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開成、灘、筑駒 卒業30年後の「神童」たち・天才と呼ばれた子どもたちは、大人のなって幸せに・・・   

2013年 05月 31日
開成、灘、筑駒 卒業30年後の「神童」たち
天才と呼ばれた子どもたちは、大人のなって幸せになったのだろうか

週刊現代 2013/5/11・18号

〔『小学校時代から神童と呼ばれました』。3校の卒業生は必ずそう謂う。少しズレた感覚で青春を送った彼らも、大人になり、50歳を前にして思う。俺はいつから『特別な人間』じゃなくなったのかーーー〕

【『小粒』な人ばかり】
「一言で言えば『小粒』ですよね。自分の目に見える範囲の仕事しかしない。最後の最後で『それは政治家の領域でしょ』と逃げる。

【選挙に勝てない】
〔そこで支えてくれたのが、地域の名もない若者やオバチャンたちです。〕

【人を喜ばすことができない】

【人生いろいろ、秀才もいろいろ】
〔行方不明になったやつもいる。無職でブラブラしているやつもいる〕

〔人生いろいろ。どんな進学校をでても、その先の人生は保証されない。
だが、エリートコースを外れた「神童」たちのほうが、どこか生き生きして見えるのは、気のせいだろうか。〕


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〔『小学校時代から神童と呼ばれました』。3校の卒業生は必ずそう謂う。少しズレた感覚で青春を送った彼らも、大人になり、50歳を前にして思う。俺はいつから『特別な人間』じゃなくなったのかーーー〕

「自分は特別なんだ、ずっとそう思って生きてきました。でも自分の会社人生の先が見えてきて、気づいたことがあります。ひっとしたら、灘高卒という学歴は俺にとって邪魔だったののかもしれない、って」

自分では同期の誰よりも優秀だと思ってきましたが、50歳を前にして、役員になれないことがハッキリとわかった。

「中学生の時代から、親であれ、親戚であれ、同級生であれ、『周囲に尊重されている』という安心感に包まれて生きてきた。
しかし、会社組織はもちろん、自分の築いた家庭においても、無条件で尊重されることはありえないんですね。
家庭では妻に役立たずと言われ子どもに無視され、会社も私を役員に選ばなかった。
灘高卒でなければ、もっと謙虚に生きられたかもしれない。
そう思うことがあります。
それでもなお、私にとって『灘高を出た』という事実は大切なのです。
理屈ではなく、心と身体に染みついた、大切なアイデンティティなんです」

「灘なは優秀な人間も多くいたことは認めますし、私も同級生たちから大きな刺激を受けました。
ですが『本当に才能溢れる人間』は、灘のような学校に入って来ないんじゃないかと、社会に出てから思うようになりました。」

灘にせよ開成にせよ、ああいう学校は『周囲に合わせて自分の欲求を修正できる人間』を入試で選別している。
いい学校に入って欲しいという親の欲求に敏感な子どもだから入れるわけで『神童』ではなく『秀才』なんだと思います。
マグマのように内発的な衝動を持っている人間が入れる学校ではないんですね」


【『小粒』な人ばかり】
「自分は特別」と思い続ける人がいる一方で、受験秀才だからこそ、高いレベルでの「安定」を求めるタイプも多い。

開成卒の40代霞ヶ関キャリア官僚は、開成→東大を経て中央官僚になる人間の「限界」を痛感しているという。

「一言で言えば『小粒』ですよね。自分の目に見える範囲の仕事しかしない。
最後の最後で『それは政治家の領域でしょ』と逃げる。
それでいて、内心では政治家より自分のほうが頭がいいと思っている。

霞ヶ関ってペーパーテストエリートにとっては居心地のいい職場なんです。
すべての仕事が紙ベースで進み、アドリブがいらない。

世の中の動きに鈍感であっても許される。
目の前の課題書類を決められた時間内で仕上げるのは、
まさに受験エリートの得意とするところです。」

【選挙に勝てない】
〔そこで支えてくれたのが、地域の名もない若者やオバチャンたちです。〕
三重県知事の鈴木英敬氏(38歳)は、政治家として灘高→東大の学歴を邪魔に思うことがあるという。
「『一定の努力を積み重ねてきた証拠』と評価されることもある一方で。
『ああ、そういう階層の人間か』と見られることもある。
政治家は『身近な存在』であることが重視されるから、そういう意味ではマイナス面もありますね」
鈴木氏は‘11年の三重県知事選に当選する前、
’09年の衆院選で三重2区から出馬して落選している。

その時に「世間の厳しさ」を身をもって体験した。
「選挙が近ずくにつれ、結果を見越して人が離れていく。そして実際に落選。
無職になるわけだから嫁さんに謝り、翌日からどうやって家族を養っていくか、
先が見えない不安と焦燥に襲われた。
衆院選のために数千万円の借金をしていましたし。人生で初めての、大きな苦難でした。
悩んだ末、この三重で、地域に根づいて頑張るしかないと思った。

〔そこで支えてくれたのが、地域の名もない若者やオバチャンたちです。〕

落下傘で落選して、僕と付き合っても何の得もないのに、応援してくれる人が出てきた。そういう人たちへの思いが、僕の政治家としての原点です」

【人を喜ばすことができない】
ペーパーテストには正解があるが、接客業にすべての人が喜ぶ「公式」などない。
相手によって、タイミングによって、柔軟に変えていかなければならない。
現場で学ぶ。それは学歴至上主義とは真逆だが、世間では当たり前のやり方だった。
早稲田も慶応もバカ、東大以外はみんな一緒。
そうした異常な価値観が、この3校の驚異的な東大合格者数を支えていることは想像に難くない。
だが、実際の世の中には、テストの点数で計れない重要なものがたくさんあることに、
彼らは大人になって気づくことになる。

【人生いろいろ、秀才もいろいろ】
〔行方不明になったやつもいる。無職でブラブラしているやつもいる〕
「自分は灘での6年間、本当に自由に過ごし、それが人生の進路にも影響した。
だから灘校生には医者や弁護士ばかりでなく、もっと多様な道に進んでほしいと思います。
正直、現状はもったいない。せっかく優秀なんだから、もっといろんな場所で、世の中に貢献できるとおもうんです」

〔人生いろいろ。どんな進学校をでても、その先の人生は保証されない。
だが、エリートコースを外れた「神童」たちのほうが、どこか生き生きして見えるのは、気のせいだろうか。〕


【平蔵の独り言】
開成、灘、筑駒 卒業生はやはり「神童」
だからこのような経験ができると思う。

しかし、社会を動かしているのは地道に働いている
市井の名も知れぬ人たち、納税者が主役であるはず!

霞ヶ関キャリア官僚も政治家も国の舵取りをする志がないのであれば
“国滅びて山河あり”

東日本大震災から2年を過ぎて、この国の行く末は・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2013-05-31 16:36 | 今 今日この頃 | Comments(0)

「山本美香」戦場に死す・・・死の直前まで「人間」を撮り続けた。米ジャーナリズム博物館 記念碑に追加    

2013年 05月 27日

「山本美香」戦場に死す・・・死の直前まで「人間」を撮り続けた。

「私は絶対に死なない」
それが彼女の口グセだった。
2012/09/04

【山本美香さんを記念碑に追加 米ジャーナリズム博物館】
2013/5/14 21:45


「山本美香」戦場に死す・・・死の直前まで「人間」を撮り続けた。

「私は絶対に死なない」
それが彼女の口グセだった。

彼女が取材対象として本当に求めていたのは「戦闘」ではなかった。

「極限状態で生きる人間の営み」であり、
さらに言えば「生きること」そのものだった。
『戦場にも同じ人間が暮らしている。結婚式だってあるんです』

山本さんは戦地で暮らす『普通の人々』の営みに目を向けていた。
女性や子供、そして老人。
常に死と隣り合わせで、それを受け入れているけれど、
人間としての喜びを放棄しているわけではない。
その視点が新鮮でした。

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【出発前に母に誓った「必ずカエル」】

彼女のスタンスからすると、
行き先は必ずしも「紛争の最前線」でなくてもよかった。

だがそこに、フリージャーナリストが共通して抱える事情が影を落とす。
ジャーナリスト仲間が証言する。
「紛争が激化している場所じゃないと、
取材成果を買ってくれるメディアがないんです。
発表できなければ資金繰りに行き詰まり、
取材に行くことすらできなくなる。
一回戦地に入るには200万円、300万円という経費が必要ですからね。
そうした経済的制約に、僕らは常に悩まされている」

出発前、山本さんは前出のジャーナリスト仲間に、こう悩みを打ち明けたという。
「私は絶対に死なない。
そう言えたのは、周到な準備をしていたからなの。
最近はテレビ局との契約も出来高になって、
事前に準備をするお金と時間が足りない。
少し自信がなくなってきた……」

もう十分やったからやめたら、と言う仲間に、こう答えた。

「本当は戦場取材は20代がやる仕事だと思う。
実際、他の国はそうだし。
でも日本では、私たちの後を継いでくれる人がいない。
大手のマスコミも社員記者を戦場には派遣しない。
誰も行かないから私が行くしかないの」

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【辛いこともあるけど、これが私の天職】

と笑って言った。

山本さんの母・和子さんは本誌にこう語る。
「あの子が紛争地に行くようになってから、
いつの間にか家にはカエルの人形が増えました。
旅に出る前に、いつもくれるからです。
『カエルよ。必ず帰るから』って……。
本当に気持ちの細やかな子だったんです。

私の想像もできない戦争の現場に行って、
ここ(実家)に帰ってきても、
私に心配させるようなことは言わない。
『あっ、スミレが咲いたね』と話したり、
近所を散歩して道端の雑草を指差して、
『似たような草が向こうにもあったよ』と明るく言っていました。
時々フラッと帰ってきて、
2人でロールキャベツを作りながらした何気ない会話、
食べたものだとか草花のこととか、
たわいもない会話に、どれだけ私が助けられていたか……。

あの子が死んだことは事実としてはわかっているつもりです。
でも受け入れられない。
また『ただいま』って玄関から入ってくる気がして。
いつ死んでもおかしくない仕事かもしれないけど、
親としてそんな『覚悟』をしたことはありませんでした」


【あの子が生きていたこと、やろうとしたことを忘れないでほしい】

涙ぐむ和子さんは最後、顔を上げてきっぱりと言った。
「だから、忘れないでほしい。
あの子がやってきたこと、やろうとしたこと。
それを皆さんで共有してほしい。
あの子が確かに生きていたことを、その存在を記憶に残してほしい。
そう思います」

山本美香・戦場に死す
週刊現代2012/9/8号
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【山本美香さんを記念碑に追加 米ジャーナリズム博物館】
2013/5/14 21:45

【ワシントン=共同】米首都ワシントンのジャーナリズム博物館「ニュージアム」(NEWSEUM)は14日までに、昨年8月、内戦状態のシリアで取材中に銃撃され亡くなった山本美香さん(当時45)ら88人の名前を、取材中に死亡したジャーナリストの記念碑に加えた。
1837年以降に取材中に死亡した記者やカメラマンらの名が刻まれており、山本さんらを含め計2244人となった。
 山本さんはシリア北部アレッポで反体制武装組織に同行取材中、銃撃を受けて死亡した。
同博物館は、山本さんが「戦争特派員」として、アフガニスタンやイラクでも活躍したことを紹介した。
 シリアでは他にも記者が犠牲となっている。
13日の追悼式典で自らも一時拉致された米NBCテレビの記者は「シリアは世界にとって恐ろしい経験となった」と訴えた。

日本経済新聞2013/05/27

ニュージアム(NEWSEUM)山本美香さんらを追悼碑に追加
Media, Museum Add comments  5月 182013
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Newseum / Wikipedia
米ワシントンD.C.にあるニュージアム(NEWSEUM)は、
5月14日までに2012年にシリア内戦を取材中、銃撃を受け死亡した山本美香さんら、
取材中に殺害された88人のジャーナリストの名前を追悼記念碑に付け加えました。
山本さんのほか、シリアで砲撃を受け死亡した「隻眼の米女性戦争特派員」として知られるメリー・コルビン(Marie Colvin)さんの名前も加えられ、合計2,246人になっています。
山本美香さんらを追悼碑に=米博物館(時事通信)
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Fallen Journalists Honored at Newseum
5月3日に、国際新聞編集者協会(IPI)は、報道の自由に貢献した記者に贈る「ワールド・プレス・フリーダム・ヒーロー賞」を、山本美香さん(45)とメリー・コルビンさん(56)に授与すると発表しています。
同賞は2000年に創設され、危険な状況下の取材により、報道の自由に多大な貢献をした記者らに贈られます。日本人の受賞は元読売新聞編集主幹の原 四郎氏以来2人目です。

【〔山本美香〕忘れてはならない死がある】
かつて良い本に出会ったことがある。
『ぼくの村は戦場だった。』(山本美香著、マガジンハウス刊)
書店で見つけ、ぐうたら作家は気持ちを動かされた。
この時、初めて山本美香さんの名前を知り、そこに顔写真もあったので、若くて美しい女性が感心なことだと思った。

親の躾けか、よほど何かを彼女は若くして目にしたのだろうと思った。
そうでなくては人は“戦場”にはいかない生きものである。
「人間は業欲ですか?」
「はい業欲です。人間が持つ最悪の欲です」
ここで言う人間とは大人である。
さらに言うと或る種の権力を持つ輩である。
子供たちは無関係だが、“戦場”でこともなげに先に死んで行くのは子供たちである。

1度、その酷さを目にすると人間の非情さ、
どうやって死んで行くかを何ひとつ知らない“人間の無知”に呆れ、驚く。
だからジャーナリストたち(特に戦場ジャーナリスト)は命懸けで何が起きているかを報道しようとするのである。それが彼等の使命なのだ。

その山本、いや美香さんでいいか、
彼女が昨日(5月14日)アメリカ、ワシントンにある「ニュージアム」の記念碑に名を連ねた。
在職死記者を追悼する碑である(現在2244名)。

彼女のパートナーだった佐藤和孝氏と周囲の人で
“山本美香記念国際ジャーナリスト賞”も設けられた。
今月は彼女の誕生日である。
その日にシンポジウムが行われる。
また夏が来て、美香さんが命を捧げたあの街角に笑顔は戻っているのか。
あるはずはない。
忘れてはならない同時代の死がある。

それがどうした〔男たちの流儀〕
【〔山本美香〕忘れてはならない死がある】
伊集院静・週間現代2013/6/1号

【平蔵の独り言】
山本さんは戦地で暮らす『普通の人々』の営みに目を向けていた。
女性や子供、そして老人。
常に死と隣り合わせで、それを受け入れているけれど、
人間としての喜びを放棄しているわけではない。
その視点が新鮮でした。

市井の人、一生懸命生きている人はニュースにならないけれど
たわいもない日常が一番大切だとおもう。

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〔山本美香〕忘れてはならない死がある

「死ではなくて、生きた証がある」 と思う。

伝えていかなくてはいけない事を伝えてくれる。
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by asanogawa-garou | 2013-05-27 16:34 | 今 今日この頃 | Comments(0)

「人間は間違っていることも言ったほうがいい」(曽野綾子×櫻井よしこ)   

2013年 05月 13日
「人間は間違っていることも言ったほうがいい」
(曽野綾子×櫻井よしこ)週刊ポスト 2013/3/22号

【素敵な男の条件】
「人間は間違っていることも言ったほうがいい」(曽野)
「自分の中で規制をかけているから男の魅力が生まれてこない」(櫻井)


(櫻井)家長は尊敬されてしかるべき存在ですし、
   威厳を示していいと思うのですが。
   そういうものを否定してきたのが戦後の日本ですよ。
(曽野)戦後の教育をお受けになった人たちは、
   みんな心が貧困なのよ。

(櫻井)戦後の日本「平和憲法」と呼ばれる虚構の世界に住んでいて、
   それが国際社会の全部だと思い込んでいる。
   日本人は政治となると、潔癖症になって現実から目を逸らし、
   虚構の価値観に走りがちです。
(曽野)人間の命は地球より思いとか。嘘ですよ。
   1人の人間の命は10人の人間の命より軽いんです。
   そういうデタラメをいってはいけませんね。

〔私が1番嫌いなのは、勇気がない人をみることなんです。〕
霞ヶ関にいっぱいいますよ。
「虎ノ門の交差点から向こうは、できない理由を考える秀才の街です。
交差点からこっちは、どうしたらできるかを考える鈍才の街にしましょう」

今の男の人って、はみ出したところがないでしょう?
でも、はみだした部分って、素敵じゃないですか。


登山家の三浦雄一郎さんとか。

(櫻井)本当に素敵。それに男っぽい。


【小洒落・酔狂】

(曽野)ハワイで、おいしそうなチョコレートケーキを見かけて、
   でもあまりに大きいなと思ったら、
   ボーイが「僕が半分食べてあげるから」と言うの。
   そういう人間の会話ができないから、日本の男たちは嫌なのよ。

(櫻井)自分の中で規制をかけますから、
   なかなか思いを表現できないし、魅力も生まれてこないんです。
(曽野)強烈に“その人がその人である”ことが男性の魅力だと思うんですけどね。

(櫻井)自由闊達さを削ぎとる風土が日本にはあるかもしれませんね。
(曽野)相手を批判しちゃいけない世の中になっちゃった。
   役人の挨拶はものすごくつまらなかった。
   間違いを決して言わないけれども、
   人間は、間違っていることも言ったほうがいいんです。


【平蔵の独り言】
振り返ってみると、団塊の世代の先頭を走って来て
高度成長、バブル崩壊(失われた20年)の中で、

国家観も国旗・国家を認めない、
戦争で攻めて来る国はないと言っても笑われない。

声高に叫ぶ事が今でも出来る
世界でも稀な不思議な国?

ワールドカップで 「君が代」「日の丸」
は国歌、国旗ではないのですよ

やはり、虚構の世界(ガラパゴス国家)

あの学生運動のエネルギーはどこに行ってしまったのか?
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by asanogawa-garou | 2013-05-13 14:11 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)