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「否定の壁」に立ち向かった(登山家の栗城史多(のぶかず)) 死を意識することで、生きているんだっていう感覚をもつことができる。生きている間に何できる。   

2018年 06月 09日
「否定の壁」に立ち向かった(登山家の栗城史多(のぶかず)) 死を意識することで、生きているんだっていう感覚をもつことができる。また自分の死を思うことで、生きている間に何ができるのか?と、問うことができる。

〔栗城史多さん、1つぐらい諦めてもよかったのに…〕

【野口健の直球&曲球】産経ニュース 2018.6.7


「否定の壁」に立ち向かった(登山家の栗城史多(のぶかず)) 死を意識することで、生きているんだっていう感覚をもつことができる。また自分の死を思うことで、生きている間に何ができるのか?と、問うことができる。


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エベレストで標高7400㍍付近から下山途中に滑落し、帰らぬ人になった。
「エベレストは生死を意識する山。死は、悲しいことではありますが、死を意識することで、生きているんだっていう感覚をもつことができる。また自分の死を思うことで、生きている間に何ができるのか?と、問うことができる。
安全ばかりを意識していると、逆に生きる力が失われてしまうと思います」

(登山家・栗城史多さんのメッセージ)

〔栗城史多さん、1つぐらい諦めてもよかったのに…〕
【野口健の直球&曲球】 2018.6.7


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登山家の栗城史多さん(大山実撮影)
 また1人、仲間が山で逝(い)ってしまった。
ヒマラヤから帰国したその日に栗城史多(くりき・のぶかず)さんの訃報(5月21日、35歳で死去)が報じられた。
エベレストを単独無酸素で挑戦中の遭難だった。

 4月下旬、ベースキャンプ手前の氷河の中で栗城さんとすれ違った。
その日はうっすらと粉雪が降り、霧に覆われるモレーン(氷堆石)の彼方(かなた)から影が現れた。
栗城さんだった。

その日の栗城さんは、とても小さく見えた。
「健さん、元気そうですね」と小さな声が聞こえた。
言葉の代わりに息遣いによる会話が続く。
手を握り「無事に降りてきてね」に「うんうん」と小さくうなずいていた。

 別れ際、遠ざかっていく栗城さんの後ろ姿をカメラに収めようと構えたが、シャッターを押せなかった。
その行為自体に意味をもってしまうことが怖かったのだ。
「いつも通り戻ってくるさ」とつぶやいてみたが、その言葉が霧とともにモレーンの彼方に消えていくようでむなしかった。
 彼が20代前半の頃「僕も7大陸最高峰を登ります。単独、無酸素でエベレストに登ります」と声をかけてくれたのが初対面。
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多くの学生が同じようにやってきたが、大半は「やってみたい」と言うだけ。
「やってみたい」と「やります」では、まるで違う。
彼は、はにかみながらも「やります」と宣言した。


自ら厳しい条件をつけ、エベレストに挑み続けるが、敗退を繰り返す。
凍傷により手の指を9本切断。

それでも挑戦を続ける彼に「単独か無酸素か、どちらかを捨てるべきだ。
捨てることによってつかめるものもある。
このままでは登れないどころか命を落とす」と話した。

彼はいつも小さくうなずくだけで、翌年には同じスタイルでエベレストに向かった。
世間に大きく注目され、引くに引けない状況まで追い込まれていたのかもしれない。登山家は、無事に登り、生きて帰ってくるためには自分を客観しなければいけない。心の弱さが招いてしまった遭難だろうとも感じる。
登山スタイルを変えても栗城さんの魅力がうせることはなかったはず。
人生、1つぐらい諦めてもよかったのに、と。
                  ◇
【プロフィル】野口健(のぐち・けん) アルピニスト。1973年、米ボストン生まれ。亜細亜大卒。25歳で7大陸最高峰最年少登頂の世界記録を達成(当時)。エベレスト・富士山の清掃登山、地球温暖化問題、戦没者遺骨収集など、幅広いジャンルで活躍。新刊は『震災が起きた後で死なないために』(PHP新書)。

【平蔵の独り言】
登山家・栗城史多さん 凍傷により手の指を9本切断
NHK何かの放送で手の指を9本切断の登山家の記憶だけが
残っていた。
【独り言】
死を意識することで、生きているんだっていう感覚をもつことができる。
また自分の死を思うことで、生きている間に何ができるのか?と、問うことができる。

古稀もあっという間に半年が過ぎ、出来なくなる事が増えて
「これもできない!」

“生きているんだっていう感覚、生きている間に何ができるのか?”

野口健さんの「人生、1つぐらい諦めてもよかったのに、と」

今、1つじゃなくて、できないことこれから増えて行く!
できないことは“できない”と諦めて、ですね・・・・・・


by asanogawa-garou | 2018-06-09 15:22 | 今 今日この頃 | Comments(0)