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33年目の向田邦子 なぜ惹かれるのか(美しい人向田邦子 読み継がれる理由)   

2013年 09月 28日
33年目の向田邦子 なぜ惹かれるのか
(美しい人向田邦子 読み継がれる理由)

クローズアップ現代(2013/09/03)

今年33回忌を迎える、作家・脚本家『向田邦子』
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航空機事故で亡くなってから33年。残された作品は世代を超えて読み継がれている

【黒柳徹子(向田の親友だった)】
一番最初に向田さんと会ってすぐ話した会話が
「人生あざなえる縄のごとし」

【エッセー「ねずみ花火」】
ウェイトレスや看護婦さんやユニフォームを着て働く人を見るたびに、
この下には、一人一人、どんなドラマを抱えているかも知れないのだ。
十把ひとからげに見てはいけない、と自分にいいきかせている。

【エッセー「手袋をさがす」】
手袋を人生になぞらえ、まよいながら生きていた20代の頃の心境を語った〕
私はひと冬を手袋なしで過ごしたことがあります。
気に入らないものを嵌めるくらいなら、嵌めないほうが気持ちがいい
と考えていたようです。

【映画監督 是枝裕和さん】
向田作品の全く、別の面に惹かれる人もいます。
ホームドラマの中に人間の弱さや醜さを描いた向田作品

〔「阿修羅のごとく」〕
何気ない日常の裏に潜む人間のエゴや愛憎を赤裸々に描写しました。
向田が描いた決してきれいごとで済まない関係こそが家族の本質だと考えています。

作家としての円熟期 突然人々の前から姿を消した向田邦子
【ノンフィクション作家 澤地久枝】
「向田さん あなたならどう思う」と問いかけている。

向田さんの作品の一つは人の“翳り(かげり)”
光の当たるところにある“翳り”

―――――――――――――――――――――

今年33回忌を迎える、作家・脚本家『向田邦子』
テレビドラマ『寺内貫太郎一家』
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人間に対する優しい、まなざしがあるからこそ書ける。
50歳で直木賞を受賞

家族、そして人間の深いまなざし

〔生前(向田)は〕(妹の和子さん)
「自分は人の縁で育てられてきた」

【黒柳徹子(向田の親友だった)】

一番最初に向田さんと会ってすぐ話した会話が
「人生あざなえる縄のごとし」

(黒)これどういう意味
「人生ってね、幸せという縄と不幸せという縄2本でね、
編んであるようなものなのよって
だからね、幸せと不幸とは交互にやってくるもの
そういうものが人生というもの」

と、向田さんが言った。

ああ!いいことと悪いこと
本当に交互に来るなって思って

【エッセー「ねずみ花火」】

ウェイトレスや看護婦さんやユニフォームを着て働く人を見るたびに、
この下には、一人一人、どんなドラマを抱えているかも知れないのだ。
十把ひとからげに見てはいけない、と自分にいいきかせている。

〔家族の何気ない日常をこまやかに描き出したエッセイ〕    
不自由な日常の中にも豊かな日常の暮らしがある。
普通の生活というのが一番大事なんだという感じ
家族そろってご飯を食べて
他愛のない話をしているのが
一番なんだなと思います。
エッセーを読んでいると、心がおだやかになっていくと感じる。

【エッセー「手袋をさがす」】

〔手袋を人生になぞらえ、まよいながら生きていた20代の頃の心境を語った〕
私はひと冬を手袋なしで過ごしたことがあります。
気に入らないものを嵌めるくらいなら、嵌めないほうが気持ちがいい
と考えていたようです。

私は何をしたいのか、私は何に向いているのか。
ただ漠然と今のままではいやだ。

何かしっくりしないと身に過ぎる見果てぬ夢と
爪先立ちしても、なお、手のとどかない現実に腹を立てていたのです。

一見割り切っているように見えるが、
その奥に苦労があったんじゃないか、
もがいているところが分かるのが好きですね。

どんな道を選んでも10年後、20年後
自分が胸を張って生きていられればいいというメッセージが伝わってくる。

【映画監督 是枝裕和さん】

向田作品の全く、別の面に惹かれる人もいます。
ホームドラマの中に人間の弱さや醜さを描いた向田作品

〔「阿修羅のごとく」〕
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何気ない日常の裏に潜む人間のエゴや愛憎を赤裸々に描写しました。
向田が描いた決してきれいごとで済まない関係こそが家族の本質だと考えています。

向田さんの作品には、そこまで単純な「家族至上主義」みたいなものとは違う、
家族同士でも謎は抱えているし、
闇は抱えているし、
決して家族だから理解し合えるというような信仰に基づかないリアルな家族の描写がある。

ひとつではないという価値観が本当はすごく大事だと思っていて、
実は価値観を異にしながらもつながっていく事が必要。
彼女が描いた家族が一番面倒くさくて厄介で隠し事が言えない相手であり、でも一緒に暮らしているという描写の方が逆にホッとするというか、そういうところに惹かれる。

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作家としての円熟期 突然人々の前から姿を消した向田邦子
【ノンフィクション作家 澤地久枝】

「向田さん あなたならどう思う」と問いかけている。

向田さんの作品の一つは人の“翳り(かげり)”
光の当たるところにある“翳り”

作品の中の言葉

向田さんの持っている“翳り”が作品になっている。

“向田さんの恋愛”

“翳り” 多くの人の心の苦悩を書いている。

向田さんの作品の中には事件になるものはないですよね。
ごく普通の生活の中の心の襞のようなものをとりあげて書いている。

〔父の詫び状〕
向田さんの原点


【平蔵の独り言】

向田作品は何気ない日常を取り上げているのが、
読者、100人いたら100人の価値観で
これは 私だ!
と、“ホッと”思わせてくれるから・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2013-09-28 17:34 | 人間模様 | Comments(0)

プロの誇り守り引退(ピアニスト「大西順子」日本のジャズ界けん引) なぜ “ラプソディー・イン・ブルー”   

2013年 09月 21日

プロの誇り守り引退「演奏水準の維持困難」
(ピアニスト「大西順子」日本のジャズ界けん引)
なぜ “ラプソディー・イン・ブルー”を大西さんとやるか

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【プロの誇り守り引退】2012/11/26

【なぜ “ラプソディー・イン・ブルー”を大西さんとやるか、について】
なぜ “ラプソディー・イン・ブルー”を大西さんとやるか、について 〔小澤征爾〕
信じられない展開〔村上春樹〕

l
【大西順子さん「世界のオザワ」に挑んだ夏】 2013/09/18
〔マエストロの「引退反対!」宣言〕
〔挑戦する姿を若手に見せたい〕
〔カムバックを期待する声も〕


【小澤征爾×大西順子 夢の共演】
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【プロの誇り守り引退】
日本のジャズシーンをけん引してきたピアニスト大西順子が、突然引退を表明した。

演奏家として円熟期にあっただけに、なぜ!という戸惑いと惜しむ声が広がる。
ツアー最後のライブを終えた大西に、引退の理由とその背景を聞いた。

11月8日、最後のライブは神奈川県厚木市の小さなライブハウスで開かれた。
会場いっぱいに集まった観客。
大西と親交のある指揮者小澤征爾や作家村上春樹の姿も。

若手のクインシー・デイビス(ドラムス)と楠井五月(ベース)を率いた大西は、
自作の「ザ・スルペニ・オペラ」やスタンダードの「ダーン・ザット・ドリーム」などを演奏。
つややかで華のある音色に、客席はぐいぐい引き込まれていく。

【ほっとした】
1989年米国バークリー音楽大を卒業後、93年アルバム「ワウ(WOW)」でデビュー。
日本を代表するピアニストとして長年活躍してきた。

ライブを終えたばかりの大西は「ほっとしました」と、
すがすがしい表情で語り始めた。
「引退するのは、音楽ビジネスが衰退する中で、
プロとしての演奏の水準を維持していくのが難しくなってきたからです」


【業界衰退で自己投資限界(演奏水準の維持困難)】
アスリートと同様に演奏家も肉体やスキルを維持するには、
フィットネスなど自分への投資と努力が必要だ。
しかしジャズだけでなく、
CD売り上げの激減など音楽ビジネス全体が急速に収縮している中で、
投資の経費と収入のバランスが取れなくなっているという。

「自分が思うような仕上がりになければ、
プロとして人前で演奏するわけにはいかない。
ならば引退もありではないかと思った」
と、大西はプロとしてのプライドを守ることを選んだ。


何かへの抗議の意味ではないという。

ジャズの聴衆を拡大できなかったのは「力及ばずでした」と認める一方で
「音楽ビジネスの限界は、日本だけでなくいろんな人が感じているのでは」とも。

大西の引退は、プロがプロとして存在できなくなりつつある危機的状況への警鐘と言えるのかもしれない。

【経験伝える】
ライブを見守った小澤は
「絶対続けなきゃだめだよ」
と大西に何度も声を掛けていた。
「ありがたいことです」と感謝しつつも大西は


「プロの演奏家は引退しますが、音楽と切れたわけではない。
今後のことはまだ考えていませんが、
若い人たちに自分の経験を伝えられればいいなと思っています」
と笑顔で話した。

北国新聞2012/11/26
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【平蔵の独り言】
大西順子 オフィシャルブログに“私のピアノ 3台買ってください”
とあった。

【業界衰退で自己投資限界(演奏水準の維持困難)】
アスリートと同様に演奏家も肉体やスキルを維持するには、
フィットネスなど自分への投資と努力が必要だ。

また、一つ文化の担い手が消えてしまうのか。

日本各地で開かれている「***ジャズストリート」
その期間だけ、お祭り騒ぎをしているが
ジャズ:民謡、シャンソンと同じように独自の民族音楽(文化)だと思う。
しかし、ジャズの愛好者は能書きを言って
「これを知らないのは・・・・・」
不思議な集団だ!

聴く、Live、奏者  何でもいいではないか!

去年から何かしたいなと“嘘は罪”をピアノバックに歌っている。
(楽しければ、いいではないか)


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【なぜ “ラプソディー・イン・ブルー”を大西さんとやるか、について】
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なぜ “ラプソディー・イン・ブルー”を大西さんとやるか、について 〔小澤征爾〕

何度か、春樹さんに誘われて大西順子さんのライブを聴きに行きました。
今回は急なことでしたが、春樹さんから大西順子さんが引退をするらしくその最後のライブが厚木のライブハウスであるんだと聞いて驚き、娘の征良と連れ立って聴きに行きました。
 大西さんトリオの素晴らしいライブで、これが最後だなんてたいへん残念である、
かつ、もったいないなぁと思いながら聴いていました。

アンコールを弾き終わった後で、
彼女がマイクをもって、残念だけれどこれが最後です、みたいなことを話し始めたんで、
僕は聴いている人たちみんなもそう思うだろうと思ったから、それには「反対∼!」と思わず叫んでしまいました。

 そのあとで、打ち上げの会に呼ばれて行ったときに、
僕は彼女に、今ここでピアノを止めちゃうなんていうのはまったくもったいない話で絶対続けるべきだ、と話しました。

大西さんからは、ジャズのピアノトリオのワークショップ(ある意味、音楽塾ジャズ版ですね)をしてみたいという話がありました。

 この話しはフェスティバルとしては大賛成で、松本のサイトウ・キネンに来てやってみないかということになりました。
そして、春樹さんといっしょに「サイトウ・キネン・オーケストラと一緒にガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルーもやらないか」と、突飛な提案もしました。

 最初、彼女はびっくりして目を丸くして聞いていたけれども、NOという答えじゃなくて「これからかんがえよう」と、僕からすると、日本語で言えば前向きな答えをもらったつもりでした。

 そのあとで、いろいろと皆さんから説明も受け、松本で「Jazz勉強会」を今年から始めることと、村上さんからも説得してもらって、
今年9月6日に松本でのフェスティバル千秋楽の公演として、
彼女にラプソディー・イン・ブルーを弾いてもらうことになったわけです。

 僕としては、これはとても素晴らしいことで、
彼女がこれを機会にこれからもどんどんピアノを弾いてもらう、
引退なんてことを考えずにピアノを弾き続けてもらえたら、と願っております。


信じられない展開〔村上春樹〕
僕は長いあいだ熱烈な大西順子さんのファンで、
彼女のライブやコンサート があれば足を運 びつづけていました。

だから彼女が演奏活動から引退を表明したときは本当にショックだったし、
これほど力強く才能のあるジャズ・ピアニストに、まさに脂ののりきったところで引退を決意させる日本の音楽ビジネスのあり方に、あるいは音楽的状況に、
がっかりしないわけにはいきませんでした。

 僕は一度、小澤征爾さんを誘って、都内のジャズクラブに彼女の演奏を聴きに行ったことがあり、そのときは「いや、すごい演奏だね」と感心されていました。

そして「彼女の最後のライブが厚木の小さなジャズクラブであるんですよ」という話をしたとき、「じゃあ、おれも行く」ということになりました。

そして大西さんが最後に感無量のおももちで「残念ながら、今夜をもって引退します」と聴衆の前でしみじみ話しているときに、
突然すくっと立ち上がって「おれは反対だ!」と叫ぶという異例の事態、
というかハップニングになったわけです。
僕も隣で本当にびっくりして、言葉もありませんでした。
でも思わずそう叫びたくなる小澤さんの気持ちは、痛いほどよくわかります。
それくらい素晴らしい演奏だったのです。
 それから小澤さんと大西さんとの間で、
音楽家どうしの話し合いがあり、
いったん心を決めて引退したのだから、
演奏をするのはもう無理にしても、
松本のフェスティバルでワークショップみたいなことを立ち上げて、
後進の指導にあたることならできるということになったようです。
それはそれでもちろん素晴らしいことだと僕も思いました。

 そのあと小澤さんと二人で話しているとき、
ガーシュインの『ラプソディー・イン・ブルー』を大西さんとサイトウ・キネン・オーケストラ(小澤征爾指揮)で聴けたら最高ですね、という話になりました。

その時点ではまさかそれが可能になるとは思わなかったのですが
(彼女の引退の決意が堅いことはよくわかっていたから)、
小澤さんが大西さんを熱く説得し、実現の運びとなりました。
本当に夢のような展開です。

僕はただそこに立ち会っただけなのですが、
それでもそこにたまたま居合わせたことを、一音楽ファンとして光栄に思います。
大西さんが松本で立ち上げる「Jazz勉強会」がこれからも長く続き、
多くの才能ある若いジャズ・ミュージシャンがそこから巣立っていくことを、
それによって日本のジャズ・シーンが少しでも活性化していくことを、心から期待しています。

 大西さんがこれまでご自身の演奏に注ぎ込んできた情熱を、
後進の育成に注げる環境が整うことはひとつの素晴らしい達成だと思います。

しかし僕としてはそれと同時に、大西さんがいつか「新しい大西順子」としてジャズ・シーンにもう一度帰ってきてくれることをひそかに夢見てもいるのです。

どうかがんばってください。

【大西順子さん「世界のオザワ」に挑んだ夏】
9月18日 17時12分
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毎年夏に開催されるクラシックとオペラの国際音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で、ことしはクライマックスにちょっと異色のプログラムが組まれました。

ドラムスとウッドベース、ピアノのジャズトリオが、
小澤征爾さん指揮するオーケストラと「ラプソディー・イン・ブルー」を共演したのです。

力強いピアノを披露したのは人気ジャズピアニストの大西順子さん。

去年、演奏活動から引退を表明した大西さんが「世界のオザワ」と組んで
クラシックの祭典にサプライズ出演をした理由には、
同じく世界的に活躍している、ある作家の存在がありました。

〔マエストロの「引退反対!」宣言〕
大西順子さん(46)は22歳のときにアメリカでプロデビューし、
力強いタッチとスウィング感あふれる演奏で人気を集め、
数々の大物ミュージシャンと共演してきましたが、
「自分にできることはやり尽くした」として去年、引退を表明しました。

しかし去年11月に開かれた最後のライブでハプニングが起きました。
「ツアー最終日にマエストロ(小澤征爾さん)に来ていただきまして。

自分としては最後になる演奏のMC(あいさつ)をしている途中で、
突然(小澤さんが)スクッと立ち上がって『引退反対!』って・・」(大西順子さん)

小澤さんを連れてきたのが、作家の村上春樹さんでした。
大西さんの長年のファンである村上さんが知人の小澤さんを誘い、
そのライブのあとの出来事が、今回の出演につながったということです。

「ライブのあと、打ち上げみたいなものがありまして、
そのときに村上春樹さんもいらっしゃって。
春樹さんは私とマエストロが一緒にいるところを見て、
『2人でラプソディー・イン・ブルーなんてやってるのを聴けたら最高だな』って。

そういう話というのはその場のノリで終わってしまうことが多いんですけれど、
もう次の日から電話がかかってきて、ずっとしゃべり続けで、
気がついたら私が『はい』って言ってる、みたいな」(大西さん)

〔挑戦する姿を若手に見せたい〕
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引退後は、後進の指導をしたいと考えてきた大西さんは、
サイトウキネン・フェスティバルで若手ピアニスト向けにワークショップも開きました。

今回あえてステージに上がることにしたのは、巨匠・小澤征爾さんに挑む姿を見せることも、
若手のためになると考えたからでした。

「昔のジャズのレジェンド(伝説的名手)たちと同じステージに上がって、
怒られながらも自分が何か学んでいくっていう手応えというのは、
経験としては本当にすばらしいものだったので。
もしあのときと同じようなことが起こるのであればそれは願ってもない、
というのはどこかにありましたよね」(大西さん)

エネルギーあふれる小澤征爾さんは、大西さんへのインタビューが終わったあとに突然現れ、
演奏で気になることについて熱心に打ち合わせを始めていました。

〔カムバックを期待する声も〕
本番当日、楽しみにしていることは「終わったあとの一杯」と語った大西さん。
「世界のオザワ」との共演は、演奏後、
観客のスタンディング・オベーションが10分以上、鳴りやみませんでした。

大西さん自身の引退の決意は固く、
あくまで今後は後進の育成やジャズの研究をしていきたいと話していますが、
小澤征爾さんも村上春樹さんも、大西さんにステージに戻ってきてほしいと話しているそうです。
この「サイトウキネン・フェスティバル」の様子は今月30日(月)の午前0時から、BSプレミアムで放送されます。


【小澤征爾×大西順子 夢の共演】

(SANKEI EXPRESS)2013.9.11 16:30
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2013.9.11 16:30
「ラプソディー・イン・ブルー」を演奏するジャズピアニストの大西順子さんと指揮をする小澤征爾さん(手前右)=9月6日夜、長野県松本市(提供写真)

 音楽家の小澤征爾さん(78)が指揮するサイトウ・キネン・オーケストラと
ジャズピアニストの大西順子さん(46)率いるピアノトリオが、
長野県松本市で開催されていた音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)松本」で初めて共演した。

 曲は、米国の作曲家、ジョージ・ガーシュイン(1898~1937年)が
ジャズピアノのテイストを取り入れて作った名曲「ラプソディー・イン・ブルー」。

小澤さんは大西さんを振り向きながら、息を合わせて指揮。
体をスイングさせたり、足踏みをしたりしながら30分近くを振り切り、
病気療養からの本格復帰を印象づけた。

演奏後、約2000人の観客からは大歓声があがり、会場からは長い間、拍手がやまなかった。
 この共演は、作家の村上春樹さん(64)が昨年秋、引退を表明していた大西さんの最終ライブに小澤さんを誘ったことがきっかけで実現した。

ライブ終了後、大西さんと会った小澤さんが「ここでピアノをやめちゃうというのはまったくもったいない。絶対続けるべきだ」と話し、
村上さんも大西さんを説得して共演が決まったという。

村上さんは「本当に夢のような展開」とコメントしている。
 夢の共演となったコンサートには村上さんも姿を見せ、
演奏が終わると立ち上がって大きな拍手を送っていた。

【平蔵の独り言】
2012/11 目に留まった 「大西順子さん 引退」
 
【独り言】
今頃何故?

村上春樹さん、小澤征爾さん の力で「大西順子さん」が甦っていた。
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by asanogawa-garou | 2013-09-21 17:11 | 今 今日この頃 | Comments(0)

佐藤真海選手(1人のパラリンピアンが伝えた)一語一語に人生が詰まる。   

2013年 09月 15日
佐藤真海選手(1人のパラリンピアンが伝えた)一語一語に人生が詰まる。
「新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力、人々を結びつける力」
五輪を引き寄せた名スピーチ

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【佐藤真海選手「スポーツの力」訴えたスピーチ】
 〔そして、佐藤の目にも…。招致の命運は、彼女とともにあった。〕
 〈スポーツは人生で大切な価値を教えてくれた〉
【秘策!佐藤真海プレゼンが五輪引き寄せた】
 「私がここにいるのはスポーツによって救われたからです」
 「自分が立場に追いついてないな」
【東京招致委最終プレゼン全文〔佐藤真海〕】
 一語一語に人生が詰まる。
 「新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力、人々を結びつける力」
 五輪を引き寄せた名スピーチ

【被災地アスリート、訴えるのは「スポーツの力」】
 「パラリンピックの代表として、(招致)チームの一員であることを誇りに思う」
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【佐藤真海選手「スポーツの力」訴えたスピーチ】
〔そして、佐藤の目にも…。招致の命運は、彼女とともにあった。〕
2020年東京五輪・パラリンピック招致を呼び込んだ立役者の一人、
パラリンピック走り幅跳び代表の佐藤真海(まみ)さん(31)。

 右足を切断し、その後、東日本大震災で故郷・宮城県が被災しながら「スポーツの力」で乗り越えた経験を、国際オリンピック委員会(IOC)総会の最終演説で笑顔で訴えた。
支えてきた人たちは「彼女らしい素晴らしいスピーチ」とたたえた。
〈スポーツは人生で大切な価値を教えてくれた〉
 佐藤さんの義足を20個以上作った義肢装具士の臼井二美男さん(58)はこのスピーチを聞き、「彼女の誠実さや周囲の人たちへの感謝の気持ちが伝わってきた」と言う。
出会いは03年春。
大学生の佐藤さんが骨肉腫で右ひざから下を切断した後だった。
「義足でスポーツを続けたい」と相談されたが、初めは歩くことさえやっと。
臼井さんは義足を調整しながら練習に付き添ってきた。

 日本を出発する2日前の8月26日。
佐藤さんが「10年間のお返しをしたい」と、臼井さんの誕生会を開いた。
「長生きしてくれなきゃ困るからね」。冗談交じりに臼井さんを気遣ったという。
 「スピーチ、素晴らしかったよ」。決定後、臼井さんはメールでねぎらった。
(2013年9月9日15時38分 読売新聞)

【秘策!佐藤真海プレゼンが五輪引き寄せた】
日刊スポーツ - 2013年9月9日(月)9時22分
「私がここにいるのはスポーツによって救われたからです」
「自分が立場に追いついてないな」
「位の高い人からスピーチするのが常では」
そんな声に、日本社会の常識を打破した先に、
新しい日本を作るための東京五輪があると信じた。

 佐藤が抜てきを伝えられたのは、アルゼンチンにわたる1週間前。
「そんな大役…。びっくりして、できるのか心配になったけど、信じてくれる人のために頑張ろうと」。
一語一語に人生が詰まる。
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プレゼンテーションで東京招致をアピールする佐藤真海(撮影・菅敏) 
 東京に五輪がやってくる! 国際オリンピック委員会(IOC)は7日(日本時間8日早朝)にブエノスアイレスで開いた総会で、2020年の第32回夏季五輪・パラリンピック大会の開催都市に東京を選んだ。
64年の第18回東京大会以来56年ぶりのスポーツの祭典。

最終プレゼンテーションでは、走り幅跳びでパラリンピック3度出場の佐藤真海(31=サントリー)をトップバッターに起用する秘策で「スポーツの力」を訴え、招致成功をたぐり寄せた。
 日本時間2013年9月8日午前5時21分、1枚の白い紙が、半世紀ぶりの祝祭の到来を告げた。
       「TOKYO 2020」
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 その瞬間、ロゲ会長の前に座る招致団が、オールジャパンがはじけた。
最終プレゼンターの太田はいすから跳び上がる。
その後ろで滝川クリステルが泣きだしそうなかれんな表情で、喜び合う相手を探す。
太田は顔を両手で覆い、チームメートの千田が、太田に笑顔で手を差し伸べた。
体操女子の田中も最初は笑顔だったが、太田と抱き合うと目に涙があふれた。
そして、佐藤の目にも…。招致の命運は、彼女とともにあった。
 命運を分けた最終プレゼン。
東京は大胆で、緻密で、情感豊かな45分間を披露した。
高円宮妃久子さまが被災地復興支援に謝意を述べられた後にプレゼンが始まった。

壇上に立ったのは世界的には無名のパラリンピアンの佐藤だった。
プレゼンメンバーの紹介をチアリーダー仕込みの高らかな声で、明るく華やかにスタート。
 少し間をおき、東京決定へ流れをつくったエレガントなスピーチは始まった。

彼女は、「私がここにいるのはスポーツによって救われたからです」と静かに語りかけた。
目線はカメラに。両端に設置されたプロンプターは見ない。

フワリと黒髪を揺らしながら、カメラ越しにIOC委員1人1人に語りかける。
抜てきに「自分が立場に追いついてないな」と話していた3日前がうそのよう。
 「骨肉腫で足を失ってしまいました」。
右足膝下を切断したつらい過去には、言葉が詰まりそうになる。

故郷の宮城県気仙沼市が東日本大震災で津波の被害を受けた。
スクリーンには被災地の様子、佐藤が肉親と笑うシーンが映される。
一瞬、佐藤はあふれそうになる涙に言葉が出なくなった。
悲しみがあふれ出す寸前、佐藤は耐え、必死に話し続けた。

 だが、幾度もスポーツに支えられた体験をアピールするうち、自然と笑みがこぼれた。
決してオーバーアクションではなく、時に胸に手を当て、かみしめるよう。
実感こもる姿に、聴衆は引き込まれていった。
 人生を貫く「スポーツの力」。
演技では表せない自然な笑顔、悲しい表情を交えて、約4分間。
自分の人生をさらけ出し、IOC委員に届けた。「気持ちを込めて話せたな」。
それは確かに人々の心を打った。

 「とても印象的(impressive)でした」。
プレゼンを終え、佐藤がロゲ会長にあいさつすると、耳元で優しくささやかれた。
同会長は報道陣の前では「ベリーグッド」と親指を立て、佐藤のスピーチをたたえた。
モナコ公国のアルベール2世公は「エモーショナルで感動的だった。
他のIOC委員にも響いたはずだ」と絶賛。

それは、東京が温めた「秘策」が成就した瞬間だった。
 昨年12月だった。
英語によるスピーチの実績がない佐藤を、最終プレゼン1番手で起用する案が検討された。
東京が掲げる「スポーツの力」を体現する存在であり、宮城県の出身。
被災地と開催地東京。
その2つをスポーツで結ぶ、シンボルになれると考えたから。
 12年ロンドン、14年ソチでともに招致を成功させたプレゼン指導のプロ、ニューマン氏とバーリー氏らは議論を重ねた。
日本社会に根深く残る年功序列がちらつく。
「位の高い人からスピーチするのが常では」。
そんな声に、日本社会の常識を打破した先に、新しい日本を作るための東京五輪があると信じた。

 佐藤が抜てきを伝えられたのは、アルゼンチンにわたる1週間前。
「そんな大役…。びっくりして、できるのか心配になったけど、信じてくれる人のために頑張ろうと」。一語一語に人生が詰まる。


最終プレゼン前夜にはお風呂で身ぶり手ぶりを交えて練習しながら、感情が高ぶって号泣した。
「でも(涙を)出し切ってお湯と一緒に流したら、そのおかげですっきりした」。
本番では「ゾーンに入っていたかな」と足も震えなかった。
 その後に登壇した猪瀬知事は「チームジャパンでバトンリレーを本当によくできた」と、佐藤の役割をたたえた。
先頭でIOC委員を引き込み、皆が流れに乗った。
安倍首相も懸念される汚染水問題で「状況はコントロールされている」と説明。
滑らかな流れは最後までよどみなく続いた。
 決選投票の結果は、東京60、イスタンブール36。
日本の常識を超えたプレゼンで勝ち取った祭典は、低迷する日本社会へのくさびになる。

1人のパラリンピアンが伝えた「スポーツの力」は7年後、さらにその先まで日本を支えていくだろう。
「新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力、人々を結びつける力」。
五輪を引き寄せた名スピーチに、佐藤が懸命に生きてきた強さの礎が込められていた。【阿部健吾】
 ◆投票経過 1回目の投票でイスタンブールとマドリードが26票で2位タイ。どちらかを除外するために2カ国での除外決選投票が行われ、イスタンブールが過半数を取り、東京との開催都市決選投票に進む。開催都市決選投票で投票数が96になったのは除外されたスペインの委員3人が投票に加わり、そのうちの1人が欠席したため。

【東京招致委最終プレゼン全文〔佐藤真海〕】
2013.9.8 01:21産経ニュース[五輪 東京招致委最終プレゼン 2013・9]
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 IOC総会で、東京のプレゼンテーションをするパラリンピック陸上の佐藤真海選手=7日、ブエノスアイレス(ゲッティ=共同)
2020年五輪東京招致委の最終プレゼンテーション(日本語訳)

【パラリンピック女子走り幅跳び代表・佐藤真海】 
 会長、そしてIOC委員の皆様。佐藤真海です。
 私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。

スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。
それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。
本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。
 
 19歳のときに私の人生は一変しました。
私は陸上選手で、水泳もしていました。
また、チアリーダーでもありました。
そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに骨肉種により足を失ってしまいました。
もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。

 でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。
私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。
 そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。
 私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。
スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。
2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。

しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。
6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。
そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。

 私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。
食糧も持って行きました。
ほかのアスリートたちも同じことをしました。
私達は一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。
 そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。
新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。

200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしています。
 私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。
そして、日本が目の当たりにしたのは、
これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです。
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【被災地アスリート、訴えるのは「スポーツの力」】
被災地出身の佐藤さんに海外メディアから質問が飛んだ。
 「震災と東京の五輪招致はどう結びつくのか」。
佐藤さんは質問者を真っすぐに見つめると、決して滑らかではないが、英語で懸命に話し始めた。
 「日本のアスリートたちは復興に向けて努力しています。東北は私が生まれた土地。2020年までこうした素晴らしい活動を継続するチャンスがあります」
 続けて「パラリンピックの代表として、(招致)チームの一員であることを誇りに思う」。
堂々と答えた。
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アスリートによる東京招致への宣言をする会見で、招致への情熱を語るパラリンピアンの佐藤真海さん(5日、ブエノスアイレスで)=増田教三撮影
 【ブエノスアイレス=土方慎二】東京が招致を目指す2020年夏季五輪・パラリンピックの開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会が6日夜(日本時間7日午前)、ブエノスアイレスで幕を開けた。
 勝敗を分けるとされる最終演説で、東京のキーマンはパラリンピック走り幅跳び代表の佐藤真海(まみ)さん(31)。
宮城県気仙沼市出身のアスリートが、被災地で感じたスポーツの持つ無限の力を全世界に発信し、東京の勝利を呼び込む。
 現地のホテルで5日午前(同5日夜)、招致委員会が開いた日本のアスリートによる記者会見。
被災地出身の佐藤さんに海外メディアから質問が飛んだ。
 「震災と東京の五輪招致はどう結びつくのか」。佐藤さんは質問者を真っすぐに見つめると、決して滑らかではないが、英語で懸命に話し始めた。
 「日本のアスリートたちは復興に向けて努力しています。東北は私が生まれた土地。2020年までこうした素晴らしい活動を継続するチャンスがあります」
 続けて「パラリンピックの代表として、(招致)チームの一員であることを誇りに思う」。堂々と答えた。
(2013年9月7日13時12分 読売新聞)

【チャレンジする姿を見てほしい…佐藤真海さん】
IOC総会のスピーチには、「自分の物語が、『スポーツの力』を訴える日本のテーマになるなんて」と驚く。
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インタビューに答える佐藤真海さん(13日午前、都内で)=松本剛撮影
 2020年夏季五輪・パラリンピックの東京開催が決まった国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京のプレゼンターを務めたパラリンピック走り幅跳び代表、佐藤真海(まみ)さん(31)が13日、東京都内で読売新聞のインタビューに応じた。
 障害者スポーツの未来、周囲の反応、アスリートとしてのこれから……。
帰国後の思いを打ち明けた。

 佐藤さんは、障害者スポーツへの国内の認知度について
「これまでは、はれものに触る感じだったが、総会の最終演説のスピーチで、関心の高まりを感じている」と話した。

 日本代表として世界を転戦し、日本は障害者スポーツへの支援が足りないと痛感していた。
ロンドンパラリンピックの1年後にロンドンで開かれた障害者スポーツの国際大会は、
8万人収容の競技場が満員になったが、
「日本ではどんな大会でも観客席はガラガラだった」。

 10月12日に東京で全国障害者スポーツ大会が開幕し、佐藤さんも参加する。
「まだ障害者スポーツを見たことのない人が多い。興味を持ってくれるきっかけになってほしい」と期待を寄せた。

 骨肉腫で右足の膝から下を失ってから、競技に取り組む意識は大きく変化したという。
佐藤さんは「以前は根性ばっかりで、スポーツを楽しめなかったが、義足を装着することで逆に心からスポーツを楽しめるようになった」と振り返る。
 31歳の今も自己ベストを次々と更新。

20年大会については「まだ見通せないが、自分で自分の限界が見えません。
1年、1年続け、限界を作らずチャレンジする姿を見てほしい」と笑顔を浮かべた。

 震災や障害を乗り越えた体験に触れたIOC総会のスピーチには、
「自分の物語が、『スポーツの力』を訴える日本のテーマになるなんて」と驚く。
 スピーチの終了直後から、知人をはじめ、多くの人から電話やメールなどで「みんなの思いをつないでくれてありがとう」「2020年に向けて希望が持てた」といった声が寄せられたという。
同じ障害を抱える人からもあり、「明日に向けて一歩でも前を向いてもらえたらいいなと思った」と話した。
 最終演説後、ロンドン五輪組織委員会会長のセバスチャン・コー氏に肩をたたかれた。
佐藤さんは「『素晴らしいスピーチだったね』と言われて、(ロンドンから)バトンを引き継いだ思い。20年大会の成功に向けて尽力したい」と語った。
(2013年9月13日14時35分 読売新聞)

【平蔵の独り言】
一語一語に人生が詰まる。
「新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力、人々を結びつける力」
五輪を引き寄せた名スピーチ

日本社会に根深く残る年功序列がちらつく。
「位の高い人からスピーチするのが常では」。

 佐藤が抜てきを伝えられたのは、アルゼンチンにわたる1週間前。
「そんな大役…。びっくりして、できるのか心配になったけど、信じてくれる人のために頑張ろうと」。
一語一語に人生が詰まる。
最終プレゼン前夜にはお風呂で身ぶり手ぶりを交えて練習しながら、感情が高ぶって号泣した。
「でも(涙を)出し切ってお湯と一緒に流したら、そのおかげですっきりした」。本番では「ゾーンに入っていたかな」と足も震えなかった。

七年後2020年の2度目のオリンピックが日本人に日本にどのような
夢と希望をもたらしてくれるのか・・・・・・・

50年前は何もない 日本、日本人に夢、希望が実現したのであるが

見ることが出来るか・・・・・・・・・・・・・

〔1964年東京オリンピック〕
オリンピックマーチ、日本選手団の赤いブレザーの行進、聖火台への点火
マラソン・アベベ→円谷幸吉 すぐ後ろにイギリスのヒートリー

50年前の出来事が思い浮かぶ

2020年東京オリンピック開催が
50年前のオリンピックの記念切手を持っているのを思い出させてくれた。
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昭和34年の〔美智子妃殿下〕のご成婚もあった。
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〔美智子妃殿下〕のご成婚馬車パレードは当時テレビのある家で見ました。

映画 「3丁目の夕日」 の世界がリアルタイムに広がる。

ありがとう! 佐藤真海さん
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by asanogawa-garou | 2013-09-15 18:54 | 市井の人が一番えらい | Comments(0)

テレビ視聴率「大逆転」の舞台裏!<テレビ朝日>12年度視聴率で初の2冠達成<TBSがフジを抜き3位>   

2013年 09月 05日
テレビ視聴率「大逆転」の舞台裏  2012/08/23
【大異変である。テレ朝が日テレとフジを抑え、四半期3冠王に躍り出た。】
かっては「民放のお荷物」と言われた。
日本中がバブル景気に浮かれた‘80年代後半、視聴率は4大キー局でダントツの最下位だった。

【<テレビ朝日>12年度視聴率で開局以来初の2冠達成  全日は42年ぶり2位】  2013/04/02
〔<年間視聴率>テレビ朝日 開局以来初の2冠 12年度〕

<TBSがフジを抜き8月平均視聴率で3位>  2013/09/05
TBSがフジを抜き8月平均視聴率で3位
■フジテレビ~振り向けばテレビ東京への軌跡
■TBS『半沢直樹』30・0%記録

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<TBSがフジを抜き8月平均視聴率で3位>  2013/09/05
TBSがフジを抜き8月平均視聴率で3位
■フジテレビ~振り向けばテレビ東京への軌跡
■TBS『半沢直樹』30・0%記録

TBS、8月平均視聴率でフジを抜き3位

TBSは2013年8月の平均視聴率が、
ゴールデン(午後7~10時)・プライム(午後7~11時)の両時間帯でともに10.5%で
フジテレビを抜き、在京キー局第3位に浮上したと9月4日の会見で明らかにした。
好調が続くドラマ「半沢直樹」、また「世界陸上」の高視聴率が牽引した。

フジはそれぞれ9.7%、9.9%に留まり、TBSはどちらも10・5%で
フジのトップ3陥落となった。
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【平蔵の独り言】
フジ(リモコン“8”)ほとんど選択しない。
ラテ版もNHK・(テレ朝)

40余年前フジが市谷河田町に社屋があった頃
1年間近くまで通っていた。
頑張ってほしい!

「俺たちひょうきん族」 が懐かしい! 
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【<テレビ朝日>12年度視聴率で開局以来初の2冠達成  全日は42年ぶり2位】  2013/04/02
まんたんウェブ 4月1日(月)10時39分配信
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年度視聴率で開局以来初の二冠を達成したテレビ朝日
 テレビ朝日は1日、12年度の平均視聴率が、ゴールデンタイム(午後7~10時)で12.4%、プライムタイム(午後7~11時)で12.7%を記録し、ともに1959年の開局以来初めての首位を獲得し、12年度の視聴率「2冠」を達成したと発表した。
全日帯(午前6時~深夜0時)は7.8%で42年ぶりの2位を獲得した。

【写真特集】テレビ朝日 : 視聴率好調の理由 “キャストより内容”が時代にマッチ

 ドラマでは、12年民放ドラマトップの平均視聴率24.4%を最終回(昨年12月13日)に記録した米倉涼子さん主演の「Doctor-X 外科医・大門未知子」をはじめ、最終回SP(3月20日)で13年の民放ドラマで最高となる平均視聴率20.7%を記録した
「相棒シーズン11」(シーズン平均17.3%)などが高視聴率を獲得。
お得意のバラエティーでは、安定した人気を誇るレギュラー番組を長時間のスペシャル番組として弾力的に投入するなどして好成績を残した。

 さらに、スポーツ中継では、昨年6月に行われたサッカー日本代表のW杯アジア最終予選3連戦(オマーン、ヨルダン、オーストラリア戦)でいずれも30%超という爆発的数字を記録したほか、同9月の対イラク戦も28.9%、同11月のオマーン戦も30%を獲得。

3月に行われた野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、2次ラウンドの台湾戦の30.3%など高視聴率を獲得、フィギュアスケートでも20%超を連発するなど、スポーツ中継の好成績も2冠達成を後押しした。

 全日帯では、夕方の情報番組「スーパーJチャンネル」やドラマ「相棒」シリーズのリピート放送が好調で、当初は苦戦していた朝の情報番組「モーニングバード」も他局と肩を並べるまでに成長しており、42年ぶりの年度視聴率2位に貢献した。
なお、同局が独自に設定している「プライム2」(午後11時~深夜1時)も年度平均8.5%で8年連続の1位で確定した。

 同局は13年度中にプライムタイム世帯視聴率1位を目標とする経営計画「デジタル5ビジョン」を掲げており、昨年4月には開局以来初の月間視聴率3冠を達成。
その後、12年4月クールの四半期視聴率でも3冠を初めて獲得、
12年度の上期視聴率では初めてプライムタイムでトップに立ち、
12年の年間視聴率でもプライム首位を獲得するなど、好調を持続している。

 同局の早河洋社長は3月26日の定例会見で、
「ここまでの1年あまり、編成、制作、スポーツ、興行などの現業系がフル回転で物作りに取り組んでくれた。その結果、年度を通して先行局と競い合うことができたと思っている。年度が替わってもチャレンジ精神を持って新たな気持ちで取り組みたい」とコメントしている。(毎日新聞デジタル)

〔<年間視聴率>テレビ朝日 開局以来初の2冠 12年度〕
毎日新聞 4月1日(月)12時36分配信
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テレビ朝日本社ビル =東京都港区で、本社ヘリから小出洋平撮影
 テレビ朝日は1日、2012年度の年間視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)がゴールデンタイム(午後7~10時)で12.4%、プライムタイム(同7~11時)で12.7%となり、NHKを含む在京キー局で首位だったと発表した。いずれも開局以来初めて。

 全日(午前6時~翌日午前0時)は7.8%で、日本テレビの7.9%に次いで2位だった。


【平蔵の独り言】
サッカー中継、ドラマ「おみやさん」、「相棒」、「科捜研の女」
確かに  リモコンは真ん中“5”(テレ朝)
を見たい番組を選択している。

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テレビ視聴率「大逆転」の舞台裏  2012/08/23
【大異変である。テレ朝が日テレとフジを抑え、四半期3冠王に躍り出た。】
かっては「民放のお荷物」と言われた。
日本中がバブル景気に浮かれた‘80年代後半、視聴率は4大キー局でダントツの最下位だった。

そのテレビ朝日がいま躍進している。
4月クール(4月~6月)の四半期視聴率で、
‘59年の開局以来初となる3冠(全日、ゴールデン、プライム)を達成した。

〔テレ朝はなぜ強くなったのか。昨年末、早河洋社長が社員向けに行ったスピーチだ〕
「福島第一原発の初期報道に当たる5日間、あるいは10日間、
我々は大事なことを報道していなかったんじゃないか。
これは報道スタッフの責任ということではなく、私自身の責任として感じたことです。

政府は、東電は、なぜ2ヶ月経ってからメルトダウンを認めたのか。
なぜ8ヵ月も経って、核燃料が圧力容器を突き破ったと発表されたのか。
あとからあとから情報が出てくるが、
実際は水素爆発の時点で大量の放射性物質が環境の中に放り出されたわけです。


災害報道はえてして定型に陥っていく。
被災地はかわいそうだ。という情緒的な物語に落とし込んで終わりでいいのか。
それを考え続けてほしい」


原子力ムラと利害関係のあるテレビ局の社長としては、
かなり踏み込んだ、リスキーな発言だ。

だが、社長がここまではっきりと旗幟を鮮明にすれば、現場の士気は上がる。

及び腰の他局を尻目に政府、東電、原子力ムラの批判を続け、
視聴者の圧倒的な支持を獲得。

社長の号令のもとリスクがとれるテレ朝。
昨年まで30年間、
交替で3冠を独占してきた日テレ、フジの2大巨頭にとってもその存在は脅威だ。


【ありえない巨額投資】

50年以上視聴率下位に甘んじてきたテレ朝が「大逆転」を果たすための秘策、
「たとえば00年、01年~08年のアジアサッカー連盟主催の地上波独占放送権を獲得した。
多額の放送権料(推定約100億円)を考えるとまさに賭けでしたが、
『サッカーはテレ朝』というイメージを視聴者に植えつけたし、
視聴率的にも成功した。
『あの局は元気がいいな』と視聴者に思わせることもテレビ業界では必要なんです。先行投資のようなものですね」


【ワイドショー・バラエティ・ドラマ お客は何でも知っている】


[ドラマ]:最近のドラマの低調ぶりを分析する。
「まず脚本が幼い。
ドラマは脚本が何より大事なのに、
いまの制作者は口うるさい実力者の起用を避け、
何でも言うことを聞く若い脚本家を起用します。
ドラマの不調は便利な脚本家を使い続けたツケなのではないでしょうか。
作り手側の都合だけで脚本を書いている。
ドラマは大きなウソをつく代わりに、
細部は徹底的にリアリズムを追求しないと、
視聴者にすぐに見透かされてしまうんです。」

[自主映画]:「かつては注意喚起するだけで人々が動いてくれた時代があった。
でもいまは『共感』がないと人は動いてくれません。
テレビ局が番組内で自社映画を機械的に大量宣伝するような手法も、もう通用しなくなりつつある。
名前を連呼する選挙活動と同じで、『この映画はすごいんだ』だけでは意味がない。
作り手自身が信じていないコンテンツを、着飾らせて押しつけようとしても絶対にバレます。
そして、それは結果的に視聴者を裏切ることになる」


【お笑い芸人はいらねえよ】

何か志を持てば、いまのテレビはもっと良くなるんじゃないか。
具体案を挙げるなら、『お笑い芸人を一切使わない』という誓いを立てたらいい。

最近のお笑い芸人は内輪話を繰り返しさらけ出してるだけだろ。
それによりかかって番組を作っているディレクターって寂しくないか。
自分の作りたいものがないんだよ。
10%が目標なら、タレントに頼ればいい。
でも20%は取れない。
お客さんはバカじゃないから、『また同じことやってる』ってバレるんだ。

『アメリカ横断ウルトラクイズ』にタレントが必要だったか?
テレビマンは『本物』を撮ればいいんだよ」

ほうっておいてもテレビを観てくれる時代は終わった。
この戦国時代を勝ち抜くためには、
「サービス精神」と「志」を併せ持つ作り手が求められている。

――――――――
30年間、交替で三冠を独占してきた日テレ、フジ(巨人:日テレ、笑っていいとも:フジ)

週現スペシャル〔おごれるフジは久しからず。リスクをとったテレ朝が勝った〕
週刊現代2012/8/18・25号

【平蔵の独り言】
3.11からか?地デジからか リモコンは真ん中“5”(テレ朝)
パブロフの犬 でない国民にならないと
ますます沈没していく日本を浮上させるのは マスメディア

見たいドラマがない。
バラエティがつまらない。
 (出演者同士が面白がっている。お笑い芸人のどこが面白いのか。)
報道は最悪(全ての局がスライドを流している。)
違う断面から切り込んでもいいのではないか。

以前・・・・・日本を〔パブロフの犬〕にするマスメディア!

〔東日本大震災の報道〕
〔一年経ち、福島県のある村長の言葉〕
〔「テレビはカネで黙らせられる」(コンプガチャ)〕

日本の明るい明日が見えてきたのかな!
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by asanogawa-garou | 2013-09-05 15:29 | 今 今日この頃 | Comments(1)