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〔伊集院静〕「許せない」はもう、やめにしないか。「かつて、私もあの人は許せなかった」   

2014年 04月 29日
〔伊集院静〕「許せない」はもう、やめにしないか。「かつて、私もあの人は許せなかった」
週刊現代 2014/4/26号

〔哀しみの周辺に許す、許さないがあるんだろう〕
「生きるということは哀しいことであり、哀しみとともに歩くことである。
それが、大切な人たちを失ってなお生きてきた私の実感。
そして、その哀しみの周辺に、許す、許さないがあるんだろうね」


〔孤独が人を育てる。大人の男は群れてはいけない〕

〔誰か一人のために、丁寧に誠実に書く。それが文章の基本〕
サラリーマンなら懸命になれる時期はそう長くはない。
だから現役の人たちには、今やっておかないとだめだよ言いたいね。

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〔哀しみの周辺に許す、許さないがあるんだろう〕
3月刊行の最新刊『許す力 大人の流儀4』は、発売から1ヵ月で17万部のベストセラーとなった。

「つまりは、許す、許さないが多くの人にとってこれほどまでに普遍的かつ大きなだったということだろうね。
どうやら人間のなすあらゆる禍には、このことが関わっているらしい。
国と国にしてもそうだ。
日本と韓国はいま、お互いに許せないと言い合って、収拾がつかなくなっている」

「許す力」と言いつつも、伊集院は決して許し方のノウハウを説くわけではない。
何せ、冒頭の章の題からして「許さなくていい」なのである。
曰く <それもあなたの生き方だから>。


「母から『あなたの度量のちいささを直しなさい』と言われてね。
生きるとはこうした理不尽さの連続であり、傷つかない人生などない。
人は皆、許せないことを抱えて生きているんだとわかってからは、
せめて『許せない』と自分を責めるのはやめにしないか、と」

理不尽は他者からの仕打ちだけではない。
逃れられない運命の理不尽にも、人はときに遭遇する。
<妻を死に至らしめた運命を許せなかったのである。
運命に噴った己一人がのうのうと生きることが許せなかったのである>

「生きるということは哀しいことであり、哀しみとともに歩くことである。
それが、大切な人たちを失ってなお生きてきた私の実感。
そして、その哀しみの周辺に、許す、許さないがあるんだろうね」
生きるために運命を許し、自分を許した。
そして、創作に勤しむ現在がある。


〔孤独が人を育てる。大人の男は群れてはいけない〕
「そもそも文章を書くのは、気力、体力の勝負、
私に言わせれば、才能などというものはほんのわずかでいい。
じゃあなぜ書けるかというと、長い間書き続けて培った、
慣性の法則のようなものがあるからだろうな。

どんな仕事においても、できる人というのはこの法則をこしらえるまで相当踏ん張っている。
「こうやって生きるしかない」という覚悟ができているということだと思う」


ふと、「さすらった、と言ったけれども」と氏がつぶやく。
「今でも、酒を飲んだあと、人と歩いていると、何も変わっちゃいないなと思う。
とくに、二日酔いで目覚めた朝、床に脱ぎ捨てたスーツなぞをぼんやり眺めて座っていると、『このままじゃまずいぞ』と。やっぱり、一人の時間だけが、当人を改革させるんだろう。

大人の男は群れてはいけない」

〔誰か一人のために、丁寧に誠実に書く。それが文章の基本〕
小説や文章はいつもたった一人のために書いている。と伊集院。
「相手は見えないけれど、誰かのために丁寧に誠実に。それが文章の基本だね。
百万人のためには書かない。
結果、百万人のためになれば、おいしいお酒を飲めるということになるけれど(笑)」
丁寧に、誠実に。そして言い添えるならば、「懸命に」ということになるだろう。
だからこそ氏の文章は読む人の胸に沁み、心を動かす。

「陶芸家とか絵描きとか、一生をかけて取り組む長い仕事というのもあるけれど、

サラリーマンなら懸命になれる時期はそう長くはない。
だから現役の人たちには、今やっておかないとだめだよ言いたいね。


そして、懸命にやっているとしても『まだまだこの程度じゃ足りない』と思うことが大事。
自分よりももっとやっている人が、必ずどこかにいるはずだと」

許されざる運命を受け入れ、己の道を懸命に進む人々を、
伊集院は作品のなかでしばしば「愚者」と表現する。
最新小説『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』では、
作家人生に並走した亡き友人たちのことを、愛情を込めてこう称した。

「自分も含めて、私は『愚者たれ』と言いたい。
謙虚であるためにも、それくらいがいいんだと思う」


【家族の前では口にしないが、いつでも死ぬ覚悟はある。
目が覚めるたび『ああ、今日か』と】


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【「許せない」はいつも「生きる」の隣にある。】
生きるとは、理不尽で許せないことに出あうこと。
「許せない人や行為というのは、まるで、水や空気のようにそばにあるもの。
だったら、いっそ許さなくてもいいんじゃないか。
ただ、許しちゃおうかなっていうくらいの気持ちでいると、ラクになる。
もしかしたら許せるかもしれないと思えてきて、力がわいてくる。
それが“許す力”なんです」

身内にも、許せない人間がいる。人間が小さいって言われたっていい。
許せない気持ちを捨てたらオレじゃなくなる。
“許せない力”はバネにもなるんだよ。

若い時分、自分を許せないこともあった。
再会したら謝りたい人も何人かいる。
だからといって、年齢を重ねて丸くなったわけじゃない。
譲れない“軸”が、きわめてシンプルになったのだ。


「自分のためだけに生きたい、というですよ」

(サンデー毎日)


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【平蔵の独り言】

生きるということは哀しいことであり、哀しみとともに歩くことである。
〔誰か一人のために、丁寧に誠実に書く。それが文章の基本〕
「こうやって生きるしかない」


【独り言】
毎月の月命日、お墓詣り

2月の初め、大切な人との相次ぐ訃報、旅立ちの別れ

カテーテル治療で入院中(3回目)、ひたすら病棟を歩く。
入院中は朝早くから、喧騒で目覚めるが
退院の朝は 「えっ!」 そうか退院したのか

「こうやって生きるしかない」

生きているんですね。
今起こっていることが人生
死ぬ覚悟はできていない・・・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2014-04-29 15:14 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(1)

〔常識なんかに縛られない〕「老い」楽しめば人生はどんどん自由になる(曽野綾子×五木寛之)   

2014年 04月 21日
〔常識なんかに縛られない〕 「老い」楽しめば人生はどんどん自由になる
(曽野綾子×五木寛之) 週刊現代 2014/4/12・19号

急速に進む高齢化社会のなかで、老いてなお甘えずに自立して生きるために必要なこととは?
老化は嘆くことではない。
共に80代を迎えた二人の国民的作家が語り合った、楽しく老いるためのヒント


【老いは「道楽」なんですよね】
「体が老いていくのを楽しみつつ、どういうふうに生きていってやろうかなとね」

【甘やかさない】(「小働きをしなさい」)
僕は高齢の人の健康法について聞かれたら、一言だけ答えるようにしているんです。
「小働きをしなさい」と。

【国になんか頼らない】(もっと自分の頭で考えて、自立しないと。「それと自立は美しい」)
それとね、五木さん、どうして最近、みんなキレイごとばかり言うようになったのかしら。

【「大事なもの」しか見ない】
(自分が思うように楽しんで、自由に生きればいいんです。)

--------------------------------
【老いは「道楽」なんですよね】
「体が老いていくのを楽しみつつ、どういうふうに生きていってやろうかなとね」

(五木)曽野さんの最近の本を読んで驚きましたね。
老いの問題については、僕とほとんど考えが一緒なんですよ。
「あれ? これ僕が書いたんじゃないか」と思うくらい。
途中までは自分の考えと近いところなどに線を引きながら読んでいたけど、
もうこれは線だらけになると思って止めてしまった。
(曽野)私ね、老いることが別にイヤじゃないんです。
私にとって老いは「道楽」なんですよね。

(五木)まったく同感ですね。僕も凄く老いを面白がっている。
体が老いていくのを楽しみつつ、どういうふうに生きていってやろうかなとね。
老いというのは高齢者だけの問題じゃなくて、
いつか必ず来る死に向かって、若い頃から向き合うものだから。

老いの効用の一つは、自分と対話できるということ。
病気についてもそうです。
80歳以上になると、8つの病気を持っているといいますね。
僕も左脚の神経痛とか、いろんな持病がある。
でも、これは自然の老化ですから。

老いて体に不調が表れるのは当然のことですからね。
でも、普段の自分の心がけ次第で、少しでもいい方向へ伸ばすことができる。
自分の体は自分が一番良くわかりますから。

(曽野)老いてから気がついたんですけど。
農業というのは人生に似ている。
土地に合わないものをいくら植えても育たない。
子供にどれだけ勉強させても、才能がない分野だったら意味がないと同じです。
それと、葉っぱの種を蒔くと、苗の一部を間引きしないといけない。
元気な苗の命を摘むというのは残酷なことですが、そうしないと全滅してしまう。
また、さつまいもは土地が肥沃すぎるとうまく育たない。
そういうものが、人生を映しているんですね。

(五木)親鸞の有名な言葉にこんなのがありますね。
「海に川に網を引いて魚をとり、山に獣を狩り、それで動物を屠り生きている人間も、商人も、田を耕し農業するのも、みな同じなり」。
つまり業を背負っているという意味ではみんな一緒ということかな。

(曽野)農業は私の養生でもあるし、道楽、酔狂という言葉がもっと好きですね(笑)

【甘やかさない】(「小働きをしなさい」)
僕は高齢の人の健康法について聞かれたら、一言だけ答えるようにしているんです。
「小働きをしなさい」と。
(五木)養生というのも、努力じゃなくて趣味なんですよ。
ありとあらゆることを面白がってやっていかなきゃ。
例えば炬燵に入って座っている。
年をとると、立ち上がるときになかなか面倒でしょう?
(曽野)どっこらしょ、なんて言うんですね。(笑)。
(五木)だけど、どうすればスムーズに立ち上がれるかを工夫する。
コツがあるんですね。そういうこと探していれば、一日中楽しくてしかたがない。
僕は高齢の人の健康法について聞かれたら、一言だけ答えるようにしているんです。
「小働きをしなさい」と。
例えばテレビのリモコンを傍におかないだけでも、チャンネルを変える度に立ったり座ったりするから、運動になる。
お茶も自分で汲んで飲み終わったら自分で湯吞みを洗えばいい。
(曽野)私は64歳と74歳のときに足の骨を折って、入院生活をしたんですけど、そこで驚きましたよ。
あまりに依頼心が多い年寄りが多いことに。
「髪を洗う日」というのがあって、なんだろうと思ったら、素晴らしい洗髪台があってそこで看護師さんに洗ってもらうんです。
私なんて足は怪我してますけど、腕や手は健康ですから、車いすでサッと行って自分で洗ってくる。
どんなに贅沢な生活を入院前にされていたんでしょうかと思ってします。
(五木)老いたからといって、何でも面倒を見てもらう生活というのは、僕も苦手だな。
(曽野)私、老人の良くないところは、すぐ付き添いをつけるところだと思うんです。
駅前などで、60歳くらいの人に付き添いがついていると、見てられない。
(五木)まさにその通り。老人の世話もほどほどにしないと、自立心を失ってしまう。
何かというと手を添えようと言うのも、問題だな。
(曽野)いまの今の老人は甘やかさ過ぎています。
若い人からドンドン動物的な本能が失われている。それは老人も同じ。
国とか組織とか、他人に寄りかかって生きている人が増えている。いい国の証拠ですけどね。

【国になんか頼らない】(もっと自分の頭で考えて、自立しないと。「それと自立は美しい」)
それとね、五木さん、どうして最近、みんなキレイごとばかり言うようになったのかしら。

(曽野)私にも、古い世の中の常識なんか頼らないで生きるという考え方が根本にあります。
人間は日々変わるものですから。
(五木)それに、世の中の常識も急速に変わっていきますね。
いま日本は未曾有の超高齢化社会を迎えているのに、いままでの常識で生きていけるわけがない。
(曽野)もっと自分の頭で考えて、自立しないと。「それと自立は美しい」
それとね、五木さん、どうして最近、みんなキレイごとばかり言うようになったのかしら。
テレビでも何でも、見ているとキレイごとばっかり!人間みんなヒューマニストなわけではない。
利己主義者が9割以上なんです。

【「大事なもの」しか見ない】
(自分が思うように楽しんで、自由に生きればいいんです。)

(五木)感動するようなヒューマニスト、例えば宣教師の方や献身的に未開の地へ入って命をなくした看護師の方とか確かにおられる。しかし僕は、それもある意味で自分が好きで選んだ生き方なんだと思う。
(曽野)素晴らしいヒューマニストと言われる人は、「雷に打たれた」ように、その運命に導かれてしまうだといいます。
冷静に考えてそういう道を選ぶとか、そんな問題では無いんです。
そういう人は、通りの角に会っているんです。
私なんか会ったこともないですけれど(笑)
聖書には、完全な善人も、極悪人もいないと書いてあるんですね。
我々はみな「小さいもの」なんです。
だから素直にいまの自分を受け入れられるし、その言葉に救われていますね。
(五木)それは、親鸞の「我々はすべて悪人である」という。「悪人正機説」の考えと共通しますね。
(曽野)何より、自分の顔で考えることですよ。五木寛之さんがどう書こうと、曽野綾子がなんと言おうと、
「自分は自分だ」と思うことが大事です。
(五木)そうですね。決まりや組織を守れば大丈夫と思ったり、「こうしなさい」とか、そういう言葉を頼るんじゃなくて、自分が思うように楽しんで、自由に生きればいいんです。
それしかないでしょう。

【平蔵の独り言】
〔常識なんかに縛られない〕「老い」楽しめば人生はどんどん自由になる
【老いは「道楽」なんですよね】
「体が老いていくのを楽しみつつ、どういうふうに生きていってやろうかなとね」

〔独り言〕
「老い」は見えないうちに気がつくと これが「老い」?
不安を振り払うためにあがいているのか。
「小働きをしなさい」
小働きをしながら、80歳になったら【老いは「道楽」なんですよね】
と、言えるといい・・・・・・・・

95歳でベネチュア、これが最後と言っていた人が
97歳の今年、アメリカの旅、秋には個展を開くことで気力が蘇って、
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by asanogawa-garou | 2014-04-21 16:13 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

【堀文子】群れるな・慣れるな・頼るな 好奇心を生涯保つ術   

2014年 04月 09日
群れるな・慣れるな・頼るな 好奇心を生涯保つ術(日本画家 堀文子氏)
集まれ!ほっとエイジ 日本経済新聞2012/11/30 6:30

〔■身近なことに驚く毎日…いつの間にか94歳に〕
毎日、つんのめるようにして生きているうちに、いつの間にか94歳になりました。

〔■過去の自分の作品は追わない〕
 私は、さまざまな絵を描くので、まるで別の人が描いていると思われるかもしれませんが、
私にしてみれば、それぞれが、そのときの記録なんです。
同じ自分はいないんだということです。

〔■自分なりの縦軸と横軸をつくる〕
〔■慣れるとものが見えなくなる〕
慣れっこになりますと、同じものを見て驚かなくなるんです。
〔■自分だけの時間でき、5年間スケッチに没頭〕
〔■自分の能力以上のことをしてしまう恐れ〕
〔■自分を失わないよう、人を頼りすぎない〕
〔■90代、知りたいことが日に日に増えていく〕

【福島空港に壁画「ユートピア」 日本画家・堀文子さん原画】2014/02/17
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――――――――――――――――――――――――――――
 日本画家の堀文子さんは94歳になっても凛々(りり)しさを失わない。
体は次第に不自由になっているが、
大好きな自然の動植物や日本の文化に対する好奇心は失わず、絵を描き続けている。
いつまでも現役で活躍しつづける元気の秘密は何か。


〔■身近なことに驚く毎日…いつの間にか94歳に〕
集まれ!ほっとエイジ 日本経済新聞2012/11/30
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 ほり・ふみこ 1918年(大正7年)7月2日、東京・麹町に生まれる。
日本画家。女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範科日本画部卒業。
大磯にアトリエを構え自然のなかに身をおいて制作する。
70歳でイタリア・トスカーナに移住。
帰国後も未知なる世界を求め、77歳アマゾン、80歳ペルー、81歳ヒマラヤ山麓へと取材旅行を続ける。
2001年、83歳のとき大病に倒れるが奇跡的に回復。
最近は日本の伝統的な意匠に関心を深め、新たな作品を創作している。


――堀さんは今年7月に、94歳になられました。
堀 私は、年を意識して生きてきたことがないんです。
毎日、つんのめるようにして生きているうちに、いつの間にか94歳になりました。
 地球が太陽の周りを1回、回ると1つ年をとるわけですが、
そんなことよりも、地球が1年で太陽の周りを回ることをなんて速いんだろうと思います。
飛行機どころの速さじゃないですね。
たいへんな騒ぎで地球は回っているのに、
私たちはこんなところに、振り落とされないでいるんですね。
そんなことにばかり、驚いているうちに、こんなになってしまいました。

――2001年、83歳のときに大きな病気を経験されたそうですね。
堀 解離性動脈瘤と後で聞きました。
そのときは、一晩、悶絶(もんぜつ)する痛みの中にいました。
でも、自然に治癒したんです。
自然にゼリー状のものが傷口をふさいだとお医者様から言われました。
 それから少し、自分の身体に対して自信を失いまして、一人で山歩きなどはできなくなりました。
運動不足になって腰が痛くなり、90歳くらいのときに、その手術をしました。
歩くのが苦痛になってきました。

〔■過去の自分の作品は追わない〕

――いまも新しい作品はつくられているんですか。
堀 ものはつくっておりますが、みなさまが思われるような新しいものではありません。
私流の、いまのこの身体でできることはしております。
このごろはアフリカの仮面だとか、そういう原始の人たちの、まだ絵画とか芸術とか言わなかったころの人間の根源の時代の作品に心を打たれることが多いので、そういうものをまねしています。

――堀さんは自分には画風がない、とおっしゃられていますね。
堀 そのときに、逆上するほど興奮したものしか描きません。
いくらほめられても、過ぎ去った自分の作品を追わないようにしています。
 自分のコピーはだめです。
コピーすればするほど、人は喜びますが、自分にとってはよくないと思っています。
 私は、さまざまな絵を描くので、まるで別の人が描いていると思われるかもしれませんが、
私にしてみれば、それぞれが、そのときの記録なんです。
同じ自分はいないんだということです。

――堀さんは絵を描くためにすごく観察をなさるそうですね。
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堀 この世の中の不思議なもの、美しいものに感動しやすいので、
そういうものに対する驚きを記録したいというのが、どうも、私が絵を描いている原因じゃないかと思うんです。ですから、観察します。
植物でも、どこから枝が出ているのかなどを、しっかり見極めます。

――堀さんが顕微鏡を覗(のぞ)いている写真をみたことがあるのですが。
堀 大変な病気をして、へき地などに遠出することができなくなりましたので、動かないでも驚く世界を見つけようと思って、子供のとき以来中断していた微生物を見ることを再開しました。
それから、原始的な生物のすごさに、のめりこむようになりました。
ミジンコだとか、クラゲだとかに熱中し始めています。

〔■自分なりの縦軸と横軸をつくる〕
――絵描きになろうと決めたのはなぜなのですか。
堀 東京府立第五高女の2年のときに、私は自立したかったので、
何かの仕事で生きていこうと思いました。
男女差別のひどい時代でしたから、なりたかった科学者を目指そうとしても、大学に入れなかった時代です。
どんなに専門的なことをしようと思っても「女子」と名のつくところじゃないと入れなかったんです。
そんな時代に育ちましたが、美に関する分野のものはだれにも害を与えないで生きていけると思いました。
それで美の周辺で生きようと考えました。
 私は重大なことは親に相談したりしません。
人のいいなりになると、その後で、人のせいにしてしまうからです。
自分で分析し、私流に縦軸と横軸をつくって、小学校のときから学校でどういうことが好きだったか、そして、努力をしたかどうかという軸をつくったんです。
その結果、いく通りの分析をしても、絵が残りました。
私には努力したら、絵を描く能力があるかもしれないと気がついたのは、
そうやって自分を分析したからなんです。

――そういうお話をうかがうと堀さんは画家になるべくしてなったという気がしますね。
堀 人間がどうして絵を描くのだろうと、90を過ぎて考えますと、画家とか芸術家というのは、このごろのことであって、人間がこの世の不思議の原理を追究しようとしたときには、ルネサンスのころでもギリシャ時代でも、科学者と絵描き、建築家、哲学者、宗教家は同じだったんです。
 絵は結果です。
排せつ物みたいなものです。
なぜこの絵かといわれても、本人だって分からないんです。
文字も言葉も生まれないときから人は何かを刻んだり記録していたりしたのではないでしょうか。
踊ったり、走ったり、食べたりすることと同じじゃないでしょうか。

〔■慣れるとものが見えなくなる〕
――堀さんは1960年にご主人を亡くしてから、古代から世界の歴史をたどる海外旅行に出かけるなど、1カ所にとどまらない暮らしが始まりますね。
堀 それは私の生き方の一番大事なところです。
ものに慣れてくると、ものを見なくなってくるんです。
知ったかぶりになります。
なるべく驚いている状態、不安な状態でいるのが私にとっては薬なんです。
 1カ所で同じものをみつめていると感性が鈍ります。
しかし、小さいときに初めてものを見たときの驚きは90歳になっても残っています。
その感動に近づくためには、なるべくものに慣れないようにするのが大事で、
同じところに住まないと決めたわけです。
慣れっこになりますと、同じものを見て驚かなくなるんです。
例えば軽井沢(長野県軽井沢町)に行って、朝、浅間山を見たときの驚きはすごかったけれど、毎日見ていると当たり前になってしまう。
――69歳のときにはイタリアのトスカーナにアトリエを構えたそうですね。
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堀 アトリエを構えるところまではいっていなくて、人の家に間借りをしていました。
西洋の人々がどう暮らしているのかを克明にみることができました。

〔■自分だけの時間でき、5年間スケッチに没頭〕
――日本のバブルに嫌気がさして、イタリアに行かれたと聞いていますが。
堀 亡命しようと思ったんです。
でも、現地の言葉も話せなければ、よその国で食べてはいけないじゃないですか。
日本からお金をいただかなくては動けない。
亡命はできなかったので、3カ月ごとに日本に帰ってきて、5年くらい向こうの家庭で暮らしました。
 70歳近くになって、私だけの時間ができました。
イタリアの農村を歩き回って、田園の中に一日座り込んで、5年間スケッチをしました。
 ふだん日本では見慣れない生活ですから、何もかも描きたくなりました。
中世そのままの風景で、向こうからレオナルド・ダビンチが馬に乗ってやってきてもちっともおかしくないような田園がそのままあるんです。
イタリアの人たちは、苦難のなかでも自分たちの国土をめちゃくちゃにはしなかったんですね。

〔■自分の能力以上のことをしてしまう恐れ〕
――堀さんのモットーは「群れない」「慣れない」「頼らない」。
「慣れない」についてはうかがいましたが、「群れない」、「頼らない」ことは、なぜ大事なのですか。
堀 群れると人と一緒のことをし始めます。
自分流に生きることができなくなります。
群に迷惑をかけますから、できるだけ一人でいるようにしています。
 頼ると、その人にくっついて、肩車に乗り、自分の能力以上のことをしてしまいます。
そうすると自分を失います。
私は小さいときからあまり人を頼らない子でしたから、あまりかわいがられませんでした。
親だって、やはり頼る子、世話の焼ける子のほうが好きですよ。
「自分でする」なんて言うと、「嫌な子だねえ」となるわけです。

――堀さんはどんな家庭で育ったのですか。
堀 母が私に一番影響を与えたかもしれません。
母は、真田の藩の学者の家系だったようです。
信州の非常に理屈っぽい女でした。
父は歴史家でした。
「要するに」とか「すなわち」とかいった言葉を使うような家に育ちました。

――「群れない」「慣れない」「頼らない」というのは、
若いころはいいのですが、高齢になると、不安ではないですか。
堀 私は一人が好きだからそうしているのであって、それは仕方がないです。
 絵を描くということは自分のなかにあるものを表現しているんですから、
他人にあれこれ言われるとだめなんです。
だから師匠にもつかないし、弟子も持ちません。

〔■自分を失わないよう、人を頼りすぎない〕
――人と交流することはお嫌いではないようですね。
堀 人は大好きで、尊敬しているし、すばらしいと思うのですけれど、
その方にべったりしてしまうと自分を失います。
だから自分の巣穴にいるのが好きです。
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 一人孤独で死んでいく私の姿を考えると、ずいぶん、はた迷惑で、困ったものだと思います。
けれど、現在のように身体の自由があまりきかなくなってきたこの状態になっても、一人でやっています。
 ただ、昼間はいろいろな方に助けていただいています。
昼のご飯をこしらえるとか、買い物にいくとか、お洗濯とか……。
そういうことは全部やろうと思ってもできませんから、それはやっていただいてます。
でも、夜ぐらいは自分の姿でいたいと思います。

――90代の残り、そして100歳を超えて、どんなことをしたいと思っていますか。
堀 そんな恐ろしいこと、言わないでください。
長生きは大変なことです。
自分の能力が刻々と落ちて、物を忘れる。
自分がいま、考えていることさえ忘れるんです。
それほど衰えるんです。
これはこの歳になってみないと分かりません。
 私は50代くらいは死の恐怖が観念的にありました。
寝るのが怖いというのが2年くらい続きました。
今は死が私の中に8割入っているから、同居しているようなものです。
死と連れ合っている感じがちょっとあります。

――堀さんは「人として1ミリでも上昇して死にたいと思っています」とおっしゃっています。
堀 いまは1ミリも伸びられない自分が分かってきました。

〔■90代、知りたいことが日に日に増えていく〕
――90歳まで生きて、分かることなどはありますか。
堀 自分がいかにものを知らなかったかということが日に日に増えてくる。
ものを知りたいという気持ちが刻々と増えてきます。
本当のことをよく考えたことがあっただろうかと思い、知りたいことが増えてきます。
ふだん普通に生活をしていると、いろいろな欲望や周囲のことなど雑念が多いから、あまりものを究極に考える暇がないのですね。
――いまは大磯(神奈川県大磯町)に住まわれているんですね。
堀 私は原始的な人間ですから、森とか自然の中にいないと落ち着けないんです。
自然から離れるととても不安ですので、こういうコンクリートだらけの東京には住まないのです。
 母屋ではなくて別棟を建てて、いまは一間のところで、暮らしています。
別棟のアトリエに通って仕事をして、寝部屋に帰って、食べて、寝て――という暮らしをしています。
 お酒は好きです。
一日の憂鬱を晴らすのにお酒が一番いい友達です。
少しだけいただいています。
(ラジオNIKKEIプロデューサー 相川浩之)
[ラジオNIKKEI「集まれ!ほっとエイジ」9月13日、9月30日放送の番組を基に再構成]


【福島空港に壁画「ユートピア」 日本画家・堀文子さん原画】復興のシンボルに

 日本画家の堀文子さんが原画と制作監修を手掛けた陶板レリーフの壁画「ユートピア」が玉川村の福島空港ターミナルビルに設置され、16日、除幕式が行われた。
 大雪にもかかわらず、大勢の関係者が駆け付けた。
福島空港ビル社長の佐藤雄平知事が「この壁画が福島県に希望を与え、復興にとってのシンボルになる」と感謝の言葉を述べ、
堀さんは「幼少期に関東大震災を経験した。苦難を乗り越えた先には必ず発展がある」とエールを送った。
 佐藤知事が滝久雄日本交通文化協会理事長に感謝状、堀さんに花束を贈った。
宮田亮平東京芸術大学長、隈研吾東大教授、横山洋吉日本宝くじ協会理事長、滝理事長が祝辞を述べた。佐藤知事や堀さんらが除幕し、幅4・5メートル、高さ5・5メートルの巨大な作品が姿を現すと、会場が大きな拍手に包まれた。
 壁画制作は日本宝くじ協会の社会貢献広報事業の助成を受け、日本交通文化協会が取り組んだ。
( 2014/02/17 08:46 カテゴリー:主要 )

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陶板レリーフを前に記念撮影する堀さん(右から3人目)。左は佐藤知事

【平蔵の独り言】
――堀さんのモットーは「群れない」「慣れない」「頼らない」。
群れるな・慣れるな・頼るな
〔■慣れるとものが見えなくなる〕
〔■自分を失わないよう、人を頼りすぎない〕
〔■自分の能力以上のことをしてしまう恐れ〕
堀 群れると人と一緒のことをし始めます。
自分流に生きることができなくなります。

【独り言】
「群れない」・・・・・・やはり、一人は寂しい!
「慣れない」・・・・・・日常の中で、慣れていれば安心
「頼らない」・・・・・・頼りながら自立する、しかし日本は自立する社会の仕組みになっていないので
            自身で探さないと、声をあげないと自立の手助けをしてくれない?

やはり、人生は難しい
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by asanogawa-garou | 2014-04-09 17:15 | 人間模様 | Comments(0)