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〔堀文子×タモリ〕「座右の銘を持つようになったら、人間はおしまいです」   

2015年 02月 23日
〔堀文子×タモリ〕「座右の銘を持つようになったら、人間はおしまいです」
「空想を巡らせる、考えの深いお子様だったのでしょうね」(堀文子)
「私は幼稚園に行かなかったんです。道行く人を眺めて過ごしていました」(タモリ)


〔「嫌い」なことは大声で言っていい〕
(堀)私の嫌いなものを大好きな方もいるから、遠慮していましたが、
間もなくあの世に渡りますので、この頃嫌いをやっと言えるようになりました。
(タモリ)私も最近は、嫌なら怒ってもいいんだと思えるようになりました。

『起承転結の“結”は、恰好つけるためだけのものです』(堀)
『座右の銘もそうですね。所詮、他人の言葉ですから』(タモリ)


〔「死ぬこと」に興味津々〕
(堀)皆さん起承転結がお好きだから。
私は「結」なしでこの世から消えていきますが……。
もう、近々なんですけどね。
これもまた興味津々で、実は興奮しています。
初めてですからね、「死」って。
『等伯以来、日本画が好きになりましたね』(タモリ)
『この年でようやく、絵がわかってきました』(堀)


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〔堀文子×タモリ〕「座右の銘を持つようになったら、人間はおしまいです」
『サライ』創刊25周年記念 特別対談 2014年11月号
堀文子さんが尊敬してやまないというタモリさんとの顔合わせが実現しました。
人生観、感性、好き嫌いなど共通するところが多いおふたりが時間を忘れて語り合います。

「空想を巡らせる、考えの深いお子様だったのでしょうね」(堀文子)
「私は幼稚園に行かなかったんです。道行く人を眺めて過ごしていました」(タモリ)
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(タモリ)いやあ、お変わりありませんね。
(堀)そんなことございません。
この世とお別れの日も近づいて参りましたので。
それより、あなた様こそお変わりありませんね。
16年前、雑誌の対談でご一緒しましたが、その時、長谷川等伯を絶賛していらしたのを覚えております。
(タモリ)ええ。『松林図屏風』ですね。
高校生の時に教科書に小さく載っているのを見かけまして、初めて「すごいな」と思いました。
(堀)ああいう地味な水墨画に感動する高校生がいた当時の日本文化の高さに驚き、
改めてあなた様の感性の並々でない鋭さに感服したことを覚えております。
等伯のあの松は奇跡の傑作です。
90年以上生きてまいりましたが、どうやって描いたのかわからない。
雨もようで遠くに霧がかかっています。
あんなふうに松をぼかすには、筆も紙もたっぷり水を含ませ、一気呵成にしあげた作品です。
絵の上に乗って描いたのでしょうか。
和紙ですから、西洋紙と違って破れやすいはずですし。
(タモリ)東京国立博物館に本物を見に行きました。
あの「にじみ」は素晴らしいと思い、
いろんな和紙を買ってきてはにじみだけ試みるのですが、うまくいかない。
やってみて等伯のすごさが一層わかりましたね。
ところで、描く時はどんなお気持ちですか。
(堀)白い紙を目の前にすると、逃げたくなります。
どうしていいかわからないし、恐怖はいつまでも消えません。
ですから、興奮しないと描けません。
私の場合は興奮より逆上に近いのです。
同じモチーフだと興奮しないから描けない。

(タモリ)誰の言葉か忘れましたが、かたちができると臭気が漂う、というようなことを言った人がいましてね。
定型ができてしまうと、何か嫌な臭いがすると。
(堀)でも巨匠になるには、同じかたちを描き続けたほうがいいのです。
富士とか桜とか。
私にはできません。
その時夢中になったものと果たし合いをするのです。
驚いたものしか描けないから、クラゲとか、雑草とか、巨匠が手を出さないものばかり描いてしまう。
私は師匠についたことがありませんから……。
あなた様は師匠はいますか。
(タモリ)私もまったく弟子入りしたことがありません。
幼稚園すら行きませんでしたから。
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〔「嫌い」なことは大声で言っていい〕
(堀)私も父から、感性の最もすぐれた幼児期にあんなところに行ってはならないと、
   幼稚園に行かせてもらえなかった口ですが、あなた様はどうして。
(タモリ)入園前に、近所の幼稚園を偵察に行ったら、
   園児たちが『♪ぎんぎんぎらぎら』と手のひらを回している。
   『こんなことできない』と行くのをやめてしまいました。
(堀)徳川家康は、幼稚園ぐらいの年齢で人質になっていたから、あれほどの武将になった。
(タモリ)でも、最初は後悔しましたね。
   今のようにゲームもなければパソコンもない。
   暇で仕方ない。
   だから玄関先に座って、道行く人を眺めて過ごしました。
   『このふたりの関係はなんだろう?』と想像したり。
   わからないと後をつけていったこともありました。
(堀)空想して、自分の考えをたぐるのがお好きだったのですね、小さい頃から。

(タモリ)ひねくれていたのでしょう。
   いまだにホームパーティに招かれても行きませんし。
(堀)あれは嫌い。
   人に食べているところを見せるなんて品の悪いことは、
   日本では法事だけでしたよ、それまでは。
   本当は『嫌い』なんて大声で言ったらいけませんが。
(タモリ)はっきりと言ったほうがいいですね。
(堀)私の嫌いなものを大好きな方もいるから、遠慮していましたが、
   間もなくあの世に渡りますので、この頃嫌いをやっと言えるようになりました。
(タモリ)私も最近は、嫌なら怒ってもいいんだと思えるようになりました。
(堀)私も怒りたいことばかりです。
   特にこの頃の日本が劣化しています。
   なぜこんなことになったのか終始腹を立てております。

『起承転結の“結”は、恰好つけるためだけのものです』(堀)
『座右の銘もそうですね。所詮、他人の言葉ですから』(タモリ)


(タモリ)明治10年代にイザベラ・バードという英国人女性が、日本の東北や北海道を旅しているのですが(『日本奥地紀行』)、アイヌの村に行った際は、彼らから学ぶことがたくさんあると感激しています。
(堀)日本は、日露戦争で勝ってからおかしくなったのかもしれませんね。
(タモリ)随分昔の話ですが、確かに勝ったかどうかもわからない戦争でした。
(堀)大国ロシアにとっては蚊に刺されたようなものですよ。
革命前夜でそれどころじゃなかったのだから。
(タモリ)向こうには負けた感覚がなかったでしょうね。
だからアメリカの仲介なくして、戦争が終わらなかったわけですし。
(堀)でも勝ったと信じて、日本は自分たちを大国だと思ってしまった。
日本は今でも大国なんかじゃありません。
勘違いし続けているから、これほど劣化してしまったのかもしれませんね。
だってテレビでもバカ笑いばかりでしょう。
あなた様のような知的な笑いが減ってしまった。

(タモリ)確かに「爆笑」を求められますね。
(堀)いたずらに笑っているのよ。
面白くもないのに皆で大口を開けて笑っている。
(タモリ)「いたずらに」っていうのがいいですね。
私も最初の頃は随分、「で、オチは?」と言われたものです。
「オチはありません」と言うと驚かれました。
(堀)皆、恰好をつけたがるのね。
キザなことを口にして、すぐに起承転結をつけたがる。
私には「結」がございません。

〔「死ぬこと」に興味津々〕
(タモリ)「結」はいりませんね。
  決め台詞のひとつで、「お袋のカレーが一番おいしい」というあれ、嫌いですね。
  だってインスタントカレーですから。
  おいしくも何ともない。
(堀)孝行息子と思われたいのね。
(タモリ)そう。そういうところに落とそうとしている。
  座右の銘なんかも同じですが、あれも嫌いですね。
(堀)私も先日、取材で「座右の銘は何ですか」と聞かれて、
  そんなものはございませんと答えましたが、許してもらえませんでした。
(タモリ)私も座右の銘を持たない主義だと言い続けていたのですが、それでもしつこく聞かれる。
  だから「人間にとって一番大切なことは人生である」とか適当なことを口にしていたら、それをありがたがってメモする人間がいる。
  だいたい、大概の座右の銘は他人の言葉ですから。
  座右の銘を持つようになっちゃあ、人間、駄目ですね。
(堀)誰もが口にすることを答えたほうが、皆、安心するのね。
  だから「結」はいらないなんて言ってはいけないのです。
(タモリ)先日、(笑福亭)鶴瓶に、落語の最後で「どうだ、きれいに収めただろう」と言わんばかりにオチを言ってお辞儀をするのは、あれは見え見えでよくないと言ったんです。
  恰好つけているだけだ、と。
  そうしたら鶴瓶、最近は手を振りながら退場しているそうです。
(堀)皆さん起承転結がお好きだから。
  私は「結」なしでこの世から消えていきますが……。
  もう、近々なんですけどね。
  これもまた興味津々で、実は興奮しています。
  初めてですからね、「死」って。
(タモリ)ある本に書かれていた話ですが、
  中国にやたらと前世を記憶している人は3~5年で必ず生まれ変わる。
  死ぬ時に橋を渡るのですが、そのたもとでスープが渡される。
  飲んでしまうと前世の記憶が消え、飲まないと記憶が残る。
  その村人に聞くと、前世の記憶が残っていて良かったかどうか、五分五分だそうですが。
(堀)昆虫や鳥に生まれ変わることはあるの。
(タモリ)ないみたいですね。男女が入れ替わることも少ないようです。
(堀)あなた様は記憶力のいい方だから、そういうお話をよく覚えてらっしゃるのですね。
(タモリ)最近は忘れてばかりです。
  眼鏡の置き場とかね。
  以前は複数のことを同時に思考できたのが、今では難しいですし。
(堀)私などはもうガタが来ていますから、やりたいことができません。
  あなた様も、おやりになりたいことがあったら、誰にも相談しないで即やることね。
  いつ来るかわかりませんよ、そういうばかばかしい自分が。
  最近は、そういう自分を忘れるために、お酒を飲みます。
  昨日もヒレ酒をいただいてきました。
(タモリ)あれ、美味ですね。
  以前、フグのヒレ以外でできないかと、いろんなヒレで試したことがあります。
  行き着いたのは、干し椎茸。
  椎茸をあぶって熱燗を注ぐと、雰囲気は出ます。
  やり過ぎると単なる椎茸のだし汁になってしまうのですが……。
(堀)あら、お好きなのね。
  ずっと気兼ねしてお誘いできなかったのですが、
  では今度フグのヒレ酒をご一緒にいかがですか。
(タモリ)ええ、ぜひご一緒しましょう。

『等伯以来、日本画が好きになりましたね』(タモリ)
『この年でようやく、絵がわかってきました』(堀)

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【平蔵の独り言】
〔「嫌い」なことは大声で言っていい〕
(堀)私も父から、感性の最もすぐれた幼児期にあんなところに行ってはならないと、
  幼稚園に行かせてもらえなかった口ですが、あなた様はどうして。
(タモリ)入園前に、近所の幼稚園を偵察に行ったら、
  園児たちが『♪ぎんぎんぎらぎら』と手のひらを回している。
  『こんなことできない』と行くのをやめてしまいました。

【独り言】
一番可能性が無限大にある時、枠に嵌めることで安心しているのですよね!


【平蔵の独り言】
(堀)でも勝ったと信じて、日本は自分たちを大国だと思ってしまった。
  日本は今でも大国なんかじゃありません。
  勘違いし続けているから、これほど劣化してしまったのかもしれませんね。

  だってテレビでもバカ笑いばかりでしょう。
  あなた様のような知的な笑いが減ってしまった。
(タモリ)確かに「爆笑」を求められますね。
(堀)いたずらに笑っているのよ。
  面白くもないのに皆で大口を開けて笑っている。
(タモリ)「いたずらに」っていうのがいいですね。
  私も最初の頃は随分、「で、オチは?」と言われたものです。
  「オチはありません」と言うと驚かれました。

【独り言】
ウケを狙って、演じているから面白くも何ともない。
何で今年80歳の“徹子の部屋”が毎日放送しているのか!
黒柳徹子の歩いてきた人生の襞とゲストの百人百様の人生のぶつけ合いが楽しい。

黒柳徹子、美輪明宏、五木寛之 みんな傘寿で活躍

還暦になった時、古希を健康でと目指してきたが、
もうすぐ、見えてきた。

今度は傘寿! ちょっと遠いから喜寿を目指して

身近に傘寿で現役の人、

今年 100歳 春には個展を開く画家がいる・・・・・
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by asanogawa-garou | 2015-02-23 15:28 | 人間模様 | Comments(0)

〔なんてことない生活が一番〕普通に生きて、生活している。   

2015年 02月 16日
〔なんてことない生活が一番〕普通に生きて、生活している。
「週刊現代」2014年12月6日号より

【第1部 下積み時代、成功後でどう変わったか有名人が「カネとの付き合い方」を次々に明かす】

〔作家の安部譲二氏〕ある程度のカネは必要だなということ。

〔'80年代の漫才ブームに乗って、漫才師でタレントの島田洋七氏〕
人間、カネがないと暮らしていけないのは確かだが、カネさえあれば幸せというわけではない。
〔所詮は紙切れです〕
昔、ばあさんが『カネは紙ばい』と言っていたのを思い出しました。
『だから、心の金持ちのほうがよかばい』ってね。

〔俳優でタレントの毒蝮三太夫氏〕どちらかと言えば、カネがない場合のほうが幸福感の密度が濃いよね。
人は裕福になるとバカになっちゃうところがあるからね。

〔カネに左右されない〕
それはカネの下品さに負けたくないから。

〔漫画家の黒鉄ヒロシ氏〕それはカネの下品さに負けたくないから。

〔映画監督の井筒和幸氏〕「カネというのは人心を左右させる、汚いものだ」と言い切る。

〔多少の貯えがあればいい〕初代林家三平の妻でエッセイストの海老名香葉子氏
うちによくたけしさん(北野武)が遊びに来るんですが、
すいとんとお漬物を出すくらいです。


〔作家の安部譲二氏〕ある程度のカネは必要だなということ。
でも『幸せはカネではない』なんて、そこそこ基盤がある人だから言えることだ。

【第3部 なぜか、ホッとしている自分に気付いた 転落して手に入れた「私の小さな、小さな幸せ」】

〔元FXトレーダーの磯貝清明氏〕10億円が消えた後に

〔アダルトビデオ業界で一世を風靡した村西とおる氏〕本当の豊かさはそんなところにはない。

〔元中日・西武投手の宮下昌己氏が当時を回想する。〕おカネなんてそこそこでいいと思うんですよ。


「おカネなんてそこそこでいいと思うんですよ。なまじ大金を持っていたら、一時的な楽しみに浪費して、自分や周りのために使うことを忘れてしまう。若い連中を集めた時に、『これで一杯やりな』と言える程度のカネがあれば十分なんです」

〔'70年代にはレギュラー番組の司会を何本も持っていた、せんだみつお氏〕「今、何に幸せを感じるのか」
「猫がかわいい、なんて小さなことに幸せを感じます。エサをあげるときに甘えた鳴き声を出すのがたまらないんです」

〔身の丈に合った小さな幸せを見つけられるか否か。〕
納豆に干物、海苔、味噌汁なんて朝飯がいかに美味いか、ということを痛感するだろうね。
幸せっていうのは案外そばにあるんだよね」
身の丈に合った小さな幸せを見つけられるか否か。
それこそが幸福へのカギを握っていることは間違いないだろう。

【人間に大切なのは愛とカネだよ】
愛がたくさんあれば、カネは少なくてもいい。

〔多少の貯えがあればいい〕

【第1部 下積み時代、成功後でどう変わったか有名人が「カネとの付き合い方」を次々に明かす】
全角度調査「収入」と「幸福度」の相関関係

おカネがなければ、生きていけないおカネがあるだけでは、幸せにはなれない
おカネがあれば、はたして幸せになれるのか。
この大問題は、貨幣が生まれて以来、人類を悩ませてきた。
最前線で活躍する研究者や一家言をもつ著名人への取材を通して、
おカネと幸福度の不思議な関係を明らかにする。

〔作家の安部譲二氏〕ある程度のカネは必要だなということ。
「今年77歳になりますが、この歳になって思うのは、ある程度のカネは必要だなということ。
30代、40代なら働けばいつでも稼げるという気持ちがあるから、貧乏を恐れない。でも、歳を取って気力も体力も衰えてくると、最低限のカネを持ってないと不安だな」
こう語るのは、作家の安部譲二氏だ。
前半生をヤクザ者として過ごし、50歳からは作家として活躍した安部氏の生き様は、一般人と比べるには波乱万丈すぎるかもしれない。
だが、彼もまた人並みにカネの悩みと付き合いながら生きている。
「うちの女房は年金を月にいくらかもらっているんだよ。たいしたもんだ。私は年金なんてまるで縁がない。誰もそんな制度のことなんて教えてくれなかったからね(笑)」
現役時代にはずいぶん稼いで遊んできた人間が、年金暮らしになると、カネとの付き合い方ががらっと変わるように、額面は同じでも、人によってカネが持つ価値や効果は千差万別だ。

〔'80年代の漫才ブームに乗って、漫才師でタレントの島田洋七氏〕
人間、カネがないと暮らしていけないのは確かだが、
カネさえあれば幸せというわけではない。
いろいろなカネとの付き合いをしてきた有名人の話を聞きながら、
カネがもたらす幸せとその限界について考えてみたい。

'80年代の漫才ブームに乗って、
月収8000万円を稼いだこともある漫才師でタレントの島田洋七氏は、一時期、家の押し入れに3億円以上の現金があったという。
ギャラの袋をファンレターと間違えてしまいこんでいたのだ。
「1000万円くらいずつビニールに入っていたけれど、それを破ったらインクの匂いがしました。
だから、やっぱり所詮は紙切れなんですよ。
昔、ばあさんが『カネは紙ばい』と言っていたのを思い出しました。
『だから、心の金持ちのほうがよかばい』ってね。
それで、紙に執着したり、惑わされたりするのはバカらしいと思うようになりましたね。
だから月に何千万円もらっても、金銭感覚はまったく狂いませんでした」
若くして大金を得た島田氏だが、その後、売れなくなった時期もあった。
稼ぎの浮き沈みが激しくても、カネを紙切れだと思える体験があったから、価値観がぶれなかったのだろう。
〔所詮は紙切れです〕
「どれだけ稼いでも、カネの使い道は飲み食いくらいなもの。
弟子やらマネージャーやらを呼んで食べるだけです。
高級なブランド品なんか興味がないですから。
カネと幸せはたぶん関係ないです。
75歳とか80歳になって貯めこんでいる人は逆に焦ると思いますよ。
カネって不思議なもので、知らない人にあげにくいし、あの世に持って行けるわけでもない。
火をつけたら燃える、ただの紙ですしね」

〔俳優でタレントの毒蝮三太夫氏〕どちらかと言えば、カネがない場合のほうが幸福感の密度が濃いよね。
俳優でタレントの毒蝮三太夫氏も、カネがなくとも幸せな生活は送れるという。
「カネはないと不自由だが、ありすぎても不自由ではないと(立川)談志がよく言ってたけど、
確かにそういう面はある。
でも、『満つれば虧く』というように、持ちすぎるとこれほど厄介なものもない。
借りに来るやつがいるとか、襲われるとかいろんな不幸を生む場合もあるから……。
どちらかと言えば、カネがない場合のほうが幸福感の密度が濃いよね。
たとえば、いまは日本人も豊かになって気軽に鰻や、海老の天ぷらを食っている。
だけど昔の江戸っ子なんかは普段はドジョウしか食えないけど、
節約して年に一度くらい鰻を食おうという楽しみがあった。
そういうメリハリがあるほうが、強く幸せを感じるもんなんだ」

毒蝮氏自身、父は大工で母は体が弱く、子供時代は貧乏暮らしだった。
だが貧しい暮らしに不便は感じても不幸だと感じたことはなかったという。
そして貧乏なだけに、旨いものを食った時にはありがたみを実感できた。
経済的豊かさと幸福感が比例するものではないということを、身をもって体験してきた。
「これも談志の言っていたことだけど、
それなりのカネがあるのに毎日の生活に満足できないようだったら、
貧しかった時代を思い出して『鰻断ち』『天ぷら断ち』でもしてみればいい。
人は裕福になるとバカになっちゃうところがあるからね」

〔カネに左右されない〕
それはカネの下品さに負けたくないから。
カネはあったらあった、なかったらなかったで、それなりに凌げるものです
『カネは天下の回りもの』という言葉を実践しているんです

〔漫画家の黒鉄ヒロシ氏〕それはカネの下品さに負けたくないから。
漫画家の黒鉄ヒロシ氏は「カネの使いかたには、恬淡としていたい」と話す。
「昔の日本人には、カネがなくても晴耕雨読で生きていけるという高い精神性がありました。
江戸時代の寺子屋などでは、そういう考え方を教育していましたからね。
しかし、敗戦後はアメリカから価値観をひっくり返されたんです。
それから、誰かと飲みに行くなら、黙って自分が全部払うという人と行きたいですね。
『俺が払ったぞ』と自慢しない人。
なにも言わなくても、周りは誰が払ったか理解していて、『次は自分が』という付き合い方が理想です。
これがカネに左右されない生き方でしょう。
私は、カネを一気に使うほうです。
それはカネの下品さに負けたくないから。
カネに負けるということは自分の欲望に負けることと同じ。
『カネは使うものではなくて、捨てるものだ』くらいに考えていますよ」

カネを捨てる—その境地に達するのは至難の業だろうが、
いつまでも執着して気を揉んでいては、幸せが逃げていくのは間違いない。

〔映画監督の井筒和幸氏〕「カネというのは人心を左右させる、汚いものだ」と言い切る。

映画監督の井筒和幸氏は「カネというのは人心を左右させる、汚いものだ」と言い切る。
「『カネに目がくらむ』というがごとし。みんな目がくらむんですよ。
俺は全くくらまないけどね。それは、くらむとストレスがたまるに決まってるからね。
それを知っていないとダメです。
これまで俺は『ギャラが少ない』と文句を言ったことは一度もない。
こんな虚業で才能もないくせに『最低これくらいほしい』とか労働組合みたいな文句を言うやつが多すぎる。
芸術の対価というのは相手の評価でしょう?
いっぱいくれるなら、『自分のことを評価してくれているんだな』と感じるし、
少なければ『俺はそれくらいしか評価されてないのか。それで片付けられようとしてるんだな』と思うわけです。逆に人を見る材料になります」

井筒監督は、撮影中の事故で亡くなった俳優の補償金のために多額の借金を抱えたこともある。
'91年、映画『東方見聞録』の撮影中に若手俳優が川で溺死。
翌年映画の制作会社が負債を抱えて倒産したため、
5000万円もの補償金を監督が一人で背負うことになったのだ。
「普通は会社が払うんだろうけど、会社に払えるカネがなかったからね。
誰かが払わなきゃいけないから、俺が払ったんです。別にたいへんでもなんでもなかったよ。
カネはあったらあった、なかったらなかったで、それなりに凌げるものです」

〔初代林家三平の妻でエッセイストの海老名香葉子氏〕多少の貯えがあればいい
うちによくたけしさん(北野武)が遊びに来るんですが、
すいとんとお漬物を出すくらいです。


同じく「人に喜んでもらうおカネの使いかたが大切」だと語るのは、
初代林家三平の妻でエッセイストの海老名香葉子氏だ。

「たとえばみんなで一緒に旅行に行こうというのは、
生きたおカネの使いかただと思います。
あとおカネは人に貸さないこと—貸すと相手は返さないといけなくなる。
もし返せなくなったとき、
疎遠になってしまいますからね。
だから貸すぐらいだったら、
お小遣いとしてあげるんです。
生活の苦しそうな弟子には、
額は小さくてもお年玉だよって、
1万円くらいあげるんです。

それでも生活の足しにはなるでしょ。
反対にお金持ちの人には、いいものをあげても仕方ない。
うちによくたけしさん(北野武)が遊びに来るんですが、
すいとんとお漬物を出すくらいです。
外で美味しいものをいっぱい食べている人には、
こういう手作りのものがいちばん喜んでもらえる。決して背伸びをしないんです」

芸人の妻として林家一門を支え続けてきた海老名氏。
先代の三平は仕事が終わると六本木に飲みに行き、
祝儀袋を全部置いてくるような人だったから、
カネの苦労が絶えなかったという。

「昔の芸人はみんな貧乏でしたね。
どういうわけか人が集まる家で、
小せん師匠(四代目)や圓歌師匠はよく泊まりにいらっしゃいました。
『今からみんなで帰るから』と言われて、
お酒を用意したいと思ってもそのおカネがない。
しかたなくうちに残っていたお酒に水を混ぜたこともありました。
意外とわからないものですよ。

よく江戸っ子は『宵越しのカネは持たない』なんて言いますが、あれは働き手の話。
私たち家を守る側には多少の貯えが必要です。
だから義母や弟子たちと内職をして稼ぎましたよ。
夫は稼ぐようになっても、全部外で使ってきちゃう人でしたからね。
あの頃は外に女の人ができると私がおカネを持っていきました。
『今月分を預かってきました。よろしくお願いします』とね。
おカネがなかったら大変でしたよ。
外の女性と戦うのにもおカネがいるんですから。
だから貯蓄は大事なんです。

でもこの歳になってみると、おカネよりも情の貯蓄が大切ですね。
直接おカネをあげるわけではなくても、
この子のためにこれを買ってあげましょう、
あの子のために払ってあげましょうというように使えば、必ず返ってくるものです。
だからいま私は、情の貯蓄をしてあるんです」

〔作家の安部譲二氏〕ある程度のカネは必要だなということ。
でも『幸せはカネではない』なんて、そこそこ基盤がある人だから言えることだ。
冒頭の安部譲二氏は、作家として駆け出しだったとき、
講談社の雑誌に原稿を書いても原稿料が入って来ないことがあったそうだ。
「『元ヤクザに原稿料支払っても大丈夫か。本当に堅気になったのか』と不安だったんだろうね。でも、本がベストセラーになって、作家として認められた。
印税でばくち打ち時代の借金を返したんだけど、そのあと税務署がきた。
もうすっからかんで払えないので、中学の同級生だった橋本龍太郎(当時は大蔵大臣)のところへ行ったんだ。
名刺に『安部君をよろしくご配慮いただきたい』と書いてハンコを押してくれたので税務署に持って行った。
そしたら、ヤクザ時代の経験があったから本が書けたということで、借金の一部を必要経費として認めてくれたんだ。
このことは絶対しゃべるなよと言われたけれど、もう30年近くも前の話だからいいだろう」
かつて派手に稼いだこともあったけれど、

今はごくつつましい生活をしているという安部氏。
飲みに行くにしても、中ジョッキ380円、豚バラの串焼き150円といった大衆的な店で楽しむ。
「でも『幸せはカネではない』なんて、そこそこ基盤がある人だから言えることだ。
俺にあるのはせいぜい前科くらいのもの。
そこまでは言えないね。

人間に大切なのは愛とカネだよ。
愛がたくさんあれば、カネは少なくてもいい。
愛が少ないやつはカネがたくさん要るだろう」
カネで幸せは買えない。
言い古された表現かもしれないが、様々な経験をしてきた人ほど、
その言葉の重みを身に染みて感じているに違いない。

【第3部 なぜか、ホッとしている自分に気付いた 転落して手に入れた「私の小さな、小さな幸せ」】

〔元FXトレーダーの磯貝清明氏〕10億円が消えた後に
「金持ちになってから転落するまで、あっと言う間でした。だから、いまだに実感がありません」
元FXトレーダーの磯貝清明氏はこう語った。
磯貝氏は家業である再生資源回収・卸業の傍ら、FX投資で資産10億円を築くことに成功。
一時は、一日に1億ポンド(当時の円換算で約250億円)を取り引きし、「日本一ポンドを持つ男」と呼ばれたが、'07年のサブプライム・ショックを契機に3億円の負債を抱えるまでに転落した。

莫大なカネを手に入れた人間がそれを失う時、一体、何を思うのだろう。
転落してもなおカネに執着するのか、まったく別のものに幸福を見出すのか。
本章では転落の当事者たちに、その壮絶な経験から得たものを語ってもらった。
磯貝氏の話に戻ろう。
「私がFXに熱中していたのは、ちょうど六本木ヒルズが脚光を浴びていた時期です。まずヒルズの会員制レストランに入会しました。
入会金は併設のスパと併せて300万円ぐらいだったでしょうか。
それだけでヒルズ族の一員になれたような気がして、誇らしい気持ちでした。
その頃、ヒルズ内のジムに行くと、よくホリエモン(堀江貴文氏)を見かけました。
そのだらしない身体を見て、『こいつは俺よりカネを持っているかもしれないけれど、俺のほうが断然イケてるぜ』と思ったりしたものです(笑)」

家賃月80万円の部屋を借り、3200万円のランボルギーニを乗り回し、食費だけでも年2000万円を超える豪遊生活を送った。
だが、そんな生活が長続きするはずはなく、'07年9月の時点で10億円あった資産は3000万円にまで激減。
さらに翌年、国税当局から所得隠しを指摘され、重加算税や刑事罰の罰金などを合わせて3億円の支払いを命じられた。
「本税は支払い終えましたが、まだ延滞利息などが1億円以上残っています。
しんどいですが、正直、ホッとしている部分もあります。」
磯貝氏は今年、結婚したという。
「もし戻れるのなら、今でもヒルズの生活に戻りたいですか?」と磯貝氏に尋ねた。
「あの頃よりも今のほうが、ずっと人間らしい生活を送っていると思います。
やっぱり、喜びや苦しみを分かち合えるパートナーがいるのは大きいですよ。
独身でおカネを持っていてもドンチャン騒ぎするだけでロクなことがありませんから」

〔アダルトビデオ業界で一世を風靡した村西とおる氏〕本当の豊かさはそんなところにはない。
莫大なカネを儲けている最中に強烈な不安を覚える人は少なくない。
「ナイスですね」の掛け声によって、アダルトビデオ業界で一世を風靡した村西とおる氏も、
成功のただ中で似た不安を抱えていた。
「最盛期は毎月10億円の収入がありました。
しかし、金持ちになっていく間、何かに追い立てられるような気持ちから抜け出せませんでした。
というのも、月収10億円といっても、月収10万円の人の1万倍働いているわけではない。
運でしかない、と自分でわかっていました。
だから、『俺はこの収入を維持していけるのだろうか』と不安で仕方がなかった」
村西氏はカネを湯水のごとく使うことで、不安を打ち消そうとした。
「車は1億円のロールスロイスに乗り、4階建てのヘリポート付きのクルーザーを買ったり、女優に高級バッグを買ってあげたり、周囲の人に奢ったりと豪勢な生活を送っていました。
でも、1日に100万、200万円使うっていうのは本当に大変なんです。
しかも、それで尊敬されるどころか、笑われていました。
私がおカネを払ってあげた人たちも全然感謝してくれなかった。
自分は所詮、あぶく銭のなかで踊っているにすぎなかったんです」
その後、多角経営に乗り出すも失敗。

今、村西氏はどんな生活をしているのか。
「今はなんとか食事に困らない程度の生活を送れています。
一文無しになって、すべてものの考え方次第だと気づきました。
孫(正義)さんがお金持ちだといっても、一日5食は食べられません。
本当の豊かさはそんなところにはない。
たまにファミレスに行くんですが、安ワインを飲むだけで、心から『今日は贅沢したな』と思えます。昔はそんなこと思いもしなかった」

〔元中日・西武投手の宮下昌己氏が当時を回想する。〕おカネなんてそこそこでいいと思うんですよ。
スポーツ界ほど、現役時代と引退後の生活が変化する世界も珍しいだろう。
元中日・西武投手の宮下昌己氏が当時を回想する。
「まさに宵越しのカネは持たないという生活でしたね。
周りの先輩たちが競馬のレースに数十万円をポンとかけたり、
ギャンブルに半端ないカネをつぎ込んでいるのを見ました。
僕はそこまでしなかったけど、それが当たり前だと疑わなかった。
若いから今おカネがなくなっても、明日この腕一本で稼ぎ出せるという自信がありました。
でも一方で、現役時代は『こんな生活は今だけだ』と醒めたところもあった」
引退後は吉祥寺で飲食店を経営するも、入居していたビルから立ち退きを求められ閉店。
その後、契約社員としてあちこちの企業を転々とし、現在は都内で家業のコメ屋を継ぎながら、少年野球チームのコーチを務めている。
「おカネなんてそこそこでいいと思うんですよ。なまじ大金を持っていたら、一時的な楽しみに浪費して、自分や周りのために使うことを忘れてしまう。若い連中を集めた時に、『これで一杯やりな』と言える程度のカネがあれば十分なんです」

〔'70年代にはレギュラー番組の司会を何本も持っていた、せんだみつお氏〕「今、何に幸せを感じるのか」
野球界に負けず劣らず、浮き沈みの激しいのがテレビ業界だ。
'70年代にはレギュラー番組の司会を何本も持っていた、せんだみつお氏が自身の経験を語る。
「売れていた時は『地球は俺のために回っている』と勘違いするくらいイケイケな気持ちでした。
しかし、人気商売の宿命で、しばらくすると飽きられ、人気も下火になりました」
せんだ氏は現在、結婚式の司会、講演会の仕事がメインだという。

そんなせんだ氏に、「今、何に幸せを感じるのか」を訊いた。
「猫がかわいい、なんて小さなことに幸せを感じます。
以前はそんなことを考える余裕もなかった。
エサをあげるときに甘えた鳴き声を出すのがたまらないんです。
7年前から飼い始めたのですが、それ以来、司会や講演会などの仕事が増えました。いわば招き猫です」

〔身の丈に合った小さな幸せを見つけられるか否か。〕
では一体どうすれば幸せになれるのか。第1部に登場した毒蝮三太夫氏に訊いた。
「中東の石油王になりたいと思ったことはあるよ。
プールに寝転んで、美女を何十人も侍らして……そんな酒池肉林のハーレムをつくってみたいってね(笑)。
でも、実際にそんな体験をしたら、逆に納豆に干物、海苔、味噌汁なんて朝飯がいかに美味いか、ということを痛感するだろうね。
幸せっていうのは案外そばにあるんだよね」
身の丈に合った小さな幸せを見つけられるか否か。
それこそが幸福へのカギを握っていることは間違いないだろう。
「週刊現代」2014年12月6日号より

【平蔵の独り言】
〔身の丈に合った小さな幸せを見つけられるか否か。〕と言っているが、
登場している人はなんてない生活をしてこなかった

下積み時代、成功後でどう変わったか
転落して手に入れた「私の小さな、小さな幸せ」

経歴の人だと、思った。

【独り言】

この特集の何とも言えない違和感はここにあったのか!

市井の人は普通に生きて、生活している
不自由な日常の中にも豊かな日常の暮らしがある。
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by asanogawa-garou | 2015-02-16 14:44 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)