【〔高木家・自立の教え〕「できることは自分でやる」】〔高木家の壁には「継続は力なり」〕新聞配達(挫折を乗り越えて銀)   

2018年 03月 29日
【〔高木家・自立の教え〕「できることは自分でやる」】〔高木家の壁には「継続は力なり」〕新聞配達(挫折を乗り越えて銀)

〔順調に時を刻んでいた時計の針が、ぴたりと止まった〕ソチ五輪、落選
ソチ五輪、落選。リンク内のいすで1点を見つめる姿に「スーパー中学生」と騒がれた輝きはなかった。
調子は良くなかったが、どうにかなると思っていた。
必死に五輪を目指す選手を格好悪いと感じたことさえあった。
だが、そんな選手が目の前で五輪の切符を勝ち取った。
4歳上の兄大輔さんから電話が鳴る。
「ソチに向かってやり切ったって言えるか?」。涙があふれた。


〔高木家の壁には「継続は力なり」〕新聞配達
「4年間、スケートにすべてをかける」
覚悟が決まれば、やり抜ける。思い返せば、そうやって強くなってきた。

 高木家の壁には「継続は力なり」と書かれた紙が貼られている。
3兄姉がスケートを続けるため、両親が懸命に働く姿を見てきた。
兄が中1から新聞配達を始めると、高木も続いた。

〔高木家の家訓は「できることは自分でやる」。〕お昼ご飯の弁当も自分で作った。
高木家の家訓は「できることは自分でやる」。
学校に持って行くお昼ご飯の弁当も自分で作った。
父の愛徳さんは「親にやってもらったら、何もできなくなってしまう。
大人になってから困らないようにするため、当然のこと」ときっぱりと言い切る。

【女子団体追い抜きで日本が金メダルに輝いた。】
高木美帆、菜那と姉妹初の金!女子初のメダル全色制覇

〔“高木美帆の姉”じゃないという自己主張だった。〕スケートをやめようと思った。


高木美帆を支えた実家の張り紙「継続は力なり」、挫折を乗り越えて銀[2018年2月13日10時28分 ]
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①女子1500メートルで2位の高木美は日の丸を掲げて笑顔(撮影・山崎安昭)
【〔高木家・自立の教え〕「できることは自分でやる」】

<ピョンチャン五輪:スピードスケート>◇12日◇女子1500メートル
 スピードスケート中長距離のエース高木美帆(23=日体大助手)が、1分54秒55で銀メダルを獲得した。
日本女子のスピードスケート個人種目メダルは、98年長野大会500メートル銅の岡崎朋美以来20年ぶり。
10年バンクーバー大会にスピードスケートで国内史上最年少の15歳で出場も、14年ソチ大会は落選。
挫折を乗り越え、うれし涙を流した。
日本のエースとして金メダルが期待される女子団体追い抜き(21日)にも弾みをつけた。
 悔しさは、天を見上げた一瞬で忘れた。
ようやく会場の大歓声が耳に響いた。
高木美は何度も拳を握り、優しくうなずいた。
フォームは乱れ、もう滑れないほど出し切った。
支えてくれたコーチ陣の顔がにじんで見えた。
子供のようにぴょんと飛び乗った表彰台。
0秒20の差を感じると、また悔しさが戻ってきた。
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②「平昌五輪・スピードスケート女子1500メートル」(12日、江陵オーバル)
「いろいろな人に支えてもらって、こみ上げる気持ちはあった。でも、やっぱり金を取りたかった」。
充実感の中で感じる2つの思い。それだけ、この4年間にかけてきた。
〔順調に時を刻んでいた時計の針が、ぴたりと止まった〕ソチ五輪、落選 13年12月29日。
順調に時を刻んでいた時計の針が、ぴたりと止まった。
ソチ五輪、落選。リンク内のいすで1点を見つめる姿に「スーパー中学生」と騒がれた輝きはなかった。
調子は良くなかったが、どうにかなると思っていた。

必死に五輪を目指す選手を格好悪いと感じたことさえあった。
だが、そんな選手が目の前で五輪の切符を勝ち取った。
4歳上の兄大輔さんから電話が鳴る。
「ソチに向かってやり切ったって言えるか?」。涙があふれた。

 ソチ五輪閉幕1カ月後の14年3月。
世界選手権のため訪れたオランダで、日体大の青柳監督に頭を下げた。
「新しいスケート靴を作りたい」。
硬い素材に替えることを勧められても、「これでやってきたから」と高校時代から使う軟らかい靴に固執した。
自問自答を繰り返した3カ月。「変わらないと」-。
変化を恐れた自分との別れだった。
4年後の平昌五輪に向け、再び時が動き始めた。
 「日本の宝」とまでいわれた天才が初めて直面した挫折。
もう負けたくない。もうぶれない。
「4年間、スケートにすべてをかける」。
覚悟が決まれば、やり抜ける。思い返せば、そうやって強くなってきた。
<ピョンチャン五輪:スピードスケート>◇12日◇女子1500メートル
スピードスケート中長距離のエース高木美帆(23=日体大助手)が、1分54秒55で銀メダルを獲得した。
日本女子のスピードスケート個人種目めだるは、98年長野大会500メートル銅の岡崎朋美以来20年ぶり。
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10年バンクーバー大会にスピードスケートで国内史上最年少の15歳で出場も、
14年ソチ大会は落選。
挫折を乗り越え、うれし涙を流した。
日本のエースとして金メダルが期待される女子団体追い抜き(21日)にも弾みを
つけた。
悔しさは、天を見上げた一瞬で忘れた。
ようやく会場の大歓声が耳に響いた。
高木美は何度も拳を握り、優しくうなずいた。
ファームは乱れ、もう滑れないほど出し切った。
支えたくれたコーチ陣の顔がにじんで見えた。

子供のようにぴよんと飛び乗った表彰台。
0秒20の差を感じると、また悔しさが戻ってきた。
「いろいろな人に支えてもらって、こみ上げるきもちはあった。
でも、やっぱりきんを取りたかった」
充実感の中で感じる2つの思い。
それだけ、この4年間にかけてきた。

〔高木家の壁には「継続は力なり」〕新聞配達
「4年間、スケートにすべてをかける」
覚悟が決まれば、やり抜ける。思い返せば、そうやって強くなってきた。
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 高木家の壁には「継続は力なり」と書かれた紙が貼られている。
3兄姉がスケートを続けるため、両親が懸命に働く姿を見てきた。
兄が中1から新聞配達を始めると、高木も続いた。
起床は朝4時。北海道のいてつくような寒さの中、雪が降ればリュックに新聞を詰め、1軒1軒歩いて配った。
体力をつけるため5キロ走ってから登校し、学校が終わればリンクへ向かう。
中3で五輪に出ても、高校を卒業するまでその姿は変わらなかった。

 出会いも成長を加速させた。15年からナショナルチームで指導を受けるヨハン・デビット・コーチ(オランダ)から、世界と戦う意識を植え付けられた。
母国のトップ選手の詳細な体力数値を見せられ、「負けていない」「逃げるな」と熱い言葉で背中を押された。
夏場の自転車練習で下半身を鍛え抜き、課題だったレース終盤の伸びが増した。
16年にW杯で初優勝。
詰まっていた才能があふれ出るように、一気に世界のトップへと駆け上がった。
 4年前、弱さを認めたことから始まった道は、まっすぐに平昌へとつながった。
個人種目では日本女子最高の銀メダル。
駆け抜けたその両足には、あの日オランダで作った紫色の靴が輝いていた。【奥山将志】
 ヨハン・デビット・コーチのコメント 自分も含め、誰もが誇りに思って良い結果だ。
美帆ならできると思っていた。五輪の重圧の中で銀メダルを取った。美帆は強くなっている。
<高木美帆(たかぎ・みほ)アラカルト>
 ◆生まれ 1994年(平6)5月22日、北海道幕別町生まれ。
家族は父愛徳さん(60)、母美佐子さん(55)、兄大輔さん(27)、姉菜那(25)の5人家族。
 ◆サイズ 164センチ、58キロ。
 ◆スケート 兄姉の影響で5歳から競技を始め中学で全日本ジュニア選手権総合V。高校では世界ジュニア選手権で日本人初連覇。
W杯は個人通算7勝。1500メートル、3000メートル日本記録保持者。
 ◆最年少五輪 バンクーバー五輪の国内選考会1500メートルで優勝。
1000メートルでも3位に入り、国内史上最年少の15歳で1000、1500メートル、団体追い抜きで五輪代表に選出。
 ◆運動神経 中学時代はサッカー部にも所属し、女子の有望選手として代表候補合宿にも招集された。ヒップホップダンスも得意。
 ◆趣味 ジグソーパズル。最高傑作は「くまのプーさん」1000ピース。

【〔高木家・自立の教え〕「できることは自分でやる」】
親に甘えさせない教育方針で育てられた高木選手。
高木家・自立の教え「できることは自分でやる」( 新聞配達・お弁当作り・1人で会場入り)スピードスケート女子3000㍍、中長距離のエース高木美帆選手 (23)
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早朝の新聞配達で鍛えた脚力を武器にバンクーバー五輪以来、8年ぶりの大舞台に立った。
北海道南東部の幕別町で生まれ育った。
兄の大輔さん(27)、2歳上の姉、菜那選手(25)との3人きょうだい。
菜那選手は、高木選手と同じチームで女子団体追い抜きなどに出場する。
冬場の最低気温が氷点下20度を下回る極寒の地で、高木選手幼少期から、兄、姉と一緒にスケートを始めた。
「お母さんのことを手伝う」という父の愛徳さん(60)の方針で、高木選手は中学生の時、母の美佐子さん(55)がしていた新聞配達を、大輔さん、菜那選手と一緒に手助けした。
毎朝午前5時には起き、自転車をこいで、一軒ずつ配って回った。
帯広南商業高校スケート部の恩師の東出俊一さん(61)は「大会がある日も新聞配達をした後、自転車で試合会場にやって来ることがあった」という。
それでも、疲労の色を見せることはなく、他の選手に圧倒的な差を付けて勝った。
「朝から動いて、本当に疲れてないか?」
「全然、大丈夫です」。
高木選手は東出さんの心配をよそに、けろっとした表情で答えた。
東出さんは「朝起きたら親がご飯を作って食べさせ、車で送ってあげる家庭も多い。高木家の育て方が世界で通用する脚力を生んだのでしょう」とみる。

〔高木家の家訓は「できることは自分でやる」。〕お昼ご飯の弁当も自分で作った。
高木家の家訓は「できることは自分でやる」。
学校に持って行くお昼ご飯の弁当も自分で作った。
父の愛徳さんは「親にやってもらったら、何もできなくなってしまう。
大人になってから困らないようにするため、当然のこと」ときっぱりと言い切る。
小学6年の時には、自宅から約200キロ離れた北海道苫小牧市で行われるスケート大会に出場するため、1人で列車に乗って向かったこともある。
中学1年になると、菜那選手と子どもだけでフェリーに乗り、青森県八戸市で行われた大会に遠征した。
愛徳さんは「本人も面白半分、冒険心があったと思う」と話す。
高木選手が14年のソチ五輪で代表入りを逃し、スケート人生で初めての挫折を味わったときも、両親は放任の姿勢を貫いた。
一回り大きく成長を遂げた姿に、愛徳さんは「スケート人生というか、生きていく上でいい通過点になった」と話す。
10日のレースは、幕別町で娘の雄姿を見守っていた。
読売新聞2018/2/11

【女子団体追い抜きで日本が金メダルに輝いた。】
高木美帆、菜那と姉妹初の金!女子初のメダル全色制覇
2018年2月22日6時0分 スポーツ報知
 
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⑥女子団体追い抜きで優勝した(左から)菊池彩、高木菜、佐藤、高木美は応援メッセージが書かれた日の丸を手に喜ぶ(カメラ・酒井 悠一)
 
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⑦◆平昌五輪第13日 ▽スピードスケート女子団体追い抜き決勝(21日、江陵オーバル)
カナダとの準決勝は高木美帆(23)=日体大助手=、高木菜那(25)=日本電産サンキョー=、菊池彩花(30)=富士急=で臨み、決勝は菊池に代えて佐藤綾乃(21)=高崎健康福祉大=を起用。
2分53秒89の五輪新記録で前回覇者のオランダを下した。
高木美は日本勢で冬季&女子初の1大会「金銀銅」メダル、姉の菜那と夏冬通じて初のきょうだい金メダルを獲得。

日本のメダル数は1998年長野大会を上回り、冬季最多の11となった。
 日本が「世界一美しい」滑りで頂点に立った。
先行したものの中盤にオランダに逆転され、最大で0秒47差をつけられた。
残り2周を切り、佐藤、姉の菜那とつないだ先頭のバトンを受け取った美帆は力を振り絞った。
一気に逆転した。ラスト1周。
デビット・コーチが勝利を確信したように両手を突き上げる姿が目に入り、さらにギアを上げた。
「足を止めることなく、前へ前へと強い気持ちで滑ることができた」。
最後は1秒59もの大差をつけ、五輪記録で金メダル。
こん身のガッツポーズで喜びを爆発させた。
 4人のメンバー全員で抱き合い、歓喜のウィニングランへ滑り出した。
表彰台の真ん中に手をつないで上がった。
「チーム全員の力がないと成し遂げることができなかった」と感謝した。
1500メートル銀、1000メートル銅に続き、1大会での「金銀銅」制覇を達成。
登録はサブだが、24日のマススタートで上積みする可能性もあるエースと、最後尾で食らいついた菜那。
全3戦にフル出場した高木姉妹が金メダルの原動力となった。

〔“高木美帆の姉”じゃないという自己主張だった。〕スケートをやめようと思った。

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⑧「天才」の妹・美帆と、「反骨」の姉・菜那は性格も歩んできた道も異なる。父・愛徳(よしのり)さん(60)は「姉は電柱登りなどやんちゃだった。
妹はマイペースだけど頑固でまじめ」と振り返る。
 菜那は妹と比較されることを嫌がった。
身長も164センチの美帆に対し155センチ。
2人で食堂に行った時、店員に「美帆ちゃん、来てくれたんだ。この人は小さいから妹さん?」と話しかけられた。
「姉です」と美帆が紹介すると「お姉ちゃんいたんだね。美帆ちゃんのお姉ちゃんなの?」と聞かれ、ムスッとした表情で「菜那です」と言い返した。
“高木美帆の姉”じゃないという自己主張だった。
 高校1年時、世界ジュニア選手権出場で先を越され、スケートをやめようと思った。
母・美佐子さん(55)に電話するうちに「負けたままやめられない」と闘志に火がついた。
妹が15歳で出場した10年バンクーバー五輪は現地で観戦。
声援を送る一方で「転べばいいのに」と嫉妬心を抱いたのも正直な気持ちだった。
ただ「私もこういう中で戦いたい」と五輪を志すきっかけにもなった。
 高校を卒業後、日本電産サンキョーに入社した。
長島圭一郎や加藤条治の練習姿勢を見習った。
400段の石段ダッシュを10度繰り返す猛練習に音を上げず、女子の世界記録を上回るペースにも食らいついた。
4年後のソチ五輪には自身が出場し、美帆は落選した。
 今度は妹が刺激を受けた。
「姉は五輪に行きたいと、ずっと言っていた。
自分は『そんなにガツガツしなくても』と思っていたけど、ソチの選考会が終わって、それまでの気持ちの差は結果に表れると強く思った」。
ナショナルチームで寝食をともにする今は、姉が妹に「教えてください」と素直にアドバイスを求められる関係だ。
美帆は「家族にやっといいところを見せることできたのかな。
感謝の気持ちを伝えたい」と語り、菜那は「親が楽しんで見られるレースになったかな。終わったらメダルをかけてあげたい」と感謝した。
すれ違い続けた姉妹の運命が、五輪の大舞台で初めて交わった。(林 直史)

【平蔵に独り言】
〔高木家・自立の教え〕「できることは自分でやる」〔高木家の壁には「継続は力なり」〕新聞配達(挫折を乗り越えて銀)
【独り言】
新聞配達、「継続は力なり」心引かれた!
下町は貧しい家の同級生も当たり前にいた時代であったので、
友達と中学入学、暫くして新聞配達を始めた。
最初朝刊だけか夕刊だけかは忘れたがやがて朝夕刊になり、部数の多い配達に代わっていった。
気が付くと、学校の長距離の運動で勝つようになり陸上部に入部していた。
昭和39年の東京オリンピック、聖火ランナーの伴走者に選ばれたが直前になって外された。(地元有力者から横やりが入ったようだった)
国立競技場に陸上部として観戦に行った。
照明が点き、いつ終わるともしれない棒高跳びを眺めていた記憶がある。
(部として観戦しているので、終わるまで帰れなかった)
マラソンのアベベビキラの優勝、円谷幸吉が国立競技場に帰ってきた時、2位であったが、イギリスのヒートリーに抜かれたのはお山の大将で長距離を走っていたので最後の足が動かない経験(比較にならないが)
それも新聞配達を続けた気が付けばの宝だ(あれから50年)・・・



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by asanogawa-garou | 2018-03-29 17:29 | 今 今日この頃 | Comments(0)