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【北野武】監督と役者の関わりを批判「なんてやるから間抜けな映画に」   

2015年 04月 20日
北野武、監督と役者の関わりを批判「なんてやるから間抜けな映画に」
マイナビニュース 2015年4月14日
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映画監督の北野武が、13日に放送されたフジテレビ系バラエティ番組『SMAP×SMAP』(毎週月曜22:00~、13日は22:15~)で、「監督は役者に関わってはいけない」との持論を展開した。

今回、「BISTRO SMAP」のコーナーに、映画『龍三と七人の子分たち』(4月25日公開)の北野武監督と、
出演者の藤竜也、中尾彬、安田顕、萬田久子が登場。

北野監督の現場での様子について中尾と藤が「不愛想」「日本一不愛想」と明かし、
監督自身も「一言も口きいてないのよ」と語った。

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中居正広が「何でコミュニケーションとらないんですか?」と聞くと、

「それが一番ダメなんだよ。
監督と役者のコミュニケーションなんてやるから、間抜けな映画撮っちゃう」と北野監督。

「擁するに、役者に関わっちゃいけないの。
常に客観的に」と続け、
「食事したり酒飲んだりすると、情が出るでしょ。
そうしたら冷静にその役者を見れなくなるから」と説明した。

萬田も「本当に目を合わせてくださらない」
「武さんのお声を聞いたことがなかった」と現場の様子を告白。

北野監督は、テントの中にこもってモニターをチェックし、
何かあったら助監督を通して指示をしていたという。

それでも、「不愛想なんですけど救いもあるんですよ」と藤。
「時々、よっぽど気に入った時に、
"天の岩戸"から出てきて、おもしろかったよって。そのインパクト!」と語った。

北野監督はまた、
「お笑い出身だから、一発OKにしたいのよ。
2回目、3回目と重ねるたびに新鮮さがなくなって」との考えも明かした。
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【西本さんが仰木監督に】
西本が勇退を決意した段階で、
仰木に「監督になったら選手と絶対に麻雀をするな」と一言を言っている。
西本は情に厚いゆえに最後の最後に勝ちに恵まれず、
悲運の名将といわれる。
以来、仰木は選手との麻雀をいっさいしなくなった。
「仰木彬」50年の野球人生( グランドで死ねれば本望だ)2011/4

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【仲代達矢=『春との旅』徳永えり】

祖父・忠男と春の関係は、決して“分かりやすい”優しさや愛情で描かれているわけではない。
2人の間の“距離”や春が抱える寂寥感をスクリーンに映し出すために、
小林監督からは現場でこんな指示が出されたという。

「監督からは、仲代さんとは親しく話をしないようにと言われましたし、
スタッフさんにも私に優しく接しないように指示を出されていたそうです。
『基本的にひとり、孤独でいなさい』と。ずっと現場でひとりぼっちでした(苦笑)」。


『春との旅』徳永えりインタビューの中で:
•──撮影中は役柄上、仲代さんとはあまり話したりコミュニケーションをとらないでくださいと言われましたし、スタッフにも、私に対してフレンドリーにしないように言われていたみたいです。
なので、ロケ中、ずっと1人でこもっていて孤独でした。

仲代達矢=『春との旅』 徳永えり 2010/8
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【平蔵の独り言】
「何でコミュニケーションとらないんですか?」と聞くと、「それが一番ダメなんだよ。
監督と役者のコミュニケーションなんてやるから、間抜けな映画撮っちゃう」と北野監督。
「擁するに、役者に関わっちゃいけないの。常に客観的に」と続け、
「食事したり酒飲んだりすると、情が出るでしょ。
そうしたら冷静にその役者を見れなくなるから」と説明した。

仰木に「監督になったら選手と絶対に麻雀をするな」と一言を言っている。
西本は情に厚いゆえに最後の最後に勝ちに恵まれず、
悲運の名将といわれる。

•──撮影中は役柄上、仲代さんとはあまり話したりコミュニケーションをとらないでくださいと言われましたし、スタッフにも、私に対してフレンドリーにしないように言われていたみたいです。
なので、ロケ中、ずっと1人でこもっていて孤独でした。

【独り言】
ずぶずぶの関係になると、情が湧いて
お互いの立場を客観的に見えなくなるんですね!

監督と役者、監督と選手、俳優同士

これは一般社会でも 会社の上司と部下、夫婦・家族

価値観が多様化しているのに、共有していかないと不安
(みんなと同じことをしていれば安心)

そして見て見ぬをしていればいい!

立場・立場でできることをするばいいのに、
こんなことを思うと“時代が違いますよ”・・・・・

但し、コミュニケーションをとれる人たちが基本で
先日、合コン(8対8)に参加した 女子から結果どうでした?
「コミュニケーション能力が ”ゼロ” で一人もこっちを向いて興味を持ってもらおう」
という、努力が感じられませんでした。
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by asanogawa-garou | 2015-04-20 15:10 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

〔荒井由実〕『卒業写真』を語ろう。〔深刻な音楽は作りたくない〕ユーミンの音楽はニュー・ミュージック   

2015年 04月 15日
〔荒井由実〕『卒業写真』を語ろう。〔深刻な音楽は作りたくない〕ユーミンの音楽はニュー・ミュージック
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〔ユーミンはまだ無名だった〕
この歌をユーミンに発注した時は「ハイ・ファイにデビュー曲を書いてほしい」と伝えただけで、テーマは指定しなかったんですよ。

〔2度と戻れない青春〕
卒業を経て自分は変わってしまったけど「あなた」は変わらないでいてくれた。
でもだからこそ、話しかけることができなかった。
「あの頃」には、もう2度と戻れないーー。

〔深刻な音楽は作りたくない〕ユーミンの音楽はニュー・ミュージック
「私は、深刻に考え込むような音楽は作りたくない。朝起きてすぐとか、夜眠る前にふと聴きたくなるような、自然に生活に寄り添える歌が作りたい」

(冨澤)この曲は、多くのアーティストにカバーさせてもいます。
それは、ユーミンが歌う『卒業写真』が、絵画で言えばデッサンのようにシンプルだからです。
そのデッサンの質が、とても高い。
だからこそ、そのデッサンをもとに、油絵にするのか、日本画にするのか、
それぞれのアーティストが好きなように色づけできる。
自分が歌ったらどんな曲になるだろうと、ミュージシャンもカバーしてみたくなる。
(田家)それほどに、曲としての素材の良さが光っている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

〔ユーミンはまだ無名だった〕
(冨澤)『卒業写真』がはじめて世に出たのは'75年2月5日でしたが、
それはユーミンの歌としてではなかった。
旧姓の「荒井由実」で作詞作曲し、コーラスグループ「ハイ・ファイ・セット」に提供したんです。
その4ヶ月後、ユーミン自身もアルバム『COBALT.HOUR』にこの歌を収録した。
(有賀)私はディレクターとして「ハイ・ファイ・セット」とユーミンのレコーディングに関わりました。
当時、ユーミンは2枚のアルバムを出していましたが、
まだ知る人ぞ知るという存在で、国民的歌手ではなかった。
それでも、彼女はすでに作曲家として圧倒的な才能を発揮していました。
(田家)『ひこうき雲』や『やさしさに包まれたら』で彼女の評価が高まっていた時期でしたね。
そんな中、『卒業写真』はどのような経緯で生まれたんですか。
(有賀)『翼をください』で有名な山本潤子さんを中心とした「ハイ・ファイ・セット」が、
僕が務めていたアルファレコードからデビューすることになり、
それならぜひユーミンに書いてもらおうと、楽曲提供を依頼したんです。
ですが、この歌をユーミンに発注した時は「ハイ・ファイにデビュー曲を書いてほしい」と伝えただけで、
テーマは指定しなかったんですよ。

(冨澤)すると、卒業をテーマに選んだのはユーミン自身だった。
(有賀)ええ、ただ発売日は伝えていましたから、
彼女には「卒業シーズンに出す曲」というがあったのでしょう。
発注してからそう時間が経たないうちに、彼女から「曲ができました」と連絡が来た。
会いに行くと、ピアノで弾き語った『卒業写真』のデモテープを渡してくれたんです。
(田家)はじめてあの歌を聴いた時は、どんな印象でしたか。
(有賀)ピアノと歌だけが吹き込まれたデモテープの段階から、もう完成されているんです。
歌詞もメロディも、隅から隅まできちんと練られていて、注文をつけるところなんてなかった。
当時、楽曲提供は作曲者と作詞者が別々のケースが多かったけど、
ユーミンは同時に作ってくるんです。
彼女は作曲の際、詞とメロディが一緒に浮かんでくると言っていました。
『卒業写真』も、そうして生まれた歌です。
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〔2度と戻れない青春〕
(冨澤)あの歌は、舞台を設定することで登場人物の心情を鮮明に浮き上がらせている。
学校を出て数年が経ち、偶然町で好きだった「あなた」を見かけた。
その時の主人公の切ない気持ちを描き出しています。
(田家)そうですね。
卒業を経て自分は変わってしまったけど「あなた」は変わらないでいてくれた。
でもだからこそ、話しかけることができなかった。
「あの頃」には、もう2度と戻れないーー。
ユーミンは、そんな誰もが経験するやり切れない気持ちを、
「卒業写真」という言葉に込めたのでしょう。

(冨澤)この曲が出た'75年は、ユーミンにとって「運命の年」でした。
2月20日にシングル『ルージュの伝言』が発売されてスマッシュヒット。
6月には『COBALT・HOUR』が出て、8月には彼女が作詞作曲し、
フォークグループの「バンバン」が歌った『「いちご白書」をもう一度』がオリコン1位を獲得しました。
(有賀)たしかにこの年を境に、ユーミンの名は日本中知れわたっることになりましたね。
彼女を取り巻く環境もみるみる変わっていった。

(田家)僕は『卒業写真』と『「いちご白書」をもう一度』という2曲は、
表と裏の関係になっているように思うんです。
(冨澤)それは面白い視点ですね。
(田家)『いちご白書~』の主人公は、就職が決まって髪を切った時、
恋人に「もう若くないさ」と言い訳をしている。
『卒業写真』の「あの頃の生き方をあなたは忘れないで」という歌詞は、
髪を切ってしまった『いちご白書』の主人公に向けられた言葉のようにも思える。
望むと望まざるとにかかわらず、
人は人生のいくつかのタイミングで、次のステージに進むために変わらなければならない。
そのとき、自分が何か大事なものを捨ててしまうんじゃないか、という葛藤にさらされます。
あの2曲は、そんな若者の複雑な心情を代弁した歌だったのではないでしょうか。
(冨澤)時代背景も影響している。
ユーミンがデビューした'72年ごろまで、
学生たちは'70年の安保闘争に敗れてしまったという挫折感を引きずっていました。
しかし'75年になると、もう過去とは決別して、次の時代に突入する雰囲気が生まれます。
そんな中で、『卒業写真』は別れの歌として多くの人の心に響いた。
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〔深刻な音楽は作りたくない〕ユーミンの音楽はニュー・ミュージック
(田家)ユーミンといえば、女性の新しい生き方を提示したリーダーというイメージがある。
そんな「強い女性」である彼女が歌うには、『卒業写真』は感傷的すぎた。
だからこそ、シングルでは自分で歌うのではなく、
ハイ・ファイに歌ってもらってよかったんじゃないかと、僕は思います。
(冨澤)たしかに「新しさ」というのは、ユーミンのキーワードでしたね。
私は彼女がデビューする前に、
プロデューサーであり所属レコード会社の社長でもあった村井邦彦さんから
「今度ウチからデビューするユーミンという子のキャッチコピーを考えてくれ」
と依頼されたことがあったんです。
それで曲を聴いてみると、これまでの日本にはない音楽だった。
(有賀)それ以前のグループ・サウンズやフォークとは、まったく違うモノでしたからね。
(冨澤)何かこの音楽を表す的確な言葉はないかと思い、僕はふと文学全集を眺めていた。
すると、川端康成や横光利一といった作家たちの総称だった
「新感覚派」という言葉が飛び込んできたんです。
その言葉を借用し、「デビューアルバム」『ひこうき雲』に「新感覚派ミュージック登場」というキャッチコピーをつけた。

(有賀)やがてユーミンの音楽はニュー・ミュージックと呼ばれるようになりましたが、
冨澤さんのキャッチコピーはその源流とも言えますね。
彼女自身、これまでと違うモノを作るんだという意味で「私の音楽は、中産階級の音楽よ」とよく言っていたのを覚えています。
(冨澤)その言葉は私も聞いたことがあります。
「私は、深刻に考え込むような音楽は作りたくない。朝起きてすぐとか、夜眠る前にふと聴きたくなるような、自然に生活に寄り添える歌を作りたい」とも語っていた。
彼女の新しさは、服装にもあらわれていました。
当時の若者といえば、髪を伸ばしてTシャツにジーパンが定番でしたが、彼女は違った。
しゃれた帽子をかぶり、スリムなパンツを穿いていました。
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(田家)実家が呉服屋ということもあってか、洗練させていましたね。
私も彼女のラジオ番組の構成を担当していたことがあって、
半年くらい毎週のようにユーミンと顔を合わせていましたが、
ジーパン姿は見たことがない(笑)。
フォークソングのような「素朴さ」は売りにしないという強い意志を感じました。
(冨澤)でもその新しさがなかなか伝わらなかったのか、
デビューアルバムの『ひこうき雲』と2枚目の『MISSLIM』の売れ行きは芳しくなかったんですよね。
(有賀)そうです。
'73年に1枚目のアルバムをリリースしてからの2年間は、
ラジオで曲をかけてもらう機会も少なくて、セールス的には厳しい状態が続きました。
普通のレコード会社だったら、契約を切られてもおかしくなかった。
でも当時の僕らは若かったし、
社長の村井さんも「いい音楽は絶対にいつか売れる」という信念を持っていたので、
売れないから制作におカネをかけるのをやめようと言い出すことは一切なかった。
(田家)ユーミンにとっては、理想的な環境で音楽作りに没頭できたわけですね。
(冨澤)そんななかで偶然ではなく、必然的に生まれたのが、『卒業写真』だった。
さらに、あの歌のレコーディングには、最高峰とも言えるミュージシャンが参加しています。
(有賀)ええ。バックミュージシャンには「ティン・パン・アレー」(ベース・細野晴臣、キーボード・松任谷正隆、ギター・鈴木茂、ドラム・林立夫)がついていました。
ユーミンは彼らに絶大な信頼を置いていたし、ティン・パンのメンバーも彼女の才能を認めていた。
ユーミンが、彼ら以外とやりたいと言ったことは1度もありませんでした。

(冨澤)この曲は、多くのアーティストにカバーさせてもいます。
それは、ユーミンが歌う『卒業写真』が、絵画で言えばデッサンのようにシンプルだからです。
そのデッサンの質が、とても高い。
だからこそ、そのデッサンをもとに、油絵にするのか、日本画にするのか、
それぞれのアーティストが好きなように色づけできる。
自分が歌ったらどんな曲になるだろうと、ミュージシャンもカバーしてみたくなる。
(田家)それほどに、曲としての素材の良さが光っている。
この歌は、時代を超えていろんなアーティストによって歌い継がれていくでしょう。
(有賀)それに、『卒業写真』はミュージシャンだけでなく、日本人にとって大事な歌です。
これからも、日本を代表する「卒業ソング」として、人々に愛され続けると思います。

週現『熱討スタジアム』週刊現代2015/04/04号

今週のディープ・ピープル 有賀恒夫×田屋秀樹×冨澤一誠

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【平蔵の独り言】

「私は、深刻に考え込むような音楽は作りたくない。朝起きてすぐとか、夜眠る前にふと聴きたくなるような、自然に生活に寄り添える歌が作りたい」
『卒業写真』の「あの頃の生き方をあなたは忘れないで」という歌詞は、髪を切ってしまった『いちご白書』の主人公に向けられた言葉のようにも思える。
望むと望まざるとにかかわらず、人は人生のいくつかのタイミングで、次のステージに進むために変わらなければならない。
【独り言】
人生のいくつかの岐路はあったが

カラオケで『いちご白書』(バンバン)
『卒業写真』『まちぶせ』
自然に生活(人生)に今でも寄り添っている。
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by asanogawa-garou | 2015-04-15 14:51 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

【野際陽子】この道をずっと歩いてきた。老いを隠さない。それが、彼女一流の“へこまない”生き方。   

2015年 04月 02日
【野際陽子】この道をずっと歩いてきた。老いを隠さない。それが、彼女一流の“へこまない”生き方。

〔自分に期待しない。足りなかったらしゃーない〕
私は自分に期待していないから、無駄なストレスや絶望がないんです。
自分が持っているものが、すべて。足りなかったら、しゃーない。」

〔『自分なんてたいしたことない』と思ってきた〕

〔強盗にナイフを突きつけられたのに「おつり頂戴」って〕

〔悲痛な顔で誰かに訴えたところで聞かされた人が辛いだろうなと思うし、第一、悩みが消えるわけではありませんから〕

〔役作りには困らないから、根が意地悪なのかも〕

〔欲張ったりほめられたいと思うから苦しい〕
最近、テレビで、年配の農家の方が、今年も作物を収穫することができた、それ以上は何も望ましいと笑っている姿を見て、涙が出るほど感動しました。
誉められたいと思えば生きづらいに決まっています。
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〔自分に期待しない。足りなかったらしゃーない〕
年齢のことに触れたくないという女性は世の中に多い。
しかし、今年79歳を迎えた野際陽子は、躊躇うことなく年齢を口にする。
「だって隠したって仕方ないでしょう?
ウィキペディキュアを見たら、立教大学では長嶋茂雄さんと同期だったとバッチリ書いてあるわよ。
それにしても、こんなに大きく『今年で79歳!』なんて書かなくてもいいのにねぇ(笑)」

と、自らの著者の帯に大きく書かれた文字を軽やかに笑い飛ばした。
彼女なりの老い対策や美容法のほか、心豊かな暮らしぶりが綴られているが、
自らを「老婆」と呼ぶユーモラスな文体が印象的だ。

〔『自分なんてたいしたことない』と思ってきた〕
「昔から自虐的なところがあるの。いつも『自分なんてたいしたことない』と思ってきた。
皆よく、『へこむ』って言うでしょ。
でもそれって、自分に期待してるっていうこと。
私は自分に期待していないから、無駄なストレスや絶望がないんです。自分が持っているものが、すべて。足りなかったら、しゃーない。」

〔強盗にナイフを突きつけられたのに「おつり頂戴」って〕
5人姉弟の長女として育った野際は、終戦後の新制中学2期生として、立教女学院へ進学した。
「父母の苦労を見ていたから、自活しなければという意識があった。
立教大では英語サークルで英語劇に参加したり、
学内の『テアトルジュンヌ』という劇団で芝居をしていましたが、
現実と向き合った時、早く自分の手でお金を稼ぎたかったんです。
だから、卒業後の進路は就職以外、考えられなかった。
それで、NHKにアナウンサーとして入局しました」

サラリと語るが、4000人もの志願者の中から採用させたのは、たったの11人。
遡れば大学時代は特待生で、
アメフトの応援団のクイーンに選出されたりと、常に「選ばれし者」だったのではないか。

「まったくもって誤解。特待生になれたのも、失恋の痛手を忘れるために勉強に没頭したことが活きただけ。
いざ、という時には肝がすわるタイプかもしれませんね」

その性格を表す強烈なエピソードがある。
NHK時代、名古屋に赴任していた時のこと。
一人暮らしをしていた野際のアパートに、強盗が押し入ったことがあった。
ナイフを脇腹に突きつけられ、恐怖と緊張で空気が張り詰める中、野際の口から出た言葉は、
「いくら欲しいの?」。

男は何ともバカ正直に、「200円(現在の価値で4000円ほど)」と要求してきたが、生憎、千円札しか持ち合わせていなかった。
そこで、「千円渡すから、おつりを頂戴」と掛け合ったというのだ。
このことについて野際は、
「最初は命が惜しかったのに、ナイフが食事用のものだと確認した途端、お金のほうが惜しくなってしまって」と言いながら笑い、「本当は死ぬほど怖かった」とポツリと溢した。
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〔『自分なんてたいしたことない』と思ってきた〕
「昔から自虐的なところがあるの。いつも『自分なんてたいしたことない』と思ってきた。
皆よく、『へこむ』って言うでしょ。
でもそれって、自分に期待してるっていうこと。
私は自分に期待していないから、無駄なストレスや絶望がないんです。
自分が持っているものが、すべて。足りなかったら、しゃーない。」

〔強盗にナイフを突きつけられたのに「おつり頂戴」って〕
5人姉弟の長女として育った野際は、終戦後の新制中学2期生として、立教女学院へ進学した。
「父母の苦労を見ていたから、自活しなければという意識があった。
立教大では英語サークルで英語劇に参加したり、学内の『テアトルジュンヌ』という劇団で芝居をしていましたが、現実と向き合った時、早く自分の手でお金を稼ぎたかったんです。
だから、卒業後の進路は就職以外、考えられなかった。
それで、NHKにアナウンサーとして入局しました」

サラリと語るが、4000人もの志願者の中から採用させたのは、たったの11人。
遡れば大学時代は特待生で、アメフトの応援団のクイーンに選出されたりと、常に「選ばれし者」だったのではないか。
「まったくもって誤解。特待生になれたのも、失恋の痛手を忘れるために勉強に没頭したことが活きただけ。いざ、という時には肝がすわるタイプかもしれませんね」

その性格を表す強烈なエピソードがある。
NHK時代、名古屋に赴任していた時のこと。
一人暮らしをしていた野際のアパートに、強盗が押し入ったことがあった。
ナイフを脇腹に突きつけられ、恐怖と緊張で空気が張り詰める中、
野際の口から出た言葉は、
「いくら欲しいの?」。

男は何ともバカ正直に、「200円(現在の価値で4000円ほど)」と要求してきたが、
生憎、千円札しか持ち合わせていなかった。
そこで、「千円渡すから、おつりを頂戴」と掛け合ったというのだ。
このことについて野際は、
「最初は命が惜しかったのに、ナイフが食事用のものだと確認した途端、お金のほうが惜しくなってしまって」と言いながら笑い、「本当は死ぬほど怖かった」とポツリと溢した。

〔悲痛な顔で誰かに訴えたところで聞かされた人が辛いだろうなと思うし、第一、悩みが消えるわけではありませんから〕
「だからこそ笑い話にしてしまうんですね。
これまで生きて来たうちには、苦しいことや哀しいこともありましたが、
その胸の内を明かしたことはないんです。
悲痛な顔で誰かに訴えたところで聞かされた人が辛いだろうなと思うし、第一、悩みが消えるわけではありませんから。
抱えてしまった問題はどう頑張っても解決しないということもあります。
ならば潔く現実を受け入れ、ほかに幸せなことを探してフォローする。
そんな風にしてバランスを保って生きてきたような気がします」

どこまでも現実的な野際がせっかく入局したNHKを4年で辞めたのは、
彼女のプレゼン能力に目をつけた広告代理店に、新規企画のプレゼンターとして引き抜かれたからだった。
「NHKのお給料は2万円くらいでしたが、6万円もくれるというので、こんなに美味しい話を逃すものかと飛びつきました(笑)。
ただ、プレゼンターの仕事はまだ準備中ですることがなくて。
そんな時、TBSの『女性専科』という番組の司会をやらないかと持ちかけられたんです。
このまま何もしないで給料を貰うのは心苦しいし、毎日の生放送はしんどいだろうけど、まあ、お金は頂けるだろうとやることにしました。
フランスに留学したかったので、そのための貯金に余念がなかったんです。番組の司会を始めて1年ほど経った頃に、今度は『悲の器』というドラマに出演しないかと連絡があり、それも引き受けましたが、当時は女優という仕事に対して無欲でした」

そして30歳の時、念願のパリへ旅立つ。語学学校やソルボンヌ大学仏文科に通う1年の留学を経て帰国し、ほどなくして出演したのが、視聴率30%を記録した伝説のドラマ『キーハンター』。
野際はクールビューティーな女優として認知され、たちまち人気を博した。

「あの作品は、一人の女性としての転機でした。というのも、ドラマの共演がきっかけで結婚を体験しましたから(千葉真一と’73年に結婚)。
『女性専科』『キイハンター』の頃が、私の唯一の自己主張期。
撮影現場でも、台本に納得がいかないと監督をつかまえて議論したり、何事につけても理屈っぽい、本当に嫌な女だったと思います。
でも結婚と出産を経て、丸くなったというのかしら。本来の“期待しない”自分に戻った。


ただ、結婚生活は自分には合わないと、ずっと思っていました。
仕事の同志としてはじまった関係だったから、罵り合って終わりたくはなかった。
そう思ってタイミングを待っていたら、結婚生活が21年も続いちゃった」
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〔役作りには困らないから、根が意地悪なのかも〕
その頃、ドラマ『ずっとあなたが好きだった』(’92年)で演じた、
息子を溺愛する母親役が注目を集め、再ブレイクの渦中にあった。
以後、彼女のもとへは、クセのある姑役のオファーが殺到する。
「姑役が続いて、演じ分けなくてはと躍起になるのですが、基本的に役作りはしないんです。
撮影現場に入ると、スッと役柄が降りてくる。
隣家の嫁がイラッとすることを言えば、
庭掃除していたチリトリのゴミを相手の郵便受けに入れるくらいのアドリブは出てくる。
自分でも驚くほど意地悪な女になっていて。きっと根が意地悪なのでしょう(笑)」

〔欲張ったりほめられたいと思うから苦しい〕
そうしてテレビドラマの世界の個性豊かな母親役をいくつも演じてきたが、
意外なことに女優としての受賞歴はほとんどないという。
「そういう仕事はしていませんから。『私なんて……』は健在なんです。
でも自己評価の高い人は大変でしょうね。

最近、テレビで、年配の農家の方が、今年も作物を収穫することができた、
それ以上は何も望ましいと笑っている姿を見て、涙が出るほど感動しました。


誉められたいと思えば生きづらいに決まっています。
自分は好きなことを続けていると幸せを感じれば、それだけで人生は楽しい。
たまさか誉められたら喜びも倍増する。
それでこそ感謝の念も湧いてくるというものです」
現実を受け入れたうえで、加算法で生きるという人生哲学を備えた、個性派女優。

人が避けては通れない「老い」についてもこう語る。
「最近よく『終活』って聞くけど、やったほうがいいだろうな、とは思っていてもなかなか……。
私はこの歳になって、どんどん洋服が増えていってるバカですね(笑)。
身体はあちこち痛いし、物忘れも多い。
でも、『こりゃしょうがねえ』と思っています。
こうなったらお婆さん役を極めようと思って。
憎たらしいけど陽気な老婆、背中の曲がった老婆も演じたい」

80年近くを生きてきて、病んだ日も、疲れきった日もあった。
そんな時、野際は少し休んで、こう言う。
「さあ、ぼちぼちやるか」


女優デビューから五十余年。「そういえば、悲劇のヒロインを演じたことってなかったわ」

毎日コツコツなんて続かないわよ。
サボってもいいじゃない


週刊現代2015/3/28号
【野際陽子】この道をずっと歩いてきた。

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【平蔵の独り言】
〔自分に期待しない。足りなかったらしゃーない〕
「私は自分に期待していないから、無駄なストレスや絶望がないんです。
自分が持っているものが、すべて。足りなかったら、しゃーない。」

【独り言】
自分が持っているものが、すべて。足りなかったら、しゃーない。
これになかなか気が付かないのですよね!
最近、少し肩の力が抜けて来ているかな?
と思うことが、ふっと感じることが・・・・・

【平蔵の独り言】
〔欲張ったりほめられたいと思うから苦しい〕
私はこの歳になって、どんどん洋服が増えていってるバカですね(笑)。
身体はあちこち痛いし、物忘れも多い。
でも、『こりゃしょうがねえ』と思っています。
こうなったらお婆さん役を極めようと思って。
憎たらしいけど陽気な老婆、背中の曲がった老婆も演じたい」
80年近くを生きてきて、病んだ日も、疲れきった日もあった。
そんな時、野際は少し休んで、こう言う。
「さあ、ぼちぼちやるか」
毎日コツコツなんて続かないわよ。
サボってもいいじゃない


【独り言】
12月で百歳、99歳の画家さんの個展を見てきた。
みんな共通して言うのは、“色彩が優しくなってきましたね”
思うに以前は 空の青がキツかったり、全体の色彩にどこか強調した
構図になっていたのは、すべてが優しい!

「さあ、ぼちぼちやるか」
毎日コツコツなんて続かないわよ。
サボってもいいじゃない


ですね。百歳までまだ30余年あるのだから
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by asanogawa-garou | 2015-04-02 16:59 | 人間模様 | Comments(0)