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【樹木希林】「生きるのも日常、死んでいくのも日常」「死ぬときぐらい好きにさせて」「今を大事にしたい」   

2016年 03月 04日
【樹木希林】「生きるのも日常、死んでいくのも日常」 「死ぬときぐらい好きにさせてよ」
 樹木さん〝終活宣言〟「今を大事にしたい」


〔『生きるのも日常、死んでいくのも日常』〕
〔「死ぬときぐらい好きにさせてよ」〕



〔樹木希林〕【病気はたまわりもの】私たちは、ほんとうのもの、大切なものを見失っています。「今を大事にしたい」平成21年3月

〔『生きるのも日常、死んでいくのも日常』〕
今回の広告について樹木さんは
「『生きるのも日常、死んでいくのも日常』。
死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。
そういったことを伝えていくのもひとつの役目なのかなと思いました」とコメントしている。

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①樹木希林さん、新聞広告で〝終活宣言〟に大反響 「死ぬときぐらい好きにさせてよ」

〔「死ぬときぐらい好きにさせてよ」〕
女優の樹木希林さん(72)が、新聞広告で「死ぬときぐらい好きにさせてよ」と〝終活宣言〟した。
洋画家の名作と重ね合わせた美しいビジュアルと、「死」をテーマにした衝撃的なキャッチコピーに、ネットなどで生死を考える書き込みが相次いでいる。(杉山聡)

■「死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく…」
 広告は5日の一部全国紙に掲載された。
見開きカラー刷りの特大広告だ。
出稿元は出版の宝島社。
広告は、英国の画家ジョン・エヴァレット・ミレイの名作『オフィーリア』をモチーフに、樹木さんが死を連想させるように森の小川の中で横たわっている。

「死ぬときぐらい好きにさせてよ」というキャッチコピーに以下のようなフレーズが添えられている。
 
人は必ず死ぬというのに。
 長生きを叶える技術ばかりが進歩して
 なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
 死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
 ひとつひとつの欲を手放して、
 身じまいをしていきたいと思うのです。
 人は死ねば宇宙の塵芥。
せめて美しく輝く塵になりたい。
 それが、私の最後の欲なのです。


■制作意図は「『死』を考える契機に」
 制作意図を宝島社は、長く生きることばかりに注目が集まり、
どのように死ぬかを考える人が少ない現状を踏まえ、
「いかに死ぬかは、いかに生きるかと同じであり、
それゆえ、個人の考え方、死生観がもっと尊重されてもいいのではないか、
という視点から、問いかけています」と説明する。
 
若い世代を含め、多くの人に「死」について考えることで、
どう生きるかを考えるきっかけになることを目的とした広告出稿だった。

 樹木さんは、2013年に「全身がん」であることを告白し、世間を驚かせた。

 今回の広告について樹木さんは「『生きるのも日常、死んでいくのも日常』。
死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。
そういったことを伝えていくのもひとつの役目なのかなと思いました」とコメントしている。


■ネット上で書き込み続々、現在も
 「死」をテーマにした衝撃的な広告に、ネットでは話題が広がっている。
ツイッターには、広告掲載から1日経った6日時点でも次々と投稿されている。
その書き込みの多さや、内容のまじめさは、多くの人が「死」や「死生観」を身近な問題として考えている証左とも受け取れそうだ。

一例を挙げると以下のような書き込みが目に付いた。
 「私の中でモヤっとしていた気持ちが、適切な言葉で綴られていた」
 「読んだ人が死生観を改めて考えるきっかけになりそう」
 「とても綺麗だし、かいてある言葉が心に突き刺さる」
 「死生観について年齢を問わずに話す機会があってもいいと思うし、当人の死生観を尊重してもいいと思う」
 「樹木希林さんが終活なんて、、、なんだかな」
 「宝島社がすごいのか、樹木希林がすごいのか、これをドーンと載せちゃう新聞がすごいのか…」

■シニア層「樹木さんの考え深く知りたい」
 宝島社には主にシニア世代から電話で反響が寄せられたという。
 同社の担当者によると、
「安楽死や尊厳死の問題が取りざたされる中、すごく共感した」
「樹木希林さんの考えについて、掘り下げて知りたい」
「死に方について考えた」
との声があったという。

 担当者は、「おおむね好意的な反応だった。生き方、死に方について一石を投じたい」と予想以上の反響に満足そうだ。

宝島社は、1998年の田村隆一さんを起用した「おじいちゃんにも、セックスを。」、
2002年の「国会議事堂は、解体。」、
11年の「いい国つくろう、何度でも。」などで、インパクトのある企業広告を制作している。
今回の広告も同社の広告史を飾るものとなりそうだ。
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②「死ぬときぐらい…」宝島社企業広告が問う死生観に反響 2016.01.12
人々の記憶に残る企業広告で知られる宝島社の最新の新聞広告が掲載された。
女優の樹木希林さんを起用し、「死」をテーマに強烈なコピーとビジュアルで迫る内容に、ネットなどでは生死を考える書き込みが相次いでいる。
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2016.01.06

〔樹木希林〕【病気はたまわりもの】私たちは、ほんとうのもの、大切なものを見失っています。「今を大事にしたい」
平成21年3月

 今年、66歳を迎えた女優の樹木希林さんは、一時、網膜剥離で左目を失明し、その後、乳ガンの摘出手術を経験しました。
2つの病気をして分かったことは、「病気はたまわりもの」だということでした。

 樹木希林さんは、18歳のとき、女優としてスタートしました。
テレビドラマの「時間ですよ!」や「寺内貫太郎一家」などで活躍しました。
 若いころから、老け役が得意でした。
「寺内貫太郎一家」では、主役の小林亜星さんより10歳も年下なのに、小林亜星さんの母親役を演じました。
以来、老け役が、当たり役となりました。
出演したドラマや映画では、脇役ながら、個性的な演技で、主役をしのぐ演技力を発揮します。
また、ピップエレキバンやフジカラーのコマーシャルにも出演し、お茶の間の人気者となりました。

樹木希林さんは、お茶目な一面を見せたり、おっとりした風貌からの演技が売りです。
しかし、演技そのものに関しては厳しい人のようです。
自分にも厳しく、共演者にも妥協を許さない厳しさを要求し、共演の若手女優を泣かしてしまうこともあったようです。

 30歳の時、音楽家として活動していた内田裕也さんと結婚しました。
内田裕也さんは、ロックミュージックを得意とし、昭和35年ごろから、日本のロックミュージックの中心的存在として活躍しました。
1女に恵まれましたが、2人が同居したのはわずか2年足らずで、その後は別居生活になりました。
2人とも、芸能人です。すれ違いの多い生活でした。
お互いを理解する時間を持てないまま、別々に住むことになりました。
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③別居生活6年ほど経ったとき、内田裕也さんが、独断で離婚届を役所に提出しました。
夫の勝手な行動を許せなかった樹木希林さんは、離婚無効の裁判を起こしました。
裁判の途中、裁判官から、「あんなに分かれたがっているのだから、分かれてあげなさいよ!」と諭されたこともありました。

それでも、頑として離婚を承知しませんでした。
裁判に勝ち、離婚は無効となりました。
結果、戸籍はもとに戻りましたが、2人の別居生活は続きました。
 その間に、1人娘の也哉子さんが結婚しました。
相手は、本木雅弘さんです。
映画「おくりびと」でアカデミー賞を獲得した、あの本木雅弘さんです。

そんな慶事をよそに、60歳のとき網膜剥離で左目を失明しました。
担当医から手術するように言われましたが、手術しませんでした。
そのときのコメントが、「今まで色々なものが見えすぎた!」という達観したものでした。

これまでの、熱く燃え、がむしゃらに突っ走り、そして勇み足も多かった俳優人生が反省させられたのでしょう。
その後、左目の視力は少し回復しましたが、十分ではありません。
 その2年後、62歳のときです。
網膜剥離に追い打ちをかけるように、乳ガンが見つかりました。不安を感じて、摘出手術を受けました。
 連続して2つの病気を経験したことで、「死」を意識するようになりました。

今まで、遠いものと思っていた死が身近に迫っている、
他人事と思っていた死が自分のものになりつつあることを実感するようになりました。

死を身近に感じると、これまで持ったことのなかった、「今を大事にしたい」という感情が涌き出てきました。

 そのとき、夫の内田裕也さんに謝ろうと思い立ちました。

夫を恨んで死ぬのは良心が許さない、
夫婦の問題を残したままでは死ねない、
離婚問題を起こす原因となったであろう、
ほったらかしにしたことを謝ろうと決心しました。
 友人を介して食事の席を設け、内田裕也さんに謝りました。
そのときは、内田裕也さんから一言もありませんでした。
その後、2人はちょくちょく会うようになり、今では、2人で旅行にも行くようになりました。
 30年あまりの、夫婦の長い闘いは終わりました。

 樹木希林さんは、「死に向けて行う作業は、おわびですね。謝るのはお金がかからないし、謝ったら、すっきりするしね。ガンはありがたい病気よ! 周囲の人も真剣に向き合ってくれるから。そういう意味で、ガンはおもしろいんですよね!」とか、「病気によって、いろんなよじれが見えてきて、人生が変わる。病気はたまわりものだと思っています!」とも語ります。

 私たちは、病気をたまわりものだとは考えません。
病気は災難だと考えます。
やっかいものだとも考えています。
また、私たちは、歳をとることは、みじめだと考えます。
死は、終わりだとも考えています。

 樹木希林さんは、病気をしたことで、夫婦の真実に出会いました。
その出会いによって、病気を「たまわりもの」と引き受けました。
そうすると、歳をとることはみじめではなく、死は終わりでないという受け止め方もできるはずです。

歳を取れば、人生の深い智慧に出会い、それを蓄える楽しみがあります。

また、死は、映画「おくりびと」で、火葬場の職員を演じた笹野高史さんが言ったせりふ、「死は門だ。次のシーンへの旅立ちの門だ!」という受け止め方があることに気づきます。

 私たちは、ほんとうのもの、大切なものを見失っています。
樹木希林さんにとって、ほんとうのもの、大切なものに出会うきっかけ、縁となったのが、病気でした。

病気を縁として、真実に出会いました。
 だから、誰もが嫌う病気を、「たまわりもの」だと断言できるのです。

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▼2013年に「全身がん」であることを告白した

樹木希林『死ぬ死ぬ詐欺』(全身がん宣言)

【平蔵の独り言】
「生きるのも日常、死んでいくのも日常」
日常がこの数年、毎年実感している。

人生で大切な先輩、後輩の「死」が日常と感じる中で
旅立っていく人達が“心”の中に残る。

そして20年前、“今から6時間が山です”と、
家人に告げられていたが明け方、目が覚めた。

この時の自身の大きな出来事は、
最近の車運転中の突発的な事故の発生を想い、
車運転中に体の異変感じすぐ運転を中止したこと経験を残そうと思っている。

【平蔵の独り言】
私たちは、ほんとうのもの、大切なものを見失っています。
「今を大事にしたい」

「今日1日が人生“しなきゃと思ったことを明日に持っていけない”」小泉今日子50歳

【独り言】
“今日1日が人生”ですね。
日々、身の回りで起きていることは自身のことですから!
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by asanogawa-garou | 2016-03-04 15:26 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)