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「山本周五郎」生誕110年・息子が見た親父の背中( 特集「作家の背中」) 賞も、記念碑も拒んだ文豪   

2013年 07月 20日
「山本周五郎」生誕110年・息子が見た親父の背中( 特集「作家の背中」) 賞も、記念碑も拒んだ文豪
生涯、賞を拒み続けた作家・山本周五郎。
週刊新潮2013/7/4号


6月22日に生誕110年を迎え、
それを記念して「長編小説全集」の第一弾『樅ノ木は残った』が刊行された。

今なお、山本文学は多くの読者を魅了して止まない。
次男の清水徹氏(70)が語る親父の背中と作家の背中。
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【「主人公に話しかけても背中を向けたままで、こっちを向いてくれないんだ」】
【生涯、文学賞などの受賞を辞退しました。ハンマーでぶち壊しに行く】
【小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るもの】
【歌舞伎俳優たちに激怒】
【「西へ」どうしても、家康が書きたい】
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【「主人公に話しかけても背中を向けたままで、こっちを向いてくれないんだ」】
親父の作家としての悩みやこだわりは、今でもよく覚えています。
印象的だったのは、話が佳境へ入るほど、明け方4時頃に起き出して執筆し、
昼は酒でも飲みに行っていたでしょう。
小説のことを考えすぎて不眠症になり、睡眠薬を服用していたくらいでしたからね。
なんでそんなに悩むのか理由を聞くと、
「主人公に話しかけても背中を向けたままで、こっちを向いてくれないんだ」
親父は主人公と対話しながら物語を作っていたようです。
だから、主人公との対話がないと一行も書けずに悩んでいたのでしょう。

資料を読み込んで書き始めた『樅ノ木は残った』などは主人公と対話できた作品でした。

主人公の伊達藩重臣・原田甲斐は、実在の人物で、お家騒動の原因を作った悪者だとされていた。
それが全く異なる“原田甲斐像”になり、一部から作品に対して批判の声が上がって、出版社の人も心配してくれたのです。
が、親父はこう言って絶対譲りませんでした。

「僕が資料を読み込んで出来上がった“人間・原田甲斐”はあれだから。自分が読めば、どこからも、悪者としての原田甲斐は出てこないんだ」

【生涯、文学賞などの受賞を辞退しました。ハンマーでぶち壊しに行く】
ご存知のように、親父は生涯、文学賞などの受賞を辞退しました。
それは直木賞も例外ではありません。
常々言っていたのは、
「魚屋が、魚をいっぱい売ったからって、同業者を呼んでパーティーをするか?
本が売れるということは、それだけ普通の人が買ってくれる訳で、それが賞なんだ。
賞と名のついたものをもらってもしょうがないだろう。
実際に僕がこうやって書けることが、それだけで賞なんだよ」

それで、同業の人とはあまり交わろうとはしませんでしたね。
同じ人種と付き合ってもプラスにはならないと考えたのでしょう。

賞以外でも、生前、どこかから“石碑を建てたい”と言われたことがありました。親父はこう言って断わっていたのです。

「いいですよ。その代わり碑が建ったら、私がハンマー持ってぶち壊しに行くから」

今では僕が把握しているだけでも文学碑は3つありますが、親父が生きていたら全部破壊されていたかもしれませんね。

【小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るもの】
名誉を求めなかった親父は、テレビや映画会社から映像化の依頼が沢山来ても、最初は断わっていたんです。

その理由を「小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るものであって、映像をパッと見せられたら、それは小説じゃない」
と説明していました。

でも、それからしばらくして誰かから説得されたのか、TBSで「山本周五郎アワー」が製作されて、随分多くの作品が映像化されました。
ただ、親父は映像化にOKを出したら、もう自分のものじゃないから、どうやったらもらおうと構いませんというスタンスだったのです。

【歌舞伎俳優たちに激怒】
親父の作品は芝居にもなっているので、何回か連れて行ってもらいました。
歌舞伎で『樅の木は残った』が上演されたことがあります。
当時の松本幸四郎などの大御所が集まって、リハーサルをしていることを聞きました。

親父から“ちょっと観に行こう”と言われて、会場の一番後ろで立って観ていたのです。

評定所の場面で、出演者がみんなで団扇太鼓を叩いたんです。
親父はそれを観て、ワーツと頭に血が上がったらしく駆けていって、
「なんで、評定所に団扇太鼓なんか持って来られるんだ!そんなことあるわけないだろう!」

本当は演出家が決めたことで俳優たちに非はありませんが、
俳優たちが“申し訳ありません”と並んで頭を下げたら、親父は“もういい”と。

そして浜町の料亭へ行くと言った後、僕にこう頼んだのです。
「彼らにも、“怒鳴ってしまって申し訳なかったから、もし来られるようならば一献差し上げたいので、そちらへいらしてください”と言ってくれ」

僕が言い付けて、料亭で親父と待っていたら幸四郎が舞妓を連れて来ました。
“先生、申し訳ありません”と謝られ、親父は、
「いや、さっき怒鳴っちゃっだけど、君たちが自主的にやった訳じゃないから」
と、俳優たちとは仲直りしたのです。

本来なら、演出家が来て謝らなきゃいけないのに、来なかった。
それで親父は本公演を観に行きませんでした。結局あの場面がどうなったのか、知らないんです。
「一回言ったんだから、これ以上言う必要はない。観に行って同じことをやっていたら、またカッときてしまうから」と言っていました。

【「西へ」どうしても、家康が書きたい】
親父がゴニョゴニョつぶやいている。
耳を近づけると、ひと言だけ「西へ」と言っているように聞こえました。
生前、親父は「自分が死ぬ時は、棒に荷物を巻き付け担いで、西の方に去って行く」と意味深に話していたので、死ぬ覚悟をしたんでしょう。
思い残すことは、沢山あったと思います。親父は、徳川家康を書きたかったんですよ。

生前、「どうしても、家康を書きたい。俺が書いたら、家康は全く別の人間になる」
それができなかったのは無念だったと思うし、読者の方も残念に思ってくださるでしょう。
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【平蔵の独り言】
やはり「ヘソ曲がり」、でも 納得
【小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るもの】
100人が読んだら、100人の個性で(感性で感じるもの)

ひと言だけ「西へ」

三國連太郎さんは「港に行かなくちゃ、船が出てしまう」

さあ~て、小生はなんていうか・・・・・・・・・・
一度、狂気の2日間を過ごしたから もう全て言ってしまっている?

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【生涯、文学賞などの受賞を辞退しました。ハンマーでぶち壊しに行く】
常々言っていたのは、
「魚屋が、魚をいっぱい売ったからって、同業者を呼んでパーティーをするか?
本が売れるということは、それだけ普通の人が買ってくれる訳で、それが賞なんだ。
賞と名のついたものをもらってもしょうがないだろう。
実際に僕がこうやって書けることが、それだけで賞なんだよ」

【小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るもの】
名誉を求めなかった親父は、
テレビや映画会社から映像化の依頼が沢山来ても、最初は断わっていたんです。

その理由を「小説というのは、読んだ人が自分の頭の中で映像を作るものであって、映像をパッと見せられたら、それは小説じゃない」
と説明していました。

【「西へ」どうしても、家康が書きたい】
親父がゴニョゴニョつぶやいている。
耳を近づけると、ひと言だけ「西へ」と言っているように聞こえました。
生前、親父は「自分が死ぬ時は、棒に荷物を巻き付け担いで、西の方に去って行く」と意味深に話していたので、死ぬ覚悟をしたんでしょう。

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先日、新聞の「読書」に

「その木戸を通って」
これを読まないで人生を終わる人は不幸だ。

*評者=篠田正浩・映画監督

早速読んだが、心が「ホッとする」のは何故・・・・・・・・・・・・・・・・・

by asanogawa-garou | 2013-07-20 18:54 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)