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日野原重明先生〔『さあ、今日もやるぞー!』。なぜなら、果たすべきミッション(使命)があるからです」〕「私は疲労というものを感じたことがないのです」   

2017年 07月 26日
日野原重明先生〔『さあ、今日もやるぞー!』。なぜなら、果たすべきミッション(使命)があるからです」〕「私は疲労というものを感じたことがないのです」

日野原重明氏「死はGoodbyeではない」
予防医療の普及など日本に大きな影響を与えた医の伝道者
•日経ビジネス編集部2017年7月19日(水)

〔「2020年の東京オリンピックのとき、私は109歳なわけですが、いまからその準備を…」〕

〔『さあ、今日もやるぞー!』。なぜなら、果たすべきミッション(使命)があるからです」〕「私は疲労というものを感じたことがないのです」

〔「シニア会員」・「ジュニア会員」・「サポート会員」〕
〔成人病を「生活習慣病」と言い換えるように提言〕
〔「長寿ニッポン」を支える制度作りにも寄与〕『人間ドック』「病気にならないこと」
〔死はグッバイではなくシー・ユー・アゲインです〕



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①『生きかた上手』など数々のベストセラーを持つ医師、日野原重明氏が亡くなった(写真:村田 和聡)

 聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏が死去したことが7月18日、分かりました。105歳でした。

〔「2020年の東京オリンピックのとき、私は109歳なわけですが、いまからその準備を…」〕
 在りし日の日野原氏が講演のたびに使っていたフレーズです。
その度に会場は笑いに包まれますが、本人はいたって真面目でした。
残念ながら東京五輪をその目で見ることはかないませんでしたが、日野原氏の生き方はこれからも多くの日本人に影響を与え続けていくでしょう。

 本稿では日野原氏の言葉を振り返りながら、日野原氏の功績の一部をご紹介します。改めて、ご冥福をお祈りいたします。

〔「果たすべきミッション(使命)がある」〕 「私は疲労というものを感じたことがないのです」

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 「私は疲労というものを感じたことがないのです」
 日野原氏は100歳を超えてからも現役医師として、講演のために全国を飛び回る。著書も130冊を超え、毎年のように新著を上梓してきた。
 原稿の締め切りが迫っている時には、明け方まで執筆を続け、2~3時間の睡眠で家を飛び出すこともある。
そんな日の朝食はクッキー2枚とコップ1杯の牛乳だけだ。
 「この歳ですから、そりゃあ肉体的な疲労はありますよ。でも一晩寝ると、朝はすっきりして、『さあ、今日もやるぞー!』とフレッシュな気持ちで目覚めるわけです。なぜなら、果たすべきミッション(使命)があるからです」

〔『さあ、今日もやるぞー!』。なぜなら、果たすべきミッション(使命)があるからです」〕
 日野原氏が自らに課しているミッションのうち最大のものが、2000年から続けている「新老人運動」である。
 日本の65歳以上人口は2015年9月、3384万人に達し、人口全体に占める割合は26.7%となった。
一方、働き手となる生産年齢人口(15~64歳)は減り続け、2013年には8000万人を割り込んでいる。
これは32年ぶりのことで、少子高齢化は今後も間違いなく加速する。
 この絶望的なほどの厳しい状況を、老人自らが動くことで良い方向に向けていこうというのが、日野原氏の「新老人運動」だ。
 「90歳になったとき『新しいことを創はじめたい』と思いました。そこで立ち上げたのが『新老人の会』です。老人が慰め合うだけの会ではありません。自分たちの社会に対するミッションを見つけ、それを実践する集まりです」

〔「シニア会員」・「ジュニア会員」・「サポート会員」〕

「新老人の会」の「シニア会員」になれるのは75歳以上。
60~74歳は「ジュニア会員」、60歳未満は「サポート会員」である。
日野原氏の発案だ。
 60~74歳を「ジュニア」と呼ぶことに若干の違和感があるが、女性会員などに話を聞くと「私は、まだジュニア会員ですから」とうれしそうに話す。
社会的には「高齢者」と呼ばれる人々が、ここでは「ジュニア」。
そう位置付けられるだけで、人の心持ちは変わる。
 いつも注意深く患者の声に耳を傾け、患者との対話から治療を始める日野原氏は、言葉の効用をよく知っている。

〔成人病を「生活習慣病」と言い換えるように提言〕

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③全国を飛び回る生活を送っていた日野原重明氏。
東京・世田谷の自宅にいるときも、熱心に執筆に取り組んでいた(写真:村田 和聡)
 「政府は75歳以上のお年寄りを後期高齢者などと呼びますがね、あれはダメです。老人という言葉には『人生経験を重ねた思慮深い人』という畏敬の念が入っている。中国語で立派な人を『大人(ダーレン)』と呼ぶでしょう。あれに近いニュアンスですね」
 「一方で、高齢者という言葉には『物理的に年を取った人』という意味しかない。おまけに『後期』などと線引きをする。あれはお役人の発想ですよ。そう呼ばれた人たちがどう感じるか、人の気持ちを考えていない」
 「私は、75歳以上のお年寄りを『新老人』と呼びたい。
世界のどこよりも早く超高齢化社会に入った日本の75歳以上は、国民の寿命が延びたことによって生まれた新しい階層だからです。
新老人たちが生き生きと活躍する社会を作ること。
それこそが私に与えられたミッションだと考えています」
 「後期高齢者」を「新老人」と呼び換える。
「たったそれだけのことで何が変わるのか」と思われる方が多いかもしれない。しかし言葉には人々の考え方を変える力がある。
日野原氏はかつて、言葉による日本人の意識改革に成功している。
 「昔は糖尿病や心疾患、脳血管疾患のことを『成人病』と呼びましたね。
そう呼ぶと患者さんたちが『成人になったのだから、成人病にかかるのは仕方ない』と思ってしまう」
 「しかし、こうした病気は食生活や日頃の運動によって予防できるし、治癒もできる。生活習慣が原因なら、それを改めればよいのです。
『成人病』を『生活習慣病』と呼び換えるだけで、人々の意識は変わるのです。だから公的な文書でもそう呼び換えるよう、政府に働きかけました」
 厚生省(現厚生労働省)は1980年頃から糖尿病などを「成人病」と表記してきたが、日野原氏らの提言を受け入れる形で90年代後半から「生活習慣病」に呼び変えた。
 生活習慣病という言葉は日本人の間に広く定着。
それを予防するために多くの人が自分の体重や血圧を気にかけ、適度な運動を始めたり、食生活を改善したりし始めた。

〔「長寿ニッポン」を支える制度作りにも寄与〕『人間ドック』「病気にならないこと」


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④日野原重明氏は、「長寿ニッポン」を支える制度の定着にも貢献した(写真:村田 和聡)
 戦後間もない1947年、日本の医療事情は劣悪で、病院も医師も薬も、すべてが不足していた。
日本人の平均寿命は男性50.1歳、女性54.0歳だった。
 そんな時代にいち早く、「病気を治す」ことではなく「病気にならないこと」に注目した医師がいた。
聖路加国際病院の橋本寛敏元院長と、国立東京第一病院(現国立国際医療研究センター)の坂口康蔵元院長である。
日野原重明氏は橋本院長の右腕として予防医療の制度立ち上げに奔走した。
 「病院は病気の人が来るところというのがそれまでの常識でしたが、病気を予防するためには健康な人が病院で受診する必要があるのです。
寿命が延びていけば、やがて健康な人がどう老いていくかという問題が重要になると我々は考えました」
 「最初は『定期健康検査』と呼んでいましたが、これを聞きつけた新聞記者が船を点検・修理するドックからの連想で『人間ドック』と書き、いつの間にかこの呼び方が定着しました。
最初の利用者は政治家です。政権についている時の政治家は激務に追われますが、内閣が辞職するとしばらく暇になる。
その期間に『体のお手入れをされたらどうですか』とお勧めしたのです」
 聖路加の内科医長だった日野原氏は、国立東京第一の小山善之医長と組んで、人間ドックの仕組み作りを進めた。
人間ドックを健康保険の対象にしてもらうため、日野原氏と小山氏は東京・乃木坂にある健康保険組合連合会の本部にも通った。
 血圧測定、血液検査、検尿、心電図、レントゲンといった健康診断の定番メニューはこの時に固まった。
 「今は技術が進んだおかげで、日帰りでほとんどの検査が受けられますが、当時は検査機器の性能が劣っていたので、検査をするのに1週間かかりました。優れた装置がなくて、当初は肝臓の検査はできませんでした」
 こうして54年、国立東京第一と聖路加は日本初の人間ドックを開始した。両病院合わせて7床でのスタートだった。
 「健康な時に病院に行くという習慣は、当時の日本人にはありませんでした。
我々は病気を予防したり、早期に発見したりするためには、自覚症状がなくても定期的に健診を受けた方がいい、という考え方を日本中に広めなくてはなりませんでした」
 人間ドックを普及させるうえで、国民の誰もが名前を知っている政治家に受診してもらうことは大いに効果があった。
ある日、とある大物が聖路加の人間ドックにやってきた。
読売新聞のオーナーで衆院議員も務めていた正力松太郎氏である。
 「1週間の健診の最後に会食の時間があったのですが、正力さんに会いたい人たちが皆さん受診に来ましたよ」
 この頃から日野原氏は正力氏の主治医になり、正力氏の最期をみとることになる。こうしてまずは政財界の有力者から始まった人間ドックが徐々に一般の人々にも広がり、「長寿ニッポン」を支える制度として定着していく。

〔死はグッバイではなくシー・ユー・アゲインです〕

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⑤増大が続く医療費について、医学界と経済界を代表する2人が話し合った(「日経ビジネス」2015年6月1日号特集より、年齢は対談を行った2015年当時。写真:山田 哲也)
 高齢化社会に突き進む日本では老人の医療費増大が止まらない。
だが、老人を悪者にしても何も始まらない。
医学界と経済界を代表する2人の賢人は、「医を仁術に終わらせてはならない」と声をそろえた。
国民医療費は2025年に50兆円を超え、そのうち6割以上を65歳以上の医療費が占める見込みだ。
〔人生の質〕
日野原重明氏:医療界だけではなく、社会全体で考えるべき問題だと思います。
まず無駄な医療をやめることです。
医療を営業と考える医者は延命治療に夢中になりがちです。
患者や家族には「長生きは良いことだ」という思い込みがあり、医者も延命した方がもうかるからです。
しかしチューブにつながれて最期を迎えることが患者や家族にとって本当の幸せでしょうか。
社会的にみれば膨大なコストがかかっている。
 お年寄りに「長生きするな」と言っているのではありませんよ。
人生の質を言っているのです。
私は日本におけるホスピスの普及に力を注いできました。
ホスピスでは、天から与えられた命を、最後まで質高く全うすることに重きを置きます。
患者には「最期が来ましたよ」と自覚してもらい、「また天国でお会いしましょう」と家族とお別れしてもらいます。
グッバイではなくシー・ユー・アゲインです。
 延命治療をやめれば、住み慣れた自宅で最期を迎える人が増えるでしょう。
病院より、自分がずっと生きてきた場所で最期を迎えたいと望む人は多いのではないでしょうか。
これを実現するには医者も患者も家族も考え方を改めなくてはなりません。死に抗うのではなく、死を受け入れる考え方が必要です。
 欧米ではこうした考え方の下、ホスピスや在宅医療の体制が整備されています。
努力すれば日本でも、コストを抑制しながら医療の質を上げることは可能だと思います。
そのためには教育から変えていかなくてはならない。
 ルネ・サンド(1928年に国際社会福祉協議会を設立したベルギーの医学者)は「国民の参与なくして国民の健康は作られない」と言っています。
まず社会の中のいろいろな層の人々による協力体制を作る必要があります。「真の健康社会を作る」ことを国民の総意にしなくてはならない。
稲盛和夫氏:サンドの言葉は経営にも通じると思います。
全従業員の参与がなければ良い経営は実現できません。
 私が再建に関わった日本航空(JAL)を例に取ればパイロット、客室乗務員から整備のエンジニア、荷物を運ぶ人、機内食を作る人、機内や空港を掃除する人まで、すべての人がそれぞれの役割をきちんと果たし、なおかつ自分の持ち場で収益を考えてもらう必要がありました。
 医療も同じだと思うのです。ドクターから看護師さん、食事を担当する人まで、医療に関わるすべての人が、どうすればコストを上げずに、患者さんに良い医療を提供できるか。
皆で考えるところから始めたらいいのではないでしょうか。
書籍『日野原重明先生の生き方教室』

【平蔵の独り言】
〔『さあ、今日もやるぞー!』。なぜなら、果たすべきミッション(使命)があるからです」〕
 日野原氏が自らに課しているミッションのうち最大のものが、2000年から続けている「新老人運動」である。
 日本の65歳以上人口は2015年9月、3384万人に達し、人口全体に占める割合は26.7%となった。
一方、働き手となる生産年齢人口(15~64歳)は減り続け、2013年には8000万人を割り込んでいる。
これは32年ぶりのことで、少子高齢化は今後も間違いなく加速する。
 この絶望的なほどの厳しい状況を、老人自らが動くことで良い方向に向けていこうというのが、日野原氏の「新老人運動」だ。
 「90歳になったとき『新しいことを創はじめたい』と思いました。そこで立ち上げたのが『新老人の会』です。老人が慰め合うだけの会ではありません。自分たちの社会に対するミッションを見つけ、それを実践する集まりです」
 「新老人の会」の「シニア会員」になれるのは75歳以上。
60~74歳は「ジュニア会員」、60歳未満は「サポート会員」である。
日野原氏の発案だ。
 60~74歳を「ジュニア」と呼ぶことに若干の違和感があるが、女性会員などに話を聞くと「私は、まだジュニア会員ですから」とうれしそうに話す。
社会的には「高齢者」と呼ばれる人々が、ここでは「ジュニア」。
そう位置付けられるだけで、人の心持ちは変わる。
 いつも注意深く患者の声に耳を傾け、患者との対話から治療を始める日野原氏は、言葉の効用をよく知っている。

【独り言】〔七十にして惑わず〕
気合を入れないと1日が始まらない。
日野原重明先生の『さあ、今日もやるぞー!』
をもらおう!

【平蔵の独り言】
 「政府は75歳以上のお年寄りを後期高齢者などと呼びますがね、あれはダメです。老人という言葉には『人生経験を重ねた思慮深い人』という畏敬の念が入っている。中国語で立派な人を『大人(ダーレン)』と呼ぶでしょう。あれに近いニュアンスですね」

【独り言】
それにしても“前期高齢者”“後期高齢者”、高齢者でくくるな!
まあ、定年退職後の年金世代を管理しやすいように官僚が考えた言葉

「シニア会員、ジュニア会員」
シニアの自立をする社会環境を作っていけばいいのに・・・・・・・


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by asanogawa-garou | 2017-07-26 15:12 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

日野原重明先生の「10の生活習慣」   

2012年 04月 11日

日野原重明先生の「10の生活習慣」

日野原重明先生の生活習慣 「文藝春秋」の2007年3月号に「百歳で現役、健康心得10ヶ条」
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1.少食(90歳代から1日の食事摂取量は1300キロカロリー)
   腹八分目は科学的にも正しい。
   80歳から1日1300キロカロリーに。30代の体重や腹囲を保つと良い。
2.植物油をとる
   ヤシ油以外のものならOK。
   肌のハリを保つ。肌のハリは、気持ちのハリにつながる。
   細胞を若く保つには、大豆製剤のレシチンを温牛乳に入れると良い。

3.階段は一段飛びで(病院内、駅、空港などでは必ず階段を上がる)
4.速歩(人より速く歩くように心がける)

5.いつも笑顔で(口元を常に鍛えて素敵な笑顔でいる)
   目で笑う練習をする。(目は心の鏡)
6.首を回す(上下、左右、前後へ首を回し、首の関節を柔らかく保つ)
   ・後ろから呼ばれた時、肩ごと身体を向けるのではなく、
   首だけ回すとはつらつと見える
7.息を吐ききる(息を大きく吐いて、吐いて、吐ききり、新鮮な空気を吸う)
   ・吐ききると腹式呼吸が簡単にできる。
   新鮮な空気がたくさん身体に取り込める。

8.集中(寸暇を惜しみ、何かに集中して時間を有効に使う)
   ・仕事、趣味に時間を有効に使うためには集中することが一番大切。
9.洋服は自分で購入(おしゃれも大切、ネクタイや洋服は自分で選ぶ)
   ・服を選ぶことは楽しい。おしゃれになると、歩き方までかわる。
10.体重、体温、血圧を測る
   (自分のからだは自分で守る。常に観察して記録) 
   自分の身体は自分で守る。日々の変化を記録する習慣を。
   ベストの数値を知っておく。自分の30代の数値に似ているはず。

以上の10項目を、
できることから少しずつ取り組んでみてはいかがでしょうかと、
日野原先生はおっしゃっています。     

〔日野原先生はストレスを感じない精神力の強さを持たれている〕
〔いろんな活動をパワフルに続けておられる日野原先生は、やはり超人です〕
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日本橋と同級生の日野原先生!
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〔粗食、少食は長寿につながる〕
・日野原重明先生の健康法、運動と粗食とご本人がおっしゃっています。
そして、今の若者は食生活が豊か過ぎるから、老化が早いのではないかと危惧しておられます。

俳句(99歳の時)
日野原先生は、日常生活の中で俳句を読んでおられます。
99歳の時の俳句「100歳のバーをめざして身をかがむ」
100m走のように、100歳を目指して意気込んでおられる様子が目に浮かびます。
この頃は「老いという感覚が全くない」と言われています。
体調が良いからこういう言葉が出るのですね。すごいことです。

〔ホスピス専門病院〕
終末期医療に取り組みようになったきっかけは
京都大学医学部を卒業して医師になったばかりの頃、初めて担当患者を持ちました。
16歳の少女で、目の大きい美しい娘でした。
いつも一人で寝ていました。「結核性腹膜炎」でした。
家が貧しくて母が働いていたので、なかなか見舞いに来れないのでした。
下痢が続き様態が悪くなって個室に移されました。

少女は「先生、長い間ありがとうございました。
母が来るまで持ちそうにないから、母に感謝していたと伝えてください」と言いました。
若かった先生は
「助かるから、そんなことを言ってはいけない。
お母さんもすぐ来るからがんばりなさい」と、強心剤を打ちました。
が、かいもなく亡くなりました。

その後、日野原先生はあの時なぜ、
「安心して天国へ行きなさい」と言ってあげられなかったのか、
強心剤を打つより、彼女の手を握ってあげなかったのか、
と思い悩まれたそうです。

そういう思いがずってあって、平成5年にはホスピス専門病院を作られました。
日野原先生は、
この世の最後に、自分が生を与えられたことに対して
「ありがとう」と、自然に言えるようにしたいと言われます。
強いモルヒネを打たなくても、
自分は死んでいくという意識を持って
「ありがとう」と言って死んでほしいという思いのようです。

〔命の授業〕
2011年現在でも、年100回は東京を離れて仕事をされています。
学生に向けての「命の授業」は、170回にもなるそうです。
高熱をおして講演に出かけられることもありました。
社会のために働くという使命感などがそうさせるようです。

命とは、使える時間のことであり、自分のために使えるが、
他人のためにも使って欲しい


と言われます。

〔日野原先生の運動法〕
・腕立て伏せ(いすの背を持って、腕立て伏せを20回します。
いすは体重がかかっても動かないようにしっかりと固定してください)
・スクワット40回
・首の体操(首を前後、左右に動かします。風呂に入った時にすると良いそうです)
健康チェック
体力は80歳並ですが、3年前に比べると足の伸展や歩く速さが低下していました。
下半身の機能が低下したようです。
そこで、先生は週1回の筋肉トレーニングを始めました。
専門のトレーナーさんに指導を受けています。

日野原先生の人生の心得
60歳から 腹八部、筋力をつける
70歳から やったことのない新しいことを創める(はじめる)、腹七部
80歳から よく歩き、若いものに好んで接する
90歳から 心のおもむくままに生きる、道理にたがわず
100歳から よい友を持ち、あるがままに生きる
先生は88歳でミュージカルの脚本を書き、92歳で舞台へ立たれています。
また、自分の持っている良い遺伝子を出すことが大事だと言われます。
それには、いい文学、良い音楽などに触れ環境を良くすることだと言われます。

〔よど号ハイジャック事件〕
1970年(昭和45年)
58歳の時によど号ハイジャック事件に遭遇されました。
犯人達がダイナマイトを持って自分達の主張を通そうとしていたそうです。
山村代議士が身代わりとなってピョンヤンへ行ってくれ、
自分達は金浦空港へ降り立ち大地を踏みしめた時、
無事に地球へ帰ったという感動があったようです。
生きて帰れるかどうかわからない4日間でした。
そして、先生はこの時に人生の後半を与えられたと感じられたそうです。

奥様・静子夫人との結びつき
 よど号ハイジャック事件の後に、
お世話になった方々にお礼状を出されていますが、
その時に奥様は、

「この度受けたお恵の一つでも、いつの日にかどこかでお返しできればと思っています」


というような内容の文章を寄せられていて、
日野原先生は、すごい言葉を使う女性だと改めて感心されたようです。

〔日野原先生への質問〕
Q.ネクタイがステキですね
  ネクタイは自分で選びます。
  ワイシャツ、ネクタイ、ジャケットなど。
  この気球のネクタイは、ロッキー青木さんにもらった物です。

Q.ぐちの多い高齢者への対処法は
  何か言いたいことがあるからです。
  「ふふーん、そうなの。そう」と聞いてあげてください。
  「また、ぐち!」これはいけません。

Q.何をやってもやせないのですが、どうしたらいいですか
  食べることを4割減らしてください。
  好きなことに集中したら、お腹はすきません。

Q.インフルエンザ対策は
  マスクをするのは人様にうつさないため。
  人の前では咳、くしゃみをしない、
  ハンカチを使って飛沫を飛ばさないエチケットが大事です。

Q.お酒が好きですが、どのくらいまでがいいのでしょうか
  日本酒なら1合、ビールなら1本までです。
  休肝日を決めて週1回は飲まない日にしましょう。

Q.6ヶ月の子の母です、何が大切でしょうか
  スキンシップが大切です、たくさんだっこしてあげてください。
  また、小さくてもわかりますから、語りかける、子守歌を歌う、
  話をするなどしてください。じっと聞いていますよ。
  10歳になると大人以上になります。

Q.子どもに〔命の授業〕をされていますが
  命はどこにあると聞くと心臓と言いますが、
  あれは血液を送るポンプです。

命は持っているけれど見えません。持っている時間が命です。

  大事な物は目に見えません。

Q.「10歳の君へ」を読んで感動しました。
  先生の前向きに生きる姿勢に教えられます
  嬉しいですね。こういう方達がいるから、私もエネルギーをもらうのです。

日野原重明 100歳 いのちのメッセージ
2011年10月8日(土) 午後7時30分~8時43分(NHK総合テレビ)
現役医師として今もエネルギッシュに活動を続ける日野原重明さん。
書く本は次々とベストセラー、
年間百回を越える講演はいつも超満員、
記憶力は抜群にいいし、向上心は若者以上・・・

類まれなる老いを生きる日野原さんは10月4日に100歳になった。
どうすればこのように生きられるのか、不安や葛藤はないのか。
99歳の誕生日からの1年間、
我々はプライベートや家族にも密着し、
これまで知られてこなかった日野原さんの姿を記録した。
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命とは君たちが持っている時間である

【平蔵の独り言】日野原重明 100歳 いのちのメッセージ
を見てから、実行しているがさあ~てお楽しみ!

トーストにマーガリンの代わりにオリーブオイル、
牛乳に大豆製剤のレシチン

オリーブオイル:動脈硬化予防、心筋梗塞予防や便秘予防に良いです。
大豆レシチン:細胞膜を作る成分で細胞を若く保つので、若返りの栄養素と言われます。
大豆レシチンは、大豆に含まれる不飽和脂肪酸で、血管のコレステロールを溶けやすくしたり、血行を良くしたりして、動脈硬化予防・脳出血予防などの効果・効能があります。

〔オリーブオイル〕〔大豆レシチン〕がどんな結果をもたらしてくれるか?

まず、70歳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

10の生活習慣 5~10まではそれなりにやっているかな!
(1と悪戦苦闘中)
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by asanogawa-garou | 2012-04-11 17:12 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)