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〔人生は一度しかない。〕「老いは突然やってくる。だんだんと年老いていくのかと思っていたのだが」   

2017年 06月 30日
〔人生は一度しかない。〕「老いは突然やってくる。だんだんと年老いていくのかと思っていたのだが」

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「老いは突然やってくる。だんだんと年老いていくのかと思っていたのだが」エミリー・ディキンソン(アメリカの詩人)

【「老いは突然やってくる。だんだんと年老いていくのかと思っていたのだが」】

人生は一度しかない。
老いていくことを経験する機会も一度だけだ。


「老い」がどんなものか、古今東西の書物から学ぶことができないわけではない。
だが、書物に書かれた「老い」がそもそも何歳の時のことだか分からない。
読み取れるのは抽象的な「老い」ばかりだ。

・身近な年上の人のようすや言葉からなら、年齢と付き合わせることができる。

・人生の先輩たちの動作を見ながら、言葉を聞きながら、「まだ自分は大丈夫」と思う。

そして何年か後に「ああ、ついに自分にも来たか」とまた思う。

・疲れが取れない。

・息が切れる。
・体が硬い。
・目がよく見えない。
・動作が鈍い。
・視野が狭まる。

・どの項目も、漏れなくやって来て、服用する薬の数が増えてくる。

・ゆっくり、そして、確実に、衰えてくる。

・突然、転ぶ。振り返っただけでは体が硬くて後ろが見えない。
・眼鏡を置いた場所を思い出せない。


毎日伸びる髪の毛に、ある日突然我慢できなくなって散髪したくなるのと同じように、ある日突然、自分の新しい衰えに気づくのだ。

きょうの言葉2017/6/30北國新聞


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②老いは突然やってくる
【平蔵の独り言】
「老いは突然やってくる。だんだんと年老いていくのかと思っていたのだが」
こんな“きょうの言葉”が目に留まった!

【独り言】
急にこの2週間程、腰痛に襲われてる。
「老い」を認めてないと突っ張っているが、
その実、素直に認めている自身がいる。

先日、基幹病院の受付で「車いすで行きましょう」
→“いや、何とかいけます”
→「お仕事をさせてください」
→(何故か素直に)“はい!ありがとうございます”

自身、辛いくせに強がっている。
 何十人、何百人と見ていて人には
見透かされているのだ!

【平蔵の独り言】
「老い」と「生きる!」を実感している日々が

“幸せ”:“自分の脚”で“普通のことができる”→「生きる!」

〔古稀〕を「生きる」とは、受け入れることはすごいことだ。(寺島しのぶ)

エミリー・ディキンソン(アメリカの詩人)
1830年代の詩人が「老いは突然やってくる」

しかし、古希は“痛い”(腰痛は痛い)・・・・・・・



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by asanogawa-garou | 2017-06-30 16:00 | 今 今日この頃 | Comments(0)

【樹木希林】家族について語る「最期ぐらいは裕也さんの歌を聞きながら」〔“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”〕   

2017年 03月 27日
【樹木希林】家族について語る「最期ぐらいは裕也さんの歌を聞きながら」〔“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”〕

樹木希林、家族について語る「最期ぐらいは裕也さんの歌を聞きながら」
週刊女性2017年1月17・24日号


〔“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”〕あれで、たまにはいいこと言うのよ。

〔年とったら耳も遠くなるし、滑舌(かつぜつ)も悪くなるし。もう限界だと、〕

【“私の不満の人生の中で、危険なものをつかんだ。ここなら生きられると思った” という相手。】

〔本木さんとは全然性格が違うから、よくわからなかった〕ただ、みんな調整しながら、譲り合いながら乗り越えてきたんだわね

〔年をとっていくことに対して何も抵抗ないから、苦労もないし。もともと少欲なの。〕別に我慢や無理はしてないですよ。

【最期ぐらいは花を持たせてあげないと】

【内田裕也、毎年欠かさず被災地に贈る“ロック”な支援】
〔まあ、オレもいろいろと誤解されますけど、そんなに悪いやつじゃないですから、ヨロシク!〕


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①「いやっほぅ、撮れーっ!!!」(樹木)
________________________________________

 老夫婦の素敵な暮らしを描いた映画『人生フルーツ』でナレーションを担当した樹木希林さん。
ご自分の人生には、どんな果実を思い描いているのだろうか。
長い別居生活を過ごしつつ、今も夫婦でいる夫・内田裕也さんとの葛藤、娘と本木雅弘さんとの生活、そして自身の今後について語ってくれた。
☆  ☆  ☆
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②樹木希林さん 撮影/枦木 功
「私、女性週刊誌に出るのが嫌いなのよね。売るために面白いタイトルをつけるじゃない? 書かれるほうはつらいのよ」

〔“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”〕あれで、たまにはいいこと言うのよ。

 “週刊女性です”と名乗ったスタッフに、いきなりカウンターパンチをくださったのは樹木希林さん(73)。
「若いころ、マスコミから逃げ回っていたことがあるんだけど。
夫に“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”って言われてね。あれで、たまにはいいこと言うのよ。
私も作り手なら、気をひくタイトルをつけちゃうだろうしね」
 とフォローもあって、その押し引きは絶妙─。

「何かあるたびに、ここで記者会見を開くことになっちゃってるのよね(笑)」
 という、渋谷区にあるご自宅の応接間には、モノは持たない主義ということでグランドピアノと最小限の家具しかない。
その中で、ひときわ目立つ木製のテーブルは平幹二朗さんが使っていたものを、人づてにもらったのだとか。

「だから、何か事件があってうちで会見をするたびに平さんが“僕のテーブルが映ってる”と言ってたそうなんですよ(笑)。
直接面識はなかったけど、魅力的な方でしたね。
肺がんにかかられたのに、最期まで立派な役者として生きられて……」

杖はどこいった? じゃ、夫婦ゲンカにもならない
 自身もがんを患いながら仕事を続けている希林さんは、1月2日に公開された映画『人生フルーツ』でナレーションを担当。
完成品を見たプロデューサーが、
「地上と天空の間から発せられるような見事なナレーション。これは、呪文だ」
 と驚嘆したほどの、沁(し)みる声だった。
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〔年とったら耳も遠くなるし、滑舌(かつぜつ)も悪くなるし。もう限界だと、〕
「渡された台本を下読みもせずに、ただ読んだだけ。
まぁ、60年近く声で人を騙(だま)してきてるからね(笑)。
ナレーションはセリフを覚えなくていいからラクだと思ってたのに、年とったら耳も遠くなるし、滑舌(かつぜつ)も悪くなるし。
もう限界だと、スタッフには言ってるんだけど」

 映画で描かれているのは90歳の夫・津端修一さんと、87歳の妻・英子さんの暮らしと人生。
建築家の夫が建てた丸太小屋に住み、雑木林と畑で育てた約70種類の野菜と50種類の果物を季節に応じて収穫し、妻が丁寧に作った料理を、ふたりで食べる。
お互いに“さん”づけで呼び、ほぼ自給自足の生活を支え合い、ゆっくり豊かな時間を過ごしている。そんな夫婦に、やがて別れの時が訪れ─。

「英子さんは可愛らしい人でね。映画が完成した後、初めてお会いして一緒に居酒屋に行ったんですけど、いいエネルギーに満ちあふれていた。
ああいう女性は、修一さんのようないい旦那さんがちゃんと来るのね。
散らかさなくてつつましくて始末がよくて、でも大胆なところもある旦那さんで、本当に素敵なご夫婦。

 映画を見て“こんな人生を歩めたら言うことなし”だって、みんなそう思うんじゃない? 
もちろん、その人生がうらやましいとか、自分の人生がイヤだとか、そういうことはないのよ。
でも、それはそれ。こういうふうな道しか歩けない私は私。
だけど、津端さんのような人生も見事だなぁと思いますね」

【“私の不満の人生の中で、危険なものをつかんだ。ここなら生きられると思った” という相手。】
 反骨のロックンローラー・内田裕也さんとの結婚生活は43年になる。
 “私の不満の人生の中で、危険なものをつかんだ。ここなら生きられると思った”という相手。
警察ざたになるほど大ゲンカをしたこともあるし、離婚しかけたこともある。
しかし、長い別居生活を過ごしつつ、今も夫婦でいる。
「うちは年をとっても若いときと変わらない。
性格がまったく同じだから、何を考えてるか読み取れるし、争いにもなる。ただ、最近は年とってきてエネルギーがなくなったからケンカしなくなっただけ。
“この野郎!”となっても、“杖はどこいった?”じゃどうしようもない。そのうちに“面倒くさいかぁ”で終わり。

別に仲よくなったわけじゃないのよ。
『人生フルーツ』の英子さんは旦那さんのことを“年とっていい顔になった”と言ってるんだけど、うちは両方ともそんな境地じゃないわね。
たまに顔を見ると“この人、昔はもうちょっと男前だったのに。
どうしてこうなっちゃったのかなぁ”なんて思うもの。
それはお互いだろうけど、決していい顔にはなってない。
むしろ“奇っ怪(きっかい)”。とんでもないキャラクター商品って感じ(笑)」
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④撮影/枦木 功

〔本木さんとは全然性格が違うから、よくわからなかった〕ただ、みんな調整しながら、譲り合いながら乗り越えてきたんだわね
 30歳のときに出産したが、子育ても希林さん流だったという。
「私は、相手の気持ちに入り込むのが面倒くさいの。一歩引いてるというか。子育てもそう。例えばケーキをもらったら、私はまず自分が好きなのを取っちゃう。娘に“どれがいい?”と言って先に選ばせるなんてこと絶対にしない。だから、早く嫁に行ったんじゃない? きっとうちが居心地悪かったんだと思う」
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 娘の也哉子さんは19歳のとき、俳優の本木雅弘さんと結婚。
長らく二世帯で同居し、3人の孫にも恵まれた。
「今、娘一家はイギリスに行っちゃったけど、それまではうちの上に住んでました。
家族円満に見える? なんかねぇ。
円満になっちゃったのよね。
最初はそうじゃなかったのよ。
本木さんとは全然性格が違うから、よくわからなかったし。
ただ、みんな調整しながら、譲り合いながら乗り越えてきたんだわね。

〔年をとっていくことに対して何も抵抗ないから、苦労もないし。
もともと少欲なの。〕別に我慢や無理はしてないですよ。
 別に我慢や無理はしてないですよ。
ああ、そうなんだ、この人はこういう性格なんだと思うだけで、どうこうしようと思わない。
それは子どもや孫に対しても同じ。
まぁ、二世帯住宅で、台所も玄関も違うし、まったく会わない日がいっぱいあった。
距離がおける暮らしだから、やってこれたんでしょうね」

 同居しているときから、自分のことは自分でする主義。
石けんはひとつしか持たず、それで身体も食器も衣服も洗う。
お経をあげるのと、掃除をするのが日課だそうだ。
仕事もマネージャーはつけず、ひとりで現場に向かう。
「病気してからも普通に食べるし飲むし。
無理してる感じはないのよね。
年をとっていくことに対して何も抵抗ないから、苦労もないし。
もともと少欲なの。
仕事については、基本的に来た順番に引き受けているだけ。
あまり先のことだと、わからないからお断りすることもあるけどね」

【最期ぐらいは花を持たせてあげないと】
『人生フルーツ』では、夫と最期のお別れをするシーンがあるが、希林さん自身の人生の最期には、裕也さんが歌う『朝日のあたる家』を聴いて逝(い)きたいという。

「最期ぐらいは花を持たせてあげないと、怒るだろうと思って。
まぁ、歌自体がいい歌だしね。私が先にボケると信じてるので、もし、裕也さんが最期に駆けつけてくれたら、“まぁ、ご親切にしていただいて。……ところでおたくどちらさま?”と言って死ぬのが理想なんですよ。
ただ、本当は向こうが先に逝かないとあとが困るかなぁという心配もあるんですけどね。
向こうは向こうで“おまえ、ハンコのあり場所だけはちゃんとしとけよ”って言ってるから、自分のほうが長く生きるつもりらしいですよ」
 というところで、取材時間終了。
この後は、映画宣伝のため、自分で戸締まりして出かけることになっている。

「『週刊女性』としては、こんな話じゃもの足りないんじゃない? 
もっと中吊り広告のタイトルになるようなこと言えばよかったわね(笑)」
 女性週刊誌が嫌いと言いながら、キャッチになる言葉もけっこうしれっと語ってくれた、サービス精神旺盛な希林さんだった。
◎取材・文/伊藤愛子
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【左】津端さん夫妻の日常を描いた映画『人生フルーツ』は1月2日〜全国順次公開。(c)東海テレビ放送 【中・右】『あしたも、こはるびより。』『ひでこさんのたからもの。』(ともに主婦と生活社刊)。老夫婦のゆっくりと豊かな生活や絶品手料理のレシピなどを綴る

【内田裕也、毎年欠かさず被災地に贈る“ロック”な支援】
週刊女性4月1日号
2014/3/18
〔まあ、オレもいろいろと誤解されますけど、そんなに悪いやつじゃないですから、ヨロシク!〕
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 2011年3月11日の東日本大震災から4年。
震災直後、炊き出しや募金を精力的に行った芸能人はたくさんいたが、あれから4年がたった今も、以前と変わらず積極的な支援活動を続けている芸能人もいる。
 そのひとりが1995年の阪神・淡路大震災のときにも支援ライブを開いたり、物資を届けていた内田裕也。
今回、ある被災地に特別な“縁”を感じているという。
 本人がズバリその理由を語る。
「石巻は、英語でいえばロックンロール」
 震災から8日後の3月19日には東京・渋谷でゲリラ募金活動を敢行。集まった費用をもとに、4月5日には石巻で炊き出し&ミニライブを催した。
「友人のピザ店の協力で、ピザ&ミネストローネを400食分、バナナ690本、みかん690個を届けました。おにぎりとか、豚汁ばっかりのところだったから、若い人たちに喜ばれましたよ」
 また、2012 年に行われた恒例の年越しロックフェス『NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL』に除染服姿で出演して、原発事故の収束を訴えたり、会場の隅では、『HELP募金』も始めた。
「それが貯まったお金で、被災地に行って支援活動をするんです。
でも、日本人って、そんなにお金集まんねーんだよ。
やっぱり忘れ去られていくもので、でも風化させないためにもロックンロールの役割は大事なんだよね。
社会への貢献を何かしらさりげなくやること。できる範囲内で被災地に駆けつけるというのは、人間の誠意としても大事だと確信しています」

 インタビューをした3月11日、ちょうど『東日本大震災三周年追悼式』が行われている国立劇場へ向かう途中だった内田。
「毎年お花を買って、必ず参加しています。エラい国会議員のみなさんたちと一緒じゃなくて、一般の方々と一緒に並ぶのがロックンロールらしいと思っています。
派手でなくても継続性が大事ですね。まあ、オレもいろいろと誤解されますけど、そんなに悪いやつじゃないですから、ヨロシク!」


【平蔵の独り言】
夫に“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”って言われてね。あれで、たまにはいいこと言うのよ。

【独り言】
社会に出て、看板を持って仕事をしている時は“楽”だった。
自然の流れとして、看板を無くした時、以前の先輩に言った言葉
「看板が無くなると大変ですよ!」
(看板があれば、「**会社の・・・」)
その先輩がある時「お前の言っていることが今、分かったよ」
でも、会社を見るな!は自身でも難しい。

【平蔵の独り言】
ただ、みんな調整しながら、譲り合いながら乗り越えてきたんだわね。
 別に我慢や無理はしてないですよ。
ああ、そうなんだ、この人はこういう性格なんだと思うだけで、どうこうしようと思わない。
【独り言】
みんな調整しながら、譲り合いながら。
これが難しい。
少しは出来ているかな!




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by asanogawa-garou | 2017-03-27 16:20 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

「お笑いビッグ3」タモリだけがうまく生きている。タモリ曰く「自分も含めて皆、大した人間じゃない」。「気負わずもっと自然体で生きればいいんだよ」   

2017年 03月 22日
「お笑いビッグ3」タモリだけがうまく生きている。タモリ曰く「自分も含めて皆、大した人間じゃない」。「気負わずもっと自然体で生きればいいんだよ」

「お笑いビッグ3」タモリだけがうまく生きている「これだけの理由」 「今を肯定して生きればいい」 現代ビジネス 3/12(日) 15:26配信

 タモリ曰く「自分も含めて皆、大した人間じゃない」。
「気負わずもっと自然体で生きればいいんだよ」


〔今は自分の好きなことだけをやっている。〕
〔常識的だから常識を壊せる〕
〔『常識的な人間でなければ非常識な面白さはわからない』〕
〔いい意味で適当〕
〔たけしさん、さんまさんは常に前へ前へのタイプ〕
〔タモリが「他人に期待していない」〕
〔無理に気張らずに適度に肩の力を抜いてやろうよ〕
〔「人に好かれようとする自分が嫌い」〕
〔ネチネチもくよくよもしない〕
〔タモリ曰く「自分も含めて皆、大した人間じゃない」。〕

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①写真:現代ビジネス
 いつも飄々として楽しそう。
でも正直、何を考えているのかよく分からない。
すべてをさらけださない。
いつの間にかお笑いという枠からも外れて、独自の道を歩く。
そんなタモリがうらやましい。
好きなことだけやる

 作家の吉行淳之介氏は、かつてタモリを評してこう言っている。
 「ああいうタイプの人というのは、過去だれかいましたか。いたでしょうかね。ああいうの。いや、お笑いタレントというのでもない。『芸人』という感じでもないね。なんだろうね、あれは」

 タモリ(71歳)は、つかみどころのない人である。
でもなぜか「あんなふうに生きられたら楽しそうだな」「幸せそうだな」と思わせる不思議な雰囲気を持っている。

長年『笑っていいとも! 』(フジテレビ系)の構成作家を務めてきた鶴間政行氏はこう語る。
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 「『いいとも! 』時代、タモリさんはよく『毎日、新宿のアルタに、午前10時に来て13時半すぎに帰る。その繰り返し。だから俺は新宿に通うサラリーマンなんだよ』と言っていました。

〔今は自分の好きなことだけをやっている。〕普通の人が興味を持ちそうなことに本気で興味を持ってやっている。

 今、地方に行ってその土地を巡る『ブラタモリ』(NHK)が人気ですが、あれはタモリさんにピッタリな企画だと思います。

 これまでは『いいとも! 』という制約があって地方に行くことができなかった。
その分、今は自分の好きなことだけをやっている。
これは32年も休むことなく『いいとも! 』を続けてきた『ご褒美』なのかもしれません」

 もともとタモリは内輪ウケの「密室芸」を得意とした「キワモノ素人」としてテレビに登場。

『今夜は最高! 』('81年、日本テレビ系)などいわゆる「夜の顔」だったのが、『いいとも! 』で昼の顔となり、老若男女から親しまれる存在となった。
なぜ本来、大衆的でないタモリに人は好意を抱くのか。どこに魅力を感じるのか。

 まずはその知識の豊富さ、頭の良さだろう。

 タモリとの共演も多いミュージシャンでタレントのなぎら健壱氏が語る。

 「僕もよくゲストに呼んでもらう『タモリ倶楽部』(テレ朝系)では、タモリさんが台本を開いているのを見たことがない。全部頭の中に入っているんでしょう。そんなタモリさんがこだわりを持って、やりたいことをやるから面白い。

 タモリさんは普通の人が興味を持ちそうなことに本気で興味を持ってやっている。
タモリさん自身が、物事を楽しみたいという気持ちが強い。それが視聴者を惹きつけている」

 鉄道、ヨット、アマチュア無線、古地図……多趣味としても知られるタモリだが、趣味を仕事にまで「昇華」するのが彼の特技だと言える。

〔常識的だから常識を壊せる〕
 タモリと二人で結成した「日本坂道学会」で会長を務める山野勝氏もこう語る。
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 「タモリさんと初めて会ったのは銀座のバーでした。僕が会社の人と坂道の話をしていると、タモリさんが『加わらせてもらってもいいですか』とスッと入ってこられてね。

タモリさんは、決してウンチクを傾けるわけではなく、ちょっと違う視点で気づきを与えてくれるので、

 タモリさんは、決してウンチクを傾けるわけではなく、ちょっと違う視点で気づきを与えてくれるので、聞いているほうも心地よい感覚になるんです。
『ブラタモリ』での一緒に歩く女性アナウンサーとの軽妙な掛け合いも面白くて、ふざけたことを言っても嫌みにならない。
『こういう大人になりたいな』と思わせるものがありますね」

 博識のタモリだが、決してそれを自分からひけらかしたりはしない。
タモリとの共演も多いタレントの勝俣州和氏が言う。

 「タモさんはよく『知識をひけらかす料理人なんてろくなもんじゃない。客に緊張させる店は二流だ』と言っていました。その言葉通り、自分は決して威張らない。後輩であろうが垣根を作らず、『人の輪』を大切にされる方ですね」

〔『常識的な人間でなければ非常識な面白さはわからない』〕滅茶苦茶なようで、言って良いことと悪いことの見極めはきちんとしている。

 このタモリの姿勢はどこで培われたのか。
タモリがデビューするきっかけを作ったジャズピアニスト・山下洋輔氏が語る。
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④ 「最初にタモリと会ったのは福岡のホテルでした。コンサートの打ち上げで盛り上がっていると、突然、知らない男が中腰で踊りながら入ってきた。サックスの中村誠一がデタラメな韓国語で怒ったら、何倍も上手い言葉で返してきた。

 こちらは喜んでもっとやれと囃し立てた。
あとでタモリに入って来た理由を聞いたら『面白そうだったから』。
その瞬間、こいつはデキると確信した。

 今考えるとタモリは根っからの『ジャズ体質』なんですね。
ジャムセッションと一緒で、楽器を持って急に入ってきても、上手ければ許せることを知っていた。
当然気が合って、皆に見せたいと上京を誘ったんです。

 タモリはやはり頭がいい。
滅茶苦茶なようで、言って良いことと悪いことの見極めはきちんとしている。
何が常識的かは子供の頃から見抜いていた。
かつて作家の星新一さんが『常識的な人間でなければ非常識な面白さはわからない』と言っていましたが、まさにタモリはそれですね」

 常識を理解しながら、それを壊していく――こうしてタモリはビートたけし(70歳)、明石家さんま(61歳)らと共に「ビッグ3」と呼ばれる芸能界の大御所となった。
その「ビッグ3」も今やサラリーマンであれば定年を迎え、余生を過ごす年齢である。だが、3人の現在の生き方はそれぞれ異なる。
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〔いい意味で適当〕
 タモリが自分の趣味ややりたい仕事だけを厳選し、人生を楽しんでいる一方、たけしやさんまは今も「お笑い」にこだわり戦い続けている。
だが最近は「ちょっと世間からズレてきた」と感じさせることもある。

 昨年末、コカイン疑惑により俳優の成宮寛貴が芸能界を引退したことについて、たけしは「やめなくたっていいんじゃないの。
相手が『FRIDAY』なんだから、俺みたいにずうずうしく、いきゃあいいんだよ。じゃんじゃん嫌がらせの電話とか。俺が言えた柄じゃないけど」と自虐的にコメント。

 続けて「それだけ気にかけられることは、売れてるってことだと思わないと」と持論を述べたが、ネット上では「売れていることと薬物疑惑は関係ない」との意見も挙がった。

 もう一人の「ビッグ3」であるさんまは、いい意味でも悪い意味でも「お笑いモンスター」として突き進んでいる。
今でも「自分が一番面白い存在である」ことを示そうと、若手芸人に混じって番組ではしゃぎまわっている。

 こちらもネットでは「老害」「痛々しい」といった声が挙がることもある。
二人とも少なからず好感度を落としているのである。

〔たけしさん、さんまさんは常に前へ前へのタイプ〕
 「たけしさん、さんまさんは常に前へ前へのタイプ。もちろん二人とも凄いんだけど、濃すぎるから毎日見ていると疲れてしまう。

〔タモリが「他人に期待していない」〕
 でもタモリさんなら毎日見ていられる。
決して自分の主張を強く出すこともなく、自分と違う意見の人を攻撃することもない。
それでいて『ボソッ』と的を射た発言をする。
タモリさんにはどこか『品』があるんです」(前出の鶴間氏)
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⑥ タモリと昨年亡くなった大橋巨泉氏との共通点を指摘する人も多い。
二人ともジャズ畑出身。
知識が豊富で、遊びの達人、名司会者でもある。
だが巨泉氏が国政や社会について警告を発し続けたのとは違い、タモリにはどこか世間を達観しているような部分がある。

 それは、タモリが「他人に期待していない」からかもしれない。
タモリはインタビューで「他人に期待などしなければ、つまらないことで感情的にならずにすむ。そうすれば人間関係に波風も立たなくなり、円満にだれとでも付き合える」と語っている。

〔無理に気張らずに適度に肩の力を抜いてやろうよ〕
 『タモリ伝』の著者である片田直久氏は、こう分析する。

 「元々早稲田大学でジャズをやっていたのも影響していると思う。本当は熱いんだけど、それを押し付けがましく見せない。一種のダンディズムを感じます。決して力まず、ジャズらしい脱力感を大切にしている」

 「やる気のあるものは去れ」――これはタモリが、ニッポン放送の新年行事でスタッフに向けて書いた有名な格言だ。

 「ガツガツしてもいいんだけど、それを表面に出すことをタモリさんはあまり好まない。
誤解してほしくないのは、適当っていうのは、いい加減という意味ではなく、無理に気張らずに適度に肩の力を抜いてやろうよということ。
それがタモリさんの哲学なんです。タモリさん自身がいい意味で適当な人間ですから」(前出の片田氏)

〔「人に好かれようとする自分が嫌い」〕
 タモリ自身は好感度について昔からまったく意識していない。
実際「人に好かれようとする自分が嫌い」とも語っている。

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⑦ そんなタモリの性格を表すような発言がある。
昨年『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で、ビストロSMAPの最終回のゲストとして出演した際のこと。

 タモリは解散するSMAPのメンバーに対して「友達なんかいらないって。
俺、あの歌が大嫌いなんだよ、小学校に入ったら『ともだち100人できるかな』って。
そんなことで人生決めんじゃないよ。今どんどん友達減らしていってる」と語った。
この発言に「タモリさんに救われた」と、共感の声が一気に広がった。

〔ネチネチもくよくよもしない〕
 そもそもタモリは、お笑い芸人やスターになりたいと思って、この世界に入ってきたわけではない。
前出の山下氏が振り返る。

 「タモリは昔からギラギラしてなくてヘラヘラしていました。
むしろ『どうせ俺は……』みたいな感じで、目標とか野望が垣間見えることはなかった。
でもそれが逆によかった。タモリの今があるのも、生き方自体にそんなにこだわりがなく、流されるまま面白そうなところについていったからだと思いますよ。

 タモリは何事にもこだわらないところが良い。
変にネチネチしていない。きっと自由を愛しているんです。
さんまさんやたけしさんは、芸人であるということをしっかりと自覚されているけど、タモリは自分で芸人だとは思ってないでしょう」

 あくまで「自然体」で生きる――くよくよしない。
それがタモリの生き方である。

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〔タモリ曰く「自分も含めて皆、大した人間じゃない」。〕
 「タモリさんは未来にも過去にもこだわらない人なんです。
『現状維持』というのがタモリさんの座右の銘であるように、
5年先のことなんて誰も分からないし、いくら過去を悔やんでも取り戻せないんだから反省もしない。
それだったら今を肯定して生きればいいと。

 だから年齢にもまったく縛られていない。
ある時から『いいとも! 』でもタモリさんの誕生日を祝うのをやめました。タモリさんにとっては何歳になったというのは重要じゃないんです」(前出の鶴間氏)

 タモリ曰く「自分も含めて皆、大した人間じゃない」。
「気負わずもっと自然体で生きればいいんだよ」とタモリは教えてくれている。


 「週刊現代」2017年3月11日号より

【独り言】
〔タモリ曰く「自分も含めて皆、大した人間じゃない」。〕
:生まれた時は覚えていない。
死ぬ(最近、先輩・同僚・後輩)を身近に
“何も持って行けない”
「座右の銘」を“今、生きているのが大事”と特に持ってない。

〔無理に気張らずに適度に肩の力を抜いてやろうよ〕
:少しズボラがあってもいいのでは!

〔「人に好かれようとする自分が嫌い」〕
:媚ることはできないな!

〔ネチネチもくよくよもしない〕
:くよくよかどうかわからないが、寝るまでつまらない事に捕まる。



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by asanogawa-garou | 2017-03-22 16:33 | 人生の質・人生の息吹 | Comments(0)

「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来」「コントロールできない過去よりも変えられる未来に賭ける」(松井秀喜)   

2017年 02月 14日
「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来」

「コントロールできない過去よりも変えられる未来に賭ける」(松井秀喜)


「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来」
心理学者エリック・バーンの言葉


【未来とは修正できると思っている過去〔立川談志〕】

【「他人と過去は変えられません。変えられるのは自分と未来です」 〔小野田寛郎〕】

2017/2/14

メジャーリーグでの右手首の骨折から復帰した際の言葉 ヤンキース入団4年目( 松井秀喜)「コントロールできない過去よりも変えられる未来に賭ける」


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草野が、松井秀喜がヤンキース時代にケガをし、松井を訪ねたとき「コントロールできない過去よりも変えられる未来に賭ける」と話し、心を打たれたと話した。
ヤンキース入団4年目( 松井秀喜)

「人生で大事なことは『年下』から学んだ」という草野。(テレビ朝日 2017/2/12

「年下」というのは、元メジャーリーガー松井秀喜



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2014/08/02

【未来とは修正できると思っている過去〔立川談志〕】




[立川談志]【陰徳】の落語家「落語とは人間の業の肯定である」 2011/12
江戸落語界の型破りな救世主、
風のごとく雲のごとく去っていった「この辺でハイ終わり」
   週刊現代:12月10日号 

努力とは馬鹿に与えた夢
学問とは貧乏人の暇つぶし
未来とは修正できると思っている過去


【「他人と過去は変えられません。変えられるのは自分と未来です」 〔小野田寛郎〕】

小野田寛郎さんの名言
「過去は捨てることはできない。
現在は止めることができない。
しかし、未来は決めることができる。」


捨てる事の出来ない過去で揉めるよりも、未来について話をしない限り、進展はない。

「過去は 捨てることは できない。」
その人の体験した、辛かった事や悲しい事。
捨てたくても捨てられないのが、過去でもあります。
捨てられないのであれば、とことん人生の最後まで持っていきましょう。
この一見重そうな人生の荷物が、
とてもありがたく、役に立ってくれるときが必ず来るのです。

「現在は 止めることが できない。」
振り返ることも、立ち止まることもあるでしょう。
ですが、時だけは無情にも正確に進んでいきます。
今できることを行おうとせずに、
過去のことを引きずるあまり、多くの時間を浪費したり、
これからなにが起こるか分からない未来を案じて、
進む事をためらっていてはいけません。
世の中は、進んでみて初めてわかることだらけです。

「しかし、未来は 決めることができる。」
結局、自分が思い描いた未来への思いや想像、
それを掴むための努力があって、
自分の未来は自分で作り出していくことができる。
そして、自分を生かしてくれている多くのありがたい存在に対して、
自分の持てる能力や才能で恩返しをしていく。
全てのものが全てを支えてゆく。


【平蔵の独り言】
【未来とは修正できると思っている過去〔立川談志〕】
人間は、わがままで、矛盾して、見栄張りで、騒々しくて、強欲で、残酷で、
短絡的で、涙もろくて、怒りやすくて、嘘つきで、おせっかいで、
情にあつくて、無知で、傲慢で、厄介な、
たくさんの業(ごう)を抱えて、昔々から生きている。

人間が否応なく背負って生まれ、
善悪こもごもの生を生きているうちに積み重ねている〈生きた証〉です。

【独り言】
〈生きた証〉、が今の立ち位置だから、
未来は過去を抜きにして言えないですよね。

立川談志の言葉が一言で表しているような・・・・・


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by asanogawa-garou | 2017-02-14 15:57 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

【つんく♂さん】声を取り戻していた 喉頭ガンによる声帯摘出から2年   

2017年 01月 18日
【つんく♂さん】声を取り戻していた 喉頭ガンによる声帯摘出から2年
【つんく♂ がん治療について語る「自分の感覚を信じるべき」『「だから、生きる。」』つんく♂ 著】
【つんく♂】一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選んだ


【つんく♂さん、声を取り戻していた 喉頭ガンによる声帯摘出から2年】
デイリー新潮 1/17(火) 15:59配信
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①「声帯を失った今、不幸せかというと、決してそうでない」とつんく♂さんは語る
 シャ乱Qのボーカルで音楽プロデューサーのつんく♂さんが、喉頭ガンのため声帯を摘出したのは2014年10月のこと。
その翌年4月に母校・近畿大学の入学式で、声を失ったことを発表した光景は、いまだ記憶に新しい。
そのつんく♂さんが、いま食道発声法によって「意思疎通が出来るようになってき」たことを、1月18日発売の新潮45・2月号の特集「病の『人生学』」に寄せた手記で明かした。

 ***

 食道発声法とは、声帯を失った人が口や鼻から空気を取り込み、それを逆流させて、食道入口付近の粘膜を振動させることによって声を出す、という方法である。
練習を要し、なかなか習得できないために諦めてしまう人も多いらしい。
つんく♂さんも自分で試したときは全く音にならなかったという。しかしレッスンの最初の日に「あ」というような音が出せた。
以来、練習を重ね、現在、騒がしい場所ではスマホのアプリを使って文字を書いて会話をしてはいるけれども、

「今は家族やスタッフとは何とか意思疎通できるようになってきました」

 と、記すのである。
その声は「特殊な音質」で「雑音に弱い」が、静かな場所であれば、会話が可能なのだという。

 喉頭摘出者の先輩によって行われる食道発声のレッスンはネットや本とは違って分かりやすかったそうで、ものを「教える」立場から、「教わる」立場に変わって褒められることの素晴らしさを実感したという体験談は、いかにもつんく♂さんらしい。

 声を取り戻しつつあるつんく♂さんだが、やはりガン患者としてさまざまな思いに翻弄されてきたようだ。
 つんく♂さんは、ガンとわかる前から大きな病院の声帯専門の医師のもとに通っていた。
それも「20年来同じ先生に診てもらって」いたが、シャ乱Q結成25周年記念ツアーのあと、声枯れが長く続いたため、検査してみるとガンと判明した。

 つんく♂さんは、手記の中で、自身を診てくれる医師を過信し、
セカンドオピニオンを「診てくれている医師に失礼」だと考えもせずにいたと反省する。


治療中には「寛解」と言われて他の病院で検査したら、ガンが消えていなかった、ということもあった。
だから、自身の医師を気遣いつつも、一人の医師だけでなく、セカンドオピニオンをもらう大切さを強調する。
 そして声帯全摘出に至ったつんく♂さんだが、今でも、

「もし、いろんな場面で別の選択をしていたら、今はまだ違う結果があったのかなぁ」

 と、考えてしまうという。ただ、

「声帯を失った今、不幸せかというと、決してそうでない」

 とも、つんく♂さんは記す。

 病気を発表したから、世の中に「たくさんたくさんのガンサバイバーの方」がいることを知ったし、
術後数ケ月して通い始めた「食道発声の会」では、「人からモノを教わる新鮮さ」を感じた。
病気のマイナスの面だけを見ていたわけではないのだ。

 最後につんく♂さんは書く。

「さあ、今日も楽しくいきますか!」

 その声を再びステージやテレビで聞く日も来るのかもしれない。

デイリー新潮編集部 新潮社

【つんく♂ がん治療について語る「自分の感覚を信じるべき」『「だから、生きる。」』つんく♂ 著】
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②『「だから、生きる。」』つんく♂ 著

 昨年10月喉頭がんで声帯を失う大手術を乗り越えた歌手で音楽プロデューサーのつんく♂さんが、がん治療について語った。
9月10日に発売された手記『「だから、生きる。」』(新潮社刊)のなかでつんく♂さんは「自分の感覚を信じてほしい」と何度も述べている。

■がんがみつかるまで
 歌手であるつんく♂さんは若い頃より、本業での負担に加え、
お酒や煙草でさらに喉に負担をかけてきたと自覚はしていた。
歌手として自分の身体が楽器であると考え、
体調不良になりそうな気配があるだけで病院へ行くようにしていた。

そのころから調子が悪くなると薬や点滴でどうにかする、という癖がつきだしたという。
喉に炎症が起こるとステロイドの吸入で乗り切っていた。
2013年9月、シャ乱Q結成25周年を記念したツアーを終えたころ喉に違和感を感じ、内視鏡で検査した際、目で見てわかるほど腫れ物ができていたという。
しかしそれもステロイドの吸引のしすぎで組織の一部が固まってしまっているというのがお医者さんの見立てだった。
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③2015年度近畿大学入学式でのつんく♂さん。(つんく♂著『「だから、生きる。」』より)

■99%悪性じゃない
 心配ではあったものの、その腫れ物が悪性の腫瘍、
つまりがんの可能性は「99%ない」とお墨付きをもらっており、楽観視していたという。
しかし三週間たってもよくならない。
それでもお医者さんが99%大丈夫と言い、生体検査もしようと言わないのだから、きっと大丈夫なんだろう、と思っていたという。

つんく♂さんはこのときセカンドオピニオンを聞くなど、
次の一手を考えるべきだった、と後悔していることを同書で明かしている。

■「自分の感覚」より「医師の判断」?
《たとえ医師や専門家の意見が「大丈夫」だったとしても、もっと自分の直観や本能と真剣に向き合っていたら、何を置いても一刻も早く生検をするという方法を選んでいただろうと思う。なのに、僕はこの大事な局面で、「自分自身の感覚」よりも「医師の判断」を信じてしまった。》

 つんく♂さんはその後、三か月以上経った2014年2月に病院で生体検査を受け、喉頭がんがみつかる。

■寛解を発表したものの
 つんく♂さんは喉頭がんに対し、放射線治療を行った。
治療は進み数カ月が経つもなかなか喉の調子はよくならない。
8月にはいりどうしてもおかしいと思ったつんく♂さんはもう一度生体検査を願い出る。
医師の答えは――。

《「がん細胞はみあたりませんでした。良かったですね」結果を聞いた僕は、とても嬉しかった。(中略)僕は心配性すぎたのだ。》
 そして九月半ば、つんく♂さんは医師のお墨付きをもらい、がん細胞の死滅を意味する「完全寛解」を宣言した。
ところが周りからは祝福されるものの、喉の調子は一向に改善しない。
呼吸はしづらく、仰向けに寝ると声帯が圧迫される感じがして苦しい。
もしがんが消えきらず、また大きくなってきていたら、全てつじつまは合うと考えたつんく♂さんは、再度生検を願い出た。

■ニューヨークで受けた最悪の宣告
 10月初旬、モーニング娘。のニューヨーク公演に帯同したつんく♂さんは、その旅を病気に打ち勝ち、
新たな一歩を踏み出すための人生の岐路だと考えていた。

つんく♂さんが16年前に立ちあげたグループが、NYのまんなかでライブを行う。
そんな輝かしい日になるはずだった。
しかしそのライブの二日前、NYに到着したばかりのつんく♂さんに、
日本から生体検査の結果を知らせる電話がかかってきた。

《「すいません。やはり癌でした。この腫れは三月の放射線で叩ききれなかった癌がさらに大きくなったんだと思われます」ずっと考えないようにしていた最悪の結果だった。
(中略)完全寛解から一気に地獄やな。
今までの検査はなんやったんやろか。
僕が自分の不調に気づいて訴えていた、あのあたりで発覚していたらここまで喉も腫れなかっただろうなぁ。》
 

そして「僕がもっと自分を信じて他の病院ででも調べてもらうべきだった」と述べる。
モーニング娘。のNY公演を見届けたつんく♂さんは緊急帰国、その後声帯を全摘する大手術となった。

■自分の感覚を信じてほしい
 つんく♂さんは同書を書いた理由として、自分の感覚を信じる大切さを伝えたかったと語っている。
自分で不調を感じていたのに、がんの発見が遅れてしまったことや、検査結果を鵜呑みにしてしまったことを悔やんでいるという。

《お医者さんも人間。時には見落とすこともある。あなたが医師に診察されるだけでなく、あなた自身が医師を見定めていくというくらいの気持ちが必要であると思います。》

 つんく♂さん自身の体験からでた真摯な言葉は、がんに限らず病気への対応を考えさせられる貴重な提言だ。
デイリー新潮編集部


【つんく♂祝辞全文】一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選んだ
デイリースポーツ 4月4日(土)13時21分配信
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④平成27年4月4日「声を捨て生きる道を選んだ」

近畿大学入学式プロデューサー  つんく♂
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⑤【つんく】一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選んだ
デイリースポーツ 4月4日(土)13時21分配信

 つんく♂さんは昨年2月に喉頭がんが見つかり、後に「完全寛解した」と発表したが、昨年10月に声帯の検査でがんが見つかったと公表していた。喉の治療をしてきたが、結果的にがんが治りきらず、「一番大事にしてきた声を捨て、生きる道」を選んだという。

【平蔵の独り言】
「声帯を失った今、不幸せかというと、決してそうでない」

 とも、つんく♂さんは記す。
 病気を発表したから、世の中に「たくさんたくさんのガンサバイバーの方」がいることを知ったし、術後数ケ月して通い始めた「食道発声の会」では、「人からモノを教わる新鮮さ」を感じた。
病気のマイナスの面だけを見ていたわけではないのだ。
 最後につんく♂さんは書く。

「さあ、今日も楽しくいきますか!」

【独り言】
「さあ、今日も楽しくいきますか!」

気合いを入れる時は思うこともあるが、

1.17阪神淡路大震災に中で経験を踏まえて、
熊本地震の被災者の避難所で「段ボールのパーテーション、簡易ベット」
 これだけでも“日常”に近いが如何に大切か!

つんく♂の声を取り戻していた

つんく♂の日常に少しでも近づくを見ていきたい。

【平蔵の独り言】
つんく♂ がん治療について語る「自分の感覚を信じるべき」

■自分の感覚を信じてほしい
 つんく♂さんは同書を書いた理由として、自分の感覚を信じる大切さを伝えたかったと語っている。
自分で不調を感じていたのに、
がんの発見が遅れてしまったことや、
検査結果を鵜呑みにしてしまったことを悔やんでいるという。

《お医者さんも人間。時には見落とすこともある。あなたが医師に診察されるだけでなく、あなた自身が医師を見定めていくというくらいの気持ちが必要であると思います。》

 つんく♂さん自身の体験からでた真摯な言葉は、
がんに限らず病気への対応を考えさせられる貴重な提言だ。


【独り言】
20余年前、大病をしてからは
〔歯周病〕で歯が一本すっぽり
治療を担当医に聞いて、インプラントを選択したが
先生「どんな経歴、経験ですか」
大学病院で顎が砕けてしまった治療をしてきました。
歯周病、ある日突然歯がすぽ!
もういやだ。

それから、9年メンテナンスは半年毎。

〔左冠動脈狭窄〕“狭窄度70%”
かかりつけ基幹病院を紹介状もらい
心臓CT、カテーテル・ローターブレーター手術
それから毎年検査

心臓CT、胃カメラ、大腸内視鏡(前回ポリープが見つかる)

“人生”という日常「もうなんでも有り」

つんく♂ の自分の感覚を信じて・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2017-01-18 16:08 | 人間模様 | Comments(0)

【樹木希林】「生きるのも日常、死んでいくのも日常」「死ぬときぐらい好きにさせて」「今を大事にしたい」   

2016年 03月 04日
【樹木希林】「生きるのも日常、死んでいくのも日常」 「死ぬときぐらい好きにさせてよ」
 樹木さん〝終活宣言〟「今を大事にしたい」


〔『生きるのも日常、死んでいくのも日常』〕
〔「死ぬときぐらい好きにさせてよ」〕



〔樹木希林〕【病気はたまわりもの】私たちは、ほんとうのもの、大切なものを見失っています。「今を大事にしたい」平成21年3月

〔『生きるのも日常、死んでいくのも日常』〕
今回の広告について樹木さんは
「『生きるのも日常、死んでいくのも日常』。
死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。
そういったことを伝えていくのもひとつの役目なのかなと思いました」とコメントしている。

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①樹木希林さん、新聞広告で〝終活宣言〟に大反響 「死ぬときぐらい好きにさせてよ」

〔「死ぬときぐらい好きにさせてよ」〕
女優の樹木希林さん(72)が、新聞広告で「死ぬときぐらい好きにさせてよ」と〝終活宣言〟した。
洋画家の名作と重ね合わせた美しいビジュアルと、「死」をテーマにした衝撃的なキャッチコピーに、ネットなどで生死を考える書き込みが相次いでいる。(杉山聡)

■「死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく…」
 広告は5日の一部全国紙に掲載された。
見開きカラー刷りの特大広告だ。
出稿元は出版の宝島社。
広告は、英国の画家ジョン・エヴァレット・ミレイの名作『オフィーリア』をモチーフに、樹木さんが死を連想させるように森の小川の中で横たわっている。

「死ぬときぐらい好きにさせてよ」というキャッチコピーに以下のようなフレーズが添えられている。
 
人は必ず死ぬというのに。
 長生きを叶える技術ばかりが進歩して
 なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
 死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
 ひとつひとつの欲を手放して、
 身じまいをしていきたいと思うのです。
 人は死ねば宇宙の塵芥。
せめて美しく輝く塵になりたい。
 それが、私の最後の欲なのです。


■制作意図は「『死』を考える契機に」
 制作意図を宝島社は、長く生きることばかりに注目が集まり、
どのように死ぬかを考える人が少ない現状を踏まえ、
「いかに死ぬかは、いかに生きるかと同じであり、
それゆえ、個人の考え方、死生観がもっと尊重されてもいいのではないか、
という視点から、問いかけています」と説明する。
 
若い世代を含め、多くの人に「死」について考えることで、
どう生きるかを考えるきっかけになることを目的とした広告出稿だった。

 樹木さんは、2013年に「全身がん」であることを告白し、世間を驚かせた。

 今回の広告について樹木さんは「『生きるのも日常、死んでいくのも日常』。
死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。
そういったことを伝えていくのもひとつの役目なのかなと思いました」とコメントしている。


■ネット上で書き込み続々、現在も
 「死」をテーマにした衝撃的な広告に、ネットでは話題が広がっている。
ツイッターには、広告掲載から1日経った6日時点でも次々と投稿されている。
その書き込みの多さや、内容のまじめさは、多くの人が「死」や「死生観」を身近な問題として考えている証左とも受け取れそうだ。

一例を挙げると以下のような書き込みが目に付いた。
 「私の中でモヤっとしていた気持ちが、適切な言葉で綴られていた」
 「読んだ人が死生観を改めて考えるきっかけになりそう」
 「とても綺麗だし、かいてある言葉が心に突き刺さる」
 「死生観について年齢を問わずに話す機会があってもいいと思うし、当人の死生観を尊重してもいいと思う」
 「樹木希林さんが終活なんて、、、なんだかな」
 「宝島社がすごいのか、樹木希林がすごいのか、これをドーンと載せちゃう新聞がすごいのか…」

■シニア層「樹木さんの考え深く知りたい」
 宝島社には主にシニア世代から電話で反響が寄せられたという。
 同社の担当者によると、
「安楽死や尊厳死の問題が取りざたされる中、すごく共感した」
「樹木希林さんの考えについて、掘り下げて知りたい」
「死に方について考えた」
との声があったという。

 担当者は、「おおむね好意的な反応だった。生き方、死に方について一石を投じたい」と予想以上の反響に満足そうだ。

宝島社は、1998年の田村隆一さんを起用した「おじいちゃんにも、セックスを。」、
2002年の「国会議事堂は、解体。」、
11年の「いい国つくろう、何度でも。」などで、インパクトのある企業広告を制作している。
今回の広告も同社の広告史を飾るものとなりそうだ。
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②「死ぬときぐらい…」宝島社企業広告が問う死生観に反響 2016.01.12
人々の記憶に残る企業広告で知られる宝島社の最新の新聞広告が掲載された。
女優の樹木希林さんを起用し、「死」をテーマに強烈なコピーとビジュアルで迫る内容に、ネットなどでは生死を考える書き込みが相次いでいる。
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2016.01.06

〔樹木希林〕【病気はたまわりもの】私たちは、ほんとうのもの、大切なものを見失っています。「今を大事にしたい」
平成21年3月

 今年、66歳を迎えた女優の樹木希林さんは、一時、網膜剥離で左目を失明し、その後、乳ガンの摘出手術を経験しました。
2つの病気をして分かったことは、「病気はたまわりもの」だということでした。

 樹木希林さんは、18歳のとき、女優としてスタートしました。
テレビドラマの「時間ですよ!」や「寺内貫太郎一家」などで活躍しました。
 若いころから、老け役が得意でした。
「寺内貫太郎一家」では、主役の小林亜星さんより10歳も年下なのに、小林亜星さんの母親役を演じました。
以来、老け役が、当たり役となりました。
出演したドラマや映画では、脇役ながら、個性的な演技で、主役をしのぐ演技力を発揮します。
また、ピップエレキバンやフジカラーのコマーシャルにも出演し、お茶の間の人気者となりました。

樹木希林さんは、お茶目な一面を見せたり、おっとりした風貌からの演技が売りです。
しかし、演技そのものに関しては厳しい人のようです。
自分にも厳しく、共演者にも妥協を許さない厳しさを要求し、共演の若手女優を泣かしてしまうこともあったようです。

 30歳の時、音楽家として活動していた内田裕也さんと結婚しました。
内田裕也さんは、ロックミュージックを得意とし、昭和35年ごろから、日本のロックミュージックの中心的存在として活躍しました。
1女に恵まれましたが、2人が同居したのはわずか2年足らずで、その後は別居生活になりました。
2人とも、芸能人です。すれ違いの多い生活でした。
お互いを理解する時間を持てないまま、別々に住むことになりました。
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③別居生活6年ほど経ったとき、内田裕也さんが、独断で離婚届を役所に提出しました。
夫の勝手な行動を許せなかった樹木希林さんは、離婚無効の裁判を起こしました。
裁判の途中、裁判官から、「あんなに分かれたがっているのだから、分かれてあげなさいよ!」と諭されたこともありました。

それでも、頑として離婚を承知しませんでした。
裁判に勝ち、離婚は無効となりました。
結果、戸籍はもとに戻りましたが、2人の別居生活は続きました。
 その間に、1人娘の也哉子さんが結婚しました。
相手は、本木雅弘さんです。
映画「おくりびと」でアカデミー賞を獲得した、あの本木雅弘さんです。

そんな慶事をよそに、60歳のとき網膜剥離で左目を失明しました。
担当医から手術するように言われましたが、手術しませんでした。
そのときのコメントが、「今まで色々なものが見えすぎた!」という達観したものでした。

これまでの、熱く燃え、がむしゃらに突っ走り、そして勇み足も多かった俳優人生が反省させられたのでしょう。
その後、左目の視力は少し回復しましたが、十分ではありません。
 その2年後、62歳のときです。
網膜剥離に追い打ちをかけるように、乳ガンが見つかりました。不安を感じて、摘出手術を受けました。
 連続して2つの病気を経験したことで、「死」を意識するようになりました。

今まで、遠いものと思っていた死が身近に迫っている、
他人事と思っていた死が自分のものになりつつあることを実感するようになりました。

死を身近に感じると、これまで持ったことのなかった、「今を大事にしたい」という感情が涌き出てきました。

 そのとき、夫の内田裕也さんに謝ろうと思い立ちました。

夫を恨んで死ぬのは良心が許さない、
夫婦の問題を残したままでは死ねない、
離婚問題を起こす原因となったであろう、
ほったらかしにしたことを謝ろうと決心しました。
 友人を介して食事の席を設け、内田裕也さんに謝りました。
そのときは、内田裕也さんから一言もありませんでした。
その後、2人はちょくちょく会うようになり、今では、2人で旅行にも行くようになりました。
 30年あまりの、夫婦の長い闘いは終わりました。

 樹木希林さんは、「死に向けて行う作業は、おわびですね。謝るのはお金がかからないし、謝ったら、すっきりするしね。ガンはありがたい病気よ! 周囲の人も真剣に向き合ってくれるから。そういう意味で、ガンはおもしろいんですよね!」とか、「病気によって、いろんなよじれが見えてきて、人生が変わる。病気はたまわりものだと思っています!」とも語ります。

 私たちは、病気をたまわりものだとは考えません。
病気は災難だと考えます。
やっかいものだとも考えています。
また、私たちは、歳をとることは、みじめだと考えます。
死は、終わりだとも考えています。

 樹木希林さんは、病気をしたことで、夫婦の真実に出会いました。
その出会いによって、病気を「たまわりもの」と引き受けました。
そうすると、歳をとることはみじめではなく、死は終わりでないという受け止め方もできるはずです。

歳を取れば、人生の深い智慧に出会い、それを蓄える楽しみがあります。

また、死は、映画「おくりびと」で、火葬場の職員を演じた笹野高史さんが言ったせりふ、「死は門だ。次のシーンへの旅立ちの門だ!」という受け止め方があることに気づきます。

 私たちは、ほんとうのもの、大切なものを見失っています。
樹木希林さんにとって、ほんとうのもの、大切なものに出会うきっかけ、縁となったのが、病気でした。

病気を縁として、真実に出会いました。
 だから、誰もが嫌う病気を、「たまわりもの」だと断言できるのです。

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▼2013年に「全身がん」であることを告白した

樹木希林『死ぬ死ぬ詐欺』(全身がん宣言)

【平蔵の独り言】
「生きるのも日常、死んでいくのも日常」
日常がこの数年、毎年実感している。

人生で大切な先輩、後輩の「死」が日常と感じる中で
旅立っていく人達が“心”の中に残る。

そして20年前、“今から6時間が山です”と、
家人に告げられていたが明け方、目が覚めた。

この時の自身の大きな出来事は、
最近の車運転中の突発的な事故の発生を想い、
車運転中に体の異変感じすぐ運転を中止したこと経験を残そうと思っている。

【平蔵の独り言】
私たちは、ほんとうのもの、大切なものを見失っています。
「今を大事にしたい」

「今日1日が人生“しなきゃと思ったことを明日に持っていけない”」小泉今日子50歳

【独り言】
“今日1日が人生”ですね。
日々、身の回りで起きていることは自身のことですから!
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by asanogawa-garou | 2016-03-04 15:26 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

〔高橋幸枝(99歳)現役女医〕(一歩を踏み出す勇気)「第一歩は怖い 踏み出せるかどうかが分かれ目」   

2016年 02月 23日
〔高橋幸枝(99歳)現役女医〕(一歩を踏み出す勇気)「第一歩は怖い 踏み出せるかどうかが分かれ目」  やればできる。
98歳現役医師の“元気に長生き”の秘訣
団塊スタイル/「自分再発見!輝く女性たち」NHK 11月13日(金)20:00

98歳現役女医 髙橋幸枝先生 ~健康長寿のカギは、いつまでも衰えないチャレンジ精神~
テレビ東京 「主治医が見つかる診療所」2015年3月2日放送


〔高橋幸枝(99歳)現役女医〕(一歩を踏み出す勇気)「第一歩は怖い 踏み出せるかどうかが分かれ目」  やればできる。できなければ、どうすればできるか を考えればいい

〔92歳の時、大腿骨を骨折、寝たきりにならないようにリハビリに励んだ。〕
(92歳で大腿骨を骨折したにもかかわらず、寝たきりにならなかったのはどうしても家に帰りたいという執念がそうさせたと仰っています。)
(勇気を奮って踏み出した第一歩、すると嘘のように後は上がることができた。
勇気をもって最初の一歩を踏み出した)

〔(生涯発達)心の面も精神の面も〕死ぬまで、何らかの形で発達(成長)し続けることができる。

〔じゃあ一番苦手な絵に挑戦しよう〕
80歳になった頃、仕事一筋だった人生をふりかえり、
何か趣味を持とうと考えました。

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〔92歳の時、大腿骨を骨折、寝たきりにならないようにリハビリに励んだ。〕(92歳で大腿骨を骨折したにもかかわらず、寝たきりにならなかったのはどうしても家に帰りたいという執念がそうさせたと仰っています。)

〔92歳の時、大腿骨を骨折してしまったのです〕
大腿骨を金属で固定する手術をうけることにしましたが、
年齢を考えると、そのまま寝たきりになることも
しかし懸命にリハビリに励み、
(早く治さなくてはならない、家に帰ってこなくては話にならない)
リハビリの甲斐があって1か月後に退院。
自宅に戻る日がやってきました。

〔精神科医の自宅は3階〕
帰って来て3階の自宅の階段の第一歩を上がる時に震えるぐらい大変だった。
うんと考えてやっと上がって「上がれた!」と思ったの
(勇気を奮って踏み出した第一歩、すると嘘のように後は上がることができた。
勇気をもって最初の一歩を踏み出した)

「第一歩は怖い、踏み出せるかどうかが分かれ目、やってみる、やればできる。できなければ、どうすれぱできるかをまた考えればいい。」


〔(生涯発達)心の面も精神の面も〕死ぬまで、何らかの形で発達(成長)し続けることができる。

“踏み出さねば”生き残れない!


高橋幸枝さんは、神奈川県秦野市にある秦野(はたの)病院の理事をされていて
現在98歳の現役のお医者(精神科)、週に1回をされています。
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②「眠れないときが よくあるけれど」
まあ!あまり眠ろう眠ろうとすると 眠れないのよね
どうでもいいと開き直るくらいだと
知らない間に寝ちゃっているから


〔(生涯発達)心の面も精神の面も〕死ぬまで一生涯、何らかの形で発達(成長)し続けることができる。

“踏み出さねば”生き残れない!

私はね、死と手をつないでいるのよ。
あまり仲は良くないけど。

いつどうなるか分からないけど。
そろそろ辞めたいと思っているんだけれど
100歳になっちゃうもの、一世紀だもの

自宅は3階にあります。
自宅の階段はハード、階段は51段「けっこう3階ってあるのよね!」
もう30年以上この階段を使って自宅と病院を往復しています。
年寄りだからと甘えることなく、料理はもちろん自分でできることはやる。
それが高橋さんのもっとうです。

〔じゃあ一番苦手な絵に挑戦しよう〕
80歳になった頃、仕事一筋だった人生をふりかえり、
何か趣味を持とうと考えました。
そして始めたのが“水彩画”でした。
自分では全然描いたことのない、じゃあ一番苦手な絵に挑戦しよう!
「通信教育にこっそり出して(なんで、こっそりと)だってみっともないじゃないですか」
60の手習いならいいけれど、80の手習いじゃ


【平蔵の独り言】
(一歩を踏み出す勇気)「第一歩は怖い 踏み出せるかどうかが分かれ目」
勇気を奮って踏み出した第一歩、すると嘘のように後は上がることができた。

【独り言】
この26日で20年になる。
車いすから平行棒で歩く時、「歩けません。歩き方が分かりません」
→“何でもいいから、歩け!”
(第一歩は覚えていないが、このやり取りの後歩けた!)

この後、“杖を準備して下さい”
暫く杖を使った歩行練習をしていると
“杖を使うな”→「先生、この前杖を買いなさい!」

“杖を使わないで退院させるから”→今、杖を玄関の飾りになっている。

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98歳現役女医 髙橋幸枝先生 ~健康長寿のカギは、いつまでも衰えないチャレンジ精神~

80歳を超えても現役で活躍する名医に学ぶ健康法 第2弾
テレビ東京 「主治医が見つかる診療所」2015年3月2日放送


昨今話題のキーワード「健康寿命」。
これは日常生活を、介護などを必要とせず自立して生活できる期間の事。
これからは、いかに健康寿命を延ばしていくかが、健康長寿でいる為のポイント。
そして、健康で長生きするには、
「認知症にならず、生涯自分の足で歩く」ことが重要。

今回は、80歳を超えてもなお、現役で活躍する名医から、今からすぐにマネできる、
認知症にならず、生涯、自分の足で歩く為の
「健康寿命」獲得のヒントになる健康法をご紹介!

98歳現役女医 髙橋幸枝先生 ~健康長寿のカギは、いつまでも衰えないチャレンジ精神~
◎秦野病院 理事長 髙橋幸枝先生 98歳

<98歳現役女医 髙橋先生に密着>
午前中の診察が終了し、昼食のため自宅へ向かう高橋先生。
すると、51段の階段が…。
エレベーター無しで、自宅のある3階まで上っていく。
98歳とは思えない健脚ぶり。
普段の食事は基本的に自炊。

<髙橋医師 昼食>
里芋の煮付け、サワラの西京焼、大根の味噌漬け、豆の甘露煮、根菜の煮物、小盛のご飯

《髙橋流健康法》
毎食、必ず肉や魚など、タンパク質を摂る。
筋肉を維持するためにも重要な事。
昼食の後、80歳の時から始めた、趣味の水彩画を。
また、90歳の時からは、数字のパズルを始めた。
認知症予防で頭の体操として始めたが、今ではこれを行うと頭が休まるという。

そして最新チャレンジといえば…、98歳でカップ焼きそばデビュー!
「まだ毎日学ぶことがある。年寄りでも甘えちゃいけない。出来る事はする」と語る髙橋先生。

◆98歳現役医師、髙橋幸枝先生の健康長寿の秘訣は、「いつまでも衰えないチャレンジ精神」にあった。

≪番組主治医が選ぶ、髙橋先生の健康法でマネしたいポイント≫
【丁医師】即席焼きそばへのチャレンジ
新しいことへチャレンジする事は、幾つになっても必要。
【森医師】肉<魚 タンパク質を必ず摂る
タンパク質をよく摂っていて非常に元気。
同じ摂るなら、肉よりは魚を多めに摂るのが良い。
【南雲医師】年をとっても心まで年とらない
実年齢の事をつい考えがちだけど、精神年齢だけは若々しくいるべき。


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③自分の足で歩く為の健康法
【平蔵の独り言】
「健康寿命」のために一日の一週間、一月、一年の健康維持、病気との付き合い
が、増えて行っているが、“健康”ならば社会活動にみんなが付き合ってくれている。
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by asanogawa-garou | 2016-02-23 15:55 | 人生の質・人生の息吹 | Comments(0)

「怠け者になりなさい」「努力しても結果はなかなか思い通りにならないこともある」(水木語録)   

2016年 01月 06日
「怠け者になりなさい」「努力しても結果はなかなか思い通りにならないこともある」(水木語録)

〔「非常識」の中に隠れた本質〕「水木語録」人生の本質 怠け者になりなさい
著書「水木サンの幸福論」で強調しているのは「努力しても結果はなかなか思い通りにならないこともある」ということ。
「怠けることの大切さ」を述べているようにみえるが、時には力を抜き良い結果を出すための方法について語っていた。

〔「睡眠をバカにしちゃあいけませんョ」〕睡眠も大切にする姿勢が「数多くの漫画家の命を救った」

「睡眠をバカにしちゃあいけませんョ」
「眠っている時間分だけ長生きするんです 幸せなんかも“睡眠力”から湧いてくる」
と主張する内容です。

〔「最後は神様が決めることに従ったらええ」〕「何かうまいものはないの?」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

常識の枠にとらわれない発想、ユニークな言動や人柄が愛された人でもあった。
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「努力しても結果はなかなか思い通りにならないこともある」

「怠けることの大切さ」を述べているようにみえるが、
時には力を抜き良い結果を出すための方法について語っていた。

子育ても一風変わっていた。
娘が寝坊して学校に遅刻しそうなときでも「眠たいと言っちょーのに。寝かしてやれ」

水木さん自身も睡眠を大切にし、93歳で亡くなるまで現役を続けた。

次女悦子さんが小学校でいじめに遭い自殺を考えたときのことだ。
水木さんは「死んでしまえば何にもならん。幸せはな、心と体で感じるものなんだ」
「生きておればいずれ分かる。だからもう少し生きてみないか」と語り掛けたという。

〔「非常識」の中に隠れた本質〕「水木語録」人生の本質 怠け者になりなさい
2015年12月1日 夕刊
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  ②
2014年5月、「水木しげる漫画大全集」を手に笑顔を見せる
水木しげるさん(左)と妻の武良布枝さん=東京都調布市で

十一月三十日に死去した漫画家水木しげるさんは作品だけでなく、
常識の枠にとらわれない発想、ユニークな言動や人柄が愛された人でもあった。

水木さんの人生哲学には過酷な戦争体験の影響もあるとされ、
数多く残された「水木語録」には、物事の本質が隠れている。

 「怠け者になりなさい」。

水木さんの人生哲学の中で、多くのファンに支持されている言葉だ。

著書「水木サンの幸福論」で強調しているのは
「努力しても結果はなかなか思い通りにならないこともある」ということ。

「怠けることの大切さ」を述べているようにみえるが、
時には力を抜き良い結果を出すための方法について語っていた。

 世界各国にある大好きな妖怪の“すみか”を訪ね、「目に見えないものを感じる」ことの重要性も説いた。

合理主義ではなく、世間に流布する価値観で捉えきれない事象を解明することが、人々の「幸福につながる」と考えていた。

 子育ても一風変わっていた。
娘が寝坊して学校に遅刻しそうなときでも「眠たいと言っちょーのに。寝かしてやれ」と妻と口論した。
水木さん自身も睡眠を大切にし、九十三歳で亡くなるまで現役を続けた。

 水木さんの二人の娘は、幼いころ、人前でおならをすることが、良いことだと思い込んでいたという。
水木さんが喜ぶからだ。
夫婦や家族でいさかいがあっても、誰かがおならをすれば笑いに変わった。
場を和ませようと、わざと人前で鼻をほじる水木さんの「ゆるキャラ」ぶりは大きな魅力だった。

 水木さんの規格外ともいえる発想は、不条理な戦地体験が大きく影響しているとされる。
 戦記漫画の代表作「総員玉砕せよ!」では、目の前で大勢の戦友が死んでいった戦地でのやるせない思いを、登場人物たちによって語らせた。

 作品の中で、日本本土が爆撃されていると知った兵士は、上官に切々と語る。
「かんじんの内地がめちゃくちゃにやられてたら、一体我々はなにしにこんなところで戦うのでしょうか」。
また軍医は「(軍隊は)本来のあるべき人類の姿じゃないのです」
「すみ渡る空やさえずる鳥や島の住人のような健全さはどこにもありません」と訴えた。
機会を捉えては、戦争や軍隊の非人間性を語り続けた。

 次女悦子さんが小学校でいじめに遭い自殺を考えたときのことだ。
水木さんは「死んでしまえば何にもならん。幸せはな、心と体で感じるものなんだ」「生きておればいずれ分かる。だからもう少し生きてみないか」と語り掛けたという。


【「睡眠をバカにしちゃあいけませんョ」】睡眠も大切にする姿勢が「数多くの漫画家の命を救った」

睡眠も大切にする姿勢が「数多くの漫画家の命を救った」( 水木しげる)
「睡眠をバカにしちゃあいけませんョ」
手塚・石ノ森両氏に「睡眠をバカにしちゃあいけませんョ」と主張した水木さん。

『死にかけるほど頑張らないといい作品は描けない』と思い込んでた数多くの漫画家の命を救ったと思う。

漫画家の水木しげるさんが11月30日に亡くなったことについて、漫画家をはじめ多くの人々が弔意を表明。
水木さんが遺した格言・名言に思いをはせるツイートが相次いでいます。
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水木しげるさん(画像は水木プロダクション)
 過酷なイメージがともなう漫画家という職業ですが、
水木さんは食や睡眠を大切にしながら数々の功績を残し、93歳の長寿をまっとうしました。

そこで注目を集めている水木作品が、
展覧会「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」へ特別寄稿された2ページ漫画「睡眠のチカラ」。

徹夜続きの手塚・石ノ森両氏に対し水木さんが
「自分はどんなに忙しくても十時間は寝ています」
「睡眠をバカにしちゃあいけませんョ」
「眠っている時間分だけ長生きするんです 幸せなんかも“睡眠力”から湧いてくる」
と主張する内容です。

 「3月のライオン」の漫画家・羽海野チカさんは、
「漫画家みんながつい、良くないことのように思って、競うように睡眠時間を削って無理をしてしまう中、時々流れてくる水木先生の言葉やエピソードに( ゚д゚)ハッ!としていました」とツイート。

「クロサギ」の黒丸さんも、「あれだけの作品を描きながら『毎日がっつり寝た方がいい漫画が描ける』とおっしゃったことで、
『死にかけるほど頑張らないといい作品は描けない』と思い込んでた数多くの漫画家の命を救ったと思う。私もその一人」と、
水木さんの姿勢に畏敬の念を示しました。

〔「最後は神様が決めることに従ったらええ」〕「何かうまいものはないの?」
2015年12月02日
 漫画家の水木しげるさん(享年93)が亡くなってから一夜明けた1日、
遺族が「亡き戦友との再会を喜んでいるかもしれない」などとコメントを発表した。

◆布枝夫人「これも神様が決めたこと」
 11月30日に死去した漫画家の水木しげるさんの妻武良布枝(むらぬのえ)さんら遺族が1日、「『最期は神様が決めることに従ったらええ』と言っていた水木。
苦しまず自然に最期を迎えられたことは良かったと思います。
家族に囲まれて穏やかに逝きました」とのコメントを水木プロダクションの公式サイトで発表した。

 【水木さん遺族コメント全文】
 「お父ちゃんが亡くなる」
 信じられないことでした。
 「100歳まではいくようだネ、いや120歳かな」と水木はいつも話していました。

これからも淡々と歳(とし)を重ねていつの間にか100歳を迎える、
今後もずっと同じような日々が続いていく、と思っていました。

 昨年暮れに心筋梗塞で倒れ2カ月入院して、今年2月には車いすでの退院でした。

すっかり体力が落ちたのですが、その後持ち前の強さを発揮して少しずつ歩けるようになりました。

 家から会社までの1kmの道のりを歩けるまでに回復。
食欲も戻って「何かうまいものはないの?」が口癖でした。

 「最期は神様が決めることに従ったらええ」と言っていた水木。
苦しまず自然に最期を迎えられたことは良かったと思います。
家族に囲まれて穏やかに逝きました。

自宅で転倒したことがきっかけになったのはとても残念でしたが、
これも神様が決めたことだったのかも知れません。

 家族を一番大切に思ってくれたお父ちゃん。
これからもきっと見守っていてくれると思います。
今は、亡き戦友との再会を喜んでいるかもしれないですね。

 最後になりましたが、ファンの皆様、関係者の皆様、長い間、
水木を応援していただきまして、ありがとうございました。(スポニチ)

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【平蔵の独り言】
心筋梗塞で倒れ2カ月入院して、今年2月には車いすでの退院でした。
すっかり体力が落ちたのですが、その後持ち前の強さを発揮して少しずつ歩けるようになりました。
 家から会社までの1kmの道のりを歩けるまでに回復。
食欲も戻って「何かうまいものはないの?」が口癖でした。

 「最期は神様が決めることに従ったらええ」と言っていた水木。
苦しまず自然に最期を迎えられたことは良かったと思います。
家族に囲まれて穏やかに逝きました。
自宅で転倒したことがきっかけになったのはとても残念でしたが、

【独り言】
心筋梗塞で倒れ2ヶ月入院⇒車いすでの退院⇒
持ち前の強さを発揮して家から会社までの1kmの道のりを歩けるまでに回復
自宅で転倒したのをきっかけに・・・・・・・

水木しげるさん(93歳) がたくさんの事を残してくれた。

20年前を思い出した。
リハビリの最中、「(杖を買いなさい)」購入したら⇒「杖は使うな」⇒
(「先生が杖を買いなさいと言ったんですよ」)⇒「杖を使わないで退院させる」⇒
退院するとき、婦長さんが「退院する人はめずらしいんですよ!」⇒
(うん? そうか先に退院していった人は“転院” だった)
「(この一言で)」今がある。
杖は現在玄関の飾りになって鎮座している。

そして、やはり怖い転倒をしないように
“日常の中で簡単に実践できることは何でも取り入れる”
一日の一週間のメニューが増えてきている。


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2011年2月25日「楽して、ぐうたらに生きる」を座右の銘にしている、漫画家の〔水木しげるさん〕
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「楽して、ぐうたらに生きる」を座右の銘にしている、漫画家の水木しげるさん
「不安はしょっちゅうだったけど、そんなこと気にしてちゃいかんです。
 やめるって言ったってアンタ、他にやることがない。
 将来、食えなくなったらどうしようなんて、いっさい考えない。
 ただ、ばく進あるのみだから」の水木しげるさん
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by asanogawa-garou | 2016-01-06 16:19 | あの人 この一言 | Comments(0)

〔浮浪雲“ぼんやり”〕:人生、自分に飽きちゃいけねぇよ   

2015年 10月 20日
〔浮浪雲“ぼんやり”〕:人生、自分に飽きちゃいけねぇよ
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【浮浪雲】

〔人生、自分に飽きちゃいけねぇよ〕

自分を好きになんねえとよ。
誰からも好かれねえよ。

人間とは…
人生とは…
なんて…

〔“ぼんやり”〕
ただのぼんやりです。

人生、勝手に追い詰められて余裕のない奴ぁぼんやりすることもできない。

自分は愚か者だと自覚する事でんす。
愚か者と自覚すれば賢者となりまして“ぼんやり”できます。

人間が生きている意味とか!
気がつけば、日常をただのぼんやり!

〔浮浪雲“ぼんやり”〕
ビッグコミック・オリジナル2015/5/5号

浮浪雲は「何をお考えなんですか」と訊かれて「なんにも」と答える。
それを聞いた男は「 じゃあ、あたしもぼんやりしよう」と言うが
浮浪雲は「あんたにはぼんやりできません」
「あんたは色々考えたほうがいいんです。自分のことを」
「自分が愚か者と自覚すれば、ぼんやりできる」 ...
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【平蔵の独り言】
一日の終わりに5年日記を書いて寝る。
昨夜、この日記を書きながら
「今日一日、なんだったのだろう!」
日曜、いつもの日曜を過ごした。

→生きるって、こんなものか?

これから人生が残り少なくなっていくのに
これが日常をただの“ぼんやり!”・・・・・

自身で解っているのに(そんなに日々に“イベントはない”)

ふと、一日を思って終わったが、こんなこと感じたことがない!

〔浮浪雲“ぼんやり”〕
愚か者の自覚も持てないが、日記を書いて一日が終わる。
目が覚めると、枕元の明かりは煌々
何のことはない。
“ぼんやり” で一日が終わるのは いい一日・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2015-10-20 15:41 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

【自由】(万人がもっている自由)『君の意見には全く反対だが、君が意見を発表する自由は命にかけても守る』   

2015年 10月 12日

【自由】(万人がもっている自由) 民主主義を表した名言『君の意見には全く反対だが、君が意見を発表する自由は、命にかけても守る』がある。

フランスの哲学者ボルテールの言とされるが、この精神こそ最重要なのだ。

週刊現代2015/10/10号今週の遺言(大橋巨泉)

〔白鵬の力は衰えているか?〕
NHKの解説者である舞の海が鋭い発言をした。
「…それと白鵬の力が衰えている、ということですね」。

優勝の感想を聞かれた横綱は、「…それと“力が衰えた”と言われたので、そうでない所を見せた」という内容のコメントを発した。

そして翌日の新聞によると、それを聞いた舞の海が陳謝したという。
問題は舞の海が「あやまった」事である。

〔本当の「力の衰え」というものは、実は本人しか解らないものだ。〕
「いや外眼には解らないでしょうが、“行った!”と思った打球が塀ぎわで捕られるんですよ」。

〔自由〕万人がもっている自由
ボクの言う自由とは、万人がもっている自由である。
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【自由】(万人がもっている自由) 民主主義を表した名言『君の意見には全く反対だが、君が意見を発表する自由は、命にかけても守る』がある。

〔白鵬の力は衰えているか?〕
先場所は初日、2日目と連勝したが、その内容は白鵬らしからぬもので、
下位のものに喰い下られ、長い相撲の結果、何とか勝ったという印象だった。
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NHKの解説者である舞の海が鋭い発言をした。
「…それと白鵬の力が衰えている、ということですね」。


ボクも全くの同感で、ターニングポイントを迎えたと感じた。
しかしその後白鵬は立ち直り、通算35回目という、最多記録で優勝を果した。
問題はその後である。

優勝の感想を聞かれた横綱は、「…それと“力が衰えた”と言われたので、そうでない所を見せた」という内容のコメントを発した。

そして翌日の新聞によると、それを聞いた舞の海が陳謝したという。

その瞬間にボクは、「日本は戦前と変わっていない。表現の自由、言論の自由は何処へ行った?」と感じた。
これが民主主義の発達した欧米なら、絶対に起こらない。考えてみると良い。
舞の海の発言は、解説者としての表現であり、それに発奮して優勝した白鵬も立派である。

問題は舞の海が「あやまった」事である。

そんな必要は毛頭ないし、
あのメンバー相手に優勝したからといって、白鵬の力が“衰えていない”という証拠にはならない。

ボクは全勝して当然と考えていたから、白鵬の力は衰えて来ていると信じていた。
問題は、舞の海が謝らざるを得ないような空気が、相撲界(マスコミ界を含めて)にあったという事だ。

ボクも若い頃、ジャズ評論家をしていて、
歯に衣着せぬ発言をすると「生意気だ」とか、「自分で吹いてみろ」などと非難された。
勿論ボクは謝った事などないし、堂々と反論して、のし上って行った。
「自分でやってみろ」と言われたら、この世に評論や評論はなくなってしまう。
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〔本当の「力の衰え」というものは、実は本人しか解らないものだ。〕
本当の「力の衰え」というものは、実は本人しか解らないものだ。
1980年の夏の札幌で、ボクは巨人の一塁手で長年の親友王貞治と、ビールを呑んでいた。
ワンちゃんが言った。
「巨泉さんだから言いますが、ボク今季限りで現役を退くつもりです」、
「えっ、まだ打ってるじゃないの」とボク。
「いや外眼には解らないでしょうが、“行った!”と思った打球が塀ぎわで捕られるんですよ」。
外眼には「芯をはずした」と思われるだろうが、
本人は実は“行った!”打球だった事が多くなり、引退決意とつながった。
勿論ボクは一切他言しなかったが、ワンちゃんはそのまま引退した。
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要するに本人が一番よく解っているのだ。
だからこれはボクの推測だが、白鵬自身は「力の衰え」を感じて居り、
それを指摘され、もう一度ふんどしを締め直した結果の優勝だったと考えている。

そして今場所、大きな故障や病気もなかったのに、
初日2日目と連敗し、三日目から休場となったのだと思う。
人間誰しも成長のあとは、衰えが来る。
そして現役引退となるのである。
何も恥ずかしい事ではない。自然の摂理である。

そしてそれを指摘するのも、反論するのも“自由”なのだ。
ただ“誤報”以外は、謝ったりする必要は毛頭ない。
ボクは舞の海を現在、最高ランクの評論家だと思っているし、
今後もひるまず正論を吐いて欲しい。

〔自由〕万人がもっている自由
ボクの言う自由とは、万人がもっている自由である。
民主主義を表わした名言に、
「君の意見には全く反対だが、君が意見を発表する自由は、命にかけても守る」がある。
フランスの哲学者ボルテールの言とされるが、この精神こそ最重要なのだ。

日本ではいまだに、地位によって上下関係があったり、下位の者や若年者は軽視される傾向がある。

→行政府の長である首相が、質問中の立法府の議員に対して、
「早く質問しろよ」などというヤジが飛ばせるのは、
欧米では信じられないだろう。

〔(哲学者)ヴォルテール〕
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私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。

I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.

【平蔵の独り言】
「…それと白鵬の力が衰えている、ということですね」。

【独り言】
プロとして解説者 舞の海 が解説してくれるから、市井の者にとって相撲の醍醐味が増すと思う。

【平蔵の独り言】〔自由〕「君の意見には全く反対だが、君が意見を発表する自由は、命にかけても守る」

【独り言】〔君が意見を発表する自由は、〕
「早く質問しろよ」(質問者が軽いし、時間つぶしで何も残っていない)

議員も首相も職責を果たす勉強と覚悟があれば、只の笑い話で済ませられるのだろうが!

まあ!首相から〔ポツダム宣言〕を思い出させてもらった。
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by asanogawa-garou | 2015-10-12 18:41 | 今 今日この頃 | Comments(0)