔の大物政治家の話は面白い。
人物たちのスケール、政治への執念を感じる。

テレビなどでも有名な政治評論家の三宅さんの雑記帳的な政治の裏話回顧録。
三宅さんは1930年生まれとのことなので、すでに81歳。
お仲間はかのナベツネさんこと、渡邊読売新聞主筆を除いて鬼籍に入られたそうで、
まあ、もう遠慮するものもあるまい。

で、オフレコ状態であった逸話を書いてあり、それでも、暴露本にならないのは、
愛国心や懸命に働いた政治家達に対する経緯などが背景にあるからだろう。

三宅さん、この人、短気で頑固、今時、絶滅したごとき、日本のじい様である。
それでも、本書を読んで、気分が悪い人はあまりいないと思う。

繰り返しになるが、やはり、根底に、祖国愛や政治への憂い、
ジャーナリストとしての矜持があるゆえであろう。
それにしても、このジャーナリストとしての氏は、
政治家の懐に入り込んで学んできた人である。

その距離は極めて近い。
ある意味、経験を積んでからは政治家よりも政治を知っているだろう。
一方で、こうした近距離ジャーナリズムへの憂いや不安は本書からは感じられぬ。

このあたりは、ナベツネさんにも共通するところだが、少し、首を傾げるとこともある。
ともあれ、本書は面白いエピソードのオンパレードであり、
有名な政治家の意外な一面を知ることができる。

田中角栄などの話は、言い古されているのに、やはり面白い。
ホント、人タラシ振りは秀吉を彷彿とさせる。
それにしても、ロッキード事件はひどいものだ。完全にはめられたのがわかる。

田中角栄がトライスターのことを名前も知らなかった逸話などは、
非常に興味深い。それじゃあ、無罪に決まっているし。

ハマコーの意外な側面など、現場にいた人間ならではの面白いエピソードの連続である。

やはり、三宅さんは、面白い人生を歩んだのだと感心。羨ましくなる。
あの頑固な爺の側面もあるが、やはり、人間的に可愛い人だと感じた。

河野洋平さんは早稲田の同級生だそうで、「洋平」と勝手な呼び方をしている。
しかし、あの温厚な小渕さんが、
決して許さなかった側面を正直に述べているのをみると、
人間の信義などは、ちょっと良い人かどうかじゃないのがわかる。

ただし、清濁併せ呑むタイプの読者に受けるたぐいであろう。
正義感横溢タイプには向かないので、念のため。


【民主主義とはとてつもなく愚劣で手間のかかる方法だけれども、ほかに方法がありますか!!(三宅久之)】

政治家なんて叩けばいくらでも埃が出るし清濁併せ呑む度量がないと代議士なんてやってられない。
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[『たかじんのそこまで言って委員会』 政治評論家の三宅久之さんが82才を機に来年3月でテレビからの引退を表明]

三宅久之プロフィール
毎日新聞社政治記者出身。
1976年退社後、与野党指導者等との幅広い人脈を活かし政治評論家として活躍。
政界の裏表を知り尽くした鋭い政治評論と、歯に衣着せぬ社会時評でお茶の間のファンも多い。

■職歴・経歴
1930年 東京生まれ
1953年 早稲田大学文学部卒業後、毎日新聞社に入社。
 政治部記者として、首相官邸・自民党・社会党など各党および
 各省庁を担当。政治部副部長・静岡支局長・特別報道部長などを歴任。
1976年 毎日新聞社退社

■テレビ出演
1978年11月から85年3月までテレビ朝日のニュースキャスターを務め、
画面を通じ全国的に知られる存在となる。
現在、テレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」にレギュラー出演中。
また、民放各テレビ、ラジオ報道番組、新聞、週刊誌などで政治、社会問題に対するコメンテーターとして発言。

2012年03月24日
政治評論家・三宅久之氏、渡辺恒雄会長と最後の“盟友対談”
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引退表明の政治評論家・三宅久之氏(左)が“盟友” 渡辺恒雄氏(右)と最後の激論対談(C)読売テレビ
 3月末でテレビ出演、講演、執筆など、すべての評論活動からの引退を宣言していた政治評論家・三宅久之氏が、同じ政治記者として共に活躍し、
50年来の付き合いのある読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆の渡辺恒雄氏との“盟友対談”に臨んだ。
「三宅先生ご卒業!?スペシャル」と題してあす25日(日)放送される、読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』(後1:30)の目玉企画として実現。
にこやかに笑顔で三宅氏と意見を交わす渡辺氏の姿が印象的だ。

 政治記者・評論家として第一線で活躍してきた三宅氏の経歴は、まさに日本の戦後政治史そのもの。

そんな“政界の生き字引”の三宅氏が、なぜ引退なのか。
番組では、三宅氏の60年に及ぶ取材活動の中から「これだけは忘れられない」という5大ニュースをピックアップして、その政治記者人生を振り返る。

 渡辺氏との対談では、大物政治家と堂々と渡り合った思い出話を皮切りに、
最近の政治家について思うこと、メディアについて思うことなどが語られる。

 引退を表明している三宅氏だが、
同番組に限っては、“委員長”のやしきたかじんが病気療養中と言う緊急事態のため、当面は特別に継続して出演することになった。

三宅久之氏が評論家引退「賞味期限切れた」たかじん復帰までは出演

[『たけしのTVタックル』、そして評論家生活からの卒業、私の売り物ってわけでもないけど、かんしゃくを起こして人を怒鳴っているときに、“一服”をつかないと後が続かなくなっちゃうんですよ。自分で(自分の)ビデオを見ていても、“もう賞味期限は過ぎたな”と思うわけですよ。それでわがままを聞いてもらって全ての評論活動から引退しようと思っています」と明かした。]デイリースポーツ 4月1日(日)8時10分配信
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番組を卒業することになった三宅久之氏(右)とビートたけし
 政治評論家の三宅久之氏(82)が3月をもって評論家を引退することになり、
31日、都内で、ご意見番として10年にわたり出演したテレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」卒業記念特番(4月2日放送)の収録に参加した。

「たけしのTVタックル」、そして評論家生活からの卒業ということで、
三宅氏はいまの心境を「(番組に)すごく大事にしてもらったし、反響も大きかったので名残惜しいんですけど、実はこうやってお話していても分かる通り息が上がるんですよ。私の売り物ってわけでもないけど、かんしゃくを起こして人を怒鳴っているときに、“一服”をつかないと後が続かなくなっちゃうんですよ。自分で(自分の)ビデオを見ていても、“もう賞味期限は過ぎたな”と思うわけですよ。それでわがままを聞いてもらって全ての評論活動から引退しようと思っています」と明かした。

 ビートたけし(65)から自身の上半身をかたどった像とともに「三宅さんの後は小泉進次郎さんがやります」と冗談交じりの声をかけられた三宅氏。
引退について、「名残惜しいですが、息が上がるんです。賞味期限が切れた」と説明した。
ただ、芸能活動を休止中の歌手・やしきたかじん(62)司会の読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」には、たかじん復帰まで出演予定。「たかじんさんが入院先から楽屋まで来て、(出演を)頼みますというので」と明かした。

 ビートたけし(65)から自身の上半身をかたどった像とともに「三宅さんの後は小泉進次郎さんがやります」と冗談交じりの声をかけられた三宅氏。
引退について、「名残惜しいですが、息が上がるんです。賞味期限が切れた」と説明した。

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【平蔵の独り言】
政治評論家の三宅久之氏(82)が3月をもって評論家を引退、
半年と経たないうち、この世を去ってしまった。

『たかじんのそこまで言って委員会』の三宅さんの追悼特番で、
辛坊治郎さんが三宅さんの楽屋を訪ねたら、インシュリン注射をしていた。

【民主主義とはとてつもなく愚劣で手間のかかる方法だけれども、ほかに方法がありますか!!(三宅久之)】

こんな言葉を見つけた。

人間の魅力というものは「清」よりも「濁」のなかに潜む!
閉塞感に満ちた今の世の中に聖人君子ばかりではつまらない。
役人化してしまった世の中で

そもそも人間の魅力というものは「清」よりも「濁」のなかに潜む。

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マスメディアは「濁」の人間を攻撃して、
“そうだそうだ”と言って安心している。

面白みも何も生まれない日本
目を凝らして見ると、このままではいけないと
気がついている若者もいる。

政治も経済もあてにできない。
しかし、若者に「希望」と「夢」が芽生えて来ている。

笑顔の似合う人生を歩きたいが・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2012-12-10 14:16 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

[森光子]【森光子83歳、スクワット150回超元気、この5月の誕生日(89歳)放浪記2000回】   

2012年 12月 06日
[森光子]【森光子83歳、スクワット150回超元気、この5月の誕生日(89歳)放浪記2000回】
42年間で1572回の上演「放浪記」
・女の一生・継続は力なり
・森光子さんは一日にしてあらず
【舞台「放浪記」 森光子、9日に単独主演2000回】
・森光子、支えた卵と肉&歯磨き&スクワット

[森光子]歌手の松任谷由美さんが尋ねた「この先に何があるんですか」「飽きないでください。それだけでいいです」
  春秋 2012/11/16付

歌手の松任谷由実さんが尋ねた。
「(私は)こんなにステージをやってきて、お客さんも喜んでくれているけど、この先に何があるんですか」。
森光子さんが答える。
「飽きないでください。それだけでいいです」。
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【森光子83歳、スクワット150回超元気
この5月の誕生日(89歳)放浪記2000回】

42年間で1572回の上演「放浪記」
・女の一生・継続は力なり
・森光子さんは一日にしてあらず
【舞台「放浪記」 森光子、9日に単独主演2000回】
・森光子、支えた卵と肉&歯磨き&スクワット
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【森光子83歳、スクワット150回超元気
この5月の誕生日(89歳)放浪記2000回】

42年間で1572回の上演「放浪記」
 女優、森光子(83)主演の舞台「放浪記」の製作発表が2日、都内で行われた。
昭和36年10月20日に初上演され、現在まで42年間で1572回の上演数を誇る。
 今公演は8月29日の博多座を皮切りに、11月1日から東宝芸術座、来年1月29日から梅田コマ劇場、3月2日から中日劇場と、4大都市を縦断。
9月21日に1600回、3月3日に1700回を迎える。
森は初上演から1度も公演を休んでいない。
過去に肺炎で入院した際、病院から舞台に通ったという。

 森は「7、8年前からトレーナーに筋力トレーニングのプログラムを作ってもらってます。毎日ヒンズースクワットを150回やってます」と驚異のトレーニング方法を披露した。

 同舞台では“でんぐり返し”が名物だが、「五輪を見てコツをつかんだ」と笑顔で話していた。
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女の一生・継続は力なり
森光子さんは、林芙美子の『放浪記』を菊田一夫の視点から戯曲化された『放浪記』の主役をこの三月で1900回以上勤め上げた大女優である。
今では林芙美子の『放浪記』と言うより森光子の『放浪記』の方が相応しいほど、
この芝居に徹し、森光子さんの女優人生はこの『放浪記』とともに歩み続けてきたと言っても過言ではない。
そして、今では森光子の『放浪記』か『放浪記』の森光子となっているが、『放浪記』の森光子は菊田一夫との出会いがなければ存在しない。

 1958年のこと、菊田一夫は梅田コマ劇場に打ち合わせに来ていたとき、ハイヤーの待ち時間の間に森さんが出演していた喜劇を客席の最後部から見たことがきっかけとなり、東京に呼ばれ、菊田の作品に出演するようになった。
 1961年10月、『放浪記』は日比谷・芸術座で上演の運びとなるのだが、菊田には一生脇役と言われていた森さんは主役に抜擢された。
初めての主役であり、森さん41歳の時であった。
初演は7ヶ月のロングランとなり、大成功で終わった。


当時、日本の商業演劇では再演の習慣がなかったため、10年後にようやく再演が実現したが、
演技力の深まった森さんに菊田は「森みっちゃん、10年間無駄飯くってなかったね」と言ったそうである。

菊田は森さんへの最初で最後のほめ言葉を残し、その2年後に死去した。
菊田の死後、三木のり平により潤色・演出された『放浪記』の主役を務め、森さんは年ごとに芸を磨き、まさに大器晩成型の道を歩むのだが、初演より46年、芸術座が閉鎖されるまで上演回数1858回の記録を積み上げた。
さらに、新築された劇場シアタークリエで上演は再開され、その記録は更新中である。
森光子の『放浪記』は女の一生、それは「継続は力なり」を示すものであり、人生最後まで「自律と自立」は森さんの真骨頂でもあろう。

森光子さんは一日にしてあらず
 森さんは、この5月で88歳、女性の平均余命を超え、今なお矍鑠として現役を務めている。
しかし、その森さんは1950年頃、結核を患い3年間ほどの闘病生活の経験をお持ちで、芸能活動を休止した時には「森光子は死んだ」との噂が流れたそうであり、体が一際丈夫だったわけではない。
特別に体が丈夫でもないのにも関わらず、
平均余命を超えても矍鑠として、お仕事が続けられるところに私たちは森さんに学ぶべき多くのことがある。

 『放浪記』では女の一生を演ずるわけであるから、
若く演じる場面もあれば、老けたように演ずる場面もある。
背が丸くなっては若く見せることはできない。
演技の基本は姿勢・歩き方・発声である。
森さんの場合には立ったり、座ったりするときに使う腰から下の筋肉強化にむけてスクワット(屈伸)を毎日何度もするそうである。
また、演劇の発声法は腹式呼吸であるから、リハーサルを含め、絶えず、腹筋の強化に努めていることにもなる。

さらに、台本に至っては毎回最初から覚え直し、解釈に間違えがなかったか、
あるいは、もっとよい表現はあるのではないかと考えながら読むそうである。

一般人からすれば、1900回も超えていれば、すべてを暗記しているので、
上演の度に読む必要も無いであろうと考えがちであるが、そこが大女優たるとこであり、心構えが違い、認知症など発症する余地はない。

 また、森光子の『放浪記』であるため、代役がいないため、
上演中もさることながら、日々の健康管理に向けた自己管理は徹底して行われているはずである。

その上、演劇は役者、照明、効果、舞台装置がお互いに協力しあってこそ成り立つもので、絶えず、他の人への気配りが必要となる。

森さんは多くの人をまとめながら演技を演ずるわけであるが、逆に、周りの人からも強く影響され、演技は熟成される。

加齢とともにこの日々の緊張感に対する強弱が重要であり、変化の少ない生活は老いを進める。

若い頃は別にしても、70歳を超えた頃からの日々の自己管理には極めて厳しいものがあったに違いなく、「今日の森光子さんは一日にしてあらず」であり、私たちは演劇を通して長い人生修行の結果の賜であったことを見いだしていくべきであろう。

【舞台「放浪記」 森光子、9日に単独主演2000回】2009/05/09 09:06更新
・森光子、支えた卵と肉&歯磨き&スクワット
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女優、森光子(89)の主演舞台「放浪記」が8日、東京・帝国劇場で1999回目の公演を終了。

誕生日にあたる9日、単独主演2000回という前人未到の記録達成を前に、「どんな顔をしていいか表情さえ迷ってしまいますが、ユーモアを絶やさず、体に気をつけてやりたい」と話す。

当日はカーテンコールのスピーチをする予定だが、
「何も考えてません。出たとこ勝負? そうですね。直前になったら考えます!」とお茶目に笑った。
 「放浪記」は作家、林芙美子の波乱に満ちた半生を描いた物語。
森は昭和36年の初演以来、代役なしで単独主演の上演記録を伸ばし続けている。

「若く健康でありたいといつも気をつけています。
この役はできる限り離したくないのですが、それは神様が決め手くださるのではと祈るような思いです」
 衣装や小道具など、初演から使い続けているものも多いという。
森は「皆様の友情、愛情を感じます。一生懸命やりたい」と話している。

森光子、支えた卵と肉&歯磨き&スクワット2009/05/10 09:58更新
 女優、森光子の主演舞台「放浪記」が、森の89歳の誕生日の9日、東京・帝国劇場で、単独主演2000回の金字塔を打ち建てた。
1961年10月20日の初演以来、48年かけて積み上げた大記録。
 森の強じんな肉体を支えているのは卵と肉、歯磨き、そしてスクワットだ。
関連記事
卵は1日に必ず2個、朝食時に食べる。
また、カフェの女給、悠起役で共演する有森也実(41)が「お肉を見ると、森さんを思い出す」というほどの肉好き。
牛ロースのステーキが好みで、1回の量は50~80グラム。
歯も健康で、数十分をかけて丁寧に磨き、21本が自分の歯だ。
 森の代名詞ともなったスクワットは、70歳のとき、足腰強化のためスポーツトレーナーの指導で開始。
毎日欠かさず続けている。
2000回公演を迎えるにあたり、朝晩75回ずつを100回ずつに増やした。

森光子「放浪記」ついに2000回公演へ
 9日は公演終了後、NHKの特別番組「おめでとう森光子さん」(後8・0)の生放送に出演。
親交のある王貞治氏(68)、黒柳徹子(75)、萩本欽一(68)と対談する。
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森さんが語った
貧しさはみんながやさしくなれた。
豊かさばかり求めたらやさしさを忘れた。

放浪記(森光子)は情(人情)

貧しさの国(自殺者は一人もいない、一生懸命生きる)

パンダだけが注目された時、他の動物が寂しそうな目をしていた。

<女優として、食べられない時>
進駐軍でジャズを唄っていた。(国境の南:を口ずさんでくれた)

<何のために生きているのか>89歳の誕生日
今年になんないとわからなかったですね。
自分のためですね!


・・・・・一生懸命・・・・生き方がわからない。
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[森光子]歌手の松任谷由美さんが尋ねた「この先に何があるんですか」「飽きないでください。それだけでいいです」

春秋 2012/11/16付

 歌手の松任谷由実さんが尋ねた。
「(私は)こんなにステージをやってきて、お客さんも喜んでくれているけど、この先に何があるんですか」。

森光子さんが答える。「飽きないでください。それだけでいいです」。
松任谷さんの対談集「才輝礼賛」にそうあった。

▼「放浪記」の主人公、林芙美子を41歳から演じること2017回、とさらりと書いてしまうのも憚(はばか)られる。
48年間、後年は短くなったとはいえ、しばらくは5時間半の舞台。
代名詞にもなったでんぐり返しは3回続けてやっていた。
役に恵まれなかった前半生から一転、遅咲きの輝きは日々新面目(しんめんもく)あったればこそだろう。

▼それでも、「リコピーのお光」とあだ名されるほどせりふ覚えがよかったから、ときに魔が差した。
著書「人生はロングラン」では、税金のことを考えながら演じていたことがある、と白状し、ちゃんと芝居をしていたと知ってよけい怖くなった、と述懐している。
「飽きないでください」は何より自らへの戒めだった。

▼酒は強くなく、晩年は「私、2センチください」とワインを頼むのがつねだったそうだ。
気取らない森さんのこと、席の楽しさが目に浮かぶようである。
松任谷さんは34歳上の先輩の言葉に「ズッシリ受け止めました」と応じた。
飽きないでください。
こちらもその難しさをかみしめつつ、大女優をしのんでワイン2センチ――。


【平蔵の独り言】
森さん41歳で『放浪記』初主役、89歳まで現役
森さんが挨拶で語っていた自作の川柳がある。
「あいつより うまいはずだが なぜ売れぬ」

大滝秀治さん48歳までは喰えなかった、87歳まで現役
声が汚いと裏方

<何のために生きているのか>89歳の誕生日
今年になんないとわからなかったですね。
自分のためですね!


「飽きないでください。それだけでいいです」

【独り言】
飽きないでください。・・・
この言葉ですね!
朝晩の体操はもう2年、スクワットも取り組み始めた。

欲張らずに男の健康寿命70歳をめざして!

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by asanogawa-garou | 2012-12-06 14:11 | 人間模様 | Comments(0)