〔小林昭子(83)徹子の部屋〕「きょうよう」(教養)と「きょういく」(教育)が歳をとったら必要だ。   

2018年 04月 18日
〔小林昭子(83)徹子の部屋〕「きょうよう」(教養)と「きょういく」(教育)が歳をとったら必要だ。


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①徹子の部屋 美容研究家・小林照子(83歳)「教養と教育」(きょう 用がある。きょう 行くところがある。) 2018/3/28

〔教養〕と〔教育〕歳を取ったら必要だ!
〔教養〕今日 用がある
〔教育〕今日 行くところがある


【『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』 『頭の体操』心理学者の多湖輝(著)】
【朝日新聞「天声人語」  2013年7月14日(日)】
〔多湖輝さんがNHKラジオ深夜便の早朝時間帯で80歳を過ぎたことば〕
【サラリーマン 「定年ホームレス」】(夫源病「わしもわしも」の「わしも族」)
〔■夫源病の恐怖、家も居場所なし〕
〔では、退職後に居場所がない「定年ホームレス」はどこにいるのか。〕
〔■自覚なきナルシストたち〕



〔小林昭子(83)徹子の部屋〕「きょうよう」(教養)と「きょういく」(教育)が歳をとったら必要だ。
〔(前向き)な言葉を言うのが大切〕疲れることがあったとして口にしない。(楽しいことをしたら、疲れない)
〔(マイナス)な言葉は口にしない〕マイナスを口にしたら実現してきてきちゃう。ブーメランのように自分。
・嫉妬しない、もう歳出し、私なんて(自分を卑下しない、その途端に人は老けていく)
(それを書いちゃう、書くことと口にするが大事!)
〔いくつになってもやることで始まる〕8年前に学校をこれから始めるんです!(美意識の強い子が集まって8人)


「美容研究会・小林昭子(83歳)徹子の部屋180328」

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心理学者(多湖輝)「キョウヨウ」と「キョウイク」
教養と教育ではなく「今日、用がある」と「今日、行くところがある」

~“奇跡の美肌"を持つ83歳…美と健康の秘訣~美容研究家・小林照子さんが今日のゲストです。
番組詳細 83歳にして現役のメイクアップアーティスト、美容研究家として活躍している小林照子さんがゲスト。
今日は、すぐマネしたくなる美と健康のコツが満載!
美容業界歴63年、「美容界のカリスマ」とも呼ばれている小林さん。
まず驚いたのは、その美肌。みずみずしいツヤ肌は、とても83歳とは思えない。
興味津々の黒柳さんに、その美しい肌を保つ秘訣を公開。
誰にでも試せる簡単な方法だが、毎日続ければずいぶん変わるという。
また、実年齢を感じさせない若々しさは、姿勢の良さにも。
スッと伸びた背筋の秘密は、実は自宅のキッチンに隠されていた!その様子をVTRで紹介する。


【『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』 『頭の体操』心理学者の多湖輝(著)】
一昨年に出した『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』 『頭の体操』で知られる心理学者の多湖輝(たごあきら)さんの著書にあるそうだ。

『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』
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【朝日新聞「天声人語」  2013年7月14日(日)】

体が引き締まり、日に焼け、すこぶる元気そうである。
すこし前に退職した会社の先輩と先日偶然会い、立ち話をした。
日々の暮らしぶりを楽しげに語ったが、そこには秘訣(ひけつ)があるらしい

▼「キョウヨウ」と「キョウイク」なのだという。
教養と教育かと思いきや、さにあらず。
「今日、用がある」と「今日、行くところがある」の二つである。
なるほど何も用事がなく、どこにも行かない毎日では張り合いがあるまい。
かつての同僚から聞かされて実践しているという
▼その同僚も誰かから聞いたというから、かなり流布している教えなのだろう。調べてみると、『頭の体操』で知られる心理学者の多湖輝(たごあきら)さんの著書に行き着いた。
一昨年に出した『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』で紹介している
▼多湖さんも100歳に近い大先輩に教わったのだそうだ。
「ボケないための頭の使い方」を実に巧みに表現した言葉だと絶賛する。
老後をどう生き生きと過ごそうかと誰しも考える。この話はわかりやすく、納得感もあるから、伝言ゲームよろしく広がっていくのも道理だろう
▼日々の原稿に追われる身としてはまだ先の話と思いたくなるが、山登りや畑仕事に忙しい件(くだん)の先輩に諭された。
「いまのうちから考えておけ」。
たしかに定年を迎え、突然訪れた空白の時間の大きさに心身の失調をきたす人もいると聞く
▼生来のものぐさ向けのボケ防止策はないものか。
多湖さんも勧めるようにせめてよく笑うことにしようか。
*****

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心理学者(多湖輝)「キョウヨウ」と「キョウイク」
教養と教育ではなく「今日、用がある」と「今日、行くところがある」

教養:今日 用がある
教育:今日 行くところがある

[キョウヨウ」と「キョウイク」?? 教養と教育?  いいえ、違います。

「ボケないための頭の使い方」は「キョウヨウ」と「キョウイク」なのだという。
教養と教育かと思いきや、さにあらず。
「今日、用がある」と「今日、行くところがある」の二つである。

その通りだと思う。うまい言い方をするもんだ。


〔多湖輝さんがNHKラジオ深夜便の早朝時間帯で80歳を過ぎたことば〕

「年齢を重ねるほど教養と教育が必要です」と語り始めました。
かなり流布している名言です。
 中高年になって大事なのは「教養」と「教育」?
 さにあらず「きょうよう」は「今日、用事・用件があること」「きょういく」は「今日いく所があること」実に巧みな表現です。いつも好奇心をもち、外出することがボケないための頭の使い方なのですね

【サラリーマン 「定年ホームレス」】(夫源病「わしもわしも」の「わしも族」)
〔■夫源病の恐怖、家も居場所なし〕
 「夫が家にいるようになってから、頭痛とめまいがするようになった」と訴える50代後半の主婦。
離れて暮らす娘に電話で相談したところ「それって夫源病じゃない?」と指摘された。
〔では、退職後に居場所がない「定年ホームレス」はどこにいるのか。〕
図書館と裁判所、そして公園。
お金のかからないこの3カ所が“聖地”らしい。取材班はその実態を探ってみた。
〔■自覚なきナルシストたち〕
「こんなシニアは使えない」

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⑤サラリーマン 「定年ホームレス」の落とし穴
2016/9/20 6:30


【平蔵の独り言】
徹子の部屋 美容研究家・小林照子(83歳)「教養と教育」(きょう 用がある。きょう 行くところがある。) 2018/3/28

〔教養〕と〔教育〕歳を取ったら必要だ!
〔教養〕今日 用がある
〔教育〕今日 行くところがある

心理学者(多湖輝)「キョウヨウ」と「キョウイク」
教養と教育ではなく「今日、用がある」と「今日、行くところがある」

その通りだと思う。うまい言い方をするもんだ。

【独り言】
美容研究家・小林照子(83歳)「教養と教育」
に教えられた。

古稀を迎え、ここ数年(いや、10年)、1日のおわりに
5年日記に寝る前、一日の出来事を書く。明日の予定、
今日はどんな日だったか?誰と話したか、会ったか?
何か書き留めておくイベントは?
を書いて気が付けば三冊目。(還暦から一日7行なので続いているのか?)

1日7行:5年分(同年同月同日)
1行目:天気・起床時間・気温(主な予定(前日に必要なこと記入)
     ・翌日の予定の確認にもなる(特別に変わったことはほとんどない)
2~4行:2行目起床して  3,4行どんなことがあった(した)
5行目:体調は
6行目:
7行目:今日はどんな日だった。(最後に血圧計の数字)

〔教養〕今日 用がある
〔教育〕今日 行くところがある

月初に去年の同じ月にやったこと⇒今月の予定
今日やったこと(イベント)来年の同月同日に必要なことを書く。
4.11(内視鏡検査実施⇒内視鏡検査予約)

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そして、明日のページに予定を書いて、寝る・・・・・・
(月に数回、書いてない。気が付いたら書く、「今 6時」)

【平蔵の独り言】
〔(前向き)な言葉を言うのが大切〕疲れることがあったとして口にしない。(楽しいことをしたら、疲れない)

〔(マイナス)な言葉は口にしない〕マイナスを口にしたら実現してきてきちゃう。ブーメランのように自分。

・嫉妬しない、もう歳出し、私なんて(自分を卑下しない、その途端に人は老けていく)

(それを書いちゃう、書くことと口にするが大事!)

〔いくつになってもやることで始まる〕

【独り言】
(前向き)な言葉を言う。(楽しいことをしたら、疲れない)
→なんとなく納得(楽しい)

(マイナス)な言葉は口にしない。(ブーメランのように自分)
→マイナスの言葉はその通りに実現してしまう、と聞いたことがある。

嫉妬しない、もう歳出し、私なんて。
→以前口にしていたら、自身も周りも気分がネガテッブになってきた、経験がある。

日記に書いちゃうと一日で完結する。

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# by asanogawa-garou | 2018-04-18 16:44 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

【〔高木家・自立の教え〕「できることは自分でやる」】〔高木家の壁には「継続は力なり」〕新聞配達(挫折を乗り越えて銀)   

2018年 03月 29日
【〔高木家・自立の教え〕「できることは自分でやる」】〔高木家の壁には「継続は力なり」〕新聞配達(挫折を乗り越えて銀)

〔順調に時を刻んでいた時計の針が、ぴたりと止まった〕ソチ五輪、落選
ソチ五輪、落選。リンク内のいすで1点を見つめる姿に「スーパー中学生」と騒がれた輝きはなかった。
調子は良くなかったが、どうにかなると思っていた。
必死に五輪を目指す選手を格好悪いと感じたことさえあった。
だが、そんな選手が目の前で五輪の切符を勝ち取った。
4歳上の兄大輔さんから電話が鳴る。
「ソチに向かってやり切ったって言えるか?」。涙があふれた。


〔高木家の壁には「継続は力なり」〕新聞配達
「4年間、スケートにすべてをかける」
覚悟が決まれば、やり抜ける。思い返せば、そうやって強くなってきた。

 高木家の壁には「継続は力なり」と書かれた紙が貼られている。
3兄姉がスケートを続けるため、両親が懸命に働く姿を見てきた。
兄が中1から新聞配達を始めると、高木も続いた。

〔高木家の家訓は「できることは自分でやる」。〕お昼ご飯の弁当も自分で作った。
高木家の家訓は「できることは自分でやる」。
学校に持って行くお昼ご飯の弁当も自分で作った。
父の愛徳さんは「親にやってもらったら、何もできなくなってしまう。
大人になってから困らないようにするため、当然のこと」ときっぱりと言い切る。

【女子団体追い抜きで日本が金メダルに輝いた。】
高木美帆、菜那と姉妹初の金!女子初のメダル全色制覇

〔“高木美帆の姉”じゃないという自己主張だった。〕スケートをやめようと思った。


高木美帆を支えた実家の張り紙「継続は力なり」、挫折を乗り越えて銀[2018年2月13日10時28分 ]
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①女子1500メートルで2位の高木美は日の丸を掲げて笑顔(撮影・山崎安昭)
【〔高木家・自立の教え〕「できることは自分でやる」】

<ピョンチャン五輪:スピードスケート>◇12日◇女子1500メートル
 スピードスケート中長距離のエース高木美帆(23=日体大助手)が、1分54秒55で銀メダルを獲得した。
日本女子のスピードスケート個人種目メダルは、98年長野大会500メートル銅の岡崎朋美以来20年ぶり。
10年バンクーバー大会にスピードスケートで国内史上最年少の15歳で出場も、14年ソチ大会は落選。
挫折を乗り越え、うれし涙を流した。
日本のエースとして金メダルが期待される女子団体追い抜き(21日)にも弾みをつけた。
 悔しさは、天を見上げた一瞬で忘れた。
ようやく会場の大歓声が耳に響いた。
高木美は何度も拳を握り、優しくうなずいた。
フォームは乱れ、もう滑れないほど出し切った。
支えてくれたコーチ陣の顔がにじんで見えた。
子供のようにぴょんと飛び乗った表彰台。
0秒20の差を感じると、また悔しさが戻ってきた。
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②「平昌五輪・スピードスケート女子1500メートル」(12日、江陵オーバル)
「いろいろな人に支えてもらって、こみ上げる気持ちはあった。でも、やっぱり金を取りたかった」。
充実感の中で感じる2つの思い。それだけ、この4年間にかけてきた。
〔順調に時を刻んでいた時計の針が、ぴたりと止まった〕ソチ五輪、落選 13年12月29日。
順調に時を刻んでいた時計の針が、ぴたりと止まった。
ソチ五輪、落選。リンク内のいすで1点を見つめる姿に「スーパー中学生」と騒がれた輝きはなかった。
調子は良くなかったが、どうにかなると思っていた。

必死に五輪を目指す選手を格好悪いと感じたことさえあった。
だが、そんな選手が目の前で五輪の切符を勝ち取った。
4歳上の兄大輔さんから電話が鳴る。
「ソチに向かってやり切ったって言えるか?」。涙があふれた。

 ソチ五輪閉幕1カ月後の14年3月。
世界選手権のため訪れたオランダで、日体大の青柳監督に頭を下げた。
「新しいスケート靴を作りたい」。
硬い素材に替えることを勧められても、「これでやってきたから」と高校時代から使う軟らかい靴に固執した。
自問自答を繰り返した3カ月。「変わらないと」-。
変化を恐れた自分との別れだった。
4年後の平昌五輪に向け、再び時が動き始めた。
 「日本の宝」とまでいわれた天才が初めて直面した挫折。
もう負けたくない。もうぶれない。
「4年間、スケートにすべてをかける」。
覚悟が決まれば、やり抜ける。思い返せば、そうやって強くなってきた。
<ピョンチャン五輪:スピードスケート>◇12日◇女子1500メートル
スピードスケート中長距離のエース高木美帆(23=日体大助手)が、1分54秒55で銀メダルを獲得した。
日本女子のスピードスケート個人種目めだるは、98年長野大会500メートル銅の岡崎朋美以来20年ぶり。
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10年バンクーバー大会にスピードスケートで国内史上最年少の15歳で出場も、
14年ソチ大会は落選。
挫折を乗り越え、うれし涙を流した。
日本のエースとして金メダルが期待される女子団体追い抜き(21日)にも弾みを
つけた。
悔しさは、天を見上げた一瞬で忘れた。
ようやく会場の大歓声が耳に響いた。
高木美は何度も拳を握り、優しくうなずいた。
ファームは乱れ、もう滑れないほど出し切った。
支えたくれたコーチ陣の顔がにじんで見えた。

子供のようにぴよんと飛び乗った表彰台。
0秒20の差を感じると、また悔しさが戻ってきた。
「いろいろな人に支えてもらって、こみ上げるきもちはあった。
でも、やっぱりきんを取りたかった」
充実感の中で感じる2つの思い。
それだけ、この4年間にかけてきた。

〔高木家の壁には「継続は力なり」〕新聞配達
「4年間、スケートにすべてをかける」
覚悟が決まれば、やり抜ける。思い返せば、そうやって強くなってきた。
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 高木家の壁には「継続は力なり」と書かれた紙が貼られている。
3兄姉がスケートを続けるため、両親が懸命に働く姿を見てきた。
兄が中1から新聞配達を始めると、高木も続いた。
起床は朝4時。北海道のいてつくような寒さの中、雪が降ればリュックに新聞を詰め、1軒1軒歩いて配った。
体力をつけるため5キロ走ってから登校し、学校が終わればリンクへ向かう。
中3で五輪に出ても、高校を卒業するまでその姿は変わらなかった。

 出会いも成長を加速させた。15年からナショナルチームで指導を受けるヨハン・デビット・コーチ(オランダ)から、世界と戦う意識を植え付けられた。
母国のトップ選手の詳細な体力数値を見せられ、「負けていない」「逃げるな」と熱い言葉で背中を押された。
夏場の自転車練習で下半身を鍛え抜き、課題だったレース終盤の伸びが増した。
16年にW杯で初優勝。
詰まっていた才能があふれ出るように、一気に世界のトップへと駆け上がった。
 4年前、弱さを認めたことから始まった道は、まっすぐに平昌へとつながった。
個人種目では日本女子最高の銀メダル。
駆け抜けたその両足には、あの日オランダで作った紫色の靴が輝いていた。【奥山将志】
 ヨハン・デビット・コーチのコメント 自分も含め、誰もが誇りに思って良い結果だ。
美帆ならできると思っていた。五輪の重圧の中で銀メダルを取った。美帆は強くなっている。
<高木美帆(たかぎ・みほ)アラカルト>
 ◆生まれ 1994年(平6)5月22日、北海道幕別町生まれ。
家族は父愛徳さん(60)、母美佐子さん(55)、兄大輔さん(27)、姉菜那(25)の5人家族。
 ◆サイズ 164センチ、58キロ。
 ◆スケート 兄姉の影響で5歳から競技を始め中学で全日本ジュニア選手権総合V。高校では世界ジュニア選手権で日本人初連覇。
W杯は個人通算7勝。1500メートル、3000メートル日本記録保持者。
 ◆最年少五輪 バンクーバー五輪の国内選考会1500メートルで優勝。
1000メートルでも3位に入り、国内史上最年少の15歳で1000、1500メートル、団体追い抜きで五輪代表に選出。
 ◆運動神経 中学時代はサッカー部にも所属し、女子の有望選手として代表候補合宿にも招集された。ヒップホップダンスも得意。
 ◆趣味 ジグソーパズル。最高傑作は「くまのプーさん」1000ピース。

【〔高木家・自立の教え〕「できることは自分でやる」】
親に甘えさせない教育方針で育てられた高木選手。
高木家・自立の教え「できることは自分でやる」( 新聞配達・お弁当作り・1人で会場入り)スピードスケート女子3000㍍、中長距離のエース高木美帆選手 (23)
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早朝の新聞配達で鍛えた脚力を武器にバンクーバー五輪以来、8年ぶりの大舞台に立った。
北海道南東部の幕別町で生まれ育った。
兄の大輔さん(27)、2歳上の姉、菜那選手(25)との3人きょうだい。
菜那選手は、高木選手と同じチームで女子団体追い抜きなどに出場する。
冬場の最低気温が氷点下20度を下回る極寒の地で、高木選手幼少期から、兄、姉と一緒にスケートを始めた。
「お母さんのことを手伝う」という父の愛徳さん(60)の方針で、高木選手は中学生の時、母の美佐子さん(55)がしていた新聞配達を、大輔さん、菜那選手と一緒に手助けした。
毎朝午前5時には起き、自転車をこいで、一軒ずつ配って回った。
帯広南商業高校スケート部の恩師の東出俊一さん(61)は「大会がある日も新聞配達をした後、自転車で試合会場にやって来ることがあった」という。
それでも、疲労の色を見せることはなく、他の選手に圧倒的な差を付けて勝った。
「朝から動いて、本当に疲れてないか?」
「全然、大丈夫です」。
高木選手は東出さんの心配をよそに、けろっとした表情で答えた。
東出さんは「朝起きたら親がご飯を作って食べさせ、車で送ってあげる家庭も多い。高木家の育て方が世界で通用する脚力を生んだのでしょう」とみる。

〔高木家の家訓は「できることは自分でやる」。〕お昼ご飯の弁当も自分で作った。
高木家の家訓は「できることは自分でやる」。
学校に持って行くお昼ご飯の弁当も自分で作った。
父の愛徳さんは「親にやってもらったら、何もできなくなってしまう。
大人になってから困らないようにするため、当然のこと」ときっぱりと言い切る。
小学6年の時には、自宅から約200キロ離れた北海道苫小牧市で行われるスケート大会に出場するため、1人で列車に乗って向かったこともある。
中学1年になると、菜那選手と子どもだけでフェリーに乗り、青森県八戸市で行われた大会に遠征した。
愛徳さんは「本人も面白半分、冒険心があったと思う」と話す。
高木選手が14年のソチ五輪で代表入りを逃し、スケート人生で初めての挫折を味わったときも、両親は放任の姿勢を貫いた。
一回り大きく成長を遂げた姿に、愛徳さんは「スケート人生というか、生きていく上でいい通過点になった」と話す。
10日のレースは、幕別町で娘の雄姿を見守っていた。
読売新聞2018/2/11

【女子団体追い抜きで日本が金メダルに輝いた。】
高木美帆、菜那と姉妹初の金!女子初のメダル全色制覇
2018年2月22日6時0分 スポーツ報知
 
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⑥女子団体追い抜きで優勝した(左から)菊池彩、高木菜、佐藤、高木美は応援メッセージが書かれた日の丸を手に喜ぶ(カメラ・酒井 悠一)
 
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⑦◆平昌五輪第13日 ▽スピードスケート女子団体追い抜き決勝(21日、江陵オーバル)
カナダとの準決勝は高木美帆(23)=日体大助手=、高木菜那(25)=日本電産サンキョー=、菊池彩花(30)=富士急=で臨み、決勝は菊池に代えて佐藤綾乃(21)=高崎健康福祉大=を起用。
2分53秒89の五輪新記録で前回覇者のオランダを下した。
高木美は日本勢で冬季&女子初の1大会「金銀銅」メダル、姉の菜那と夏冬通じて初のきょうだい金メダルを獲得。

日本のメダル数は1998年長野大会を上回り、冬季最多の11となった。
 日本が「世界一美しい」滑りで頂点に立った。
先行したものの中盤にオランダに逆転され、最大で0秒47差をつけられた。
残り2周を切り、佐藤、姉の菜那とつないだ先頭のバトンを受け取った美帆は力を振り絞った。
一気に逆転した。ラスト1周。
デビット・コーチが勝利を確信したように両手を突き上げる姿が目に入り、さらにギアを上げた。
「足を止めることなく、前へ前へと強い気持ちで滑ることができた」。
最後は1秒59もの大差をつけ、五輪記録で金メダル。
こん身のガッツポーズで喜びを爆発させた。
 4人のメンバー全員で抱き合い、歓喜のウィニングランへ滑り出した。
表彰台の真ん中に手をつないで上がった。
「チーム全員の力がないと成し遂げることができなかった」と感謝した。
1500メートル銀、1000メートル銅に続き、1大会での「金銀銅」制覇を達成。
登録はサブだが、24日のマススタートで上積みする可能性もあるエースと、最後尾で食らいついた菜那。
全3戦にフル出場した高木姉妹が金メダルの原動力となった。

〔“高木美帆の姉”じゃないという自己主張だった。〕スケートをやめようと思った。

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⑧「天才」の妹・美帆と、「反骨」の姉・菜那は性格も歩んできた道も異なる。父・愛徳(よしのり)さん(60)は「姉は電柱登りなどやんちゃだった。
妹はマイペースだけど頑固でまじめ」と振り返る。
 菜那は妹と比較されることを嫌がった。
身長も164センチの美帆に対し155センチ。
2人で食堂に行った時、店員に「美帆ちゃん、来てくれたんだ。この人は小さいから妹さん?」と話しかけられた。
「姉です」と美帆が紹介すると「お姉ちゃんいたんだね。美帆ちゃんのお姉ちゃんなの?」と聞かれ、ムスッとした表情で「菜那です」と言い返した。
“高木美帆の姉”じゃないという自己主張だった。
 高校1年時、世界ジュニア選手権出場で先を越され、スケートをやめようと思った。
母・美佐子さん(55)に電話するうちに「負けたままやめられない」と闘志に火がついた。
妹が15歳で出場した10年バンクーバー五輪は現地で観戦。
声援を送る一方で「転べばいいのに」と嫉妬心を抱いたのも正直な気持ちだった。
ただ「私もこういう中で戦いたい」と五輪を志すきっかけにもなった。
 高校を卒業後、日本電産サンキョーに入社した。
長島圭一郎や加藤条治の練習姿勢を見習った。
400段の石段ダッシュを10度繰り返す猛練習に音を上げず、女子の世界記録を上回るペースにも食らいついた。
4年後のソチ五輪には自身が出場し、美帆は落選した。
 今度は妹が刺激を受けた。
「姉は五輪に行きたいと、ずっと言っていた。
自分は『そんなにガツガツしなくても』と思っていたけど、ソチの選考会が終わって、それまでの気持ちの差は結果に表れると強く思った」。
ナショナルチームで寝食をともにする今は、姉が妹に「教えてください」と素直にアドバイスを求められる関係だ。
美帆は「家族にやっといいところを見せることできたのかな。
感謝の気持ちを伝えたい」と語り、菜那は「親が楽しんで見られるレースになったかな。終わったらメダルをかけてあげたい」と感謝した。
すれ違い続けた姉妹の運命が、五輪の大舞台で初めて交わった。(林 直史)

【平蔵に独り言】
〔高木家・自立の教え〕「できることは自分でやる」〔高木家の壁には「継続は力なり」〕新聞配達(挫折を乗り越えて銀)
【独り言】
新聞配達、「継続は力なり」心引かれた!
下町は貧しい家の同級生も当たり前にいた時代であったので、
友達と中学入学、暫くして新聞配達を始めた。
最初朝刊だけか夕刊だけかは忘れたがやがて朝夕刊になり、部数の多い配達に代わっていった。
気が付くと、学校の長距離の運動で勝つようになり陸上部に入部していた。
昭和39年の東京オリンピック、聖火ランナーの伴走者に選ばれたが直前になって外された。(地元有力者から横やりが入ったようだった)
国立競技場に陸上部として観戦に行った。
照明が点き、いつ終わるともしれない棒高跳びを眺めていた記憶がある。
(部として観戦しているので、終わるまで帰れなかった)
マラソンのアベベビキラの優勝、円谷幸吉が国立競技場に帰ってきた時、2位であったが、イギリスのヒートリーに抜かれたのはお山の大将で長距離を走っていたので最後の足が動かない経験(比較にならないが)
それも新聞配達を続けた気が付けばの宝だ(あれから50年)・・・



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# by asanogawa-garou | 2018-03-29 17:29 | 今 今日この頃 | Comments(0)

「私を雇ってください」 小平奈緒が記者に語った真意(「朝日新聞で雇ってください。このままじゃ、ニートスケーターで……」)小平は社会人になっても引き続き指導を受けるため、実業団には進まなかった。   

2018年 03月 22日
「私を雇ってください」 小平奈緒が記者に語った真意(「朝日新聞で雇ってください。このままじゃ、ニートスケーターで……」)小平は社会人になっても引き続き指導を受けるため、実業団には進まなかった。
 彼女の希望は長野で競技を続けること。
私は地元放送局の関係者に相談はしてみたものの、結局力になれなかった。
卒業時も就職は決まらず、小平の両親は「1年ぐらいは面倒を見ようと思った」。
治療やリハビリをした縁もあって、松本市の相沢病院に採用されたのは4月半ばだった。
小平は「初任給で家族を食事に連れていけました」とうれしそうに話していた。
 何よりもスケートが大好きで純粋だ。

〔小平奈緒、五輪新で金 スピード500m 日本女子で初〕
〔女王小平、圧巻V 「低く鋭く速く」重圧乗り越え〕女子500 五輪新36秒94
【小平、コーチとの13年成就 理論体現 滑り変える】
・小平は社会人になっても引き続き指導を受けるため、実業団には進まなかった。

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①小平奈緒、五輪新で金 スピード500m 日本女子で初
朝日新聞DIGITAL稲崎航一 2018年2月18日22時05分

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②女子500メートルを制し、セレモニーで声援に応える小平奈緒=林敏行撮影

【「朝日新聞で雇ってください。このままじゃ、ニートスケーターで……」】 長野・エムウェーブでの練習の帰りだった。

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③バンクーバー五輪を1シーズン後に控えた2008年12月。
駐車場を歩きながら、小平奈緒が少しおどけて切り出した。
 「朝日新聞で雇ってください。このままじゃ、ニートスケーターで……」

 小平は当時、信州大教育学部4年。
将来は「先生になってスケートの楽しさを伝えたい」という夢はあったが、師事する結城匡啓(まさひろ)コーチのもとで、まだ競技を続けたかった。
だが、4年生の冬になっても就職先が決まらない。
4カ月前の北京五輪で有名になったフェンシング・太田雄貴の「ニート剣士」をもじって自虐的に笑った。
 長野の地元紙には、スケルトンで五輪に出場した記者がいた。

そんなことも話題にしながら、小平は言った。
「私、自分で滑って自分で記事を書きます」
 本気で記者になりたかったわけではないだろう。
ただただ、競技への一途な思いが伝わってきた。


 彼女の希望は長野で競技を続けること。
私は地元放送局の関係者に相談はしてみたものの、結局力になれなかった。
卒業時も就職は決まらず、小平の両親は「1年ぐらいは面倒を見ようと思った」。
治療やリハビリをした縁もあって、松本市の相沢病院に採用されたのは4月半ばだった。
小平は「初任給で家族を食事に連れていけました」とうれしそうに話していた。

 何よりもスケートが大好きで純粋だ。
卒論のテーマもスケートの動作解析。
「何時間でも滑っていたい。映像もすり切れるほど見る」。
その情熱を受け止めてくれる職場が見つかり、才能が開花した。
バンクーバーでは団体追い抜きで銀メダル。
ソチ五輪はメダルを逃し、涙を流した。
単身オランダに留学し、力をつけた。
 好きな言葉は「勇往邁進(ゆうおうまいしん)」。

強豪校ではなく、スケート部のない高校に進んで同好会で活動し、実業団の誘いを断って大学へ進んだ。
選手生命の危機でもあきらめず、決めた道を真っすぐ進んできた。
その先に、金色に輝くメダルが待っていた。(稲崎航一)

〔小平奈緒、五輪新で金 スピード500m 日本女子で初〕

朝日新聞DIGITAL2018年2月18日21時37分

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④女子500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒=林敏行撮影
 平昌五輪第10日は18日、スピードスケート女子500メートルがあり、日本の小平奈緒(31)=相沢病院=が五輪新の36秒94で1位となり、1000メートルの銀に続き、金メダルを獲得した。
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⑤女子500メートルを五輪新記録でゴールし、ガッツポーズする小平奈緒=18日、江陵オーバル、林敏行撮影

スピードスケートで日本女子が金メダルを獲得したのは史上初。五輪のこの種目で日本勢がメダルを取ったのは、1998年長野五輪で銅だった岡崎朋美以来。
 平昌五輪第10日は18日、スピードスケート女子500メートルがあり、日本の小平奈緒(31)=相沢病院=が五輪新の36秒94で1位となり、1000メートルの銀に続き、金メダルを獲得した。スピードスケートで日本女子が金メダルを獲得したのは史上初。
〔女王小平、圧巻V 「低く鋭く速く」重圧乗り越え〕女子500 五輪新36秒94
2018/2/19 0:40
 国内外24連勝、「金メダル大本命」の看板に偽りなしだった。
日ごろから「ライバルは自分自身」「日々、自分超え」と自らに言い聞かせてきた小平が、大一番で最高の滑りを見せた。

小平「金」 圧巻の強さ
 スピードスケート女子500メートルで小平奈緒が36秒94の五輪新記録で金メダルを獲得した。
金メダルはスピードスケート日本女子初の快挙だ。
 第14組のインスタート。
スタートから飛び出し100メートルを10秒26の好タイムで通過すると、爆発的な伸びを見せる。
低く、鋭く、速く。豪快な滑りはバックストレートで一気に加速した。
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⑥疾走する小平=山本博文撮影
 最終コーナーの位置取りも無駄がない。
武器の左足をぐっと倒して遠心力に耐えた。
最後の直線も最終盤でさらにひと伸びして駆け抜けた。
低地リンクで初めて37秒台の壁を破る36秒94の五輪新記録。
タイムを確認すると、両腕を突き上げてガッツポーズだ。
「周りが何も見えないくらい、うれしかった」。
重圧という内なる敵を破り、最強を証明した。
 小平よりもスケートを愛している人はいないのではないか、と思えるほど、探究心旺盛に競技と向き合ってきた。
小学5年の時に地元で開催された1998年長野五輪の女子500メートルのビデオはテープが擦り切れるほど見た。
「『岡崎朋美、38秒55』のナレーションがいつも頭の中に流れている感じだった」
 どうしたら速く滑れるのか――。
子供の頃からそのことばかり考えてきた。
日常生活からもスケートにつながる何かを探し出し、信州大の卒業論文では強豪選手がカーブを回る際の重心の位置や関節の角度を研究。
飛躍のきっかけとなったオランダの武者修行も学生時代から海外のスケートに興味があったからだ。
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⑦日の丸を掲げリンクを回る
 「小平は根がスケート」と語ったことがある結城匡啓コーチは、「あるとき『私はもうやり切りましたと言って終わることはないと思う』と話していた。勝ったレースでも『次はこれをやりたい』と言ってくる」と好奇心に驚く。
当の本人は31歳になった今も「完璧なスケートって一生出合えないと思う。すごく毎日が新鮮」。
スケートのことを考えているときが一番楽しいという。類いまれな探究心、速くなりたいという純真な思いが原動力となっている。
 長野五輪から20年。
テレビで見た金メダルの清水宏保、銅の岡崎朋美のレースに興奮し、会場が一つになって沸き立つ光景を目に焼き付けた。
「あの感動が、一年一年私を成長させてくれた。あのとき感じた思い、清水選手、岡崎選手が見ていた景色を今度は私が見てみたい」。
みんなで喜びを分かち合う歓喜の瞬間を夢に見続け、今度は自ら感動を日本に届けた。
スケートのことを考え抜き、努力を積み重ねてきた小平に、スケートの神様は金メダルをプレゼントした。

【小平、コーチとの13年成就 理論体現 滑り変える】
2018/2/19 11:45
・小平は社会人になっても引き続き指導を受けるため、実業団には進まなかった。
・2人の関係に変化が訪れたのはオランダの武者修行。

 18日に行われたスピードスケートの女子500メートルは小平奈緒(31、相沢病院)が36秒94の五輪新記録をマークして金メダルを獲得した。
信州大時代から師事してきた結城匡啓コーチ(52、信州大教授)と二人三脚で頂点を目指し10年以上。
スピードスケート日本女子初の偉業という最高の形となって成就した。
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⑧金メダルを獲得した小平(左)と結城コーチ=山本博文撮影

 「このままでは絶対に世界はない」。
2005年、信州大に入学した小平に結城コーチはきっぱり伝えた。
1998年長野五輪男子500メートル金メダルの清水宏保を指導した理論派コーチが受けた当時の小平の印象は「下手くそ。ただ氷の表面をなめて足を伸ばしているだけで、いわゆるガチャガチャ滑り。ひどい滑りをしていると思った」。

 滑りを変える必要性を説くと、小平は「先生、私もそれがしたいんです」と目を輝かせた。
高校生の時に信州大の練習を見て「考えることが見えるチーム。私もそこでやりたい」と進路を定めた。
だから進学してからは結城コーチの理論を貪欲に吸収していった。
 関節の角度や重心の位置、ペース配分といった目指すべき課題を科学的に学び、映像を見ながら技術討論会を実施。
互いの感覚のズレを防ぐため、「共通言語」をつくって、学んだ技術を確実に再現できるようにもした。

小平は社会人になっても引き続き指導を受けるため、実業団には進まなかった。
長野県内で支援してくれる相沢病院がようやく見つかり、卒業後もタッグを組んだ。


 理論を体現して10年バンクーバー五輪の団体追い抜きで銀メダルを獲得し、国内敵なしとなったが、世界では結果を残せず、14年ソチ五輪でもメダルには届かなかった。
2人の関係に変化が訪れたのはオランダの武者修行。
覚悟を決めて1人で海外に行き、2年間自分と向き合ってきたことで、小平が一本立ちするようになった。
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⑨金メダル獲得から一夜明け、1000メートルの銀メダルを手に笑顔の小平
 「より自分の考えに迷いなく結城先生と接することができるようになった。それまでは自分で決めきれない部分があって、『先生これどうすればいい?』という感じだったけど、今は『こうしたいんです』と意見を言えるようになった」。
コミュニケーションがさらに密になり、スケートの考え方が深化した。

 オランダから帰国した一昨年の春、平昌まで2人で「22カ月計画」をつくり上げた。
結城コーチによる綿密な練習計画、最新の科学知見に加え、小平の要望も受け入れ、練習量が少なかったオランダを教訓に男子並みの高強度のトレーニングも行った。
そこから500メートルの連勝街道が始まり、平昌で「25」に伸びた。
 スケート人生で最大の選択は何だったかと問われた小平はこう答えている。
「将来、結城コーチに教わることができたらいいなと、ずっと憧れてきた。合格しないと信州大に入れないので、入試のときが人生最大に緊張した日だと思う」。
結城コーチとの出会いがなければ、金メダリストは誕生しなかった。

ソチのヒロイン:小平奈緒(スピードスケート)
2014年01月31日
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⑩静かにするようジェスチャーで示す
【スピードスケートW杯長野大会】女子500メートルで2位となった小平。ゴール後、祝福するスタンドの人々に微笑みながらも、次のレースのために静かにするようジェスチャーで示す=長野市のエムウェーブで2012年12月8日、山本晋撮影
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⑪女子500メートルで金メダルを獲得し、銀メダルの韓国の李相花(左)と肩を並べてスタンドの歓声に応える小平奈緒
【平蔵の独り言】
 彼女の希望は長野で競技を続けること。
私は地元放送局の関係者に相談はしてみたものの、結局力になれなかった。
卒業時も就職は決まらず、小平の両親は「1年ぐらいは面倒を見ようと思った」。
治療やリハビリをした縁もあって、松本市の相沢病院に採用されたのは4月半ばだった。
小平は「初任給で家族を食事に連れていけました」とうれしそうに話していた。
【独り言】
小平奈緒、五輪新で金 スピード500m 日本女子で初
平昌五輪第10日は18日、スピードスケート女子500メートルがなければ、
小平奈緒の静かにするようジェスチャーで示す
相沢病院(小平は社会人になっても引き続き指導を受けるため、実業団には進まなかった。)
中央日報によると、小平と李相花は約20分間、英語に日本語と韓国語を交えて語り合った。氷上ではライバルとして火花を散らす2人だが、3歳年下の李相花は小平を「ねえ」「ナオ」と呼んで甘えた。小平も李相花を「サンファ」とファーストネームで呼ぶなど、「メディアで紹介されていた以上に仲が良かった」(中央日報)という。

他の選手と同じ道(日本の今、企業の使い捨て文化)を歩いていたら、なかったのだろう。


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# by asanogawa-garou | 2018-03-22 14:21 | 今 今日この頃 | Comments(0)

〔カーリング本橋麻里〕カーリングの魅力を聞くと、にわかに表情が輝いた。「難しさです」「最近は、本当にカーリングが好きなのか、分からないと感じることもありました。だから、カーリングの楽しさだけを」   

2018年 03月 09日
〔カーリング本橋麻里〕カーリングの魅力を聞くと、にわかに表情が輝いた。「難しさです」
「最近は、本当にカーリングが好きなのか、分からないと感じることもありました。だから、カーリングの楽しさだけを教えてくれた故郷へ帰ります」
〔主将マリリン、裏方も全力 チーム創設、カーリングで銅〕

〔本橋さんのカーリング愛〕
「最近は、本当にカーリングが好きなのか、分からないと感じることもありました。
だから、カーリングの楽しさだけを教えてくれた故郷へ帰ります。
ゲームに勝つためだけでなく、その素晴らしさを体感し、伝えられるそんなチームを自分の手で作ります」

〔日本カーリング女子〕涙の銅メダル 3位決定戦で英国を下す 吉田知「新しい歴史」
(本橋麻里は06年のトリノ、10年のバンクーバーでは「チーム青森」として出場していたが「“北見から世界へ”というチームを作りたい」といった思いから「チーム青森」を離れ、LS北見を創設したという。)
カーリング女子、「おやつタイム」「北海道弁」に癒され男子続出「#そだね~」も登場
カーリング女子「そだねージャパン」が本当に仲良しだとわかる証拠写真

〔主将マリリン、裏方も全力 チーム創設、カーリングで銅〕


渡辺芳枝2018年2月25日05時00分
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①英国との3位決定戦を前に、談笑する本橋麻里(右から3人目)ら日本の選手たち=24日、江陵カーリングセンター、北村玲奈撮影
(24日 平昌五輪カーリング女子3位決定戦)

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②銅メダルを獲得し、喜ぶ(左から)吉田知、藤沢、本橋、鈴木、吉田夕=24日、江陵カーリングセンター、白井伸洋撮影

 銅メダルを獲得したカーリング女子のLS北見の正式名称は、ロコ・ソラーレ北見。北海道常呂(ところ)町(現北見市)の「常呂っ子」の「ロコ」と、イタリア語で太陽を意味する「ソラーレ」を組み合わた言葉だ。考えたのは、本橋麻里(31)。チーム創始者で主将でありながら、今回は裏方に回り、「太陽の常呂っ子」たちを見守った。
 「私の仕事を全力でやるだけ。じゃなきゃ、ここにいない方がいい」と本橋。五輪期間中、午後11時半ごろからの公式練習で、1人で黙々と石を投げた。翌日試合で使う石の滑り具合をチェックし、誰にどの石を使わせるかを考えるためだ。勝った日は自身の取材を短めに切り上げ、敗れた日は一手に引き受ける。出発前には、間食用のリンゴの皮をむくこともあった。
 常呂町出身。「マリリン」の愛称で人気を集め、長くカーリング界を引っ張ってきた。
2010年バンクーバー五輪にチーム青森で一緒に出場した目黒萌絵さん(33)は「昔は自分の作戦が通らないと態度に出す“困ったちゃん”なところもあった」と笑う。
本橋自身も「いらいらして、すごくめんどくさい選手だった。とげとげしている人、と思われていたはず」。
 本橋は2度の五輪出場で感じたことがあった。
「カーリングしかしないというのが日本のスタイル。それには限界がある」。家族を作り、楽しんで競技に打ち込む海外トップチームの姿を見て、「とてもかなわない」と打ちのめされた。
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③銅メダルを手にしたLS北見。スタンドからの祝福に応える本橋麻里(中央) 日本は現在、カーリングフィーバーだ。その中心にいる本橋は喜び、まずは感謝の言葉を口にしながらも、これからのことを強調した。

〔カーリング本橋麻里〕カーリングの魅力を聞くと、にわかに表情が輝いた。「難しさです」
〔本橋さんのカーリング愛〕
「最近は、本当にカーリングが好きなのか、分からないと感じることもありました。
だから、カーリングの楽しさだけを教えてくれた故郷へ帰ります。
ゲームに勝つためだけでなく、その素晴らしさを体感し、伝えられるそんなチームを自分の手で作ります」

本橋さんが2010年の夏に作った新チーム
『ロコ・ソラーレ(太陽の常呂(ところ)っ子を意味する造語)北見』
は彼女の出身地・常呂町を拠点とし、同郷のメンバーが集まった。

「欧州や北欧の選手は、家族を持ち、年を経て、よりカーリング選手へと成長しています。
私も生涯カーリングを愛し、楽しむ選手になりたいです」
その通り、本橋さんは結婚し、男の子の母親になった。

何より、彼女が作り五輪代表になったLS北見はカーリングの楽しさを伝えるアイコンになっている。
夢を叶えた本橋さんの、力強い言葉が忘れられない。
「40代になっても50代になっても鮮やかにストーンを投げる第一線の選手でいたいです」

〔平昌五輪〕カーリング女子日本代表(LS北見)
連日伝えられた勇敢かつ愛らしい姿に、心を射貫かれた人は数知れない。
銅メダル奪取の喜び以上に、藤澤五月さん、吉田夕梨花さん、鈴木夕湖さん、吉田知那美さんの類い希な集中力、そして献身的なプレーと可憐な明るさがカーリングという北国の競技を「やってみたいスポーツ」へと一気に押し上げた。

〔氷上のチェス〕氷上のチェスと呼ばれるカーリングが五輪の正式競技になったのは、1998年の長野五輪。
そこから6大会連続で挑んだ女子代表が叶えた悲願。
表彰台で弾ける笑顔を見せたメンバーは「4年に1度のカーリング」を、返上する存在となった。
このチームを支えメダルを導いたのは、サブメンバーの本橋麻里さん(31)である。
私が、本橋さんに初めて会ったのは、「マリリン」というニックネームで人気になった2006年トリノ五輪の直後だった。
「7位入賞がやっとの自分が人気者になるなんて思ってもいなかった」と開口一番語る本橋さんは、カメラを向けられることに慣れず、自然に笑顔を見せられない、と戸惑う19歳の短大生だった。

シャイな彼女に、カーリングの魅力を聞くと、にわかに表情が輝いた。
「難しさです」
そうきっぱりと言った本橋さんは、私にこう説明してくれた。

「カーリングは、点数を争うゲームですが、対戦チームとの駆け引きが不可欠です。
相手のストーンに当て、進路をふさぐ場所に投げ、激しい攻防を繰り返します。数センチ、時には数ミリが勝負を分けます」

もちろん、激しい頭脳戦はストーンの速度や方向をコントロールする高度な技術を前提としている。

「氷は時間とともにどんどん溶けていきますから、一瞬一瞬、状況判断をしなければなりません。一秒でも気を抜いたほうが負けるんです」
ストイックに競技に臨む本橋さんは、「勝利こそすべて」と自分を追い込み、バンクーバー五輪でも代表として戦った。
けれど結果は8位。

その後に会った彼女から思いもよらぬ胸の内を聞いた。
「最近は、本当にカーリングが好きなのか、分からないと感じることもありました。だから、カーリングの楽しさだけを教えてくれた故郷へ帰ります」

【五輪メダル悲願叶え】
小松成美の情熱取材ノート(こまつ・なるみ=作家)
2018年(平成30年)3月2日北國新聞(夕刊)


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〔日本カーリング女子〕涙の銅メダル 3位決定戦で英国を下す 吉田知「新しい歴史」
(本橋麻里は06年のトリノ、10年のバンクーバーでは「チーム青森」として出場していたが「“北見から世界へ”というチームを作りたい」といった思いから「チーム青森」を離れ、LS北見を創設したという。)

【平昌五輪】カーリング女子、銅メダル 3位決定戦で英国破る 2018.2.24 22:43更新
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⑤ カーリング女子3位決定戦日本対イギリス 銅メダルを獲得、笑顔で日の丸を掲げる藤沢五月ら=24日、江陵カーリングセンター(撮影・松永渉平)

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⑥平昌冬季五輪のカーリング女子で銅メダルを獲得し、スタンドの歓声に笑顔で応える(左から)吉田夕、吉田知、藤沢、鈴木、本橋(共同)
そだねージャパン「まだまだ強くなれる」喜び・今後語る
2018年2月26日21時29分

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⑦記者会見後、記念撮影に応じるカーリング女子の選手たち=26日午後、東京都港区、小玉重隆撮影
 平昌五輪で日本のカーリング界初のメダルとなる銅を獲得したLS北見の藤沢五月、吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、本橋麻里の5選手は26日、帰国後に東京都内で選手団の記者会見に出席し、メダル獲得の喜びとこれからのカーリング界について語った。
 サードの吉田知那美は「私たち一人一人だと口にも出せず秘めていたオリンピックメダリストという夢は、5人集まると目標になり一つの現実になったんだなあ」と振り返った。
また、スキップの藤沢五月は「メディアの方々がメダル獲得予想をしているなかで、カーリングって競技が出ていなかったことに若干悔しさもあり、若干気持ち的にも楽にできるなと色んな気持ちがあった。今となっては楽しい期間でした」と笑顔を見せた。

 裏方に徹した本橋麻里は初めて出場した2006年のトリノ五輪からの12年間を思い起こしていた。
「この場にメダリストとしていられることに感謝したい。スポンサーや家族にも感謝。銅メダルの意味として歴史的快挙もあるが、がんばったね、まだまだがんばれるね、という色なのかなと思う」と話した。

 カーリングは1998年の長野五輪で正式種目となってから日本としてはメダル獲得まで20年かかった。
セカンドの鈴木夕湖は「まだまだ強くなれると思った大会だった」という。リードの吉田夕梨花はカーリング界について、「まだまだマイナースポーツで、4年に一度のスポーツと言われていますが、常に注目されるスポーツにしたい。
また、子どもたちにも是非、始めてもらいたいなあという思いがある」と語った。

カーリング女子、「おやつタイム」「北海道弁」に癒され男子続出「#そだね~」も登場2018年2月21日7時0分 スポーツ報知
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⑧20日の英国戦で本橋の切ったリンゴを食べながら作戦を練る日本のLS北見の選手ら=樫山晃生撮影

 準決勝進出が期待されるカーリング女子日本代表が、休憩時の「おやつタイム」や作戦会議中に話す北海道弁がインターネット上などで「カワイイ」と注目を集めている。
 メンバー5人はいずれも北見市出身。
この日の試合中にも、語尾を上げる独特の口調で、
「こっちいってみよっか? どうだ~い?」
「うん、そだね~(そうだね)。やってみよ~」
とストーンの方向についてディスカッションしていた。

 もちろん、本人たちはいたって真剣だが、
「これだと押ささる(押されてしまう)よね~」
「したっけ(そうしたら)さ~」
と試行錯誤する姿がお茶の間で「癒やされる」と話題に。
SNS上では「#そだねー」という専門のハッシュタグ(検索をスムーズにするタグ機能)まで登場した。
 「そだねー」ブームはジワジワ浸透中。
北海道・小樽市出身の極楽とんぼ・加藤浩次(48)も、この日放送の日本テレビ系「スッキリ」(月~金曜・前8時)で
「北海道弁、いいよね。『そだねー、したっけねー、バイバーイ』って言いたくなる」と共感していた。


「藤沢、『そだねー』反響に「なまっていることに気が付かなかった」/カーリング
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⑨3位決定戦から一夜明け、会見に臨むカーリング女子の藤沢五月=韓国・平昌(撮影・早坂洋祐)【拡大】
 平昌五輪最終日(25日、江陵カーリングセンター)カーリング女子の3位決定戦で英国に逆転勝ちし、男女通じて日本初の表彰台に上ったLS北見の日本は、一夜明けた25日、メダル授与式に出席し、選手たちは銅メダルを胸に笑顔を見せた。
 試合中に交わされる「そだねー(そうだね)」の相づちや第5エンド終了後、7分間の休憩時間でおやつを食べる通称“もぐもぐタイム”は大きな話題を呼んだ。
 藤沢は「大会の後半になって、そういう呼ばれ方をしているのを知った」。
 北海道なまりでの掛け合いについては「みんなが北海道出身なので、自然にしゃべっているのが目立ってしまった。
なまっていることに気が付かなかった」と、藤沢は苦笑いを浮かべていた。

カーリング女子「そだねージャパン」が本当に仲良しだとわかる証拠写真

カーリング女子日本代表「LS北見」。
2月24日夜に銅メダルをかけてイギリスと戦います。

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⑩左から本橋麻里、吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、藤沢五月
メンバー全員が北海道北見市出身の「LS北見」は結成8年目。
五輪に2度出場した本橋麻里主将(31)が、世界を目指してゼロから立ち上げたチームです。

【平蔵の独り言】
「最近は、本当にカーリングが好きなのか、分からないと感じることもありました。だから、カーリングの楽しさだけを教えてくれた故郷へ帰ります」
【独り言】
カーリング? どんな競技、ベスト4で準決勝の対戦相手(予選1位通過の韓国と4位の日本)マスコミの注目度が上がって、「LS北見」
“うーん”と思いながら見ていた(カーリングのゲームの理解が???)
3位決定戦に勝って、「そだね」「もぐもぐタイム」

帰国して、女満別空港、北見市常呂町カーリングホールの中継
古稀を迎えネガティブに過ごしていたが、新しい出来事に遭遇した!
『そだねー』の笑顔がいい!



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# by asanogawa-garou | 2018-03-09 16:27 | 今 今日この頃 | Comments(0)

〔ちょっと一休み〕マリリン・モンローのスカートの下でパンチラ雨宿り、〔鞍馬天狗の鼻が「なんてキュートなの!」〕   

2018年 02月 20日
〔ちょっと一休み〕マリリン・モンローのスカートの下でパンチラ雨宿り、〔鞍馬天狗の鼻が「なんてキュートなの!」〕

マリリン・モンローのスカートの下でパンチラ雨宿り
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みんな一丸となって、マリリン・モンローのスカートの下で雨宿りをしています。
雨宿りのために造られたわけではないので、この光景はなんとも複雑ですよね。
しかし、スカートの幅が大きいので、確かに雨宿りには最適な場所なのかもしれません。

『七年目の浮気』
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「七年目の浮気」(原題:The Seven Year Itch)は、1955年のアメリカ映画。監督・脚本は名匠ビリー・ワイルダー。
主演は「ナイアガラ」、「帰らざる河」のマリリン・モンロー。

【平蔵の独り言】
このようなユーモアを込めた時代、終戦後10年に映像(これは観ていない)
「帰らざる河」マリリン・モンロー(これは名画座で)
それが現在 形を変えて、楽しんでいる。

それにしてもこの1,2年(人物を追っかけないで、不倫・・・・・)
ワイドショーも週刊文春まで “下品”「ほっとけ!」


〔鞍馬天狗の鼻が「なんてキュートなの!」〕
エキサイト・コラム2017年02月04日 18:37
外国人「京都の天狗像の鼻が折れてしまったけど…応急処置のしかたがキュート!」
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⑤京都の鞍馬駅前には、大きな天狗のオブジェがあるのですが、
先日降った雪の重みで、鼻が根元からポキリと折れてしまいました。
補修されるまでの間、応急措置がされたのですが……。
その姿が「なんてキュートなの!」と、外国人に受けていました。
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⑥なんと、折れた鼻の部分にペタっと絆創膏!
痛々しかった姿が、絆創膏1枚貼っただけで愛嬌のある顔に。
しばらくこのままでもいいのではと思うくらいです。
ちなみに鼻の部分は発泡スチロール製で耐久性は低いようです。
海外の反応をご紹介します。
●なんてかわいらしいんだ……。

●これは京都だね。

●これが気に入っている。早く良くなりますように。

●それは鞍馬天狗の像だよ。
治療中って書いてあるので、良い外科医に治してもらえますように。

●ハハハ、そんなすごい雪じゃなかったから、しっかりした鼻じゃなかったんだな。

↑カメラでずっと監視してるわけじゃないからさ。
仮に誰が壊したってわからないさ。

↑あるいは水が入って腐ったのかもだ。

●なるほど、こうやってピノキオは普通の少年になったんだ。
雪が積もるまで鼻が折れるのを待ったんだ。

●これを見に日本に行くぞ。

●鼻が付いているときに見られてよかった。

●もしかして新しい形の鼻をもらうのかな。

トラブルによって注目度も人気も上がった鞍馬天狗。
機転ひとつでプラスに転じるものですね。
でも新しい鼻は、そう簡単に折れないものを期待します。
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【平蔵の独り言】
その姿が「なんてキュートなの!」と、外国人に受けていました。

ホッと、楽しく感じることを探していたら、あった。
外国人の感性が「なんてキュートなの!」



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# by asanogawa-garou | 2018-02-20 16:07 | 今 今日この頃 | Comments(0)