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「日本人が不幸になったのは…」山田洋次監督が語る“寅さん”と“東京五輪”   

2013年 12月 30日
「日本人が不幸になったのは…」山田洋次監督が語る“寅さん”と“東京五輪”

管理されていない状態にいる人間に対する憧れかな。
                       産経新聞 10月5日(土)12時44分配信

〔管理された社会、窮屈 → 自由〕
一つは、管理されていない状態にいる人間に対する憧れかな。
今の時代は、本当に日本人がどんどん厳しく管理され始めている。
映画館に行ったって、指定券見せて入って、
入ったら私語は交わさないでくださいとか、盗撮は犯罪ですとかいろいろとある。

そういう窮屈さを今、日本人は感じ始めているのではないか。
それは今のこの国の政治状況からいって、どんどん窮屈になるんじゃないかと思う。
そんな中で寅さんは自由で、なんの拘束も受けない。
それは発想が自由ということ。
考え方がだんだん管理されているということが一番怖いことです。
寅さんの発想は管理されていないから、極めて自由である。

〔 --なぜ寅さんは今でも愛されているのでしょう〕
一つは、管理されていない状態にいる人間に対する憧れかな。

〔 --「寅さんを作った理由は渥美清さんに会ったから」と言われていますね〕
渥美さんは自由な人だったんじゃないかな。
あの人はおそらく、どこにも所属したことがないんじゃないか。
拘束されるのは似合わないし、誰にも縛られない。

【--「男はつらいよ」で描かれた昭和という時代について聞かせてください】
〔 --戦後は〕オリンピックまで。東京五輪以後は
〔 --番組では「オリンピックが日本をめちゃくちゃにした」と言われてましたね〕

【 --7年後にまた東京で五輪が開かれます】
 --東京五輪に反対だったのですか
 --来年公開される「小さなおうち」は、何をテーマに描きたかったのですか
 --監督が理想とする日本人の家庭の姿が、戦前にあったと


【 --大事な文化を失ってしまったということですが、映画で描きたいのはそういう部分ですか】
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山田洋次監督(栗橋隆悦撮影)(写真:産経新聞)

 日本映画界の巨匠、山田洋次監督(82)が、
「男はつらいよ」全48作を順次放送するBSジャパンの新番組「土曜は寅さん!」
(土曜午後6時54分)が10月12日から始まるのを前に、産経新聞のインタビューに応じた。

山田監督は「男はつらいよ」の主人公、寅さんが最近、
若者を中心に人気を集めるようになった事情や、
56年の時を隔てて行われる2度の東京五輪についての考えなどを語った。

〔 --なぜ寅さんは今でも愛されているのでしょう〕
一つは、管理されていない状態にいる人間に対する憧れかな。
 「今でもというか、ずっと人気があったんじゃなくて、近年また人気がありますね。
どうしてなのかな。

 一つは東日本大震災の後、あちこちで寅さんの上映会をずっとやってきて、
つらい時、悲しいことがたくさん起きたときって、
その人たちが求めるのは笑いなんだなって。
その笑いも、バラエティーのような笑いじゃなくて、寅さんの持っている笑い。
寅さんのような人間に会いたい、なぐさめられたい。
そういう役割を寅さんは持っているということを、
一昨年の震災後に感じたことはあります。

 それがきっかけになって、映画館でもちろん見たことのない若い人、
おじいさんが好きだったとか、父親がテレビの再放送を見て笑っているのを見て
『なんでうちの親父はあんなもの見て笑っているんだろう』
と言っているような若者が、寅さんを見てみたら面白かったって。
『寅さんって面白いな』という感じが、スクリーンから離れてフィードバックを始めている。
それを僕も面白いと思っている。

 じゃあ人気の理由は何なんだ、と。
一つは、管理されていない状態にいる人間に対する憧れかな。
今の時代は、本当に日本人がどんどん厳しく管理され始めている。
映画館に行ったって、指定券見せて入って、
入ったら私語は交わさないでくださいとか、
盗撮は犯罪ですとかいろいろとある。
そういう窮屈さを今、日本人は感じ始めているのではないか。
それは今のこの国の政治状況からいって、
どんどん窮屈になるんじゃないかと思う。
そんな中で寅さんは自由で、なんの拘束も受けない。
それは発想が自由ということ。

考え方がだんだん管理されているということが一番怖いことです。
寅さんの発想は管理されていないから、極めて自由である。
そんなことへの憧れが今、改めて若者たちに、寅さんを通して感じられる気がする」

〔 --BSジャパンの番組(10月8、15日午後9時から放送の「昭和は輝いていた」)では、「寅さんを作った理由は渥美清さんに会ったから」と言われていますね〕

 「(寅さんのキャラクターは)2人で作ったんだよ。
渥美清という人間から触発されて、
この寅さんというキャラクターはますます膨らんでいった。
渥美さんは自由な人だったんじゃないかな。
あの人はおそらく、どこにも所属したことがないんじゃないか。
拘束されるのは似合わないし、誰にも縛られない。考え方も縛られない」
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【--「男はつらいよ」で描かれた昭和という時代について聞かせてください】

 「昭和といったって、3種類ある。まず戦前。戦中はない。これは消えてしまいたい時代。
全く最低な時代。戦中は昭和に入らない」


〔 --戦後は〕
オリンピックまで。東京五輪以後は
 「復興の時代。(昭和39年の)オリンピックまで。
このころ、もう一回自分たちの生活を回復しようと思って、日本人は一生懸命頑張った。
それまで日本人が築いてきた生活をもう一度取り戻そうと。
昭和20年代から30年代にかけて、あの時代が僕は本当に懐かしい。
みんな元気で、子供がいっぱいいて。
あのころの写真は本当に子供がいっぱい写っているよね。
小さいお店がたくさんある。乾物屋さんとか、小間物屋さん、魚屋さん、八百屋さん。
あの時代は日本人は元気だったんじゃないかな。労働組合も元気だったし、学生運動も盛んだったし。そういう活気にあふれていた」
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〔 --では東京五輪以後は…〕
 「高度成長になって、競争社会になっていく。
学歴社会になり、管理社会への道が始まっていくんじゃないかなあ。
風景もどんどん味気なくなってきたし」

〔 --番組では「オリンピックが日本をめちゃくちゃにした」と言われてましたね〕
 「めちゃくちゃにしましたよ。
この国がどういう国であるべきかというイメージがあのとき作られなかったことに問題がある。
だから、モータリゼーションもあるし、日本中に高速道路を走らせ、何千億も金をかけて道をつくり、車に乗って日本中が移動しだす。
どんどん線路が消えていく。
そのことで幸せになったのか、ということがある」

【 --7年後にまた東京で五輪が開かれます】
 --東京五輪に反対だったのですか
 --来年公開される「小さなおうち」は、何をテーマに描きたかったのですか
 --監督が理想とする日本人の家庭の姿が、戦前にあったと


 「期待していない。
オリンピックが終わった後がどんなに悲惨かというのは、ロンドンであり北京であり見えているんじゃないかな。
施設のあとが荒涼としてしまう。東京もああなるかと思うとぞっとする。
今大切なのは、オリンピックじゃなくて、福島じゃないですかね。
この国は安全だって宣言しちゃったけど、本当にそうなのか。
絶対そうじゃないと僕は思うな。
だって毎日汚染水が見つかって海に流れ込んでいるんでしょ。
何の見通しもなくて、どうして100%安全だって言えるのだろうか」

〔 --東京五輪に反対だったのですか〕
 「オリンピックがいいとはあんまり言わないね。
だってあれは日本人が言い出したことじゃないでしょ。
政治主導で言い出したことでしょ」

〔 --来年公開される「小さなおうち」は、何をテーマに描きたかったのですか〕 「戦前の昭和です。東京の郊外のサラリーマンの家庭で、そこにはある穏やかな生活があった。
それは戦後の昭和とはだいぶ違う。
物語の中身は、人妻が若い青年に恋をする危ない話。
そういうことを含めて、戦前の昭和のサラリーマンの家庭の穏やかな暮らし方を思い返したい、見つめてみたいということ。これは僕の少年時代の思い出でもあるわけだ」

〔 --監督が理想とする日本人の家庭の姿が、戦前にあったと〕
 「理想というと大げさだけれど、一つの形があった。
つつましく暮らすということ。
オリンピック以降は、うんとぜいたくな暮らしをしようとか、海外旅行だとか、豪華マンションとか、欲望が果てしなくなり、日本人が欲望の充足に貪欲になっていった。
それが僕はとても不幸だと思う」

〔 --「男はつらいよ」のDVDマガジンで、監督は寅さんの子供時代について小説を書いています。あれを映画化するという話は?〕

 「そういう夢もありますけどね」

〔 --今の時代に、新しい寅さんを見てみたい〕

 「(寅さんの子供時代は)昭和10年代だからね。
今の若者は、東京というか、日本の暮らしのなかで、
お店屋さんを知らなくなっているんじゃないかね。
日本の子供たちはかつてお店屋さんに育てられた。
お豆腐屋さんにお豆腐買いに行ったり、
八百屋さんにネギ買いに行って、
豆腐屋のおじさんや八百屋のおばさんにしかられたり、
『お父ちゃん元気か』って言われたり。

 今は不便になって、
この前、鉛筆買いに行ったら、近くに文房具屋がありゃしない。
コンビニ行きゃあるんだけど、
もうちょっと面倒くさいものだとコンビニに売ってないでしょ。
文房具屋がなくなる、
本屋がなくなる、
金物屋でちょっとした針金、トンカチ、くぎとかを買うために、
なんとかセンターまで行かなきゃいけない。
ネット(通販)になったり。
昔はそれをお店に買いに行った。

お店がなくなってしまったということは、日本人は大事な文化を失ってしまった。
オリンピック以後だな。
国の発展、人々の暮らしの形が変わった。
(「東京物語」などの監督)小津安二郎は、ぜんぶ戦後の昭和20~30年代でしょ。
かつての日本人の暮らし方を表現しているね。
今度は、お祭り騒ぎはこの国には似合わないと思うな。静かに暮らしたいと思う」

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【 --大事な文化を失ってしまったということですが、映画で描きたいのはそういう部分ですか】

 「そんな風に大げさに考えているわけじゃないよ。
そういう思いをいつも抱いているわけで、それぞれの映画にはそれぞれのテーマがある。小津安二郎の映画が世界で大変な評価を受けているのは、それじゃないかな。
日本人の暮らしに驚くっていうか。
日本人の暮らしにあるさまざまな礼儀作法とか、たたずまいとかしぐさとか。
それを外国の人は驚くんじゃないのかな」

〔 --今年1月に公開された「東京家族」では、そういう部分にこだわった〕

 「そうですね。暮らしというか、ちゃんと見るということをしようと思った。
だから、日本人の文化っていうか、日本人を簡単に表現するにはどうすればいいかは、これから先、戸惑うことになる気がする。
オリンピックの話を聞いたとき、最初に思ったのがそれよ。
オリンピックの開会式なんて何をやるのだろう。
最も日本人を表現するものとは。阿波踊りとかになっちゃうのかね」

〔 --監督は開会式の芸術監督になる気は?〕

 「全くその気はない(笑)生きてないよ、そのときは」

〔 --監督にとって映画とは何でしょう〕

 「あまりそういうことを考えたことはない。
君にとって新聞記者とは何か。
僕の仕事よ、商売よ。
僕は映画を作ってそれで生計を立てている。
新聞社の試験を通っていれば新聞記者になっていた。そういうものですよ」
(聞き手 本間英士)
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万博  太陽の塔

【平蔵の独り言】
〔管理された社会、窮屈 → 自由〕
オリンピックまでは、1円5円を握り締めて
お金がなくても1日を楽しく暮らしていた。
こずかいは“お駄賃・おつり”
朝の”豆腐”、きざみタバコ“ききょう”、”寶の焼酎“
テレビ、電話も他所の家に・・・・・・

団地が出来た頃から
みんなと同じ(こと)なら、安心。

昭和45年大阪万博  「見に行った」ということで
満足していた。
(どのパピリオンも並んでいて、何も見ていない、3日間)
記憶に残るのは“太陽の塔” 爆発だ!(岡本太郎)

管理された社会に気がつかないうちを歩み始めていた。

やはり、市井の人が・・・・・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2013-12-30 17:47 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

【野茂英雄】野茂英雄氏がドジャースタジアムで始球式   

2013年 12月 24日
野茂英雄氏がドジャースタジアムで始球式
【野茂氏トルネードで始球式「緊張」】
〔ドジャースタジアムから野茂英雄へ――ヒーローに贈られた熱い声援と喝采〕
〔野茂英雄、ドジャー・スタジアムで始球式を行う【MLB反応】〕
〔野茂氏がドジャース戦で始球式 黒田は「感謝しています」〕


メジャーリーグで日本人選手がプレーできるようになったのは、野茂さんが扉を開いてくれた
【近鉄・鈴木啓示監督とエース・野茂英雄の確執が生まれた瞬間】
【仰木彬氏「野茂に怒られるの怖かった」とトルネード投法黙認】
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【野茂氏トルネードで始球式「緊張」】
野茂英雄氏がドジャースタジアムで始球式
2013年08月11日 12:20 発信地:ロサンゼルス/米国 【写真】 【ブログ】
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始球式を行う野茂英雄氏
MLBは10日、各地で試合が行われ、ロサンゼルス・ドジャース(Los Angeles Dodgers)は本拠地ドジャー・スタジアム(Dodger Stadium)でタンパベイ・レイズ(Tampa Bay Rays)と対戦し、
試合前には元ドジャースの野茂英雄(Hideo Nomo)氏が始球式を行った。

始球式を行う野茂英雄氏(2013年8月10日撮影)。(c)AFP/Getty Images/Harry How
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ドジャース対レイズ戦を前にトルネード投法で始球式をする野茂氏(撮影・菅敏)

 1995年からドジャースに在籍した野茂英雄氏(44)が10日(日本時間11日)、
かつて数々の好投を披露したドジャースタジアムで始球式を行った。
この日は先着5万人に同氏の首振り人形が配布された。
 野茂氏がドジャースタジアムを訪れるのは5年ぶりのこと。
功績を称える映像がスクリーンに映し出された後、大歓声を浴びながら登場。
背番号「16」のユニホームを着てマウンドの手前に立つと、一世を風靡(ふうび)したトルネード投法で、捕手役を務めた元チームメイトのエリック・キャロスが持つミットに速球を投げ込んだ。
ボールはやや高めに浮き、ストライクとはいかなかったが、
球場に集まったファンからスタンディングオベーションを受けた。

 野茂氏は「今日は少し緊張しています。(どうしてかは)分からないです(笑い)。今振り返ってみても、球団のオマリーさん(当時オーナー)、ラソーダさん(当時監督)、球団のスタッフの助けがないと、多分僕は成績残せなかった気がします。こういう日を作ってもらえたのも、スタッフの人たちが、自分がやりやすいように、自分がパフォーマンスしやすいように、環境を作ってくれたおかげなので本当に感謝しています」と感慨深そうに話した。
 [2013年8月11日7時40分]

〔ドジャースタジアムから野茂英雄へ――ヒーローに贈られた熱い声援と喝采〕
SportsNavi 2013年8月12日 12:45
「NOMO!」
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ドジャースタジアムで始球式を行った野茂英雄氏。その表情には穏やかな笑みが浮かんでいた【写真:AP/アフロ】

 日本人ファンの姿が目立つと思っていた。
 だが、実際にはそうではなかった。

 8月10日(現地時間)、日本の野球選手にメジャーへの扉を開いた野茂英雄氏が、
ドジャースタジアムで始球式を行った。
先着5万人には同氏の首振り人形もプレゼントされた。
 その記念すべき日に、多くの日本人ファンが足を運ぶと思った。
野茂氏が登板するたびにスタンドのあちらこちらで日本人の姿が見られたように――。

 だが実際には、多くの地元ファンがドジャースタジアムに詰め掛け、野茂氏に熱い声援を送った。
 野茂氏がグラウンドに出てくるとスタンドから「NOMO!」という声と拍手が大きく響き渡った。
球場のスクリーンに活躍をたたえる映像が流れた後、
場内アナウンスで紹介された野茂氏は、腕を高々と挙げてファンに応えた。
ドジャースタジアムでの野茂氏のテーマソング「上を向いて歩こう」が流れる中、マウンドへ。
トレードマークだった“トルネード投法”でボールを投げ込むと、
立ち上がったファンは一層大きな歓声を挙げた。

 そこにいたのは、“日本人が誇る野茂”だけではなかった。
ロサンゼルスで生まれたメジャーリーガー。
つまり“ロサンゼルスが誇る野茂”がいたのだ。
ドジャースタジアムを埋め尽くしたファンは、チーム史に残るかつてのヒーローに惜しみない拍手喝采を浴びせた。
マウンドを降りて5年 “The tornado”再び
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ラソーダ元監督(左)、チームメートで主砲だったキャロス(右)と談笑する野茂【写真:AP/アフロ】
 1995年に近鉄から米大リーグのドジャースに入団した。
1年目から13勝を挙げて同シーズンの新人王を得ると、
翌年とレッドソックスに所属していた01年にノーヒット・ノーランを達成。
ア・ナ両リーグで同快挙を成し遂げた、メジャー史上4人目の投手となった。

ルーキー時と2001年には各リーグの最多奪三振も記録した。
 大きく振りかぶってから背中を打者に向ける独自の投法は“The tornado(竜巻)”と呼ばれ、そこからバシバシ三振を奪う勇敢な姿が人気を呼び、米国で“野茂旋風”が巻き起こった。

 劇的なデビューから18年が経った。
 始球式を前に記者会見場に現れた野茂氏は「グラウンド(現役時)の方が緊張しなくて良かった。今日は少し緊張しています」と話した。
現役時は数々の大舞台に立ってきた大物投手。
それほどの選手の「緊張」という言葉に「なぜか?」という質問が向けられると「分からないです」と苦笑いを浮かべた。

 少年野球の日本選抜チームを連れて毎年夏にロサンゼルスを訪れる野茂氏だが、ドジャースタジアムは5年ぶりだという。
自分が連れてきた少年たちにはドジャースの練習を間近で見られる機会を与える。
しかし、自らが少年と一緒にグラウンドに現れることはない。

 それだけに今回の始球式の要請を受けた時は「どうしようかと思った」と言う。
しかし「こういうことができるのも最初にスタッフの人たちが、自分がパフォーマンスをやりやすいように環境を作ってくれたおかげ」。

当時のオーナー、ピーター・オマリー氏やトミー・ラソーダ元監督らへの感謝の気持ちから受け入れることにした。

 野茂氏がメジャーに足を踏み入れてから、数々の名選手が海を渡り、
ヤンキースのイチロー選手や黒田博樹投手、レンジャーズのダルビッシュ有投手ら米大リーグの歴史に名選手として名を刻むレベルの選手も出てきた。
 それに伴い、自らの記録が塗り替えられる時代もやってきた。

しかし野茂氏は
「僕の成績はそんな大したことないですし、ダルビッシュだと僕よりも全然レベルの高いピッチングをしている。野球は実力社会ですしそれはしょうがないです」。
そう言った後、「しょうがないというより、楽しみに見ています」と言い直した。

 自らがメジャーのマウンドから降りて5年が経った。
久しぶりに16番のユニホームに腕を通した感想を聞かれ、
しばらく間を置いた後にポツリと言った。
「もう一度選手としてやりたい感じがします」

サイ・ヤング賞投手が語る ある日の光景
 野茂氏の始球式を終えて、ドジャースタジアムのマウンドに立ったのはザック・グリンキー。
レイズ相手に6回3分の1を6安打無失点の好投でドジャースに勝利をもたらし、自らも今季10勝目(3敗)をマークした。
 そのグリンキーは野茂氏のメジャーキャリア最後となる2008年に、ロイヤルズでわずかな期間をともに過ごした。

 2009年のサイ・ヤング賞投手(ア・リーグ)はその時の思い出をこう語る。

「彼は40歳近い年齢だったのに、2時間にわたる打撃練習でもずっと球拾いをしていた。球拾いをやめて中に入ってはどうかと声を掛けても他の選手と一緒にずっと球拾いをしていた。彼がキャリアでどれだけのことを成し遂げてきたかは誰もが知っていたけれど、彼は決してそれを鼻にかけるようなことはしなかった。ああいう一面を僕も見習いたいと思った」

 多くの日本人選手が野茂氏を追い掛けてきた。
 しかし、同氏がメジャーに所属した12年の間に、日本人選手だけでなく多くのメジャーリーガーが、彼の背中を見て育ってきた。
 だから、「NOMO」は日本人ファンだけの思い出の選手ではないのだ。

 野茂英雄は、日本の野球だけでなくメジャーリーグという世界に大きなインパクトを与えた。
 それゆえに、日本人ファンだけではない多くの人々が、ドジャースタジアムに集まった。そう、彼の功績を称えるために。

<了>

〔2013.08.11 野茂英雄、ドジャー・スタジアムで始球式を行う【MLB反応】〕
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野茂英雄、ドジャー・スタジアムで始球式を行う
1995年からドジャースに在籍した野茂英雄氏(44)が10日(日本時間11日)、
かつて数々の好投を披露したドジャースタジアムで始球式を行った。
この日は先着5万人に同氏の首振り人形が配布された。

野茂氏がドジャースタジアムを訪れるのは5年ぶりのこと。
功績を称える映像がスクリーンに映し出された後、大歓声を浴びながら登場。
背番号「16」のユニホームを着てマウンドの手前に立つと、
一世を風靡(ふうび)したトルネード投法で、捕手役を務めた元チームメイトのエリック・キャロスが持つミットに速球を投げ込んだ。
ボールはやや高めに浮き、ストライクとはいかなかったが、球場に集まったファンからスタンディングオベーションを受けた。

野茂氏は「今日は少し緊張しています。(どうしてかは)分からないです(笑い)。今振り返ってみても、球団のオマリーさん(当時オーナー)、ラソーダさん(当時監督)、球団のスタッフの助けがないと、多分僕は成績残せなかった気がします。こういう日を作ってもらえたのも、スタッフの人たちが、自分がやりやすいように、自分がパフォーマンスしやすいように、環境を作ってくれたおかげなので本当に感謝しています」と感慨深そうに話した。

〔野茂氏がドジャース戦で始球式 黒田は「感謝しています」〕
MLB.jp(GyaO!) 8月11日(日)12時9分配信
メジャーリーグで日本人選手がプレーできるようになったのは、野茂さんが扉を開いてくれた
 1995年からロサンゼルス・ドジャースでプレーし、新人王を獲得するなど活躍した野茂英雄氏が現地10日、ドジャースタジアムで行われた古巣ドジャース対タンパベイ・レイズの試合前に始球式を務めた。

 野茂氏は、日本人選手だけでなくアジア圏の選手にもメジャーリーグへの道を切り開いたパイオニアとなった。
この日は、ドジャースでメジャーのキャリアをスタートさせた黒田博樹投手(現ヤンキース)もビデオ出演。
「メジャーリーグで日本人選手がプレーできるようになったのは、野茂さんが扉を開いてくれたからだと思っています。それを可能にしてくれて感謝しています」とメッセージを贈った。

 野茂氏はトレードマークのトルネード投法で、捕手を務めた元チームメイトのエリック・キャロス氏に向かって投球を行った。
その後の会見では「普段は緊張しないが、今日は緊張した」と述べていた。

【近鉄・鈴木啓示監督とエース・野茂英雄の確執が生まれた瞬間】
 1994年のシーズン開幕前、「今年は野茂と心中する」と公言した近鉄・鈴木啓示監督は、開幕投手に野茂英雄を指名。
4月9日の西武球場での開幕戦で、野茂は8回まで西武打線をノーヒットに抑えた。
 9回に近鉄が3点を先制。
しかしその裏、先頭の清原和博が初安打を放つと、四球と失策で1死満塁。
前年、18打数7安打と野茂と相性の良い伊東勤を打席に迎えると、鈴木監督はなんと野茂を諦め、赤堀元之をマウンドへ送った。
 しかし伊東に逆転サヨナラ満塁弾を浴び敗北。
開幕戦で早くも「心中」してもらえなかった野茂と、鈴木の確執はここから始まったとされる。
 野茂はこのシーズンが終わると近鉄を退団し、翌年2月にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。
5月にはメジャーへ昇格、31年ぶり2人目の日本人メジャーリーガーとして活躍した。
※週刊ポスト2013年10月11日号

【仰木彬氏「野茂に怒られるの怖かった」とトルネード投法黙認】
※週刊ポスト2012年3月23日号
仰木:野茂に怒られるのが怖いから変えんかっただけや。
アイツに殴られてみい。どないなる? 吹っ飛ぶぜオレ!(笑い)
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 プロ野球開幕まであとわずか! 
BS・CS放送「J SPORTS」が、毎年11月~翌年2月のオフシーズンに放送する『ガンバレ日本プロ野球!?』は、普段は見られないような選手の素顔、そして本音を聞けるとあって、プロ野球ファンの間でも人気が高い。

 2004年には、新球団・オリックス・バファローズの監督に就任した仰木彬氏が番組に登場(2004年11月6日OA)。
“仰木マジック”で知られた名将が明かした選手の操縦術(?)とは……。
メインMCの金村義明氏(元近鉄、中日、西武)と大塚光二氏(元西武)と、
仰木氏の会話を振り返ろう。

大塚:鈴木一郎(の登録名)をイチローにしたり、佐藤和弘をパンチ佐藤にしたり。
発想はどこから出るんですか?

仰木:酒飲んどったら出るねん。飲まんと出ない、それは間違いない(笑い)。
というのは、広報部長とか、記者の連中とかが、
酒席で色んな話をしとるうちにアイデアを出してくれる。

金村:仰木さんは勝つだけじゃない。
例えば野茂が入ってきたときには天王寺の駅前で、明日野茂が投げます~っていったりな。
大塚:野茂が入った時、このフォームは絶対変えなくちゃいけないっていわれた(が変えなかった)。
仰木:野茂に怒られるのが怖いから変えんかっただけや。
アイツに殴られてみい。どないなる? 吹っ飛ぶぜオレ!(笑い)

金村:あと、イチローには何ていってましたっけ。
「オレが監督やってる間は(メジャーに)行くな」って?
仰木: アハハハ!
大塚:やっぱし!(笑い)
仰木:……ところでこれ(対談)はテレビの収録なの?
金村&大塚:仰木さん、もう(収録が)始まって2時間経ってますよ!(笑い)
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【平蔵の独り言】
近鉄バファローズファンになって、50余年
仰木さん、野茂英雄 に夢をもらっている。

【仰木彬氏「野茂に怒られるの怖かった」とトルネード投法黙認】
野茂は仰木さんに育てられた と思う。

11月凄いニュースが飛び込んできた
“米野球殿堂入り候補者にノミネート”
2014年1月に決定するらしいが
楽しみに待つ事にしよう。
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by asanogawa-garou | 2013-12-24 16:53 | 人間模様 | Comments(0)

〔宮崎 駿〕「世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ」   

2013年 12月 06日

〔宮崎 駿〕「世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ」


〔宮崎駿監督〕四六時中、「面倒くさい」「面倒くさい」と漏らし続ける。

「世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ。」
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8月26日NHK 22:00~22:48
プロフェッショナル 仕事の流儀「宮崎駿スペシャル 『風立ちぬ』1000日の記録」
映画監督・宮崎 駿

〔大事なものは、たいてい面倒くさい〕
宮崎のアニメーション作りは2年に及ぶ長丁場だ。
300人に及ぶスタッフを動かしながら、
1500に及ぶカットを1カット1カット仕上げ、
完成へとにじり寄っていくその行程を、宮崎は“レンガ積み”に例える。

全作業の根幹となるのは、宮崎の書き下ろす“絵コンテ”。

キャラクターの動きやセリフ、
背景などを精緻に書き込んだ、
いわばアニメーションの設計図だ。

この絵コンテをもとにアニメーターがキャラクターなどの動きをつけ、
美術が物語の舞台を描き、世界観を作り上げていく。

さらに、キャラクターなどの色を決める色彩設計や撮影といった業界屈指のスタッフが宮崎アニメを支える。

そんな彼らを2年間、最前線で指揮し続ける宮崎が日夜漏らす言葉がある。

それは、
「面倒くさい」。

アニメーション制作は、実写と異なり、
すべてを“無”から生み出さなければならないため、
風に揺れる草の1本1本まで描かなければならない。

しかも少しでも手を抜こうものなら、
それがスクリーンであらわになり、作品の品位をおとしめる。

宮崎は、アニメーターが描いた絵を手直ししながら、
四六時中、「面倒くさい」「面倒くさい」と漏らし続ける。

だがその裏に、宮崎が70歳を越えてたどり着いた境地が上記の流儀だ。

「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ。
何が面倒くさいって究極に面倒くさいよね。
『面倒くさかったらやめれば?』『うるせえな』って、そういうことになる。
世の中の大事なことってたいてい面倒くさいんだよ。
面倒くさくないところで生きていると、面倒くさいのはうらやましいなと思うんです」。

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宮崎はかつて天才アニメーターとして鳴らした。アニメーターの描いた絵を見る目は常に厳しい。

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アニメーターの描いた主人公・堀越二郎の表情を、納得いくまで手直しする。
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〔堪(たふ)る限りの力を尽くして生きる〕

宮崎は机に向かっている際、激しく貧乏揺すりをしていることがままある。
聞けば、無意識ではなく、敢えてみずからにムチ打って急き立てるためにやっているのだという。
70歳を越えてなお、朝から晩まで机にへばりつき、鉛筆を握り続ける。
アニメーションはまさに体力勝負だ。
「風の谷のナウシカ」以来、「これが最後」と宮崎はたびたび口にし続けてきたが、新作「風立ちぬ」の現場はかつてないほど過酷なものとなった。

制作途中には、原因不明の体調不良にも悩まされた。

プロデューサーの鈴木敏夫はじめ、周囲からは休みを取るように勧められた。
それでも宮崎が現場から離れることはなかった。

「くたばっても絵コンテだけはできていたっていうふうにしないとみっともない」。

映画監督としての執念そのものだった。

そんな宮崎が映画作りを通じて、テーマとしていた言葉がある。

それは、

「堪(たふ)る限りの力を尽くして生きる」。

新作「風立ちぬ」は、日本が戦争へと突き進む中、
主人公・堀越二郎がみずからの仕事と妻との生活に全力を尽くして生きようとする姿を描くものだ。

その生きた姿を本当に描くためには、
みずからもまたこの面倒くさい日常を前に、
決して膝を折ることなく、
全力を尽くして生きなければならない、
と宮崎はみずからに課しているかのようだった。

映画に刻まれた、力を尽くして生きる二郎の姿は、宮崎そのものでもあったのだ。

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雫(しずく!)

11月18日NHK 22:00~22:48
プロフェッショナル 仕事の流儀「宮崎駿スペシャル 引退宣言  知られざる物語」
映画監督・宮崎 駿
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思い描いた以上のカットが完成し、会心の笑みを浮かべる宮崎。だが直後、席に戻って次なるカットに向かう。

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「自分たちに与えられた、自分たちの範囲で、自分たちの時代に堪(たふ)る限り力を尽くして生きるしかないんです」
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【平蔵の独り言】「面倒くさい」
宮崎駿監督の「面倒くさい」は
宮崎は、アニメーターが描いた絵を手直ししながら、四六時中、「面倒くさい」「面倒くさい」と漏らし続ける。
〔独り言〕
「世の中の大切な事は、めんどくさいもんなんだな…」
宮崎駿監督のこの言葉に“目から鱗”
でした。

後輩が「女は面倒くさい」
といった時、
「元々面倒くさいんだから、こっちを向いてもらうために努力しなくちゃ」
今でも言っている。
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「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ。
何が面倒くさいって究極に面倒くさいよね。
『面倒くさかったらやめれば?』『うるせえな』って、そういうことになる。
世の中の大事なことってたいてい面倒くさいんだよ。
面倒くさくないところで生きていると、面倒くさいのはうらやましいなと思うんです」。

〔独り言〕
宮崎駿の仕事をしながらの口癖が「面倒くさいな」であると知って、
大いに勇気づけられる。
【世の中の大事なことってたいてい面倒くさいんだよ。】

還暦は既に遠く、古希に向かっている今
「面倒くさい」ところで生きているに感謝なんですね・・・・・
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by asanogawa-garou | 2013-12-06 18:04 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)