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NHK・堀アナを退職に追い込んだ“オトナの事情”   

2013年 03月 26日
NHK・堀アナを退職に追い込んだ“オトナの事情”
【見返りを求めず誰かのために仕事をする気持ちを取り戻そう】
日経ビジネス(河合薫)2013年3月26日(火)
組織の常識は、時に社会の常識とかけ離れていることだってある。
使い勝手のいい言葉で表現すれば、「オトナの事情」とでも言うのだろうか。
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4月1日付でNHKを退社することになった堀潤アナ

NHK堀アナ退職へ 震災報道めぐりツイッターで不満表明
・堀アナは今月11日、ツイッターで、東日本大震災当日のNHKの報道について、
文部科学省の方針に沿って自らのデータ報道をとりやめたと指摘した上で
「自らあの日ニューススタジオにいながら、そうした事実を伝えられなかったことに対し、心から謝罪します」と記述。
・「震災から2年。原発事故発生のあの日私たちNHKはSPEEDIの存在を知りながら『精度の信頼性に欠ける』とした文部科学省の方針に沿って、自らデータを報道することを取りやめた。
国民の生命、財産を守る公共放送の役割を果たさなかった。
私たちの不作為を徹底的に反省し謝罪しなければならない」

〔オトナの事情に反旗を翻した〕
 少なくとも堀アナは、NHKという会社の肩書を捨てて、
自らのミッションを全うする道を選択したのだから、それだけでも偉いと思う。
長い物に巻かれるのではなく、
“人の役に立つ情報を伝える”というミッションを果たそうと、一歩踏み出した。
できそうで、できないこと。だから、「頑張れ!」と、私はエールを送りたい。


〔「人を思う」気持ちに結果はない〕
「人の役に立つことが、いかに難しいか」ということを、
長年働いていると感じることも多いわけで。
「人のために」と頑張った仕事が、すべての人の役に立つかというと、
そううまくいくものでもない。
 自分では「良かれ」と思ってやったのに全く感謝されなかったり、
逆に相手を傷つけてしまうこともある。
役に立った時に得られる満足感や心地よさとは裏腹に、
思い通りの反応が得られないと、怒りにも似た感情を抱く可能性だってある。

〔自責の念にとらわれた女子高生を救ったもの〕
「私はさいがいFMに救われました。自分にもできることがある。
生きている意味がある、自分にも役目がある。そう思えたんです」。

当時のことを彼女はそう話してくれた。
ラジオの仕事は完全なるボランティア。
ギリギリの資金で運営をしている事情もあって、
「彼女たちには、飯をおごることくらいしかできなかった」と代表の方は言う。

〔ピュアな思いには人を揺さぶる力がある〕
社会に何かしら役に立った時に得られる満足感は、とてつもなく心地いい。
 だが、彼女の“夢”は、決してその心地よさを求めてはいない。
 そこにあるのは、自分の仕事の先にいる人を思いやる、温かくて優しい強い気持ち。
それだけだ。
 ひたすら人を思い、思い続ける。自分も経験した情報がない怖さを、抱いてはないか?
同じ目線で思いやる、温かいピュアな思い。
 そんな優しさと強さを、私たちオトナは忘れてはいないだろうか?

【見返りを求めず誰かのために仕事をする気持ちを取り戻そう】
日経ビジネス(河合薫)2013年3月26日(火)
 今回は、「誰かを思い、仕事をしているか?」ということについて、考えてみる。
 いきなり「質問系」で、いったい誰に問うているんだ? って感じではあるのだが。
自問自答も含めて書き進めてみるので、どうかお付き合いを。
 先週、NHKの若手アナウンサーの退職が話題となった。
ご存じの方も多いかと思うのだが、以下は報じられた内容の抜粋である。

 NHKのニュース番組「ニュースウオッチ9」のリポーターなどを務めた堀潤アナウンサー(35)が退職することが19日、分かった。
NHKによると、堀アナは「一身上の都合」とした上で「インターネットを使った次世代の情報発信方法を確立したい」と説明したという。
 堀アナは昨年6月から米国の大学に留学。
東京電力福島第1原発事故などを題材にしたドキュメンタリー映画を製作し、現地で映画の市民向け上映会を企画したが、
NHKは「留学の成果を大学外部で上映することは留学の目的から逸脱しており、認められない。映画の内容は問題にしていない」と、上映会を認めなかった。

 また、堀アナは今月11日、ツイッターで、東日本大震災当日のNHKの報道について、
文部科学省の方針に沿って自らのデータ報道をとりやめたと指摘した上で
「自らあの日ニューススタジオにいながら、そうした事実を伝えられなかったことに対し、心から謝罪します」と記述。
また、「公の場では意見を言わないようにと局は求めます」などと局内のやりとりも明かしていた。

ツイートに込められた本人の思い
 この報道がなされるまで堀アナの存在も(申し訳ない)、
退職するまでのいきさつもあまり知らなかったのだが、文科省の方針(=「そうした事実」)とは、堀アナのツイートによれば放射性物質の拡散予測システム(SPEEDI)を指しているらしい(以下、ネットで出回っている本人のツイート)。
 「震災から2年。原発事故発生のあの日私たちNHKはSPEEDIの存在を知りながら
『精度の信頼性に欠ける』とした文部科学省の方針に沿って、
自らデータを報道することを取りやめた。
国民の生命、財産を守る公共放送の役割を果たさなかった。
私たちの不作為を徹底的に反省し謝罪しなければならない」

 映画の上映についても次のようにツイートしている。
 「僕がUCLAで作った映画が局内で大問題になり、
ロスで米国市民の皆さんが企画した上映会も中止に追い込まれました。
『反原発と言われるものは困る』と指摘を受けましたが、事故が起きたことによる不条理な現状を描いているに過ぎません。
市民が共有し未来に活かさなくてはならないものです」

 また、退職に至った理由についてはフェイスブック上で、
「会社側から『春以降、担当番組はない』と告げられ懲戒処分の検討が始まっていて、
先手を打って退職を選択した」
と記しているとも報じられている。

 さて、これらを見て、あなたはどう感じただろうか?
「久々に気骨のあるジャーナリストだな」「勇気あるよね。頑張れ!」と、エールを送る。
「メディアはホントのことなんか報じてないぞ」「しょせん、政府の発表垂れ流しだもんな」
「NHKだけじゃないっしょ。大手メディアはみんな同じ」と、メディア批判をする。
 あるいは、「組織に都合の悪いヤツは干される。だから、いづらくなった。ただそれだけだよ」と、仕方がないと冷ややかに捉える。

 ネットでも、私の周りでも、意見は様々だった。
 で、私はというと…、確かにメディアの報道の仕方や、
話題の取り上げ方に疑問を持ったことは、これまでにも何度かあった。
それは何も原発問題に限ったことではない。
 コラムでも書いたシングル女性の貧困問題や労働者の最低賃金、
さらには、原発で汚染された海水問題などなど、
「なぜ、もっと大々的に報じないんだ?」と感じたことがあった。

 ただ、いかなる業種、いかなる企業であれ、組織の論理、というものがあるのもまた事実。
組織の常識は、時に社会の常識とかけ離れていることだってある。
使い勝手のいい言葉で表現すれば、「オトナの事情」とでも言うのだろうか。

〔オトナの事情に反旗を翻した〕
 いずれにしても、彼については報道されている以上のことは分からないし、
彼の人柄を直接知っているわけでもない。

だから想像の域を脱することはできないのだが、
多分、堀アナはそういった“事情”は重々承知のうえで、
「自分たちがやっていることは、誰に向けたものなのか?
 本当に情報を求めている人たちの役に立っているのだろうか?」
と問い続けていたのだと思う。

 世の中には、そういった“オトナの事情”に疑問を抱きながら、会社の肩書を捨てることなく、
都合よく会社を利用するだけ利用して批判する人たちもいる。

そういう人たちは決まって、自分だけは「別」と言わんばかりに「ウチの会社はこんなアホなことやっている。許せない」と会社を罵倒するばかりで、何もしない。

 少なくとも堀アナは、NHKという会社の肩書を捨てて、自らのミッションを全うする道を選択したのだから、それだけでも偉いと思う。
長い物に巻かれるのではなく、“人の役に立つ情報を伝える”というミッションを果たそうと、一歩踏み出した。
できそうで、できないこと。だから、「頑張れ!」と、私はエールを送りたい。
 そして、彼の退職劇で、私も「そうありたい」と改めて思った。

 ただ、ものすごく正直な気持ちを言うと、ほんの少しだけ胸に引っかかるものも感じた。
つまり、その何と言うか、「人の役に立つことが、いかに難しいか」ということを、長年働いていると感じることも多いわけで。
「人のために」と頑張った仕事が、すべての人の役に立つかというと、そううまくいくものでもない。
 自分では「良かれ」と思ってやったのに全く感謝されなかったり、逆に相手を傷つけてしまうこともある。
役に立った時に得られる満足感や心地よさとは裏腹に、思い通りの反応が得られないと、
怒りにも似た感情を抱く可能性だってある。

 例えば、女性が(男性でもいいが)、「なぜ分かってくれないの? 私は、あなたのためにやってるのよ!」と怒るのは、大抵期待した通りのリアクション(=対価)が得られなかった時だ。
 恋愛と仕事は別と言ってしまえばそれまでだし、「青い!」と一刀両断されてしまうとそれまでなのだが、人間って自分でも情けなくなるくらい自分勝手な感情に振り回されることってあるわけで。
「人の役に立ちたい」という気持ちが、自己満足のためになってしまう危険性は捨てきれない、と思うのだ。
 数年前から若い世代で社会貢献熱が高まり、「誰かの役に立ちたい」と入社しながらも、
1年もたたないうちに、「やりがいのある仕事をやらせてもらえなかった」と辞めてしまう人たちが多いのも、対価への過剰な期待感が原因の1つにあるんじゃないかと思ったりもする。

〔「人を思う」気持ちに結果はない〕
 そもそも、「役に立ったかどうか」を決めるのは、受け手だ。
 なので、堀アナにはできることなら、自分の目で見て、耳で聞き、感じた、生きた情報を届けたい“人”を思いやる気持ちだけを大切にして、ミッションを遂行してほしい。
ただただ視聴者を“思う”ピュアな気持ちを忘れずに、発信してほしい。
なんてことを、老婆心ながら勝手に願っているのである。
 とまぁ、「堀アナに……」なんて偉そうに書きながら、自分自身にも言い聞かせているのです。
オトナになると不覚にも“オトナの事情”に巻かれてしまいそうになったり、
自分にばかりベクトルが向き、ギョッとすることもあるわけで。
 「でもなんで、役に立ちたいじゃダメなんだ? 誰かを“思う”ことも“役に立ちたい”と思うのも同じでしょ??」
 そう思われる方もいることだろう。
 だが、どんな言葉を用いるかは極めて重要なこと。
言霊というように、気がつかないうちに言葉に心が支配されてしまったりもする。
“思う”ことと、“役に立ちたい”の決定的な違い。それは、そこに結果があるかどうかだ。
 「人の役に立ちたい」という気持ちの先には、「役に立ったかどうか」という結果がある。

 一方、「人を思う」気持ちに結果はない。その違いは、とてつもなく大きい。
 結果があるものには、どうしたって結果にこだわるのが人間の性。
見返りを求めていたわけじゃなくとも、人間の欲が顔を出す。
 その途端、「人の役に立ちたい」というピュアな優しい気持ちが、自分のためだけの欲望へと凋落する。
その埋まらない欲望とどうにか折り合いをつけるために、長い物に巻かれてしまうことだってある。
ただでさえオトナは、ピュアな気持ちを貫き通すのが苦手だ。
初心をついつい忘れてしまうのも、人間の性。
だからこそ、とにもかくにも人を“思う”気持ちをひたすら大切にした方がいいと思うのだ。

 人を“思う”気持ちが、どういうものか? その大切さを改めて考えさせられた話をしよう。
 先日、コメンテーターを務めているラジオ番組で、今月9日から宮城県石巻市や同県女川町を回り、3月11日には「女川さいがいFM」のスタジオから放送をさせていただいた。
 震災当時、被災地ではテレビも津波で流され、停電もしていたため情報不足で混乱していたそうだ。
そこで、「とにかく情報を!」という思いのもと、開設されたのが女川さいがいFMである。
「女川」という町名を使ってはいるが、町の費用負担を一切受けず、助成金や寄付金を頼りに、完全に独立したメディアとして現在も運営している。
 放送当日、女川さいがいFMで人気のパーソナリティー2人にも登場していただいた。
そのうちの1人が高校3年生の澄んだ瞳を持つかわいらしい女性だった。

〔自責の念にとらわれた女子高生を救ったもの〕
 彼女は震災孤児の1人だ。東日本大震災の震災孤児(両親ともに死亡または行方不明の子供)は240人、震災遺児(両親のどちらかが死亡または行方不明の子供)は1327人に上る(厚生労働省の調べ、2011年10月末時点)とされているが、彼女もその1人だったのである。
 幼い頃に父親を病気で亡くした彼女は、3月11日、津波にのまれた。
運よく流れされている途中で引っ張り上げられ、一命を取りとめたが、彼女のお母さんは流され、自宅も津波で失った。
祖母とともに避難所に身を寄せ、今も仮設住宅に2人で暮らしている。
 「なぜ自分だけ助かってしまったのか。母を救えなかったのか」――。
 避難所で彼女は、ずっと自分を責め続けたという。
 自責の念に襲われ、生きている意味を見失いかけた時、出合ったのがラジオだった。
たまたま同じ避難所にいた中学時代の先輩から誘われ、女川さいがいFMでパーソナリティーを務めることになったのである。
 「私はさいがいFMに救われました。自分にもできることがある。生きている意味がある、自分にも役目がある。そう思えたんです」。当時のことを彼女はそう話してくれた。
 ラジオの仕事は完全なるボランティア。
ギリギリの資金で運営をしている事情もあって、「彼女たちには、飯をおごることくらいしかできなかった」と代表の方は言う。
 だが、町を歩き回り、情報を集め、情報を伝え、その情報を頼りにしてくれる人たちがいるという事実が、彼女に、生きている意味をもたらしてくれた。

 「さいがいFMのおかげで、私には夢ができました。避難所には情報がなかった。
悪質なデマも飛び交いました。情報がないことの怖さを知りました。本当に怖かった。
だから、私には、『報道の仕事に就いて情報を発信したい』という夢ができました。
情報のない怖さを体験したからこそ、報道の仕事に就いて、真実を伝えていきたいんです」
 慰霊祭で遺族代表を務めた時、こうスピーチをした彼女は春から大学生になる。

 震災、仮設住宅という厳しくて悲しくて切ない環境で必死に頑張り、女川を離れ東京都内の大学に通うのだ。
 「東京でしっかり勉強しておいで」と送り出してくれる祖母。1人になる祖母を心配する彼女に、「おばあちゃんのことは心配しないでいいから」と言ってくれる仮設住宅の人たち。
そして、「東京の人に女川のこと、震災のこと、津波のことをもっと知ってもらいたい」という故郷を思う気持ち。
 そんな彼女と彼女の周り方たちの熱い思いを果たすために、東京で春を迎える決意をしたのである。

〔ピュアな思いには人を揺さぶる力がある〕
 彼女の夢。これこそが、誰かを思って働く、ということなんじゃないだろうか。
 情報がなくて怖い思いをしているんじゃないか?
 デマや噂に、疑心暗鬼になっていやしないだろうか?
 この情報はちゃんと伝わっているだろうか?
 頑なまでに、ピュアに、自分の仕事の先にある“人”のことを思いやる。
もちろんその先には「人の役に立ちたい」という願いがあるのだとは思う。
でも、彼女の言葉には、情報の先にある“人”を思いやる気持ちがあふれていた。
 私は、彼女の言葉を聞いた時にひたすら感動した。
無条件に魅せられた。ピュアな思いには、他人の気持ちを揺さぶる力がある。
 そして、「どれだけのオトナが彼女のような気持ちを持ちながら仕事をしているだろうか?」とも思った。もちろん自戒も込めて、だ。
 誰もがいくばくかの年月を社会で過ごすうちに、「ありがとう」と誰かから感謝されたり、「人のためになった」と感じたりする瞬間に巡り合う。
すると、「誰かのために働くのって、悪くない」と思い、時には「人(社会)の役に立つ」ことがモチベーションになることに気づかされる。「やりがい」とでも言うのだろうか。
そう。社会に何かしら役に立った時に得られる満足感は、とてつもなく心地いい。
 だが、彼女の“夢”は、決してその心地よさを求めてはいない。
 そこにあるのは、自分の仕事の先にいる人を思いやる、温かくて優しい強い気持ち。
それだけだ。
 ひたすら人を思い、思い続ける。自分も経験した情報がない怖さを、抱いてはないか?
  同じ目線で思いやる、温かいピュアな思い。
 そんな優しさと強さを、私たちオトナは忘れてはいないだろうか?

 人が何を求め、何に感謝するかは10人10色。
それはメディアであれ、メーカーであれ、サービス業であれ同じこと。
それでも必死に、「ああでもない、こうでもない。これならどうだろう?」と相手の気持ちになって試行錯誤を繰り返し、100人の人がいたとして、たった1人でもいいから、笑顔になる人がいると信じて仕事する。
 「人の役に立ちたい」とゴールを決めるのではなく、「人を思って」働くプロセスを大切にする。
 そうやって働き続ければ、結果は後からついてくる。
人を思って働いていれば、自分の仕事に意味を見いだすことだってできる。
そう信じて、働き続けることが大切なんじゃないだろうか。
 これまでにも、「有意味感(sense of meaningfulness)」、すなわち「自分のやっていることは意味がある」という感覚の重要性を取り上げたことがあったが、仕事に有意味感を持てれば、自分自身にも意味を見いだすことができるに違いない。

 自分が存在する意味、存在価値―─。
 意味を見いだせれば、仕事に誇りを持つことも、仕事に楽しさを見つけることだってできるはずだ。
 有意味感を持てれば、どんなに困難であろうとも、どうにかして前に進んでいこうと、生きる力が引き出される。まさしく、人間の生きる力の源が、有意味感なのだ。

「人を思う」企業が生き残っていく 
人の役に立つのは容易ではない。
でも、どんな仕事であれ、人を思いながら、働くことはできるだろう。
 そして、「人を思い」ながら、働いている人たちがいる会社、「人を思って」モノを作り、サービスを提供し、情報を伝える会社が、人々の支持を集め、選ばれ、生き残っていくのではないか。

 先日、東京電力福島第1原子力発電所では、停電をきっかけに使用済み燃料プールの冷却システムなどが停止したが、東電は、「ネズミ」が接触してショートさせたことが停電の原因だった可能性があることを明らかにした。
 停電を招いた問題の仮設配電盤は、2011年5月から、トラックの荷台に積まれた状態で、
屋外で使用されており、すき間からネズミなどの小動物が入り込む恐れが十分、
予測できたと専門家は話す。
 仮設配電盤は今月中にも本格的な設備に切り替える予定だったとされてはいるが、
そこに「人を思う」気持ちはあったのだろうか? とふと思う。
 誰かを思い、仕事をしていますか?
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【平蔵の独り言】
NHKの独りの若手アナウンサーの退職からこれだけの事を教えてくれた。
組織に巻かれていく処世術で生き抜いていく人も
組織からはみ出していく人も
百人百様、
何もない 程々の人生を歩む人
はみ出していく人

いい意味でも悪い意味でも
はみ出していく人のほうが魅力を発信していると思う。

by asanogawa-garou | 2013-03-26 18:13 | 人間模様 | Comments(0)