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NHK・堀アナを退職に追い込んだ“オトナの事情”   

2013年 03月 26日
NHK・堀アナを退職に追い込んだ“オトナの事情”
【見返りを求めず誰かのために仕事をする気持ちを取り戻そう】
日経ビジネス(河合薫)2013年3月26日(火)
組織の常識は、時に社会の常識とかけ離れていることだってある。
使い勝手のいい言葉で表現すれば、「オトナの事情」とでも言うのだろうか。
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4月1日付でNHKを退社することになった堀潤アナ

NHK堀アナ退職へ 震災報道めぐりツイッターで不満表明
・堀アナは今月11日、ツイッターで、東日本大震災当日のNHKの報道について、
文部科学省の方針に沿って自らのデータ報道をとりやめたと指摘した上で
「自らあの日ニューススタジオにいながら、そうした事実を伝えられなかったことに対し、心から謝罪します」と記述。
・「震災から2年。原発事故発生のあの日私たちNHKはSPEEDIの存在を知りながら『精度の信頼性に欠ける』とした文部科学省の方針に沿って、自らデータを報道することを取りやめた。
国民の生命、財産を守る公共放送の役割を果たさなかった。
私たちの不作為を徹底的に反省し謝罪しなければならない」

〔オトナの事情に反旗を翻した〕
 少なくとも堀アナは、NHKという会社の肩書を捨てて、
自らのミッションを全うする道を選択したのだから、それだけでも偉いと思う。
長い物に巻かれるのではなく、
“人の役に立つ情報を伝える”というミッションを果たそうと、一歩踏み出した。
できそうで、できないこと。だから、「頑張れ!」と、私はエールを送りたい。


〔「人を思う」気持ちに結果はない〕
「人の役に立つことが、いかに難しいか」ということを、
長年働いていると感じることも多いわけで。
「人のために」と頑張った仕事が、すべての人の役に立つかというと、
そううまくいくものでもない。
 自分では「良かれ」と思ってやったのに全く感謝されなかったり、
逆に相手を傷つけてしまうこともある。
役に立った時に得られる満足感や心地よさとは裏腹に、
思い通りの反応が得られないと、怒りにも似た感情を抱く可能性だってある。

〔自責の念にとらわれた女子高生を救ったもの〕
「私はさいがいFMに救われました。自分にもできることがある。
生きている意味がある、自分にも役目がある。そう思えたんです」。

当時のことを彼女はそう話してくれた。
ラジオの仕事は完全なるボランティア。
ギリギリの資金で運営をしている事情もあって、
「彼女たちには、飯をおごることくらいしかできなかった」と代表の方は言う。

〔ピュアな思いには人を揺さぶる力がある〕
社会に何かしら役に立った時に得られる満足感は、とてつもなく心地いい。
 だが、彼女の“夢”は、決してその心地よさを求めてはいない。
 そこにあるのは、自分の仕事の先にいる人を思いやる、温かくて優しい強い気持ち。
それだけだ。
 ひたすら人を思い、思い続ける。自分も経験した情報がない怖さを、抱いてはないか?
同じ目線で思いやる、温かいピュアな思い。
 そんな優しさと強さを、私たちオトナは忘れてはいないだろうか?

【見返りを求めず誰かのために仕事をする気持ちを取り戻そう】
日経ビジネス(河合薫)2013年3月26日(火)
 今回は、「誰かを思い、仕事をしているか?」ということについて、考えてみる。
 いきなり「質問系」で、いったい誰に問うているんだ? って感じではあるのだが。
自問自答も含めて書き進めてみるので、どうかお付き合いを。
 先週、NHKの若手アナウンサーの退職が話題となった。
ご存じの方も多いかと思うのだが、以下は報じられた内容の抜粋である。

 NHKのニュース番組「ニュースウオッチ9」のリポーターなどを務めた堀潤アナウンサー(35)が退職することが19日、分かった。
NHKによると、堀アナは「一身上の都合」とした上で「インターネットを使った次世代の情報発信方法を確立したい」と説明したという。
 堀アナは昨年6月から米国の大学に留学。
東京電力福島第1原発事故などを題材にしたドキュメンタリー映画を製作し、現地で映画の市民向け上映会を企画したが、
NHKは「留学の成果を大学外部で上映することは留学の目的から逸脱しており、認められない。映画の内容は問題にしていない」と、上映会を認めなかった。

 また、堀アナは今月11日、ツイッターで、東日本大震災当日のNHKの報道について、
文部科学省の方針に沿って自らのデータ報道をとりやめたと指摘した上で
「自らあの日ニューススタジオにいながら、そうした事実を伝えられなかったことに対し、心から謝罪します」と記述。
また、「公の場では意見を言わないようにと局は求めます」などと局内のやりとりも明かしていた。

ツイートに込められた本人の思い
 この報道がなされるまで堀アナの存在も(申し訳ない)、
退職するまでのいきさつもあまり知らなかったのだが、文科省の方針(=「そうした事実」)とは、堀アナのツイートによれば放射性物質の拡散予測システム(SPEEDI)を指しているらしい(以下、ネットで出回っている本人のツイート)。
 「震災から2年。原発事故発生のあの日私たちNHKはSPEEDIの存在を知りながら
『精度の信頼性に欠ける』とした文部科学省の方針に沿って、
自らデータを報道することを取りやめた。
国民の生命、財産を守る公共放送の役割を果たさなかった。
私たちの不作為を徹底的に反省し謝罪しなければならない」

 映画の上映についても次のようにツイートしている。
 「僕がUCLAで作った映画が局内で大問題になり、
ロスで米国市民の皆さんが企画した上映会も中止に追い込まれました。
『反原発と言われるものは困る』と指摘を受けましたが、事故が起きたことによる不条理な現状を描いているに過ぎません。
市民が共有し未来に活かさなくてはならないものです」

 また、退職に至った理由についてはフェイスブック上で、
「会社側から『春以降、担当番組はない』と告げられ懲戒処分の検討が始まっていて、
先手を打って退職を選択した」
と記しているとも報じられている。

 さて、これらを見て、あなたはどう感じただろうか?
「久々に気骨のあるジャーナリストだな」「勇気あるよね。頑張れ!」と、エールを送る。
「メディアはホントのことなんか報じてないぞ」「しょせん、政府の発表垂れ流しだもんな」
「NHKだけじゃないっしょ。大手メディアはみんな同じ」と、メディア批判をする。
 あるいは、「組織に都合の悪いヤツは干される。だから、いづらくなった。ただそれだけだよ」と、仕方がないと冷ややかに捉える。

 ネットでも、私の周りでも、意見は様々だった。
 で、私はというと…、確かにメディアの報道の仕方や、
話題の取り上げ方に疑問を持ったことは、これまでにも何度かあった。
それは何も原発問題に限ったことではない。
 コラムでも書いたシングル女性の貧困問題や労働者の最低賃金、
さらには、原発で汚染された海水問題などなど、
「なぜ、もっと大々的に報じないんだ?」と感じたことがあった。

 ただ、いかなる業種、いかなる企業であれ、組織の論理、というものがあるのもまた事実。
組織の常識は、時に社会の常識とかけ離れていることだってある。
使い勝手のいい言葉で表現すれば、「オトナの事情」とでも言うのだろうか。

〔オトナの事情に反旗を翻した〕
 いずれにしても、彼については報道されている以上のことは分からないし、
彼の人柄を直接知っているわけでもない。

だから想像の域を脱することはできないのだが、
多分、堀アナはそういった“事情”は重々承知のうえで、
「自分たちがやっていることは、誰に向けたものなのか?
 本当に情報を求めている人たちの役に立っているのだろうか?」
と問い続けていたのだと思う。

 世の中には、そういった“オトナの事情”に疑問を抱きながら、会社の肩書を捨てることなく、
都合よく会社を利用するだけ利用して批判する人たちもいる。

そういう人たちは決まって、自分だけは「別」と言わんばかりに「ウチの会社はこんなアホなことやっている。許せない」と会社を罵倒するばかりで、何もしない。

 少なくとも堀アナは、NHKという会社の肩書を捨てて、自らのミッションを全うする道を選択したのだから、それだけでも偉いと思う。
長い物に巻かれるのではなく、“人の役に立つ情報を伝える”というミッションを果たそうと、一歩踏み出した。
できそうで、できないこと。だから、「頑張れ!」と、私はエールを送りたい。
 そして、彼の退職劇で、私も「そうありたい」と改めて思った。

 ただ、ものすごく正直な気持ちを言うと、ほんの少しだけ胸に引っかかるものも感じた。
つまり、その何と言うか、「人の役に立つことが、いかに難しいか」ということを、長年働いていると感じることも多いわけで。
「人のために」と頑張った仕事が、すべての人の役に立つかというと、そううまくいくものでもない。
 自分では「良かれ」と思ってやったのに全く感謝されなかったり、逆に相手を傷つけてしまうこともある。
役に立った時に得られる満足感や心地よさとは裏腹に、思い通りの反応が得られないと、
怒りにも似た感情を抱く可能性だってある。

 例えば、女性が(男性でもいいが)、「なぜ分かってくれないの? 私は、あなたのためにやってるのよ!」と怒るのは、大抵期待した通りのリアクション(=対価)が得られなかった時だ。
 恋愛と仕事は別と言ってしまえばそれまでだし、「青い!」と一刀両断されてしまうとそれまでなのだが、人間って自分でも情けなくなるくらい自分勝手な感情に振り回されることってあるわけで。
「人の役に立ちたい」という気持ちが、自己満足のためになってしまう危険性は捨てきれない、と思うのだ。
 数年前から若い世代で社会貢献熱が高まり、「誰かの役に立ちたい」と入社しながらも、
1年もたたないうちに、「やりがいのある仕事をやらせてもらえなかった」と辞めてしまう人たちが多いのも、対価への過剰な期待感が原因の1つにあるんじゃないかと思ったりもする。

〔「人を思う」気持ちに結果はない〕
 そもそも、「役に立ったかどうか」を決めるのは、受け手だ。
 なので、堀アナにはできることなら、自分の目で見て、耳で聞き、感じた、生きた情報を届けたい“人”を思いやる気持ちだけを大切にして、ミッションを遂行してほしい。
ただただ視聴者を“思う”ピュアな気持ちを忘れずに、発信してほしい。
なんてことを、老婆心ながら勝手に願っているのである。
 とまぁ、「堀アナに……」なんて偉そうに書きながら、自分自身にも言い聞かせているのです。
オトナになると不覚にも“オトナの事情”に巻かれてしまいそうになったり、
自分にばかりベクトルが向き、ギョッとすることもあるわけで。
 「でもなんで、役に立ちたいじゃダメなんだ? 誰かを“思う”ことも“役に立ちたい”と思うのも同じでしょ??」
 そう思われる方もいることだろう。
 だが、どんな言葉を用いるかは極めて重要なこと。
言霊というように、気がつかないうちに言葉に心が支配されてしまったりもする。
“思う”ことと、“役に立ちたい”の決定的な違い。それは、そこに結果があるかどうかだ。
 「人の役に立ちたい」という気持ちの先には、「役に立ったかどうか」という結果がある。

 一方、「人を思う」気持ちに結果はない。その違いは、とてつもなく大きい。
 結果があるものには、どうしたって結果にこだわるのが人間の性。
見返りを求めていたわけじゃなくとも、人間の欲が顔を出す。
 その途端、「人の役に立ちたい」というピュアな優しい気持ちが、自分のためだけの欲望へと凋落する。
その埋まらない欲望とどうにか折り合いをつけるために、長い物に巻かれてしまうことだってある。
ただでさえオトナは、ピュアな気持ちを貫き通すのが苦手だ。
初心をついつい忘れてしまうのも、人間の性。
だからこそ、とにもかくにも人を“思う”気持ちをひたすら大切にした方がいいと思うのだ。

 人を“思う”気持ちが、どういうものか? その大切さを改めて考えさせられた話をしよう。
 先日、コメンテーターを務めているラジオ番組で、今月9日から宮城県石巻市や同県女川町を回り、3月11日には「女川さいがいFM」のスタジオから放送をさせていただいた。
 震災当時、被災地ではテレビも津波で流され、停電もしていたため情報不足で混乱していたそうだ。
そこで、「とにかく情報を!」という思いのもと、開設されたのが女川さいがいFMである。
「女川」という町名を使ってはいるが、町の費用負担を一切受けず、助成金や寄付金を頼りに、完全に独立したメディアとして現在も運営している。
 放送当日、女川さいがいFMで人気のパーソナリティー2人にも登場していただいた。
そのうちの1人が高校3年生の澄んだ瞳を持つかわいらしい女性だった。

〔自責の念にとらわれた女子高生を救ったもの〕
 彼女は震災孤児の1人だ。東日本大震災の震災孤児(両親ともに死亡または行方不明の子供)は240人、震災遺児(両親のどちらかが死亡または行方不明の子供)は1327人に上る(厚生労働省の調べ、2011年10月末時点)とされているが、彼女もその1人だったのである。
 幼い頃に父親を病気で亡くした彼女は、3月11日、津波にのまれた。
運よく流れされている途中で引っ張り上げられ、一命を取りとめたが、彼女のお母さんは流され、自宅も津波で失った。
祖母とともに避難所に身を寄せ、今も仮設住宅に2人で暮らしている。
 「なぜ自分だけ助かってしまったのか。母を救えなかったのか」――。
 避難所で彼女は、ずっと自分を責め続けたという。
 自責の念に襲われ、生きている意味を見失いかけた時、出合ったのがラジオだった。
たまたま同じ避難所にいた中学時代の先輩から誘われ、女川さいがいFMでパーソナリティーを務めることになったのである。
 「私はさいがいFMに救われました。自分にもできることがある。生きている意味がある、自分にも役目がある。そう思えたんです」。当時のことを彼女はそう話してくれた。
 ラジオの仕事は完全なるボランティア。
ギリギリの資金で運営をしている事情もあって、「彼女たちには、飯をおごることくらいしかできなかった」と代表の方は言う。
 だが、町を歩き回り、情報を集め、情報を伝え、その情報を頼りにしてくれる人たちがいるという事実が、彼女に、生きている意味をもたらしてくれた。

 「さいがいFMのおかげで、私には夢ができました。避難所には情報がなかった。
悪質なデマも飛び交いました。情報がないことの怖さを知りました。本当に怖かった。
だから、私には、『報道の仕事に就いて情報を発信したい』という夢ができました。
情報のない怖さを体験したからこそ、報道の仕事に就いて、真実を伝えていきたいんです」
 慰霊祭で遺族代表を務めた時、こうスピーチをした彼女は春から大学生になる。

 震災、仮設住宅という厳しくて悲しくて切ない環境で必死に頑張り、女川を離れ東京都内の大学に通うのだ。
 「東京でしっかり勉強しておいで」と送り出してくれる祖母。1人になる祖母を心配する彼女に、「おばあちゃんのことは心配しないでいいから」と言ってくれる仮設住宅の人たち。
そして、「東京の人に女川のこと、震災のこと、津波のことをもっと知ってもらいたい」という故郷を思う気持ち。
 そんな彼女と彼女の周り方たちの熱い思いを果たすために、東京で春を迎える決意をしたのである。

〔ピュアな思いには人を揺さぶる力がある〕
 彼女の夢。これこそが、誰かを思って働く、ということなんじゃないだろうか。
 情報がなくて怖い思いをしているんじゃないか?
 デマや噂に、疑心暗鬼になっていやしないだろうか?
 この情報はちゃんと伝わっているだろうか?
 頑なまでに、ピュアに、自分の仕事の先にある“人”のことを思いやる。
もちろんその先には「人の役に立ちたい」という願いがあるのだとは思う。
でも、彼女の言葉には、情報の先にある“人”を思いやる気持ちがあふれていた。
 私は、彼女の言葉を聞いた時にひたすら感動した。
無条件に魅せられた。ピュアな思いには、他人の気持ちを揺さぶる力がある。
 そして、「どれだけのオトナが彼女のような気持ちを持ちながら仕事をしているだろうか?」とも思った。もちろん自戒も込めて、だ。
 誰もがいくばくかの年月を社会で過ごすうちに、「ありがとう」と誰かから感謝されたり、「人のためになった」と感じたりする瞬間に巡り合う。
すると、「誰かのために働くのって、悪くない」と思い、時には「人(社会)の役に立つ」ことがモチベーションになることに気づかされる。「やりがい」とでも言うのだろうか。
そう。社会に何かしら役に立った時に得られる満足感は、とてつもなく心地いい。
 だが、彼女の“夢”は、決してその心地よさを求めてはいない。
 そこにあるのは、自分の仕事の先にいる人を思いやる、温かくて優しい強い気持ち。
それだけだ。
 ひたすら人を思い、思い続ける。自分も経験した情報がない怖さを、抱いてはないか?
  同じ目線で思いやる、温かいピュアな思い。
 そんな優しさと強さを、私たちオトナは忘れてはいないだろうか?

 人が何を求め、何に感謝するかは10人10色。
それはメディアであれ、メーカーであれ、サービス業であれ同じこと。
それでも必死に、「ああでもない、こうでもない。これならどうだろう?」と相手の気持ちになって試行錯誤を繰り返し、100人の人がいたとして、たった1人でもいいから、笑顔になる人がいると信じて仕事する。
 「人の役に立ちたい」とゴールを決めるのではなく、「人を思って」働くプロセスを大切にする。
 そうやって働き続ければ、結果は後からついてくる。
人を思って働いていれば、自分の仕事に意味を見いだすことだってできる。
そう信じて、働き続けることが大切なんじゃないだろうか。
 これまでにも、「有意味感(sense of meaningfulness)」、すなわち「自分のやっていることは意味がある」という感覚の重要性を取り上げたことがあったが、仕事に有意味感を持てれば、自分自身にも意味を見いだすことができるに違いない。

 自分が存在する意味、存在価値―─。
 意味を見いだせれば、仕事に誇りを持つことも、仕事に楽しさを見つけることだってできるはずだ。
 有意味感を持てれば、どんなに困難であろうとも、どうにかして前に進んでいこうと、生きる力が引き出される。まさしく、人間の生きる力の源が、有意味感なのだ。

「人を思う」企業が生き残っていく 
人の役に立つのは容易ではない。
でも、どんな仕事であれ、人を思いながら、働くことはできるだろう。
 そして、「人を思い」ながら、働いている人たちがいる会社、「人を思って」モノを作り、サービスを提供し、情報を伝える会社が、人々の支持を集め、選ばれ、生き残っていくのではないか。

 先日、東京電力福島第1原子力発電所では、停電をきっかけに使用済み燃料プールの冷却システムなどが停止したが、東電は、「ネズミ」が接触してショートさせたことが停電の原因だった可能性があることを明らかにした。
 停電を招いた問題の仮設配電盤は、2011年5月から、トラックの荷台に積まれた状態で、
屋外で使用されており、すき間からネズミなどの小動物が入り込む恐れが十分、
予測できたと専門家は話す。
 仮設配電盤は今月中にも本格的な設備に切り替える予定だったとされてはいるが、
そこに「人を思う」気持ちはあったのだろうか? とふと思う。
 誰かを思い、仕事をしていますか?
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【平蔵の独り言】
NHKの独りの若手アナウンサーの退職からこれだけの事を教えてくれた。
組織に巻かれていく処世術で生き抜いていく人も
組織からはみ出していく人も
百人百様、
何もない 程々の人生を歩む人
はみ出していく人

いい意味でも悪い意味でも
はみ出していく人のほうが魅力を発信していると思う。
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by asanogawa-garou | 2013-03-26 18:13 | 人間模様 | Comments(0)

【梶芽衣子】私の様に媚びない、めげない、挫けない、加えて酒飲めない となっては大変。   

2013年 03月 23日
梶芽衣子:私の様に媚びない、めげない、挫けない、加えて酒飲めない となっては大変。

【タランティーノ、大ファン梶芽衣子に大テレ】
【〔梶芽衣子オフィシャルブログ〕】
【「阿川佐和子のこの人に会いたい」】梶芽衣子週刊文春(2010年7月1日号)

【タランティーノ、大ファン梶芽衣子に大テレ】
サンスポ:2013.2.21 05:02
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3月1日公開の映画「ジャンゴ 繋がれざる者」の映画監督、クエンティン・タランティーノ氏(49)が来日し、ファンと公言している女優の梶芽衣子(65)と対面を果たした。
 日本映画に精通し、「女囚さそり」シリーズなどで梶のファンになったというタランティーノ氏にとっては念願の対談。
憧れの女優に笑顔で迎えられると、顔を赤らめながら隣に座って、そっと手を握った。
 赤いバラとチョコレートを贈られたハリウッドの鬼才は「彼女の作品を初めて見て恋に落ちた。偉大な女優でアイコン的な存在!」と大感激。
梶から「今回の作品を観て、監督の信念が伝わってきました。ファンにこれだけ誠実な監督はいない。貫く姿勢が素晴らしい」と絶賛されると、テレた表情を浮かべた。
 「ジャンゴ」は南北戦争直前の米南部が舞台。奴隷のジャンゴと白人のコンビがお尋ね者を殺す“賞金稼ぎ”として活躍。奪われた愛妻をジャンゴが取り戻すための壮絶な復讐劇だ。
 タランティーノ氏は、「独特な世界観とシュールな様式美。僕の作品に大きな影響を与えている」と日本のサムライ映画に敬意を示す。
セリフを極限まで削った「女囚さそり」シリーズについても、「僕の作った『ジャンゴ』もセリフが少ない。傷つけられた人間性は瞳からも伝わる」。
これに梶が「カメラは心を映しますから」と応じるなど、国籍・世代を超えた映画談議で盛り上がっていた。

【〔梶芽衣子オフィシャルブログ〕
〔私の様に媚びない、めげない、挫けない、加えて酒飲めない となっては大変〕
2012-12-31 13:12:18  梶芽衣子 131
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おはようございます。
9月末より「結婚しない」「鬼平犯科帳」(1月4日放送) 
田村 正和さんの怖い?奥方約の「上意討ち」(2月放送予定)と急にお仕事を頂き 東京~京都
 そして最後に「鬼平」「剣豪」で大変お世話になりました原作者の池波先生の奥様が92才で逝去されましたが お見送り出来ました。
山田 五十鈴さん、淡島 千景さん、小沢 昭一さん、二谷 英明さん、
何度もご一緒し勉強させて頂きました方々も逝ってしまわれました。
現場や会話の中で教えられることが沢山ありましたが、今はそんなこともなく残念です。
松井選手が引退されましたが、高校野球から世界の野球団ヤンキースで先日イチローさんも言っていた様に別格の「あの指輪」も手にされ球史に残る大役を残されました。

スポーツ選手の現役は短いのですが、我々は定年はない、でもリストラや
 私の様に媚びない、めげない、挫けない、加えて酒飲めない となっては大変。
唯頂いたお仕事を自分なりに励むしかない。
男優の65才はシルバーグレイ、洗練された格好いい男となりますが 女性の場合は 必ず年令がついてまわる。
あの人老けたわねぇ。になりますが
私はこれより来年は66才になりますが、6×6=36(おまさも36才)をずっと続けるつもりです。
来る年も皆様のご支援をいただきたく、そして「あいつの好きそなブルース」を唄いつづけるともりです。皆々様も良い年でありますこと祈念しております。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【「阿川佐和子のこの人に会いたい」】 梶芽衣子
週刊文春(2010年7月1日号)
『さそり』の頃は松島ナミな感じで不機嫌だったから、皆に迷惑がられました(笑)
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団塊の世代の女神、梶芽衣子さんが颯爽と登場!
『さそり』の松島ナミ、
『鬼平』のおまさ――
男たちの胸を焦がすオンナをしなやかに
演じ続けて四十五年。
些かの変わりもない美しさとかっこよさに、アガワも驚愕です。

【『鬼平犯科帳』の密偵、おまさ役】中村吉右衛門さんとは二十一年です。
【『太田雅子』から『梶芽衣子』】生半可の覚悟じゃ、女優はできない。
【『女囚さそり』】「この役、ひと言も台詞言いたくないんです」
【怨み節】「よし、語りでやってやれ」
【私が女優として厳しかったのは『さそり』を降りてから今に至る三十数年間ですね。】二番手以下で甘んじていられる心身を鍛えること。
【芝居も歌も、非常にデリケートなものですから】
私は常に「日本語で表現できる芝居、歌ならやります。でも、他の国の言葉ではできません」と申し上げてるんです。
【別れるとき、二つ約束しました。】絶対に仕事を辞めない」、それから「どんな相手とも結婚はしない」
【『キル・ビル』がヒットしたときに、「梶芽衣子って誰?」】
【驚いたことに、ボブ・ディランの息子さんが】私の大ファンらしいんです。

【『鬼平犯科帳』の密偵、おまさ役】中村吉右衛門さんとは二十一年です。
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阿川 今年もテレビドラマ『鬼平犯科帳』の放映がありましたね。
梶  ええ。1989年から十二年続いた番組ですけど、
今は年に1回、2時間のスペシャル版をやっています。
阿川 梶さんは鬼平こと長谷川平蔵の密偵、おまさ役で。
中村吉右衛門さんとは長い仲ですね。
梶  二十一年です。
阿川 うわ~ァ、夫婦みたい。
梶  お互いに歳をとりましたけれど、役は歳をとらないので大変です。
おまさは三十六のままですから。
『鬼平』の凄いところは、皆さん、池波正太郎先生の小説をお読みになった上で、
テレビをご覧になっているんですよ。
阿川 視聴者の方から、おまさについて何か言われたことはありますか。
梶  最初の頃は厳しかったですね。
おまさはあんな色白でいいのか、原作では浅黒いのに、とか。
それから江戸の言い回し。
髪結いさんを「カミユイさん」って言ったら「カミイイです」と。
阿川 時代考証家百万人、みたいなものですね(笑)。
おまさの役づくりで考えていらっしゃることは・・・・。
梶  おまさは十歳のときから平蔵さんを知っているんですが、
当時、平蔵さんはひねくれて非行少年だったんです。
その頃から平蔵さんを知っている女性はおまさしかいない。
ベロベロに酔っ払った平蔵さんを介抱したり、お世話をしてきているので、
ちょっと奥さまの久栄さんとは違いますよね。
平蔵さんに対する恋心は絶対にあると思うんです。
阿川 そりゃ、ありますよね。
梶  「血闘」という話で、おまさは命を落とすかもしれないとわかっていながら、
火付盗賊改方の密偵にさせてくださいと平蔵さんにお願いするんです。
そのぐらいの覚悟ですから、私もとても女を意識しておまさを演じてます。
阿川 おまさを始め、梶さんは報われない女の役が多いですね。
梶  どういうわけか不憫な女が多くて(笑)。
寺山修司さんが「梶芽衣子は日本中の不幸な女を一人で演じている」
なんて書かれたことがあるんですけど、
「私は幸せになっちゃいけないの、寺山さん!」って感じでした。
阿川 私よりちょっと年上の、団塊の世代の男どもにとって梶さんはまさに女神でいらして。
『女因さそり』での猫のように光る鋭い目と真っ黒なストレートヘアと足の長さ。
そして何より、女一人で体制に立ち向かうかっこよさ。
梶  同い年の北方謙三さんと対談したさい、
「学生運動で逮捕されたとき、留置場で仲間たちが『怨み節』
(『女因さそり』主題歌)を歌うのを聴いていた。
 僕らの心情にピッタリだったんだ」とおっしゃっていました。

【『太田雅子』から『梶芽衣子』】生半可の覚悟じゃ、女優はできない。
阿川 高校生のときにスカウトされて、日活に入った。
梶  あの頃の映画界ってものすごく厳しくて。
芝居も難しいし、とてもじゃないけど続けられないと思いました。
阿川 まだ十七歳ですもんね。
梶  でも、「できません」と弱音を吐くと、
監督やスタッフに「たとえ初めてでも、君はギャラをもらっているプロなんだから『できない』なんて言うな!」と怒られるんです。
イビリもありましたよ。忘れもしません、『夜霧よ今夜も有難う』――――。
阿川 石原裕次郎さんの?
梶  そう、私出てるんです。キッチンから恋敵の浅丘ルリ子さんを見つめるシーンで、
裕次郎さん専属ライトマンの藤林さんという人に「おい新人、これ持ってろ」って大根を渡されて。
大根持って一生懸命見つめていたら、
監督に「お前、何持ってんだ?バカヤロー!」
「え、だって藤林のおとうさんがこれ持てって・・・・・・・」って。
要するに、お前は大根役者だっていういびり。
阿川 意地悪ゥ。それで泣いたり?
梶  泣いてるひまなんかないですよ。
「藤林のおとうさん、ひどいじゃないですか!」って。
阿川 そしたら?
梶  そうしたら、「こういう恥をかいて覚えていくんだ。
どんどん恥かいて、育っていかなきゃ、浅丘さんのようになれないだろう」って。
阿川 ハハァ。で、演技に少しずつ興味をもっていったんですか。
梶  いびられて、私は女優に向いてないのかなと思った頃に、
マキノ雅弘先生の『日本残侠伝』に出ることになって、
先生に「梶芽衣子」という名前をいただいたんです。
それまでは本名の「太田雅子」でやっていたんですが、名前をいただいたということは、
女優としてやっていけってことかなと思って、これは勝負しなきゃいけない、
という気持ちが変わりましたね。
阿川 本気で女優をやろうと。
梶  そうです。生半可の覚悟じゃ女優はできない。
これからは本来の私の性格や人間性は関係ない。
「梶芽衣子」をどういう女優にしたらいいのかって考えたんです。
阿川 どうしようと?
梶  ケースに入ったお人形さんみたいな、
優等生で楚々とした女優さんをやっても私の居場所はない。
ここ(撮影所)にいないのは非行少女だけだ、と思ったんですね。
芝居はできもしないのに、そういう頭だけは働いたんです(笑)。
じゃあ、まずはジーパンでも穿いて撮影所に通ってやるかと。
阿川 それまではスカート?
梶  フリルのスカートも穿いたし、スーツも着ていました。
でもジーパンで通ってたら所長さんに呼ばれて、
「もっと女優らしい格好をしなさい」って叱られまして。
「だって私のイメージってこれじゃないですか。いけませんか」
なんて口答えしてました。
阿川 アハハハハ。生意気!
梶  ほんとに生意気でね。今思い返すとゾッとすることがたくさんありました。
アフレコのとき、私ができないでいると先輩の俳優さんたちがクスクス笑うんですよ。
私は恐いもんなしで
「笑わないでください。あなたたちにもこういう時期があったでしょ!」
主役なんだけどどうしてもやりたくない仕事が来て、断わったこともあります。
それはさすがに「うすら生意気な奴だ」ってことで、ちょっとホサれました。
阿川 仕事がなくなったんですか。
梶  まったくなくなるわけじゃなくて、役の格を下げられるんですよ。
小林旭さんの元恋人の死体役とかね。
で、これはホサれてるな・・・・・・・と感じていたとき、
長谷部安春監督が『野良猫ロック』で使ってくれたんです。
それが私の代表作のひとつになるんですけど。
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【『女囚さそり』】「この役、ひと言も台詞言いたくないんです」
梶  それが『女囚さそり』のお話だったんです。
伊藤俊也監督も脚本を持っていらして。
原作の劇画と脚本を読んだら、
自分の中で松島ナミの役づくりがちょっとできたんですね。
で、監督に「この役、ひと言も台詞言いたくないんです」と言ったんです。
阿川 ご自分からおっしゃったの?
梶  そう。「ギャーギャーわめくより、ひと言も喋らないほうが不気味だし、恐い。
これって映画の歴史にない主人公になるんじゃないですか」って。
阿川 そうしたら監督は?
梶  「・・・・・・・・これ、僕のデビュー作なんです」って(笑)。
「初監督の作品で主役がひと言も喋らないのは・・・・・・・ちょっと時間をください」。
だから私はハッキリ申し上げました。
「お待ちします。でも、脚本通りに台詞を言えということでしたら私は辞退します。
喋らないのならお受けします」って。
それで、あの無言の『さそり』ができたんです。
さすがにまったく喋らない、というわけにはいきませんでしたけどね。

【怨み節】「よし、語りでやってやれ」
梶  これを言ったら作曲の菊池(俊輔)先生に怒られちゃうかもしれないけど、
本来の譜面は「♪花よきれいとおだてられ~」なの。
阿川 メロディアスな感じ。

梶  素敵な歌なんだけど、ナミは無言の女でしょう。合うかなあ・・・・・?と思って。
「よし、語りでやってやれ」って、菊池先生にお許しをいただいて
(言葉をぶつけるように)「♪花よ、きれいと、おだてられ~」
阿川 なるほど!
梶  私の中に、完全にナミの感性が入ってきていたからできたんですね。
私、ぶきっちょだから、その役になりきらないとできないんです。
あの頃はずーっとナミな感じでいたから、みんなに迷惑がられました。
「何が気に入らなくてそんなに機嫌が悪いの」って(笑)。
阿川 でも、それで『さそり』もシリーズ化されましたね。
梶  私としては一本で辞めたかった。でも会社は許してくれないですよね。
なんせ当たりましたから。二本目は東映のお正月映画にまでなったんです。

【私が女優として厳しかったのは『さそり』を降りてから今に至る三十数年間ですね。】二番手以下で甘んじていられる心身を鍛えること。
阿川 なぜ辞めたかったんですか?
梶  自分の中で、松島ナミを消化しきったからですね。
シリーズを降りるのは恩を仇で返すことだから、
非難されても、映画界から抹殺されてもしょうがないことです。
そう思って四本やりましたけど、結局そこで降りました。
お客が入らなくなるまで続けていくよりも、自分の意思でやめたほうが、
この先何があっても耐えられると思ったから。
で、これからは、どんな小さな役でもやる、いろんな役ができる俳優になりたいと。
阿川 ほお。
梶  それは『さそり』がヒットして、名前が世の中に知られたからこそできることなんです。
でもナミは特殊な役ですから、あまりにイメージが強く、最初はテレビに出ても大変で。
私が女優として厳しかったのは『さそり』を降りてから今に至る三十数年間ですね。
阿川 何が一番大変でしたか。
梶  二番手以下で甘んじていられる心身を鍛えること。
でも、たとえ二番手以下であっても、アウトロー女優の私がやっていきたいと思った
ことは貫いていますよ。
阿川 カッコい~い。
梶  その覚悟がなければ、降りるなんて言えませんよね。
今にして思うんですけど、『鬼平』のおまさは、私がやった役、全部に通じてるんです。
だから、『鬼平』に巡りあって、私の女優人生四十五年の約半分の二十一年間、
アウトサイダーのおまさをやらせていただいてることは、私の宿命だった気がするし、誇りなんです。
阿川 アウトローを貫いているその姿がクエンティン・タランティーノ監督にぞっこん惚れられて、『怨み節』と『修羅の花』が『キル・ビル』の挿入歌として使われたんですよ。

【芝居も歌も、非常にデリケートなものですから】
私は常に「日本語で表現できる芝居、歌ならやります。でも、他の国の言葉ではできません」と申し上げてるんです。
梶  今、私、海外からのオファーがすごくあるんですよ。
東欧のビール会社のCMとか。お酒飲めませんからってお断りしたんですけど。
阿川 タランティーノ効果かしら。
梶  最近もフランスから私のドキュメンタリーを作らせてくれって。
阿川 引き受けたんですか。
梶  いえ、海外のお話は全部お断りしてます。
ニューヨークからもハリウッドからもアジアから来ますけど、
私は常に「日本語で表現できる芝居、歌ならやります。
でも、他の国の言葉ではできません」と申し上げてるんです。
芝居も歌も、非常にデリケートなものですから。
阿川 筋を通す人ですなあ。
私が伺うのも憚られるんでございますが、結婚するお気持はなかったんですか?

【別れるとき、二つ約束しました。】絶対に仕事を辞めない」、それから「どんな相手とも結婚はしない」
梶  ありました。結納を交わした相手がいました。
一緒に住んでいましたし、実際に女房をやっていました。
あとは判子を押すだけで・・・・・・・。『さそり』がヒットする前です。
阿川 えっ、そうだったんですか?
梶  それがある日、映画が当たって世界が変わっちゃって、
簡単に辞められなくなちゃたんですよ。
結婚するというのは仕事を辞めることだし、
辞めたらもっといろんな役ができる役者になりたいという夢が消えて絶対後悔するし、ヒットした映画は大事だし。
阿川 結婚して女優も続ける、という選択肢はなかったんですか。
梶  「辞めてくれ」と言われてましたから。
私はぶきっちょだから、同時に二つのことはできませんしね。
別れたのは二十七のとき。六十三年の人生で、あの決断が一番苦しかったかな。
阿川 うわ~ん、可哀相。
梶  別れるとき、約束したことが二つあるんです。
「絶対に仕事は辞めない」、それから「どんな相手とも結婚はしない」。
阿川 きつすぎるよ、それ。それでも、仕事を選んだ。
でもそれからずいぶん時が経って、
「今なら結婚できるかな」と思う人はいなかったんですか。
梶  結婚は考えたことないですね。恋愛はもちろんありますけど。
だって恋愛するなとは言われてないもの。
私、モテないわけじゃないんだから(笑)。
阿川 重々承知しております(笑)。
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【『キル・ビル』がヒットしたときに、「梶芽衣子って誰?」】
梶  『キル・ビル』がヒットしたときに、若い方たちの間で「梶芽衣子って誰?」という声
がすごくて、『さそり』『野良猫ロック』『曽根崎心中』なんかがDVD化されて、
世界中で売れたんですね。そこでティチクが『恨み節』と『修羅の花』をCDにしたら、これも売れて、じゃあ新曲をってことになった。
私は歌はあまり得意ではないんですけど、自分の中で緊張感を持って元気になれる仕事ですから。
それで去年出したのが『女をやめたい』。
阿川 強烈なタイトルですよね(笑)。
梶  やめてませんけどね(笑)。
こよなく女でありたいっていう気持ちの裏返しですよね。
これも好評いただいたので、
三月に『梶芽衣子ベスト・コレクション』というCD全集を出したんです。
CD六枚に八十二曲。
それにインタビューDVDと写真集も入っているんです。

【驚いたことに、ボブ・ディランの息子さんが】私の大ファンらしいんです。
阿川 ライブも始めたんですか?
梶  三月のライブには、驚いたことにフランスの国営放送とかイギリスから取材が
来たの。もっと驚いたのはボブ・ディランの息子さんが私の大ファンらして・・・・・・・。
阿川 なにィ~!?
梶  ライブのときに取ったアンケートで、私が一番興味あったのはファンの年齢層。      十八歳から七十代までいらしたんです。
三十代後半までが『キル・ビル』、それから団塊世代までが過去の映画、
それ以上の方がおまさのファン。
「おまさが歌を歌うの?」ってびっくりされたんじゃないかしら(笑)


【平蔵の独り言】
梶芽衣子が十七歳でデビュー今も現役の女優をしている。

〔「梶芽衣子」をどういう女優にしたらいいのかって考えたんです。〕
梶  ケースに入ったお人形さんみたいな、
優等生で楚々とした女優さんをやっても私の居場所はない。
ここ(撮影所)にいないのは非行少女だけだ、と思ったんですね。
芝居はできもしないのに、そういう頭だけは働いたんです(笑)。
じゃあ、まずはジーパンでも穿いて撮影所に通ってやるかと。
阿川 それまではスカート?
梶  フリルのスカートも穿いたし、スーツも着ていました。
でもジーパンで通ってたら所長さんに呼ばれて、
「もっと女優らしい格好をしなさい」って叱られまして。
「だって私のイメージってこれじゃないですか。いけませんか」
なんて口答えしてました。
阿川 アハハハハ。生意気!
梶  ほんとに生意気でね。今思い返すとゾッとすることがたくさんありました。
アフレコのとき、私ができないでいると先輩の俳優さんたちがクスクス笑うんですよ。
私は恐いもんなしで
「笑わないでください。あなたたちにもこういう時期があったでしょ!」
主役なんだけどどうしてもやりたくない仕事が来て、断わったこともあります。
それはさすがに「うすら生意気な奴だ」ってことで、ちょっとホサれました。
阿川 仕事がなくなったんですか。
梶  まったくなくなるわけじゃなくて、役の格を下げられるんですよ。
小林旭さんの元恋人の死体役とかね。
で、これはホサれてるな・・・・・・・と感じていたとき、
長谷部安春監督が『野良猫ロック』で使ってくれたんです。
それが私の代表作のひとつになるんですけど。

【『女囚さそり』】「この役、ひと言も台詞言いたくないんです」
【怨み節】「よし、語りでやってやれ」
【私が女優として厳しかったのは『さそり』を降りてから今に至る三十数年間ですね。】
二番手以下で甘んじていられる心身を鍛えること。

思い切りと覚悟で今も歩いているからだと思う。

もう少し、同じ時代に活きていけるか。

頑張ろう!
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by asanogawa-garou | 2013-03-23 16:25 | 人間模様 | Comments(1)

鮫島彩 ストーリー「震災、移籍、W杯優勝、再び移籍……波乱万丈の1年を過ごして情熱を再確認」   

2013年 03月 11日

鮫島彩 ストーリー「震災、移籍、W杯優勝、再び移籍……波乱万丈の1年を過ごして情熱を再確認」
SOCCERKING2012.08.06

東日本大震災によって運命の荒波にのみ込まれた鮫島彩とマリーゼの選手たち――。
仲間が散り散りとなるなか、鮫島は多くの人の尽力により、海を渡ることになる。
サッカーへの情熱を再確認した鮫島はこの秋、かつての仲間とともに再びピッチに立つ。

【サッカーを続けられることへの感謝】】

「たくさんの人たちのおかげで、私は今もサッカーをさせてもらっている」
【鮫島、仙台Lとプロ契約 昇格貢献に期待高まる】
【鮫島がチャレンジリーグ仙台移籍 フランス1部リーグから】

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文=西森 彰 写真=早草紀子
“女の子走り”で相手をぶっちぎる
 仙台にある常盤木学園高は、今や高校女子サッカー界のナンバー1チームになった。
鮫島彩、田中明日菜、熊谷紗希と3人のワールドカップ優勝メンバーを送り出し、
その下の年代別代表にもOGや現役選手を輩出している。

「同じ高校の先輩たちが世界一になって『凄いな』っていう部分はあります。
『自分もそういう先輩たちに続きたいな』って思います」

 U-20日本女子代表の一員であり、INAC神戸レオネッサでプレーする仲田歩夢は言う。

 そんな常盤木学園高が“夜明け前”の頃に、在籍していたのが鮫島だ。
越境入学だが当時、ボールに人生を捧げるほどの覚悟はなかった。
それでもサッカーセンスは抜群、豊富なスピードがあり、緩急を付けたリズムがある。
女子サッカーの育成年代で名を馳せる同校の阿部由晴監督は、鮫島に期待を寄せた。
二の腕を体にぴったり付けた、いわゆる“女の子走り”で対面する相手をぶっちぎる。

全日本高校女子サッカー選手権で対戦した鳳凰高校の嶋田正照監督は呆れ顔で語った。
「さっきの鮫島のプレー、見ました? グッと加速して、一気に来られる。2枚じゃ厳しいですね。3枚いなければ止められませんよ(笑)」
周囲の人たちは、鮫島に溢れる才能を見出し、その進路を用意した。


 高校を卒業すると、鮫島は東京電力に入社し、
その女子サッカー部マリーゼでプレーすることになった。
マリーゼの選手たちは、福島県の『浜通り』と呼ばれる沿岸部の原子力発電所などで働いていた。
午前中の業務終了後、食事を取ってからJヴィレッジに移動し、練習する。
東京電力の正社員としての身分が保障され、一般社員と同じように給料も支給される。
また、サッカー選手を辞めてからも、希望すれば社員として会社に残ることができる。
アルバイトしながらサッカーを続ける、多くのなでしこリーガーに比べて、恵まれた待遇だった。

 それがチームカラーにも反映したか、ツボにハマると華麗なサッカーを展開する半面、勝負に対する泥臭い執着が欠けていた。
YKK AP東北女子サッカー部フラッパーズから移管された初年度の2005年に4位の好成績を挙げたが、鮫島らを補強し、さらなる前進が予想された06年には最下位で降格の憂き目に遭っている。

 ただ、そうしたスマートなマリーゼのスタイルは、当時の鮫島にも似合っていた。
日本代表では、U-19日本女子代表、なでしこチャレンジプロジェクト、なでしこジャパンと
順調にステップアップしていく。
また、マリーゼでも07年度のなでしこリーグディビジョン2でMVPを獲得。
09年に就任した菅野将晃監督の下では、代表と同じサイドバックにポジションを移し、
翌年にはベストイレブンと、サポーターが選ぶMVPを受賞する。
勝負弱かったマリーゼも、菅野監督の指導により、首位争いを繰り広げられるところまで来ていた。

【サッカーを続けられることへの感謝】
 しかし、そんな楽園が一変する。
2011年3月11日。
日本中を悲しみで覆い尽くした東日本大震災は、
鮫島とマリーゼをも運命の荒波にのみ込んだ。
開幕を前に宮崎キャンプへ発っていたマリーゼの選手、スタッフは、
第一報に大きな衝撃を受け、その後の原発を取り巻く状況に絶望感を深めていった。

キャンプ地からJヴィレッジには戻れずじまい。
それどころか、危険区域にある選手寮へ家財を取りに帰宅することすら、しばらく許されなかった。

 そうした苦境の中で、国内外のサッカーファミリーが救援の手を差し伸べた。
なでしこリーグ各クラブが移籍の受け皿となり、マリーゼの選手を受け入れていった。

当然のように鮫島にも声が掛かったが、
彼女はアメリカへ渡り、マリーゼと交流のあったボストン・ブレーカーズとアマチュア契約を結ぶ。
この頃から鮫島は周囲に漏らすようになった。

「たくさんの人たちのおかげで、私は今もサッカーをさせてもらっている」

 昨年のドイツワールドカップでは、
多くの海外メディアから繰り返して「震災と原発」に対する質問を浴びせられたが、
これに挫けることなく、優勝カップを掲げた。
ワールドカップ終了後にはフランスへ戦場を移し、モンペリエで1年間、プロ選手として戦った。

 そしてこの秋、鮫島はベガルタ仙台レディースでの戦いを開始する。
マリーゼで一緒にプレーした仲間たちとともに。
波乱万丈の1年を過ごし、サッカーへの情熱を再確認した鮫島へ、チーム関係者とサポーターは期待に胸を膨らませている。

鮫島 彩(ベガルタ仙台レディース所属)
生年月日:1987年6月16日 出身地:栃木県 身長・体重:163cm・53kg

経歴:宇都宮ジュニアFC→河内SC→常盤木学園高→東京電力女子サッカー部マリーゼ→
ボストン・ブレーカーズ(USA)→モンペリエHSC(FRA)→ベガルタ仙台レディース

国際Aマッチ通算成績(7月27日現在):46試合2得点
2011年ドイツ女子ワールドカップ成績:6試合0得点
2012年ロンドン五輪アジア最終予選成績:5試合0得点

寸評:自慢のスピードを武器に、左サイドを切り裂くサイドバック。
昨年のW杯では“女の子走り”で男性ファンを魅了した。
素顔は「スパイクさん、ありがとう。明日もよろしくね」と言ってスパイクを磨く優しき女の子

【鮫島、仙台Lとプロ契約 昇格貢献に期待高まる】
河北新報 7月10日(火)6時10分配信
 サッカー女子のチャレンジリーグ、ベガルタ仙台レディース(仙台L)が9日、
日本代表「なでしこジャパン」のDF鮫島彩(25)
=宮城・常盤木学園高出=とプロ契約を結んだ。
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仙台Lは現在、リーグ戦12勝2分けで、首位を快走する。
日本代表の左サイドバックの加入が、リーグ優勝、
なでしこリーグ昇格に大きな力となるのは間違いない。

 ベガルタ仙台の白幡洋一社長は
「宮城県民、仙台市民が心待ちにしていた加入が実現し、うれしい」とコメントした。
チーム名の「ベガルタ」は七夕にちなんでいる。
白幡社長は、ほぼ合意の段階に至ったのが七夕の7日だったと明かし、
「(鮫島の加入で)仙台Lの輝きが増すと思う」と強調した。
 鮫島はロンドン五輪後、チームに合流する。

千葉泰伸監督は「チームの一員となってくれてうれしい」と喜び、
「五輪で活躍し、金メダルを取ってほしい」とエールを送った。
 仙台Lは、鮫島がかつて所属していた東京電力マリーゼを引き継ぐ形で誕生した。
今年5月下旬、仙台Lの担当者が渡仏して鮫島と会食し、仙台側の熱意を伝えた。
6月には鮫島が仙台L入りを「選択肢の一つ」と語っていた。

 昨年のワールドカップの優勝メンバーで、
実力と人気を兼ね備えた鮫島の加入は、集客やスポンサー獲得の面でも大きなプラスになりそうだ。
最終更新:7月10日(火)6時10分

【鮫島がチャレンジリーグ仙台移籍 フランス1部リーグから】
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 なでしこリーグの2部に当たるチャレンジリーグの仙台は9日、なでしこジャパンのDF鮫島彩(25)がフランス1部リーグのモンペリエから完全移籍で獲得した。
仙台では初のプロ契約選手となる。

 昨季まで所属したモンペリエを退団後、
日テレ、新潟、浦和など国内の強豪クラブからオファーが殺到していた中で、
代表の主力としては異例といえる2部移籍を決断。
この日の練習後に理由について問われると「今は代表に集中したい」としながら「代表で頑張ることで仙台の方たちへいいパワーを送れれば」と東北への思いを口にした。


 仙台は鮫島にとって“古巣”。
06年から6年在籍した東京電力マリーゼが昨年3月の福島第1原発事故の影響で休部となって移管された。
クラブのリリースでは「チームの勝利、また東北のさらなる盛り上がりに貢献できるように頑張りたい」としており、かつての仲間とともに1部復帰を果たすことで被災地を元気づけたいという思いも強かったようだ。
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【平蔵の独り言】
 昨季まで所属したモンペリエを退団後、
日テレ、新潟、浦和など国内の強豪クラブからオファーが殺到していた中で、
代表の主力としては異例といえる2部移籍を決断。
この日の練習後に理由について問われると「今は代表に集中したい」としながら「代表で頑張ることで仙台の方たちへいいパワーを送れれば」と東北への思いを口にした。

3.11から今日で2年  鮫島彩 の心根が素晴らしい!
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by asanogawa-garou | 2013-03-11 16:34 | なでしこジャパン | Comments(0)

「この人生、この世界、きれいごとでは済まない」(曽野綾子)   

2013年 03月 07日
「この人生、この世界、きれいごとでは済まない」(曽野綾子)
週刊現代 2013/2/16・23号

体罰で大騒ぎするこの国で「この人生、この世界、きれいごとでは済まない」(曽野綾子)
大阪の高校 バスケットボール部で起こった 顧問による体罰事件

いくら躍起になったところで、人間のずるさや弱さは消せない。
みんないい人、日本は平等で安心な社会----そんな呪文を繰り返し唱えるうちに、
この国は強さも勇気も、そして思考力も失いつつある。



〔なぜ人はいじめるのか〕

日本の教育が抱える最も大きな問題は、教育制度を変えれば、
いじめをなくすことができると考えている点にあります。
制度改革、つまり政治の力で、いじめをなくすことは決してできません。

日本の教育の罪は
「たとえ子どもであろうと、悪い心を持たない人はひとりとしていない」
という事実から目を背けてきたことです。
もちろん人にはそれぞれ良いところもあるけれど、
必ず悪い面もあるということを教えてこなかった。
問題はここにあります。

善人のなかにある「悪意」
どんな善人の中にも悪が潜んでいる。

この悪の部分を見せないまま「みんないい子」だと決め付けてきたのが戦後日本の教育でした。
日本の学校では「みんな平等でなければいけない」とも教わりますけれど、考えてみてください。
世の中が平等であるはずがないんです。

その証拠に私は山本富士子さんやオードリー・ヘップバーンとほぼ同年齢ですが、
このおふたりと私を並べたら、人目見ただけで、人間は平等などではないことが明白でしょう。

にもかかわらず、人間は平等でなければならないと言い張っている。

社会全体を見渡しても、いまの世の中の悪や、想定外の出来事から目を逸らすようになっています。

安心、安心と繰り返す政治家はそれだけで嘘つきだと思っているんです。

だいたい私くらいの年齢になりますと、今日は元気でも、明日元気だという保証はない。
いつ病気で倒れるかわからないから、全然安心なんてできません。

人生は想定できないことだらけ、
「想定外は許さない」「いじめはあってはならない」「子どもはみんないい子だ」
という誤った前提のもとで行われてきたのが、日本の教育なのです。

【平蔵の独り言】
教育の中で、且つクラブ活動の中で顧問が“体罰”を性悪説として
認めるようなことは絶対に認められない。

教職を生業としているものが“体罰”で人の心を従わせる。

たかがクラブ活動でしょう!

それより大切なもの【人間形成】を教えられないものが
教職の道を選ぶ事のほうが問題だと思う。

『育てるチカラ』沖縄・興南高校野球部(我喜屋優監督)
ように高校3年間も大事だけれど、その後人生の方が大切。
3年間はクラブ活動を通して【人間形成】の場として『育てる』


全ての教育に従事する人たちは誰が“主”で誰が“従”か
考えれば、答えが出てくると思うのだが、
((当然 “主”:生徒 、“従”:教師)が、“主”:教師、“従”:生徒)

まあ、日本人の文化(身分制度)江戸時代:士農工商
近代:お上(これは昔からか)
公務員、政治家の給料は誰から出ているのか!

大宅壮一さんが「一億総白痴化」(1957)と言っていたが、
働いて税金を納めているが“主”であるはずが・・・・・・・・・・・・・・・

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by asanogawa-garou | 2013-03-07 16:13 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)