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「がんばれ」と励ましてくれる友はありがたいが、“愚痴”を言い合う友が恋しいときもある。   

2013年 08月 24日
「がんばれ」と励ましてくれる友はありがたいが、
“愚痴”を言い合う友が恋しいときもある。


〈星一つ命燃えつゝ流れけり〉(高浜虚子)
聴き手の孤独と不幸に歌で寄り添ったその人にさえ、
人生の穏やかな秋を天は許してくれない。

生きるとはむずかしいものである。

“がんばれ”(頑張って)と励ます相手はもう充分に頑張っていることが、多々ある。
実は他愛もない“愚痴”を言い合う(話す、聞いてあげる)方が励ましになることが、
生きる張りになることが多いような気がする。


生きるとはやはりむずかしい!

【平蔵の独り言】
「頑張って下さい」 
とお見舞いに来る人来る人が行って帰った場面で

『充分 頑張っているんですよ』

『頑張って』とは言えなかった。

# by asanogawa-garou | 2013-08-24 15:22 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

〔『半沢直樹』の世界は本当だった!「銀行マンの出世争いはこんなにエグい」〕   

2013年 08月 17日
〔『半沢直樹』の世界は本当だった!「銀行マンの出世争いはこんなにエグい」〕  週刊現代2013/8/17・24号

『融資を引き上げろ』
『部下の手柄は上司のもの。上司の失敗は部下の責任』
『(銀行は減点主義です)』

〔40代から「黄昏研修」〕
〔『半沢直樹』に熱狂的なファンがついている!〕

『半沢直樹』が証明してみせた"テレビ離れ"の本当の原因
今日性のないドラマは消えていく

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『融資を引き上げろ』
「銀行は、晴れた日に傘を差し出し、雨の日には傘を取り上げる。銀行員の常識は世間の非常識だ」

『部下の手柄は上司のもの。上司の失敗は部下の責任』
という風潮は今も残っているのです。

『(銀行は減点主義です)』
銀行内で出世していくには、まずはミスをしないこと、その上で成果を上げることが求められる。
(銀行は減点主義です)
「一度でもバツがつくとそれが出世に響く」

〔40代から「黄昏研修」〕
「どんな世界にも派閥はあるが、とくに銀行はその傾向が顕著です。」
派閥はどうやって作られるのか。
多くの場合、若手行員の時代から先輩の“引き”によって自然と派閥が生まれていく。
一方で、先輩や上司から“引き”のない行員は、派閥に入ることさえできず、出向対象としてリストアップされます。
同期との成績争いや派閥争いに負け、出世レースから脱落すると、
40代から「黄昏研修」と呼ばれるセミナーが待ち受けている。
他の業界よりも「肩たたき」=出向が早いのも銀行の特徴である。
一般の企業なら働き盛りの40代半ばで、第二の人生、
そして老後の生活設計を考えることを強いられるのだ。
銀行の場合、同期入行の行員が100人いたとすると、50歳で残れるのはわずか3人。
役員にまで昇りつめるのは、せいぜい1人だ。
あぶれた97人は、必然的に「出向」ないしは「転籍」となる。
それまで、融資先や顧客から、銀行の威光を背景に「エリート扱い」をされてきた銀行マンたちが、日の当たらない存在へと立場を移すのである。
そのとき、彼らのプライドは打ち砕かれ、受け入れ先に対して卑屈になってしまうとしても仕方がないだろう。
一般の人よりも一足先にやってくる、サラリーマンの“黄昏”時だ。

〔『半沢直樹』に熱狂的なファンがついている!〕
清濁併せ呑むヒーロー『半沢直樹』に熱狂的なファンがついているのは
『半沢直樹』のようなヒーローが今、多くの人を惹きつける理由をこう分析する。
「かつては銀行マン=エリートと思われていたけれど、
今やそんな特別視される存在ではありません。

昔は侍のようなバンカーもいました。
50年代に倒産寸前に陥ったホンダに、
重役たちの反対を押し切って融資を継続したという
三菱銀行のバンカーの存在は、今も伝説として語られています。


しかし、今は企業の財務しか見ませんから、こんなことはできないでしょう。
だからこそ、上司と対峙して、理不尽には徹底的に抗い、ときには汚いやり方にも手を染める、
清濁併せ呑むヒーロー『半沢直樹』に熱狂的なファンがついているのではないでしょうか」

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『半沢直樹』が証明してみせた"テレビ離れ"の本当の原因2013年08月14日(水) 高堀 冬彦 現代ビジネス
〔『半沢直樹』の世界は本当だった!「銀行マンの出世争いはこんなにエグい」〕_c0219232_16351128.jpg

TBS日曜劇場『半沢直樹』公式HPより
TBS日曜劇場『半沢直樹』の勢いが止まらない。
視聴率は初回が19.4%。以後、第2話が21.8%、第3話が22.9%、第4話が27.6%、第5話は29%---。
「録画率が高まったので、もうドラマでは高視聴率は取れない」。
そう口にするテレビマンが増えていたが、そんな考え方は間違っていたらしい。『半沢直樹』の視聴率は、録画機器の普及率が低かった昭和の時代と比べても遜色がない。

1970年代の『時間ですよ』(TBS)や『寺内貫太郎一家』(同)とほぼ同水準だ。

どんな時代だろうが、面白いドラマは高視聴率を得ることを『半沢直樹』は証明した。
パソコンやゲーム、スマホの出現も関係なかった。
近年、視聴者のテレビ離れが指摘されていたが、
それは単に魅力的な番組が不足していただけだったらしい。

既存作品の否定によって進化してきたドラマ
『半沢直樹』は今後のドラマ界の潮流も変えてしまうだろう。
爆発的人気を得るドラマが登場すると、それまでのドラマは急速に色褪せてゆくものだから。

たとえば、バブル期の1980年代後半から90年代前半に台頭したトレンディドラマを失速させたのは、日本テレビの『家なき子』(1994年)だったと思う。フジテレビ『東京ラブストーリー』(1991年)に代表されるトレンディードラマは、恋愛至上主義で、登場人物たちの関心事はもっぱら異性だったが、『家なき子』は親子愛の尊さを見る側に突き付けた。恋愛至上主義の否定だ。

バブル期の恋愛観には、金銭的条件に左右されやすいという脆弱さがあった。
拝金主義がピークに達していたころで、
「三高(高収入、高学歴、高身長)」の男性が無条件にもてはやされていた。
そこに登場した『家なき子』の主人公・すず(安達祐実)は、露骨に金に執着して、見る側に嫌悪感さえ抱かせたが、彼女こそ拝金主義がカリカチュアライズされた存在であり、バブルというものを体現していたのだ。

見る側が嫌悪したのは、実は自分たちの生きている時代だった。
すずが本当に大切にしていたのは母親(故・田中好子さん)だ。
母親もすずに無私の愛情を注ぎ、命懸けで彼女を守った。
その親子愛の尊さは、三高などの条件に支配される恋愛とは次元が違った。
恋愛至上主義が色褪せてしまうのも仕方がない。

非現実的な刑事ドラマを終わらせたのは、フジ『踊る大捜査線』(1997年)だろう。
警察組織の仕組みやキャリアとノンキャリアの違いなどをリアルに描き、
それによって、一人の敏腕刑事が事件を次々と解決するような
非現実的ドラマは過去のものになった。
テレビ朝日『相棒』(2002年~)の主人公・杉下右京も東大卒のキャリアであり、
だからこそスーパーマンぶりにも一定の説得力が保たれている。

メッセージ性の弱いドラマを打ちのめしたのは、日テレ『家政婦のミタ』(2011年)だろう。
大切な人を失って絶望した人間が、再生していく過程が鮮やかに描かれた。

東日本大震災から約半年後の放送。
被災者だけでなく、誰にでも大切な人を失った経験はあるはずだから、広く共感を集めた。
このドラマの放送後、いわゆる「ハートフルな作品」なるものが陳腐化していった。
甘ったるいだけに見えてしまうようになった。
ドラマは既存作品を否定することによって進化し続けてきた。

リメイクのヒット作もあったが、当たるリメイクには、ほぼ例外なく抜本的変化が加えられており、単なる焼き直しではなかった。
失敗の典型例は名作映画『砂の器』(1974年)のリメイクだろう。
連続ドラマ、スペシャルドラマとして何度もリメイクされたが、
一度として映画を凌いだ作品はない。
リメイク版ではキャストや設定の一部が変えられたが、本質的な違いはなく、
スケールダウンしただけ。それでは元祖版を超えられるはずがない。

今日性のないドラマは消えていく
振り返ってみると、爆発的人気を得たドラマには共通点が見出せる。
いずれにも今日性があり、時代が織り込まれていた。
トレンディードラマ全盛の時代は、若年層が表向き経済的に恵まれ、
将来への不安があまりなかったから、恋愛に没頭できた。
ときには恋愛をゲームにさえする余裕すらあった。
恋愛至上主義が成立する土壌があった。

警察の不祥事が続発し、「警察=正義」という図式が成り立たなくなった後の『踊る大捜査線』や『相棒』には、警察内の腐敗がしっかり盛り込まれた。
『家政婦のミタ』には、父親・阿須田 恵一(長谷川博己)の不倫や母親の自殺があった。
実際、この世知辛い時代に何一つ問題や不安を抱えていない家族は、そうないだろう。

そして、『半沢直樹』には、現代ビジネス社会の暗部が刻み込まれている。

多くのテレビマンは、「テレビの真骨頂は生(放送)だ」と口にするが、ドラマも同じなのだろう。
それを分かっていながら、実践するのは難しいらしく、旧態依然とした作品も少なくない。

各局のタイムテーブルには、10年前、20年前に放送されていても不思議がないようなドラマもあるが、いずれも視聴率は振るわない。

今日性の有無だけではなく、もちろん質も大切だ。
テレビマンの一部には「視聴率は低かったが、質や芸術性は高かった」と口にする人もいるが、どうも疑わしい。
本当に質が高ければ、視聴者だって支持するはずだ。
視聴者の目を舐めてはいけない。「質や芸術性は高いのに、見てもらえない」という言い分は、一部テレビマンの驕りにほかならないと思う。

映画の興行収入を見てみれば分かる。
邦画の興行収入の歴代1位は宮崎駿監督による『千と千尋の神隠し』で、約304億円。
この作品の質と芸術性を誰が否定できるのだろう。
本当に良質であれば、ドラマも広く支持を集めるはずなのだ。
質が抜群と評判の日本テレビ『Woman』も徐々に視聴率を伸ばしている。

最近、活字メディアで書かれているドラマは、『半沢直樹』『Woman』、そして『あまちゃん』の3作品しかないと言っていいくらいだ。
いずれの作品も今日性と質の高さを併せ持っている。
『Woman』は現代を懸命に生きる市井の女性を、細部に至るまでリアルに描いている。
主人公・青柳小春を演じる満島ひかりと、母親・紗千役の田中裕子の演技は白眉としか言いようがない。
『あまちゃん』は1980年代と今のサブカルチャーを対比させることにより、現代をくっきりと浮き彫りにしている。筋書きも凡百ではなく、意外な展開の連続であり、放送が始まると同時に犯人が分かってしまうような2時間サスペンスとはレベルが違う。
これから先、今日性のないドラマは消えていくのではないか。

1970年代の『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』にも当時としては斬新な演出が採り入れられており、しかも時事問題が随所に盛り込まれていた。

また、現在のドラマ界には、「まず、数字(視聴率)を持っている役者を起用する」という考え方も根強く存在するが、そんなドラマ作りは廃れていく気がする。

『半沢直樹』主演の堺雅人にアイドル的人気はないし、『Woman』の満島ひかりは民放ドラマ初主演。
『あまちゃん』主演の能年玲奈にいたっては、新人なのだから。
この3作品の好調を受けてもドラマ界の潮流が変わらなかったら、本当にテレビ離れが止まらなくなってしまう気がする。


【平蔵の独り言】
『融資を引き上げろ』
「銀行は、晴れた日に傘を差し出し、雨の日には傘を取り上げる。銀行員の常識は世間の非常識だ」
これは今も変わっていない。(引き剥がし)
バブルの時、地銀でバブルに踊った地銀と手堅い地銀を見てきた。
某都市銀行が分不相応な融資を持ってきた。

このドラマは、高度成長期に走ってきた “団塊の世代”にとっても
団塊の世代に頭を押さえつけられてきた 40-50代にとっても

叫びたい “今日性” の出来事が含まれているからだと思う。

特に最近思うのは、何もリスクを取ってこない人間が
企業にも政治にもトップとして残ってしまう。
リスクを取って勉強して努力した人間が一度の失敗で残りのノンポリ(マスメディアも含む)が
舞台から引きずり下ろして、みんな安心している。

『半沢直樹』が証明してみせた"テレビ離れ"の本当の原因
に1970年代から2013年(今)を述べられている。

これを”市井の人“が共感しているのだろう。

行く末を見てみたいが(そして誰もいなくなった)
にならないでほしい・・・・・・・・・・・・・・・

# by asanogawa-garou | 2013-08-17 16:54 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

ザックジャパン(困った時の駒野(その後の駒野友一)) 【2013東アジア杯】キャプテン駒野   

2013年 07月 30日
2010 ワールドカップ(南アフリカ大会)は駒野選手のPKを外して
     日本のワールドカップはあっけなく終わってしまったが、

 【平蔵の独り言】
 駒野友一選手にとって、20年後この出来事がどのように
 語られるのか、確かめてみたい。
 何故なら、この経験に恵まれたのは 駒野選手ただ一人であるから

〔その後の駒野友一〕

2010年10月12日のアウェー韓国戦で悪質なタックルを受け、右上腕部を骨折する重傷を負って14日に手術。


2011年8月10日 駒野、躍動!骨折“借り”返した

サッカー・キリンチャレンジ杯(10日、日本3-0韓国、札幌ドーム)

2011年10月11日 駒野“笑顔”の代表初ゴール/W杯予選


困った時の駒野(2011/11/09)

2012年09月06日 駒野、2戦連続アシスト!長友不在の穴埋めた…キリン杯UAE戦
ハーフナーV弾!代表3発は全部駒野から…キリン杯UAE戦


2013年07月17日東アジア杯で新戦力が輝くカギを握る駒野友一。新キャプテンが担う大きな役割とは?

東アジアカップ2013 大会初制覇  主将務めた駒野友一、敵地での韓国戦勝利に「自信になった」
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2010年10月12日のアウェー韓国戦で悪質なタックルを受け、右上腕部を骨折する重傷を負って14日に手術。

来年1月のアジア杯は新生ザックジャパンにとっても初の公式戦。
現役時代、右サイドバックだったザッケローニ監督から個人指導を受け、
韓国戦でも右サイドバックに抜てきされた駒野が
6月のW杯パラグアイ戦ではPK失敗に泣くなどつらい経験が重なっているが、
早期復活への道は自身で切り開くしかない。
悲運のサイドバックがアジア杯出場に向け、突き進む。

2011年8月10日 駒野、躍動!骨折“借り”返した

サッカー・キリンチャレンジ杯(10日、日本3-0韓国、札幌ドーム)
右肩脱臼で欠場のDF長友(インテル・ミラノ)に代わり、
左サイドバックで先発したDF駒野が起用に応えた。
ザックジャパン(困った時の駒野(その後の駒野友一)) 【2013東アジア杯】キャプテン駒野_c0219232_14592248.jpg

日本-韓国 後半、本田(左端)のゴール後に、天に向かって指を突き上げる日本イレブン=札幌ドーム
(右 駒野  3)
後半8分、中央へ切り込み左足シュート。
相手GKが弾いたボールがMF本田につながり、2点目が生まれた。
「海外組が多くなって、個の力が上がっていますね」とJで頑張る30歳は謙遜したが、
昨年10月の韓国戦で右腕を骨折した“借り”をしっかり返した。


2011年10月11日 駒野“笑顔”の代表初ゴール/W杯予選

ザックジャパン(困った時の駒野(その後の駒野友一)) 【2013東アジア杯】キャプテン駒野_c0219232_1584775.jpg


前半35分、チーム3点目のゴールを右足で決める駒野(撮影・松本俊)
<W杯アジア3次予選:日本8-0タジキスタン>◇C組◇11日◇大阪・長居スタジアム
 もう涙はいらない-。
日本代表DF駒野友一(30=磐田)が代表初ゴールとなる前半35分の得点と2アシストの活躍で大勝に貢献した。
10年W杯南アフリカ大会の決勝トーナメント1回戦パラグアイ戦でPKを外し、泣きじゃくった男が苦難を乗り越えた。
フィールドプレーヤーでは日本代表史上、最も遅い国際Aマッチ65試合目での初得点で存在をアピールした。
 右足でぶち抜いた。DF駒野件が史上最も遅い65試合目で待望の代表初ゴールを決めた。
前半35分。
相手のクリアボールを低い弾道で蹴り込んだ。
「ゴールはずっと思っていたこと。やっとゼロが1になった。うれしい」。
苦労人らしく積み重ねた日々が“記録”となって結実した。
前半11分と後半2分には正確なクロスでFWハーフナーの2得点も生んだ。
右足から1得点2アシスト。圧勝への流れを作り上げた。
 歓喜のピッチで駒野件は笑っていた。心の底から笑っていた。
もう泣き顔など必要ない。昨年のW杯のパラグアイ戦。PKを外しそのまま敗退。ピッチ上で泣きじゃくった。
日本中にそのシーンが流れた。
ワイドショーも取り上げ、日本が進撃を演じた歓喜の裏で陰の主役のように扱われた。
 W杯帰国後は「あれで日本のW杯が終わってしまった」と自分を責めもした。重い十字架だった。
今年8月のスルガ銀行杯で“あれ”以来となるPKを蹴って成功させた。
スタンドで見守った夫人は成功の瞬間、涙をこぼした。
1年以上たってなお、駒野のまわりには涙があった。
どれだけ重い失敗だったか…。家族さえも、十字架を背負っていた。
 PK失敗後も苦難は続いた。
心の傷が癒えかけた昨年10月の韓国戦で右上腕部骨骨折の重傷。
代表復帰まで10カ月を要した。
ただ、日本代表における存在は揺らぐことはなかった。
若手を積極的に登用するザック政権下でもケガのブランクも関係なく招集。
この日の先発11人中、国際Aマッチ出場数はMF遠藤の112試合に次ぐ2番目。
右サイドバックの位置を争う内田をケガで欠く中“代役”と表現しては失礼なほどの働きだった。
 泣き顔と決別した駒野は、新たな1歩を踏み出した。
 「(PK失敗は)忘れたわけじゃない。でもあれがあるからこそ、立ち直って今の自分があるんだと思う。しっかりもう1度あの舞台に立てるようにしたい」
 つまずいても立ち上がる-。
そして強くなる-。そんな無言のメッセージ。記録的な圧勝劇を、心の強い男のドラマが彩った。【八反誠】
 [2011年10月12日8時37分 日刊スポーツ紙面から]

困った時の駒野(2011/11/09)
ザックジャパン(困った時の駒野(その後の駒野友一)) 【2013東アジア杯】キャプテン駒野_c0219232_151655.jpg

気が付けば、先発出場は5試合連続に伸びた。
一時はザッケローニ監督の構想外かと思われた駒野(磐田)が、両サイドバックをこなせる貴重な戦力として信頼を勝ち取った。
「出たときはしっかりと結果を残すようにやっている」
と好不調の波がない30歳の守備職人は、
「左右のサイドが変わっても、しっかりとコンビネーションを心掛けてやりたい」「一度も自分は誰かの控えだと思ったことはない」
という駒野も、プレーの幅を広げている。
以前より効果的に得点機に絡むようになり、タジキスタン戦では代表65試合目にして初ゴール。


2012年09月06日 駒野、2戦連続アシスト!長友不在の穴埋めた…キリン杯UAE戦
ハーフナーV弾!代表3発は全部駒野から…キリン杯UAE戦

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クロスを上げる駒野 
◆キリンチャレンジ杯2012 日本1―0UAE(6日、新潟・東北電力ビッグスワンスタジアム)

 FIFAランク120位のアラブ首長国連邦(UAE)と対戦した同23位の日本は、
後半24分にFWハーフナー・マイク(25)=フィテッセ=の決勝ゴールで1―0と辛勝した。

11日のW杯最終予選・イラク戦に向け収穫と課題が同居する試合だった。
 左サイドバックで先発したDF駒野が、2試合連続アシストで自慢のキック精度を示した。
後半24分、左サイドでパスを受けると、利き足とは逆の左足でクロス。
飛び出したGKも触れない ボールを、FWハーフナーの頭に合わせ「クロスへの対応が弱点だと、試合前から聞いていた。DFとGKの間を狙ったのがうまくいきました」とうなずいた。

 8月15日のベネズエラ戦でも右サイドバックで先発し、MF遠藤のゴールをアシスト。
磐田でも右サイドが定位置だが、この日はDF長友が右足首痛で欠場した左サイドを務め、後半34分からは右サイドに移って万能性を示した。
だが、守備面では「体の向きがいつもと反対で、少しとまどった」と前半、相手のスルーパスから自らのサイドで裏を取られたプレーを反省しきり。
「次はもっと大事な試合なので、今日出た課題を修正したい」とすでに最終予選のイラク戦を見据えていた。

2013年07月17日東アジア杯で新戦力が輝くカギを握る駒野友一。新キャプテンが担う大きな役割とは?
東アジア杯で新戦力が輝くカギを握る駒野友一。新キャプテンが担う大きな役割とは?〔フットボールチャンネル7月17日(水)11時0分配信〕
〔若手主体のなか選ばれたベテラン〕
〔周りが合わせやすい選手〕
〔本来はキャプテン向きではないが…〕
【駒野主将「責任持つ」東アジア杯(2013/7/20)】
【東アジア杯のキャプテンに駒野を指名、ザック「彼しかいない」】
「駒野は代表チームに来るのが好きな選手ですから」と笑顔で語り、厚い信頼を寄せていた。

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東アジアカップのメンバーが発表された。若手中心の選出のなか、キャプテンに指名されたのはベテランの駒野友一。
新戦力への期待が高まる大会ではあるが、31歳のサイドバックが担う役割は大きい。

〔若手主体のなか選ばれたベテラン〕
「サプライズ」と答えたザッケローニ監督が、東アジアカップに臨む若き日本代表のキャプテンに指名したのは駒野だった。
「これまでの代表への貢献度、これから(残り1年で)想定される貢献度、選手としてのキャリアなど考えると、彼しかいない。駒野は代表に呼ばれるのが好きな選手だからね」と選出理由を説明した。
ザックジャパン(困った時の駒野(その後の駒野友一)) 【2013東アジア杯】キャプテン駒野_c0219232_17195466.jpg

駒野友一【写真:松岡健三郎】
 東アジアカップでは「新しい選手にチャンスを与える」と語ったザッケローニ監督。
アジアカップに向けたメンバーは初選出の7人、合宿などに招集経験はあるがキャップ数ゼロの8人が含まれ、海外組に加え遠藤保仁、今野泰幸、中村憲剛、前田遼一といった国内組の主力が外れた。
 一方でGKの西川周作と権田修一、MFの高橋秀人は最終予選やコンフェデで出場機会に恵まれなかった選手たち。
DFの栗原勇蔵もコンディションが整わずにコンフェデ開幕を迎え、3試合目のメキシコ戦こそ先発したものの、不本意な結果で大会を終えた。
ザッケローニ監督としても良好な状態で改めてチェックしたいというのはあるだろう。
 そうした構成の中で、最も異質な存在が駒野友一だ。
アジア最終予選で長友や内田の欠場した穴を埋めるなど、安定したパフォーマンスでチームを支えてきたベテランだが、コンフェデは選考から漏れた。
とはいえザッケローニ監督が計算できる戦力であることは疑いの余地がなく、対戦相手もベストとは言えない今大会でテストする必要性は無い。
〔周りが合わせやすい選手〕
 それではなぜ駒野を入れたのか?
「できるだけ多くの選手を試したいが、同時にチームはバランスとパーソナリティを確保しなければならない」とザッケローニ監督。
新しい選手が中心といっても、チームのベースが全くなければバラバラになってしまう。駒野は彼らに方向性を与える指標となるべき存在だ。
 また今回の構成を見て分かる通り、本職のSBに関しては海外組4人+駒野の5人で足りている。
その比較的、テストの必要性が少ないポジションに経験豊富なベテランを戦術的、精神的な支柱として入れることで、代表チームのバランスとパーソナリティを確保しながら、他のポジションで新しい選手を積極的にテストしていけるのだ。
 SBに関してザッケローニ監督は、駒野、槙野、森脇の3人で基本的に回していく方針を明かした。
おそらく駒野はコンディションさえ問題無ければ、左右のどちらかで3試合全てに出場し、彼が右なら槙野が左SBに、左なら森脇が右SBに入ることが想定される。
 駒野はSBとしてバランス感覚の高い選手であり、周囲の選手にとっても合わせやすいはず。
ウィングやボランチが移動すれば、それに応じてポジションを調整することができ、流れに応じた縦のアップダウンも安定している。
 同じSBでも、長友のように率先したプレーでグイグイ引っ張っていくタイプではないが、チームとしてはほぼ初顔合わせの様なチームを正しい方向に導くには、持って来いの選手かもしれない。
〔本来はキャプテン向きではないが…〕
 駒野を戦術的な指標として位置づけた場合、同サイドで縦のコンビを組む山田や齋藤、クロスに合わせる豊田や大迫がこのベテランの助けを得ながら、彼らの持ち味をしっかり出していけるかは注目ポイントだ。
 個の発掘と強化は本大会までに課されたメインテーマではあるが、全体がバラバラでは個が最大限に引き出されない。
その意味でも駒野の存在は大きいが、周りの選手も限られた時間の中で彼と良い関係を構築していくことが求められる。
 物静かな選手で、本来はキャプテンの柄ではない。
しかし、すでに75試合のキャップ数を持つSBは、記者から質問を受ければ的確に試合を振り返り、改善すべきポイントを口にしてきた。
 思い返せば最初の合宿で、ザッケローニ監督と“青空談義”をしたのが駒野だった。
今回も指揮官の意図をくみ取り、若い選手たちとコミュニケーションを重ねながら、短期間でも意志の疎通をはかっていくはず。
 新戦力の台頭が期待される東アジアカップだが、彼らが思う存分、ストロングポイントを発揮するためにも、31歳のベテランが担う役割は重大なのだ。
【了】


【駒野主将「責任持つ」東アジア杯(2013/7/20)】
 若手が多い男子の日本代表で主将に指名された駒野(磐田)は、チーム最年長で大会期間中の25日に32歳になる。
代表デビューは8年前のこの大会の中国戦という巡り合わせもあり、記者会見では「最初に聞いたときはびっくりしたけれど、責任を持ってこの大会に臨みたい」と表情を引き締めた。
 自身にとってはコンフェデレーションズカップで代表から外れた悔しさをぶつける舞台。「優勝を目指して頑張りたい」と気合を入れた。(共同)

2013年07月21日
ザックジャパン(困った時の駒野(その後の駒野友一)) 【2013東アジア杯】キャプテン駒野_c0219232_17214568.jpg

【東アジア杯】キャプテン駒野が公式会見「責任を持って大会に臨む」
東アジア杯に出場する日本代表は19日、
ソウルワールドカップで公式会見を行い、アルベルト・ザッケローニ監督と
キャプテンを務めるDF駒野友一(磐田)が出席した。

「めずらしい時期の開催となるが、代表チームの監督は集まれる機会が短いと
文句ばかり言う中で、こうして集まることができてうれしく思う」。
21日に中国、25日にオーストラリア、28日に韓国と対戦するザックジャパン。
指揮官は「対戦相手も3つの違うタイプのチームがいる。素晴らしい大会だと思うので、
しっかりと取り組んでいきたい」と意気込んだ。

コンフェデレーションズ杯のメンバーで引き続き招集されたのは4人のみ。
A代表初選出10人を含むフレッシュな顔触れとなった。
「サッカーをする際、まず結果を求めないといけないが、我々の場合、
先の代表戦から比べると、多くのメンバーを入れ替えている。
チームのやり方、チーム力という部分では少し劣るところが出るかもしれない」。
そう語るザッケローニ監督は、新戦力にコンセプトを浸透させ、チーム力の
底上げを図るつもりだ。

キャプテンに指名された駒野は「最初に聞いたときはビックリした」と
正直な胸の内を語りながらも、「責任を持ってこの大会に臨みたいと思う。
キャプテンになったからといって、特別なことは考えずに、いつものようにやりたい」
と自然体を貫く。

6月のコンフェデレーションズ杯で招集を見送られ、6月4日のW杯アジア最終予選・
オーストラリア戦以来の代表復帰。
「積極的なプレーをすれば、日本のサッカーをすれば、世界と互角に戦える
試合が見れたと思う」と、外から見たコンフェデ杯を振り返り、
「アジアを代表する4チームが参加する大会なので、優勝を目指してがんばりたいと思う」と、
目の前の大会に集中していた。


【東アジア杯のキャプテンに駒野を指名、ザック「彼しかいない」】
13/7/15 17:09
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東アジア杯のキャプテンに駒野を指名、ザック「彼しかいない」
 日本サッカー協会は15日、東アジア杯(20〜28日、韓国)に出場する
日本代表メンバー23人を発表した。
海外組に加え、代表常連のFW前田遼一(磐田)、MF遠藤保仁、DF今野泰幸(以上、G大阪)、MF中村憲剛(川崎F)、負傷のDF伊野波雅彦(磐田)の招集を見送り、
若手主体の国内組のみの構成。FW柿谷曜一朗(C大阪)ら10選手がA代表初選出
で、23人中15人がA代表出場歴のない“ゼロキャップ選手”となった。

 記者会見を行ったアルベルト・ザッケローニ監督はキャプテンについて
「サプライズです」と語り、当初は本番まで秘密にしておくつもりだったようだ。ただ、報道陣からの質問があり、「若い選手であったり、出場ゼロの選手はきっとやらないだろう」と明かすと、会見の席でDF駒野友一(磐田)をキャプテンに指名した。

 コンフェデレーションズ杯では代表から漏れ、6月4日のW杯アジア最終予選・オーストラリア戦(1-1)以来の代表復帰となったベテランSB。
「駒野のこれまでの代表チームへの貢献度、これから想定される貢献度、彼のこれまでの歴史を考えると、彼しかいないと思う」。
国際Aマッチ出場75試合は、今回のメンバーでは断トツの数字(2番目に多いのはDF栗原勇蔵の17試合)。
「駒野は代表チームに来るのが好きな選手ですから」と笑顔で語り、厚い信頼を寄せていた。


東アジアカップ2013 大会初制覇  主将務めた駒野友一、敵地での韓国戦勝利に「自信になった」
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東アジアカップで初優勝を飾り、カップを掲げる駒野(中央)ワールドサッカーキング

 サッカー日本代表は28日、東アジアカップ2013の最終戦で韓国代表と対戦。2-1で競り勝ち、勝ち点7となり大会初制覇を果たした。

 試合後、日本代表の主将を務めた駒野友一は、以下のようにコメントしている。

―キャプテンマークを巻いての大会だったが?
「最後は勝てて、優勝できたのですごく嬉しいです」

―ブラジル・ワールドカップへのアピールの場でもあったと思うが?
「攻められる時間が長くて、低い位置にいることが多かったですけど、最後の得点の起点になれてよかったと思います」

―アウェー、そして相手が韓国で苦しいゲームだったのでは?
「攻められる一方でしたけど、カウンターから2点取れて、本当に勝ててよかったと思います」

―大きな自信につながるのでは?
「韓国はホームですし、すごく勢いもあったので、そのチームに勝てたことは、自分たちにも自信になったと思います」

# by asanogawa-garou | 2013-07-30 17:32 | サッカー | Comments(0)

「山本周五郎」生誕110年・息子が見た親父の背中( 特集「作家の背中」) 賞も、記念碑も拒んだ文豪   

2013年 07月 20日
「山本周五郎」生誕110年・息子が見た親父の背中( 特集「作家の背中」) 賞も、記念碑も拒んだ文豪
生涯、賞を拒み続けた作家・山本周五郎。
週刊新潮2013/7/4号


6月22日に生誕110年を迎え、
それを記念して「長編小説全集」の第一弾『樅ノ木は残った』が刊行された。

今なお、山本文学は多くの読者を魅了して止まない。
次男の清水徹氏(70)が語る親父の背中と作家の背中。
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【「主人公に話しかけても背中を向けたままで、こっちを向いてくれないんだ」】
【生涯、文学賞などの受賞を辞退しました。ハンマーでぶち壊しに行く】
【小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るもの】
【歌舞伎俳優たちに激怒】
【「西へ」どうしても、家康が書きたい】
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【「主人公に話しかけても背中を向けたままで、こっちを向いてくれないんだ」】
親父の作家としての悩みやこだわりは、今でもよく覚えています。
印象的だったのは、話が佳境へ入るほど、明け方4時頃に起き出して執筆し、
昼は酒でも飲みに行っていたでしょう。
小説のことを考えすぎて不眠症になり、睡眠薬を服用していたくらいでしたからね。
なんでそんなに悩むのか理由を聞くと、
「主人公に話しかけても背中を向けたままで、こっちを向いてくれないんだ」
親父は主人公と対話しながら物語を作っていたようです。
だから、主人公との対話がないと一行も書けずに悩んでいたのでしょう。

資料を読み込んで書き始めた『樅ノ木は残った』などは主人公と対話できた作品でした。

主人公の伊達藩重臣・原田甲斐は、実在の人物で、お家騒動の原因を作った悪者だとされていた。
それが全く異なる“原田甲斐像”になり、一部から作品に対して批判の声が上がって、出版社の人も心配してくれたのです。
が、親父はこう言って絶対譲りませんでした。

「僕が資料を読み込んで出来上がった“人間・原田甲斐”はあれだから。自分が読めば、どこからも、悪者としての原田甲斐は出てこないんだ」

【生涯、文学賞などの受賞を辞退しました。ハンマーでぶち壊しに行く】
ご存知のように、親父は生涯、文学賞などの受賞を辞退しました。
それは直木賞も例外ではありません。
常々言っていたのは、
「魚屋が、魚をいっぱい売ったからって、同業者を呼んでパーティーをするか?
本が売れるということは、それだけ普通の人が買ってくれる訳で、それが賞なんだ。
賞と名のついたものをもらってもしょうがないだろう。
実際に僕がこうやって書けることが、それだけで賞なんだよ」

それで、同業の人とはあまり交わろうとはしませんでしたね。
同じ人種と付き合ってもプラスにはならないと考えたのでしょう。

賞以外でも、生前、どこかから“石碑を建てたい”と言われたことがありました。親父はこう言って断わっていたのです。

「いいですよ。その代わり碑が建ったら、私がハンマー持ってぶち壊しに行くから」

今では僕が把握しているだけでも文学碑は3つありますが、親父が生きていたら全部破壊されていたかもしれませんね。

【小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るもの】
名誉を求めなかった親父は、テレビや映画会社から映像化の依頼が沢山来ても、最初は断わっていたんです。

その理由を「小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るものであって、映像をパッと見せられたら、それは小説じゃない」
と説明していました。

でも、それからしばらくして誰かから説得されたのか、TBSで「山本周五郎アワー」が製作されて、随分多くの作品が映像化されました。
ただ、親父は映像化にOKを出したら、もう自分のものじゃないから、どうやったらもらおうと構いませんというスタンスだったのです。

【歌舞伎俳優たちに激怒】
親父の作品は芝居にもなっているので、何回か連れて行ってもらいました。
歌舞伎で『樅の木は残った』が上演されたことがあります。
当時の松本幸四郎などの大御所が集まって、リハーサルをしていることを聞きました。

親父から“ちょっと観に行こう”と言われて、会場の一番後ろで立って観ていたのです。

評定所の場面で、出演者がみんなで団扇太鼓を叩いたんです。
親父はそれを観て、ワーツと頭に血が上がったらしく駆けていって、
「なんで、評定所に団扇太鼓なんか持って来られるんだ!そんなことあるわけないだろう!」

本当は演出家が決めたことで俳優たちに非はありませんが、
俳優たちが“申し訳ありません”と並んで頭を下げたら、親父は“もういい”と。

そして浜町の料亭へ行くと言った後、僕にこう頼んだのです。
「彼らにも、“怒鳴ってしまって申し訳なかったから、もし来られるようならば一献差し上げたいので、そちらへいらしてください”と言ってくれ」

僕が言い付けて、料亭で親父と待っていたら幸四郎が舞妓を連れて来ました。
“先生、申し訳ありません”と謝られ、親父は、
「いや、さっき怒鳴っちゃっだけど、君たちが自主的にやった訳じゃないから」
と、俳優たちとは仲直りしたのです。

本来なら、演出家が来て謝らなきゃいけないのに、来なかった。
それで親父は本公演を観に行きませんでした。結局あの場面がどうなったのか、知らないんです。
「一回言ったんだから、これ以上言う必要はない。観に行って同じことをやっていたら、またカッときてしまうから」と言っていました。

【「西へ」どうしても、家康が書きたい】
親父がゴニョゴニョつぶやいている。
耳を近づけると、ひと言だけ「西へ」と言っているように聞こえました。
生前、親父は「自分が死ぬ時は、棒に荷物を巻き付け担いで、西の方に去って行く」と意味深に話していたので、死ぬ覚悟をしたんでしょう。
思い残すことは、沢山あったと思います。親父は、徳川家康を書きたかったんですよ。

生前、「どうしても、家康を書きたい。俺が書いたら、家康は全く別の人間になる」
それができなかったのは無念だったと思うし、読者の方も残念に思ってくださるでしょう。
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【平蔵の独り言】
やはり「ヘソ曲がり」、でも 納得
【小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るもの】
100人が読んだら、100人の個性で(感性で感じるもの)

ひと言だけ「西へ」

三國連太郎さんは「港に行かなくちゃ、船が出てしまう」

さあ~て、小生はなんていうか・・・・・・・・・・
一度、狂気の2日間を過ごしたから もう全て言ってしまっている?

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【生涯、文学賞などの受賞を辞退しました。ハンマーでぶち壊しに行く】
常々言っていたのは、
「魚屋が、魚をいっぱい売ったからって、同業者を呼んでパーティーをするか?
本が売れるということは、それだけ普通の人が買ってくれる訳で、それが賞なんだ。
賞と名のついたものをもらってもしょうがないだろう。
実際に僕がこうやって書けることが、それだけで賞なんだよ」

【小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るもの】
名誉を求めなかった親父は、
テレビや映画会社から映像化の依頼が沢山来ても、最初は断わっていたんです。

その理由を「小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るものであって、映像をパッと見せられたら、それは小説じゃない」
と説明していました。

【「西へ」どうしても、家康が書きたい】
親父がゴニョゴニョつぶやいている。
耳を近づけると、ひと言だけ「西へ」と言っているように聞こえました。
生前、親父は「自分が死ぬ時は、棒に荷物を巻き付け担いで、西の方に去って行く」と意味深に話していたので、死ぬ覚悟をしたんでしょう。

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「山本周五郎」生誕110年・息子が見た親父の背中( 特集「作家の背中」) 賞も、記念碑も拒んだ文豪_c0219232_18424983.jpg

先日、新聞の「読書」に

「その木戸を通って」
これを読まないで人生を終わる人は不幸だ。

*評者=篠田正浩・映画監督

早速読んだが、心が「ホッとする」のは何故・・・・・・・・・・・・・・・・・

# by asanogawa-garou | 2013-07-20 18:54 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

『ふぞろいの林檎たち』を語ろう 〔誰が主役か分からないドラマ〕偏差値教育、管理社会に一石を投じた傑作   

2013年 07月 08日

「ふぞろいの林檎たち」偏差値教育、管理社会に一石を投じた傑作


『ふぞろいの林檎たち』を語ろう

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「ふぞろいの林檎たち」偏差値教育、管理社会に一石を投じた傑作

〔あの日を旅する〕サウダージ第90回1983年6月24日~6月30日
あのテレビ、あの場面    週刊現代2013/7/6号

学歴社会と向き合って、
丁寧な心理描写や、
ハッとさせられるようなセリフまわしで人気を得た『ふぞろいの林檎たち』。

その後もシリーズ化されていまだその余韻が残る、
山田太一脚本による「刺さり続ける」ドラマだ。

最近ではこのドラマの中井貴一のモノマネをする芸人が登場するなど、
いまでも色あせていない。
三流でもない「四流」大学に進学してしまった青年3人と、
そのガールフレンドたちが織り成す偏差値教育、管理社会に一石を投じた作品。

非エリートのほうが圧倒的に多い社会のなかで、
自信をもらい、考えるキッカケをもらった人も多いのではないだろうか。

学歴という価値基準が偏重されていた時代、
「規格品」を尊重する社会を、ふぞろいの林檎たちを描くことで品よく批判した。


真面目からではなく、やんわりとおしゃれに批判したことがヒットの要因だった。

サザンオールスターズの主題歌『いとしのエリー』や、
劇中で流れる『Ya Ya』なども印象深い。

あの曲を聞いただけで、仲手川(中井貴一)、岩田(時任三郎)、西寺(柳沢信吾)、陽子(手塚理美)、綾子(中島唱子)、晴江(石原真理子)の顔が思い浮かぶ。
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「あんなにやったのにって思うけど、
きっと顔のいい奴と悪い奴がいるみたいに、
脳味噌も平等には出来てないんだよね。
出来ないからって、努力してないじゃないんだけど」
仲手川のセリフである。

学歴差別される側の理屈を代弁してくれたと思った人も多いだろう。

同時に、背が低いこと、お金持ちでないこと、
地方に生まれたことのコンプレックスに対して、
このセリフが示唆するものは大きい。
決して悪いことではないのだと、大人になってから気づく。

学歴、恋愛、家族。
重いテーマであるが、箴言とともに
「あなたも自分と向き合いなさい」と諭されるような気持ちで観ることができる傑作だ。
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【平蔵の独り言】
非エリートのほうが圧倒的に多い社会のなかで、
学歴という価値基準が偏重されていた時代、
「規格品」を尊重する社会を、ふぞろいの林檎たちを描くこと。

この言葉が全てを語っているような気がする。

偏差値教育、管理社会の価値基準と学歴差別を感じて、
理不尽さ息苦しさの中で足掻きながら「規格品」になること
『ふぞろい』でいけないの?

その10余年前の70年安保を境目にして、
『規格外』見ないように社会も個人も避けてきた時代が今まで続き
今年度末の国の借金 1100兆円(1%として、10兆円は利払いに消えていく)

“いちご白書をもう一度”
就職が決まって髪を切ってきたとき、
もう若くないさと君に言い訳したね!

この国はどこへ行くのか(心配だ!)

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『ふぞろいの林檎たち』を語ろう


山田太一(脚本家)×大山勝美(プロデュース)

週刊現代(2012/5/19号) 今週のディープ・ピープル
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〔誰が主役か分からないドラマ〕

(大山)『ふぞろいの林檎たち』というタイトル、
打ち明けますと『3年B組金八先生』の「腐ったミカン」ヒントなんです。
腐ったミカンが一つでもあると、
周りのミカンも腐ってしまうから、すぐ捨てたほうがいい、というあの寓話。

(山田)そうそう。
エリートではなく、落ちこぼれの規格外品に光を当てるようなドラマをやろう、
と大山さんと話していて、
四流大学に通う大学生の群像劇にすることまで決まっていた。
それでスタッフで集まってタイトルを考えているときに、
箱から取り除かれてしまう「腐ったミカン」はつらいねって話になって。

(大山)イギリスに留学経験のあるスタッフが、
「向こうで売られている果物はみんなバラバラふぞろいだ」
と発言した。
(山田)それで「ふぞろい」をいただいた。
そこにミカンではなく林檎が結びついたわけです。
(大山)ロケ地、大学のキャンパスを使わせてもらえなくて困った。
「四流大学」という設定が問題で、
どこも「うちは四流じゃありませんから」って断る。

(山田)キャスティングも大変でした。
誰が主役だかわからないドラマを書こう、という企画でしたから、
メインの男女8人に優劣がつかないよう、
主役級のスター俳優は使えなかった。

(大山)3人目の女性は美人じゃないほうがいい、と
「自分の容貌に不自由を感じている人」
という条件で募集した(笑)。
そうしたら、新聞記者が面白がって書いたものだから、
ものすごく応募が多かったんです。
(山田)ところが、ちっとも容貌に不自由してそうにない人ばかり来た。
(大山)しかも、女性ってのは面白いもんで、
そういうオーディションでも自分が一番よく写っている写真を送ってくるんですよね。
こっちの狙いはそうじゃないんだけれど。

(山田)彼らが生き生き演技してくれたせいか、
よく「あのセリフってアドリブじゃないんですか?」と聞かれるんですが、
アドリブは一切なかったですね。
口調も口癖も一言一句台本どおりやってもらいました。
(大山)台本というのは、きちんと流れを計算して書かれている。
山田さんの脚本は特にそうですが、呼吸があるわけです。
アドリブが入るとその呼吸が乱れる。
(山田)それにしても『ふぞろい』が14年もシリーズが続くほど、
長く支持されるとは思っていませんでした。
(大山)たしかに。放送前は大学生モノのドラマは当たらないと言われていましたからね。
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〔あれから30年近くが過ぎて〕
(大山)大学生にニセモノだと思われないように、取材は入念にやりましたね。
(山田)まず早稲田大学を取材した。
でも、あまり面白くなかった。
それで、もうちょっとランクが落ちるとされる大学の学生に話を聞いたら、
ずっと面白かった。
成績がよくてスムーズに受験を乗り切った人ってのは、
学歴に関して感情のひだが少ないでしょう。
(大山)そう。
はじめは、大学に入った人と大学に入れなかった人の差をドラマにしよう、
話していたんですが、調べて見たら大学間格差のほうが大きかった。

(山田)取材した学生に、サークルの勧誘ビラを女子大の前で配るかと聞いたら、
「どうせ来てくれないから配らない」
と言うんですよ。「じゃあ、どんな女の子とつき合ってるの?」
と聞くと、看護学校の学生という答えだった。
(大山)看護学校も取材しましたね。
(山田)看護学校には、
看護師を目指して、人のために役立ちたいと思ってがんばっている人と、
看護学校しか入れなかったから仕方なく入ったという人の2種類がいた。
(大山)でもこうした取材の甲斐があって、
大学生の視聴者から
「俺たちの本当の気持ちをうまく描いてくれて嬉しかった」
という投書をたくさんいただいたのを覚えています。

(山田)大学生に受け入れられたのには、
BGMに使用したサザンオールスターズの曲も大きかったですよね。
(大山)主題歌に名曲『いとしのエリー』を選んだんだ。
『いとしのエリー』は『ふぞろい』用に作った曲じゃないんですが、
そういうイメージが強いようで、
サザンがコンサートで『いとしのエリー』を演奏すると観客から「ふぞろい!」
とコールが入るらしい。彼らは迷惑だったでしょうね(笑)

(山田)最初の『ふぞろい』が放送されてから、もうそろそろ30年です。
最後のパートⅣが‘97年ですから、それも15年前。
(大山)ありがたいことに、この歳になっても、
テレビ局の方から「大山さんの『ふぞろい』を見て放送局に入ったんです」と声をかけられることがある。
(山田)私も時折、「自分は“ふぞろい世代”なんです」と言われることがあるんですよ。
当時、大学生だった人たちです。もう五十路にさしかっている。
(大山)そろそろ“ふぞろい世代”も定年ですね(笑)。
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【平蔵の独り言】
『ふぞろい』・・・・いい言葉だと思う。
人は100人いたら100の個性(親も違う、育った環境も違う)
それを認め合いながら、人生を送っていくはずなのに
今はみんな同じではないと、不安?

“ふぞろい世代”が生きやすい時代が楽しいと思うのだが

# by asanogawa-garou | 2013-07-08 15:13 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(1)