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【野際陽子】この道をずっと歩いてきた。老いを隠さない。それが、彼女一流の“へこまない”生き方。   

2015年 04月 02日
【野際陽子】この道をずっと歩いてきた。老いを隠さない。それが、彼女一流の“へこまない”生き方。

〔自分に期待しない。足りなかったらしゃーない〕
私は自分に期待していないから、無駄なストレスや絶望がないんです。
自分が持っているものが、すべて。足りなかったら、しゃーない。」

〔『自分なんてたいしたことない』と思ってきた〕

〔強盗にナイフを突きつけられたのに「おつり頂戴」って〕

〔悲痛な顔で誰かに訴えたところで聞かされた人が辛いだろうなと思うし、第一、悩みが消えるわけではありませんから〕

〔役作りには困らないから、根が意地悪なのかも〕

〔欲張ったりほめられたいと思うから苦しい〕
最近、テレビで、年配の農家の方が、今年も作物を収穫することができた、それ以上は何も望ましいと笑っている姿を見て、涙が出るほど感動しました。
誉められたいと思えば生きづらいに決まっています。
【野際陽子】この道をずっと歩いてきた。老いを隠さない。それが、彼女一流の“へこまない”生き方。_c0219232_16404879.jpg

〔自分に期待しない。足りなかったらしゃーない〕
年齢のことに触れたくないという女性は世の中に多い。
しかし、今年79歳を迎えた野際陽子は、躊躇うことなく年齢を口にする。
「だって隠したって仕方ないでしょう?
ウィキペディキュアを見たら、立教大学では長嶋茂雄さんと同期だったとバッチリ書いてあるわよ。
それにしても、こんなに大きく『今年で79歳!』なんて書かなくてもいいのにねぇ(笑)」

と、自らの著者の帯に大きく書かれた文字を軽やかに笑い飛ばした。
彼女なりの老い対策や美容法のほか、心豊かな暮らしぶりが綴られているが、
自らを「老婆」と呼ぶユーモラスな文体が印象的だ。

〔『自分なんてたいしたことない』と思ってきた〕
「昔から自虐的なところがあるの。いつも『自分なんてたいしたことない』と思ってきた。
皆よく、『へこむ』って言うでしょ。
でもそれって、自分に期待してるっていうこと。
私は自分に期待していないから、無駄なストレスや絶望がないんです。自分が持っているものが、すべて。足りなかったら、しゃーない。」

〔強盗にナイフを突きつけられたのに「おつり頂戴」って〕
5人姉弟の長女として育った野際は、終戦後の新制中学2期生として、立教女学院へ進学した。
「父母の苦労を見ていたから、自活しなければという意識があった。
立教大では英語サークルで英語劇に参加したり、
学内の『テアトルジュンヌ』という劇団で芝居をしていましたが、
現実と向き合った時、早く自分の手でお金を稼ぎたかったんです。
だから、卒業後の進路は就職以外、考えられなかった。
それで、NHKにアナウンサーとして入局しました」

サラリと語るが、4000人もの志願者の中から採用させたのは、たったの11人。
遡れば大学時代は特待生で、
アメフトの応援団のクイーンに選出されたりと、常に「選ばれし者」だったのではないか。

「まったくもって誤解。特待生になれたのも、失恋の痛手を忘れるために勉強に没頭したことが活きただけ。
いざ、という時には肝がすわるタイプかもしれませんね」

その性格を表す強烈なエピソードがある。
NHK時代、名古屋に赴任していた時のこと。
一人暮らしをしていた野際のアパートに、強盗が押し入ったことがあった。
ナイフを脇腹に突きつけられ、恐怖と緊張で空気が張り詰める中、野際の口から出た言葉は、
「いくら欲しいの?」。

男は何ともバカ正直に、「200円(現在の価値で4000円ほど)」と要求してきたが、生憎、千円札しか持ち合わせていなかった。
そこで、「千円渡すから、おつりを頂戴」と掛け合ったというのだ。
このことについて野際は、
「最初は命が惜しかったのに、ナイフが食事用のものだと確認した途端、お金のほうが惜しくなってしまって」と言いながら笑い、「本当は死ぬほど怖かった」とポツリと溢した。
【野際陽子】この道をずっと歩いてきた。老いを隠さない。それが、彼女一流の“へこまない”生き方。_c0219232_16453936.jpg

〔『自分なんてたいしたことない』と思ってきた〕
「昔から自虐的なところがあるの。いつも『自分なんてたいしたことない』と思ってきた。
皆よく、『へこむ』って言うでしょ。
でもそれって、自分に期待してるっていうこと。
私は自分に期待していないから、無駄なストレスや絶望がないんです。
自分が持っているものが、すべて。足りなかったら、しゃーない。」

〔強盗にナイフを突きつけられたのに「おつり頂戴」って〕
5人姉弟の長女として育った野際は、終戦後の新制中学2期生として、立教女学院へ進学した。
「父母の苦労を見ていたから、自活しなければという意識があった。
立教大では英語サークルで英語劇に参加したり、学内の『テアトルジュンヌ』という劇団で芝居をしていましたが、現実と向き合った時、早く自分の手でお金を稼ぎたかったんです。
だから、卒業後の進路は就職以外、考えられなかった。
それで、NHKにアナウンサーとして入局しました」

サラリと語るが、4000人もの志願者の中から採用させたのは、たったの11人。
遡れば大学時代は特待生で、アメフトの応援団のクイーンに選出されたりと、常に「選ばれし者」だったのではないか。
「まったくもって誤解。特待生になれたのも、失恋の痛手を忘れるために勉強に没頭したことが活きただけ。いざ、という時には肝がすわるタイプかもしれませんね」

その性格を表す強烈なエピソードがある。
NHK時代、名古屋に赴任していた時のこと。
一人暮らしをしていた野際のアパートに、強盗が押し入ったことがあった。
ナイフを脇腹に突きつけられ、恐怖と緊張で空気が張り詰める中、
野際の口から出た言葉は、
「いくら欲しいの?」。

男は何ともバカ正直に、「200円(現在の価値で4000円ほど)」と要求してきたが、
生憎、千円札しか持ち合わせていなかった。
そこで、「千円渡すから、おつりを頂戴」と掛け合ったというのだ。
このことについて野際は、
「最初は命が惜しかったのに、ナイフが食事用のものだと確認した途端、お金のほうが惜しくなってしまって」と言いながら笑い、「本当は死ぬほど怖かった」とポツリと溢した。

〔悲痛な顔で誰かに訴えたところで聞かされた人が辛いだろうなと思うし、第一、悩みが消えるわけではありませんから〕
「だからこそ笑い話にしてしまうんですね。
これまで生きて来たうちには、苦しいことや哀しいこともありましたが、
その胸の内を明かしたことはないんです。
悲痛な顔で誰かに訴えたところで聞かされた人が辛いだろうなと思うし、第一、悩みが消えるわけではありませんから。
抱えてしまった問題はどう頑張っても解決しないということもあります。
ならば潔く現実を受け入れ、ほかに幸せなことを探してフォローする。
そんな風にしてバランスを保って生きてきたような気がします」

どこまでも現実的な野際がせっかく入局したNHKを4年で辞めたのは、
彼女のプレゼン能力に目をつけた広告代理店に、新規企画のプレゼンターとして引き抜かれたからだった。
「NHKのお給料は2万円くらいでしたが、6万円もくれるというので、こんなに美味しい話を逃すものかと飛びつきました(笑)。
ただ、プレゼンターの仕事はまだ準備中ですることがなくて。
そんな時、TBSの『女性専科』という番組の司会をやらないかと持ちかけられたんです。
このまま何もしないで給料を貰うのは心苦しいし、毎日の生放送はしんどいだろうけど、まあ、お金は頂けるだろうとやることにしました。
フランスに留学したかったので、そのための貯金に余念がなかったんです。番組の司会を始めて1年ほど経った頃に、今度は『悲の器』というドラマに出演しないかと連絡があり、それも引き受けましたが、当時は女優という仕事に対して無欲でした」

そして30歳の時、念願のパリへ旅立つ。語学学校やソルボンヌ大学仏文科に通う1年の留学を経て帰国し、ほどなくして出演したのが、視聴率30%を記録した伝説のドラマ『キーハンター』。
野際はクールビューティーな女優として認知され、たちまち人気を博した。

「あの作品は、一人の女性としての転機でした。というのも、ドラマの共演がきっかけで結婚を体験しましたから(千葉真一と’73年に結婚)。
『女性専科』『キイハンター』の頃が、私の唯一の自己主張期。
撮影現場でも、台本に納得がいかないと監督をつかまえて議論したり、何事につけても理屈っぽい、本当に嫌な女だったと思います。
でも結婚と出産を経て、丸くなったというのかしら。本来の“期待しない”自分に戻った。


ただ、結婚生活は自分には合わないと、ずっと思っていました。
仕事の同志としてはじまった関係だったから、罵り合って終わりたくはなかった。
そう思ってタイミングを待っていたら、結婚生活が21年も続いちゃった」
【野際陽子】この道をずっと歩いてきた。老いを隠さない。それが、彼女一流の“へこまない”生き方。_c0219232_16505417.jpg

〔役作りには困らないから、根が意地悪なのかも〕
その頃、ドラマ『ずっとあなたが好きだった』(’92年)で演じた、
息子を溺愛する母親役が注目を集め、再ブレイクの渦中にあった。
以後、彼女のもとへは、クセのある姑役のオファーが殺到する。
「姑役が続いて、演じ分けなくてはと躍起になるのですが、基本的に役作りはしないんです。
撮影現場に入ると、スッと役柄が降りてくる。
隣家の嫁がイラッとすることを言えば、
庭掃除していたチリトリのゴミを相手の郵便受けに入れるくらいのアドリブは出てくる。
自分でも驚くほど意地悪な女になっていて。きっと根が意地悪なのでしょう(笑)」

〔欲張ったりほめられたいと思うから苦しい〕
そうしてテレビドラマの世界の個性豊かな母親役をいくつも演じてきたが、
意外なことに女優としての受賞歴はほとんどないという。
「そういう仕事はしていませんから。『私なんて……』は健在なんです。
でも自己評価の高い人は大変でしょうね。

最近、テレビで、年配の農家の方が、今年も作物を収穫することができた、
それ以上は何も望ましいと笑っている姿を見て、涙が出るほど感動しました。


誉められたいと思えば生きづらいに決まっています。
自分は好きなことを続けていると幸せを感じれば、それだけで人生は楽しい。
たまさか誉められたら喜びも倍増する。
それでこそ感謝の念も湧いてくるというものです」
現実を受け入れたうえで、加算法で生きるという人生哲学を備えた、個性派女優。

人が避けては通れない「老い」についてもこう語る。
「最近よく『終活』って聞くけど、やったほうがいいだろうな、とは思っていてもなかなか……。
私はこの歳になって、どんどん洋服が増えていってるバカですね(笑)。
身体はあちこち痛いし、物忘れも多い。
でも、『こりゃしょうがねえ』と思っています。
こうなったらお婆さん役を極めようと思って。
憎たらしいけど陽気な老婆、背中の曲がった老婆も演じたい」

80年近くを生きてきて、病んだ日も、疲れきった日もあった。
そんな時、野際は少し休んで、こう言う。
「さあ、ぼちぼちやるか」


女優デビューから五十余年。「そういえば、悲劇のヒロインを演じたことってなかったわ」

毎日コツコツなんて続かないわよ。
サボってもいいじゃない


週刊現代2015/3/28号
【野際陽子】この道をずっと歩いてきた。

【野際陽子】この道をずっと歩いてきた。老いを隠さない。それが、彼女一流の“へこまない”生き方。_c0219232_16561445.jpg

【平蔵の独り言】
〔自分に期待しない。足りなかったらしゃーない〕
「私は自分に期待していないから、無駄なストレスや絶望がないんです。
自分が持っているものが、すべて。足りなかったら、しゃーない。」

【独り言】
自分が持っているものが、すべて。足りなかったら、しゃーない。
これになかなか気が付かないのですよね!
最近、少し肩の力が抜けて来ているかな?
と思うことが、ふっと感じることが・・・・・

【平蔵の独り言】
〔欲張ったりほめられたいと思うから苦しい〕
私はこの歳になって、どんどん洋服が増えていってるバカですね(笑)。
身体はあちこち痛いし、物忘れも多い。
でも、『こりゃしょうがねえ』と思っています。
こうなったらお婆さん役を極めようと思って。
憎たらしいけど陽気な老婆、背中の曲がった老婆も演じたい」
80年近くを生きてきて、病んだ日も、疲れきった日もあった。
そんな時、野際は少し休んで、こう言う。
「さあ、ぼちぼちやるか」
毎日コツコツなんて続かないわよ。
サボってもいいじゃない


【独り言】
12月で百歳、99歳の画家さんの個展を見てきた。
みんな共通して言うのは、“色彩が優しくなってきましたね”
思うに以前は 空の青がキツかったり、全体の色彩にどこか強調した
構図になっていたのは、すべてが優しい!

「さあ、ぼちぼちやるか」
毎日コツコツなんて続かないわよ。
サボってもいいじゃない


ですね。百歳までまだ30余年あるのだから

by asanogawa-garou | 2015-04-02 16:59 | 人間模様 | Comments(0)