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〔星野仙一〕もっとも俺が頭を下げるのは長嶋さんと王さんしかいない。あの2人以外に頭を下げることはないよ。   

2018年 01月 29日
〔星野仙一〕もっとも俺が頭を下げるのは長嶋さんと王さんしかいない。あの2人以外に頭を下げることはないよ。


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①星野仙一さんが最後まで突き通した美学「ON以外に頭を下げない」
スポニチアネックス2018年1月6日 8時30分

【「さあ仙ちゃん、来い」と心燃やした 長嶋茂雄さん】
【ONに真っ向勝負した星野仙一さん、“流し打ち”王さんに文句 ミスター「心を燃やすことができた」】
【中日が巨人のV10を阻止して20年ぶりリーグ優勝】
【 中日 20年ぶり優勝が吹っ飛んだ 長嶋茂雄引退を表明】
【星野の巨人相手に闘志むき出しの投球にファンは歓喜】


・4日に亡くなった星野仙一さんと親交のある記者がつづっている
・2017年12月24日にも言葉を交わし、最後まで美学を貫いたという
・「俺が頭を下げるのは長嶋さんと王さんしかいない」

星野仙一氏死去 ドラフト会場で感じた“異変” 足元おぼつかず何度も…
2018年1月6日 8時30分 スポニチアネックス

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 ◇星野仙一氏死去 【悼む――本紙・宮内編集主幹】夏場にさしかかったころだった。
肌荒れが目立ち、痩せ始めていた。
人一倍、身だしなみに気を使っていたのにスーツが身体に合っていない。
見て見ぬふりをしていたが、異変をじかに知る時がきた。

 10月26日、グランドプリンスホテル新高輪で行われたドラフト会議。
開始直前、楽天の控室から会場まで並んで歩いた。
「結局のところ、1位は誰で行くのですか?」。
小声で訊ねると「清宮でいくよ。迷ったけどな」。
この時、星野さんの左肩が何度も私に当たった。
一度や二度ではない。足元がおぼつかないことは明らかだった。「大丈夫ですか?」と顔をのぞき込むと「大丈夫だ。君は自分の体の心配をしていればいい」とかわされた。

 最後に言葉をかわしたのは昨年暮れ、12月24日のことだった。

 「メリークリスマス?俺は仏教徒だからなぁ(笑い)。
最近は元気じゃないよ。
大阪のパーティー(12月1日、殿堂入りパーティー)が終わってからグダーっときてな。
仕事をいっぱい入れたし、その反動かな。
このままじゃ死んじゃうんじゃないかと。
年明けも講演の仕事が入っているんだが、最近は1時間話すとゼーゼーだ。
前はこんなことなかったんだけどな。
立っているのがつらいんだ。
座ってもいいんだけど、それじゃあ、みっともないし、迫力がないだろ。身ぶり手ぶり、アドリブでやるのが俺のやり方。人生もそうだけどな」

 田淵幸一さんのこと、山本浩二さんのこと…。
仲間の近況をあれこれ語った後、こう締めくくった。

 「キャンプは梨田に任せておけばいいし、チームが困った時に頭を下げるのが俺の仕事。もっとも俺が頭を下げるのは長嶋さんと王さんしかいない。あの2人以外に頭を下げることはないよ。今日は家族全員が集まっているんだ。やっぱりメリークリスマス?まあ、そういうことだなぁ(笑い)。良いお年を」

 あれからわずか11日。松の内が明けないうちに年頭のあいさつを、と考えていた矢先の訃報に言葉もない。どうか間違いであってほしい。 (編集主幹・宮内 正英)


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③14年、楽天退任セレモニーでスポットライトにてらされながら入場する星野氏

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【「さあ仙ちゃん、来い」と心燃やした 長嶋茂雄さん】

④2018年1月6日11時37分 特集:星野仙一さん死去
 〈巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の話〉
 あまりにも突然の事で本当に残念でなりません。
昨年11月に開かれた仙ちゃんの「野球殿堂入りを祝う会」で「これからも野球界のために力を貸して」とメッセージを送ったばかりです。
「打倒巨人」を前面に闘志満々でぶつかってきた投手だったからこそ、私も負けずに「さあ仙ちゃん、来い」と心を燃やすことができ、対戦するのが本当に楽しみでした。
監督としても多大な実績を残され、さらなるご活躍を期待していました。ご冥福をお祈りします。

【ONに真っ向勝負した星野仙一さん、“流し打ち”王さんに文句 ミスター「心を燃やすことができた」】

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⑤「流し打ちはないでしょう! もう勝負しませんよ。思い切り打ってくれ!」と王に文句を言ったという。

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87年、熊本・藤崎台球場で両軍の乱闘時に王監督(右)へ詰め寄る星野監督 【報知新聞社】
01月07日 06:00
 星野仙一氏は現役時代、巨人の主砲・王貞治(現ソフトバンク球団会長)に真っ向勝負を挑んだ。
対戦成績は195打数62安打、打率3割1分8厘。被本塁打は24本もあった。
常に全力投球だったが、それを表すこんなエピソードがある。
 77年の巨人戦。打撃不振だった王が、星野氏の投球を流し打ちした。数日後、「流し打ちはないでしょう! もう勝負しませんよ。
思い切り打ってくれ!」と王に文句を言ったという。
 中日監督時代の87年6月11日、熊本での巨人戦では乱闘の際、拳を王監督の眼前に突き出したことも。
王会長は訃報に「闘志を前面に出したあの攻撃的な投球は、勝負していて、とてもやりがいのある投手でした。
昨年、野球殿堂入りのパーティーでお会いしましたが、こんなに急に亡くなられるとは、とにかく残念でなりません」とコメントした。

 もう一人の好敵手・長嶋茂雄(現巨人終身名誉監督)との通算対戦成績は111打数26安打。
打率2割3分4厘と抑えた。
ミスターも「あまりにも突然のことで残念でなりません。
『打倒巨人』を前面に闘志満々でぶつかってきた投手だからこそ、『さあ仙ちゃん、来い』と心を燃やすことができ、対戦するのが本当に楽しみでした。ご冥福をお祈りします」と悼んだ。
 「V9戦士が俺を育てた」と話していた星野氏。
強い巨人がエネルギーの源だった。


【中日が巨人のV10を阻止して20年ぶりリーグ優勝】

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⑦打倒巨人に燃え、1974年は最多セーブに輝いた星野仙一

1972年に優勝から遠ざかっていた中日ドラゴンズの監督に就任したのは、与那嶺要監督でした。
与那嶺要選手は現役時代、ベストナインを通算7回受賞するなどの活躍で第2期巨人黄金時代を支えた名選手でしたが、晩年巨人を戦力外になり、中日に移籍。
以降巨人や、戦力外になるきっかけだったと言われている巨人の川上哲治監督に対して闘志をみなぎらせていました。

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⑧与那嶺監督
当時1965年~1973年まで、9年間連続してセントラル・リーグ優勝を果たしていたV9時代の巨人を相手に1972年・1973年と連続で勝ち越し。
そして1974年は髙木守道、星野仙一、松本幸行、トーマス・マーチン、谷沢健一らが活躍し、巨人のV10を阻止して2回目のリーグ優勝を果たしたのです。
(この際、巨人とのゲーム差は0)

【 中日 20年ぶり優勝が吹っ飛んだ 長嶋茂雄引退を表明】


【10月12日】1974年(昭49) スポニチ
マウンド上の星野仙一投手は帽子をとって右手に握り締め、雄たけびを上げながらガッツポーズ。

 【中日6―1大洋、巨人7―5ヤクルト】午後8時9分、中日球場。ついにその瞬間が訪れた。大洋・山下大輔遊撃手のライナーを中日・島谷金二三塁手が拝むようにしてキャッチすると、マウンド上の星野仙一投手は帽子をとって右手に握り締め、雄たけびを上げながらガッツポーズ。
駆け寄ってきた木俣達彦捕手が星野に飛びつくと、次々にナインが集まり、歓喜の輪が広がった。

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 中日ドラゴンズが54年(昭29)以来、20年ぶり2度目のリーグ優勝を決めた。65年(昭40)から始まった、巨人のV10を阻止しての悲願の優勝だった。

 興奮のるつぼと化した名古屋から約370キロ離れた東京・神宮球場は、プロ野球の歴史に大きな足跡を残したプレーヤーが引退を決意して、試合に出場していた。
巨人・長嶋茂雄三塁手は、17年間の現役生活に別れを告げることを決め、中日の優勝が決まれば、これを発表することにしていた。

 6回、ヤクルトの攻撃中に突然ネット裏の報道陣に巨人の広報からの知らせが入った。「試合終了後、球場内貴賓室で長嶋、川上監督が会見」。
番記者たちは来るべきものが来たと感じた。
シーズン前からささやかれていた、ミスター・ジャイアンツがユニホームを脱ぐ日。
各記者は集めた情報を元に「長嶋 引退表明」の原稿を書き始めた。

 午後10時前、長嶋が口を開いた。
「肉体的にも峠が来た。今年ほど“老い”を感じたことはなかった。17年間、自分でも本当によくやったと思う。それが現在の心境だ」。

 よりによって、中日の久々優勝の時にやらなくても…、という声も球団内部にはあった。
しかし、事前に組まれたスケジュールがそうさせてしまった。

 26日に米大リーグのニューヨーク・メッツが親善試合のために来日。
1カ月近くにわたって日本中を転戦することが決まっていた。
それに合わせて日本シリーズは16日から組まれていた。
中日は4日後にロッテとシリーズを戦わなければならないタイトな日程。
シリーズ中に引退表明するわけにもいかず、親善試合終了後に伝えるのもファンに失礼にあたる。
かといって、優勝の可能性が巨人に残されている以上、分かってはいても巨人の顔の長嶋が引退を表明しては、チームの士気にかかわる。
結局、公式戦中にファンの前で長嶋が別れのあいさつができるのは、優勝が決まった後の13日の後楽園での中日とのダブルヘッダーしか残されていなかった。

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 長嶋の引退表明で中日の優勝は割を食った形になった。
各スポーツ紙の1面はドラゴンズの系列以外、すべて長嶋の記事。中日Vも1面に載ったが、いわゆる“肩”と呼ばれる2番手扱いの記事として紙面の端に寄せられた。

 水を差された中日は、雨で14日に順延になった試合で長嶋の引き立て役に。
ロッテとのシリーズでも2勝4敗で敗れ、巨人から10年ぶりに王座を奪ったというのに、少々寂しい優勝となった。
[ 2011年10月12日 06:00 ]

【星野の巨人相手に闘志むき出しの投球にファンは歓喜】
1969年にドラフト1位で入団した星野は、岡山の出身(後年、母親の出身地と両親が出会った地が名古屋だったことがテレビ番組の取材で判明している)だったものの、中日在籍中も自宅は東京にあった杉下や西沢と違って、結婚して合宿所を出ても名古屋に自宅を構えていた。

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また1968年秋のドラフト前に、田淵幸一の「外れ1位」指名を約束しながらそれを反故にした巨人相手に闘志むき出しの投球を見せ、通算成績でも35勝31敗と勝ち越したことも地元ファンの共感を呼んだ。
そして全国区の大スターに
特に1974年(昭和49年)は49試合に登板して先発17、リリーフ32とフル回転し、15勝に加えて10セーヴを上げて、この年制定されたセーヴ王の初戴冠者となり、20年ぶりのリーグ優勝と巨人のV10を阻止する立役者となったことで、中日における大スターとしての地位を不動のものとした。
さらに現役引退後は親会社系列の中部日本放送(CBC)などの地元放送局でなく、NHKの専属解説者となって全国ネットの野球中継解説やスポーツ番組のキャスターとして出演することにより、その人気は「全国区」へと広がった。
まさに星野は創立以来バラバラだった中日のチームカラーを一つにまとめた人物であり、日本国憲法下における「象徴天皇制」の精神と同様に、「中日ドラゴンズ球団とファン統合の象徴」と言うべき存在だったゆえに、新人監督として異例の権限を与えられることになった。

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【平蔵の独り言】
阪神、楽天の監督の印象が強い同世代
今回、あっという間に旅立って 仰木彬監督と重なる。

自身の人生の節目に星野仙一がいた!
昭和49年10月後楽園球場長嶋選手(背番号3)の引退試合
小学生の頃から巨人ファン(というより下町は野球は巨人しか知らない)
若気の至りで会社を辞め、退職金で免許取得・車入手(ブルーバード510sss)
たまたま面接日、後楽園球場の横を車で通ると“ワアー”と言う歓声
「あっ!長嶋の引退試合だ。中日とのダブルヘッダー(消化試合)」
車を後楽園の庭園にアパートが建っていて、路駐
球場に内野立見席で入場(ダブルヘッダー第一試合)
第一試合でホームラン!
第一試合と第二試合の間に長嶋が球場を花束、ハンカチ、時折立ち止まり涙を拭う
第二試合になると係員もいなくなり、バックネットの空き席で観戦
そして、試合終了
今でも放送されるマウンドの立ち、ポットライトの中
「我、巨人軍は永遠に不滅です」
を、バックネットのネットにへばり付き、聞いた。

【独り言】
昭和49年の長嶋引退試合
(前夜、日テレ11PMで長嶋の現役引退、明日の中日との試合、を
引退試合との特番)記憶に間違いがなければ・・・・・

中日は名古屋で優勝記念パレードで試合出場選手は背番号が2桁も50以上の二軍が出ていた。

引退試合の観戦(面接すっぽかし)
その後、前職関係者に「まだ、うろうろしているのか」
見つけ出され、今も現役で古稀

中日優勝の立役者が熱い“星野仙一”
昭和49年を記憶、思い起こさせてくれた。


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by asanogawa-garou | 2018-01-29 16:44 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

「よそ者」人生:日本の世間と感覚がズレているからこそ、作品や研究を生み出せる。(〔物書き人生〕最終章・養老孟司 VS.塩野七生) 共に御年満80歳   

2018年 01月 17日

「よそ者」人生:日本の世間と感覚がズレているからこそ、作品や研究を生み出せる。(〔物書き人生〕最終章・養老孟司 VS.塩野七生) 共に御年満80歳

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養老孟司さんと塩野七生さんは、共に御年80の「同級生」である。旧知の仲でもあるそのお二人が、相次いで新書を出版。
デビュー50年の塩野さんが著したのは『新しき力』。
「ギリシア人の物語」全3巻の悼尾を飾る本書は、歴史長編としては、塩野さんの最後の著作となる。
その作品で主人公に選んだのは、アレクサンダー大王、最後の先品として最も若い主人公である。
一方の養老さんは『遺言』。
一気呵成の書き下ろしとなる本作は、動物とヒト、感覚と意識、アナログとデジタルなどの概念を考察することによって、いまの時代の「おかしさ」を浮き彫りにした新書である。

〔よそ者〕「よそ者」人生
〔「よそ者」「はぐれ者」〕
〔AI(人工知能)〕AIが処理できない存在
〔健康診断〕
〔僕らが小さい頃は80歳まで生きている人はヘンな人というくらい珍しかった〕
〔心配しないで。いずれどうにかなりますよ(笑)〕


〔よそ者〕「よそ者」人生
(塩野)「よそ者」性がないと、常識や当たり前のことに対して「何で?」という疑問を持てなくなるという面がありますよね。
例えばなぜオリンピックが生まれたのかという疑問に対して、多くのヨーロッパ人の間では「戦争ばかりしているのは不毛だから、休戦のためのイベントでもしようということで始まった」というのが常識になっています。
でも私は「よそ者」だから「なぜ」と興味を持って調べていくわけです。
だからもしあの時に養老さんの提言を受け入れて鎌倉に移住していたら「ギリシャ人の物語」は書けなかったかもしれません。
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〔「よそ者」「はぐれ者」〕
(養老)作家というのは、ある程度、「よそ者」性が必要なんです。
「よそ者」性が日本の世間と感覚がズレている「はぐれ者」と感じます。

〔AI(人工知能)〕AIが処理できない存在
(塩野)人工知能によってヒトは職を奪われると言われているけれど、私はちっとも怖くありません。
塩野七生はデータ化不能なものを扱っているから。
だってギリシャの歴史はデータにできないものに突き動かされて書くものだから。

(養老)人間の意識がある時間は、1日の3分2しかないし、その前後だってだいぶ怪しい。
お酒を飲んだりすればあやふやになったりするでしょう。
にもかかわらず、その意識を絶対視して、人間にとって一番最後に進化してきた部分だけをAIにしているんですよ。
だからものすごくたくさんのものが欠落している。
AIの中には、0か1しかない。でも0と1の間には無限があるけど、それは“ノイズ”なのでAIが処理できない存在です。

(塩野)そうか、塩野七生が考えることもノイズということね。
(養老)だからデジタル慣れした人は、同じ室内にいてもメールで話したりするんですよ。なぜなら対面でやり取りするとノイズだらけで邪魔になるから。
(塩野)直接話すことは大事よね。
国際電話で編集者と話していると、それまで考えつかなかったようなことを思いついたりするんです。
編集者は長電話で迷惑かもしれないけど(笑)。
私はコンピュータには触らないし、ケータイも持っていないんです。
ここまでアナログだと絶望的ですよね。
いい加減、始めるべきなんでしょうけれど。
(養老)別にいいんじゃないですか。これからはデジタルからアナログに戻る。というよりも、デジタルに対する人間の対応が変わってくるでしょうね。

〔健康診断〕
塩野:日本で倒れたことがあって調べたらタンパク質の数値がとても悪かった。
でも、帰国してイタリアで検査を受けてみたら許容範囲内だった。
日本とイタリアでは許容範囲が全然違うんです。

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最も偉大なイタリア人女性科学者、リータ・レーヴィ=モンタルチーニ
〔僕らが小さい頃は80歳まで生きている人はヘンな人というくらい珍しかった〕
〔人間ダメな時はダメになりますから大丈夫ですよ〕
〔心配しないで。いずれどうにかなりますよ(笑)〕

(塩野)我々はもう80歳まで生きたんですから、何があってもどうってことないですよね。
(養老)十分ですよ。あとは余計なお世話で生きているだけです。
僕らが小さい頃は80歳まで生きている人はへんな人だ、というくらい珍しかった。
(塩野)私は人に迷惑をかけないようになるべく適度な時に死んだ方がいいと思っているの。
だから長生きのために必要なことと反対のことをするようにしています。タバコは吸う。お酒は飲む。ご飯は好きなものを好きなだけ食べる。
でも何かを食べたいと思っているうちはーーー。
(養老)元気だということ(笑)
いいじゃないですか。
人間ダメな時はダメになりますから大丈夫ですよ。
(塩野)イタリアの学者でノーベル生理学・医学賞をとったリータ・レーヴィ=モンタルチーニは100歳になった時にテレビのインタビューを受けていたんです。
とってもおしゃれでエレガントな方で。
長生きの秘訣を尋ねられて彼女は
「明日目が覚めたら何をすべきかが、私にはわかっているから」と答えていたんです。
その時、私も同じかもしれないと思ったんです。
(養老)心配しないで。いずれどうにかなりますよ(笑)

週刊新潮2018/1/4・11新年特大号

【平蔵の独り言】(よそ者)(はぐれ者)に寛容な社会

〔よそ者〕「よそ者」人生
〔「よそ者」「はぐれ者」〕
〔AI(人工知能)〕AIが処理できない存在

【独り言】
(よそ者)(はぐれ者)に寛容な社会
団塊の世代の“市井”はこんな社会にいたような気がする。

小学3年:担任が年賀状「届かなかった」と言われた。
小学3年の学年末:“挨拶もしない”で転向
転校先:すぐ親切にしてくれた子はクラスの嫌われ者
中学:教室が足らないので二部授業
こずかいのもらえない者同士が夏休み、町工場でアルバイト
(格差社会は当時からあった。貧乏同士、助け合った)
高校、大学:新設校を量産
就職先:希望先は全滅、専門分野で滑り込み
いろいろと紆余曲折はあったが、この分野で来年は50年
(希望先、全滅で良かったと思う。まだ、現役である)

【平蔵の独り言】検診を受けながら、古稀は過ぎ、喜寿へ

〔健康診断〕
〔僕らが小さい頃は80歳まで生きている人はヘンな人というくらい珍しかった〕
〔心配しないで。いずれどうにかなりますよ(笑)〕

【独り言】
48歳:生死を彷徨う(まだ独り言できない)
その後:胆管結石(胆嚢全摘)左冠動脈狭窄(カテーテル)
顔面神経麻痺、歯周病(2本奥歯インプラント)、ドライアイ
胃カメラ、大腸内視鏡、

⇨“今、古希 70歳" ヘンな人、いずれどうにかなりますよ の前に"喜寿"
還暦から古稀まで気がつけば、早かった。

〔僕らが小さい頃は80歳まで生きている人はヘンな人というくらい珍しかった〕
へんな人〔心配しないで。いずれどうにかなりますよ(笑)〕



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by asanogawa-garou | 2018-01-17 16:22 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

〔五木寛之〕【百年人生への不安】(後生( ゴショウ) が不安なんですよ) 〔後半生が大変〕   

2018年 01月 11日
〔五木寛之〕【百年人生への不安】(後生( ゴショウ) が不安なんですよ)  〔後半生が大変〕
この国でいう後生(ゴショウ)とは今生(コンジョウ)の後のことだ。
今生とは現世である。だから死んだ後のことが後生なのだ。

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〔後半生が大変〕
〔健康寿命と経済寿命〕
〔加齢というのはとんでもなく厄介なものなのである〕


「やっぱり後生のことが気になりますよね」それを時代の先端をゆくテレビ局のディレクターが口にするのが納得がいかない。

「きみのお家の宗旨は?」
「さあ。たぶん曹洞宗だと思いますけど」
「ふ~ん。どうして後生が気になるんだい」

「定年退職後の人生が気になるのは当然じゃないですか」
「えっ、きみみたいな若い人でも、やっぱり後生のことが気になるのかい」
「そりゃあ、気になりますとも。ぼくだってあと五、六年たてば定年退職ですから」
「失礼だが、きみは、いくつだっけ」
「四十九です」

若いディレクターと書いたが、八十五歳の私にとっては五十歳以下はみな若い人に感じられるのである。

「五十代半ばで定年だって?まさか」
「法律はともかく、うちの局では定年が五十五歳です。だから後生が不安なんですよ」

彼の言うことはわかるのだが、その後生という言葉の使いかたがよくわからない。


後生というのは、この国では一種の仏教用語だからである。
後生をコウセイと読めば中国流になる。
<後生畏るべし(こうせいおそるべし)>とは論語の言葉と昔教わった。
羽生永世七冠が藤井四段に抱く感想だろう。
後生とは後輩、若い人のことだ。

しかし、これをゴショウと発音すると、かなり変わった意味になる。
この国でいう後生(ゴショウ)とは今生(コンジョウ)の後のことだ。
今生とは現世である。だから死んだ後のことが後生なのだ。
「後生、お頼みもうします」
とか、「死んだあと、お浄土にいけますように」
などと昔のお年寄りはひたすら念じたものだった。
「後生の一大事」というのは、ちゃんと往生、成仏できるかどうかという話である。


〔後半生が大変〕
つまり彼のいう後生とは、退職後の生活のことであるらしい。
あの世の話ではないのだ。彼は続けて、
「最近、百年人生というじゃないですか。
そうなると五十代で退職しても、あと五十年ちかく生きなきゃならない。
その後半五十年が不安でないわけがないでしょ」
「要するに後半生のことを言ってるんだね」


〔健康寿命と経済寿命〕
平均寿命よりも健康寿命が大事、とはよく言われることである。
しかし寿命は必ずしも健康に比例しない。
そして、健康寿命のほかに経済寿命ということもある。
特別な人たちをのぞいて、一般に長生きだとお金の苦労をすることが多い。
貯金や年金なども余り当てにできないのである。


〔加齢というのはとんでもなく厄介なものなのである〕

さらに年をとるということは、体のあちこちが不自由になるということだ。
私も現在、身体的能力は十年前にくらべて半減しているといっていい。
道に落とした一円玉を、親切に注意してくれる人がいる。

「一円、落とされましたよ」
「あ、どうも。ありがとう」

と礼を言っても、人通りの多い道路で体をかがめてその一円貨幣を拾うのは、大変な苦労なのだ。
路面に片膝をつかなければ手がとどかないのである。
拾ったら拾ったで、起ちあがるのにまたひと苦労する。
情けないことに、何か片手でつかまるものがないと、膝がガクガクしてなかなか起てないのだ。

万事につけそんな具合いで、加齢というのはとんでもなく厄介なものなのである。

コップ一杯の水を飲むのにも誤嚥しないように慎重に飲まなければならない。
つい二、三日前も、飲んだ水にむせてジタバタしたばかりだ。
百年人生も結構だが、後生のことより後半生のことを重荷に感じるのは、私だけだろうか。

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〔生き抜くヒント!(五木寛之)〕週刊新潮2018/1/4.11号


【平蔵の独り言】
この国でいう後生(ゴショウ)とは今生(コンジョウ)の後のことだ。
今生とは現世である。だから死んだ後のことが後生なのだ。

〔後半生が大変〕
〔加齢というのはとんでもなく厄介なものなのである〕

【独り言】後生と後半生
後生?・・・・・(ゴショウ)
今生(コンジョウ)→今生の別れ(この世)は分かるが

〔後半生が大変〕やはり、後半生の今が大変だ!

加齢:健康を求める戦い(団塊世代はやはり戦うような時代)


【平蔵の独り言】
体をかがめてその一円貨幣を拾うのは、大変な苦労なのだ。
コップ一杯の水を飲むのにも誤嚥しないように慎重に飲まなければならない。

【独り言】
腰をかかめて、膝を曲げて、そして伸ばして:大変!
誤嚥しないように薬を飲むときは、
まず(eテレで見た)誤嚥防止の口のストレッチ!



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by asanogawa-garou | 2018-01-11 15:22 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

向田邦子「眠る盃」〔中野のライオン〕〔新宿のライオン〕   

2018年 01月 07日
向田邦子「眠る盃」〔中野のライオン〕〔新宿のライオン〕

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【中野のライオン】
今の住まいは青山だが、二十代は杉並に住んでいた。
日本橋にある出版社に勤め、通勤は中央線を利用していたのだが、
夏の夕方の窓から不思議なものを見た。

場所は、中野駅から高円寺寄りの下り電車の右側である。

その日は、どうした加減か人並みの時間に吉祥寺行きの電車に乗っていた。
当時のラッシュ・アワーは、クーラーなど無かったから車内は蒸し風呂であった。
吊皮にブラ下り、大きく開け放った窓から夕暮の景色を眺めていた。

私が見たのは、一頭のライオンであった。
お粗末な木造アパートの、これも大きく開け放した窓の手すりのところに、一人の男が坐っている。
三十歳位のやせた貧相な男で、何度も乱暴に水をくぐらせたらしいダランと伸びてしまったアンダー・シャツ一枚で、ぼんやり外を見ていた。

その隣りにライオンがいる。
たてがみの立派な、かなり大きい雄のライオンで、男とならんで、外を見ていた。
すべてはまたたく間の出来ごとに見えたが、この瞬間の自分とまわりを正確に描くことはすこぶるむつかしい。

私は、びっくりして息が詰まったようになった。
当然のように、まわりの、少なくとも私とならんで、吊皮にブラ下がり、外を見ていた乗客が、
「あ、ライオンがいる」
と騒ぎ出すに違いないと思ったが、誰も何ともいわないのである。
両隣りのサラリーマンは、半分茹で上ったような顔で、
口を利くのも大儀といった風で揺られている。

その顔を見ると、
「いま、ライオンがいましたね」とは言えなかった。
私は、ねぼけていたのだろうか。
幻を見たのであろうか。
そんなことは、絶対にない。
あれは、たしかにライオンであった。
縫いぐるみ、といわれそうだが、それは、現在の感覚である。
二十何年前には、いまほど精巧な縫いぐるみはなかった。
この時も私は少しぼんやりしてしまい、駅前の古びた喫茶店でコーヒーを二はい飲んでから、うちに帰った。

〔早口の東京弁で、おしゃべりで、おまけに気が弱いものだから、少しでも他人さまによく思われたい一心で、時々はなしを面白くしてしゃべる癖がある〕

「中野にライオンがいるわよ」
「中央線の窓からライオンを見たのよ」
私ではいつもの嘘ばなしか、暑気当りと片づけられるのがオチである。


そのあとも、私は、中央線に乗り、例の場所が近づくと、身を乗り出すようにして外をのぞいたが、同じような窓が並んでいるだけで、アンダー・シャツの男もライオンの姿も見えず、その後中野方面でライオンが逃げたというニュースも聞いていない。

ーーーしかしーーー
いまだに、あれはほんもののライオンとしか思えないのである。
人にしゃべると、まるで嘘みたい、と言われそうな光景が、現に起っている。
それを五十人だか百人だかの人間が見ているのに、その中にいて、見なかった人間が、一人はいたのである。
ここまで来たら、もうどっちでもいいや、という気持もある。
記憶の証人は所詮自分ひとりである。
そう思って居直りながら、気持ちのどこかで待っているものがある。

実は、二十年ほど前に、中野のアパートでライオンを飼っていました、という人があらわれないかな、という夢である。
つい最近も中央線の同じ場所を通り、同じように窓の外に身を乗り出して眺めて来たばかりである。
(別冊小説新潮/1979春季号)

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【新宿のライオン】
うちの電話はベルを鳴らす前に肩で息をする。

〔「実は、中野でライオンを飼ってた者なんですが」〕

その電話が掛かったのは夕方であった。
中年と思われる男の声が、もう一度私の名前をたしかめ、
ひと呼吸あってからこう言った。
「実は、中野でライオンを飼ってた者なんですが」
咄嗟に私が何と答えたのか覚えがない。
いたずら電話でないか確かめかけ、相手の声の調子で、
これは本物に間違いないとすぐ判り、
それでもまだ半分は信じられなくて、
「本当ですか。本当にライオンは居たんですか」
と繰り返した。

相手は、物静かなたちの人らしく、はにかみを含んだ訥弁で、
「あなたの書かれたものを読み、当時を思い出して懐かしくなり失礼かと思ったが電話した。ライオンは確かに自分が飼っていた」と言い、
岡部という者ですとつけ加えられた。

この電話のあった5日ほど前に店頭に出た別冊小説新潮(1979年春季号)に私は「中野のライオン」と題する小文を書いている。
二十年ほど前の夏の夕方、中央線の窓から不思議なものを見たーーー。

『私が見たのは、一頭のライオンであった。
お粗末なアパートの、これも大きく開け放した窓の手すりのところに、一人の男が坐っている。
三十歳位のやせた貧相な男で、何度も乱暴に水をくぐらせたらしいダランと伸びてしまったアンダー・シャツ一枚で、ぼんやり外を見ていた。その隣りにライオンがいる。
たてがみの立派な、かなり大きい雄のライオンで、男とならんで、外を見ていた。』

私はびっくりして息が詰まったようになり、
まわりを見まわしたが、ならんで吊皮にブラ下がり、
外を見ていた乗客は誰ひとりとして騒がない。
半分茹で上がった顔で口を利くのも大儀といった風に揺られている両隣りのサラリーマンを見ると、
「いまライオンがいましたね」とは言い出せず、
ねぼけていたのか、幻を見たのか、
いや、あれはまさしくライオンだったと自問自答を繰り返しながら、
狐につままれたような気持ちになり、
駅前の古びた喫茶店でコーヒーを二はい飲んでうちへ帰ったのである。

ことがあれば面白おかしくしゃべり廻るところがあるのだが、
これだけは親兄弟にもしゃべらなかった。
中央線に乗って中野駅あたりを通過すると、
記憶の底から鎌首をもたげることもあったが、
それすら二十年の歳月のかなたに霞みかけていた。
たまたま文章にしたものの、
九十九パーセントは自信はないものだから、
五十人だか百人が見た交通事故現場からそんなものは見もしなかった、という風に全く気づかず立ち去った一人の婦人のことを書き、
百人見て一人見ないこともあるなら、一人が見て百人が見なかったことだってありえないことではないと屁理屈をこねた。

もうどっちでもいいやと居直りながら気持のどこかで待っているものがある。


〔中野にライオンはいたのである。〕

実は二十年ほど前に、中野のアパートでライオンを飼っていましたという人があらわれないかな、という夢である。
絶対に帰ってこない、くる筈のない息子を待つ「岸壁の母」の息子は、二十年ぶりに帰ってきた。
中野にライオンはいたのである。
私は受話器を握ったまま、こみ上げてくる笑いを押え切れず、
裂けた夕刊に顔を押しつけ声をたてて笑ってしまった。
悲しくもないのに涙がにじんでくる。
洟も出てくる。


岡部氏は、私の笑いの鎮まるのを待って、
ポツリポツリと話して下すった。
ライオンは、もともとは新宿御苑のそばで「八洲鶴」という酒の店をやっていた岡部氏の姉上が飼っておられた。
姉上がなくなったあと、岡部氏が引き継ぎ、
のちにライオンごと中野へ引越したのだが、
私が見た当時は百キロ近い体重があった。
一番おどろいたのは、ライオンが牝だったことである。
どこでどう取り違えたのか、私は記憶の中で、ライオンにたてがみを生やしてしまった。MGM映画の見過ぎかも知れない。
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二十年前に電車の窓から一瞬見えた、いや、見たと思いながら、
あれは幻だったのだと自分で打ち消していたライオンが本当にいた、
私は間違っていなかった。
大吉を知らせる電話は、
私に刀の柄に手を掛けるゆとりを与えず、
いきなり真っ向唐竹割りにしたのである。

牡だと思ったライオンは、牝であった。
見えなかったが、ライオンのまわりには鉄の格子があった。
電車の窓から見当をつけた場所も少し違っていた。
二階だと思ったのは一階であった。

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5月に入って、新宿で一夕ライオン青年とお目にかかる段取りが整った。

ライオン青年は二十年昔のライオンを語り、
牝ライオンは、名前を”ろん子”といった。
はじめは猫ほどの大きさだったがみるみる大きくなった。
「あいつは、ただの一度もほえなかった」
だから街なかで飼えたのでしょうと、かなしく笑われた。
せまい中で飼っていたので佝僂病になり、
多摩動物公園で預かってもらった。


それにしても、たのしくも不思議な一夜であった。

あと二十年か三十年したら、耄碌した私はこんなことを言うかも知れない。
「昔、新宿でライオンとお酒のんだことあったのよ」
(別冊小説新潮/1979・夏季号) 


【平蔵の独り言】
お客様は、2010/1/23にこの商品を注文しました。

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〔向田邦子〕「眠る盃」のあとがき

「荒城の月」の「めぐる盃かげさして」の一節を「眠る盃」と覚えてしまった少女時代の回想に、戦前のサラリーマン家庭の暮しの手触りをいきいきと甦らせる表題作をはじめ、片々とした日常から鮮やかな人生を截りとる珠玉の随筆集。
知的なユーモアと鋭い感性を内に包んだ温かな人柄が偲ばれるファン待望の書。・・・・・「眠る盃」(向田邦子)

一番おどろいたのは、ライオンが牝だったことである。
どこでどう取り違えたのか、私は記憶の中で、ライオンにたてがみを生やしてしまった。


【独り言】
「めぐる盃かげさして」の一節を「眠る盃」
牡だと思ったライオンは、牝であった。

市井の人の日常はそんなに変わったことが起こらない。
しかし、向田邦子の手に掛かると起きている。

2010年に読んでいたが8年経って、
週刊現代 それがどうした〔男たちの流儀〕伊集院静2017/12/9号
で蘇ったのだ!

向田邦子は20年前に見たライオンが1979年に蘇ったのだ!

【平蔵の独り言】
それにしても、たのしくも不思議な一夜であった。
あと二十年か三十年したら、耄碌した私はこんなことを言うかも知れない。
「昔、新宿でライオンとお酒のんだことあったのよ」

【独り言】
耄碌した向田邦子から“新宿のライオン”の話、
何ていうか聞きてみたい。
でも、聞くことは叶わない!


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by asanogawa-garou | 2018-01-07 17:14 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

【伊集院静】〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい〕中央線から見えたライオン   

2018年 01月 02日
【伊集院静】〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい〕中央線から見えたライオン
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〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい〕
それがどうした〔男たちの流儀〕中央線から見えたライオン【伊集院静】

〔大人になるとさして面白いことなどないのが人生であるから〕
〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい、面白いことであふれてるんじゃないか〕

〔人生は君たちが考えているより長いし、考えているより短い〕

自分の半生の大半が旅路の中にあったことは、この連載でも何度か書いた。
少年の頃から自転車でも、トラックの荷台でも、頬に風が当たり、流れる風景を見るとワクワクした。

それは今も同じで、電車でも飛行機でも、車窓に映る景色を眺めているだけでまたたくうちに時間が過ぎる。

待てよ、もしかして私はこれまでの半生でかなりの時間を風景を見続けていたのか?
そうだとしたら、恵まれた半生と言える。

〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい〕
通院している歯科医院が阿佐ヶ谷にあるので、時折、昼間の中央線に乗る。
その時、私はドアの側に立つ。
そこで沿線の家々や木々、空、雲などを眺める。
見ていて飽きないし、もうすぐ冬だナとかと、
オヤ、こんな時に祭りか、子供御輿しはあるのかと、
その日、その時間でしか遭遇しないものに目が引かれる。

〔中央線から見えたライオン〕
たしか作家の向田邦子さんだったと思うが、
中央線に乗っていて、
或る家の窓から”ライオン”がこっちを見ている姿が目に留まり、
自分の錯覚ではと思い、
その後も電車がそこを通る度に目を凝らして車窓を見ている文章があった。
まさかと思われようが、
結論としてそこに”ライオン”が暮らしていたのである。

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〔大人になるとさして面白いことなどないのが人生であるから〕
楽しい話である。何が楽しいか?
大人になるとさして面白いことなどないのが人生であるから、
その手のことにめぐり逢うのは、
どこか誰かからのプレゼントに思えてしまう。

〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい、面白いことであふれてるんじゃないか〕
そう思えるだけで、
現状の些細なことに悩んでいた自分がこまか過ぎるのではと思えて来る。
人生は考え方ひとつで違う風景になる。
ユーモアとはそういう力を持っている。

〔人生は君たちが考えているより長いし、考えているより短い〕
それがどうだ!
通院の折の車両に乗る人たちの7割近くがスマホを覗いている。
初めはたいした普及だと思ったが、すぐに思った。
ーーーこの風景は不気味じゃないか?
そう、不気味どころか、何かが間違っているし、
おかしい時間の過ごし方なのである。

おぞましい光景から目を離し、
私は午後の武蔵野の空を、雲を眺める。
あの雲はどこへ行くのだろうか。
どこかの窓辺で、どこかの散歩道で、
何ごとかをかかえた人たちが、イイ雲だナ、と仰ぎ見ている。

スマホが悪いとは言わぬ。
ライオンを見つけないとも勿論言わぬ。

しかし人生は君たちが考えているより長いし、考えているより短い。
短さは、君の周囲にかつていて、
若くしてこの世を去った人たちを思い出せばわかる。
人は決して順番でこの世を去ることはない。
人は寿命で生を終える。

週刊現代 それがどうした〔男たちの流儀〕伊集院静 2017/12/9号

【平蔵の独り言】
〔人生は君たちが考えているより長いし、考えているより短い〕
それがどうだ!
通院の折の車両に乗る人たちの7割近くがスマホを覗いている。
初めはたいした普及だと思ったが、すぐに思った。
ーーーこの風景は不気味じゃないか?
そう、不気味どころか、何かが間違っているし、
おかしい時間の過ごし方なのである。

〔中央線から見えたライオン〕
以前読んだ記憶があるので、向田邦子を検索したら〔眠る盃〕と出てきた。
本棚から〔眠る盃〕を出して、読み返してみた。

〔中野のライオン〕
今の住まいは青山だが、二十代は杉並に住んでいた。
日本橋にある出版社に勤め、通勤は中央線を利用していたのだが、
夏の夕方の窓から不思議なものを見た。

場所は、中野駅から高円寺寄りの下り電車の右側である。

その日は、どうした加減か人並みの時間に吉祥寺行きの電車に乗っていた。
当時のラッシュ・アワーは、クーラーなど無かったから車内は蒸し風呂であった。
吊皮にブラ下り、大きく開け放った窓から夕暮の景色を眺めていた。

私が見たのは、一頭のライオンであった。
お粗末な木造アパートの、これも大きく開け放した窓の手すりのところに、一人の男が坐っている。
三十歳位のやせた貧相な男で、何度も乱暴に水をくぐらせたらしいダランと伸びてしまったアンダー・シャツ一枚で、ぼんやり外を見ていた。
その隣りにライオンがいる。たてがみの立派な、かなり大きい雄のライオンで、男とならんで、外を見ていた。
すべてはまたたく間の出来ごとに見えたが、この瞬間の自分とまわりを正確に描くことはすこぶるむつかしい。

【独り言】”中野のライオン”は木造のアパートにいたのである!
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「荒城の月」の「めぐる盃かげさして」の一節を「眠る盃」と覚えてしまった少女時代の回想に片々とした日常から鮮やかな人生を截りとる珠玉の随筆集。

ガラ携の“一斉メール”で知らないでいいことが送られてきたり、
“フェイスブック(Facebook)”やりましょう!→「やりません!」
→“せっかく誘ってあげているのに、いつもそうなんだから”

若い頃から今でも興味のある記事、本、情報から得るもので
結構忙しい・・・・・・・・・

「眠る盃」を読み返してみたら、さすが“向田邦子”
2014/11/13(向田邦子)日常の些細な風景も、この人が描けばたちまち色鮮やかに生まれ変わった。

日常の些細な風景(出来事)がこんなに記憶に残るのか!

「中野のライオン」「新宿のライオン」をアップする!
(講談社文庫 と 向田邦子 に許してもらおう)


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by asanogawa-garou | 2018-01-02 16:04 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)