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ザックジャパン(困った時の駒野(その後の駒野友一)) 【2013東アジア杯】キャプテン駒野   

2013年 07月 30日
2010 ワールドカップ(南アフリカ大会)は駒野選手のPKを外して
     日本のワールドカップはあっけなく終わってしまったが、

 【平蔵の独り言】
 駒野友一選手にとって、20年後この出来事がどのように
 語られるのか、確かめてみたい。
 何故なら、この経験に恵まれたのは 駒野選手ただ一人であるから

〔その後の駒野友一〕

2010年10月12日のアウェー韓国戦で悪質なタックルを受け、右上腕部を骨折する重傷を負って14日に手術。


2011年8月10日 駒野、躍動!骨折“借り”返した

サッカー・キリンチャレンジ杯(10日、日本3-0韓国、札幌ドーム)

2011年10月11日 駒野“笑顔”の代表初ゴール/W杯予選


困った時の駒野(2011/11/09)

2012年09月06日 駒野、2戦連続アシスト!長友不在の穴埋めた…キリン杯UAE戦
ハーフナーV弾!代表3発は全部駒野から…キリン杯UAE戦


2013年07月17日東アジア杯で新戦力が輝くカギを握る駒野友一。新キャプテンが担う大きな役割とは?

東アジアカップ2013 大会初制覇  主将務めた駒野友一、敵地での韓国戦勝利に「自信になった」
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2010年10月12日のアウェー韓国戦で悪質なタックルを受け、右上腕部を骨折する重傷を負って14日に手術。

来年1月のアジア杯は新生ザックジャパンにとっても初の公式戦。
現役時代、右サイドバックだったザッケローニ監督から個人指導を受け、
韓国戦でも右サイドバックに抜てきされた駒野が
6月のW杯パラグアイ戦ではPK失敗に泣くなどつらい経験が重なっているが、
早期復活への道は自身で切り開くしかない。
悲運のサイドバックがアジア杯出場に向け、突き進む。

2011年8月10日 駒野、躍動!骨折“借り”返した

サッカー・キリンチャレンジ杯(10日、日本3-0韓国、札幌ドーム)
右肩脱臼で欠場のDF長友(インテル・ミラノ)に代わり、
左サイドバックで先発したDF駒野が起用に応えた。
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日本-韓国 後半、本田(左端)のゴール後に、天に向かって指を突き上げる日本イレブン=札幌ドーム
(右 駒野  3)
後半8分、中央へ切り込み左足シュート。
相手GKが弾いたボールがMF本田につながり、2点目が生まれた。
「海外組が多くなって、個の力が上がっていますね」とJで頑張る30歳は謙遜したが、
昨年10月の韓国戦で右腕を骨折した“借り”をしっかり返した。


2011年10月11日 駒野“笑顔”の代表初ゴール/W杯予選

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前半35分、チーム3点目のゴールを右足で決める駒野(撮影・松本俊)
<W杯アジア3次予選:日本8-0タジキスタン>◇C組◇11日◇大阪・長居スタジアム
 もう涙はいらない-。
日本代表DF駒野友一(30=磐田)が代表初ゴールとなる前半35分の得点と2アシストの活躍で大勝に貢献した。
10年W杯南アフリカ大会の決勝トーナメント1回戦パラグアイ戦でPKを外し、泣きじゃくった男が苦難を乗り越えた。
フィールドプレーヤーでは日本代表史上、最も遅い国際Aマッチ65試合目での初得点で存在をアピールした。
 右足でぶち抜いた。DF駒野件が史上最も遅い65試合目で待望の代表初ゴールを決めた。
前半35分。
相手のクリアボールを低い弾道で蹴り込んだ。
「ゴールはずっと思っていたこと。やっとゼロが1になった。うれしい」。
苦労人らしく積み重ねた日々が“記録”となって結実した。
前半11分と後半2分には正確なクロスでFWハーフナーの2得点も生んだ。
右足から1得点2アシスト。圧勝への流れを作り上げた。
 歓喜のピッチで駒野件は笑っていた。心の底から笑っていた。
もう泣き顔など必要ない。昨年のW杯のパラグアイ戦。PKを外しそのまま敗退。ピッチ上で泣きじゃくった。
日本中にそのシーンが流れた。
ワイドショーも取り上げ、日本が進撃を演じた歓喜の裏で陰の主役のように扱われた。
 W杯帰国後は「あれで日本のW杯が終わってしまった」と自分を責めもした。重い十字架だった。
今年8月のスルガ銀行杯で“あれ”以来となるPKを蹴って成功させた。
スタンドで見守った夫人は成功の瞬間、涙をこぼした。
1年以上たってなお、駒野のまわりには涙があった。
どれだけ重い失敗だったか…。家族さえも、十字架を背負っていた。
 PK失敗後も苦難は続いた。
心の傷が癒えかけた昨年10月の韓国戦で右上腕部骨骨折の重傷。
代表復帰まで10カ月を要した。
ただ、日本代表における存在は揺らぐことはなかった。
若手を積極的に登用するザック政権下でもケガのブランクも関係なく招集。
この日の先発11人中、国際Aマッチ出場数はMF遠藤の112試合に次ぐ2番目。
右サイドバックの位置を争う内田をケガで欠く中“代役”と表現しては失礼なほどの働きだった。
 泣き顔と決別した駒野は、新たな1歩を踏み出した。
 「(PK失敗は)忘れたわけじゃない。でもあれがあるからこそ、立ち直って今の自分があるんだと思う。しっかりもう1度あの舞台に立てるようにしたい」
 つまずいても立ち上がる-。
そして強くなる-。そんな無言のメッセージ。記録的な圧勝劇を、心の強い男のドラマが彩った。【八反誠】
 [2011年10月12日8時37分 日刊スポーツ紙面から]

困った時の駒野(2011/11/09)
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気が付けば、先発出場は5試合連続に伸びた。
一時はザッケローニ監督の構想外かと思われた駒野(磐田)が、両サイドバックをこなせる貴重な戦力として信頼を勝ち取った。
「出たときはしっかりと結果を残すようにやっている」
と好不調の波がない30歳の守備職人は、
「左右のサイドが変わっても、しっかりとコンビネーションを心掛けてやりたい」「一度も自分は誰かの控えだと思ったことはない」
という駒野も、プレーの幅を広げている。
以前より効果的に得点機に絡むようになり、タジキスタン戦では代表65試合目にして初ゴール。


2012年09月06日 駒野、2戦連続アシスト!長友不在の穴埋めた…キリン杯UAE戦
ハーフナーV弾!代表3発は全部駒野から…キリン杯UAE戦

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クロスを上げる駒野 
◆キリンチャレンジ杯2012 日本1―0UAE(6日、新潟・東北電力ビッグスワンスタジアム)

 FIFAランク120位のアラブ首長国連邦(UAE)と対戦した同23位の日本は、
後半24分にFWハーフナー・マイク(25)=フィテッセ=の決勝ゴールで1―0と辛勝した。

11日のW杯最終予選・イラク戦に向け収穫と課題が同居する試合だった。
 左サイドバックで先発したDF駒野が、2試合連続アシストで自慢のキック精度を示した。
後半24分、左サイドでパスを受けると、利き足とは逆の左足でクロス。
飛び出したGKも触れない ボールを、FWハーフナーの頭に合わせ「クロスへの対応が弱点だと、試合前から聞いていた。DFとGKの間を狙ったのがうまくいきました」とうなずいた。

 8月15日のベネズエラ戦でも右サイドバックで先発し、MF遠藤のゴールをアシスト。
磐田でも右サイドが定位置だが、この日はDF長友が右足首痛で欠場した左サイドを務め、後半34分からは右サイドに移って万能性を示した。
だが、守備面では「体の向きがいつもと反対で、少しとまどった」と前半、相手のスルーパスから自らのサイドで裏を取られたプレーを反省しきり。
「次はもっと大事な試合なので、今日出た課題を修正したい」とすでに最終予選のイラク戦を見据えていた。

2013年07月17日東アジア杯で新戦力が輝くカギを握る駒野友一。新キャプテンが担う大きな役割とは?
東アジア杯で新戦力が輝くカギを握る駒野友一。新キャプテンが担う大きな役割とは?〔フットボールチャンネル7月17日(水)11時0分配信〕
〔若手主体のなか選ばれたベテラン〕
〔周りが合わせやすい選手〕
〔本来はキャプテン向きではないが…〕
【駒野主将「責任持つ」東アジア杯(2013/7/20)】
【東アジア杯のキャプテンに駒野を指名、ザック「彼しかいない」】
「駒野は代表チームに来るのが好きな選手ですから」と笑顔で語り、厚い信頼を寄せていた。

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東アジアカップのメンバーが発表された。若手中心の選出のなか、キャプテンに指名されたのはベテランの駒野友一。
新戦力への期待が高まる大会ではあるが、31歳のサイドバックが担う役割は大きい。

〔若手主体のなか選ばれたベテラン〕
「サプライズ」と答えたザッケローニ監督が、東アジアカップに臨む若き日本代表のキャプテンに指名したのは駒野だった。
「これまでの代表への貢献度、これから(残り1年で)想定される貢献度、選手としてのキャリアなど考えると、彼しかいない。駒野は代表に呼ばれるのが好きな選手だからね」と選出理由を説明した。
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駒野友一【写真:松岡健三郎】
 東アジアカップでは「新しい選手にチャンスを与える」と語ったザッケローニ監督。
アジアカップに向けたメンバーは初選出の7人、合宿などに招集経験はあるがキャップ数ゼロの8人が含まれ、海外組に加え遠藤保仁、今野泰幸、中村憲剛、前田遼一といった国内組の主力が外れた。
 一方でGKの西川周作と権田修一、MFの高橋秀人は最終予選やコンフェデで出場機会に恵まれなかった選手たち。
DFの栗原勇蔵もコンディションが整わずにコンフェデ開幕を迎え、3試合目のメキシコ戦こそ先発したものの、不本意な結果で大会を終えた。
ザッケローニ監督としても良好な状態で改めてチェックしたいというのはあるだろう。
 そうした構成の中で、最も異質な存在が駒野友一だ。
アジア最終予選で長友や内田の欠場した穴を埋めるなど、安定したパフォーマンスでチームを支えてきたベテランだが、コンフェデは選考から漏れた。
とはいえザッケローニ監督が計算できる戦力であることは疑いの余地がなく、対戦相手もベストとは言えない今大会でテストする必要性は無い。
〔周りが合わせやすい選手〕
 それではなぜ駒野を入れたのか?
「できるだけ多くの選手を試したいが、同時にチームはバランスとパーソナリティを確保しなければならない」とザッケローニ監督。
新しい選手が中心といっても、チームのベースが全くなければバラバラになってしまう。駒野は彼らに方向性を与える指標となるべき存在だ。
 また今回の構成を見て分かる通り、本職のSBに関しては海外組4人+駒野の5人で足りている。
その比較的、テストの必要性が少ないポジションに経験豊富なベテランを戦術的、精神的な支柱として入れることで、代表チームのバランスとパーソナリティを確保しながら、他のポジションで新しい選手を積極的にテストしていけるのだ。
 SBに関してザッケローニ監督は、駒野、槙野、森脇の3人で基本的に回していく方針を明かした。
おそらく駒野はコンディションさえ問題無ければ、左右のどちらかで3試合全てに出場し、彼が右なら槙野が左SBに、左なら森脇が右SBに入ることが想定される。
 駒野はSBとしてバランス感覚の高い選手であり、周囲の選手にとっても合わせやすいはず。
ウィングやボランチが移動すれば、それに応じてポジションを調整することができ、流れに応じた縦のアップダウンも安定している。
 同じSBでも、長友のように率先したプレーでグイグイ引っ張っていくタイプではないが、チームとしてはほぼ初顔合わせの様なチームを正しい方向に導くには、持って来いの選手かもしれない。
〔本来はキャプテン向きではないが…〕
 駒野を戦術的な指標として位置づけた場合、同サイドで縦のコンビを組む山田や齋藤、クロスに合わせる豊田や大迫がこのベテランの助けを得ながら、彼らの持ち味をしっかり出していけるかは注目ポイントだ。
 個の発掘と強化は本大会までに課されたメインテーマではあるが、全体がバラバラでは個が最大限に引き出されない。
その意味でも駒野の存在は大きいが、周りの選手も限られた時間の中で彼と良い関係を構築していくことが求められる。
 物静かな選手で、本来はキャプテンの柄ではない。
しかし、すでに75試合のキャップ数を持つSBは、記者から質問を受ければ的確に試合を振り返り、改善すべきポイントを口にしてきた。
 思い返せば最初の合宿で、ザッケローニ監督と“青空談義”をしたのが駒野だった。
今回も指揮官の意図をくみ取り、若い選手たちとコミュニケーションを重ねながら、短期間でも意志の疎通をはかっていくはず。
 新戦力の台頭が期待される東アジアカップだが、彼らが思う存分、ストロングポイントを発揮するためにも、31歳のベテランが担う役割は重大なのだ。
【了】


【駒野主将「責任持つ」東アジア杯(2013/7/20)】
 若手が多い男子の日本代表で主将に指名された駒野(磐田)は、チーム最年長で大会期間中の25日に32歳になる。
代表デビューは8年前のこの大会の中国戦という巡り合わせもあり、記者会見では「最初に聞いたときはびっくりしたけれど、責任を持ってこの大会に臨みたい」と表情を引き締めた。
 自身にとってはコンフェデレーションズカップで代表から外れた悔しさをぶつける舞台。「優勝を目指して頑張りたい」と気合を入れた。(共同)

2013年07月21日
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【東アジア杯】キャプテン駒野が公式会見「責任を持って大会に臨む」
東アジア杯に出場する日本代表は19日、
ソウルワールドカップで公式会見を行い、アルベルト・ザッケローニ監督と
キャプテンを務めるDF駒野友一(磐田)が出席した。

「めずらしい時期の開催となるが、代表チームの監督は集まれる機会が短いと
文句ばかり言う中で、こうして集まることができてうれしく思う」。
21日に中国、25日にオーストラリア、28日に韓国と対戦するザックジャパン。
指揮官は「対戦相手も3つの違うタイプのチームがいる。素晴らしい大会だと思うので、
しっかりと取り組んでいきたい」と意気込んだ。

コンフェデレーションズ杯のメンバーで引き続き招集されたのは4人のみ。
A代表初選出10人を含むフレッシュな顔触れとなった。
「サッカーをする際、まず結果を求めないといけないが、我々の場合、
先の代表戦から比べると、多くのメンバーを入れ替えている。
チームのやり方、チーム力という部分では少し劣るところが出るかもしれない」。
そう語るザッケローニ監督は、新戦力にコンセプトを浸透させ、チーム力の
底上げを図るつもりだ。

キャプテンに指名された駒野は「最初に聞いたときはビックリした」と
正直な胸の内を語りながらも、「責任を持ってこの大会に臨みたいと思う。
キャプテンになったからといって、特別なことは考えずに、いつものようにやりたい」
と自然体を貫く。

6月のコンフェデレーションズ杯で招集を見送られ、6月4日のW杯アジア最終予選・
オーストラリア戦以来の代表復帰。
「積極的なプレーをすれば、日本のサッカーをすれば、世界と互角に戦える
試合が見れたと思う」と、外から見たコンフェデ杯を振り返り、
「アジアを代表する4チームが参加する大会なので、優勝を目指してがんばりたいと思う」と、
目の前の大会に集中していた。


【東アジア杯のキャプテンに駒野を指名、ザック「彼しかいない」】
13/7/15 17:09
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東アジア杯のキャプテンに駒野を指名、ザック「彼しかいない」
 日本サッカー協会は15日、東アジア杯(20〜28日、韓国)に出場する
日本代表メンバー23人を発表した。
海外組に加え、代表常連のFW前田遼一(磐田)、MF遠藤保仁、DF今野泰幸(以上、G大阪)、MF中村憲剛(川崎F)、負傷のDF伊野波雅彦(磐田)の招集を見送り、
若手主体の国内組のみの構成。FW柿谷曜一朗(C大阪)ら10選手がA代表初選出
で、23人中15人がA代表出場歴のない“ゼロキャップ選手”となった。

 記者会見を行ったアルベルト・ザッケローニ監督はキャプテンについて
「サプライズです」と語り、当初は本番まで秘密にしておくつもりだったようだ。ただ、報道陣からの質問があり、「若い選手であったり、出場ゼロの選手はきっとやらないだろう」と明かすと、会見の席でDF駒野友一(磐田)をキャプテンに指名した。

 コンフェデレーションズ杯では代表から漏れ、6月4日のW杯アジア最終予選・オーストラリア戦(1-1)以来の代表復帰となったベテランSB。
「駒野のこれまでの代表チームへの貢献度、これから想定される貢献度、彼のこれまでの歴史を考えると、彼しかいないと思う」。
国際Aマッチ出場75試合は、今回のメンバーでは断トツの数字(2番目に多いのはDF栗原勇蔵の17試合)。
「駒野は代表チームに来るのが好きな選手ですから」と笑顔で語り、厚い信頼を寄せていた。


東アジアカップ2013 大会初制覇  主将務めた駒野友一、敵地での韓国戦勝利に「自信になった」
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東アジアカップで初優勝を飾り、カップを掲げる駒野(中央)ワールドサッカーキング

 サッカー日本代表は28日、東アジアカップ2013の最終戦で韓国代表と対戦。2-1で競り勝ち、勝ち点7となり大会初制覇を果たした。

 試合後、日本代表の主将を務めた駒野友一は、以下のようにコメントしている。

―キャプテンマークを巻いての大会だったが?
「最後は勝てて、優勝できたのですごく嬉しいです」

―ブラジル・ワールドカップへのアピールの場でもあったと思うが?
「攻められる時間が長くて、低い位置にいることが多かったですけど、最後の得点の起点になれてよかったと思います」

―アウェー、そして相手が韓国で苦しいゲームだったのでは?
「攻められる一方でしたけど、カウンターから2点取れて、本当に勝ててよかったと思います」

―大きな自信につながるのでは?
「韓国はホームですし、すごく勢いもあったので、そのチームに勝てたことは、自分たちにも自信になったと思います」
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by asanogawa-garou | 2013-07-30 17:32 | サッカー | Comments(0)

「山本周五郎」生誕110年・息子が見た親父の背中( 特集「作家の背中」) 賞も、記念碑も拒んだ文豪   

2013年 07月 20日
「山本周五郎」生誕110年・息子が見た親父の背中( 特集「作家の背中」) 賞も、記念碑も拒んだ文豪
生涯、賞を拒み続けた作家・山本周五郎。
週刊新潮2013/7/4号


6月22日に生誕110年を迎え、
それを記念して「長編小説全集」の第一弾『樅ノ木は残った』が刊行された。

今なお、山本文学は多くの読者を魅了して止まない。
次男の清水徹氏(70)が語る親父の背中と作家の背中。
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【「主人公に話しかけても背中を向けたままで、こっちを向いてくれないんだ」】
【生涯、文学賞などの受賞を辞退しました。ハンマーでぶち壊しに行く】
【小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るもの】
【歌舞伎俳優たちに激怒】
【「西へ」どうしても、家康が書きたい】
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【「主人公に話しかけても背中を向けたままで、こっちを向いてくれないんだ」】
親父の作家としての悩みやこだわりは、今でもよく覚えています。
印象的だったのは、話が佳境へ入るほど、明け方4時頃に起き出して執筆し、
昼は酒でも飲みに行っていたでしょう。
小説のことを考えすぎて不眠症になり、睡眠薬を服用していたくらいでしたからね。
なんでそんなに悩むのか理由を聞くと、
「主人公に話しかけても背中を向けたままで、こっちを向いてくれないんだ」
親父は主人公と対話しながら物語を作っていたようです。
だから、主人公との対話がないと一行も書けずに悩んでいたのでしょう。

資料を読み込んで書き始めた『樅ノ木は残った』などは主人公と対話できた作品でした。

主人公の伊達藩重臣・原田甲斐は、実在の人物で、お家騒動の原因を作った悪者だとされていた。
それが全く異なる“原田甲斐像”になり、一部から作品に対して批判の声が上がって、出版社の人も心配してくれたのです。
が、親父はこう言って絶対譲りませんでした。

「僕が資料を読み込んで出来上がった“人間・原田甲斐”はあれだから。自分が読めば、どこからも、悪者としての原田甲斐は出てこないんだ」

【生涯、文学賞などの受賞を辞退しました。ハンマーでぶち壊しに行く】
ご存知のように、親父は生涯、文学賞などの受賞を辞退しました。
それは直木賞も例外ではありません。
常々言っていたのは、
「魚屋が、魚をいっぱい売ったからって、同業者を呼んでパーティーをするか?
本が売れるということは、それだけ普通の人が買ってくれる訳で、それが賞なんだ。
賞と名のついたものをもらってもしょうがないだろう。
実際に僕がこうやって書けることが、それだけで賞なんだよ」

それで、同業の人とはあまり交わろうとはしませんでしたね。
同じ人種と付き合ってもプラスにはならないと考えたのでしょう。

賞以外でも、生前、どこかから“石碑を建てたい”と言われたことがありました。親父はこう言って断わっていたのです。

「いいですよ。その代わり碑が建ったら、私がハンマー持ってぶち壊しに行くから」

今では僕が把握しているだけでも文学碑は3つありますが、親父が生きていたら全部破壊されていたかもしれませんね。

【小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るもの】
名誉を求めなかった親父は、テレビや映画会社から映像化の依頼が沢山来ても、最初は断わっていたんです。

その理由を「小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るものであって、映像をパッと見せられたら、それは小説じゃない」
と説明していました。

でも、それからしばらくして誰かから説得されたのか、TBSで「山本周五郎アワー」が製作されて、随分多くの作品が映像化されました。
ただ、親父は映像化にOKを出したら、もう自分のものじゃないから、どうやったらもらおうと構いませんというスタンスだったのです。

【歌舞伎俳優たちに激怒】
親父の作品は芝居にもなっているので、何回か連れて行ってもらいました。
歌舞伎で『樅の木は残った』が上演されたことがあります。
当時の松本幸四郎などの大御所が集まって、リハーサルをしていることを聞きました。

親父から“ちょっと観に行こう”と言われて、会場の一番後ろで立って観ていたのです。

評定所の場面で、出演者がみんなで団扇太鼓を叩いたんです。
親父はそれを観て、ワーツと頭に血が上がったらしく駆けていって、
「なんで、評定所に団扇太鼓なんか持って来られるんだ!そんなことあるわけないだろう!」

本当は演出家が決めたことで俳優たちに非はありませんが、
俳優たちが“申し訳ありません”と並んで頭を下げたら、親父は“もういい”と。

そして浜町の料亭へ行くと言った後、僕にこう頼んだのです。
「彼らにも、“怒鳴ってしまって申し訳なかったから、もし来られるようならば一献差し上げたいので、そちらへいらしてください”と言ってくれ」

僕が言い付けて、料亭で親父と待っていたら幸四郎が舞妓を連れて来ました。
“先生、申し訳ありません”と謝られ、親父は、
「いや、さっき怒鳴っちゃっだけど、君たちが自主的にやった訳じゃないから」
と、俳優たちとは仲直りしたのです。

本来なら、演出家が来て謝らなきゃいけないのに、来なかった。
それで親父は本公演を観に行きませんでした。結局あの場面がどうなったのか、知らないんです。
「一回言ったんだから、これ以上言う必要はない。観に行って同じことをやっていたら、またカッときてしまうから」と言っていました。

【「西へ」どうしても、家康が書きたい】
親父がゴニョゴニョつぶやいている。
耳を近づけると、ひと言だけ「西へ」と言っているように聞こえました。
生前、親父は「自分が死ぬ時は、棒に荷物を巻き付け担いで、西の方に去って行く」と意味深に話していたので、死ぬ覚悟をしたんでしょう。
思い残すことは、沢山あったと思います。親父は、徳川家康を書きたかったんですよ。

生前、「どうしても、家康を書きたい。俺が書いたら、家康は全く別の人間になる」
それができなかったのは無念だったと思うし、読者の方も残念に思ってくださるでしょう。
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【平蔵の独り言】
やはり「ヘソ曲がり」、でも 納得
【小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るもの】
100人が読んだら、100人の個性で(感性で感じるもの)

ひと言だけ「西へ」

三國連太郎さんは「港に行かなくちゃ、船が出てしまう」

さあ~て、小生はなんていうか・・・・・・・・・・
一度、狂気の2日間を過ごしたから もう全て言ってしまっている?

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【生涯、文学賞などの受賞を辞退しました。ハンマーでぶち壊しに行く】
常々言っていたのは、
「魚屋が、魚をいっぱい売ったからって、同業者を呼んでパーティーをするか?
本が売れるということは、それだけ普通の人が買ってくれる訳で、それが賞なんだ。
賞と名のついたものをもらってもしょうがないだろう。
実際に僕がこうやって書けることが、それだけで賞なんだよ」

【小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るもの】
名誉を求めなかった親父は、
テレビや映画会社から映像化の依頼が沢山来ても、最初は断わっていたんです。

その理由を「小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るものであって、映像をパッと見せられたら、それは小説じゃない」
と説明していました。

【「西へ」どうしても、家康が書きたい】
親父がゴニョゴニョつぶやいている。
耳を近づけると、ひと言だけ「西へ」と言っているように聞こえました。
生前、親父は「自分が死ぬ時は、棒に荷物を巻き付け担いで、西の方に去って行く」と意味深に話していたので、死ぬ覚悟をしたんでしょう。

――――――――――――――――――――――――――――――
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先日、新聞の「読書」に

「その木戸を通って」
これを読まないで人生を終わる人は不幸だ。

*評者=篠田正浩・映画監督

早速読んだが、心が「ホッとする」のは何故・・・・・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2013-07-20 18:54 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

『ふぞろいの林檎たち』を語ろう 〔誰が主役か分からないドラマ〕偏差値教育、管理社会に一石を投じた傑作   

2013年 07月 08日

「ふぞろいの林檎たち」偏差値教育、管理社会に一石を投じた傑作


『ふぞろいの林檎たち』を語ろう

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「ふぞろいの林檎たち」偏差値教育、管理社会に一石を投じた傑作

〔あの日を旅する〕サウダージ第90回1983年6月24日~6月30日
あのテレビ、あの場面    週刊現代2013/7/6号

学歴社会と向き合って、
丁寧な心理描写や、
ハッとさせられるようなセリフまわしで人気を得た『ふぞろいの林檎たち』。

その後もシリーズ化されていまだその余韻が残る、
山田太一脚本による「刺さり続ける」ドラマだ。

最近ではこのドラマの中井貴一のモノマネをする芸人が登場するなど、
いまでも色あせていない。
三流でもない「四流」大学に進学してしまった青年3人と、
そのガールフレンドたちが織り成す偏差値教育、管理社会に一石を投じた作品。

非エリートのほうが圧倒的に多い社会のなかで、
自信をもらい、考えるキッカケをもらった人も多いのではないだろうか。

学歴という価値基準が偏重されていた時代、
「規格品」を尊重する社会を、ふぞろいの林檎たちを描くことで品よく批判した。


真面目からではなく、やんわりとおしゃれに批判したことがヒットの要因だった。

サザンオールスターズの主題歌『いとしのエリー』や、
劇中で流れる『Ya Ya』なども印象深い。

あの曲を聞いただけで、仲手川(中井貴一)、岩田(時任三郎)、西寺(柳沢信吾)、陽子(手塚理美)、綾子(中島唱子)、晴江(石原真理子)の顔が思い浮かぶ。
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「あんなにやったのにって思うけど、
きっと顔のいい奴と悪い奴がいるみたいに、
脳味噌も平等には出来てないんだよね。
出来ないからって、努力してないじゃないんだけど」
仲手川のセリフである。

学歴差別される側の理屈を代弁してくれたと思った人も多いだろう。

同時に、背が低いこと、お金持ちでないこと、
地方に生まれたことのコンプレックスに対して、
このセリフが示唆するものは大きい。
決して悪いことではないのだと、大人になってから気づく。

学歴、恋愛、家族。
重いテーマであるが、箴言とともに
「あなたも自分と向き合いなさい」と諭されるような気持ちで観ることができる傑作だ。
――――――――
【平蔵の独り言】
非エリートのほうが圧倒的に多い社会のなかで、
学歴という価値基準が偏重されていた時代、
「規格品」を尊重する社会を、ふぞろいの林檎たちを描くこと。

この言葉が全てを語っているような気がする。

偏差値教育、管理社会の価値基準と学歴差別を感じて、
理不尽さ息苦しさの中で足掻きながら「規格品」になること
『ふぞろい』でいけないの?

その10余年前の70年安保を境目にして、
『規格外』見ないように社会も個人も避けてきた時代が今まで続き
今年度末の国の借金 1100兆円(1%として、10兆円は利払いに消えていく)

“いちご白書をもう一度”
就職が決まって髪を切ってきたとき、
もう若くないさと君に言い訳したね!

この国はどこへ行くのか(心配だ!)

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『ふぞろいの林檎たち』を語ろう


山田太一(脚本家)×大山勝美(プロデュース)

週刊現代(2012/5/19号) 今週のディープ・ピープル
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〔誰が主役か分からないドラマ〕

(大山)『ふぞろいの林檎たち』というタイトル、
打ち明けますと『3年B組金八先生』の「腐ったミカン」ヒントなんです。
腐ったミカンが一つでもあると、
周りのミカンも腐ってしまうから、すぐ捨てたほうがいい、というあの寓話。

(山田)そうそう。
エリートではなく、落ちこぼれの規格外品に光を当てるようなドラマをやろう、
と大山さんと話していて、
四流大学に通う大学生の群像劇にすることまで決まっていた。
それでスタッフで集まってタイトルを考えているときに、
箱から取り除かれてしまう「腐ったミカン」はつらいねって話になって。

(大山)イギリスに留学経験のあるスタッフが、
「向こうで売られている果物はみんなバラバラふぞろいだ」
と発言した。
(山田)それで「ふぞろい」をいただいた。
そこにミカンではなく林檎が結びついたわけです。
(大山)ロケ地、大学のキャンパスを使わせてもらえなくて困った。
「四流大学」という設定が問題で、
どこも「うちは四流じゃありませんから」って断る。

(山田)キャスティングも大変でした。
誰が主役だかわからないドラマを書こう、という企画でしたから、
メインの男女8人に優劣がつかないよう、
主役級のスター俳優は使えなかった。

(大山)3人目の女性は美人じゃないほうがいい、と
「自分の容貌に不自由を感じている人」
という条件で募集した(笑)。
そうしたら、新聞記者が面白がって書いたものだから、
ものすごく応募が多かったんです。
(山田)ところが、ちっとも容貌に不自由してそうにない人ばかり来た。
(大山)しかも、女性ってのは面白いもんで、
そういうオーディションでも自分が一番よく写っている写真を送ってくるんですよね。
こっちの狙いはそうじゃないんだけれど。

(山田)彼らが生き生き演技してくれたせいか、
よく「あのセリフってアドリブじゃないんですか?」と聞かれるんですが、
アドリブは一切なかったですね。
口調も口癖も一言一句台本どおりやってもらいました。
(大山)台本というのは、きちんと流れを計算して書かれている。
山田さんの脚本は特にそうですが、呼吸があるわけです。
アドリブが入るとその呼吸が乱れる。
(山田)それにしても『ふぞろい』が14年もシリーズが続くほど、
長く支持されるとは思っていませんでした。
(大山)たしかに。放送前は大学生モノのドラマは当たらないと言われていましたからね。
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〔あれから30年近くが過ぎて〕
(大山)大学生にニセモノだと思われないように、取材は入念にやりましたね。
(山田)まず早稲田大学を取材した。
でも、あまり面白くなかった。
それで、もうちょっとランクが落ちるとされる大学の学生に話を聞いたら、
ずっと面白かった。
成績がよくてスムーズに受験を乗り切った人ってのは、
学歴に関して感情のひだが少ないでしょう。
(大山)そう。
はじめは、大学に入った人と大学に入れなかった人の差をドラマにしよう、
話していたんですが、調べて見たら大学間格差のほうが大きかった。

(山田)取材した学生に、サークルの勧誘ビラを女子大の前で配るかと聞いたら、
「どうせ来てくれないから配らない」
と言うんですよ。「じゃあ、どんな女の子とつき合ってるの?」
と聞くと、看護学校の学生という答えだった。
(大山)看護学校も取材しましたね。
(山田)看護学校には、
看護師を目指して、人のために役立ちたいと思ってがんばっている人と、
看護学校しか入れなかったから仕方なく入ったという人の2種類がいた。
(大山)でもこうした取材の甲斐があって、
大学生の視聴者から
「俺たちの本当の気持ちをうまく描いてくれて嬉しかった」
という投書をたくさんいただいたのを覚えています。

(山田)大学生に受け入れられたのには、
BGMに使用したサザンオールスターズの曲も大きかったですよね。
(大山)主題歌に名曲『いとしのエリー』を選んだんだ。
『いとしのエリー』は『ふぞろい』用に作った曲じゃないんですが、
そういうイメージが強いようで、
サザンがコンサートで『いとしのエリー』を演奏すると観客から「ふぞろい!」
とコールが入るらしい。彼らは迷惑だったでしょうね(笑)

(山田)最初の『ふぞろい』が放送されてから、もうそろそろ30年です。
最後のパートⅣが‘97年ですから、それも15年前。
(大山)ありがたいことに、この歳になっても、
テレビ局の方から「大山さんの『ふぞろい』を見て放送局に入ったんです」と声をかけられることがある。
(山田)私も時折、「自分は“ふぞろい世代”なんです」と言われることがあるんですよ。
当時、大学生だった人たちです。もう五十路にさしかっている。
(大山)そろそろ“ふぞろい世代”も定年ですね(笑)。
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【平蔵の独り言】
『ふぞろい』・・・・いい言葉だと思う。
人は100人いたら100の個性(親も違う、育った環境も違う)
それを認め合いながら、人生を送っていくはずなのに
今はみんな同じではないと、不安?

“ふぞろい世代”が生きやすい時代が楽しいと思うのだが
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by asanogawa-garou | 2013-07-08 15:13 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(1)