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「パーキンソンのキーパーソン・井伊直弼」【永 六輔(80歳)】   

2013年 10月 27日
パーキンソンのキーパーソン・井伊直弼【永六輔】
ラジオは僕にとって、とてもいいリハビリなんです。

【「阿川佐和子のこの人に会いたい」】 放送タレント 永 六輔
週刊文春(2013年10月10日号)
東南アジアから来たトレーナーに、「リハビリにいい歌」と『上を向いて歩こう』を教えられた。
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長く続けられてきたラジオ番組をおやめになることを決めた、永六輔さん。
何かしらの感慨をおうかがいして・・・・・・・
と思いきや、ご自身の病気やリハビリにまつわる爆笑ネタをたくさん用意してご登場。
いいダジャレは元気の素!?

【四十六年続けて来られた『永六輔の誰かとどこかで』を九月二十七日に辞められたので】
永  四十六年、一緒に番組をやりましたけど、
   彼女と二人でお茶飲んだり食事したりしたこと、一回もないの。
阿川 何でですか。愛が芽生えちゃうから?(笑)
永  僕が崩れちゃうんだね、甘ったれて。
   そこから大事なものが崩れるような気がして、歯食いしばって我慢してた(笑)。

【パーキンソン病】
永 初めは、よく転んだり躓いたりするようになったの。
 それまで人生に躓くことはあるけど、平らなとこで躓くことはあまりなかったのね(笑)。
 ただの老化現象だと思ってた。

【長嶋さんの名言『リハビリは裏切らない』】リハビリをやってる人には、あの人は神様ですよ。

【粋なお見舞いベスト1はピーコでした】
永  「ピーコで~す」って入ってきて、病室の窓を全部開けて「風通してね」って、また閉めちゃった。
阿川 へえー。永さんに話しかけたりもせずに?
永  粋でしょ?

【『あ、永六輔がいる』って気配があればいい】小沢昭一さん「絶対にやめるな」って。
「テレビじゃなくてラジオなんだから、どこかに『あ、永六輔がいる』って気配があればいい、
音がしているだけでいい、喋んなくていいから」

【ラジオは僕にとって、とてもいいリハビリなんです】
パーキンソンはせっかく薬が効いても、やりたいことがないと動かなくなっちゃうんです。
永は仕事がやりたいという意欲があるから、薬が効いたときに症状も改善するみたいなんですね。

【いいダジャレを思いついたら、それだけで僕は一日もち(笑)。】
女学生に「スタジオにいる永六輔って知ってる?」って訊いたことがあるんです。
阿川 ほうほう。
永  そうしたら「知ってま~す。桜田門で殺された人!」それは井伊直弼(笑)
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【四十六年続けて来られた『永六輔の誰かとどこかで』を九月二十七日に辞められたので】
阿川 永さんが四十六年続けて来られた『永六輔の誰かとどこかで』を
   九月二十七日に辞められたので、お話をうかがおうと。
永  月曜から金曜まで、一万二千何回かやってました。録音ですけど。
阿川 これだけ長く続いた番組、おやめになる決意やいかに?
永  僕、二〇一〇年パーキンソン病になって、何言ってんのかわからない状態が続いてたの。
   それで、これじゃやってられないと思って。
阿川 ラジオでもパーキンソン病を公表なさって。
永  言うべきかどうか迷ったんだけども、呂律が回らない以上、聴いている人が変だと思うから言ったの。
阿川 おやめになるとおっしゃったとき、アシスタントの方はなんて?
永  遠藤泰子さんはね、何も言わない人。こういうお喋りの前だと褒めにくいけど(笑)。
阿川 私のこと?(笑)。
永  アシスタントだから、自分の意見は言わないってことをちゃんと守ってる。
   彼女は何も言いませんでした。
阿川 出しゃばらない方なんですね。
永  四十六年、一緒に番組をやりましたけど、
   彼女と二人でお茶飲んだり食事したりしたこと、一回もないの。
阿川 何でですか。愛が芽生えちゃうから?(笑)
永  僕が崩れちゃうんだね、甘ったれて。
   そこから大事なものが崩れるような気がして、歯食いしばって我慢し(笑)。・・・・・・・   今、僕が話してるの、聴き取りにくいでしょ?
阿川 全然。聴き取りやすいですけど。
永  ありがとう。これ、よくなったんだと思うでしょ。
   でも、今日はたまたま喋れるだけなんです。
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【パーキンソン病】
阿川 永さんは五年ぐらい前まではお元気でしたけど、
   パーキンソンの症状は、ある日突然、出たんですか?
永  初めは、よく転んだり躓いたりするようになったの。
   それまで人生に躓くことはあるけど、平らなとこで躓くことはあまりなかったのね(笑)。
   ただの老化現象だと思ってた。
阿川 足が弱くなってきたな、ぐらいの。
永  でも、あまりに転びやすいから、「専門医に診てもらったほうがいい」と言われたんです。
   行ってみたら「見事なパーキンソン病です」って。
阿川 見事なって…。
永 それから、呂律が回らなかったり、手が震えて自分で書いた字が自分で読めなかったり、
  歩けなかったり、転んで骨折したり、自動車にはねられたり、いろいろした時期があるんです。
阿川 散々な目に遭われて。
永 それが、薬が効いたのとリハビリでだんだん元気になって、放送にも出るようになった。
阿川 だいぶ回復されて。
永 ただ、この病気は症状がよくなるってことはあっても、根治はしないんです。
お医者さんも「この薬が効きます」とは言えない。
「飲んでみてください」って渡される。
僕みたいに運がいい場合は効く。人によって違うんですね。
阿川 そんなに個人差があるんですか。

【長嶋さんの名言『リハビリは裏切らない』】リハビリをやってる人には、あの人は神様ですよ。
永 わかっているのは、リハビリを一生懸命やり続けたのがよかったことです。
  『週刊文春』の読者にわかりやすく言うと、
  僕にとっては、長嶋茂雄は野球よりもリハビリの名手。
阿川 長嶋さんは、ものすごく努力なさったそうですね。
永 そうでなきゃ、脳梗塞からあんなに治りませんよ。喋れるんだもん。
  あの人の名言は、『リハビリは裏切らない』。
阿川 『巨人軍は永久に不滅です』に次ぐ名言(笑)。
永 リハビリをやってる人には、あの人は神様ですよ。
  リハビリって退屈で、痛くて、途中でいろいろ問題が起きたりするから、みんなやめるもん。
阿川 効いているかどうかわかりにくいし。
永 普通のリハビリって、歩いたり体操したりいろいろやるじゃない。
  でも、パーキンソン病は体が転ぶのを一番注意しなきゃいけないんです。
  転倒予防医学研究会っていう学会があるくらいなの。

阿川 確かに、それがずっと続くと思うと・・・・・・・・・・・・・・。
永  それで、僕は歩くリハビリをずっとやってるんですね。
阿川 普段は車椅子でも?
永  そう。そのやり方っていうのが、
  「立ってください」「右足に重心を移してください」
  「その右足の重心を左に移してください」「それから、一歩前に出てください」
  「そうすると歩けます」って。
阿川 へえ。歩き方なんて親にも教えられたことない。
永  こんなの、当たり前だと思うでしょ?でも、そこから始めないと歩けない。
阿川 それぐらい細かく注意しないと危ないんですね。

【粋なお見舞いベスト1はピーコでした】
阿川 転んで大腿骨を骨折なさったときは、けっこう大変だったとか・・・・・・・・・・・
永  それで入院した時は、一時的にだけど、譫妄(せんもう)状態になった。
   誰がお見舞いに来てくれたかわからないんです。あなたは来なかったけど(笑)
阿川 すいません。
永  いや、いいんです。はっきり言うと、見舞いはありがた迷惑で、
できれば来ないほうがいいと思ってたの。
阿川 私はそう思って行かなかったんです(笑)。
永  うまいお見舞いのベスト1はピーコでした。
阿川 うまいお見舞い?
永  「ピーコで~す」って入ってきて、病室の窓を全部開けて「風通してね」って、
また閉めちゃった。
阿川 へえー。永さんに話しかけたりもせずに?
永  粋でしょ?
阿川 ご自分も入院なさったことがあるからわかるんでしょうね。
永  何とよくわかってるんだ、と思った。
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【『あ、永六輔がいる』って気配があればいい】小沢昭一さん
「絶対にやめるな」って。
「テレビじゃなくてラジオなんだから、どこかに『あ、永六輔がいる』って気配があればいい、
音がしているだけでいい、喋んなくていいから」
阿川 永さんは、前立腺がんにもなられたそうで。
永  そう。小沢昭一さんも僕と同じ前立腺がんで・・・・・・・・・・・・・・・。
   あ、昭ちゃんの話をしていい?
阿川 もちろんです。
永  僕がパーキンソンになって、昭ちゃんもあまりよくない状態の時に会って、相談したのね。
   「ラジオをやめようと思う」と。
阿川 小沢さんは何て?
永  「絶対にやめるな」って。
   「テレビじゃなくてラジオなんだから、
   どこかに『あ、永六輔がいる』って気配があればいい、音がしているだけでいい、
   喋んなくていいから」って言われたの
阿川 それで永さんは番組を続けられたんですね。

【ラジオは僕にとって、とてもいいリハビリなんです】やっぱり仕事は大事ですよね。
パーキンソンはせっかく薬が効いても、やりたいことがないと動かなくなっちゃうんです。
永は仕事がやりたいという意欲があるから、薬が効いたときに症状も改善するみたいなんですね。

良明氏 パーキンソンはせっかく薬が効いても、やりたいことがないと動かなくなっちゃうんです。
   永は仕事がやりたいという意欲があるから、
   薬が効いたときに症状も改善するみたいなんですね。
永  アハハハ。
阿川 やっぱり仕事は大事ですよね。
   あと、永さんはおしゃべりがお得意だったから、それも効を奏したんでしょうか。
永  それとね、友達。
阿川 お見舞いには来てほしくないけど、友達は大事(笑)
永  ハハハハハ、その通り!
阿川 小沢さんやピーコさんの他に支えられたお友達は?
永  そりゃ、遠藤泰子さんとか外山真理さん(『土曜はワイド』アシスタント)が、
アナウンサーなんだか介護士なんだかわかんないくらい支えてくれてますよ。
僕が言葉に詰まると「こういうこと言いたいんでしょ」って通訳してくれたりね。
ほんとに頭が下がる。
ラジオは僕にとって、とてもいいリハビリなんです。
阿川 『土曜ワイド』のほうはこれからも続けられるんですね。
永  はい、こっちは二十年ちょっと、一千百回くらいやってます。
阿川 これから、他にしようと思っていらっしゃること、ありますか。
永  僕のラジオを聴いてくれていて、
   病気になったり隠居したりしている人たちのとこに行きたいと思っているの。
   僕がラジオの仕事を始めたとき、だから六十年ほど前、宮本常一から言われたんです。
阿川 師匠筋に当たられる方ですね。
永  「ラジオは電波だからどこへでも飛んでいく。
そこに行って、話したり聴いたりして、それをスタジオにもって帰って話をしろ」って。
僕は偉いんです(笑う)。守ってるんですよ。
阿川 じゃ、これからますます旅ガラスの生活?
永  昨日も東北へ行ってきたんだけど、車椅子で旅をすると景色が違うの。
僕、年取ったから、上からものを言うことがあるでしょ。
でも、車椅子に座っていると、下から話を聴くってこういうことなんだって思う。
阿川 車椅子の目の高さって、怖いですよね。他人の荷物とか傘がすぐ近くにあって。
永  駅のプラットホームってよく見ると、雨が降ったときに水が流れるように、
線路のほうに向かってなだらかな傾斜がついているんですよね。
車椅子だと、気をつけないと危ない。
パラリンピック、オリンピックの前にしてほしいこといっぱいあるけど、
これも何とかして欲しい。

阿川 お、発見がどんどん。

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【いいダジャレを思いついたら、それだけで僕は一日もち(笑)。】
永  誌面で使えるような、笑える話をすると・・・・・・。
阿川 まあ。ゲストというより編集者みたい(笑)。
永  すごいでしょ。構成まで考えて(笑)。
・・・・・・ラジオでレポーターが外に出て、
女学生に「スタジオにいる永六輔って知ってる?」って訊いたことがあるんです。
阿川 ほうほう。
永  そうしたら「知ってま~す。桜田門で殺された人!」それは井伊直弼(笑)
阿川 そう言えば似てる。(笑)
永  いいダジャレを思いついたら、それだけで僕は1日もつ(笑)
元気なってるパーキンソンって珍しいから、医者とか研究者が僕を注目してる。
阿川 研究対象として?
永  だから僕は、パーキンソンのキーパーソン(笑)。
阿川 アハハハハ。この調子だともっと回復なさりそう(笑)。

【一筆御礼】
ほとんど半世紀にわたって続けていらしたラジオ番組をお辞めになると伺い、
内心、ご容態を心配しておりました。
が、以前より少し痩せられたとは思うものの、
お会いしたとたん、「ああ!」「ぎゃあ!」とお互いに奇声を発してハイタッチ。
なんと嬉しい再開でしょう。
予想よりはるかにお元気そうで、加えて本当に歯切れのいいお話しぶりにはびっくりいたしました。
しかも、対談の構成を事前にノートに記されて、面白いエピソードを用意くださる周到ぶり。
そうそう、永さんは、ご自身がゲストとして招かれても、テレビラジオ、トークショーでは、
「こっちのほうが面白いよ」
とスタッフにいつも指南していらっしゃいましたよね。
厳しくではなく心から楽しそうに。
お嬢様やお婿様に恵まれたのですから、今後はもっとわがままに、
リハビリついでに全国各地を飛び回っていい

永六輔さんのラジオ番組、46年の歴史に幕 「誰かとどこかで」
2013.8.29 12:40 (1/2ページ)[TV・ラジオ番組]
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 タレントの永六輔さん(80)が46年余にわたって出演するラジオ番組「永六輔の誰かとどこかで」(TBSラジオ系、月~金曜)が、9月で終了することが29日、分かった。
永さんが同日の番組で「これまでの月曜から金曜日の放送は9月27日をもって終了し、休ませていただきます。
できるだけ早く、新しい『誰かとどこかで』をお届けしたい」と明かした。
 TBSラジオによると、同一人物が続けた番組としては「秋山ちえ子の談話室」(昭和32年9月2日~平成14年10月4日)の1万2512回を超えて同局制作では最長で、最終回の9月27日に1万2629回に達する。
 番組は昭和42年1月2日に「どこか遠くへ」のタイトルでスタート。
44年10月6日から現在のタイトルになった。
月~金曜日の10分番組で、全国17局で放送されている。
永さんが出掛けた旅先での話題や、聴取者からの便りに答える形で世相批評などをしてきた。
平成23年秋に永さんが足を骨折した際にも、病室で番組を収録し、休むことはなかった。
 永さんは29日の番組で「『引退しろ』という声がある一方、『ろれつが回らなくても続けて』という声もあり、それに甘えていた部分がある。
医者の助言もあり、ストレスを減らすためにも、しっかり休むことにしました」と説明した。
 TBSラジオによると、年に3、4回、「誰かとどこかで」の特別番組を予定している。平成3年4月に始まり、土曜午前に生放送している「永六輔その新世界」は続くという。
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土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界 六輔交遊録

【平蔵の独り言】
〔四十六年、一緒に番組をやりましたけど、彼女と二人でお茶飲んだり食事したりしたこと、一回もないの。
“僕が崩れちゃうんだね、甘ったれて”〕
【独り言】崩れちゃう!
そう、崩れちゃうのが恐い・・・・・・・・・・・・・

〔【長嶋さんの名言『リハビリは裏切らない』】リハビリをやってる人には、あの人は神様ですよ〕
【独り言】突然半身が動かなくなる。バタンと倒れる。
それから這えば立て、立てば歩め “リハビリは裏切らない”

〔【ラジオは僕にとって、とてもいいリハビリなんです】やっぱり仕事は大事ですよね〕
【独り言】社会へ出て、活動できるようになる。
これが一番のリハビリですね・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2013-10-27 18:43 | 人間模様 | Comments(0)

〔市井の人が1番偉いんだ…〕普通に生きて、生活している。〔下町には〕とりたてて大きな事件は起こらない   

2013年 10月 10日

〔市井の人が1番偉いんだ…〕

【普通に生きて、生活している】2012/8/27

【〔下町には…〕とりたてて大きな事件は起こらない】2013/10/10
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【〔下町には…〕とりたてて大きな事件は起こらない】

下町には、
いろんな事情を持った人間を抱え込む懐の深さや、
住んでいる人の暮らしが家の外にほんの少しだけはみ出しているような独特の感覚があります。


とりたてて大きな事件は起こらない、
ささやかな日常が積み重なっていく、単調な暮らしがある。

それが下町にはある。(人の暮らしの中に)

しかし、季節の移ろいは歩くとある。
それはささやかな暮らしの中にもある。(年とともに見えない“老い”という形で)

みんな、少なからず〔心に蓋〕して向き合って歩いていく。

「このままで終わる」

後悔してはいない

そんなに生き方で三国連太郎さんは歩いていたのか!

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向田邦子【エッセー「ねずみ花火」】
ウェイトレスや看護婦さんやユニフォームを着て働く人を見るたびに、
この下には、一人一人、どんなドラマを抱えているかも知れないのだ。
十把ひとからげに見てはいけない、と自分にいいきかせている。

〔家族の何気ない日常をこまやかに描き出したエッセイ〕    
不自由な日常の中にも豊かな日常の暮らしがある。
普通の生活というのが一番大事なんだという感じ
家族そろってご飯を食べて
他愛のない話をしているのが
一番なんだなと思います。
エッセーを読んでいると、心がおだやかになっていくと感じる。

【今、】
皆それぞれ、いろんなものを犠牲にして働いている。
いろんなものを背負って生きている。
だからこそ、今を(仕事には)真剣に向き合って行かなくては!

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【平蔵の独り言】
下町には、
いろんな事情を持った人間を抱え込む懐の深さや、
住んでいる人の暮らしが家の外にほんの少しだけはみ出しているような独特の感覚があります。
―――――――――――――――――――――――――
【独り言】
今も下町には残っているのかと思うが、

高度成長に入口、39年東京オリンピックの頃
遊ぶ時、子供・小学生・中学生が思い思いに交じり合って
みんな貧乏だから、他所の家を羨ましがったりすることもなく
少し裕福な家(自営業、お店)にテレビを見に集まったり、
飲み物、お菓子を貰ったり、

出来ることをしていたように思う。

―――――――――――――――――――――――――――

【普通に生きて、生活している】2012/8/27
・名が知られていることに何の意味があるのでしょうか。
・市井の黙々と真面目に働いている人間が一番偉い。

たとえば工場の人々の職人技は、
別に有名になりたいとおもってやっているのではない。
人の役に立つ技術を自分の能力の限り追い求めているだけ。
それが仕事をする人間の本来の姿である。

〔『キマジメ人生相談室』作家〔山口瞳〕…〕

・高度経済成長期を「一生懸命生きた」人々の身近な悩みに作家が親身に答える
週刊現代(2012/5/19号ブックレビュー)
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「宮本武蔵なんて、ちっとも偉くないよ、アイツは強かったんだから。
ほんとに『えらい』のは一生懸命生きている奴だよ」


高度経済成長期に、
「一生懸命生きている奴」の本人は真剣でも、他人には滑稽だ。
『人生相談』とは小説よりオモシロイ。

日本人たちの「悩み」はどこか哀れで懐かしい。
山口瞳はそれによく付き合っている。
こういう人生指南役が、いまはいないような気がする。

「市井の人として生きる」

市井の人として生きることと、
自己実現を達成して名誉や富を獲得した人間の幸福度の差異はなにほどにもないのかも知れない。

「普通の人として、平均的な庶民として」ではあるが、
人間は【煩悩】の固まりであると思うから、欲があるから「悩み」がある。

市井の人(しせいのひと): 街の中にいる普通の人という意味。

【平蔵の独り言】
「市井の人として生きる」
市井の黙々と真面目に働いている人間が一番偉い。
日々「悩みながら」ですね!
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by asanogawa-garou | 2013-10-10 16:00 | 市井の人が一番えらい | Comments(0)

京大生でも1勝29敗――受験エリートを襲う「就活の恐怖」【京大生であるにもかかわらず就職できない学生】   

2013年 10月 08日
京大生でも1勝29敗――受験エリートを襲う「就活の恐怖」

【京大生であるにもかかわらず、就職できない学生がいる――。】
プレジデントFamily 2013年11月号

小・中学生の親にとって、わが子の就職活動なんて「まだまだ先の話」だろう。
そんなことより、今日勉強をがんばってくれて、来月のテストでいい点を取ってくれて、優秀な学生が集まる大学に進んでくれたら、どれだけ素晴らしいことか。
でも、どんな子にだって「その先」がある。待ち受ける現実を覗いておこう。

【京大生であるにもかかわらず、就職できない学生がいる――。】
この情報が飛び込んできたときのプレジデントFamily編集部の反応は「まさか」と「やはり」が混在した複雑なものだった。

「企業がいくら人物本位の採用を標榜(ひょうぼう)しているとはいえ、それは多分に建前である。短期間に多くの学生の中から有能な人材を見いだすためには大学名による選抜がもっとも効率的である。よって京大生が就職戦線で敗れるなんてことはありえない!」

まさか派は強弁する。一方のやはり派はそれを揶揄(やゆ)する。
「いやあ、そうは言っても、いまビジネスの世界でいちばん求められるスキルはコミュニケーション力ですからね。高学歴でも周囲とうまくやれない人って、うちの会社にもいるじゃないですか。やっぱり企業としては、その手の人材は敬遠しますよ、いまどき」
聞いていた筆者の心中は、まさか3割、やはりが7割といったところだった。
京都大学は偏差値的なブランド名としては申し分ない。
しかしながら、どこか天才と奇人・変人をともに輩出する、学術重視の大学というイメージもある。
ヘンクツな研究者然とした学生ならば、就職戦線からはじき飛ばされるということもあるのかもしれない。
この学生に会えるというので、まさか派、やはり派混交の我々取材班は、待ち合わせ場所である大阪に急行した。

〔大企業ばかり10社――1次面接で全滅〕

〔秀才はなぜ対話力に乏しいのか〕
「いま、企業が求めているのは、
理系の専門的知識と文系のコミュニケーション力を兼ね備えた人材です。
専門知識は大学の偏差値や成績で勝負できますが、
コミュニケーション力は面接での“対話力”がポイントになります」
(1)プライドが高い
(2)いまどきの若者に共通する独特の「やさしさ」
(3)大人と会話した経験が少ない


〔高学歴に不利ないまの新卒採用条件〕
2000年代初頭、とある旧財閥系上場企業の社長が新卒社員の入社式の日に、こっそりこんなホンネを漏らしたのを聞いたことがある。
「本当のことを言うと、今日この式に参加している人材はすべていらない。本当に欲しいのは自分の力で起業して、独力で儲ける仕組みを作り、売り上げを作れるクラスの人材。でも、そんな人はそもそも組織の枠に入ってこないから、うちの面接は受けにこないんだよ……」

〔居酒屋バイト vs 家庭教師〕
学業とアルバイトに明け暮れる毎日であったため、成績はよかったが、
友人と遊んだり、異性と恋愛したりする時間は犠牲になった。

〔最後の決め手は何なのか?〕
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〔大企業ばかり10社――1次面接で全滅〕
大阪のとあるレンタル会議室に現れた山中健一郎君(仮名・23歳)は、短髪にクールビズといういでたちのさわやかな青年だった。フ
ケだらけの頭をバリバリとかきながら……という“金田一”的な人物をどこかで想像していた筆者にとっては、1つ目の“意外”だった。

「京都大学の工学部出身です。いまは修士課程で情報解析の研究をしています。スポーツですか? 高校時代には弓道をやっていて、大学に入ってからもずっと武道を続けていました」

文武両道、質実剛健。会話のスタートも申し分ない。またまた意外である。
「大学3年のおととし、就職活動をしたんですが、エントリーシートを10社送って、結果は1次面接で全滅です。で、自分なりに問題点を整理してみたんですが、失敗の原因は主に3つありまして、1つは化学、医学、インフラなどの大企業ばかりを狙ったこと、2つ目は面接の練習を怠っていたこと、3つ目は友達や先輩などからの企業情報の収集をしていなかったこと、です。
やはりどこかに『自分は京大生だから』というプライドと慢心があったと反省しています」

説明も理路整然としてわかりやすい。
あえて言えば、やや理屈っぽい印象があることと、丁寧すぎる注釈が会話のところどころにはさまれるきらいがあることが気になったが、これも理系出身者共通の傾向で、不採用の理由にはなりそうにない。
だが、山中君本人は「1次面接での敗退」という現実に大きな挫折感を覚えた。
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「1次面接は集団面接やグループディスカッションなのですが、“リーダーに必要な要素とは何か”とか“新規事業で店を出すことになったが、どんな業態なら成功するか”など、いろいろなお題が出されて、それに対する自分の考えを面接官に話したり、学生同士でディスカッションしたりするんです。
これが自分にはうまくできなかった……。
普段からそういうテーマについて考えていなかったということもありますし、自分の考えをきちんと説明できなかったという部分もありました」

山中君は学卒での就職を断念し、修士課程に進学。
就職活動へのリベンジを開始した。同時に自分の課題である「面接力」を磨くため、友人の紹介である就職セミナーに参加。
そこで知り合ったキャリア・コンサルタントが、株式会社ASキャリア取締役の浅田実果氏(写真左)だった。

〔秀才はなぜ対話力に乏しいのか〕
昨年11月、初めて会ったときの山中君の印象を、浅田氏は次のように振り返る。
「まず、最初のセミナーに遅刻してきたり、案内の係の人よりも先に会場に入ってきてしまったりと、基本的なビジネスマナーが身についていないなと感じました。
それから、就職や自分の将来に対していろいろな思いは持っているようでしたが、話の優先順位を決めて、その思いをきちんと相手に説明することができないようでしたね」

なるほど。しかし、若い学生のことである。しかも理系だ。
如才なさやうわべの会話術にやや問題があっても、京大卒というブランド力を覆すほどの致命傷になるとは思えないのだが……。

だが、「それはまったく違う」と、浅田氏は断言する。
「いま、企業が求めているのは、理系の専門的知識と文系のコミュニケーション力を兼ね備えた人材です。専門知識は大学の偏差値や成績で勝負できますが、コミュニケーション力は面接での“対話力”がポイントになります」

会話力ではなく、対話力?
「そう。会話力と対話力は違うんです。対話力とは相手と話の論点をずらさずに最後まで会話を続ける能力をいいます。そのためには相手が話している内容をきちんと理解する必要がありますし、自分が話したい内容の中から、何を話すべきか取捨選択をして、的確に相手に伝えなければなりません。山中君に限らず、いまどきの学生さんにはこの対話力に乏しい人が増えているんです」
その理由を浅田氏は次のように分析している。

(1)プライドが高い
誰かと話していて自分が知らない事柄が出てきたとき、
その場で質問して理解しないと対話は続かない。
だが、高学歴の若者ほどプライドが邪魔をして、
わからないことを質問できない傾向が強い。
知らないことをネットやスマホで簡単に調べられてしまう現代の環境も、若者の質問ベタを助長している。

(2)いまどきの若者に共通する独特の「やさしさ」
会話のノリやテンポを大事にするあまり、
会話の流れを止めてしまう質問や反論ができない。
仲間の話に同調するのがやさしさだと考えるので、
論点がずれてもノリだけで会話を続けていく。
子供のころからこうした会話ばかりを繰り返してきたため、
しっかりと対話する訓練ができていない。

(3)大人と会話した経験が少ない
いまどきの若者は総じて同じ年代の少数の仲間とだけコミュニケートする傾向が強く、
年代の異なる大人と会話する機会が少ない。
そのため、自分たちの内部だけで通用する言語習慣だけで会話しがち。
面接という大人を相手に目的を持って対話をするという場面を、事前にほとんど経験していない。

〔高学歴に不利ないまの新卒採用条件〕
そんな対話ベタの若者の中から、
理系の知識と文系のコミュニケーション力を兼ね備えたスーパーマンを見つけ出そうというのが、
今日の企業の採用姿勢なのだ、と浅田氏は言う。

「要するに、組織に依存する体質の人材ではなく、1人で考え、行動し、生きていくことのできる生命力や存在感を持った人材を欲しがっているんです。そこがクリアできなければ、たとえ一流大学卒のブランドがあっても、企業は採用しません」

生命力や存在感というのは、言い換えれば“人間力”である。
しかし、人間力というのは、社会に出て、さまざまな体験を経て、ようやくにじみ出てくるもの。中高年になっても人間力のかけらも感じさせない人物など、世の中に掃いて捨てるほどいるのに、面接にやってくる学生にそれを求めるというのは、あまりにも酷な注文なのでは?

「確かにかつての日本企業のように、一から人材を育てるという努力を放棄しているという見方をすれば、企業の怠慢かもしれません。しかし、それが現実なんです。
最初からそうした強さを持った学生だけを採用して、
少数精鋭で戦っていこうというのが、いまの多くの日本企業の考え方なんです」(浅田氏)

なるほど、どうやらこのあたりに、高学歴就職難民が生まれる秘密があるようだ。
1980年代半ば、ある一流総合商社の採用担当者はこんなことを語っていた。
「学生が無能なのは当たり前。だって学生なんだから。
ただ、伸びしろのあるやつ、気骨のあるやつのいる率は、やっぱり一流大学のほうが高いから、大学名でどっさり採用してから、徹底的に鍛えてふるいにかければいい。
一人一人の人となりなんて見ているヒマはないよ」

いまから考えるとずいぶん乱暴な話だが、
おおむねこれが、高度成長期から続く新卒採用の考え方だった。
だからこそ「一流大学 → 一流大企業」という図式が成立したわけだ。
なにやら様子が変わり始めたのは、やはりバブル崩壊から数年を経たころからだったか。

2000年代初頭、とある旧財閥系上場企業の社長が新卒社員の入社式の日に、こっそりこんなホンネを漏らしたのを聞いたことがある。

「本当のことを言うと、今日この式に参加している人材はすべていらない。
本当に欲しいのは自分の力で起業して、独力で儲ける仕組みを作り、売り上げを作れるクラスの人材。
でも、そんな人はそもそも組織の枠に入ってこないから、うちの面接は受けにこないんだよ……」

自立した人材を渇望しながらも、
大企業に依存したいというタイプの志願者の中から採用せざるを得ないという矛盾を、
このころから企業は抱えるようになった。

それでも新卒採用を続けていただけ、当時はいまよりはましだったのかもしれない。
浅田氏の指摘する通り、体験によって生まれる能力を、
体験の少ない若者に求めるという無理難題を押し付けながら、
もし、めがねにかなう人材がいなければ採用そのものを控えるという戦略を企業が採り始めているとすれば、いわゆる“高学歴エリート”には、きわめて不利な状況だといえよう。
なぜなら彼らはさまざまな体験をする時間を犠牲にして、受験勉強を勝ち抜いてきたわけだから。

〔居酒屋バイト vs 家庭教師〕
浅田氏がその卑近な例として挙げたのが、アルバイトである。
「二流、三流大学で居酒屋でアルバイトをしている学生などの場合、日常的に社会人と接し、彼らのホンネを耳にしたりする機会があります。
そうした中で『大人ってこういうものなんだな』という具体的なイメージを持てれば、面接でもある程度、大人と同じ目線で対等に話すことができます。
ところが一流大学の学生はというと、アルバイトはほとんど家庭教師か塾講師。
大人と接する機会はほとんどありません。
また、挫折体験も少ないので、受験勉強以外で何か困難を乗り越えたり、人との葛藤を経験したりしておらず、人間力を養う機会に乏しい。
結果、二流、三流大学の学生が思わぬ企業から内定を取ってくる一方で、山中君のように、一流大学出身でもなかなか内定が取れない学生が増えているんですね」

この「体験の不足」という観点から山中君のケースを見てみると、
なるほど浅田氏の指摘が正しいことがわかる。
山中君は4人兄弟の末っ子で、上は全員兄。父親が無口であることに加え、男ばかりの家族構成であったため、家庭内に対話らしい対話はなかった。
むしろ、3人の兄に対する反発で、受験勉強に打ち込み、京大に合格したという経緯がある。
大学進学後は学費以外はアルバイトで賄うという苦学生活。アルバイトはすべて家庭教師だった。
家賃と食費の節約のため、大学の寮で生活。
学業とアルバイトに明け暮れる毎日であったため、成績はよかったが、友人と遊んだり、異性と恋愛したりする時間は犠牲になった。

「確かに恋愛はしておけばよかったと思いますね。理系の環境には女子がほとんどいませんし、なかなか難しいことではありますけど、なんていうか就職活動と恋愛って似ている気がするんです。相手を研究したり、こちらをアピールしたり。ですからこれから就職活動をする後輩には『恋愛はしておけよ』とアドバイスしています。僕もこれからですけど(笑)」

〔最後の決め手は何なのか?〕
こうした経歴が、山中君の対話力や人間力の不足の一因となった可能性は十分にある。
「でも、一方で彼には受験勉強や武道に打ち込んだ結果身につけた粘り強さがありました。セミナーの費用を自分で支払い、京都から大阪まで通って、実に半年間・40回も、私とのマンツーマンの“対話練習”を続けたんです。歩みを決して止めないその根性は本当にすごいと思います」(浅田氏)
努力の結果、山中君の就活リベンジは「エントリーシート提出20社、最終面接まで進んだ企業4社、内定1社」というものだった。
「周囲の友人がどんどん内定を取っていくのに、自分だけが取れない状況が続き、不安でした。でも、志望する企業に入社できて本当によかった。正直、対話力はまだまだ勉強中です。今回の取材もその練習になると思ってお受けしたんですよ」
安堵(あんど)の笑みを浮かべる山中君。
恐らくは1度の就活の失敗と、それを乗り越えて1つ成長した今回の経験は、彼の人間力を鍛えるための貴重な体験となったのであろう。
恐らく、というか間違いなく、今日の新卒採用においても大学名は大きなウエートを占めている。
だが、かつてのように「ブランド一流大学出身者なら、ほぼ無条件で採用する」という“万能就職通行手形”では、もはやない。
大学名は企業が学生の眼前に無数に並べたハードルのうちの1つにすぎない。
しかもそれは、天賦の人間力を持った二流大学出身者にもかなわない、という程度にデフレ化している。
企業の怠慢に対する憤りと、努力が正当に報われない不遇への嘆きは、まったく正当なものだ。
しかし、それにとらわれて歩みを止めるのはナンセンスだ。
山中君がコミュニケーション力という迷宮を抜け出せたのも、歩みを止めなかったからだ。
幸い、我々の子供たちにはまだ時間がある。
「対話」と「体験」という2つのキーワードについて、親子でじっくり研究し、対処する時間が。


【平蔵の独り言】
京大生であるにもかかわらず、就職できない学生がいる――。
かつてのように「ブランド一流大学出身者なら、ほぼ無条件で採用する」という
“万能就職通行手形”では、もはやない。

大学名は企業が学生の眼前に無数に並べたハードルのうちの1つにすぎない。
しかもそれは、天賦の人間力を持った二流大学出身者にもかなわない、という程度にデフレ化している。

対話力、人間力、価値観の努力と違いを出さないと
(2)いまどきの若者に共通する独特の「やさしさ」
“やさしい”は何もならない・・・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2013-10-08 17:41 | 今 今日この頃 | Comments(0)

〔円谷幸吉〕円谷のメダルは、東京オリンピックでの日本陸上界唯一のメダルだった   

2013年 10月 05日
〔円谷幸吉〕円谷のメダルは、東京オリンピックでの日本陸上界唯一のメダルだった
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【マラソンで死闘を演じた3人の男たちは、それぞれ数奇な運命をたどった】
〔「疲れ切って走れません」東京五輪後自殺した円谷幸吉の人生〕
〈週刊朝日〉9月21日(土)11時36分配信

 2020年夏季五輪の開催地に東京が選ばれた。
56年前に開催された1964年の東京五輪のマラソンで命がけの戦いを演じたメダリストは何を思い、その後どんな人生を歩んだのか。

 マラソンで死闘を演じた3人の男たちは、それぞれ数奇な運命をたどった。

 アベベ・ビキラ(エチオピア)は、60年ローマ五輪で代名詞にもなった裸足ではなく、プーマのランニングシューズを履き、五輪連覇を達成した。

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〔ツブラヤ、すごく疲れていた〕

 霧雨が舞うロンドン郊外。
バジル・ヒートリーは穏やかな笑顔で迎えてくれた。
1964年、東京五輪のマラソン銀メダリストだ。今年で79歳になる。
 「トーキョー」の記憶は今も鮮明だ。湿度が高かった。

折り返し地点手前で先行する前回ローマ五輪の覇者アベベ・ビキラとすれ違った。
そして、7万人が詰めかけた国立競技場で日本人選手を抜いた……。

競技場までヒートリーの前を走っていたのは円谷幸吉。
当時24歳の陸上自衛官だった。

 「ツブラヤが僕に気づいていたのか、分からない。
ただ、彼はすごく疲れていた」とヒートリー。

ゴールの200メートルほど手前で勝手に体が動いた。
「本能が『行け』と言ったんだ」
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東京五輪のマラソンのゴール間近、国立競技場のトラックでヒートリー(左)に抜かれる円谷幸吉=1964年10月21日
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マラソンでは、円谷幸吉がベイジル・ヒートリー(イギリス)に国立競技場内に入ってから抜かれたものの見事銅メダルを獲得

 円谷幸吉はゴール直前で英国選手に抜かれたが、堂々の銅メダルを獲得した。
円谷と同学年の君原健二は半年前に同じコースで開かれた前哨戦で優勝。
アベベがレース6週間前に盲腸の手術をしていたこともあり、金メダル候補とも言われた。
だが、8位に沈んだ。

「調整はしっかりできたのですが、期待の大きさに耐えられず、当日は完全にアガってしまいました。ゴール後に選手控室に行くと、茫然とした様子でベッドに横たわる円谷さんがいました」(君原)

 日本にとって陸上唯一のメダル。円谷は喜びに浸ることもなく、すぐに「4年後のメキシコ五輪を目指す」と宣言した。

 一方の君原は、五輪の重圧で心身ともに疲弊していた。
所属先に退部届を出し、マラソンから遠ざかる。
だが、のちに結婚することになる女性との交際を機に意欲を取り戻し、66年2月にマラソンに復帰。メキシコ五輪を想定した高地トレーニングも始めた。

 しかし68年1月、盟友の訃報が届く。円谷が自ら命を絶ったのだ。
遺書には「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」とあった。27歳の若さだった。

「円谷さんは東京五輪の直後から、『国民の前でぶざまな姿をさらしてしまった』と自らを責めていました。
亡くなる半年前の大会でも、腰に故障を抱えながら『メキシコで日の丸を掲げる』と思いつめていました。
友人として『そこまで追い込まなくても』と声をかけるべきでした。
自分になら救えた命だったかもしれません」(君原)

 メキシコ五輪に出場した君原さんは、「円谷さんの分も」と意気込み、最終盤まで2位につけた。
ゴールとなる競技場の手前で、後続に迫られた。
後ろを振り返ってそれを確認すると、新たなパワーが沸き起こった。
2位を死守し、銀メダルに輝いた。

「なぜあのとき、普段はしない『振り返り』をしたのか、実はいまでもわかりません。きっと、天国からの円谷さんのメッセージだったと思います」

 このレースには五輪3連覇を目指したアベベも出場していたが、
故障もあり17キロ付近で棄権した。
その後は母国に戻り、英雄として恵まれた立場にいたが、
交通事故で半身不随となり、73年に41歳で亡くなった。

 君原は31歳で挑んだミュンヘン五輪で5位入賞を果たして、第一線を退いた。
72歳となったいまも、市民ランナーとして、フルマラソンに挑戦し続けている。
昨年の東京マラソンは3時間37分で完走した。

 円谷の故郷、福島県須賀川市で開かれる「円谷メモリアルマラソン大会」に、毎年参加している。
今年の10月に走るときは、「円谷さん、東京に五輪が戻ってきますよ」と墓前に報告するつもりだ。

※週刊朝日  2013年9月27日号

【平蔵の独り言】
陸上のお山の大将、大きな大会に出場すると・・・・・・
いくつか記憶に残っているが、円谷さんとは比較にはならないが
最終トラックをトップ“ワッー!”  横をスッと抜かれていた。
この悔しさが、その後練習に励んだ糧になった。

そんな走ることの真っ只中だったので、
国立競技場のトラックに入ってから、円谷をヒートリー にスッと抜いて

円谷さん 
東京オリンピックでの日本陸上界唯一のメダルだったんですよ!

2020年東京オリンピックを語りたい!
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by asanogawa-garou | 2013-10-05 16:16 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)