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「庶民」「伝説の営業マン」異色すぎる箱根駅伝・青学監督「ワクワク大作戦」「見るのは明るくて・・・・」   

2015年 01月 28日
「庶民」「伝説の営業マン」異色すぎる箱根駅伝・青学監督「ワクワク大作戦」 〔原「見るのは明るくて、表現力が豊かなこと」〕
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最優秀選手として金栗四三杯を受賞した神野大地。
「大地」という名前は、ソウル五輪の時に背泳ぎで金メダルを獲得した鈴木大地から父親が命名した。

〔選手も私もしばらくはチヤホヤされたいじゃないの。浸らせてよ!〕
〔まず規則正しい生活を徹底。〕
反発を受けながらも「いい練習はいい生活から」と譲らず、食事を管理し、寮の門限を午後10時に決めた。

〔選手を人間として魅力的ないい男にすることです〕

【箱根駅伝は“修行”から檜舞台に。青学のワクワクと、服部勇馬の言葉。】
 そんな第91回箱根駅伝は、記録だけではないいくつかの示唆を学生長距離界に残した。

 広島・世羅高校出身で苦労人の原監督は普段から気さくな人柄である。
 しかし、「ワクワク大作戦」というキーワードを使い始めた時はやや心配した。

〔「“山の神”じゃなくて、今度の箱根の主役は“山の神野”ですから」〕
〔長距離走は、我慢や忍耐の種目だと言われてきた。〕
〔「ワクワク大作戦」は選手たちのハートを射止めた。〕
〔「マラソンのため」こそが原点回帰である。〕

【青学大の“三代目山の神”誕生秘話。神野大地と原監督が出会った5年前。】
「ひとりだけ、大きい走りをしとる選手がいたのよ。ウサギみたくピョンピョン走っていてね。もうひと目で気に入ったね」
 その高校生は、神野大地といった。
〔「マラソンのため」こそが原点回帰である。〕
 原監督から声をかけられた神野は「僕の走りを認めてもらえて、とてもうれしかったです」と当時のことを振り返る。
〔青学大の優勝、最大の要因はリクルーティング。〕
〔入学時点から、圧倒的に速かった青学の3年生世代。〕
〔5位でも、8位でも喜びを爆発させる青学大の選手たち。〕
〔原「見るのは明るくて、表現力が豊かなこと」〕
原監督は人材の見極めで、どんなところに注目しているのか。
「まずは、青山学院というスクールカラーにふさわしい人材。
明るくて、表現力が豊かなこと。
話しかけてるのに、うつむいて満足な答えが返ってこないようじゃ、大学に入ってからも伸びません」

【青学大 箱根初制覇の秘密は「門限10時」】

<青学大の雰囲気に合う選手を勧誘しましたよ。頭の悪いやつ、しゃべりのできないやつはいらん。顔つきで選びましたね。暗いやつは選びません。生命力を感じる子。>

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【「庶民」「伝説の営業マン」異色すぎる箱根駅伝・青学監督「ワクワク大作戦」】
〈週刊朝日〉 1月14日(水)16時10分配信
 景気が上向かず、世間は閉塞感に溢れている。
そんな私たちのモヤモヤした気持ちを吹き飛ばす“力”の持ち主が、今年もたくさん活躍してくれそうだ。青山学院大学・陸上部監督の原晋(47)もその一人。
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復路で最終走者を迎えるため、笑顔でフィニッシュラインに向かう青学大の原監督

 今年の箱根駅伝で青山学院大学を初優勝に導いた。
往路・復路ともに制しての完勝。
東京・渋谷にキャンパスを構え、おしゃれで洗練されたイメージが強く、
泥臭さとは無縁な青学生たちを鍛え上げた手腕に注目が集まっている。

<青学大の雰囲気に合う選手を勧誘しましたよ。頭の悪いやつ、しゃべりのできないやつはいらん。顔つきで選びましたね。暗いやつは選びません。生命力を感じる子。>

〔選手も私もしばらくはチヤホヤされたいじゃないの。浸らせてよ!〕
「『来年の目標は?』と聞かれるけど、まだ考えたくない。選手も私もしばらくはチヤホヤされたいじゃないの。浸らせてよ!」

 その飄々とした笑顔から、ストイックで時に悲壮感さえ漂いがちな陸上長距離指導者の面影はない。

「僕は庶民。従来の雰囲気を覆そうという発想で指導し、それが青学にはまったんでしょう」

 確かに経歴は異色だ。
出身は愛知県の中京大。
インカレ5千メートルで3位に入ってはいるが、関東の大学限定の箱根駅伝は走ったことがない。

 卒業後は中国電力の陸上部へ。
全日本実業団駅伝初出場に貢献したものの故障が続き、27歳で引退。
社員で働き続ける道を選んで、約1千万円の省エネ空調機を売りまくった。
それが「僕は『伝説のカリスマ営業マン』」と胸を張るゆえんだ。

 会社員生活が10年続いた2004年、青学が駅伝の監督を探していると聞きつけた。
「営業マンとして培った合理的思考を生かせば結果が出せると直感した」
 5年で箱根出場し、7年でシード権を得て、10年で優勝争いという“論理的なビジョン”を
A4の紙3枚にまとめて大学側にプレゼンし、その座を勝ち取った。

〔まず規則正しい生活を徹底。〕
 着任時、箱根から長く遠ざかっていた陸上部員たちは茶髪は当たり前、二日酔いで練習に来るなど緩み切っていた。
まず規則正しい生活を徹底。
反発を受けながらも「いい練習はいい生活から」と譲らず、食事を管理し、寮の門限を午後10時に決めた。

 練習も変えた。体を動かしながらのストレッチを導入し、故障を減らした。
有力高校生をスカウトするため、会社員時代に多くの顧客を魅了した話術を駆使して奔走。
目的意識の高い選手が集まり始め、チーム全体の士気が上がった。

 と、ここまでは言ってみれば普通の強化策。

真価を発揮したのは一貫して「青学らしさ」を尊重したことだ。
規律を求めつつも青学生の気質に合わないはずと、門限で点呼を取らなかった。
スカウトする高校生を選ぶ基準も、

容姿端麗で頭の回転が速く、話が上手で、華やかなキャンパスに合うか、とユニークだ。

「環境になじめないと力を発揮できない。走力は二の次です」

 そんな奇抜な発想が、イマドキ青学生の能力を最大限に引き出すことにつながった。
「切り替えがうまく重苦しさのないチーム」が完成した就任11年目、青学は頂点へ。
就任時のプレゼン通りの結果を出してみせたからスゴイ。
 改めて聞いた。どうすれば優勝できるのか。

〔選手を人間として魅力的ないい男にすることです〕
「選手を人間として魅力的ないい男にすることです。結果は後からついてくる。
宝塚歌劇団のように、努力しつつ華やかな存在であり続けたいね」

※週刊朝日 2015年1月23日号

【箱根駅伝は“修行”から檜舞台に。青学のワクワクと、服部勇馬の言葉。】
Number Web 1月11日(日)16時31分配信
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驚異的なタイムで箱根を駆け抜けた青山学院大。
チームは3年生が中心で、一躍来年の本命に躍り出た格好だ。

そんな第91回箱根駅伝は、記録だけではないいくつかの示唆を学生長距離界に残した。

 広島・世羅高校出身で苦労人の原監督は普段から気さくな人柄である。
 しかし、「ワクワク大作戦」というキーワードを使い始めた時はやや心配した。

〔「“山の神”じゃなくて、今度の箱根の主役は“山の神野”ですから」〕
 レースのかなり前から原晋監督はユーモアたっぷりの話しぶりで語っていた。
 そして、神野大地は誰もが想像すらしなかった大記録で駆け抜けた。
〔長距離走は、我慢や忍耐の種目だと言われてきた。〕
〔「ワクワク大作戦」は選手たちのハートを射止めた。〕
〔「マラソンのため」こそが原点回帰である。〕

 ところで、今回の箱根駅伝で一番グッときた言葉がある。
 箱根駅伝は元来、オリンピックで活躍するマラソン選手を発掘、養成するために創設されたスポーツイベントである。

〔「“山の神”じゃなくて、今度の箱根の主役は“山の神野”ですから」〕
 レースのかなり前から原晋監督はユーモアたっぷりの話しぶりで語っていた。
 そして、神野大地は誰もが想像すらしなかった大記録で駆け抜けた。

 10時間49分27秒という大会新記録と神野というとてつもないインパクトを残した青山学院大学の初優勝。

 そんな第91回箱根駅伝は、記録だけではないいくつかの示唆を学生長距離界に残した。

 広島・世羅高校出身で苦労人の原監督は普段から気さくな人柄である。
 しかし、「ワクワク大作戦」というキーワードを使い始めた時はやや心配した。

 ライバルの東洋が定番にしてきた「その1秒をけずりだせ」のストイックさと比べ、あまりにも軽い。

 フィニッシュ後、新記録で走った5区の神野大地のガッツポーズと余裕の表情。次々と倒れる2位以下の選手たちとは次元が違った。

 8区で区間賞を獲得した高橋宗司の「遊行寺の上り坂も楽しくてしかたなかった」という屈託のない笑顔も印象的だった。

 箱根駅伝翌日、日本テレビの情報番組「シューイチ」にコメンテーターとして出演した際、青山学院の選手たちは監督が同席している楽屋裏で、交際していた彼女と駅伝直前に別れた話を臆することなくしてくれた。

 実に明るいのだ。

〔長距離走は、我慢や忍耐の種目だと言われてきた。〕
 「ワクワク大作戦」は、プロ野球やJリーグで観客を喜ばせるキャッチコピーとしてはいいかもしれないが、駅伝ではおよそ思いつかない言葉だ。

 なにしろ、陸上競技はピンポイントでレースに合わせなければならない一発勝負。
結果という重圧に耐える力と本番の集中力が必要とされる競技なのだ。

 かつての瀬古利彦選手が“修行僧”にたとえられたように、昔から長距離走は我慢や忍耐の種目だと言われてきた。
だからこそ、勤勉で我慢強い日本人の性質に合っている。

〔「ワクワク大作戦」は選手たちのハートを射止めた。〕
 しかし、時代とともに選手の競技観は明らかに変化している。

 携帯電話やインターネットが当たり前の時代に生まれ育った選手たちは、物心がついた頃からあらゆる情報をもっている。

 トップシークレットだったはずの箱根駅伝直前の区間変更情報でさえ、携帯電話のメールを通じて指導者より早く選手が知る時代なのだ。

 もはや、指導者の経験主義だけで駅伝は勝てない。
世代に合わせた柔軟な指導法も結果を生む時代がきたのだ。

 明るい雰囲気だからといってトレーニングが甘くなっているわけではない。
新記録の裏側には質と量をともなうトレーニングが必ずある。

 そして、トレーニングと同じくらい大切なことは、指導者がどんな種類の価値観でチームの雰囲気を作り、選手個々のモチベーションを上げているかということ。

 「ワクワク大作戦」は、青学の選手たちのハートを見事に射止める結果となった。

 今の選手にとっては子供の頃から憧れてきた箱根駅伝。
 彼らにとっての箱根駅伝は、かつて大学の名誉のために闘った修行道ではなく、アスリートとしての自分を最大限に表現する檜舞台に変わった。

〔「マラソンのため」こそが原点回帰である。〕
 ところで、今回の箱根駅伝で一番グッときた言葉がある。

 それは、敗れた東洋大学の2区を走った服部勇馬がさらりと語ったレース直後の言葉だ。

 最後の難所、戸塚中継所まで3キロ続く上り坂を、誰よりも粘り強く走って区間賞をとったのは、村山謙太(駒澤大)ではなく服部だった。

 金「服部さん、苦しさに耐え区間賞をとれた原動力はなんだったのですか?」

 服部「夏からマラソン練習をして、2月の東京マラソンを目指しています。箱根駅伝はマラソンの半分の距離ですから!」

 東洋大学の関係者はこの言葉をどう聞いただろう。
 「チーム連覇のためじゃないの?」と不思議がっただろうか。

 私は彼の言葉にグッときた。

 箱根駅伝は元来、オリンピックで活躍するマラソン選手を発掘、養成するために創設されたスポーツイベントである。

 服部勇馬の発言こそが原点回帰なのである。
(「今日も世界は走っている」金哲彦 = 文)

【青学大の“三代目山の神”誕生秘話。神野大地と原監督が出会った5年前。】
 気になった選手がいた。
「ひとりだけ、大きい走りをしとる選手がいたのよ。ウサギみたくピョンピョン走っていてね。もうひと目で気に入ったね」
 その高校生は、神野大地といった。
〔「マラソンのため」こそが原点回帰である。〕
 原監督から声をかけられた神野は「僕の走りを認めてもらえて、とてもうれしかったです」と当時のことを振り返る。
〔青学大の優勝、最大の要因はリクルーティング。〕
〔入学時点から、圧倒的に速かった青学の3年生世代。〕
〔5位でも、8位でも喜びを爆発させる青学大の選手たち。〕
〔原「見るのは明るくて、表現力が豊かなこと」〕

原監督は人材の見極めで、どんなところに注目しているのか。
「まずは、青山学院というスクールカラーにふさわしい人材。明るくて、表現力が豊かなこと。話しかけてるのに、うつむいて満足な答えが返ってこないようじゃ、大学に入ってからも伸びません」


【青学大の“三代目山の神”誕生秘話。神野大地と原監督が出会った5年前。】
 2010年夏、菅平高原。
 2004年に原晋監督を迎えた青山学院大学の陸上競技部は、
 2009年に33年ぶりに箱根駅伝の出場を果たし、
この2010年には8位に入り、シード権を獲得していた。
ちょうど、上昇曲線を描き始めたころだ。
 青学大はこの夏に長野の菅平で合宿を張っていたのだが、
同じ時期に愛知県の中京大中京高校も合宿を行なっていた。
原監督は中京大の出身であり、母校の系列校ということもあって、高校生の走りを見に来たのである。
 気になった選手がいた。
「ひとりだけ、大きい走りをしとる選手がいたのよ。ウサギみたくピョンピョン走っていてね。もうひと目で気に入ったね」
 その高校生は、神野大地といった。

〔「マラソンのため」こそが原点回帰である。〕
 その夜、原監督ははじめて神野と会う。
「高校の先生に『あの子は大きくて、いい走りをしますね』と言ったら、先生が『体はまだまだ小さいですよ』と言うのよ。そしたら、本当に小さい(笑)。
当時は38㎏くらいでしょう。
5000mのタイムも14分50秒くらいで、競技実績はないに等しい。
でも、気に入ったからウチに誘いました」

 原監督から声をかけられた神野は「僕の走りを認めてもらえて、とてもうれしかったです」
と当時のことを振り返る。
「原監督の人柄や、部の雰囲気も明るい感じがして、自分は青学で強くなりたいと思いました。
その後もいろいろな大学の監督さんからお誘いをいただいたんですが、
いちばん最初に認めてくれた青学大に、高校2年生の9月に進路を決めました」

 2010年の夏、菅平でウサギのように走っていた少年。
 その姿を見逃さなかった指揮官。
 それが「三代目山の神」の誕生へとつながる。
菅平での出会いが、2015年の青山学院大の初優勝へとつながったのだ。

〔青学大の優勝、最大の要因はリクルーティング。〕
 青学大の優勝を受け、メディアではいろいろな勝因が報じられている。
 体幹トレーニング、水風呂、マネージメント――。
 しかし、いちばん大切なものが欠落している。
 リクルーティングだ。
 勇退が決まっている早稲田大の渡辺康幸監督は、箱根で勝つ要素として、次のようなことを挙げている。
「昔はそれなりのリクルーティングと、育成力で勝てたと思うんですが、今はマネージメント力、そして組織作りが求められる時代になりました」
 今年の箱根駅伝では、各大学の監督たちが「本当にリクルーティングが重要になってきました」とため息交じりに話す姿が印象的だった。

〔入学時点から、圧倒的に速かった青学の3年生世代。〕
 今回の青学大の成功は、すでに2012年の時点で約束されていた。
現在の3年生が大学に入学した時点での5000m平均タイムを算出すると、
青学大は他校に比べて圧倒的に速かったからだ。
 今回走ったメンバーの中で該当するのは以下の5人。
久保田和真(九州学院)
渡邉利典(東北)
神野大地(中京大中京)
村井駿(西武台千葉)
小椋裕介(札幌山の手)
 特に久保田と小椋の実績は図抜けており、
実はこの他にも三大駅伝の出場経験を持つ渡邉心(世羅)、山村隼(九州学院)もおり、
選手層が分厚くなるのは見えていた。
私はその時点で「4年後は青学」との予想を立てた。
〔5位でも、8位でも喜びを爆発させる青学大の選手たち。〕
 このリクルーティング成功の要因は、原監督のパーソナリティに尽きる。
監督は会社員の経験もあり、マネージメントを非常に重視するが、
それに加え、才能豊かな高校生を魅了する「人柄」が武器だ。
 高校生の視点に立てば、青学大は他の大学とはキャラクターが違う。

箱根駅伝は1位と10位の学校しか喜ばない、不思議でシビアな大会だが
(2位と3位の学校は喜んでいいはずなのに、深刻な表情を浮かべる)、
青学大は5位でも8位でもいつも喜んでいた。

 監督の人柄が、部の雰囲気を醸成したのである。
選手に対する授業料の優遇や、奨学金の整備など環境面で、
青学大は他校と比べて恵まれているわけではない。
それでも選手を引き付けるのは、監督が部の魅力を作ってきたからだ。

〔原「見るのは明るくて、表現力が豊かなこと」〕
 それにしても、神野に対し高校2年の時点で声をかけていたとは驚きである。まさに「青田買い」だ。
 
リクルーティングを成功させるためには、どんな選手が欲しいのか、それを明確にしていなければならない。

原監督は人材の見極めで、どんなところに注目しているのか。
「まずは、青山学院というスクールカラーにふさわしい人材。
明るくて、表現力が豊かなこと。
話しかけてるのに、うつむいて満足な答えが返ってこないようじゃ、大学に入ってからも伸びません」
 走り、メカニックの面はどうか。
「神野みたいに走りが大きいとか、軸がブレないという選手は目を引きますね。
あと、肩幅が広いとか、胸板が厚いとか、そういう選手がいいです」
 骨格が競技成績に直結するということなのか?
「いや、私の好み。なんだかドカーンとしてて、身体が大きい方がいいじゃない。
胸板が厚いと、酸素をいっぱい取り込めそうだし(笑)」
 このユーモアが、学生を安心させるのだと思う。
 原監督の就任から11年。ついに、「青学時代」が到来した。
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【青学大 箱根初制覇の秘密は「門限10時」】
dot. 1月9日(金)11時37分配信
 今月3日、創部96年目で箱根駅伝を初制覇した青山学院大学。
10年前には、出場することさえ「夢のまた夢」といわれた弱小チームがなぜ、
わずかの間にこれだけ力を伸ばすことができたのか。
その秘密は、規則正しい生活にあった。

 強豪チームに育て上げた原晋監督が、陸上競技部の長距離監督に就任したのは2004年。
まずは予選会への出場資格を得ることが目標だった。

 就任後、長距離ブロックの大改革を行った。
部員は寮で生活し、食事を共にして門限は夜10時。
規則正しい生活態度を厳しく求めたため、
当初は、部員たちから「なぜこんなことをしなければいけないのか」と、
反発を受けたこともあったという。

「陸上は単純な競技です。身につけているのはシャツと靴だけ。あとは体一つで戦うんです」(原監督)

 規則正しい生活が功を奏し、08年に予選会を勝ち抜き、
10年からは本選でシード権を獲得した。
選手として、部とともに成長を続けてきた主将の藤川拓也さん(国際政治経済学部4年)は、こう振り返る。

「入学当時、優勝はとても遠くて、監督から『目標は優勝』と言われても実感が湧きませんでした」

 結果を出すには、普段からどれだけいい練習ができているかがカギだ。
順調に力をつけ、昨年の箱根駅伝では総合5位に。
そして今年は念願の総合優勝を果たした。原監督はこう語る。

「いい練習をするには、栄養や睡眠をしっかり取らないといけない。
二日酔いではいい走りはできませんから。
自分のコンディションを把握し、結果を出すためにいい練習ができる状態を常に保つ。
普段から生活を整えておくことが必要なのです」
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EKIDEN News青山学院大学 箱根駅伝 優勝報告会

【平蔵の独り言】
「庶民」「伝説の営業マン」異色すぎる箱根駅伝・青学監督「ワクワク大作戦」
〔まず規則正しい生活を徹底。〕
 着任時、箱根から長く遠ざかっていた陸上部員たちは茶髪は当たり前、二日酔いで練習に来るなど緩み切っていた。
まず規則正しい生活を徹底。反発を受けながらも「いい練習はいい生活から」と譲らず、食事を管理し、寮の門限を午後10時に決めた。

【独り言】〔まず規則正しい生活を徹底。〕
我喜屋優監督と何も変わったことをしていない。
ただ、今みんなが忘れてしまっている事の積み重ねをしている。
『育てるチカラ』沖縄・興南高校野球部(我喜屋優監督)・Vol.3
【野球で勝つためには「準備」が必要である。
なかでもっとも重要なのは――、意外にも「躾」】
野球には私生活が出る。
「躾」は、日常の気遣いや気配りにつながっている。

【平蔵の独り言】
〔原「見るのは明るくて、表現力が豊かなこと」〕
原監督は人材の見極めで、どんなところに注目しているのか。
「まずは、青山学院というスクールカラーにふさわしい人材。明るくて、表現力が豊かなこと。話しかけてるのに、うつむいて満足な答えが返ってこないようじゃ、大学に入ってからも伸びません」
【独り言】
明るくて、表現力が豊かで
個性、多様性を認めて育てる。
ですね・・・・・
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by asanogawa-garou | 2015-01-28 15:08 | 今 今日この頃 | Comments(0)

【美輪明宏】カラフルな世界つくりましょう!〔白か黒か、そればかり〕・〔世の中に「違うでしょ」〕   

2015年 01月 14日
【美輪明宏】カラフルな世界つくりましょう!〔白か黒か、そればかり〕・〔世の中に「違うでしょ」〕
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〔才能ある者の業務であり責務〕

〔白か黒か、そればかり〕
現代はモノクロの時代です。
〔世の中に「違うでしょ」〕
今までの芸能生活、私は世の中の在り方に「違うでしょ」と問い続けてきました。

妖艶ないでたちと真実をえぐる言葉で、人々の心を揺さぶる歌手・俳優の美輪明宏。
幼少期に悲惨な戦争を目の当たりにし、時代に厳しいメッセージを投げ掛けてきた。
戦後70年を歩み、ことし傘寿を迎える美の伝道師に、未来への提言を聞いた。

<16歳で歌手デビュー後、その端正な顔立ちやビジュアル系のファッションで衝撃を与え続けてきた。80歳に近づいた今も、コンサートや舞台、テレビで活躍し、幅広い層から熱烈な支持を得ている>

あるとき、小さな男の子がカーテンコールで花束をくれました。
「お母さんに連れてきてもらったの?」と聞くと「母を連れてきました」ですって。

私の公演に若いお客さんが多いことに驚かれる方がたくさんいます。
でもそれは何十年も前から。中学生もいますよ。

〔才能ある者の業務であり責務〕
歌う才能や演じる才能を天から授かった者にとって、人々をお慰めするのは義務であり責務です。
いつもそれができる状態を保たねばならない。
だから私は遊びません。
地方公演でも劇場とホテルの往復。
お酒もたばこもやめました。
何が面白くて生きているのかって話ですね。ほほほ。

昔、とても貧乏をしていたとき、日比谷公会堂にコンサートを見に行ったことがありました。
翌日からはすっからかん。
私のお客さんの中にも、なけなしのお金を払った人がいるかもしれない。
あのころの自分が、客席の中に見えるのです。
しがみつくようにして見ているお客さんの顔を見ると、もっと励ましたいと思ってしまうのです。

<2012年の大みそか、親子の無償の愛を歌った「ヨイトマケの唄」をNHK紅白歌合戦で披露した。大きな反響を得た裏側には、画一化した社会への漠然とした不満があると考える>
今の世の中、多様性が失われています。
若い人は「何かおかしいぞ」と思っているのではないでしょうか。
だからこそ「ヨイトマケの唄」を聞いて「こんな歌があったのか」とツイッターで大騒ぎになったのです。
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〔白か黒か、そればかり〕
現代はモノクロの時代です。
都会のビル群、家庭の電化製品、インテリア。
ほとんど色がありません。
白か黒か。機能性と利便性。そればかり。
せめて色彩的でないといけない音楽にもメロディーがない。
詞の調子も無視。コンサートも目つぶしのライトをぱかぱか、スピーカーは大音量。
参加する分にはいいでしょうけど、これでは鑑賞はできません。
世界的にも文化が衰退しています。
かつては、パリのモンパルナスやニューヨークのグリニッジビレッジなど、さまざまな芸術家が集まる地域があった。

日本では、私が出演していたシャンソン喫茶「銀巴里」がそうでした。
文学、音楽、美術、スポーツ・・・。
三島由紀夫さんのような、ただ者ではない人が集まっていましたよ。
文化の発信地がなくなってしまったことで、
昔は「聖なる怪物」と呼ばれていた各ジャンルの天才が減っているのです。

<常に時代にアンチテーゼを突きつけてきた美輪の原点には、幼いころの戦争体験がある。長崎市出身で自身も被爆者。戦後世代に必要なのは「真の知識と教養」だと強調する>



〔世の中に「違うでしょ」〕
今までの芸能生活、私は世の中の在り方に「違うでしょ」と問い続けてきました。
それは、戦いの連続でした。
ビジュアル系を始めたときも、非難の方が多かった。
でもいつも、時代が後からついてくるのです。
ここ最近の日本についても危ないと思っています。
情報戦争と経済戦争の時代に、資源のない日本は頭脳で戦うしかない。
第2次戦争大戦前じゃないんだから、武力で国威発揚なんて時代遅れもいいところです。
若い人だけでなく、安倍晋三首相ら今の政治家もほとんどが戦争の正体を何も知りません。
戦後生まれだからしょうがないのですが、

未来をつくるために大切なのは「故きを温ね新しきを知る」、温故知新です。

戦争のことだけではありませんよ。
文学や音楽、美術についても、今の人はあまりに知識がなさ過ぎます。
画家のモネやマネ、ゴーギャンは浮世絵に学びました。
日本にはすばらしいものがたくさんありました。

今年で戦後70年になります。
でも、過去の財産をごみ箱に捨てる必要はありません。
皆さん、本物に学びましょう。
そして、カラフルな世界をつくりましょうよ。

北國新聞2015/1/5美輪明宏・傘寿の提言
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美輪明宏さん=御堂義乗さん撮影

【平蔵の独り言】
<2012年の大みそか、親子の無償の愛を歌った「ヨイトマケの唄」をNHK紅白歌合戦で披露した。大きな反響を得た裏側には、画一化した社会への漠然とした不満があると考える>
今の世の中、多様性が失われています。

【独り言】
多様性、個性が偏差値教育、共通一次試験で管理し易い没個性の仕組みの中に
置かれている。
先日、団塊の世代(同世代)が
「団塊の世代は肩身が狭いわね!」
と、言われ ハッとした。

これを作ったのは、団塊の世代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2015-01-14 17:29 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

「人生の質」菅原文太さん 膀胱癌で余命1年半宣告も膀胱全摘拒否の理由   

2015年 01月 14日
「人生の質」菅原文太さん 膀胱癌で余命1年半宣告も膀胱全摘拒否の理由
NEWSポストセブン 2015年1月10日 07時00分
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 ベストセラー『がんばらない』著者で諏訪中央病院名誉院長の鎌田實氏は、昨年亡くなった名優・菅原文太さんと深い交友があったという。

生前、菅原さんから病気について相談を受けた鎌田さんが、菅原さんが選んだ「人生の質」について語る。

** *
 文太さんと付き合うようになったのは7年前。
僕の本を読んでくれた文太さんが、自分の番組に呼んでくれた。
彼は熱心な読書家だったから、何かの時に僕の本が目に留まったのかもしれない。

 ゲスト出演した1週間後、文太さんから夕食に招待された。
そこで膀胱がんの話を打ち明けられた。
「医者から余命1年半と言われた。
でも最後まで、菅原文太らしくいたい。
膀胱を摘出して立ちションが出来なくなったら、菅原文太じゃない。
カマタさん、何かいい方法ないかな」

 文太さんには文太流のQOL(クオリティー・オブ・ライフ)を相談できる医者がいなかったのかもしれない。
QOLとは、命の質とか、生活の質、人生の質と訳されている。
僕の本を読んで、QOLを大事にするカマタに相談したかったのだと思う。

 膀胱を全摘出すれば、おしっこの袋をぶら下げなければならない。
それでは「生活の質」が下がる。
そうしたら、文太らしくないというのは、よく分かる。

いろいろと摘出以外の治療を重ねて、一時は完治したと思われていたが、運悪く再発した。

それでも彼はブレることなく、「人生の質」を選択した。

 大好きな日本で何をしなければならないかを真剣に考えた人だった。
だからこそ昨年9月には、僕と一緒に福島へボランティアに入り、
11月1日には、沖縄知事選に立候補した翁長雄志候補の応援にも駆けつけている。

ここでも彼のスピーチは端的でカッコ良かった。
「政治の役目は、国民を飢えさせないことと、戦争をしないこと」
 晩年、文太さんはよく戦争の話をした。
「戦争によって、自分も含めた家族の人生は変わった。だから戦争は二度としてはいけない」
 驚くほど真剣だった。
※週刊ポスト2015年1月16・23日号
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【平蔵の独り言】
QOL(クオリティー・オブ・ライフ)を相談できる医者がいなかったのかもしれない。
QOLとは、命の質とか、生活の質、人生の質と訳されている。

【独り言】“人生”、“生きる”という漠然とした言葉
どう生きていく。“人生の質”を迷った時の答えを探す。

来年2016年2月で20年になる
20年前、病室でひたすら一人向き合ってリハビリを続けていたことで
今がある。

そのリハビリとは、
食事の後の空いた食器を左手に持ち
最初は落としてしまうが、毎食後やっていた。

始めた思いは、
社会復帰した時、社会人として食事をする時、箸も茶碗も左手は使えない
これでは、今関わり合っている人たちに見た目で同情されて
対等に以前のように付き合ってもらえない。

家人にも言わずにひたすら3ヶ月
ある時、食事中によく様子を見に来てくれる先生が顔を出した。

何も言わなかったが、家人に“茶碗を持って食事をしているぞ”

“人生の質”、“生活の質”

今、19年目になっているが、リハビリは続けている。
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by asanogawa-garou | 2015-01-14 15:00 | 人間模様 | Comments(0)

【五木寛之】生きることは大変だから「歓び」を   

2015年 01月 08日
【五木寛之】生きることは大変だから「歓び」を
             2014.03.14  ZAKZAK by 夕刊フジ
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〔■「生き方語れる人間ではない」〕

 世の中にはおせっかいが多い。
人生や生き方に関するハウツー本はあふれ、アドバイスをしてくれるテレビ番組は引きも切らない。だが…。

 「『こうですよ』『こうしなさい』とハッキリ言ってほしい人が多いようですね。
特にテレビはそう。
でも、ボクの性には合いません。
親鸞の『面々の御はからいなり』(ご自分でお決めになること)という言葉が好きなんです」

 約20年前に累計600万部のベストセラーとなった『生きるヒント』を再構成した新版を出した。
一般的な生き方のハウツー本とはひと味もふた味も違う。
題名通り、あくまで「ヒント」を提示するだけだ。

 「そもそもボクは人に生き方を語れるような人間ではないのです。
年齢を重ねるごとに『迷い』が深まってゆく気がしますしね」


 押しつけがましくないだけに、むしろスンナリと腑に落ちてくる。

 たとえば『歓ぶ』の章。
著者自身の体験が率直に語られている。
50代から60代にかけて男の更年期に苦しみ、
しんどい思いが続くなかで「1日1回必ず歓び、それを手帖に書くことを決めた」。
それで随分、救われたのだ、という。

 「人は絶対に『死』から逃れられず、寿命や生まれてくる環境も自分では決められません。
そう思うと『生きる』ということだけで十分、大変なことでしょう。
だからこそ歓びをもって生きたい。
どんな小さな慎ましやかな歓びであってもいいと思うのです」

〔■現代社会の病理「物語が欠如」〕

 戦争中だった少年時代には、いつも身近に死を感じていた。

 「戦争や大災害が起きると、人は『死』を考えます。
だが、『生』と『死』は切り離せないものです。
どちらかだけではなく、日ごろから常に両方を考えていることが大事。
『思い込み』でもいい。
若いときから自分なりの『死生観』を持つことでしょうね」

 80歳を過ぎた今、自身の「個人的な死」よりも「世代的な死」を思うことが増えた。
毎年3万人近い自殺者が出る一方で、
超高齢化社会になり、死にたくても死なせてもらえない人が増えてゆく。

 「これから日本人は『90歳までの人生』を覚悟しなければなりません。
大変なことですよ。“姥捨て山”もありませんから」

 イマドキの…というような安易な批判にくみするつもりはない。
だが、今の社会は、やはりどこかおかしいのではないか。病理は自殺だけではない。
親殺し、子殺し、虐待、いじめ…。

 それは「物語が欠如しているからじゃないですか」。
歌舞伎、講談、浪曲、紙芝居、おとぎ話といったさまざまな“物語”だ。

 「日常のなかで語られる『因果応報』『勧善懲悪』のストーリーを人は自然に身に付けていきました。
今はそれがないから、ケンカをしても『これ以上殴ったら死ぬ』とか、『人を殺したら家族まで苦労する』とかいう想像力が働きません。
ストーリーを構成する力に欠けているのではないか」

〔■本が売れない…「今の方が自然」〕
 活字離れが叫ばれて久しい。
その中にあって、新聞や雑誌の連載をこなし、
小説、随筆、対談と常に多くの本が出版されている。
どうしたら、こんな元気な80代でいられるのか。

 「肩書を持たないことです。ペンクラブも今は名誉理事だけ。
ただね、『本が売れない』といいますが、純文学が何十万部も売れた昔こそがバブルだったんですよ。
今ぐらいが自然じゃないでしょうか」

 ライフスタイルについては、こだわりがある。
健康診断は一度も受けたことがなく、食事にもあまり気をつかわない。
昼夜は逆転。夜中に仕事をして、昼ごろに起きるという生活を続けている。

 「ただね、健康に気をつかっていない、といわれるのは違うと思う。
病院を頼らない以上、自分の身体から聞こえてくる声に真剣に耳を傾けてきました」

 仕事への意欲も変わることがない。
軌跡を追い続ける親鸞は、80を過ぎても著作活動をこなし、
90歳まで生きた。
その師である法然は80歳、本願寺中興の祖である蓮如も85歳まで生きた。

 「念仏系(浄土宗、浄土真宗など)はみんな長生きですね。
どちらかといえば、『熱血の宗教』じゃない、血圧を下げるような宗教だからじゃないですか(苦笑)。
『親鸞』で平安末期から鎌倉という時代を10年、書き続けてきたので、
次はその時代を背景に時代小説でも書いてみたいですね」 (ペン・大谷順 カメラ・栗橋隆悦)
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【平蔵の独り言】
 たとえば『歓ぶ』の章。
著者自身の体験が率直に語られている。
50代から60代にかけて男の更年期に苦しみ、
しんどい思いが続くなかで「1日1回必ず歓び、それを手帖に書くことを決めた」。それで随分、救われたのだ、という。

 「人は絶対に『死』から逃れられず、寿命や生まれてくる環境も自分では決められません。
そう思うと『生きる』ということだけで十分、大変なことでしょう。
だからこそ歓びをもって生きたい。
どんな小さな慎ましやかな歓びであってもいいと思うのです」

【独り言】
「どんな小さな慎ましやかな歓びであってもいいと思うのです」

「1日1回必ず歓び、それを手帖に書くことを決めた」
5年日記、一日7行 そのうちの1行を楽しかったこと!
にしている。
1日を思い起こして、「小さな慎ましやかな歓び」
にしているが、これがなかなか・・・・・
やはり、嫌な事はすぐ出てくるが、“慎ましやかな”は出てこない。
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by asanogawa-garou | 2015-01-08 12:34 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)