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同じ方向を向いていれば(安心)という国になった!不思議な日本   

2016年 04月 18日
〔同じ方向を向いていれば(安心)という国になった!不思議な日本〕
日本では異論を言う人間、組織に同化せず自ら行動する人間は左遷されてしまう。
そうして顔色を伺う、
同じような考えを持つ人間ばかりが残り「優秀」といわれる人が揃っていようと、問題解決能力はない。

司法、立法、行政すべて出世すればするほど、同じ考えの人しか残らない。
〔「単線路線のエリート」〕
〔出世するほどダメになる〕

なぜエリートほど大きな間違いを犯すのか?
「国会事故調」元トップが明かす「ニッポンの病理」
日本のエリートたちは、いざというときに明言を避け、
「知らない、忘れた、聞いていない、関与していない」と責任逃れする人が圧倒的に多いのです。
国会事故調での聴取を通じて、私は原発のみならず、日本の中枢そのものが「メルトダウン」していると痛感しました。

「規制の虜」はどの国でも起こりえますが、
日本には、起こりやすい社会構造があるのです。
たとえば、原発問題については、電力会社が地域独占であったことも大きかった。
さらに役所、企業などの多くの組織が持つ、固定化された常識も、「規制の虜」を生んでいます。

〔「単線路線のエリート」〕
日本は「単線路線のエリート」が多いのが問題なのです。
大半の日本人は、大学を出て企業や役所に就職すると、
ずっとその組織に所属し続け、年功序列で出世することが当然だと考えます。
たとえば経産省に入省すれば、省内もしくは外局組織に所属しながら、
入省年次によって昇進していく。
近年は省庁間の人事交流も多少はありますが、「本籍」は変わらない。

企業の場合でも同様です。
異業種への転職はありえますが、
三菱東京UFJ銀行から三井住友銀行に転職するとか、
あるいは東芝から日立に移るなど、同業間での転職はほとんどない。

〔出世するほどダメになる〕

そして「単線路線」において出世するためには、「何もしない」ことが最も重要になってきます。

'13年に人気を博したテレビドラマ『半沢直樹』を思い出してください。
主人公の半沢は常務の不正を暴き、会社の窮地を救いますが、
待っていたのは「出向」でした。
結局、日本では異論を言う人間、
組織に同化せず自ら行動する人間は左遷されてしまうのです。
それがわかっているから、多くの人は異論を言わず、
ひたすら上司の顔色をうかがい、前例を踏襲する。
そうして、同じような考えを持つ人間ばかりが残り、意思決定する。
その世界の中でどれだけ「優秀」といわれる人が揃っていようと、
それでは問題は解決しません。

「週刊現代」2016年4月16日号より

【平蔵の独り言】

戦後、まず団地に入る(文化的な生活)
一戸建てを持つ。
マンションに入る(購入)

〔3種の神器〕
1950年代後半、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の3種類の家電

1960年代半ばの高度経済成長時代には、
カラーテレビ・クーラー・カーの3種類の耐久消費財が新三種の神器と呼ばれるようになる。

価値観が多様化して、格差も広がって来ているのに、
※格差が広がって来ているというのは、勘違いかもしれない。
(戦後、小学生の時、橋の下に住んで、学校に来る仲間もいた)

何故同じ方向を向きたがるのか?
格差社会なら同じ方向を向かなくてもいいのではないか!

“個”を大切にして、人と人との出会いを大切に

文化人・芸術家・企業人・ 名を残している人は“変人(除け者)”

からしか生まれないと思うが、時代が違うのか・・・・・・・
ホンダ(本田宗一郎)、ソニー(盛田・井深)、松下(松下幸之助)

【独り言】
同じ方向を向いていれば、の社会をつくったのは“団塊世代”?
団地も居住者の高齢化、地域「コミュニティ」の崩壊

日本は大きな時代の変革を乗り越えてきた。
明治維新、太平洋戦争の敗戦

しかし今はリスクがなさ過ぎる。
痛い目に合うことに対してビクビクし過ぎ。
刺激を求めず、「マニュアル人間」が心配・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2016-04-18 14:19 | 今 今日この頃 | Comments(0)

突然すくっと立ち上がって「おれは反対だ!」小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』   

2016年 04月 13日
突然すくっと立ち上がって「おれは反対だ!」と叫ぶという異例の事態、というかハプニングになったわけです。
小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』


【厚木からの長い道のり】考える人 2013年 11月号
小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』
大西順子はこの「松本Gig」のおかげで仕事を失ったのだ。
この七月、サイトウ・キネンの公演に演出するために、
アルバイト先に二週間の休暇とシフトの変更を申し出たら、「もう来なくていいよ」と通告された。
「だから東京に帰って、明日からまた仕事探しをしなくちゃならないんです。大変ですよ」と彼女は苦笑いしながら言う。

突然すくっと立ち上がって「おれは反対だ!」
【小澤征爾×大西順子 夢の共演】2013/09/18
【なぜ “ラプソディー・イン・ブルー”を大西さんとやるか、について】

【(文化往来)大西順子が直接指導、ジャズのピアノラボ】2014/5/29
大西順子〔ジャズフェスティバル「第14回東京JAZZ」〕
ジャズ・シーン復帰〔2015年9月7日〕
【大西順子】今年の「名古屋JAZZ」に登場!
「大西順子」Web 限定インタビュー 取材日:2015.08.07


【(文化往来)大西順子が直接指導、ジャズのピアノラボ】
2014/5/29付 日本経済新聞 朝刊
 日本を代表するジャズピアニストの大西順子(47)が4月、マンツーマンでジャズピアノの演奏法を指導する講座「大西順子ピアノラボ」を川崎市内に開講した。

2000年からの長期休養を経て07年に活動を再開したが、
12年末のライブで引退を表明。今後は後進のピアニストの育成に力を注ぐ。

 「体に力が入りすぎて、いい音が出し切れない若手ピアニストが結構多い。彼らにうまく弾くためのコツを伝えたい」と思ったのが、講座開講のきっかけだったという。
大西本人が、ほどよく力を抜いて力強くピアノを弾くための体と指の使い方や、ブルース、スイング、ビバップといったジャズの核となる基本スタイルの演奏法を直接指導する。
講座は1回90分の完全予約制で、指導は1日最大4人まで。
受講方法は公式サイトに掲載した。

 昨年、長野県松本市で開かれた音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」では、9月に指揮者の小澤征爾(78)が率いるオーケストラと共演し、1日限りの“現役復帰”を果たした。「自分の中では演奏者としてはやりきったという思いが強い」と大西は語る。
「これからは長年の経験を生かし、1人でも多くの素晴らしいピアニストを送り出したい」と意欲を見せる。

大西順子、〔ジャズフェスティバル「第14回東京JAZZ」〕
ジャズ・シーン復帰〔2015年9月7日〕
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日野皓正(左から2人目、トランペット)、ラリー・カールトン(同3人目、ギター)のスーパーバンドに参加した大西順子(左端、ピアノ)=東京国際フォーラム

 秋恒例のジャズフェスティバル「第14回東京JAZZ」が6日、最終日を迎え、東京国際フォーラムのホール公演(THE HALL)
昼の部で、世界的ジャズピアニストの大西順子(48)がトランペットの日野皓正(72)とギターのラリー・カールトン(67)のスーパーバンドに参加し、ジャズ・シーンへの復帰を果たした。

 大西は2012年に引退を表明。
13年に小澤征爾氏(80)の指揮するサイトウ・キネン・オーケストラとの共演で一時復帰したが、今回はジャズが誇るヒノテル、カールトンという世界的なスーパースターとの共演だ。
 黒いチューブトップに黒いパンツ姿の大西は、両巨頭のド派手なプレーをグランドピアノとエレクトリック・ピアノで支えつつ、2、5曲目ではグランドピアノ、4曲目ではエレピで迫力あるソロを披露。
笑顔で手を振って観客に応える場面もあり、本格的な復帰への期待を抱かせた。


【大西順子】今年の「名古屋JAZZ」に登場!
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「大西順子」Web 限定インタビュー 取材日:2015.08.07

人気実力ともに日本ジャズ界のトップを走り続け、シーンを牽引してきた大西順子。
2012年、突然の引退宣言で世間を驚かせたのも記憶に新しいところです。
そんな彼女が、今年の「名古屋JAZZ」に登場!
日米のトッププレイヤーが一堂に会するジャズの一大フェスで
どんな音を聴かせてくれるのか…。
ジャズファンならずとも必聴のステージは目前です。

今年も「名古屋JAZZ」には錚々たる顔ぶれが揃います。
それぞれのアーティストとは、これまでにも共演なさっていると思いますが。
カリーム・リギンスは若いときから知っていますね。
ジョン・パティトゥッチとはヨーロッパのジャズフェスティバルでセッションしたことがありますが、ちゃんとガッツリやるのは今回が初めて。
ラリー・カールトンには、まだお会いしたことがないんです。
日野さんは、私がまだニューヨークでいろんなバンドでやっていたときに知り合いまして、その頃からいろいろアシストしてくださって、頭が上がらない存在です。
何年か前にプロモーション用か何かでちょっとご一緒したことはあるんですけど、ちゃんと仕事として共演するのは20年ぶりですね。

〔日野さんと大西さんは、師弟関係のような間柄ですか?〕

日野さんは偉そうにしたり、若い人に説教したりするようなところは全くありません。
知り合った当時のニューヨークには、仕事としてジャズにきちんと取り組んでいる人はほとんどいなかったんですよ。
そんな中で、同じフィールドをしっかり味わっている数少ない日本人同士という感覚がありました。
私の方が年齢もキャリアもずっと下ですが、同じシーンの中で久しぶりに会った日本人という感覚がお互いにあって…私よりもずっと長くそのシーンで苦労されてきた方なので、ちょっと言えばすぐ通じるみたいな感覚が嬉しかった。
それ以来、私にとっては頭が上がらない存在です。

深いところでつながっている感覚をお互いに持っていらっしゃる。
そうですね。アート・ブレイキーとか、ああいう本当のレジェンドと実際に演奏するという経験を運良くできたのは、私が最後の世代じゃないかと思うんです。
日野さんは、もっと長く一緒にいる時間があったと思います。
ジャズのレジェンドをリアルに知っているという皮膚感覚は、今の若い世代のプレイヤーにはありませんから、彼らと同じことをやろうとしていてもなんとなくズレが出てくる…日野さんとは、同じ感覚で話ができるんです。

〔大西さんから見た日野さんの音の魅力はどのようなものでしょうか?〕
日野さんはトランペッターとしても素晴らしいんですけど、実は作曲者として名曲をたくさん作っていらっしゃるんですよね。
今回のライヴでそれがフィーチャーされるということで、私はとても楽しみにしています。
小さい頃に流行っていた曲、よく聴いた曲を本物と一緒に自分が演奏できるというのは、それこそアート・ブレイキーの「モーニング」を本人と一緒に演奏するようなもの。すごく光栄ですね。

昔から聴いていたミュージシャンの曲を本人と一緒に演奏するにあたって、どんな気持ちでプレイにのぞみますか?
日野さんの場合は特に、テレビをつけると日野皓正の曲が流れているという時期が本当にありましたよね。
だから、譜面を見なくても覚えているような曲もあります。
今からいろいろ考えてはいますが、当日どう変わるのかも楽しみです。
私のキャリアのスタートは、サイドマンとしてサポートを始めたことでした。だから、サポートをするのがすごく楽しいんですよ。
リーダーを映えさせてその曲を忠実に再現するんですが、その上で特にピアニストというのは味付けがいろいろできるので、それによってどんどん変わっていったりする。
相手もちゃんと聴いているわけですから、リーダーとかフロントの人たちも私のピアノをきっかけにどんどん変わっていくことがすごく楽しいんですよね。たまたまデビューしちゃったので、その後は自分のバンドばかりやっていたんですけど、本当はスタジオマンになりたかった(笑)。
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今回はエスペランサ・スポルディングも登場します。
若い世代ですし、彼女のほかにもロバート・グラスパーなどが活躍し、ジャズシーンに新たな流れができているように思います。

大西さんは2012年に引退宣言をなさいました。
その後、一昨年には小澤征爾さん率いるサイトウ・キネン・オーケストラとの共演で表舞台にも立たれましたが、今、オーディエンスの前で演奏することについて、どのような心境をお持ちですか?

引退したときは、音楽を作る上で自分があまりにエンプティだなと感じてしまっていたんです。
空っぽになってしまって。
何かしら弾けと言われたら弾けるんですけど、何を弾くかというところが未だにわからない。弾けないんです。
ただ、小澤さんは「ラプソディ・イン・ブルー」というお題を出してくださった。
今回も日野さんが「ちょっと一緒にやろうよ」と声をかけてくださって、しかも日野さんの当時のあの曲というお題もあります。
それに応えたいという音楽的欲求はあるから、こうやってまた出てきちゃっているんですけど…。
今、菊地成孔さんからも声をかけていただいているんですね。
「自分にいろいろアイデアがあるから、こういうことをやって欲しい」と。
そういうありがたいオファーをいただくと、ぜひやってみたいなと思うんです。もしかしたら、こういうことを続けているうちに本当に自分から発信できる何かが出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない。
そこはわからないですね。
これまで、あまりに長く自分の楽曲をやり過ぎたから…。

アーティストとして非常にレベルの高いところでご自身の音楽やジャズという音楽について考えていらっしゃる…。
言い当てようとすると、自己表現とかオリジナリティとか…そんな言葉になってしまいますし、そんなの当たり前じゃないという話なんですけどね。
やればやるほど「これ、前にもあったじゃん」という感じを覚えてしまう。
ジャズは1920年代から1970年代初頭ぐらいまでにアメリカで出来上がった音楽なので、ちょっと太刀打ち出来ないんですよね。
どの方向を見ても、すでに全部ありますからね。
あまりに分厚い壁なんです。
そこに対してどれだけ妥協…というか「ま、いいか」と思えるようになるのか、もっと反抗するのかはわかりません。
ただ、やっぱりピアノを弾くことは好きだし、こういう面白い題目を提供されると喜んでやりたいと思うので、それを繰り返しているうちにうやむやになって、またやるんじゃないかな。

引退宣言の前には、名古屋のジャズクラブ「jazz inn LOVELY」でもライヴをなさいました。
名古屋のジャズファンの印象や思い出をお聞かせください。
まだデビューして間もない頃、ラブリーに7日間連続で出演したんですよ。
しかも7日間、私以外のメンバーが毎日違う。
毎日午後3時からリハーサルをして夜中の3時ぐらいまでああだこうだ言ってやった覚えがありますね。疲れました(笑)。
当時はやりたいことだらけだったから、それを全部やって。
毎晩、青臭い音楽を聴かされるお店の人たちも大変だったと思いますよ(笑)。
だから、名古屋にはすごく愛着があります。
いつも慌ただしくて、ゆっくり街を歩いたりはできないんですけど、アメリカから帰ってきて味噌煮込みうどんを初めて食べたときは感動しましたね。
東京に帰って赤味噌を買って作ってみたんだけど、全然違うんですよ。

9/10 THURSDAY 名古屋JAZZ


【厚木からの長い道のり】考える人 2013年 11月号
サイトウ・キネン・フェスティバル松本Gig 2013年9月6日

満場のスタンディング・オーベーション。
奇跡の『ラプソディー・イン・ブルー』に、拍手はいつまでも鳴りやまなかった。
ClassicとJazz、小澤征爾と大西順子、そして村上春樹。
その夜、それぞれの魂が響きあい、困難を乗り越え、ナチュラルな喜びに満ちた音楽が誕生したのだ。
小さなジャズ。クラブからサイトウ・キネン・オーケストラとのステージへ。

良き音楽のために、道は続いて行く―〔村上春樹〕

 コンサートのあと、楽屋で小澤さんにオリジナル・パートと大西さんの即興パートのバランスについて尋ねられた。
「ねえ春樹さん、あれくらいで良かったと思う?」と。
「いや、完璧です」と僕は答えるしかなかった。
それ以外の答えを思いつくことができなかった。

 やはり楽屋で大西さんに言われた。
「うまく指が動かないところが一箇所あって、普通そんなことってないんだけど、やはり緊張していたんですね。参ったな。」と言われた。
「いや、完璧だったよ」と僕は言った。
それ以外に言うべき言葉は見つからなかった。
 そう、すべては完璧だったのだ。少なくとも僕にとっては……。
それ以外にいったい何が言えるだろう。

 いや、完璧でないことも少しはあった。

それはここにしっかり明記しておかなくてはならない。
大西順子はこの「松本Gig」のおかげで仕事を失ったのだ。
この七月、サイトウ・キネンの公演に演出するために、アルバイト先に二週間の休暇とシフトの変更を申し出たら、「もう来なくていいよ」と通告された。
「だから東京に帰って、明日からまた仕事探しをしなくちゃならないんです。大変ですよ」と彼女は苦笑いしながら言う。


 どこかの音楽大学なりの教育機関なりがこの女性ピアニストに、落ち着いて後進を育成し、場合に応じて自分の演奏をも追究できるような、安定したポストを提供するべきなのだ。
僕は心からそう思う。

彼女は若いミュージシャンたちを指導することに、とても強い興味と意欲を持っている。
また今回の松本の「ジャズ勉強会」で彼女が残した実績が、彼女の教育者としての能力を見事に証明しているはずだ。
年若いピアニストたちの短期間における見事な成長ぶりに、みんなが(小澤さんをも含めて)舌を巻いた。
この人を―日本が誇りとするべき傑出したジャズ・ピアニストを―アルバイト探しに走り回らせているような日本の音楽状況に対して、僕は不満と怒りを覚えないわけにはいかない。

「そんなのは間違っている!」僕は小澤征爾さんにならって、ここで立ち上がって大声で叫ばなくてはならない。
「でもたとえばビルの清掃なんて、一時期のソニー・ロリンズみたいで、ちょっとかっこいいじゃないですか」と彼女は笑って言う。
もちろん冗談だろうけど。

 うん、でも、そういえばそうかもな、と僕はふと思う。
少なくともソニー・ロリンズは数年間の隠遁のあとに、ジャズ界に力強く復帰したではないか。
大西さんも同じように……と僕はつい期待してしまうのだが。

【平蔵の独り言】
小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』
大西順子はこの「松本Gig」のおかげで仕事を失ったのだ。

【独り言】
引退を表明したら、大西順子に見えていなかった。財産が見えてきた。
村上春樹さん、小澤征爾さん 
小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』

(文化往来)大西順子が直接指導、ジャズのピアノラボ 2014/05/29
大西順子、〔ジャズフェスティバル「第14回東京JAZZ」〕
ジャズ・シーン復帰〔2015年9月7日〕
【大西順子】今年の「名古屋JAZZ」に登場!2015.08.07

自身が昭和49年後楽園球場の長嶋茂雄引退試合を観戦して
面接をスッポカして、職がなくなった時
“遊んでいるのか”と助けくれた元上司
昭和55年伴侶のいる地に移り住んだ際
“遊んでいるのなら手伝ってくれ”と声をかけてくれた元同僚

気が付けば、助けられている人生ですね・・・・・・

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【プロの誇り守り引退】2012/11/26
日本のジャズシーンをけん引してきたピアニスト大西順子が、突然引退を表明した。
演奏家として円熟期にあっただけに、なぜ!という戸惑いと惜しむ声が広がる。
ツアー最後のライブを終えた大西に、引退の理由とその背景を聞いた。
11月8日、最後のライブは神奈川県厚木市の小さなライブハウスで開かれた。
会場いっぱいに集まった観客。
大西と親交のある指揮者小澤征爾や作家村上春樹の姿も。

突然すくっと立ち上がって「おれは反対だ!」
【小澤征爾×大西順子 夢の共演】2013/09/18
【なぜ “ラプソディー・イン・ブルー”を大西さんとやるか、について〔小澤征爾〕】
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① (ピアニスト「大西順子」日本のジャズ界けん引)
何度か、春樹さんに誘われて大西順子さんのライブを聴きに行きました。
今回は急なことでしたが、春樹さんから大西順子さんが引退をするらしくその最後のライブが厚木のライブハウスであるんだと聞いて驚き、娘の征良と連れ立って聴きに行きました。
 大西さんトリオの素晴らしいライブで、これが最後だなんてたいへん残念である、かつ、もったいないなぁと思いながら聴いていました。
アンコールを弾き終わった後で、
彼女がマイクをもって、残念だけれどこれが最後です、みたいなことを話し始めたんで、
僕は聴いている人たちみんなもそう思うだろうと思ったから、それには「反対∼!」と思わず叫んでしまいました。

【大西順子さん「世界のオザワ」に挑んだ夏】 2013/09/18
【信じられない展開〔村上春樹〕】
〔マエストロの「引退反対!」宣言〕
〔挑戦する姿を若手に見せたい〕
〔カムバックを期待する声も〕

【信じられない展開〔村上春樹〕】
彼女が演奏活動から引退を表明したときはがっかりしないわけにはいきませんでした。
そして「彼女の最後のライブが厚木の小さなジャズクラブであるんですよ」という話をしたとき、
「じゃあ、おれも行く」ということになりました。
そして大西さんが最後に感無量のおももちで「残念ながら、今夜をもって引退します」と聴衆の前でしみじみ話しているときに、
突然すくっと立ち上がって「おれは反対だ!」と叫ぶという異例の事態、
というかハップニングになったわけです。
僕も隣で本当にびっくりして、言葉もありませんでした。
でも思わずそう叫びたくなる小澤さんの気持ちは、痛いほどよくわかります。
それくらい素晴らしい演奏だったのです。

そのあとで、打ち上げの会に呼ばれて行ったときに、僕は彼女に、今ここでピアノを止めちゃうなんていうのはまったくもったいない話で絶対続けるべきだ、と話しました。
そして、春樹さんといっしょに「サイトウ・キネン・オーケストラと一緒にガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルーもやらないか」と、突飛な提案もしました。
 最初、彼女はびっくりして目を丸くして聞いていたけれども、NOという答えじゃなくて「これからかんがえよう」と、僕からすると、日本語で言えば前向きな答えをもらったつもりでした。
 村上さんからも説得してもらって、今年9月6日に松本でのフェスティバル千秋楽の公演として、彼女にラプソディー・イン・ブルーを弾いてもらうことになったわけです。
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毎年夏に開催されるクラシックとオペラの国際音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で、ことしはクライマックスにちょっと異色のプログラムが組まれました。
ドラムスとウッドベース、ピアノのジャズトリオが、小澤征爾さん指揮するオーケストラと「ラプソディー・イン・ブルー」を共演したのです。
力強いピアノを披露したのは人気ジャズピアニストの大西順子さん。
去年、演奏活動から引退を表明した大西さんが「世界のオザワ」と組んでクラシックの祭典にサプライズ出演をした理由には、同じく世界的に活躍している、ある作家の存在がありました。
〔マエストロの「引退反対!」宣言〕
大西順子さん(46)は22歳のときにアメリカでプロデビューし、力強いタッチとスウィング感あふれる演奏で人気を集め、数々の大物ミュージシャンと共演してきましたが、「自分にできることはやり尽くした」として去年、引退を表明しました。
しかし去年11月に開かれた最後のライブでハプニングが起きました。
「ツアー最終日にマエストロ(小澤征爾さん)に来ていただきまして。
自分としては最後になる演奏のMC(あいさつ)をしている途中で、突然(小澤さんが)スクッと立ち上がって『引退反対!』って・・」(大西順子さん)

小澤さんを連れてきたのが、作家の村上春樹さんでした。
大西さんの長年のファンである村上さんが知人の小澤さんを誘い、そのライブのあとの出来事が、今回の出演につながったということです。
「ライブのあと、打ち上げみたいなものがありまして、そのときに村上春樹さんもいらっしゃって。
春樹さんは私とマエストロが一緒にいるところを見て、『2人でラプソディー・イン・ブルーなんてやってるのを聴けたら最高だな』って。
そういう話というのはその場のノリで終わってしまうことが多いんですけれど、もう次の日から電話がかかってきて、ずっとしゃべり続けで、気がついたら私が『はい』って言ってる、みたいな」(大西さん)

〔挑戦する姿を若手に見せたい〕
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今回あえてステージに上がることにしたのは、巨匠・小澤征爾さんに挑む姿を見せることも、若手のためになると考えたからでした。
「昔のジャズのレジェンド(伝説的名手)たちと同じステージに上がって、怒られながらも自分が何か学んでいくっていう手応えというのは、経験としては本当にすばらしいものだったので。もしあのときと同じようなことが起こるのであればそれは願ってもない、というのはどこかにありましたよね」(大西さん)

〔カムバックを期待する声も〕
本番当日、楽しみにしていることは「終わったあとの一杯」と語った大西さん。


【小澤征爾×大西順子 夢の共演】2013.9.11 16:30(SANKEI EXPRESS)
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「ラプソディー・イン・ブルー」を演奏するジャズピアニストの大西順子さんと指揮をする小澤征爾さん(手前右)=9月6日夜、長野県松本市(提供写真)

 音楽家の小澤征爾さん(78)が指揮するサイトウ・キネン・オーケストラとジャズピアニストの大西順子さん(46)率いるピアノトリオが、長野県松本市で開催されていた音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)松本」で初めて共演した。
 曲は、米国の作曲家、ジョージ・ガーシュイン(1898~1937年)がジャズピアノのテイストを取り入れて作った名曲「ラプソディー・イン・ブルー」。
小澤さんは大西さんを振り向きながら、息を合わせて指揮。
体をスイングさせたり、足踏みをしたりしながら30分近くを振り切り、
病気療養からの本格復帰を印象づけた。

演奏後、約2000人の観客からは大歓声があがり、会場からは長い間、拍手がやまなかった。

 この共演は、作家の村上春樹さん(64)が昨年秋、引退を表明していた大西さんの最終ライブに小澤さんを誘ったことがきっかけで実現した。

ライブ終了後、大西さんと会った小澤さんが「ここでピアノをやめちゃうというのはまったくもったいない。
絶対続けるべきだ」と話し、村上さんも大西さんを説得して共演が決まったという。村上さんは「本当に夢のような展開」とコメントしている。

 夢の共演となったコンサートには村上さんも姿を見せ、
演奏が終わると立ち上がって大きな拍手を送っていた。

【平蔵の独り言】
2012/11 目に留まった 「大西順子さん 引退」を
 【独り言】今頃何故?
村上春樹さん、小澤征爾さん の力で「大西順子さん」が甦っていた。

【小澤征爾×大西順子 夢の共演】2013/09/18
【なぜ “ラプソディー・イン・ブルー”を大西さんとやるか、について】
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by asanogawa-garou | 2016-04-13 16:28 | 今 今日この頃 | Comments(0)