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野茂英雄、空前絶後のノーヒットノーランの夜〔メジャーに愛された男〕【WBC準決勝で野茂英雄氏が始球式】   

2017年 04月 07日
野茂英雄、空前絶後のノーヒットノーランの夜〔メジャーに愛された男〕【WBC準決勝で野茂英雄氏が始球式】

【野茂英雄、空前絶後のノーヒットノーランの夜】
〔トルネードを封印〕
〔勝負所を掴む〕
〔メジャーに愛された男〕

【WBC準決勝で野茂英雄氏が始球式…鈴木が必死のジャンプ】
〔日米関係も改善〕

野茂英雄、空前絶後のノーヒットノーランの夜
1996年9月17日、気温5度のクアーズ・フィールドにて
NHK・プロデューサー 久保健一
時効スクープ ~今だから、聞けた

日経ビジネスONLINE 2017年4月4日(火)

 1968年、大阪で生まれたその男は、89年、ドラフトで史上最多の8球団競合の末、近鉄バファローズに入団、プロ野球選手となった。
恵まれた体躯をグイッとひねるトルネード投法は人々の目を釘付けにし、剛速球と鋭いフォークで三振の山を築く圧巻の投球はプロ野球ファンの心を鷲掴みにした。

道なき道を
 ルーキーイヤーに18勝で最多勝、さらに新人王、沢村賞、MVPなど賞を総なめにした後も勝ち星を重ね、入団から5年間で79勝を挙げた。

 しかし94年、退団。
そして、メジャーリーグへ。
ロサンゼルス・ドジャースとのマイナー契約から始まった挑戦は、全米に「NOMOマニア」を生み、2008年、日米通算201勝で引退するまで続いた。
 NHK-BS「アナザーストーリーズ」プロデューサーの久保健一は振り返る。

 「『大リーグで通用するはずがない』『日本プロ野球を捨てた裏切り者』…野茂さんの大リーグ挑戦に対するバッシングは酷いものでした。
僕はそれに猛烈な違和感と怒りを覚えました。
道なき道を切り開こうというチャレンジスピリットが、なぜ日本では認められないのか、と。
そしてその後、大リーグで大活躍すると、今度は一気の手のひら返し。
また、違和感です。
さらに言うと、引退までの数年間、なかなか勝ち星が重ねられなくなってからも、野茂さんはいくつもの球団を渡り歩きながらチャレンジを続けました。
僕は、その姿に強い共感を覚えましたが、報じられるのは試合結果のみ。
もちろん、自分もマスコミの人間ですから、限られた取材リソースをどこに配分するかという理屈は分かっているのですが、3Aで投げている野茂さんの姿こそ、開拓者だ!と何度となく思っていました。
その後、何度も野茂さんの番組を企画しながら実現しなかったのですが、ようやく今回『野茂ストーリー』にたどり着くことができました」

 NOMOマニアの一員である久保の記憶には、数々のエピソードが刻まれている。
その中から今回、スポットを当てたのは「ノーヒットノーランの夜」だ。

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①野茂の偉業の舞台となったクアーズ・フィールド。

標高1マイル(約1609メートル)という高地に位置するため、気圧が低く空気抵抗が少なく、打球が飛びやすい。
ここでの試合は乱打戦が多く、“打者天国”とも呼ばれる

 野茂英雄はメジャーリーグで二度、ノーヒットノーランを達成している。

その一度目は、新人王を獲得した翌年の1996年9月17日、強打打線を誇るコロラド・ロッキーズとの最終カードでのことだった。
場所はロッキーズの本拠地で、高地にありボールが飛びやすいことから打者有利とされるクアーズ・フィールド。
試合は雨のせいで予定より2時間以上遅れ、21時過ぎに始まった。気温は5度にまで下がっていた。

〔トルネードを封印〕
 野茂の立ち上がりは不安定だった。
体を大きくひねるトルネード投法から繰り出されるボールはコントロールがばらつき、1回裏、フォアボールでランナーを出し、盗塁も許す。
このパターンは2回裏も同様で、点を取られるのは時間の問題のように見えた。
 野茂は3回裏から、ランナーがいなくてもセットポジションで投げるようになる。
 ロッキーズの当時の監督、ドン・ベイラーはこのとき「野茂は何をすべきかに気付いた」と証言する。
その何かとは盗塁を阻止すること。
「自分で、この流れを止めないといけない、と分かったんだ」
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②対戦相手コロラド・ロッキーズの監督 ドン・ベイラー。試合前に「野茂の攻略は済んでいた」そうだが…

 一方で、野茂の150km/hを超えるストレート、魔球と呼ばれたフォークを受け続けてきたロサンゼルス・ドジャースの捕手のマイク・ピアッツァによると、
野茂がセットポジションで投げるのは制球力を高め、かつ、試合を速く進めるためだという。
実際に野茂は3回裏を三者凡退で切り抜けており、要した時間は2分42秒。
1回裏には8分16秒をかけていたので、3分の1近くに短縮されている。

 ではなぜ野茂は、試合のペースを速めようとしたのか。
ピアッツァは狙いをこう理解していた。
 「試合のペースが速まると、守備陣も守りやすくなります。
ピッチャーがテンポ良く投げると、守備陣の調子が上がり、打撃に良い影響が出るのです。野茂の狙いはそれでした」
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③野茂の女房役、正捕手マイク・ピアッツァ。“ノーヒットノーラン”のもう一人の立役者

しかし4回裏、またしても野茂はこの回の先頭打者バークスを四球で歩かせる。
そして、主審のビル・ホーンが「後になって考えると、分かれ目だった」というプレーが起こる。
 アウトをひとつとった後、ガララーガが放った鋭い打球は三遊間へ飛んだ。
ショートのギャグニーはぎりぎりでそれ追いつき、二塁に投げ、ファーストランナーのバークスをアウトにした。

 ショートゴロ。
このときのギャグニーの捕球体勢では、一塁に投げてアウトを取るのは難しい。

 ホーンは「もしランナー(バークス)がいなければ、(ショートへの内野安打となって)ガララーガは一塁セーフ。この時点でノーヒット・ノーランはなくなっていたでしょう。フォアボールでランナーを出していたことが幸いしたのです」と振り返る。
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④歴史的ゲームの主審を務めたビル・ホーン

〔勝負所を掴む〕
 6回にもまた、勝負所が訪れた。
 野茂はまたしても先頭打者のエリック・ヤングに四球を与えた。
ヤングは以前、野茂と対戦したときに1イニング3盗塁を決めていた俊足の持ち主だ。
当然、リードを大きく取る。
そこに野茂は牽制球を投じて一・二塁間に挟み、アウトをもぎ取る。
 その後、この日三度目の打席が回ってきたバークスは、いつもならセンター前に抜けていくような高く弾んだ打球を軽々と野茂に処理され、このピッチャーは記録を狙っているのではと強く意識するようになる。

 ロッキーズ打線が焦り始めたことを、ドジャースの正捕手は察知していた。
 「キャッチャーは、バッターがどれくらい打ち気にはやっているか、それを見抜くのが仕事です。相手が攻撃的になれば、それに応じて戦略を変えます」とピアッツァはいう。
 「彼らが早いカウントで打ってくるのに気付き、早め早めにフォークを使いました」

7回、8回もノーヒットに抑え、9回表に打者としての野茂がこのイニング3つめのアウトを献上した時点で、スコアは9対0。
ドジャースの勝ちは確実で、あとはロッキーズが本拠地で屈辱を味わうか、それを回避するかだけ。
敵将のベイラーは「誰かひとりでいい、ノーヒットノーランを破ってくれ」と願っていた。
 セカンドゴロが二つ続き、打席にはバークス。
6回にピッチャー強襲のゴロを打ったバッターだ。
狙いはストレート。フォークは見逃すか、カットしてファールにすることを決めていた。
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⑤エリス・バークス。コロラド・ロッキーズの強力打線“ブレイク・ストリート・ボンバーズ”の一人

 初球のフォークは見送ってボール。
2球目もやはりフォークで、これはカットしてファールに。
3球目はボール、4球目は空振り。
これでツーボール・ツーストライクの平行カウント。

〔メジャーに愛された男〕
 野茂は何度か首を横に振る。
ピアッツァは何のサインを出したか覚えていない。
バークスはストレートが来ると踏んでいた。
が、野茂の110球目はフルスイングしたバットから逃げるように落ちていった。
野茂が表情を変えずに小さく右手でガッツポーズを作ったとき、時刻は23時57分。終わってみれば、3時間を切るハイスピードゲームだった。

 あれから20年近くが経ったが、コロラド州デンバーにあるクアーズ・フィールドでノーヒットノーランを達成したことがあるのは、2016年のシーズン終了時点で野茂ただひとりだ。
この試合の模様はMLBが公開する動画「9/17/96: Nomo's No-No」で見ることができる。

 久保はなぜ、この試合を選んだのか。
 「力いっぱいの剛速球でバッターを豪快にねじ伏せていく。
野茂さんにはそんなイメージを持つ人が多いと思いますが、この試合には『別の一面』がよく表れています。
試合開始まで2時間も待たされ、震えるような寒さの中、ぬかるんだマウンドに立つ。
ただ力任せに投げるピッチャーが、そんな試合で好結果など期待すべくもないでしょう。

しかし彼は、試合の流れを冷静に捉え、トルネードを封印し、テンポを上げ、したたかにゲームを自分のものにして、誰ひとりなし得なかった偉業を達成しました。
NOMOが常に研究を怠らず、どれほど真摯にベースボールと向き合い続けたか。
それを知るからこそ、ともにプレーした選手やメディアは今も彼をリスペストしている。
道なき道を切り開き、メジャーリーグを愛し、そして愛されたNOMOのアナザーストーリーをぜひ改めて堪能してください」

 あの日を、本稿に登場した関係者への取材で振り返る『アナザーストーリーズ 野茂英雄ノーヒットノーラン~NOMOが伝説になった日~』は、4月4日火曜日21時、BSプレミアムでプレイボール。

【平蔵の独り言】
 NHK-BS「アナザーストーリーズ」プロデューサーの久保健一は振り返る。
 「『大リーグで通用するはずがない』『日本プロ野球を捨てた裏切り者』…野茂さんの大リーグ挑戦に対するバッシングは酷いものでした。
僕はそれに猛烈な違和感と怒りを覚えました。
道なき道を切り開こうというチャレンジスピリットが、なぜ日本では認められないのか、と。
そしてその後、大リーグで大活躍すると、今度は一気の手のひら返し。また、違和感です。

【独り言】
今でもアメリカ球界に愛される“野茂”
松井、イチロー 大リーグに移った時、
日本球界は“野茂”の時ほどでないにしても
後から石を投げるようなことを球界はしてきたと思う。
ここには “同調意識”の強い国民性が出ているか!

【WBC準決勝で野茂英雄氏が始球式…鈴木が必死のジャンプ】
SANSPO 特集:WBCニュース 2017.3.22
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⑥WBC準決勝の日本-米国戦で始球式を務める野茂英雄氏。右は元ドジャース監督のトミー・ラソーダ氏=ロサンゼルス(共同)

 WBC準決勝の日本-米国戦(ドジャースタジアム)。
試合前には感動的なセレモニーが開催された。
1995年から米大リーグ、ドジャースでプレーし、日本人選手初の新人王に輝いた野茂英雄氏(48)が、始球式に登場。
当時の監督で恩師のトミー・ラソーダ氏(89)がボールを手渡した。
侍ジャパンの背番号「16」でマウンドに登った野茂氏は捕手役の鈴木(広島)に投球。
高めに大きくそれたボールを鈴木が必死のジャンプで捕球し、スタンドからは大きな拍手が送られた。
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⑦始球式を務める野茂英雄氏。右はトミー・ラソーダ氏=ロサンゼルス(共同)
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⑧始球式を行う野茂英雄氏=ドジャースタジアム

〔日米関係も改善〕
野茂が救ったのはメジャーリーグだけではない。…

日米関係をも救ったのだ。
1995年当時は貿易摩擦などの影響で日米関係は冷え込んでいた。
そんな中、野茂が好投したことで関係に好ましい影響を与えたのだ。

米大手メディアのNY times紙は「野茂のおかげで日本の鎖国癖は消えつつある」で語り、
当時のクリントン大統領は「野茂は日本からの最高の輸出品」と讃えた。

このように野茂はただ「アメリカで活躍した」という事実以上に多くのものを残していったことが分かる。
日本人選手にメジャーリーグという選択肢を与えてくれたのは間違いなく野茂英雄だ。
あの黒田博樹もドジャースでメジャー生活のスタートを切ったときに
「野茂さんがいなければ我々は誰もアメリカに来られなかった」と語っている。


日本とアメリカの野球に橋を掛けて、日米球界に大きすぎる貢献をした彼はまさしく"英雄"ではないだろうか。
(さのゆう)

【平蔵の独り言】
 WBC準決勝の日本-米国戦(ドジャースタジアム)。
試合前には感動的なセレモニーが開催された。
1995年から米大リーグ、ドジャースでプレーし、日本人選手初の新人王に輝いた野茂英雄氏(48)が、始球式に登場。

【独り言】
大リーグは純粋にベースボールに記憶に残るプレーヤーをこのように歓待してくれる。

〔松井の今でもヤンキースタジアムでは大歓迎を受ける松井氏〕
今でもファンの心に強烈に刻まれており、セレモニーなどで松井氏がヤンキースタジアムに姿を現すと、スタンディングオベーションで迎えられる。



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by asanogawa-garou | 2017-04-07 16:44 | 人間模様 | Comments(0)

「大リーグの歴史変えた40人」に選ばれた野茂英雄、〔野茂37位に 米誌が特集〕   

2016年 12月 08日
「大リーグの歴史変えた40人」に選ばれた野茂英雄、〔野茂37位に 米誌が特集〕
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①米誌の「大リーグの歴史を変えた40人」に選ばれた野茂英雄氏=共同
日本経済新聞 夕刊2016/11/29付

 米スポーティング・ニューズ誌がこのほど「大リーグの歴史を変えた40人」を特集し、ドジャースなどで通算123勝を挙げた野茂英雄が37位に選ばれた。
選手だけでなく、大リーグの発展に寄与した人物を選定する企画で、日本選手でただ一人のランク入りだった。
 野茂は1995年にメジャーに挑戦し、ストライキの影響で短かった同年に13勝を挙げて新人王に輝いた。「イチローや松井秀喜ら新世代の日本人の先導役となった」とたたえられた。

 1位に選ばれたのはベーブ・ルースだ。
草創期に通算714本塁打を放って人気を広め「野球にとって初めての象徴的存在で、今日でも最高の選手であり続けている」としている。
 2位は黒人初の大リーガーとなったジャッキー・ロビンソン。
有色人種にメジャーへの扉を開いた功績が認められた。
(共同)

【野茂英雄のトルネードに球場が沸く「今でも応援してくれるファンがいる」】
野茂英雄のトルネードに球場が沸く「今でも応援してくれるファンがいる」
名球会ベースボールフェスティバル2016が1月11日
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②名球会ベースボールフェスティバル2016が1月11日、ヤフオクドームで行われ、往年の名選手達が躍動した。

一際注目を集めたのが、日米両球界で活躍し、通算201勝を挙げた野茂英雄氏。
往年のトルネード投法を見せると、球場全体が沸いた。
「今でも応援してくれるファンがいる」と語っていた野茂氏はファンの前で全力投球。
伝家の宝刀フォークも投げるなど、以前と変わらないピッチングに大観衆が酔いしれた。

また、自身も所属していたロサンゼルス・ドジャースへの入団が決まった元広島の前田健太投手に対しては、「チャンピオンリングを獲ってくれれば自分もうれしい」とエールを送った。

これに対して、「野茂はやっぱり野茂だった。ブランクがあるのに、あまりそれを感じさせないよな。トレーニングしてるのかな」「清原とか楽しそうだったね。それにしてもスゴいメンバーだった」「清原と佐々木の対決とか興奮した。野茂のトルネードが見れてうれしかった」など、ファンからはさまざまな声が寄せられていた。
《浜田哲男》
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③野茂英雄(2003年3月31日)

【「最高の輸出品」クリントン大統領も讃えた! 野茂英雄の偉大なる功績】
Excite Bit コネタ 2015年5月19日 12時01分
ライター情報:さのゆう
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④「野茂英雄―日米の野球をどう変えたか」
近年、多くの日本人野球選手が海を渡ってメジャーリーガーとなっている。
もはや日本のスター選手、例えば最近でいうとマー君やダルビッシュがメジャー移籍を表明した際も「ついにこの日が来たか」とそこまでファンも驚かなかったのではないだろうか。
しかし、つい20年ほど前までは日本のスター選手がメジャーに行くことなど、誰もが夢物語のように思い、非現実的なことだった。
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⑤「野茂は日本からの最高の輸出品」
【当時のクリントン大統領は「野茂は日本からの最高の輸出品」と讃えた】
では、誰がメジャーへの扉をこじ開けたのだろう。
それは「野茂英雄」である。
野茂の名は知っている人も多いのではないだろうか。
1989年、史上最多となる8球団からドラフト1位指名を受けた野茂は競合の末、近鉄に入団。
その後、ルーキーイヤーから4年連続で最多奪三振と最多勝を獲得し、名実ともに日本最強投手だった。
しかし、まだまだ選手としてはこれからという6年目のシーズンに日本を離れメジャーリーグのドジャースへと移籍したのだ。
今回は「野茂英雄―日米の野球をどう変えたか」(著:ロバート・ホワイティング/PHP研究所)を参考に、どのようにアメリカに渡った野茂は野球界を変えてパイオニアと呼ばれるようになったのか探っていこう。

【パイオニア】
野茂はなんと言っても日本人がメジャーに行く道をつくった人物だ。
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⑥「自分の夢を叶えたかった」などではなく意外なものだ。
そもそも野茂がアメリカに渡った最大の理由は「自分の夢を叶えたかった」などではなく意外なものだ。

それは当時在籍していた近鉄バファローズと揉めたから。
監督だった鈴木啓示の「とにかく走れ」という根性論の練習、複数年契約などを認めない球団フロントに愛想をつかせた。
その後、野茂は団野村(スポーツ代理人。サッチーの連れ子でもある)とともに、なんとかアメリカへ行く道はないかと模索した結果、「任意引退」という野球協約の抜け穴を発見する。
しかし、かつて同じように野球協約の抜け穴で巨人入りを目指した「江川事件」がバッシングを受けたように野茂も多くのバッシングを受けることになる。…

マスコミ・プロ野球オーナー・王や長嶋なども含めたプロ野球OB・近鉄の球団社長、挙句の果てには実の父親からも非難された。
しかし、図太い性格の野茂は「売国奴」、「どうせしっぽを巻いて逃げる」などと周囲に言われてもなんとも思わなかった。
「正しいことをしているから」と信じて最終的にはロサンゼルス・ドジャースと契約を結んだ。
後で詳しく説明するが、野茂は1年目から大方の予想を裏切り大活躍。
それまで野茂に罵声を浴びせていた日本人はとたんに「日本の誇りだ」と手のひら返しを見せたのである。

この野茂の活躍により、日本人でもメジャーで活躍できるのだと証明され、MLBの球団は日本人の有力選手を物色するようになる。
また、野茂の活躍を契機に日本でも海を渡るための制度化が進み、イチローなども利用したポスティングシステム導入へとつながった。
最近の日本選手が障害なくメジャーへ行けるのは、「任意引退」という手段を使ってでもアメリカへ渡った野茂の壮絶な覚悟のおかげなのだ。
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⑦野茂の活躍により
【成績も凄かった】
ドジャースで1995年シーズンを迎えた野茂は初登板から好投する。
その後の登板でも好投が続き、最終的には1年目のシーズンは13勝をマークすると同時に、最多奪三振・新人王のタイトルを獲得する。
また、日本人初となる(そして現在でも野茂ただ一人)オールスターでの先発投手を務めたり、リーグ最終登板でチームをPO進出に導くピッチングをしたりと記憶の面でもかなり大きな印象を与えた。
このように野茂が初年度から活躍できたのは「トルネード投法」と呼ばれる独特のフォーム、そして150km/hを超えるストレートと信じられないほどの落差のフォークボールがあったからだ。

当時、野茂と対戦した大打者たちはみな絶賛のコメントを残している。
例えばバリー・ボンズは「あんな投手見たことない」と話し、
サミー・ソーサは「あんな打ちにくいフォークは初めてだ」と話した。

【ノーヒッターに】
そしてメジャーでの2年目のシーズン、野茂はより大きなインパクトを日米のファンに残した。…

"常識外"とも言えるノーヒットノーランをロッキーズ戦で達成したのだ。
というもの、野茂が記録達成した球場「クアーズ・フィールド」はかなり標高が高く打球が飛びやすい。
そのため投手にとってはかなり不利な球場だ。
事実、「クアーズ・フィールド」を本拠地とするロッキーズはそれまで直近7試合の平均得点は10点を超える(そのすべての試合で2ケタ安打を記録する)ほどだった。
野茂はそんな球場、しかも試合当日は気温が低く雨も降るという投手にとって最悪の環境の中で達成。
ドジャース監督は「史上最高のピッチングとして歴史に残すべき」と話し、
「完全試合より価値があるノーヒットノーランだ」とも言われた。
また、野茂はその後、ア・リーグでもノーヒットノーランを記録し、メジャー史上5人目となる両リーグでのノーヒッターとなった。

【ファン人気が凄かった】
それまで見たことのないフォームで快投を続ける野茂に日本のファンのみならず、アメリカファンも熱狂。
そんな彼らは「NOMO マニア」と呼ばれ、「野茂が投げれば大丈夫」と歌われたテーマ曲まで登場した。
人気は数字にも表れ、スタジアムの 観客動員数が野茂登板の時には4%アップすると言われたほど。
また、ジム・キャリー主演の「ライアーライアー」の中では、ジム・キャリー演じる主人公の息子が「僕はノモになる!」と叫ぶシーンまで登場する。
ハリウッド映画に登場するほど当時の野茂は人気があった。

このようなフィーバーを通して野茂は「メジャーリーグの救世主」と呼ばれるようになった。
なぜそこまで称賛されたかというと、野茂が渡米する前年、メジャーは大規模なストライキが起きてファン離れが深刻だった。
そんな中、野茂が彗星のごとく登場してスタジアムへとファンを呼び戻したからだ。ラソーダ(当時のドジャース監督)も「彼がMLBを救った」と語っている。
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⑧野茂は「メジャーリーグの救世主」
【日米関係も改善】
野茂が救ったのはメジャーリーグだけではない。…

日米関係をも救ったのだ。
1995年当時は貿易摩擦などの影響で日米関係は冷え込んでいた。
そんな中、野茂が好投したことで関係に好ましい影響を与えたのだ。
米大手メディアのNY times紙は「野茂のおかげで日本の鎖国癖は消えつつある」で語り、
当時のクリントン大統領は「野茂は日本からの最高の輸出品」と讃えた。

このように野茂はただ「アメリカで活躍した」という事実以上に多くのものを残していったことが分かる。
日本人選手にメジャーリーグという選択肢を与えてくれたのは間違いなく野茂英雄だ。
あの黒田博樹もドジャースでメジャー生活のスタートを切ったときに
「野茂さんがいなければ我々は誰もアメリカに来られなかった」と語っている。

日本とアメリカの野球に橋を掛けて、日米球界に大きすぎる貢献をした彼はまさしく"英雄"ではないだろうか。
(さのゆう)

【平蔵の独り言】
小学生の時、巨人ファンであったが、
千葉茂が移籍して監督をしたパリーグは近鉄ファンになっていた。

近鉄は巨人の水原、三原・川上、千葉のライバル関係で出された
三原監督、千葉茂監督で在籍し、
仰木彬さんで野球人生を開花した、野茂英雄・・・・・
思い返せば、愉しい球団だった。
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by asanogawa-garou | 2016-12-08 15:50 | 人間模様 | Comments(0)

【野茂英雄】野茂英雄氏がドジャースタジアムで始球式   

2013年 12月 24日
野茂英雄氏がドジャースタジアムで始球式
【野茂氏トルネードで始球式「緊張」】
〔ドジャースタジアムから野茂英雄へ――ヒーローに贈られた熱い声援と喝采〕
〔野茂英雄、ドジャー・スタジアムで始球式を行う【MLB反応】〕
〔野茂氏がドジャース戦で始球式 黒田は「感謝しています」〕


メジャーリーグで日本人選手がプレーできるようになったのは、野茂さんが扉を開いてくれた
【近鉄・鈴木啓示監督とエース・野茂英雄の確執が生まれた瞬間】
【仰木彬氏「野茂に怒られるの怖かった」とトルネード投法黙認】
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【野茂氏トルネードで始球式「緊張」】
野茂英雄氏がドジャースタジアムで始球式
2013年08月11日 12:20 発信地:ロサンゼルス/米国 【写真】 【ブログ】
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始球式を行う野茂英雄氏
MLBは10日、各地で試合が行われ、ロサンゼルス・ドジャース(Los Angeles Dodgers)は本拠地ドジャー・スタジアム(Dodger Stadium)でタンパベイ・レイズ(Tampa Bay Rays)と対戦し、
試合前には元ドジャースの野茂英雄(Hideo Nomo)氏が始球式を行った。

始球式を行う野茂英雄氏(2013年8月10日撮影)。(c)AFP/Getty Images/Harry How
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ドジャース対レイズ戦を前にトルネード投法で始球式をする野茂氏(撮影・菅敏)

 1995年からドジャースに在籍した野茂英雄氏(44)が10日(日本時間11日)、
かつて数々の好投を披露したドジャースタジアムで始球式を行った。
この日は先着5万人に同氏の首振り人形が配布された。
 野茂氏がドジャースタジアムを訪れるのは5年ぶりのこと。
功績を称える映像がスクリーンに映し出された後、大歓声を浴びながら登場。
背番号「16」のユニホームを着てマウンドの手前に立つと、一世を風靡(ふうび)したトルネード投法で、捕手役を務めた元チームメイトのエリック・キャロスが持つミットに速球を投げ込んだ。
ボールはやや高めに浮き、ストライクとはいかなかったが、
球場に集まったファンからスタンディングオベーションを受けた。

 野茂氏は「今日は少し緊張しています。(どうしてかは)分からないです(笑い)。今振り返ってみても、球団のオマリーさん(当時オーナー)、ラソーダさん(当時監督)、球団のスタッフの助けがないと、多分僕は成績残せなかった気がします。こういう日を作ってもらえたのも、スタッフの人たちが、自分がやりやすいように、自分がパフォーマンスしやすいように、環境を作ってくれたおかげなので本当に感謝しています」と感慨深そうに話した。
 [2013年8月11日7時40分]

〔ドジャースタジアムから野茂英雄へ――ヒーローに贈られた熱い声援と喝采〕
SportsNavi 2013年8月12日 12:45
「NOMO!」
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ドジャースタジアムで始球式を行った野茂英雄氏。その表情には穏やかな笑みが浮かんでいた【写真:AP/アフロ】

 日本人ファンの姿が目立つと思っていた。
 だが、実際にはそうではなかった。

 8月10日(現地時間)、日本の野球選手にメジャーへの扉を開いた野茂英雄氏が、
ドジャースタジアムで始球式を行った。
先着5万人には同氏の首振り人形もプレゼントされた。
 その記念すべき日に、多くの日本人ファンが足を運ぶと思った。
野茂氏が登板するたびにスタンドのあちらこちらで日本人の姿が見られたように――。

 だが実際には、多くの地元ファンがドジャースタジアムに詰め掛け、野茂氏に熱い声援を送った。
 野茂氏がグラウンドに出てくるとスタンドから「NOMO!」という声と拍手が大きく響き渡った。
球場のスクリーンに活躍をたたえる映像が流れた後、
場内アナウンスで紹介された野茂氏は、腕を高々と挙げてファンに応えた。
ドジャースタジアムでの野茂氏のテーマソング「上を向いて歩こう」が流れる中、マウンドへ。
トレードマークだった“トルネード投法”でボールを投げ込むと、
立ち上がったファンは一層大きな歓声を挙げた。

 そこにいたのは、“日本人が誇る野茂”だけではなかった。
ロサンゼルスで生まれたメジャーリーガー。
つまり“ロサンゼルスが誇る野茂”がいたのだ。
ドジャースタジアムを埋め尽くしたファンは、チーム史に残るかつてのヒーローに惜しみない拍手喝采を浴びせた。
マウンドを降りて5年 “The tornado”再び
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ラソーダ元監督(左)、チームメートで主砲だったキャロス(右)と談笑する野茂【写真:AP/アフロ】
 1995年に近鉄から米大リーグのドジャースに入団した。
1年目から13勝を挙げて同シーズンの新人王を得ると、
翌年とレッドソックスに所属していた01年にノーヒット・ノーランを達成。
ア・ナ両リーグで同快挙を成し遂げた、メジャー史上4人目の投手となった。

ルーキー時と2001年には各リーグの最多奪三振も記録した。
 大きく振りかぶってから背中を打者に向ける独自の投法は“The tornado(竜巻)”と呼ばれ、そこからバシバシ三振を奪う勇敢な姿が人気を呼び、米国で“野茂旋風”が巻き起こった。

 劇的なデビューから18年が経った。
 始球式を前に記者会見場に現れた野茂氏は「グラウンド(現役時)の方が緊張しなくて良かった。今日は少し緊張しています」と話した。
現役時は数々の大舞台に立ってきた大物投手。
それほどの選手の「緊張」という言葉に「なぜか?」という質問が向けられると「分からないです」と苦笑いを浮かべた。

 少年野球の日本選抜チームを連れて毎年夏にロサンゼルスを訪れる野茂氏だが、ドジャースタジアムは5年ぶりだという。
自分が連れてきた少年たちにはドジャースの練習を間近で見られる機会を与える。
しかし、自らが少年と一緒にグラウンドに現れることはない。

 それだけに今回の始球式の要請を受けた時は「どうしようかと思った」と言う。
しかし「こういうことができるのも最初にスタッフの人たちが、自分がパフォーマンスをやりやすいように環境を作ってくれたおかげ」。

当時のオーナー、ピーター・オマリー氏やトミー・ラソーダ元監督らへの感謝の気持ちから受け入れることにした。

 野茂氏がメジャーに足を踏み入れてから、数々の名選手が海を渡り、
ヤンキースのイチロー選手や黒田博樹投手、レンジャーズのダルビッシュ有投手ら米大リーグの歴史に名選手として名を刻むレベルの選手も出てきた。
 それに伴い、自らの記録が塗り替えられる時代もやってきた。

しかし野茂氏は
「僕の成績はそんな大したことないですし、ダルビッシュだと僕よりも全然レベルの高いピッチングをしている。野球は実力社会ですしそれはしょうがないです」。
そう言った後、「しょうがないというより、楽しみに見ています」と言い直した。

 自らがメジャーのマウンドから降りて5年が経った。
久しぶりに16番のユニホームに腕を通した感想を聞かれ、
しばらく間を置いた後にポツリと言った。
「もう一度選手としてやりたい感じがします」

サイ・ヤング賞投手が語る ある日の光景
 野茂氏の始球式を終えて、ドジャースタジアムのマウンドに立ったのはザック・グリンキー。
レイズ相手に6回3分の1を6安打無失点の好投でドジャースに勝利をもたらし、自らも今季10勝目(3敗)をマークした。
 そのグリンキーは野茂氏のメジャーキャリア最後となる2008年に、ロイヤルズでわずかな期間をともに過ごした。

 2009年のサイ・ヤング賞投手(ア・リーグ)はその時の思い出をこう語る。

「彼は40歳近い年齢だったのに、2時間にわたる打撃練習でもずっと球拾いをしていた。球拾いをやめて中に入ってはどうかと声を掛けても他の選手と一緒にずっと球拾いをしていた。彼がキャリアでどれだけのことを成し遂げてきたかは誰もが知っていたけれど、彼は決してそれを鼻にかけるようなことはしなかった。ああいう一面を僕も見習いたいと思った」

 多くの日本人選手が野茂氏を追い掛けてきた。
 しかし、同氏がメジャーに所属した12年の間に、日本人選手だけでなく多くのメジャーリーガーが、彼の背中を見て育ってきた。
 だから、「NOMO」は日本人ファンだけの思い出の選手ではないのだ。

 野茂英雄は、日本の野球だけでなくメジャーリーグという世界に大きなインパクトを与えた。
 それゆえに、日本人ファンだけではない多くの人々が、ドジャースタジアムに集まった。そう、彼の功績を称えるために。

<了>

〔2013.08.11 野茂英雄、ドジャー・スタジアムで始球式を行う【MLB反応】〕
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野茂英雄、ドジャー・スタジアムで始球式を行う
1995年からドジャースに在籍した野茂英雄氏(44)が10日(日本時間11日)、
かつて数々の好投を披露したドジャースタジアムで始球式を行った。
この日は先着5万人に同氏の首振り人形が配布された。

野茂氏がドジャースタジアムを訪れるのは5年ぶりのこと。
功績を称える映像がスクリーンに映し出された後、大歓声を浴びながら登場。
背番号「16」のユニホームを着てマウンドの手前に立つと、
一世を風靡(ふうび)したトルネード投法で、捕手役を務めた元チームメイトのエリック・キャロスが持つミットに速球を投げ込んだ。
ボールはやや高めに浮き、ストライクとはいかなかったが、球場に集まったファンからスタンディングオベーションを受けた。

野茂氏は「今日は少し緊張しています。(どうしてかは)分からないです(笑い)。今振り返ってみても、球団のオマリーさん(当時オーナー)、ラソーダさん(当時監督)、球団のスタッフの助けがないと、多分僕は成績残せなかった気がします。こういう日を作ってもらえたのも、スタッフの人たちが、自分がやりやすいように、自分がパフォーマンスしやすいように、環境を作ってくれたおかげなので本当に感謝しています」と感慨深そうに話した。

〔野茂氏がドジャース戦で始球式 黒田は「感謝しています」〕
MLB.jp(GyaO!) 8月11日(日)12時9分配信
メジャーリーグで日本人選手がプレーできるようになったのは、野茂さんが扉を開いてくれた
 1995年からロサンゼルス・ドジャースでプレーし、新人王を獲得するなど活躍した野茂英雄氏が現地10日、ドジャースタジアムで行われた古巣ドジャース対タンパベイ・レイズの試合前に始球式を務めた。

 野茂氏は、日本人選手だけでなくアジア圏の選手にもメジャーリーグへの道を切り開いたパイオニアとなった。
この日は、ドジャースでメジャーのキャリアをスタートさせた黒田博樹投手(現ヤンキース)もビデオ出演。
「メジャーリーグで日本人選手がプレーできるようになったのは、野茂さんが扉を開いてくれたからだと思っています。それを可能にしてくれて感謝しています」とメッセージを贈った。

 野茂氏はトレードマークのトルネード投法で、捕手を務めた元チームメイトのエリック・キャロス氏に向かって投球を行った。
その後の会見では「普段は緊張しないが、今日は緊張した」と述べていた。

【近鉄・鈴木啓示監督とエース・野茂英雄の確執が生まれた瞬間】
 1994年のシーズン開幕前、「今年は野茂と心中する」と公言した近鉄・鈴木啓示監督は、開幕投手に野茂英雄を指名。
4月9日の西武球場での開幕戦で、野茂は8回まで西武打線をノーヒットに抑えた。
 9回に近鉄が3点を先制。
しかしその裏、先頭の清原和博が初安打を放つと、四球と失策で1死満塁。
前年、18打数7安打と野茂と相性の良い伊東勤を打席に迎えると、鈴木監督はなんと野茂を諦め、赤堀元之をマウンドへ送った。
 しかし伊東に逆転サヨナラ満塁弾を浴び敗北。
開幕戦で早くも「心中」してもらえなかった野茂と、鈴木の確執はここから始まったとされる。
 野茂はこのシーズンが終わると近鉄を退団し、翌年2月にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。
5月にはメジャーへ昇格、31年ぶり2人目の日本人メジャーリーガーとして活躍した。
※週刊ポスト2013年10月11日号

【仰木彬氏「野茂に怒られるの怖かった」とトルネード投法黙認】
※週刊ポスト2012年3月23日号
仰木:野茂に怒られるのが怖いから変えんかっただけや。
アイツに殴られてみい。どないなる? 吹っ飛ぶぜオレ!(笑い)
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 プロ野球開幕まであとわずか! 
BS・CS放送「J SPORTS」が、毎年11月~翌年2月のオフシーズンに放送する『ガンバレ日本プロ野球!?』は、普段は見られないような選手の素顔、そして本音を聞けるとあって、プロ野球ファンの間でも人気が高い。

 2004年には、新球団・オリックス・バファローズの監督に就任した仰木彬氏が番組に登場(2004年11月6日OA)。
“仰木マジック”で知られた名将が明かした選手の操縦術(?)とは……。
メインMCの金村義明氏(元近鉄、中日、西武)と大塚光二氏(元西武)と、
仰木氏の会話を振り返ろう。

大塚:鈴木一郎(の登録名)をイチローにしたり、佐藤和弘をパンチ佐藤にしたり。
発想はどこから出るんですか?

仰木:酒飲んどったら出るねん。飲まんと出ない、それは間違いない(笑い)。
というのは、広報部長とか、記者の連中とかが、
酒席で色んな話をしとるうちにアイデアを出してくれる。

金村:仰木さんは勝つだけじゃない。
例えば野茂が入ってきたときには天王寺の駅前で、明日野茂が投げます~っていったりな。
大塚:野茂が入った時、このフォームは絶対変えなくちゃいけないっていわれた(が変えなかった)。
仰木:野茂に怒られるのが怖いから変えんかっただけや。
アイツに殴られてみい。どないなる? 吹っ飛ぶぜオレ!(笑い)

金村:あと、イチローには何ていってましたっけ。
「オレが監督やってる間は(メジャーに)行くな」って?
仰木: アハハハ!
大塚:やっぱし!(笑い)
仰木:……ところでこれ(対談)はテレビの収録なの?
金村&大塚:仰木さん、もう(収録が)始まって2時間経ってますよ!(笑い)
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【平蔵の独り言】
近鉄バファローズファンになって、50余年
仰木さん、野茂英雄 に夢をもらっている。

【仰木彬氏「野茂に怒られるの怖かった」とトルネード投法黙認】
野茂は仰木さんに育てられた と思う。

11月凄いニュースが飛び込んできた
“米野球殿堂入り候補者にノミネート”
2014年1月に決定するらしいが
楽しみに待つ事にしよう。
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by asanogawa-garou | 2013-12-24 16:53 | 人間模様 | Comments(0)