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「男60代。老いに抗うか、受け入れるのか」(抗うことは無様じゃない)   

2014年 08月 22日
「男60代。老いに抗うか、受け入れるのか」(抗うことは無様じゃない)
週刊現代 2014/6/28号 有名人の生き様に学ぶ

男60代、体力の衰えや周囲との意識の差に納得がいかないことが必ず出てくるだろう。
抗うにせよ、受け入れるにせよ、「老いとどう向き合うか」
によって男の真価が問われることになる。


〔男60代。老いに抗うか、受け入れるのか〕
人は誰しも、年を取ると偏屈になりがちなもの。
しかしできれば「かっこ良く」年を重ねたい。
周囲から疎まれず、自分自身も楽しい。
そんな60代には何が必要なのか。
有名人たちの人生から探った。

〔人生80年になったいま、男60歳は大きな分岐点だ〕
肉体的な衰えはあるが、精神的にはまだまだ老けこんではいない。
老いに抗うべきか、それとも徐々に受け入れるべきなのか。
それぞれの道を選んだ有名人たちの生き様から、その答えを探っていこう。

〔自己主張を抑えながらも存在感を示せる「受け入れる派」こそ理想の60代〕
「60を過ぎても『俺が俺が』では見苦しい。
むしろ経験を活かして、主役を立たせるのが、熟年の役割でしょう。
色で言えば補色。足し算ではなく引き算の演技です。
存在によって、周りに光を当ててあげる。
いい熟年俳優というのは、黙っていても人生哲学や年輪が出る。
それを分かっていることが、理想の60代だと、私は思います
(元ドラマプロデューサーの大山勝美氏)」

【沢田研二(65歳)】
「昔ジュリー、いまジジイです。年を取ったら、しっかり食べなくてはいけません。太ったっていいんです」

【(俳優)水谷豊(61歳)】
年齢や求められている役割に応じて、うまく『変化』してきた。

【(熟年の名優)三浦 友和(62歳)】苦難が『渋味』を生む

【中村雅俊(63歳)】年を経て主演から脇役へのスムーズに移行した

【役所広司(58歳)】年齢に合わせて演技の幅を広げていった「遅咲き」の俳優。


『抗うことは無様じゃない』
年齢に抗うことで魅力を増している著名人もいる。
彼らは永遠の少年であると同時に、若さを保ち続ける努力をし、それを苦とは思っていない。

【桑田佳祐(58歳)】
あと1年あまりで還暦を迎えるとは思えないほど、
楽曲制作や単独ライブなどエネルギッシュな活動を続ける彼は、
まさに「老いに抗う派」60代の代表的な人物だ。

【明石家さんま(58歳)】いつまでも若くあろうとする人。
〔さんまは自分がトップであり続けるために、老化に抗い続けてきた〕

【所ジョージ(59歳)】今を満喫するために努力することだけなんですよ。
「今を満喫するために、いくつになっても「自分が楽しむこと」を意識している」

【高田純次(67歳)】人生は思うようにならない、力まず飄々と生きてきた。

【竹中直人(58歳)】
人生についてこう語っている。
「ため息はどんどんついていいんじゃないかな。あ~あ、って。人生は常に矛盾との戦いですからね」

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【沢田研二(65歳)】昔ジュリー、いまジジイです。
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「昔ジュリー、いまジジイです。年を取ったら、しっかり食べなくてはいけません。太ったっていいんです」
(かってのスリムなクールな姿とは一変し、大きなお腹に髪もヒゲもボサボサ)と力強くステージ上で語る。

強がりではなく、本心から今の「太った自分」を受けているようだ。
そこには爽やかさが漂う。
自身の名曲『時の過ぎゆくままに』のとおり、いまジュリーは、時間にその身を任せているのだ。


【(俳優)水谷豊(61歳)】
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年齢や求められている役割に応じて、うまく『変化』してきた。

デビュー間もない20代のころ出演した『傷だらけの天使』では、
髪の毛にポマードをべったりとつけた不良青年。
その後、『熱中時代』シリーズでそれまでのイメージを一変し、熱血教師役を熱演。

〔相手が何を求めているかに敏感になる〕
そして現在の『相棒』シリーズでは、常に冷静沈着な刑事役で高い評価を受けている。『相棒』以前の水谷は、いまのような紳士という印象ではなかった。
しかし現在は、私生活でもドラマと同じように、穏やかな人柄に変わった。


【(熟年の名優)三浦 友和(62歳)】苦難が『渋味』を生む
いまでこそ確固たる地位を確立しているが、
彼は若い頃のイメージを払拭することに苦心しながら、人間として成熟していった。
デビュー間もない頃、三浦友和は、いわばただの二枚目俳優だった。
本人も若手時代について

「二枚目の役、当時はすごく嫌だったんですよ。清く正しく美しく精神を自分のなかから探し出すのが大変で」
と語る。

迷いの中にあった三浦がさらに深みに落ちたのは、
‘80年に当時絶大な人気を集めていた山口百恵と28歳で結婚したことがきっかけだった。

百恵はきっぱりと芸能界を引退。

三浦は当時を振り返ってこう語っている。
「それこそこの時は、日本全国、日本人全員を敵に回しちゃったな、という思いでした。
被害妄想の意識もものすごく強くなって、ここから抜けるのが一番大変だったかな」

世間の反感を買ったからか、その後仕事は激減。
一度は破産の危機に瀕した。

「優しい二枚目」「百恵のダンナ」そういうイメージから三浦が脱却するきっかけになったのは、
33歳で起用された映画『台風クラブ』でのいい加減な教師役だった。
童顔俳優の新たな顔が引き出され、役者としての評価を得た。

苦難の時期にも妻の人気に頼ることなく、じっと我慢を重ね、チャンスを掴んだ。
だからこそ、いまの三浦友和には渋味がある。

【中村雅俊(63歳)】年を経て主演から脇役へのスムーズに移行した

20代の代表作『俺たちの旅』では、主役として若者の青春を演じた中村。
40代を過ぎ、50代を経たころから、父親役やナレーションなど、脇役が増えていったが、
一切不満は漏らさず与えられた役に心血を注いだ。

それにつれ、たまにある主演作でも、新たな「味」が出るようになった。

〔自己主張を抑えながらも存在感を示せる「受け入れる派」こそ理想の60代〕
「60を過ぎても『俺が俺が』では見苦しい。
むしろ経験を活かして、主役を立たせるのが、熟年の役割でしょう。
色で言えば補色。足し算ではなく引き算の演技です。
存在によって、周りに光を当ててあげる。
いい熟年俳優というのは、黙っていても人生哲学や年輪が出る。
それを分かっていることが、理想の60代だと、私は思います
(元ドラマプロデューサーの大山勝美氏)」


【役所広司(58歳)】
年齢に合わせて演技の幅を広げていった「遅咲き」の俳優。
30代でもいくつか出演作はあったが、売れなかった。

やっと世間に名が知れたのは40歳で『Shallweダンス?』に出演してから。
若い頃の役所は、何者でもなかった。
役所が仕事を選ぶ基準は、その作品を観たいと思えるかどうかだという。
自分の感性に嘘をつかず、真剣に生きてきた。
それが今の役所をつくっている。


『抗うことは無様じゃない』
年齢に抗うことで魅力を増している著名人もいる。
彼らは永遠の少年であると同時に、若さを保ち続ける努力をし、それを苦とは思っていない。


【桑田佳祐(58歳)】
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あと1年あまりで還暦を迎えるとは思えないほど、
楽曲制作や単独ライブなどエネルギッシュな活動を続ける彼は、
まさに「老いに抗う派」60代の代表的な人物だ。

´10年には食道がんを患った桑田だが、それを克服。
復帰後すぐに紅白歌合戦に出場するなど、病気になる前以上に精力的な活動を始めた。
病を機に、楽曲提供やプロデュースなど、年相応の活動へと移っていく道も当然あった。
しかし、いつまでも心は若くありたい、そう考えているからこそ、
彼は現役として表舞台に立つことを選んだのだ。

【明石家さんま(58歳)】いつまでも若くあろうとする人。
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〔さんまは自分がトップであり続けるために、老化に抗い続けてきた〕
さんまが落語家として活動していたときから親交のある、桂雀雀氏が語る。
「現在まで、老けたという感覚は一切ないですね。『おもろい兄ちゃん』のまま、現在に至っている」

多くの芸人が映画や芸術など、他分野に活躍の場を広げるなか、
さんまだけは頑なに「お笑い芸人」の肩書を貫いてきた。

桂氏が続ける。
「決してその姿を見せませんが、裏ではものすごく努力してはる。
ドラマ、映画からグラビア、アダルト関係まで、あらゆるジャンルを研究しています。
睡眠時間は2~3時間と言っていましたね。
とにかく流行りを察知することに敏感なんです。
だからこそ、どんな相手と話しても、話題につまるということがない」

歳を重ねても若々しさを失わないためには、
常に変りゆく時代と接点を持っていなければならない。

60代になってもその接点を失わないためには、人知れぬ努力が必要となる。

「さんまが『60歳で引退する』と言っていたのは、
その努力がいかに大変か、自分が一番よくわかっているから。
でも最近になって引退発言を撤回したでしょ。
それはやっぱり好きでやってることだからだと思います」

【所ジョージ(59歳)】今を満喫するために努力することだけなんですよ。
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世田谷ベースと呼ばれる事務所兼遊び場で多様な趣味に時間を費やし

「今を満喫するために、いくつになっても「自分が楽しむこと」を意識している」

「歯車がかみ合っていない生き方をしていたら、いつまでも幸福感なく死んでいく。
30代は30代を、40代は40代を謳歌したほうが幸せに決まってるんだから。

たとえば、年をとったらヒザが痛くなるだろ。
ならその弱ったヒザで何ができるかを考えるんだよ。

過去はね、いい思い出があればそこに戻りたいと思うかもしれないけど、所詮無理。

ましてや未来なんて知りようがない。

結局できることは、今を満喫するために努力することだけなんですよ。

その最低限さえやらないで『明日は楽しいだろうか』と考えるのは
『分かり急ぐ』今の風潮そのもの。こっけいだよ」

【高田純次(67歳)】人生は思うようにならない、力まず飄々と生きてきた。
「僕には生き甲斐がない。インタビューで聞かれて一番困るのが『これから何をしたいか?』という質問なんですよ」

【竹中直人(58歳)】無名時代は長かった。
その日どうやって生きるか、という生活を送ってきた。
人生についてこう語っている。
「ため息はどんどんついていいんじゃないかな。あ~あ、って。人生は常に矛盾との戦いですからね」


【平蔵の独り言】
所ジョージ:「歯車がかみ合っていない生き方をしていたら、いつまでも幸福感なく死んでいく。
30代は30代を、40代は40代を謳歌したほうが幸せに決まってるんだから。

たとえば、年をとったらヒザが痛くなるだろ。
ならその弱ったヒザで何ができるかを考えるんだよ。

結局できることは、今を満喫するために努力することだけなんですよ。

【独り言】
50代は50代、60代は60代
ヒザが痛くなったら、その弱ったヒザで何ができるか
今を満喫するために努力することなんですね!

所ジョージの生き方にすごく納得・・・・・・・・・・
何ができるか、週2回の リハビリ
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by asanogawa-garou | 2014-08-22 16:09 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(1)

誰のために走ったか(東京五輪)〔マラソン 円谷幸吉〕   

2014年 08月 07日
誰のために走ったか(東京五輪)〔マラソン 円谷幸吉〕
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〔婚約破棄、故障〕
円谷には交際している女性がいた。
だが、体育学校長の反対で婚約は破談となり、
結婚を勧めた理解者の畠野は札幌に転勤を命ぜられる。

〔国民との約束〕
円谷は4年後のメキシコ五輪の活躍を誓う。

〔誰のために走るのか〕
ヒートリーは「ユニオンジャック(英国旗)のために走ることは名誉だと思うけど、
私は自分のために走った」と、当時を回想した。

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誰のために走ったか(東京五輪)〔マラソン 円谷幸吉〕

1964年10月21日午後3時すぎ、
国立競技場は東京五輪のハイライト、マラソンの勇者を迎え、興奮に包まれていた。

エチオピアのアベベが2時間12分11秒2の世界最高記録で五輪2連覇を達成、
4分ほどして、歓声が悲鳴に変わる。
2位で戻ってきた円谷幸吉が残り200メートルで英国のヒートリー(80)に抜かれ、
3位でゴールした。

衝撃的なレース展開は、円谷が「敗れた」かの印象を与えたが、
関係者はメーンポールに「日の丸」が掲揚されたことを喜んだ。

陸上で戦後初のメダル。
163センチ、55キロの小柄な男が不振の日本を救った。

翌日、防衛庁長官から第一級防衛功労章が贈られ、
円谷は4年後のメキシコ五輪の活躍を誓う。
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〔婚約破棄、故障〕

この「約束」が結果的に重くなって、歯車が狂ってゆく。
婚約破棄、コーチの転属、足腰の故障・・・。孤独な戦いが続いた。


メキシコ五輪の年を迎えた68年1月9日、
自衛隊体育学校の幹部宿舎で自殺した円谷が発見される。27歳だった。

遺書には「父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまってはしれません」。

兄の円谷喜久造(82)は無念を口にした
「あれは本当に嫌な言葉だ。それほどまでに走らせなければよかった。
幸吉は枠の中から逃げることもできない。やむを得ないです」

須賀川高校から陸上自衛隊に入隊。郡山に配属され、健脚が認められる。
東京五輪を目標に、62年に発足した体育学校の陸上班に選ばれた。
64年4月、最終選考の毎日マラソンで2位に入り、五輪代表に抜てされる。
体育学校の畠野洋夫がコーチ、南三男と宮路道雄(77)が練習パートナー。

3人は鹿児島出身だ。
宮路は「円ちゃんにメダルを取らせようと、鹿児島トリオで応援した」と懐かしむ。
4人のチームは団結し、円谷を支えた。生涯で最も充実した日々だった。
五輪のマラソンに備えて逗子市で合宿した。
レースの朝、東京に出発、給水ポイントには、マヨネーズのチューブに入ったチーム特製のドリンクが置かれた。

最初の10キロが13位。次第に順位を上げ、40キロを2位で通過。
アベベが独走し、3位のヒートリーとは1分15秒差。
銀メダルを望まれたが、円谷に余力はなかった。

喜久造は弟の疲労した姿に驚いた。『倒れないで、何とかゴールしてくれ』。
父の教えを守って後ろを振り返らなかった。
振り返ったとしても、逆転を阻むことは難しかった。

円谷には交際している女性がいた。
だが、体育学校長の反対で婚約は破談となり、
結婚を勧めた理解者の畠野は札幌に転勤を命ぜられる。

競技に専念し、次の五輪を目指すことを求められた。

東京五輪で活躍が期待された君原健二(73)は8位に終わり、絶望のふちに立たされた。
2年後に結婚して立ち直り、メキシコで銀メダルを手にする。

円谷にも伴侶がいれば、違った人生は送っていたのではないか。
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〔国民との約束〕

67年5月、全日本実業団選手権が最後の競技会となった。
君原はメキシコで日の丸を揚げることを、円谷が「国民との約束」と話すのを聞いた。

3ヵ月後に椎間板ヘルニアとアキレスけんを手術。
世界では2時間10分を切る選手が現れ、日本人も11分台をマークした。
円谷のベストは東京五輪の2時間16分22秒8だ。
焦りが募り、袋小路に追い込まれてゆく。

〔誰のために走るのか〕
誰のために走るのか。
ヒートリーは「ユニオンジャック(英国旗)のために走ることは名誉だと思うけど、私は自分のために走った」と、当時を回想した。

東京五輪陸上総監督の織田幹雄は
「指導者として生きる道はあったのに残念でならない」
と円谷の死を悼んだ。
引退する選択肢はあったのか。

喜久造は言う。
「幸吉は決められなかった。上司の命令だから」

北国新聞2014/8/2 東京五輪半世紀

【平蔵の独り言】
衝撃的なレース展開は、
円谷が「敗れた」かの印象を与えたが、
関係者はメーンポールに「日の丸」が掲揚されたことを喜んだ。
陸上で戦後初のメダル。

父の教えを守って後ろを振り返らなかった。

円谷には交際している女性がいた。
だが、体育学校長の反対で婚約は破談となり、
結婚を勧めた理解者の畠野は札幌に転勤を命ぜられる。

【独り言】
円谷幸吉さん 陸上で戦後初のメダル   なんですよ。
後ろを振り向かなかった
交際している女性がいた。

東京オリンピックが日本の高度成長の大きな節目の時代

昭和33年 長嶋茂雄 巨人入団
昭和39年 東京オリンピック
昭和45年 大阪万博

2002年 ワールドカップ(W杯日本開催)

団塊の世代にとって、思い起こさせてくれる 円谷幸吉さん
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by asanogawa-garou | 2014-08-07 18:00 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

「過去は 捨てることは できない」「現在は 止めることが できない」「しかし、未来は・」 小野田寛郎さん   

2014年 08月 04日
「過去は 捨てることは できない」「現在は 止めることが できない」「しかし、未来は 決めることができる」小野田寛郎さん
【今日の言葉】日本経済新聞 【経済ニュース】 2014/01/20(月)

【『小野田寛郎さん逝く』=小野田寛郎さんが亡くなられた。】

その小野田氏が語りかけてくる言葉は、
様々な人生に寄り添い、諭してくれます。

「過去は 捨てることは できない。」

その人の体験した、辛かった事や悲しい事。
捨てたくても捨てられないのが、過去でもあります。
捨てられないのであれば、とことん人生の最後まで持っていきましょう。
この一見重そうな人生の荷物が、
とてもありがたく、役に立ってくれるときが必ず来るのです。


「現在は 止めることが できない。」
振り返ることも、立ち止まることもあるでしょう。
ですが、時だけは無情にも正確に進んでいきます。
今できることを行おうとせずに、
過去のことを引きずるあまり、多くの時間を浪費したり、
これからなにが起こるか分からない未来を案じて、
進む事をためらっていてはいけません。
世の中は、進んでみて初めてわかることだらけです。


「しかし、未来は 決めることができる。」
結局、自分が思い描いた未来への思いや想像、
それを掴むための努力があって、
自分の未来は自分で作り出していくことができる。
そして、自分を生かしてくれている多くのありがたい存在に対して、
自分の持てる能力や才能で恩返しをしていく。
全てのものが全てを支えてゆく。


小野田さんは帰還「任務解除命令が出て任務を離れたが、日本に居場所はなかった」


【『小野田寛郎さん逝く』=小野田寛郎さんが亡くなられた。】
フィリピンのジャングルで約30年も潜んで任務を遂行した元陸軍少尉殿である。
報道番組で紹介された言葉は印象的である。

『肉親の声は届いていたが、任務解除命令が出るまでは任務を離れることはできない』、
さすが軍人である。
その一方で戦後繁栄した日本に対し、
『日本人が平和ボケというなら私は軍隊ボケだったのだろうか』とも。
軍国主義復活は困りものだが、国にまとまりがなく乱れることも怖い。
綻びの出ることは、国家衰退にも繋がる。
自由な国、アメリカには、「星条旗のもとに」という一致した国家観がある。
日本も自由な国だが、今後どのような「チームカラー」で世界で生きていくのだろうか。
もちろん、「おもてなし」も悪くはないが。(情報提供:日本インタビュ新聞社=Media-IR)
【関連記事・情報】
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【訃報】戦後30年間も潜伏。「日本のために」生きた小野田寛郎さん
戦後30年経っても、戦争が続いていると信じフィリピンで潜伏生活を続けていた小野田寛郎さんが亡くなった。
その後のことをよく知らなかったが、日本のために活動してきたことを知って胸が熱くなった。
更新日: 2014年01月17日

数奇な人生をあゆんだ小野田さんが亡くなった・・・
戦後フィリピンのルバング島に約30年間潜伏し、生還した小野田寛郎さん(91)が亡くなった
出典小野田寛郎氏が死去 91歳、ルバング島に30年潜伏  :日本経済新聞
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最近は、講演などを精力的にしていた小野田さん。その人生はまさに「日本のため」だった。
終戦後の「任務解除の命令」が届かず、ジャングルにこもって戦闘を続けていたが、1974年に任務解除命令を受けて帰国した
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フィリピン・ルバング島で発見され、敬礼する元日本兵の小野田少尉。
日本中がこのニュースに注目した。

「帰還直後はともかく人が怖く、当時の日本には自分の居場所がなかったような気がします。三十年の空白を埋め、社会に復帰し順応するにはどうすれば良いか、虚脱状態の日々が続きました」
大きく変貌した日本社会になじむことができず、帰国後わずか半年で日本を離れ、次兄が住んでいたブラジルへの移住を決意

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ブラジルへの移住は、友人からの借金で、ゼロからの再出発。
ブラジルでの日々は、未開の原野を開墾する不眠不休の数年間だった

【それでも「日本のために」尽力】

「後ろを振り向いても仕方ないんですね。
ルバング島やブラジルで、苦しかろうと何だろうと、その分いろいろな教訓を得ました。
今度は、それを上手く利用して、次は日本の子供たちのために何か役立ちたいと思って、そのことを懸命にやる」
1984年からは、キャンプを通じてたくましい青少年の育成を目指す「自然塾」を全国各地で開き、1989年には私財を投じて財団法人を設立
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小野田さんが理事を務める「小野田自然塾」。
キャンプしたり、サバイバルゲームを通して子供たちの心と体を育む活動をしてきた。
1991年には、福島県の山林に施設が完成。
キャンプ生活を通じて、子どもたちや野外活動の指導者を対象に自然教育の指導を続けた
小野田さんの人柄や人生を感じるコメント
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【人は一人では生きられません】
「人は一人では生きられません。自然の中で友達と協力し合って行動することが大切です」
「寒くて震えている子がいれば、誰でもかわいそうだと思うでしょう。
でも自分の服を与える人はまずいない。
その子をばかにして笑っている野次馬と同じ。
人間は強くならないと優しくできないんです」
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小野田氏は、その体験や死や生を考え続けた長い年月で
身を持って学び、感じたことを講演や「小野田自然塾」を通じて、
多くの人々に語っています。
とても大切なことを語られています↓



【その小野田氏が語りかけてくる言葉は、
様々な人生に寄り添い、諭してくれます。】


「過去は 捨てることは できない。」
「現在は 止めることが できない。」
「しかし、未来は 決めることができる。」


「過去は 捨てることは できない。」
その人の体験した、辛かった事や悲しい事。
捨てたくても捨てられないのが、過去でもあります。
捨てられないのであれば、とことん人生の最後まで持っていきましょう。
この一見重そうな人生の荷物が、
とてもありがたく、役に立ってくれるときが必ず来るのです。

「現在は 止めることが できない。」
振り返ることも、立ち止まることもあるでしょう。
ですが、時だけは無情にも正確に進んでいきます。
今できることを行おうとせずに、
過去のことを引きずるあまり、多くの時間を浪費したり、
これからなにが起こるか分からない未来を案じて、
進む事をためらっていてはいけません。
世の中は、進んでみて初めてわかることだらけです。

「しかし、未来は 決めることができる。」
結局、自分が思い描いた未来への思いや想像、
それを掴むための努力があって、
自分の未来は自分で作り出していくことができる。
そして、自分を生かしてくれている多くのありがたい存在に対して、
自分の持てる能力や才能で恩返しをしていく。
全てのものが全てを支えてゆく。

小野田寛郎の名言
「小野田 寛郎(おのだ ひろお)」(1922~)
日本の元陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校。
太平洋戦争が終結しても任務解除の命令が届かなかった為、
フィリピンのルバング島の密林に29年間、情報収集や諜報活動を続けた人物。

中国大陸での軍歴があるにも関わらず、
中国サイトなどでは「この兵士の精神を、全世界が学ぶべきだ」など、
肯定的な評価を得ている。
(出典:ウィキペディア)
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豊かさは自分の心で感じるもの。
不便さは何とでもなる。
最後は自分の五体で何とかなる。

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計画どおりにいかないことは沢山あるが、思い通りにはいくものだ。
不満などどうってことはない。
自分の満足度を少し変えればよいのだから。

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過去は捨てることはできない。
現在は止めることができない。
しかし、未来は決めることができる。

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自分では「どうすることもできない」と思っていることでも、
本当は「どうにかしよう」としていないだけではないか。

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疲れている時、怪我をしている時は、弱気になってしまう。
満腹な時、体調の良い時は、油断をする。

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汚名は恐れない。いつか晴れるから。
結果を恐れる。どうしようもないから。

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反省はさせられるものではなく、自分でみずからするもの。

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いつも美味しいご飯を食べられ、きれいな着物を着られるのは、誰のおかげですか。
たとえお金があっても、それを作ってくれる人がいなければ、手に入らないのですよ。
だから「世間」ではなく、「世間様」というのです。(小野田寛郎の母の名言)

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約束の時間に遅れれば、その時間の分だけ待たせた人の人生を無駄にさせる。
約束を守れない人は信用されず、自分の人生を無駄にすることになる。

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〔礼儀は挨拶ではない。〕
家庭や社会で筋道をつけること。

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〔叱りすぎてもだめ、褒めすぎてもだめ。〕
叱りすぎると叱った人が慢心し、褒めすぎると誉められた人が増長する。
それでも、子供たちは叱るより誉めてやりたい。

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〔親の顔が見たいと思う時はまだ救われる。〕
親の顔を見たくなくなったらおしまい。
親を見れば子が分かる。子を見れば親が分かる。
親子は鏡。

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〔日本に帰還した時、やたらと「権利と義務」という言葉が目についた。〕
私が少年の頃は「まず義務を果たすこと」を教えられた。
権利は義務を果たせば自ずと与えられるもの。

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〔何事も熱いうちは大丈夫。〕
冷たくなったらおしまい。
人は熱しやすく冷めやすい。

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〔サバイバルとは、〕
今まで生きてきた方法では生きれ残れない時に、
なおかつ生き残る方法を考えて実行すること。

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〔努力しても方法を間違えては、失敗する。〕

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〔道具は正しく使ってこそ道具。〕
間違うと凶器になる。

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〔紐を結ぶ時、手際良く確実に締まりやすくすることは当然のこと。〕
しかし、解きやすいことも大切。
何でもやれば良いと言うものではない。
何をやるにも経過も結果も大切。
〔結果の先のことはもっと大切〕

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〔生きることは夢や希望や目的を持つこと。〕
それらは教えられたり強制されたりしても、湧くものではない。
自分で創り出すしかない。甘えてはいけません。

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〔夢や希望を語るのは思っているだけ。〕
それを目的に変えなければ達成できない。
「したいと思います」から「やります」に変えるべきだ。

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〔よく「何でそんなに頑張ったのか」と聞かれるが、〕
頑張ったのではなく、頑張らざるを得なかったのだ。
皆がやっていることを、自分だけくじけたら笑われるから。

【小野田寛郎(小野田少尉)の名言 格言】
[自分はやれるはずだと思って生きることの大切さ]
どうか悩むことなしに、自分にはやれるはずだと思って生きてください。
生きていくのには苦労はつきもの、それが当たり前という前提に立てば苦しくない。
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[できない理由を知るメリット]
できない理由がわかればしめたもの。それを解決すればよいのだから。
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[小鳥でさえ努力しながら生きている]

遊んでいるように見える小鳥だって、
天敵から逃げたり戦ったり、
食べるために必死で餌を探して営々と努力しながら生きてきているのです。
人間も同じことだと思います。
のほほんとしてはいれられないと思うのです。
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[自分以外は誰も何もしてくれない]

先のこと、毎日ことは自分で何とかしなくちゃいけない。
だって、自分以外は誰も何もしてくれないんですから。
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[ものごとには順序がある]

火種は下、薪は上。反対にしては火はつかない。
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[地図ばかり見ていると、迷子になってしまう。]
コンパスは方向は教えてくれるが、川や谷の避け方は教えてくれない。
コンパスばかり見ていると川や谷に落ちてしまう。
自分で考えて判断しなければ。

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[愚痴を言えば前に進む力が減るだけ]
済んだことは済んだことで、愚痴を言っても始まらない。
愚痴を言えば前に進む力が減るだけでしょ。
だから、愚痴を言うのは大嫌いなんです。
愚痴や泣きごとを言う人も大嫌い。
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[目的があれば人間は思い切れる]
目的がはっきりしていると、いろいろ切り捨てられる。
「思い切り」というけど、目的があれば人間は思い切れるんです。
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[死を選ぶより、まずやってみることが大切]
どうせ終わりが来るなら早く死んだ方が楽といって自決する気にもならなかった。
やってみなくちゃわからないんだから。
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[私はただ、少し遅れて帰ってきただけの男]
(世論では)私は「軍人精神の権化」か、「軍国主義の亡霊」かのどちらかに色分けされていた。
私はそのどちらでもないと思っていた。
私は平凡で、小さな男である。
命じられるまま戦って、死に残った一人の敗軍の兵である。
私はただ、少し遅れて帰ってきただけの男である。
【覚書き|帰国後、メディアや人々から称賛と誹謗中傷の両極端の反応をされたことについて語った言葉】
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[納得できる生涯を送るには]
死というものを考えたうえで、毎日毎日を自分らしく力いっぱい生きていくということで、自分が思っている以上の大きな力が出るものです。
そうすれば、自分でも納得できる生涯が送れるのではないでしょうか。
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[いつでも自分として精一杯やることが必要]
兵隊のときは兵隊らしく、ブラジルへ行ったら、ブラジルの社会で牧場主らしくやってきました。
私は「らしく」ということがいまの日本に少し欠けているんじゃないかと思います。いつでも、自分として精一杯やるということが必要なんじゃないでしょうか。
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[生き方は自分次第]
戦いは相手次第。生き方は自分次第。
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[強くなければ、優しくできない。]
〔強い人ほど優しい〕
強い人は余力があり、弱い人を助けたくなる。
誰でも「他人のために働きたい」とは思っている。
それには強くならなければ。

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[大切な3つの「ど」]
何をやるにも3つの「ど」。努力、度胸、度量。
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[未来に賭けることの重要性]
今日は食べられなくても、明日も食べられなくても、明後日には何とかなる。
死にはしない。
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[卑しくならずに生きることの重要性]
貧しくたっていいじゃないか。乏しくたっていいじゃないか。卑しくなければ。
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[人の善悪を決めるもの]
できてもやってはいけないこと、できなそうでもやらなければいけないこと、これで善悪が決まってしまう。
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[後ろを振り向かず、いまやっていることに集中することの重要性]
僕が言うと僭越かもしれないけれど、後ろを振り向いても仕方ないんですね。
ルバング島はルバング島で、それで終わり。
苦しかろうと何だろうと、その分いろいろな教訓を得ました。
今度は、それを上手く利用していく。

あのときはどうしたのこうしたのと、後ろは絶対に振り向かない。
牧場をつくるときは必死で牧場をつくる。
牧場が何とかここまでできたから、
次は日本の子供たちのために何か役立ちたいと思って、そのことを懸命にやる。
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[目的を持つことの重要性]
とにかく生きなきゃいけないし、勝たなきゃいけない。負けたら死ぬんですから。
小さいことで悩んで、そこで止まっていたら生きられない。
自分の中で目的がはっきりしていないと、そうなっちゃうんです。
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[相手に振り回されないために、二段構えで予定を立てることの重要性]
(ブラジルに移住して)最初はイライラすることもありました。
たとえば、こちらの人は時間を守らない。
だから、二段構えで予定を立てるようにしていったんです。
もし来なかったら何をすると予定を立てておけば、
すっぽかされてもやることがあるから気にしないで待っていられる。
町に行っても、相手が現れなかったら別のやることをやって戻ってくる。
いつも副目的を持っていれば、相手に振り回されずに済むんです。
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[他人に仕事を任せることの重要性]
少数精鋭なら、その人間たちに相当のことを任すことができるし、
また、任せなくちゃこんな仕事はできません。
任されるほうにも責任が生まれるし、やりがいも出てくるだろうし。

自分のことは自分でやるのが基本ですけど、
他人に任せっるということもできなくちゃだめですね。その両方がないと。
【覚書き|ブラジルでの農業経営について語った言葉】
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[全身を打ち込んでやることの大切さ]
若い、一番意気盛んな時期を、全身を打ち込んでやれたことは幸福だったと思う。
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[何がないからできないとは、自分の不備不明の致すところ]
中野学校で、何がないからできないというのは自分の能力のなさを自白したようなものだと教えられました。
サバイバルするためには、何がないからでは通らない。
どんな手段を使ってでも何とかしなければいけない。
何がないからできないとは、自分の不備不明の致すところと心得よというのは、いい教えだと思います。
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[信用できるのは自分の判断だけ]
中野学校の教官は、誰も信用するな、ただ自分の判断だけを信用しろと教えました。そう、自分の判断だけなんです、信用できるのは。
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[持っていない力が出るはずがない。]
力いっぱいの努力をしたことは確かですが、それは僕の持っていた力であって、持っていない力が出るはずはありません。
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[命は天にあり、体は我にあり]
いつ死ぬかは誰もコントロールできない。
これはもう、しょうがないですね。
「命は天にあり」です。
でも、「体は我にあり」で健康管理は疎かにできません。


【平蔵の独り言】
[私はただ、少し遅れて帰ってきただけの男]

(世論では)私は「軍人精神の権化」か、
「軍国主義の亡霊」かのどちらかに色分けされていた。
私はそのどちらでもないと思っていた。

私は平凡で、小さな男である。
命じられるまま戦って、死に残った一人の敗軍の兵である。
私はただ、少し遅れて帰ってきただけの男である。
【覚書き|帰国後、メディアや人々から称賛と誹謗中傷の両極端の反応をされたことについて語った言葉】

[後ろを振り向かず、いまやっていることに集中することの重要性]
僕が言うと僭越かもしれないけれど、後ろを振り向いても仕方ないんですね。

【独り言】
時代に生きた 〔市井の人〕

「あの人はどうして、あんな対応なんだ」・・・・・他人
「あのとき、何故あんなことを言ってしまったのか」・・・過去

と、前に進もうとしない。

他人のことや過去のことをクヨクヨ悩みが、これが人間なのですよね。

小野田さん 1922年生まれ
団塊の世代 1947年~生まれ

25歳しか違わない・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2014-08-04 15:52 | 人間模様 | Comments(0)