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(向田邦子)日常の些細な風景も、この人が描けばたちまち色鮮やかに生まれ変わった。   

2014年 11月 13日
〔日常の些細な風景も、この人が描けばたちまち色鮮やかに生まれ変わった。
向田邦子のドラマは、なぜ時代を超えて愛され続けるのか。その魅力を語り尽くす。〕
    


『熱討スタジアム』第124回 〔向田邦子ドラマを語ろう〕
今週のディープ・ピープル 黒柳徹子×鴨下信一×向田和子
週刊現代2014/10/25号
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お茶の間が笑った、泣いた、昭和のテレビは彼女とともにあった

〔森繁久彌も困らせた〕
ある日、収録現場に遊びに行ったら、森繁さんがスタジオの隅でポツンとしているんです。
どうしたのかと聞くと、「脚本ができてないんだ」と。
そのそばで、台本を書かずにスタッフとキャアキャア騒いでいたのが向田さんだった。

〔観察の天才だった〕
遅いし悪筆。けれど、向田さんの文章は素晴らしかった。
ドラマの脚本でもエッセイでも、
日常のありふれた場面に隠されている人間の喜びだとか悲しみだとか、
心の機微を描くのが本当に上手でした。


〔幸せと災いは交互に来る〕
「禍福は糾える縄の如し」ということわざの意味を教えてもらったことがあるんです。
「幸せと災いは縄を撚り合わせたように、交互に訪れるのよ」って。
私は呑気だったから、「幸せだけの縄はないの?」って聞くと、向田さんは「それはない」と言ってましたね。


【企画展「向田邦子の女 向田邦子の男」】
この3編に共通するのは、男の不器用さと女の傲慢さです。
男女平等が唱えられ、
「男らしさ」や「女らしさ」が薄れてきた現在、

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〔日常の些細な風景も、この人が描けばたちまち色鮮やかに生まれ変わった。
向田邦子のドラマは、なぜ時代を超えて愛され続けるのか。その魅力を語り尽くす。〕


〔森繁久彌も困らせた〕
(向田)姉の邦子が台湾で起きた飛行機事故で亡くなってから、もう33年が経ちました。
いま姉が生きていれば84歳。
時間が過ぎるのは早いものです。

(鴨下)向田邦子さんといえば、
ドラマ『あ・うん』や『阿修羅のごとく』、『だいこんの花』など数々のヒット作を生み出した、
昭和を代表する脚本家。
彼女の作品はいまでも繰り返し再放送され、時代を超えて愛され尊敬されています。
僕も演出家として『寺内貫太郎一家』や『幸福』などで一緒に作品を手がけましたが、
本当にユーモラスで、機知に富んだ人でした。
(黒柳)向田さんは脚本家としてだけで、『父など詫び状』などのエッセイでも成功しました。
物書きとしての才能はもちろん、なにより人間が面白かった。

(鴨下)彼女との出会いは強烈だったな。
森繁久彌さんの紹介でした。
‘63年頃だったと思いますが、
当時森繁さんはTBSのラジオエッセイ『森繁の重役読本』という番組に出演していた。
ある日、収録現場に遊びに行ったら、森繁さんがスタジオの隅でポツンとしているんです。
どうしたのかと聞くと、「脚本ができてないんだ」と。
そのそばで、台本を書かずにスタッフとキャアキャア騒いでいたのが向田さんだった。

(黒柳)たしかに向田さんは原稿が遅いことで有名でしたね。
私は女優の加藤治子さんに紹介されて以来、
向田さんと親しくさせて頂きましたが、
1度ラジオドラマで一緒になったことがあったんです。
私たちが連続ものの収録をしているとき、
よくスタジオのガラス越しに必死になって次の脚本を書いている向田さんの姿を見ました。
それで、出来上がったら慌てて私たちのところに持ってくるの。
(鴨下)どうしてあんなに遅かったんだろう。
ドラマでも、1話分まとめて稽古したことがなかったですね。
前半を撮影している間に「できました!」とようやく後半が届く。
そんな脚本家は彼女だけだった。

いざ書き始めても、すぐ中断しちゃうんだよね。
「スーパーで欲しいものが売り切れそうだったから買いに行った」とか
「夕食の出汁を取りに家に帰らなきゃ」とか(笑)

(黒柳)ある時、向田さんが「インスタントラーメンを美味しくする特別な調味料を作ったのよ。
アナタにも一瓶あげる」と自慢げに下さったことがあるんです。
食用油を煮立てて、すりおろしたニンニクとしょうがを入れた、いい香りのする調味料でした。
たしかに美味しいんですけど……。
(向田)そういう研究ばかりしているから、どんどん書くのが遅くなっちゃう。

〔観察の天才だった〕
(黒柳)ドラマ『時間ですよ』などで向田さんとコンビを組んだ演出家の久世光彦さんも、
向田さんのことを「稀代のウソつきだ」って冗談めかして言ってましたね。
久世さんが向田さんと喫茶店で待ち合わせをしていると、
悠然と歩いてくる向田さんが窓越しに見えたそうなんです。
それなのに、店に近づいた途端走りだして、
「ごめんなさい」と店に駆け込んできたらしい(笑)

(鴨下)あの人は字も下手でしたね。
原稿に「犬の目に眼帯」と書いてあったので、
どういう意味か電話して尋ねた演出家がいたそうです。
すると、「あら、それは『戌の日に腹帯』よ」って。

(黒柳)出演者が集まって台本を読んでいた時、
女優の池内淳子さんが「私、こんなことできません」と言い出したことがあったそうです。
その場に向田さんも立ち会っていたので、どうしてできないの、
と台本を見たら、「猿股する」と書いてあった。
向田さんは「狼狽」と書いたつもりなのに、
字が汚ないから印刷屋さんが間違えたみたい。
(向田)お恥ずかしい話です…(笑)

(黒柳)遅いし悪筆。けれど、向田さんの文章は素晴らしかった。
ドラマの脚本でもエッセイでも、
日常のありふれた場面に隠されている人間の喜びだとか悲しみだとか、
心の機微を描くのが本当に上手でした。
(鴨下)演出家は台本を直したくなるものですが、
彼女の作品には手を入れたことがないですね。
彼女は記憶力が良くて、細かいことをよく覚えていた。
お父様が亡くなった時のことを書いたエッセイで、
枕元に駆けつけた時、
向田さんがストッキングを2枚重ねて履いていたことに気づいたくだりがありますが、
そういう細かいディテールを描くことで、グッと作品のリアリティが増すんです。
それが結果として人の心を打つことになる。

(黒柳)向田さんのまわりには、どんな時でも面白いことが起きるのね。
ある時、タクシーから降りる際、
「お釣りはいいから」っておカネを渡したら、
運転手さんに「奥さん、いいのか。本気にするぜ」と言われたことがあったそうです。
おかしいなと思ったら、おカネじゃなくて自宅のカギを渡してた(笑)。


(鴨下)そういう細かいことをすべて覚えている。観察の名人なんだ。
ドラマでも、それは活かされていた。
『寺内貫太郎一家』では、朝食シーンで献立をテロップで流していたけど、
「昨日の残りのカレー」なんていうのもあった。
視聴者に「あるある」と思わせる描写が得意でした。

(向田)どちらかと言えば世の中を斜めから見ていたのかもしれません。
素直に物事を見ても本の「タネ」は見つかりませんから。
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〔幸せと災いは交互に来る〕
(黒柳)細かいことにはこだわらなかった。
直木賞を受賞した「かわうそ」という作品がありますが、
作中に登場する女性の顔をかわうそにたとえるべき場面で、
ゲラを見たら「いたち」になっていた。
タイトルが「かわうそ」なのだから、それはおかしいだろうと思いますよね。
「いたちとかわうそって区別がつかないのよ。やーね」
と笑っていましたけれど。

(鴨下)でも、ここが大事と思ったら、徹底的に調べるんですよ。
『寺内貫太郎一家』で「親不知」がテーマの回があったんですが、
なぜこういう字になったのか調べ始めて、
夢中になりすぎて台本が3日も遅れたことがあります。
しかも、歯について調べるうちに気になって、
「なぜ八重歯というのか」なんて関係ないことまで調べていた(笑)

(黒柳)あんな素敵な人なのに、
人気作家になってからも恋愛の話は聞いたことがなかったですね。
以前、森繁久彌さんが「僕と向田クンの仲を怪しんでいる人もいるようですが、誓って何もありません」っておっしゃっていたことがあったけど(笑)。
隙がないタイプだから、向田さんを口説くには殿方もかなり勇気が必要だったのでしょう。
(鴨下)間違いを起こしにくい人なんだよ(笑)。
向田さんは、人に会うときは基本的に一対一だから、
僕も彼女の部屋に朝の4時とか5時までいたこともあったけど、何もなかった。
(向田)あるとき、久世さんが「朝まであの人の家にいても何も噂にならない。僕だって男なのに」と複雑な表情をしてましたね(笑)

(黒柳)向田さんと知り合ったばかりのころ、
「禍福は糾える縄の如し」ということわざの意味を教えてもらったことがあるんです。
「幸せと災いは縄を撚り合わせたように、交互に訪れるのよ」って。
私は呑気だったから、「幸せだけの縄はないの?」って聞くと、
向田さんは「それはない」と言ってましたね。
向田さんの人生を振り返ると、本当に禍福は糾える縄の如しだな、と思うんです。
テレビで大活躍中に乳がんを患って、直木賞を取った翌年に亡くなってしまったーー。
(鴨下)事故とはいえ、51歳で亡くなったのは早過ぎましたね。
生前、彼女は「同じことしてると飽きるから、少しずつ違うことをやるのよ」と言っていました。
だから脚本だけじゃなくエッセイも書いていたんだと思います。
でも、みんなでワイワイやる仕事が好きだったから、
生きていたら今もテレビの脚本を書いていたかもしれませんね。

(黒柳)結局、私は向田さん脚本のテレビドラマには出演したことがなかったんです。
「あなたみたいな人は『寺内貫太郎一家』や『時間ですよ』には向いてないのよ」って。
そのかわり、「いつか個性的なお婆さんの話を書くから、そのとき出てね」と言ってくれていました。
私も、早くお婆さんになって向田さんの作品に出るのを楽しみにしていたのに……。

(向田)姉は気忙しい人でしたから、人よりも早送りでいきたんでしょうか。
(鴨下)それに、彼女の作品は、色あせることなく残っている。
いまでも彼女は作品のなかに生き続けているんだと思います。

【企画展「向田邦子の女 向田邦子の男」】
かごしま近代文学館・かごしまメルヘン館
会期2013年11月20日(水)~2014年2月11日(火)
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1980(昭和55)年に「かわうそ」「犬小屋」「花の名前」の3編で直木賞を受賞した向田邦子。
短篇3作品かつ連載中という異例の受賞には本人も驚きました。
この3編に共通するのは、男の不器用さと女の傲慢さです。

向田が描く女と男の世界。
そこにはそれぞれが生まれもった性質が見え隠れします。
男女平等が唱えられ、
「男らしさ」や「女らしさ」が薄れてきた現在、
彼女が描く女と男を通してそれぞれの魅力を改めて見つめる機会となれば幸いです。

【平蔵の独り言】
日常の些細な風景も、この人が描けばたちまち色鮮やかに生まれ変わった。

ある日、収録現場に遊びに行ったら、
森繁さんがスタジオの隅でポツンとしているんです。
どうしたのかと聞くと、「脚本ができてないんだ」と。
そのそばで、台本を書かずにスタッフとキャアキャア騒いでいたのが向田さんだった。

「お釣りはいいから」っておカネを渡したら、
運転手さんに「奥さん、いいのか。本気にするぜ」と言われたことがあったそうです。
おかしいなと思ったら、おカネじゃなくて自宅のカギを渡してた(笑)。


【独り言】
市井の人の日常はそんなに変わったことが起こらない。
些細なことの観察力が、向田邦子のドラマ、エッセイに ほっとするのだろうと思う。

“素”の向田邦子を知って、旅立って33年経っても
色褪せることのない人だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【平蔵の独り言】
この3編に共通するのは、男の不器用さと女の傲慢さです。
男女平等が唱えられ、
「男らしさ」や「女らしさ」が薄れてきた現在、

【独り言】
男女平等じゃないんですよね。
性差があるから、哺乳類の世界だと思うので、
ライオンもペンギンもツバメも
雌とペアを組むために雄は命がけの努力をしているのに
人間(日本人?)は“草食系”という言葉で
かたずけている。
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by asanogawa-garou | 2014-11-13 14:29 | 人間模様 | Comments(0)

『あ・うん』向田邦子の代表作「おとなは大事なことは、人にいわない」大事なことは心にそっとしまっておく   

2014年 01月 15日
『あ・うん』向田邦子の代表作「おとなは大事なことは、人にいわない」
大事なことは心にそっとしまっておく

「夢はみるものだなと、五十を過ぎた今、思っている。
叶わぬ夢も多いが、叶う夢もあるのである。          
                 一九八一年 初夏  向田邦子」


【向田邦子 「お気に入り」探し続けて ヒロインは強し(木内昇)】
向田ドラマが紡ぎ出す独特の世界観。
それは鮮やかに切り取られた人生の中にある一瞬のきらめき、
あるいは魂の奥底に秘められた鋭い真実、
ごく身近なようでいて実は気づかなかった心のゆらめき…。

温かく優しく懐かしい向田ドラマは、
時代を経てもなお色あせることなく、これからも愛され続けていくことだろう。
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向田邦子 「お気に入り」探し続けて ヒロインは強し(木内昇)
2013/9/1 6:30
 向田邦子の随筆に「手袋をさがす」(『夜中の薔薇』所収)という一編がある。
気に入った手袋が見つからず、
といってほどほどのもので妥協するのは嫌で、
ひと冬を手袋なしで過ごす話だ。

あるとき会社の上司に、
君のやっていることは手袋だけのことではないかもしれない、と諭される。

「男ならいい。だが女はいけない。そんなことでは女の幸せを取り逃がすよ」。
二十二歳だった彼女はハッとして、ないものねだりの高のぞみという自分の性格と向き合う。

そしてひとつの結論に至る。
ならばその嫌なところとつきあおう、
ここで妥協して手頃な手袋で我慢をしたところで、
結局は気に入らなければはめないのだ、と。
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■テレビ脚本などで活躍 
 1929~81年。実践女子専門学校卒業後、
財政文化社を経て雄鶏社に勤め「映画ストーリー」編集部に配属。
ラジオ「森繁の重役読本」で注目され、テレビへと活躍の場を広げる。
「阿修羅のごとく」「あ・うん」など名作多数。45歳のとき乳癌を患い手術。
テレビの仕事を休む間に、とはじめたエッセイ連載が高く評価され、小説も書くように。
50歳で直木賞受賞。が、その翌年、台湾旅行中に飛行機事故で逝去。

 編集者として出版社に勤め、
そのかたわらフリーライターとして原稿を書き、
会社を辞めたのちはラジオやテレビの脚本家として活躍。

さらにはエッセイや小説を手掛け、
直木賞受賞というその年譜を見ていると、
もっと面白いことはないか、
ふさわしい仕事はないかと走り続けた人生が浮かび上がる。

 サバサバとしてユーモアがあり、気さくな性格。
流行は追わないけれど自分に似合う服を仕立て、
骨董や書画を愛し、おいしいものには目がなくて、
大好きな猫と青山のマンションに暮らし、たくさんの友人に囲まれている。

料理上手のもてなし上手なのに、
部屋は少々散らかっていたり、
あれほど秀でた脚本を書くのに、
ギリギリまで仕事せず〆切に遅れがちだったりと、人間くさい愛嬌もある。

媚びはしないが、生来の茶目っ気が人を惹き付けてやまなかったのだろう。 
 豊かで楽しそうな日々。

が、先の随筆で
「四十を半ば過ぎたというのに結婚もせず、テレビ・ドラマ作家という安定性のない虚業についている私です」と書いている通り、
女ひとり、筆一本で渡っていく中には辛いこと、心細いこともあったろう。

出版社時代の同僚、上野たま子さんとの電話では、
「やはり人間は、男に働いてもらうのが一番よ」と気弱なことを漏らしている。

友人のデザイナー、植田いつ子さんとは
「女の人は年をとっていくと、いやなものがでてくる。そんなときは『おかしいよ』と互いに言い合おう」と話したという。

でも彼女は、自分の苦労を言い立てはしなかった。
あれほどの美人だから恋愛もあったろうが親しい人にも秘した。

好奇心のままにやりたいことを追いかけながらも、
自分への客観視と品格を失わなかった人なのだ。

だから周りにも細やかな気配りができたし、なにより優しかった。
 働く独身女性は、ともすれば頑なだ、ギスギスしていると、
身上に結びつけて評価されることがある。

でも私の知る限り、独身でほんわかした人もいれば、既婚子持ちで殺伐とした人もいる。
環境によって優先順位に違いの出ることはあるだろう。

が、要はその個人が自分の手に合った手袋をはめているか、
またはそれを探そうと努めているかが、
たたずまいに大きく影響する気がしている。
[日本経済新聞朝刊女性面2013年8月31日付]

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(文学周遊)向田邦子 「あ・うん」 東京・白金
おとなは、大事なことは、ひとこともしゃべらないのだ。

「さと子は、一番大事なことは、人にいわないものだということも判った」
「おとなは、大事なことはひとこともしゃべらないのだ」


この言葉は何を意味するのだろう、と再び考えてしまう。
さと子は向田邦子なのである。
秘すれば花。
大事なことは心にそっとしまっておく、
ということが、小説「あ・うん」のテーマなのだろうか。

「私はいままで夢を見ることの少ないたちであった。
 夢を見て叶えられない寂しさがおそろしかったのであろう。
 臆病であり卑怯であったと思う。」

向田邦子 『あ・うん』あとがきより


「夢はみるものだなと、五十を過ぎた今、思っている。
 叶わぬ夢も多いが、叶う夢もあるのである。          
                一九八一年 初夏  向田邦子」


【平蔵の独り言】
「おとなは、大事なことはひとこともしゃべらないのだ」
【独り言】これは口に出してはいけない。
口に出したら、気持ちが折れてしまう。
思い当たることがある。
そんな生き方の部分がある。

【平蔵の独り言】
「夢はみるものだなと、五十を過ぎた今、思っている。
 叶わぬ夢も多いが、叶う夢もあるのである。          
                一九八一年 初夏  向田邦子」
【独り言】
そうか、夢は叶わぬものが多いが、見続けるものですね。
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by asanogawa-garou | 2014-01-15 16:29 | 人間模様 | Comments(0)

33年目の向田邦子 なぜ惹かれるのか(美しい人向田邦子 読み継がれる理由)   

2013年 09月 28日
33年目の向田邦子 なぜ惹かれるのか
(美しい人向田邦子 読み継がれる理由)

クローズアップ現代(2013/09/03)

今年33回忌を迎える、作家・脚本家『向田邦子』
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航空機事故で亡くなってから33年。残された作品は世代を超えて読み継がれている

【黒柳徹子(向田の親友だった)】
一番最初に向田さんと会ってすぐ話した会話が
「人生あざなえる縄のごとし」

【エッセー「ねずみ花火」】
ウェイトレスや看護婦さんやユニフォームを着て働く人を見るたびに、
この下には、一人一人、どんなドラマを抱えているかも知れないのだ。
十把ひとからげに見てはいけない、と自分にいいきかせている。

【エッセー「手袋をさがす」】
手袋を人生になぞらえ、まよいながら生きていた20代の頃の心境を語った〕
私はひと冬を手袋なしで過ごしたことがあります。
気に入らないものを嵌めるくらいなら、嵌めないほうが気持ちがいい
と考えていたようです。

【映画監督 是枝裕和さん】
向田作品の全く、別の面に惹かれる人もいます。
ホームドラマの中に人間の弱さや醜さを描いた向田作品

〔「阿修羅のごとく」〕
何気ない日常の裏に潜む人間のエゴや愛憎を赤裸々に描写しました。
向田が描いた決してきれいごとで済まない関係こそが家族の本質だと考えています。

作家としての円熟期 突然人々の前から姿を消した向田邦子
【ノンフィクション作家 澤地久枝】
「向田さん あなたならどう思う」と問いかけている。

向田さんの作品の一つは人の“翳り(かげり)”
光の当たるところにある“翳り”

―――――――――――――――――――――

今年33回忌を迎える、作家・脚本家『向田邦子』
テレビドラマ『寺内貫太郎一家』
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人間に対する優しい、まなざしがあるからこそ書ける。
50歳で直木賞を受賞

家族、そして人間の深いまなざし

〔生前(向田)は〕(妹の和子さん)
「自分は人の縁で育てられてきた」

【黒柳徹子(向田の親友だった)】

一番最初に向田さんと会ってすぐ話した会話が
「人生あざなえる縄のごとし」

(黒)これどういう意味
「人生ってね、幸せという縄と不幸せという縄2本でね、
編んであるようなものなのよって
だからね、幸せと不幸とは交互にやってくるもの
そういうものが人生というもの」

と、向田さんが言った。

ああ!いいことと悪いこと
本当に交互に来るなって思って

【エッセー「ねずみ花火」】

ウェイトレスや看護婦さんやユニフォームを着て働く人を見るたびに、
この下には、一人一人、どんなドラマを抱えているかも知れないのだ。
十把ひとからげに見てはいけない、と自分にいいきかせている。

〔家族の何気ない日常をこまやかに描き出したエッセイ〕    
不自由な日常の中にも豊かな日常の暮らしがある。
普通の生活というのが一番大事なんだという感じ
家族そろってご飯を食べて
他愛のない話をしているのが
一番なんだなと思います。
エッセーを読んでいると、心がおだやかになっていくと感じる。

【エッセー「手袋をさがす」】

〔手袋を人生になぞらえ、まよいながら生きていた20代の頃の心境を語った〕
私はひと冬を手袋なしで過ごしたことがあります。
気に入らないものを嵌めるくらいなら、嵌めないほうが気持ちがいい
と考えていたようです。

私は何をしたいのか、私は何に向いているのか。
ただ漠然と今のままではいやだ。

何かしっくりしないと身に過ぎる見果てぬ夢と
爪先立ちしても、なお、手のとどかない現実に腹を立てていたのです。

一見割り切っているように見えるが、
その奥に苦労があったんじゃないか、
もがいているところが分かるのが好きですね。

どんな道を選んでも10年後、20年後
自分が胸を張って生きていられればいいというメッセージが伝わってくる。

【映画監督 是枝裕和さん】

向田作品の全く、別の面に惹かれる人もいます。
ホームドラマの中に人間の弱さや醜さを描いた向田作品

〔「阿修羅のごとく」〕
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何気ない日常の裏に潜む人間のエゴや愛憎を赤裸々に描写しました。
向田が描いた決してきれいごとで済まない関係こそが家族の本質だと考えています。

向田さんの作品には、そこまで単純な「家族至上主義」みたいなものとは違う、
家族同士でも謎は抱えているし、
闇は抱えているし、
決して家族だから理解し合えるというような信仰に基づかないリアルな家族の描写がある。

ひとつではないという価値観が本当はすごく大事だと思っていて、
実は価値観を異にしながらもつながっていく事が必要。
彼女が描いた家族が一番面倒くさくて厄介で隠し事が言えない相手であり、でも一緒に暮らしているという描写の方が逆にホッとするというか、そういうところに惹かれる。

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作家としての円熟期 突然人々の前から姿を消した向田邦子
【ノンフィクション作家 澤地久枝】

「向田さん あなたならどう思う」と問いかけている。

向田さんの作品の一つは人の“翳り(かげり)”
光の当たるところにある“翳り”

作品の中の言葉

向田さんの持っている“翳り”が作品になっている。

“向田さんの恋愛”

“翳り” 多くの人の心の苦悩を書いている。

向田さんの作品の中には事件になるものはないですよね。
ごく普通の生活の中の心の襞のようなものをとりあげて書いている。

〔父の詫び状〕
向田さんの原点


【平蔵の独り言】

向田作品は何気ない日常を取り上げているのが、
読者、100人いたら100人の価値観で
これは 私だ!
と、“ホッと”思わせてくれるから・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2013-09-28 17:34 | 人間模様 | Comments(0)

テレビ史上最高のホームドラマ『寺内貫太郎一家』 古き良き日本の「あるべき」家庭の風景   

2013年 06月 27日
『寺内寛太郎一家』古き良き日本の「あるべき」家庭の風景 〔あの日を旅する〕
〔あの日を旅する〕サウダージ第90回1974年7月8日~7月15日
あのテレビ、あの場面  週刊現代2013/7/20号

テレビ史上最高のホームドラマ『寺内貫太郎一家』を語ろう
小林亜星×西城秀樹×鴨下信一
今週のディープ・ピープル 週刊現代(2013/6/22号)

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『寺内寛太郎一家』古き良き日本の「あるべき」家庭の風景 〔あの日を旅する〕
〔あの日を旅する〕サウダージ第90回1974年7月8日~7月15日
あのテレビ、あの場面  週刊現代2013/7/20号

「ハシにも棒にもかからない、きわめてものわかりの悪いお父さんの魅力を描きたい」(当時の向田邦子のインタビュー)という、
愛嬌があるゆえに憎めない父親を好演した。

70年代のホームドラマを代表するTBS久世光彦プロデューサーと、
向田邦子脚本による大ヒットドラマ。
ビデオがなかったあの当時、夜9時からの放送で平均視聴率は30%を超え、
放送から40年近く経っても、「寺内寛太郎」の存在や言葉は、
いまだ多くの人の心に刺さっている。

ドラマといってもシチュエーションコメディに近いようなコメディが基調で、
役者としてはまったくの素人であった小林亜星が、寺内寛太郎として抜擢され
「ハシにも棒にもかからない、きわめてものわかりの悪いお父さんの魅力を描きたい」
(当時の向田邦子のインタビュー)という、愛嬌があるゆえに憎めない父親を好演した。
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寺内寛太郎は石頭で頑固オヤジ。
毎回西城秀樹演じる息子と取っ組み合いの喧嘩をし、
樹木希林(当時は悠木千帆)演じるばあさんは突然沢田研二のポスターに向かって「ジュリーっ!」と叫ぶ。アニメのようにキャラの立った家族だ。

それでいて「日常」を描くことで人々の心の襞を丁寧に描くシーンもあって、
古き良き日本の「あるべき」家庭の風景がそこにあった。

寺内寛太郎は理屈よりも手が先に出る横暴で無理解な父親であるが、
同時にだれよりも愛情が深くウソのつけない男であった。

いまだったら、すぐに手を出すな、相手の話を聞け、と抗議があるかもしれないが、
当時そういうことが起きなかったのは、父親に威厳があり、家族のリスペクトがあったからだ。
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細かいツッコミなんか気にしない、正論をいうオヤジが昔はいた。
なかでも寺内寛太郎が絶大な支持を得たのは、実はこの国の人が求めている「愛嬌のある絶対的父性」という、一見矛盾した要素を体現していたからかもしれない。
梶芽衣子演じる長女が、足が不自由なのは、寺内寛太郎の不注意が原因で怪我したものであった。
その負い目を抱えながらも、萎縮せずに父性を発揮していた寺内寛太郎は、大人になってみると、すごい大人だったとわかる。
〔脚本家の向田邦子は1981年、航空機墜落事故によりこの世を去った〕
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【平蔵の独り言】
日本が変わったのか?
日本人が変わったのか?

人間が変わったのか?

時代が変わったのか?

下町育ちに取って、何処にでもある市井の営みが壊れて行くのか?

市井の人は今も日々の営みの中でみんな頑張っているのに

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テレビ史上最高のホームドラマ『寺内貫太郎一家』を語ろう
小林亜星×西城秀樹×鴨下信一
今週のディープ・ピープル 週刊現代(2013/6/22号)

〔体罰なんて当たり前〕
〔責任なんてとらないよ〕
〔向田さんは怖い脚本家だった。〕
〔最後は本当の家族になった〕

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〔体罰なんて当たり前〕
(小林)貫太郎の役を演じたのは41歳の時。
演技の経験なんてないから、本当は辞退したかったん、無下に断れなかった。
(鴨下)僕はあのドラマ枠の責任者で演出陣の一人。
本当は貫太郎役がなかなか決まらず、一度は企画が流れかけたんですよ。
俳優さんに声を掛けたんだけれど、ことごとく断られ、
最後に亜星さんにお願いすることになったんです。
条件は「とにかくデブを!」でした。
(西城)このドラマが成功したのは、貫太郎役が亜星さんだったからだよ。
プロの俳優さんがやっていたら、あの味は出せなかった。

(鴨下)だけど、実は脚本を書いた向田邦子さんに猛反対されていた。
「亜星さんだけはイヤだ」って。

当時の亜星さんは長髪で夏はアロハ姿。ブレスレットや指輪もしていて、
向田さんが思い描いていた貫太郎とイメージが違い過ぎた。
(小林)当時の俺は典型的な業界人だったからね。
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(鴨下)貫太郎のモデルは向田さんのお父さんだから、こだわりがあったのでしょう。
しかも設定では50歳。
ところが、久世は偉い。
亜星さんに丸刈りにしてもらい、半天を着せて、首から成田山のお守りを下げてもらったら、
驚くほど似合っていた。それで「大丈夫だ」と太鼓判を押した。

(小林)大滝秀治さんに怒られましたよ。
(鴨下)えっ、あの名優に?
(小林)これまで黙っていたけれど、大滝さんは親戚なんです。
僕の妹の亭主は、大滝さんの奥さんの弟。
大滝さんから「バカなことをするな」と叱られました。
(鴨下)あ-、分かるな(笑)。

(西城)僕は貫太郎の長男で浪人生の周平に扮した。
向田さんが考えてくれた役なんでしょ。
(鴨下)当時の秀樹は物凄く忙しくて、スケジュールを押さえるのが至難だったから、
放送直前まで出てもらえるかどうか分からず、一番最後に役が作られたんだよ。
(西城)忙しいのは平気だったけれど、
亜星さんとの乱闘シーンで、茶の間から庭まで吹っ飛び、右腕を複雑骨折。
このときは仕事を1ヶ月休んだ。
(小林)なかなかに庭から上げって来ないなぁと思っていたら・・・・申し訳ない。
あの後、秀樹ファンの女子高校生から、抗議の手紙が山のように届いたよ。
「おまえの体も同じようにしてやる」書かれた手紙もあった。
(西城)けれど、あの親子ゲンカにも深い愛情が感じられるということで、このドラマを副教材にした小学校もあったよね。
(小林)今の時代じゃ作れないドラマだよ。
「こんな暴力的で封建的な男を、どうして許すんだ!」というお叱りが視聴者から殺到する。
(鴨下)体罰も問題化しているからね。難しい世の中だ。
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〔責任なんてとらないよ〕
(小林)乱闘シーンが名物になって、階段から勢いよく転げ落ちるシーンもやらされたけど、
久世さんは平気な顔で、
「なんの補償もありませんが、ハイ、スタート!」だって。酷い話だよ。
(西城)あの人は煽る。だけど、責任は取らない(笑)。
(小林)責任なんて考えていたら、あんなドラマは作れない。
(鴨下)ある種の狂気がないと、面白いものは作れないからね。

(小林)それでも収録現場は和気あいあい。
スタッフと出演者たちは本当に仲良かった。
仲が良いぶん、ケンカもした。
ばあさんのきん役を演じた樹木希林さんと俺が、収録中に口論したこともある。
理由はおぼえてないけれど、ケンカが収まらず、演出していた鴨下さんが飛んできた。
止めるかと思ったら、「なんでもいいから、先に収録を済ましてくれ」だって(笑)。
(西城) 希林さんは演技に初挑戦していた、亜星さんを発憤させようとしていたんだよ。
陰で応援していた。
(小林)そういう心配りが上手な人だからね。
(西城)出演陣のまとめ役だった。
(小林)あのドラマのギャグの大半は希林さんが考えたものでしょ。
希林さんが沢田研二さんのポスターに向かって「ジュリ~」と叫ぶ場面とか。
(西城)久世さんは出演陣のアイディアを取り入れてくれる人だったからね。
(小林)一番得したのは希林さんだ。
31歳で70歳のばあさんを演じたから、あれから年を取らない。
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〔向田さんは怖い脚本家だった。〕
(鴨下)向田さんは怖い脚本家だった。
向田さんがセリフの中に「一丁前」という言葉を入れたら、
誰だったか「先生、こんな言葉は今の人に分かりません」と意見した。
向田さんは「あなたが知らないだけでしょ!」と烈火の如く怒った。

(小林)それにしても・・・・・・・向田さんの脚本は、仕上がるのが遅かったなぁ。
(西城)その回の収録が始まっているのに、後半の場面の脚本がないこともあった。
(小林)書き上がったばかりの脚本がガリ版で刷られ、スタジオで配られたこともある。
(鴨下)あまりに遅いから、腹が立って、
出演陣の一人が向田さんに「筋だけ言ってくだされば、あとは私たちが何とかします」と進言したこともあったね。
それで、また怒った(笑)。
向田さんは「なんてバカなことを言うの!」と激怒した。
(小林)実は俺も向田さんに怒られたことがある。
このドラマの放送終了後、向田さん自身が脚本を小説化したんだけど、
俺は「小説は下手ですね」って言っちゃった。
(西城)そりゃあ、マズイですよ。
(鴨下)繊細で他人の言葉を気にする人だったからね。
だけど、小説版『寺内貫太郎一家』の出来は確かに良くない。
向田さんはこのドラマが放送された翌年の1975年に乳がんの手術をうけたんだけど、それから変わった。
随筆も小説を書き始め、いずれも素晴らしい出来だった。
なぜ、忽然とうまくなったのかは謎だけど、やはり病気が影響しているのでしょう。
(小林)人間は死と向き合うと変わるからね。瞬く間の大作家になっていった。
(鴨下)向田さんの脚本と随筆や小説に違いがある背景には、脚本はいろいろな人に気兼ねして書かなくてはならないという事情もある。
(小林)俳優さんやプロデューサー、演出家とかね。
(鴨下)随筆や短編小説では誰にも気兼ねする必要がないから、
向田さんに「随筆を書き始めたら、人が悪くなりましたね」と言ってしまったことがある。
そのあとが大変だった。
向田さんが新作を書くたびに電話がかかってきて、
「この文章は意地が悪い?」って聞かれるんだ。
本当に繊細な人でしたよ。
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〔最後は本当の家族になった〕
(小林)脚本はたしかに遅いけど、内容が良いから、だれも文句言わない。
(鴨下)新人の頃から遅かったけど(笑)、あれだけの脚本はそうない。
出演陣のカラーを崩さず、誰にも損をさせていない。
向田さんは4人きょうだいの長女として育ったから、
長女の性質が最後まであって、久世をはじめとしたドラマ関係者の全員を守ろうとしていた。
(小林)俺たち演じる側のキャラクターに合わせて書いてくれたから、
セリフが覚えやすいんだよ。
(鴨下)放送終了後も出演者同士の交流が続いたようだし、
『寺内貫太郎一家』は最後の明るいホームドラマだった。
世の中を反映してか、そのあとのホームドラマはどこか暗い。
(小林)このドラマでは食事のシーンも家族全員が一緒だったしね。
ドラマ出てくるおかずやご飯はTBSの食堂で作っているんだけど、これが美味しい。
(鴨下)向田さんから「TBSは、おかずは良いけれど、ご飯がダメ」と叱られたことがあってね、
お米も良くしたんですよ。
(西城)このドラマ自体にも昭和という時代が凝縮されていたね。
頑固おやじがいて、家族愛があり、人情味にあふれていた。
そういう意味では『三丁目の夕日』より先立った。
(鴨下)うん、あの時代の人々にも良いところも悪いところもあったけれど、
今の人たちとは確実に違う。
(小林)昭和の人たちのことを知りたかったら、このドラマを見ればいい。
(鴨下)向田さんの脚本はセリフが良かっただけでなく、ディテールにも風情があった。
たとえばゴム紐を手にした押し売りが登場した。
あの時代、押し売りといえばゴム紐。
時事ネタも取り入れてくれて、健康食品として紅茶キノコが流行すると、
ちゃんと脚本に描かれていた。
(西城)このドラマが当たったのは、乱闘シーンがウケただけじゃないよね。
(小林)俺は今年で81になります。
あれから約40年も過ぎたのに、こうやって3人で語り合う機会を与えられるドラマなんだから、幸せだよね。

【平蔵の独り言】
向田邦子の脚本、演出陣、出演者、時代背景
全てが個性と自負を持っていた、時代だったのかと思う。
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向田さんのエピソード満載!
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『寺内貫太郎一家』は最後の明るいホームドラマだった。
(西城)このドラマが成功したのは、貫太郎役が亜星さんだったからだよ。
プロの俳優さんがやっていたら、あの味は出せなかった。
(鴨下)だけど、実は脚本を書いた向田邦子さんに猛反対されていた。

(鴨下)向田さんは怖い脚本家だった。
向田さんがセリフの中に「一丁前」という言葉を入れたら、
誰だったか「先生、こんな言葉は今の人に分かりません」と意見した。
向田さんは「あなたが知らないだけでしょ!」と烈火の如く怒った。

(小林)それにしても・・・・・・・向田さんの脚本は、仕上がるのが遅かったなぁ。
(西城)その回の収録が始まっているのに、後半の場面の脚本がないこともあった。
(小林)書き上がったばかりの脚本がガリ版で刷られ、スタジオで配られたこともある。
(鴨下)あまりに遅いから、腹が立って、
出演陣の一人が向田さんに「筋だけ言ってくだされば、あとは私たちが何とかします」と進言したこともあったね。
それで、また怒った(笑)。
向田さんは「なんてバカなことを言うの!」と激怒した


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中島みゆきの『時代』・・・・あんな時代もあったねと
やはり、もう戻って来ない。

いい時代を歩いて来たのかと思う。
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梶芽衣子も寺内貫太郎の娘で出ていた。
意外と記憶は間違っていない・・・・・・・・・・・・・・・
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by asanogawa-garou | 2013-06-27 16:19 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

向田邦子の世界〔家族の原像を求めて〕   

2012年 01月 23日
向田邦子の世界〔家族の原像を求めて〕
【向田邦子の世界】
昭和56年8月22日、向田邦子さんは飛行機事故で、51歳の生涯を閉じた。
後に残されたテレビ・ドラマの脚本、エッセイ、小説などのさまざまな作品は、
今なお多くの人々に読み継がれ、感動を起こし生きる励みを与えている。
向田作品では、家族が重要なテーマの一つとして描かれている。
そこには、私たちが見失ってしまった「家族」の姿がある。
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〔向田和子〕
わが家族には、黙って見守ってくれる温かさがあった。
向田さんの作品は、今でも根強い人気があります。
その理由はなんだと思われますか?
「きっと、多くの人々が昔の家族にあった、黙っていてもわかり合える絆を求めているからではないでしょうか。
私、人間はいつの時代でも、そんなに変わらないと思うんです。
心はあまり変わっていません。
姉は『絶対』という言葉を安易に使うと怒りました。
『この世の中に「絶対」なんてないのよ。
簡単に「絶対」って言葉を使わないでちょうだい』きっと人間がどのようにでも変わり得ることを信じていたんだと思います」

〔平原日出夫〕
家族が求められている時代

向田邦子の生涯をたどって

絶頂期であった45歳の昭和50年10月、乳がん手術のために入院。三週間の入院生活を送るが、その時の輸血が原因で血清肝炎となり一時右手が動かなくなる。

そんな時、雑誌「銀座百点」から連載エッセイの執筆を依頼された。
「このエッセイが後年、『父の詫び状』にまとめられました。」
向田さんは連載を引き受けた時の心境を、本のあとがきに次のように書いています。
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――その頃、私はあまり長く生きられないのではないかと思っていた。
考えた末に、書かせて戴くことにした。
ゆっくり書けば左手で書けないことはない。
こういう時にどんなものが書けるか、自分をためしてみたかった。
気張っていえば、誰に宛てるともつかない、
のんきな遺言状を書いて置こうかな、という気持ちもどこかにあった――

さらりと書いているようだけど、
向田さんの暗くつきつめた思いが込められています。
死の影の下で、家族や自分の半生を振り返り、
そこに揺曳(ようえい)する家族の映像をエッセイとして綴ることで自分のアイデンティティーを確かめたかったのでしょう。
これを境に向田さんは、喜劇調のほのぼのしたホームドラマ作家から、
家族解体の危機をはらんだ家族・人間をより深いところで描くシリアスドラマ作家、小説家へと脱皮していったのです。

それ以後、「冬の運動会」「阿修羅のごとく」「あ・うん」と次々にシリアスドラマの秀作を生み出した。
そして、55年「小説新潮」に連載した『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』の連作で、第83回直木賞を受け、小説家としてデビューしたのである。


その矢先の56年夏、飛行機事故に遭って亡くなった。享年51だった。
「神の啓示のように不意に訪れた乳がんという病が転機になって、向田さんの作風が大きく変わっていきます。それでも家族や父は、生涯を通しての重要なテーマに変わりませんでした」

私たちは誰もが、自分の時代の幅でしか生きることができません。
向田さんの描いた家族は、昭和初期から戦後のある時期まで確かに日本に存在していた家族だったのです。だが、今にそれをそのまま求めても空しいことです。


〔鴨下信一〕
家族は、父の人間としての魅力を愛した
『寺内貫太郎一家』主人公の貫太郎は、頑固で融通が利かず、時に怒鳴り、怒ると手を上げる。かと思うと、情にほだされて涙にくれる。
かって日本にはこのような横暴な父を受け入れることができる家族がいた、ということです。
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【自らを律することのできるのが大人の男】
演出をしていた時、こんなことがありました。
寺内家の一人娘が、子連れの男を好きになって、結婚したいと言い出した。男は、先妻の子を連れて寺内家に挨拶に来ます。
貫太郎は、父親として許すことができない。
娘にはもっといい男と結婚して、幸福になって欲しいと望んでいる。
そんな時、その幼い子が、小さな指を突き立てプス、プスと障子のあちこちに穴を開けてしまう。
それを見つけた貫太郎は、どうするか?

――脚本には何も書かれていません。
私は、とっさに貫太郎にも同じように穴を開けさせることにしたのです。
子どもが細い指でプスと穴を開けると、
その隣で怖い顔をした貫太郎が太い指でブスと開ける。
二人並んで、プスッ、ブスッとやっている。
そういう演出をしたのです。

それを見た向田さんは、
「日本の父親はこうでなくちゃあ。あのシーン、思わず涙が出てきちゃったわ」
と言ってくれました。
貫太郎という人間の大きさを表現したかったんです。

確かに人間として〔大きい人〕とか〔大人の男〕が、最近少なくなりましたね。

大きな人間、大人の男とは何か?
それは一つ規範を持って生きる人間、自らを律することのできる人間ではないかと思うのです。
寺内貫太郎は、そんな人間の一人だったのです。

【平蔵の独り言1】
『寺内貫太郎一家』寺内家の一人娘が、子連れの男を好きになって、
結婚したいと言い出した。
一人娘が 梶芽衣子 と記憶している。
向田邦子がこの時の演出をこのように言っていたのは、
人の温もり、家族の繋がりに対する思いですかね。
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《友人から見た向田邦子》
〔植田いつ子〕
気持ちを察して、さり気なく励ましてくれた
【距離を保った温かさ】

作品の中で、さまざまな家庭像を描いた向田邦子さん本人は、自分の家族を持つことはなかった。
だが、三匹のネコとの生活、親しい友人たちとの付き合いには、
家族の絆に近い、温かで思いやりの深い交流があった。

初めて向田邦子さんとお目にかかって4年ほどして私は離婚し、
一人暮らしをすることになかったのです。
すると年の暮れに電話がかかってきて、
「こっちにいらっしゃい、一緒に年を越しましょうよ」
とマンションに誘ってくれたのです。

向田さんは決して他人の心中に土足で入るようなことはなさらない方です。
何一つ尋ねず、黙っている私の傷をそっと包み込んでくださったのです。
そういう極限状態にある時、向田さんの優しさは、私の身にしみました。
そんな人なのでしょうね。
あの方の鋭い感性は、反射的に人の心を読み取り、
何がその人に必要かいち速く察しながら、そ知らぬ振りをして優しい心づかいを見せる。
そんな人なのでしょう。


風邪をこじらせて、一人暮らしのマンションで寝込んでいた時、
向田さんから電話がありました。
「あと15分ほどしたら行くから、マンションのドアを開けておいてちょうだい。食べるものを投げ込んでおくから…」
ぴったり15分後、ドアの辺りで物音がしたので、起きて行くと、
すでにそこには向田さんの姿はなく、心尽くしのご飯やスープが、
手紙を添えて上がり框に置いてあったんです。


普通なら、
「どお?大丈夫?」
などと言ってお見舞いに来ますね。
ところが向田さんはそうじゃない。
無造作を装いながら気を配るのです。
寝間着姿のやつれた顔を見られるのはイヤだろうと、
顔を会わせずにさっさと出ていったんですね。
人との付き合いで大切なのは、
相手の気持ちを読みとる洞察力だと思いますが、
向田さんは、今、その人には何が必要なのかを感じ取り、
さり気なく手を差し伸べてくれる。
それが大仰でないところが本当に素敵でした。

【(甘噛み)のような軽口の魅力】
向田さんは世話焼きで、面倒見がいいので、
いつもご馳走になっているから、たまには私が招待すると言うと、
「いつ子さんが私を招いてくれるの?
やめとくわ。私が材料を全部買って、エプロンまで持って行かなきゃならないから、
結局同じことじゃない。ここで食べなさい」
と言い含められてしまう。
よく動物が(甘噛み)をしますね。じゃれ合って、そっと噛みつく。
向田さんも、わざとキツイことを言って、
相手を傷つけずにスレスレのところで遊び。
そんな(甘噛み)の感覚で付き合ってくれたような気がします。

【照れ屋の美学を貫く・・・・・・含羞の人】
言いにくいこともはっきりとものを言う向田さんですが、
温かさに裏打ちされていたので、私は安心してその気持ちに甘えていたのでしょうか……。
他人の孤独や寂しさには人一倍敏感な向田さんは、
自分のこととなるとストレートに表現することができません。
底知れぬ人間の孤独と哀しさを見つめる儗視めた向田さんのことです。
ほとんどわからないように婉曲な表現で己を語るような語らぬような……、そんなところがありました。
向田さんの生き方には「含羞の美学」と呼べるようなものが貫かれてに、私は思います。

《向田邦子と作品の魅力》
〔澤地久枝〕
「孤独」と健気さ
向田さんが突然去って、ひどく長い時間が過ぎたようでもあり、また不意に低い声で
「ムコウダです。いま、ちょっといい?」
と電話がかかってきそうな感じもある。

なんと実在感のある人だったのだろう。
いつまでも薄れないあの人の魅力とはなんだろうか。
「江戸っ子」といいたい、気っぷのいい、さっぱりした人だった。
こまやかに気を使い、気を使っていることが相手に伝わらないように、心くばりをしつづける人でもあった。
世話好きで、労を惜しまなかった。
流行の先端をいつも確実につかんでいて、その収穫を嬉しそうに友人たちにわける人だった。

青山通りや六本木通りを一人で歩いているとき、向田さんは日頃は見せない暗く孤独な雰囲気をただよわせていた。
行きずりのタクシーの中からそういう彼女の姿を見て、言葉をかけるのはためらわれた。
明るく振る舞いながら、人には見せない孤独な暗部を心にひめていたのだと思う。

初めて小説を書いた『思い出トランプ』連載中、
「どうして暗い話ばかり書くの?」と訊ねた。
「わたし、暗いのよ」
と呟いた眼も忘れられない。
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その「暗さ」が彼女の小説を書かせ、今も多くの読者の心を引きつけているのだと思う。
人間とはしょせん、孤独で寂しい存在なのだ。

「昭和」と呼ばれる時代を生きた「総領の長女」の、強さ涙もろさ、健気さ。
今では忘れ去られつつある女たちの人生が、向田さんの世界にはある。
早世していつまでもなつかしまれるより、もっと長く生きてほしかった。
でも、彼女の人生の美学を感じもする。

〔小林亜星〕
『寺内貫太郎一家』の主人公・貫太郎の役に僕が候補にのぼった時、
最初、向田さんは相当反対していたようです。

ところが、貫太郎に扮した僕を見ると、向田さんは
「あらっ、なかなかいいじゃない」
と言ってかなり気に入ってくれたそうです。

向田さんの作品を読むと、昔の山の手の家族や家庭をよく表現していることがわかります。
大正ロマンチシズム、教養主義の下に築かれた家庭であり、家族なんです。
そこには、かすかですが江戸庶民の生活の匂いが漂っている。
開国の混乱をなんとか乗り切った日本人が、文明開化を果たし、近代的な市民社会を築くことができた、新たな、日本人の家庭のモデルとなる規範が固まりつつある時代を描いていた。
向田さんは、その規範を重要なものと考え、大切にしていこうと思っていたのではないでしょうか。
というのも、その規範がやがて崩れてゆき、失われていくことを予感していたからなのでしょう。
向田さんは、飛行機事故で突然亡くなり、短い生涯を閉じました。
直木賞を受賞し、これからという時にです。
でも僕は、向田さんが亡くなったのは、今のような日本社会の姿を見たくないがために生き急いだのではないか、そう思えてならないのです。


《食から見た向田邦子》
〔塩田ミチル〕
味覚と人生を味わった(食いしん坊)
「おいしい物を見つけたから、送ってあげるわ」
しっちゅう電話がかかってきて、いろいろな物を贈ってくれるんです。
今でも強烈に覚えているのは、彼女にプレゼントをした時のことです。
いつもいただいてばかりでは悪いからと、包装紙に包んだお菓子をあげたんです。
すると一緒に乗ったタクシーで、すぐビリビリと包装紙を破りだしたんです。
何事かと、運転手もバックミラーで様子をうかがう。
でも向田さんは全く気にせず、お菓子を出して食べている。
おいしいとその包装紙を破いてとっておくんですね。


【食べ物の味と人生の味ーその一致がすばらしい】
家族と一緒に食べる喜びを知らなければ、大人になってから友人などと食べる喜び、
人生の味が抜け落ちてしまうのではないでしょうか。

清流 7(1998)
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【平蔵の独り言2】
人間が心に持っている〔無言の優しさ〕
・言葉に表さないで、黙って見守ってくれる。
黙ってやってくれる。分かり合える。

・以前、外出先で持病が出た時、見ず知らずの若いカップルに
「救急車を」と頼んだら、救急車が来るまでついていてくれた。
人間は皆、性善説と思っているが、
その【スイッチ】をオフにしたまま日頃は生きているのかとおもう。

初めて小説を書いた『思い出トランプ』連載中、
「どうして暗い話ばかり書くの?」と訊ねた。
「わたし、暗いのよ」
と呟いた眼も忘れられない。

向田邦子の「わたし、暗いのよ」
の言葉で、
高峰秀子も「私は本当は陰気な人間だよ」
を思い出した。


〔なんて暗い性格、気が小さい!〕
と、時たま感じながら過ごしているが、

自分の感性で、

まあ、出来ることをやろう!
(しかし、老いも忍び寄って出来るが少なくなってきているのかな)

あ・うん:「人生ってね‥‥、もっともっと、いいもんなんだよ」
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by asanogawa-garou | 2012-01-23 14:25 | 人間模様 | Comments(0)

向田邦子『思い出トランプ』・・・・・〔純粋に生きられなくてもいいじゃないか〕   

2011年 11月 30日
向田邦子『思い出トランプ』
〔純粋に生きられなくてもいいじゃないか〕
松任谷正隆さん(談)

 週刊新潮 2011年10月27日(私の名作ブックレビュー)

50年ぶりに小説を読んだ。
本当だ。
書く事が好きなので、他人の文調に影響されたくなかった、というのが長らく読まなかった言い訳である。
文筆家でもないのにおかしな言い訳だ、と自分でも思う。
案の定、この人の文章ならちょっと真似てみてもいいか、と思ってしまった。

それくらい彼女の文章は歯切れがよく、読書素人の僕にもテンポが出せた。
さて、この小説で一貫して表れる感情は『猜疑心』だと思う。
邪悪な、というか、薄汚れた、というか、むくむくと頭をもたげてきて、きれいなはずの心をグレイに染め上げる『猜疑心』。

実は僕もこれと日夜格闘している。格闘しているのに止められない、止まらない。
だから、オムニバスのどのストーリーに対しても、ああそうだよ、と共感した。

よく人を信じろ、と言われる。
信じたいのは山々だ。
でも、自分の中に涌いてくる、この邪悪な気持ちを人様が持っていない、とはどうしても思えない。

心の中で疑い、あらぬことを想像する。
想像がだんだん膨らんで、本当なんだかウソなんだか訳がわからなくなる。
こんな自分が嫌いだ。
もっと純粋に生きたい、とずっと思ってきた。
でも、どうやらそれは無理なようだ。
それでいいんだ、とこの本は教えてくれる。

日常生活の中で、誰もがひとつやふたつはもっている弱さや、狡さ、後ろめたさを、
人間の愛しさ、愛しむ眼で巧みに捉えた、直木賞受賞作など連作13編を収録。

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13編の短編集だが
一話一話に女のたくましさ(業)は全編に共通だ!

【平蔵の独り言】
松任谷正隆さんの50年ぶりに小説を読んだ。

「思い出トランプ」の感想も

先日 旅立ってしまった立川談志さん。
談志さんは「落語とは人間の業の肯定」
と言っていた。

誰もが持っている 業 を語れる人が世の中から旅立って行き、
当たり障りのない事だけ、毎日が過ぎていく!
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by asanogawa-garou | 2011-11-30 15:15 | 人間模様 | Comments(0)

向田邦子ふたたび〔直木賞を受賞しなければ!〕   

2011年 10月 18日
向田邦子ふたたび
〔直木賞を受賞しなければ、台湾旅行中に飛行機の墜落で事故死に会わなかった!〕

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【向田邦子は戦友だった】(山口瞳(作家))
「直木賞をとらなければ、写真集を出そうなんて物好きな出版社もなかったろうに…」
「バカな死に方をして!」
「直木賞をとらなければ」という言葉には辛い思いをした。
昭和55年の7月17日の午後8時ちかく、意外にも向田邦子は劣勢だった。
「そうそう。うますぎるんだよ。うまいことは認めるが」
「一回は見送っていいんじゃないか」
「そうかもしれない。そのほうがいいか」
「向田邦子は、もう、51歳なんですよ。そんなに長くは生きられないんですよ」
と、私が言ってしまった。
私の発言は、カウンター・パンチのように効果があったらしい。
向田邦子は非常に若く見えるのである。
「向田邦子さんという人は、私より小説が上手です」
「それから、随筆も私より上手です。いやんなっちゃうねえ」
この女(ひと)は戦友だなと思った。〔山口瞳〕
向田邦子は、直木賞を受賞したらどういうことになるかがわかっていないようだった。
あんなものを書いてしまった作家を、マスコミが放っておくわけがない。
時には承知で潰しにかかってくるのである。

この女、何もわかっていない。
向田邦子は平然としていた。
その気っ風が怖い。
その度胸が怖い。
私は彼女にこんなことも言った。
「僻み、嫉み、妬み、これが怖いよ」
自分に近い人間で、これがある。
これが怖い。
「インテリ美人が特に狙われる」
「私、インテリでも美人でもないわ」

彼女がごく最近
「山口さんに言われたこと、みんなその通りだったわ」
そのときは疲れはてていた。
ある人は、最後まで元気一杯に飛び廻っていたと言うかもしれないが、私はそうは思わない。
とにかく傷々しくって見ていられない。
「直木賞をとらなければ死なずにすんだかもしれない」
遺影が私に話しかけてきた。
「あなたがいけないのよ。私のことを五十一歳なんて言うから」
その写真も笑っていた。
戦友〔芳章院釈清邦大姉〕
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【向田邦子が惚れた男・マハシャイ(伯爵)・マミオ(コラット種)】(須賀三郎(編集者))
向田さんの死後、マミオは一歩も自分の部屋から出ようとはしなかった。そして3ヶ月ほどたった納骨の前夜、部屋を出たマミオは、あたかも主人を探してでもいるかのように、家の中を歩き回った。
【マミオ】偏食・好色・内弁慶・小心・テレ屋・甘ったれ・新しもの好き・体裁屋・
     嘘つき・凝り性・怠け者・女房自慢・癇癪持ち・自信過剰・健忘症・
     医者嫌い・風呂嫌い・尊大・気まぐれ・オッチョコチョイ…。
きりがないからやめますが、貴男はまことに男の中の男であります。
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【その日、部屋を片づけて旅に出た】(松井清人(編集者))
旅に出る前々日、親友がふと、本や雑誌でいつも乱雑な部屋が、ひどくきれいに片付いていることに気づい。
「どうしたの、今は!」
向田邦子はいたずらっぽく笑って、こう言った。
「へへ、あたしだってたまにはやるよ」
その声が今も耳に残って離れない。

【ふっとつぶやくように言った】(吉行淳之介(作家))
「あと2年ですから」
「それ、どういうことですか」
意味不明なので、聞いてみた。
癌の手術をすると、とりあえず五年延命となる。
五年後にまた次の五年が保証されることもある。
その2年が残っている、という意味のことを、説明してくれた。
「だから、いまのうちにたくさん旅行しているんです」
と、向田邦子が言った。
しかし、間もなくの飛行機事故の予感は全くなかったにちがいない、とおもっている。

【向田さんについて語る人すべて、死後のみならず生前からすでにうっとりした表情を浮かべていた】(野坂昭如(作家))
生まれ育った時代のけじめをきちんと保った雅やかなお辞儀、おいしそうなものの食べ方、正しく見惚れてしまう女性であった。
惚れ惚れと、そのお召しになった衣装もふくめ、たたずまいに見とれ、あるいは口になさる言葉に耳を傾けることは、許されるだろう。
向田邦子さんは、まさしく、見とれてしまう女性であった。
〔向田さんの突然の最期を思い合わせて、向田さんについて語る男たちの、多くが、その在りし日々、すでにうっとりした表情を浮かべていたのである〕

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【賢姉愚弟】(本田靖春(作家))
テレビ『誘拐』の成功は向田さんを抜きにしてはあり得なかった。
拙著『誘拐』はテーマが暗いと企画が一年にわたりタナざらしされる。
吉展ちゃん事件を犯人小原保の側から描いた『誘拐』が明るい内容であるはずがない。
企画の打ち切りを繰り返ししていう中で初対面の向田さんが真正面に私を見据える切れ長の目があった。
「向田さんのこと」の中で、次のように書いている。
〈ありふれた時代劇仕立てで恐縮だが、狭い堀端の道か何かを道場剣法の私が行くとする。
向こうの闇の中から、ふわっと浮かび上がった懐手の浪人者が向田さんである。
ぶっかって抜き合えば、肉の厚い剛刀でこちらが斬られる。が、あいにく逃げ場がない。
まあ、そういう感じであった〉
「斬られる」と直感したのは、実をいうと、私を見据える向田さんの視線に出逢ったその瞬間のことである。

「テレビ・ドラマというのは、脚本家の力だけではどうにもならない面があるんですよ。
でも、私のことはいいの。このお仕事だけは、何としてでも成功させなくちゃねぇ。
私、入れ込んでいるんですよ」
向田さんが『誘拐』に賭ける熱心さは、私のように離れた位置から見ていても、並々ならぬものがあった。
スタッフに主演の小原保役として泉谷しげるを推薦したのも向田さんである。
作品が完成して、局の試写室で小原を演じる泉谷の姿が映し出されたとき、
誇張ではなく私の背中を冷たいものが走った。
放送日が本決まりになると、向田さんは批評家やテレビ担当記者に自分から電話を入れて、「これを観ておかないと、あなた恥をかくわよ」といったふうに、試写を勧めた、
という話をスタッフから聞かされた。
向田さんは、終始、スタッフにとって心強い援軍であり続けた。
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賞の下馬評が伝えられるたび「大丈夫よ。きっともらえるわよ」とスタッフを励まし、
「でも、そうなると、私のがはずされるんだわ」と笑われていた向田さんの顔が浮かぶ。

下種な言い方になるが、一文の得にもならないよその仕事に情熱を注ぎ、
その成功をわがことのように喜ぶ向田さんに接して、路上での別れ際に向田さんはこういった。

「あなたは私より三つも弟じゃないですか。姉として申し上げますけどね。あなたそのまま行くと、ただの拗ね者になりますよ。
あれがいけない、これがいやだなんていわず、いまは黙ってどんどんお書きなさい。
そういうことだって大切なんですよ。いいですか。ここで約束なさい」
初対面の席での直感が現実になったのである。一刀両断。私には返す言葉がなかった。

【できすぎた小姑をもった不出来な嫁の憂鬱を私に感じさせた】(桐島洋子)
向田さんと私は、同じ時期に週刊文春で同じ二頁のエッセイを連載していた。
向田コラムの裏番組が桐島コラムというわけだから、彼女の存在は当然ひどく気に懸かる。
一度一読しておぬしできるなと尻尾を垂れて以来、臆病な私は、彼女の頁からなるべく眼をそらすようにしていた。それでも時々読んでしまうのだが、その度にいささか憂鬱になった。
できすぎた小姑を持った憂鬱とでも言おうか、何もかも心得たオネエサマのいたいたしいほどこまやかな気働きに感服しながらも
「どうしてそんなによく気がつくの、もう少し気楽にしてくれなきゃ、こっちまでシンドイじゃない」
とお尻をもぞつかせる不出来な嫁の気分なのである。
特に彼女の、これでもかこれでもかと中年男の郷愁のツボに触れる絶妙な指圧の指さばきに、
「かなわないなあ、いい加減にしてよ」
と、ちょっといじけた女は私だけではないだろうと思う。
それでいて彼女は、かなわない女の憎たらしさを全く感じさせないひとだった。
むしろいたいたしくてならないひとなのである。
向田さんは、多分私にもまして臆病で人見知りで傷つきやすく世間への脅えにみちみちた淋しがりやだったのだろう。
彼女と二人きりでゆっくり話をする機会をはじめて持ったのは、文藝春秋の忘年会の席だった。
この会はほとんど中高年大家ばかりのお集まりだから、
私のような下っ端編集者上がりの若輩は身の置き所のない思いにうなだれてしまうのだが、
同じように隅っこでオドオドと身をひそめている向田さんと眼が合った途端、
お互いホッと救われたように歩み寄り、最後までつるんでしゃべり続けながら、
同病相憐れむべき人種であることを認識し合ったのだった。
二人とも内気な性向に逆らって、世間にしゃしゃり出る職業を選んでしまったが、
それが成功して露出部分が増すほど、赤むけの因幡の白兎のように風当たりへの脅えも深まるのである。
勿論彼女の方が私よりも神経が繊細なだけ、言動で気配りが細かい。
向田さんが亡くなって大勢の人々が追悼分を書いたとき、彼女がかなり厭がっていた何人かの人までが、
いかに彼女と仲良くつきあっていたかということを披露しているのに驚いた。
多分それは本当なのだろう。
向田さんはときには嫌いな人にもにこやかにつとめたり尽くしたりすることのできる我慢の人だったらしい。
彼女の口癖であるらしい
「後妻の口がないかしら」
この言葉を聴くたびに私は、これは本音だなと思い、なにか胸を衝かれるのだった。
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【平蔵の独り言】
没後30年にあたる今年NHKで【胡桃の部屋】がドラマ化された。
以前「知るを楽しむ」・私のこだわり人物伝「向田邦子・女と男の情景」
(NHK教育、2005年6月)で、向田邦子を思い返させてくれた。

向田作品には、日常の残酷さ、滑稽さ、無邪気だからこそ怖いところ、
ちょっとしたいやらしさなど、悪くて魅力的なことを堂々と書いてしまう。
そこが、震えるほど恐ろしいが、惚れ惚れするほど、格好良いのだという。
怖さと切なさを思い起こさせてくれる。


と、あった。

東日本大震災があった今年(2011)は、くしくも作家・脚本家の向田邦子が亡くなって30年目の年だった。
昭和の家族を描いた向田作品が今、改めて見直されているという。
その背景にあるものは、何なのか。
向田作品を今読む意味は、人が支え合うことの大事さを学び、
乾いた心が潤うことにあるのではないでしょうか(女優・岸本加世子)

「人は完全ではなく、家族であっても弱さから、裏切ったり憎しみあったりするものなのです。
どんなにひどい関係であったとしても、『最終的には家族の絆は大事なんだ』ということを伝えたかったのではないでしょうかね」
向田作品

『家族でいるためにはもっとこらえ性がないとね!』
「どう人と支え合って生きていくか」
向田作品はそんなこと伝えてくれる。

サンデー毎日「向田邦子と3,11」
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by asanogawa-garou | 2011-10-18 15:32 | 人間模様 | Comments(0)

向田邦子と泉谷しげる「お前、役者はこれ一本でいいから。あとは死ね!」   

2011年 01月 19日
向田邦子と泉谷しげる
「お前、役者はこれ一本でいいから。あとは死ね!」

向田邦子さんの泉谷しげるへ向かって授賞式のスピーチで

カッコいいなぁ!
と思ったね。

最高の褒め言葉。
ちゃきちゃきで、色っぽくてね。
飛行機事故で向田さんが亡くなって、本当にショックだった。

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泉谷しげるが映画の主役をするきっかけは

それは、突然に向田邦子からの電話で聞かされたという。
会った事もない,向田は,電話をかけてきて,イズミヤにむかって、
「お前の歌はどうでもいいけど,お前の横顔がいい。お前,やれ。」と、言ったそうだ。

えらく、かっこいいオンナだな。と、思った。と、イズミヤは言っていた。

そんなに挑発するなら,やってやろうじゃないか。
と、そう、思った。と、先日のトークライブで、話していた。

平蔵の独り言:
向田邦子作品と魅力に惹かれるのは妹和子さんの言葉

・乳癌とその後遺症に悩み、恋人に自殺されてしまう、辛い人生だった向田邦子さんのことを、
 和子さんはこう記しています。
「姉は誰にも知らせず、苦しんでいる姿を見せようとはしなかった。
 そうすることで、姉は自分に厳しく、内なる自分にあたかも挑戦しているように見えた。
 悩みや苦しみを人には見せないで、生きる力に変えてしまう。
 それが向田邦子の生き方だった。」
と…

人は、表から見ただけではわからない、
芯の強さや優しさは、生き方に表れ、作品に繁栄され、叱咤激励されることがわかった。

泉谷しげる が 向田邦子 に! 
”えらく、かっこいいオンナだな。”ちゃきちゃきで、色っぽくてね。

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by asanogawa-garou | 2011-01-19 13:42 | 人間模様 | Comments(1)

「向田邦子と昭和の東京」川本三郎(著) ・・・・現代は何を失ったか   

2010年 09月 06日
向田邦子という本の書名が目に止まった
向田邦子さんのエッセイ、ドラマなどの時代背景から述べられていて、
現代は何を失ったかを感じさせられる。
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何故か、向田邦子の作品に引かれていた。
【エッセイ】:「父の詫び状」・「眠る盃」・「夜中の薔薇」・「男どき女どき」
【講演】:「言葉が怖い」1991
【映画】:「あ・うん」1989(高倉 健 主演・富司純子・坂東英二)
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平蔵の独り言:
30年代(小学生)、みんな貧しかったけれど、温かい(目が輝いていた)
日々の生活の普通のことを夢中で生きてきた時代だからではないかと、思えてならない。

家族、言葉、隣近所のコミュニティが成りたっていた。

それを向田邦子という時代に選ばれた作家が表現をした。

このエッセイ「向田邦子と昭和の東京」川本三郎(著)を読んで感じる。

「眠る盃」:めぐる盃(荒城の月)の一節
    「春高桜の 花の宴 めぐる盃 かげさして」 を 「眠る盃」 と覚えていた。
「夜中の薔薇」:童は見たり 野中の薔薇 を 「夜中の薔薇」

今だったら何をバカなこと言って、受けを狙ってと一笑されてしまう 時代になっているのかな。

「そんなことないぜ」という、時代であって欲しい。

2011/1/20 向田邦子と泉谷しげる
「お前、役者はこれ一本でいいから。あとは死ね!」

向田邦子さんの泉谷しげるへ向かって授賞式のスピーチで

カッコいいなぁ!
と思ったね。

最高の褒め言葉。
ちゃきちゃきで、色っぽくてね。
飛行機事故で向田さんが亡くなって、本当にショックだった。


泉谷しげるが映画の主役をするきっかけは

それは、突然に向田邦子からの電話で聞かされたという。
会った事もない,向田は,電話をかけてきて,イズミヤにむかって、
「お前の歌はどうでもいいけど,お前の横顔がいい。お前,やれ。」

と、言ったそうだ。

えらく、かっこいいオンナだな。と、思った。と、イズミヤは言っていた。

そんなに挑発するなら,やってやろうじゃないか。
と、そう、思った。と、先日のトークライブで、話していた。

平蔵の独り言:
向田邦子作品と魅力に惹かれるのは妹和子さんの言葉

・乳癌とその後遺症に悩み、恋人に自殺されてしまう、辛い人生だった向田邦子さんのことを、和子さんはこう記しています。
「姉は誰にも知らせず、苦しんでいる姿を見せようとはしなかった。そうすることで、姉は自分に厳しく、内なる自分にあたかも挑戦しているように見えた。悩みや苦しみを人には見せないで、生きる力に変えてしまう。それが向田邦子の生き方だった。」と…

人は、表から見ただけではわからない、
芯の強さや優しさは、生き方に表れ、作品に繁栄され、叱咤激励されることがわかった。

泉谷しげる の 
”えらく、かっこいいオンナだな。”ちゃきちゃきで、色っぽくてね。

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by asanogawa-garou | 2010-09-06 14:04 | 人間模様 | Comments(0)