【そんな日もあるさ】“これが一生続くわけないんだから”3度目のガンと向き合う日々を笑顔で過ごす古村比呂さん。   

2018年 11月 09日

【そんな日もあるさ】“これが一生続くわけないんだから”3度目のガンと向き合う日々を笑顔で過ごす古村比呂さん。

2018-10-19 12:09:14

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【3度のがんを経験した古村比呂、人生観が変わった強烈な体験】 

〔“これが一生続くわけないんだから”〕
「放射線を当てた部分が熱くなり、低温やけどのような痛みを感じるんです。体がとても重く、だるくてつらくて。抗がん剤の方は激しい吐き気で、洗面器を抱えてベッドに入るような状態でした。“これが一生続くわけないんだから”って自分に言い聞かせていました」

〔それがリハビリになるってどこかで教わったのか〕
「大変じゃないといったらうそになりますけど、これも1つの治療だと思うことにしました。
人混みで行動するのは、刺激が違いますよね。
それがリハビリになるってどこかで教わったのか、自分でそう思うようになったのか、よくわからないけど。
駅の階段の上り下りは、“今日はしんどい”とか“今日は調子いい”とか体調のバロメーターになるんです」

【そんな日もあるさ】。え? これだけ?(笑い)
「するとすぐに次男から返信がありました。

【そんな日もあるさ】。え? これだけ?(笑い) 
【大変だったね】とかいたわりの言葉が返ってくると思っていたのに“ガクッ”ですよ。
その瞬間に目覚めたんです。
私は自分でつらさを“盛ってる”だけなんじゃないかって。
勝手に悲劇のヒロインを気取ってるんじゃないよって感じですね(笑い)」

 張りつめていた心の糸がゆるんで、かえって気持ちが楽になった。

「苦しみや悩みを抱えて生きているのは、私だけじゃない。
ほかの病気のかたも、地震などの災害に遭ったかたもそうでしょう。
誰にでも時間は平等に与えられていると思うと、前を向いて24時間どう自分らしく時間を刻んでいくか、と考えられるようになったんです」


【そんな日もあるさ】“これが一生続くわけないんだから”3度目のガンと向き合う日々を笑顔で過ごす古村比呂さん。

2018-10-19 12:09:14

【「私、日によってかぶり方が違うみたいなんですよ。変じゃないですか?(笑い)」

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 前髪を気にかけながら語る古村比呂(52才)。
その髪は、抗がん剤治療の副作用で地毛が抜け落ちてから着けるようになったウイッグだ。まだ慣れておらず、「現場に行くとヘアメイクさんに“古村さん、ズレてます”といつもダメ出しされるんです」と笑う。

「今年から始まった抗がん剤治療から2週間が過ぎた頃、頭がムズムズしだして、ちょっと触ったらごそっと。その後2日でスーパーのレジ袋がいっぱいになるくらい抜けました」(古村。以下「」内同)

 古村は2012年1月に子宮頸がんが発覚。子宮全摘出手術を受けた。

「それからちょうど5年、これでがんとのつきあいが終わると思った区切りの年に、かえっておつきあいが深くなるなんて…」

 骨盤内のリンパ節などにがんが見つかったのだ。

「定期的に検診を受け、人いちばいケアをしてきたつもりでした。自覚症状もなかった。なんで? これ以上、私は何をすればいいの? って。現実を受け入れられませんでした」

 まもなく昼ドラマ『トットちゃん!』(テレビ朝日系)の出演が控えていた。
1987年のNHK朝ドラ『チョッちゃん』に主演した彼女への新たなオファーは、そのチョッちゃんの母親、つまり黒柳徹子の祖母役。
「このドラマに出たい」という強い思いと、「早く治療すれば、それだけ治る可能性が高い」と言う主治医の言葉で、気持ちを立て直すことができた。

◆これまでの治療が合っていないのでは?

 抗がん剤と、骨盤内の患部に放射線を照射する治療とが並行して始まる。
28日間、平日は毎日放射線治療を受け、1週間に1度抗がん剤投与を受ける。
放射線治療は1回5分くらいだが、その副作用は予想よりもはるかにつらいものだった。

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〔“これが一生続くわけないんだから”〕

「放射線を当てた部分が熱くなり、低温やけどのような痛みを感じるんです。体がとても重く、だるくてつらくて。抗がん剤の方は激しい吐き気で、洗面器を抱えてベッドに入るような状態でした。“これが一生続くわけないんだから”って自分に言い聞かせていました」

 その甲斐あって、3か月後にはがんは寛解、ドラマ出演も果たした。自信もついた。ところが、それからまもなく、肺やリンパ節にがんが再々発していることがわかる。

「3度目ともなると、絶望的な気持ちになりました。こんなに頑張っているのに完治しないなんて、それまでの治療が私には合っていないんじゃないか、と疑うこともありました」

 今回の治療では、3種類の抗がん剤投与により再び激しい吐き気に悩まされ、治療の2日後くらいから約1週間はさらに体調が悪化した。

「食べられないうえに、全身がかゆくなったり、手がどす黒くなったり、指先がしびれてものを持つのもつらくなるんです」

 治療のために片道40~50分かけて都心の大学病院まで通った。

「朝6時に家を出て電車に乗るんです。病院ではまず受付に並んで、受付番号をとって検査、採血をします。その結果が出る10時頃まで待って、治療を受ける部屋に入るんです」

 検査の結果によっては、「今日の体調では治療ができない」と判断されて、そのまま帰ることも。

〔それがリハビリになるってどこかで教わったのか〕
「大変じゃないといったらうそになりますけど、これも1つの治療だと思うことにしました。
人混みで行動するのは、刺激が違いますよね。
それがリハビリになるってどこかで教わったのか、自分でそう思うようになったのか、よくわからないけど。
駅の階段の上り下りは、“今日はしんどい”とか“今日は調子いい”とか体調のバロメーターになるんです」

◆悲劇のヒロイン気取りの自分に気づいた

 この通院の途中で、人生観が変わるような体験をした。

「ある日、いつものように電車のホームに着いて、売店で水を買おうとしたとき、すさまじい急ブレーキの音がしたので、思わず振り向いたら、その電車に向かって飛び込んだおじいさんがいたんです。
若い運転士さんの“やめてくれ”という形相も目に飛び込んできました。

 次の瞬間、“生と死ってなに?”と考えていました。私は今、懸命に生きようとして、必死で命をつなごうとして、ここにいる。同じ場所に、自分から命を絶ってしまった人がいる…」

あまりに強烈な体験だったため、【目の前で人身事故があり、電車止まった。病院行けないどうしよう】と息子たちにメールした。
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【そんな日もあるさ】。え? これだけ?(笑い)

「するとすぐに次男から返信がありました。
【そんな日もあるさ】。え? これだけ?(笑い) 
【大変だったね】とかいたわりの言葉が返ってくると思っていたのに“ガクッ”ですよ。
その瞬間に目覚めたんです。
私は自分でつらさを“盛ってる”だけなんじゃないかって。
勝手に悲劇のヒロインを気取ってるんじゃないよって感じですね(笑い)」

 張りつめていた心の糸がゆるんで、かえって気持ちが楽になった。

「苦しみや悩みを抱えて生きているのは、私だけじゃない。
ほかの病気のかたも、地震などの災害に遭ったかたもそうでしょう。
誰にでも時間は平等に与えられていると思うと、前を向いて24時間どう自分らしく時間を刻んでいくか、と考えられるようになったんです」

 とはいえ、自暴自棄になる日も。

「落ち込んでキッチンに立つと、鍋やお玉が凹むほど八つ当たりしてしまう。
でも、不思議なもので、ひとりでいるときは抑えられるんです。
息子たちがいるときの方が、何かあっても大丈夫かなと思って、爆発する(笑い)。
息子たちは冷静ですから、それで救われるんです」

 3人の男子を持つ古村は現在、家を出た次男を除く長男、三男との3人暮らし。
※女性セブン2018年11月1日号】

【平蔵の独り言】
それがリハビリになるってどこかで教わったのか、自分でそう思うようになったのか、よくわからないけど。
【そんな日もあるさ】“これが一生続くわけないんだから

【独り言】
22年前、突然の発病、3か月の闘病生活そして社会復帰
バリアばかりの日常生活
階段の上り下りをリハビリ、リハビリ・「感謝、感謝」と言って過ごしていた。

“「そんな日もあるさ」”

古稀(加齢)これから未知の毎日の漠然とした・・・・・・

「そんな日もあるさ」え? これだけ?

気が付けば
時の流れに小さな え? これだけ?
ですね!



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# by asanogawa-garou | 2018-11-09 16:18 | 人生の質・人生の息吹 | Comments(0)

【所ジョージ】手術経て人生振り返る「今は優しい“いい人間”を目指してる」〔「天の邪鬼でへそ曲がり」〕   

2018年 11月 06日

【所ジョージ】手術経て人生振り返る「今は優しい“いい人間”を目指してる」〔「天の邪鬼でへそ曲がり」〕


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〔「天の邪鬼でへそ曲がり」〕

 さらに、自分のことを「天の邪鬼でへそ曲がり」と語る所は「僕の場合は社会性がある。
枠を超えたへそ曲がりは嫌われる。
嫌われないギリギリを攻めたい。


〔手術経て人生振り返る「今は優しい“いい人間”を目指してる」〕

 最後に「年齢を重ねる毎に、ていねいに生きようと思いました。
若いころは、生きることを考えて無く乱暴にいろんなことをしていた。
優しい“いい人間”を目指しています。
より、いい人に思われたい欲が出てきています」と人生を振り返っていた。


【所ジョージ】手術経て人生振り返る「今は優しい“いい人間”を目指してる」

ORICON NEWS2018-09-24 19:26

 タレントの所ジョージ(63)が24日、都内で行われたカンテレ・フジテレビ系バラエティー番組『新説! 所JAPAN』(10月22日スタート、毎週月曜 後10:00)初日収録後の囲み会見に出席した。

 10月22日からスタートする同番組は、
日本人や日本にまつわるさまざまな謎を、
各界のスペシャリストたちの解説を交えながら、
楽しく解き明かしていく知的バラエティー。
初回は「なぜ日本人はマグロがダントツ人気のお魚なのか?」

「なぜ日本にはコンビニの4倍も美容院があるのか?」をテーマにしている。

 収録を終えて「違う視点で調べるのも面白いなと欲が出ましたね。300キロ超のマグロを出す(特集する)よりは、フナとかアジとか小さいサイズを捕まえて『頭から食べたいな』とか。
マグロを(一口で)食べた人いないでしょ?
 そういうのが“所JAPAN”なんじゃないかな」と話し、
「今は1本目で手探りで真面目な感じですが、段々とそっちの方向に行くと思います。
普通の質問に調べて答えるよりは、『そっちの枝を太くするの!?』というのを希望します」と今後の展開に期待しつつ意欲を見せた。

 数々のレギュラー番組を持つ所だが新番組は楽しいそうで「レジュラー番組は楽しくないわけじゃありませんが、新番組は手応えが全部初。
台本通りやれば真面目な番組になるんですが、
(初回を終えて)ふざけてできたから楽しかった。
スキップしながら現場に来たい。
散歩の途中に収録して帰りたい」と笑わせた。


〔「天の邪鬼でへそ曲がり」〕

 さらに、自分のことを「天の邪鬼でへそ曲がり」と語る所は「僕の場合は社会性がある。枠を超えたへそ曲がりは嫌われる。嫌われないギリギリを攻めたい。
『お前、何を言ってるの!? でも、そういう考えがあるか』みたいな。
食べ物で『これ、おいしいですよ』と出された物よりも、『おいしくないですよ』と出された物で『ここ、うまいね!』という部分を食べたい」と独特な考えを伝えた。
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〔手術経て人生振り返る「今は優しい“いい人間”を目指してる」〕

 また、一部週刊誌で胆のう摘出手術を受けていたと報じられていたが、この日の会見では回復をアピールしつつ「1日半ほど七転八倒して、死ぬほど苦しかった。緊急手術をしたのですが、胆のうを取ったら、調子がいい。
だから、胆のうが悪くない人にも、『胆のう、取ったら?』と勧める」といい、「その内、この番組でも胆のう取り上げると思いますよ。“胆のうの処理の仕方”みたいな」としっかり番組もアピール。

 最後に「年齢を重ねる毎に、ていねいに生きようと思いました。若いころは、生きることを考えて無く乱暴にいろんなことをしていた。優しい“いい人間”を目指しています。より、いい人に思われたい欲が出てきています」と人生を振り返っていた。

【平蔵の独り言】
手術経て人生振り返る「今は優しい“いい人間”を目指してる」

【独り言】
何年前だろう!
みぞおちの辺りがシクシク痛むので診てもらったら
胆管結石、胆管を胆石が完全に塞いで、胆嚢が機能していない。
内視鏡で胆石と胆嚢摘出

胆嚢がなくても不自由はない・・・・・?

優しいそんな“いい人間”  難しいな!



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# by asanogawa-garou | 2018-11-06 15:29 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

〔皇后美智子様〕高齢になられて加齢現象について!加齢現象について「自分でもおかしかったり、心細くなったり」84歳   

2018年 10月 29日
〔皇后美智子様〕高齢になられて加齢現象について!
加齢現象について「自分でもおかしかったり、心細くなったり」
84歳
2018-10-20

〔「自分でもおかしかったり、心細くなったり」〕
76才
〔《おかしがったり》老いを享受した上で楽しもうとされている。〕

皇后美智子さま 少ない睡眠時間だったが今は9時間お休みに
2015.10.24 07:00
 10月20日に81才の誕生日を迎えられた美智子さまが現在の胸の内を明かされた。
《人々の安寧を願い続けておられる陛下のお側で、陛下の御健康をお見守りしつつ、これからの務めを果たしていければと願っています。体調につき尋ねて下さり有難うござい
 10月20日に81才の誕生日を迎えられた美智子さまが現在の胸の内を明かされた。

《人々の安寧を願い続けておられる陛下のお側で、陛下の御健康をお見守りしつつ、これからの務めを果たしていければと願っています。
体調につき尋ねて下さり有難うございました。
今のところ、これまでと変わりなく過ごしています》

 皇后美智子さまは、81才の誕生日に際しての文書をそう締めくくられた。お元気な姿を見せられている美智子さまだが、今から5年前の76才の誕生日の文書に、こう綴られたことがあった。

〔「自分でもおかしかったり、心細くなったり」〕76才
《この数年仕事をするのがとてものろくなり、また、探し物がなかなか見つからなかったりなど、加齢によるものらしい現象もよくあり、自分でもおかしがったり、少し心細がったりしています

 誰もが避けては通れない「加齢」。
年を重ねるごとに、「耳が遠くなった」「歩行がおぼつかなくなった」と、
不具合が生じてくるのは致し方のないことだ。
それは美智子さまも例外ではなく、3年ほど前からは補聴器を使われ、公務先で足を引きずられるような仕草をお見受けすることも増えた。


〔《おかしがったり》老いを享受した上で楽しもうとされている。〕

 また、2005年から頸椎症性神経根症を患われている美智子さまは、今も首から左腕に痛みやしびれを訴えられることがあるという。
肉体的な衰えに直面して老いを忌み嫌う人は多い。
しかし美智子さまは《おかしがったり》と明かされたように、老いを享受した上で楽しもうとされている。
宮内庁関係者が、こんなエピソードを明かす。

「あるとき、美智子さまと親しいかたが“私も首が痛くって…。
首だけを動かせないから、たとえば左を向くときは、体全体を向けるようになりました”と話したことがありました。
すると美智子さまは “わかりますわ~、わかります”とおっしゃって、握手を求められたんです。
ご自身も同じ痛みを経験なさっているからこそできる、その場をなごませるような絶妙なトークでした」

【平蔵の独り言】
昭和34年4月10日美智子妃殿下ご成婚パレード
団塊の世代、気が付けば美智子妃殿下の御成婚から自分の足(時代に流されながら)で歩いてきたか!

まだ自宅にテレビがなく(下町はみんな貧乏だったから、テレビのある家に集って)馬車のパレード見ていた。

美智子妃殿下のニュースはずーと身近に気が付けば“1ファン”だったのか?

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【独り言】
加齢、老いを感じこれからどうなっていくのか
妃殿下が〔「自分でもおかしかったり、心細くなったり」〕
だんだん出来ない事が増えて行き、心細くなっていくが
〔《おかしがったり》老いを享受した上で楽しもうとされている。〕

難しい・・・・・

先日15年ほど前に脳梗塞をされ、左目の眼鏡レンズをガラス、杖をついていた84歳の方から
「私ね 乳がんでおっぱい取ったのよ。(あははは・・・・・)
 それでね、外出は歩行器を押しているの!(あははは・・・・・)
 明るいでしょう!」

「自分でもおかしかったり、心細くなったり」
の言葉と力をいただいて、(あははは・・・・・)



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# by asanogawa-garou | 2018-10-29 14:16 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

〔野村家の家訓〕野村克也さん「死ぬまで働く。生活の安定は自ら確保」(健康のために我慢しない)   

2018年 10月 10日

〔野村家の家訓〕野村克也さん「死ぬまで働く。生活の安定は自ら確保」(健康のために我慢しない)


〔ずっと働け〕死ぬまで働く
〔「自分はここまで」〕「もうこれぐらいでいいや」と諦めないこと
〔健康のために我慢しない〕


野村克也さん 一人の暮らし支える亡き妻の言葉 80歳を過ぎて妻に先立たれたら(上)日経マネー2018/9/11

野村家の家訓
1:ずっと働き続ける
2:「これぐらいでいい」は禁止
3:自分でできることは自分でやる
4:健康のために我慢しない


野村克也さんは、「野球しかできない男が一人になって、妻という存在の大きさを感じる」と言う。(写真:福知彰子)
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 捕手として活躍しただけでなくバッターとしても数々の記録を打ち立て、4球団で監督を歴任した野村克也さん。
家計に限らず子供の教育も近所付き合いも、すべて妻任せだったという。
その野村さんに、一人の暮らしとなってからの生活、終活などについてうかがった。2回に分けて紹介する。
◇  ◇  ◇
──2017年12月8日に虚血性心不全で妻の沙知代さんが亡くなって、半年以上が過ぎました。
 人間って厄介だなって思うのは、そばにいた時は何とも思わなかったのに、いなくなるとその存在の大きさを痛いほど感じること。
家に帰って話をする人がいないのがこんなに寂しいとは、思いもしなかったね。
 家にたくさん写真が飾ってあるから、それによく話しかけています。
「何で俺より先に逝くんだよ」って愚痴ったりとか、野球を見ながら色々とぼやいたり。

サッチーさんは野球に全く興味がなくて、何も知らないから野球の話しても仕方ないんだけど、いつも聞き役に回ってくれていたんだと亡くなってから気付きました。
■先に逝くとはまったく思っていなかった
──沙知代さんの生前、夫婦で「終活」などはされていたのですか?
 何の準備もしていませんでした。
ただ、サッチーさんは当時85歳で、僕より3歳年上。
互いにいい年だから、いつ何があるか分からないという不安はあった。
事あるごとに「俺より先に逝くなよ」と言っては、「そんなの分かんないわよ」と返されていました。
でも本当に俺より先に逝ってしまうとは夢にも思わなかったんだよね。
女性の方が総じて強いじゃない、平均寿命も長いし。
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 夫婦生活は45年。自分を中心に世界が回っているような人だから、周囲からは大変だと思われていたかもしれないけど、サッチーさんが家のことを全部やってくれたから、僕は野球に没頭できた。
家計管理、子育て、人付き合いなど、暮らしに関わることは全てサッチーさん任せ。いかに恵まれていたかが分かりました。

──今は息子の克則さん夫妻が近くにいて、生活関係のことを手伝ってくれているとか。
 「スープの冷めない距離」というのかな、僕の自宅の敷地内に克則が家を建てたおかげで、一人残されてからの孤独や不便がだいぶ軽減されているように思います。
 実は、克則がうちの敷地内に家を建てたいと言ってきた時、僕は反対したの。広々とした庭が好きだったのに、そこに家が建ってしまったらせっかくの景色が台無しだと。
でもサッチーさんは二つ返事で「いいわよ」と。
サッチーさんがそういえば従うしかない。
内心は嫌だなと思っていたけれど、今は同じ敷地にいてくれてよかったって心から思う。
結果的にはサッチーさんが大正解だったね。
──夫婦で意見が異なるといつも野村さんが引いていた?
 そうよ、反対したって言うこと聞く人じゃないし。
サッチーさんには怖い人も、怖いものも何もない。
いつも自分の生きたいように生きていた。
あの人の夫が務まるのは僕だけだと思うよ。

──運命的な出会いは、どんなふうに訪れたのでしょうか?
 南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)時代、遠征で東京に来るたびによく行ってた中華料理店で偶然一緒に居合わせたの。
サッチーさんは僕のことを全然知らなかったんだけど、店のママに紹介されてプロ野球選手だと知ると、その場で野球少年だった息子の団に電話をかけた。

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 「野球の野村さんって知ってる?」と聞くと、「すごい人だよ」と団が答えたらしい。
その日の試合に親子を招待したことがきっかけで、付き合うようになった。

 当時僕は35歳で、先輩に紹介された社長令嬢と結婚していたのだけれど、向こうの浮気が原因で別居状態。
帰る所もなかったし、他に女性関係もゼロだったから、東京遠征に来るたびサッチーさんと食事に行く付き合いが続いていた。
でも結婚するなんて考えもしてなかったよ。

■「何とかなるわよ!」に救われる
──それは意外です。結婚に至ったのはなぜ?
 子供ができたからね。責任を取らなきゃならない。
向こうにしてみても、俺にほれたというより自分の2人の息子とうまくやってくれると思ったんじゃないかな。
 でもそれからが色々と大変だった。

一番強烈な思い出は、20年以上世話になった南海ホークスの監督をクビになったこと。
まだ前妻との婚姻関係が解消されていない中、サッチーさんと暮らしていることをスポーツ新聞にすっぱ抜かれちゃった。
愛人問題として大バッシングを受けて、公式戦を2試合残して解任されてしまった。
 当時、僕は42歳で、克則はまだ4歳。
「もう野球界に戻れないかも……」と落ち込んでいると、
サッチーさんが「大阪なんて大嫌い。東京に行こう!」と言い出した。
そうは言っても、東京なんて何の縁もないし、仕事のつてもない。
愚痴ばかりこぼす僕にサッチーさんは大声で、「何とかなるわよ!」。

 マイナス思考でいっぱいだった僕の心に、その一言はずしんと響いたね。
自分で会社を経営するほどのやり手だったから、東京で仕事を見つけて稼ぐ自信があったのだろうけど、僕もその一言で「何とかなるかも」という気持ちになった。
それからも落ち込んだり、困難に直面したりするたびに、
サッチーさんの「何とかなるわよ」が僕を救ってくれたと思います。


〔ずっと働け〕死ぬまで働く
──そうでしたか。今でも支えになっている沙知代さんの言葉は他にもあるのでしょうか。
 「死ぬまで働け」かな。とにかくずっと働けと言われ続けていたからね。
一人になってみると、仕事があってよかったとしみじみ思うよ。
何もする気にならなくても、仕事があれば外に出かけるし、人とも話すからね。

野村克也さん「死ぬまで働く。生活の安定は自ら確保」 80歳を過ぎて妻に先立たれたら(下)日経マネー2018/9/18

「『稼げる仕事』に就きたくてプロ野球選手になり、初任給から毎月、母への仕送りを続けた」と、野村克也さんは話す。(写真:福知彰子)

〔「自分はここまで」〕「もうこれぐらいでいいや」と諦めないこと
 捕手としても、バッターとしても活躍し、数々の記録を打ち立てた野村克也さん。
家計に限らず子供の教育も近所付き合いも、すべて妻任せだったという。
前回の「野村克也さん 一人の暮らし支える亡き妻の言葉」に引き続き、お金の管理やプロ野球選手になった理由などを聞いた。
◇  ◇  ◇
──この半年間、テレビ出演や執筆など、精力的に仕事をこなされていますね。
 なぜか分からないけど、毎日のように仕事がある。
何で俺なんだろうね(苦笑)。

 そういえば、「もうこれぐらいでいいや」と諦めないことも、サッチーさんの信条だった。
「自分はここまで」と自己限定せず、やりたいことや目標を持ち続けることが、生きる意欲や成長につながるって。
年を取って一人で暮らしていると、その意味がよく分かる。


〔健康のために我慢しない〕

 あとは、健康のために我慢しないこと。
健康に悪いからと好きなものを我慢してストレスをためるより、好きなものを食べて元気でいた方がいいというのが彼女の持論。
だから僕は今も好きなものを食べ、よく眠るようにしている。
それが健康のバロメーターになっています。

 「死ぬまで働け」にも通じるけど、できる限りお上には頼らず、生活費は自分たちで何とかする、というのもサッチーさんが言い続けたことだった。
──お金のことは沙知代さんに任せきりだったとか。
今はお金の管理はどうしていますか?
 克則の奥さんに任せています。
前は時計やら洋服やら、欲しいものがたくさんあったけど最近は物欲もなくなってきたしね。
サッチーさんがいた頃は、「現金を持たせると女に使うから」とお金を持たせてもらえず、普段の支払いは全てクレジットカード。
銀行からお金を引き出す方法も知らなかったよ(笑)。
お金とは縁がないね。
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■「稼げる仕事」に就きたくてプロ野球選手に
──それでも最初は、「稼げる仕事」に就こうとプロ野球選手を志したそうですね。
 たくさん稼いで母親を楽にしてあげたかったの。
うちは僕が3歳の時に父を亡くして、母と兄との3人暮らし。
僕が小学生の時に母は2度がんにかかり、生活はいつも苦しかった。
 最初は歌手になろうと思ったけど、学校で音楽部に入ったら才能がないと気付いた。次に映画俳優になろうと思ったけど、鏡で自分の顔をまじまじと見たら無理だと思った。
最後に残ったのがプロ野球選手だった。
 テスト生として南海ホークスに滑り込むことができたけれど、契約金はゼロ。
月の給料は7000円で、寮費3000円を支払って残った4000円から、毎月1000円を母に送り続けました。
その後結構稼ぐようになって、何万円も仕送りするようになったけど、「あの頃の1000円の方が母ちゃんはうれしかった」って言われて。

 母が亡くなったとき貯金通帳を見て、仕送りのお金は一銭も使っていなかったことが分かった。母親というのはこういうものかと胸が熱くなったね。
──野球解説者として現役で活躍されていますが、今のプロ野球界をどう見ていますか?
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 僕に言わせると、「優勝チームに名捕手あり」というぐらいキャッチャーが重要だと思うけど、今は受難の時代だね。
少年野球の監督をやった時に知ったけど、子供たちは「キャッチャーはしんどい」と言ってやりたがらない。
プロ野球界を見ても名捕手と言えるキャッチャーは残念ながらいないなあ。
 野球は頭のスポーツ。
キャッチャーは守りにおける監督の分身だから、誰よりも敵を知り、己を知って、細部にも目を配ってプレーしなきゃならない。
ありとあらゆるデータを頭に入れて、考え抜く力がものすごく重要なんだけど、それをしっかりできている捕手は残念ながら見当たらないね。

──監督としてチームを率いる上では、どんなことを心掛けていたのでしょうか。
 僕の信条は、「理をもって動かす」。恐怖で動かそうとするのは大嫌いだね。
理論がないから、恐怖や暴力で選手を動かそうとする監督が出てくる。
理で動かすには、確固たる信念や理論を持つことだけでなく、それを伝える言葉を持っていることも重要。
現役を終えてから読書量をかなり増やして、言葉力を鍛えたことが、自分の野球理論をしっかりと選手に伝えるのに役立ったと思う。

──「もう一度監督としてグラウンドに立ちたい」という思いは?
 いやいや、それはもう無理ですわ。
日本の野球界は能力ではなく年齢で判断するしね。
それと人間関係。
80歳過ぎて、人間関係も下手で、というと厳しいね。
ただ、「野村-野球=ゼロ」。僕から野球を取ったら何も残らない。
解説でも何でも野球に関する仕事がある限り、それをやっていきたいと思う。
今の野球界、周りを見ても怖い人が誰もいないからね。
死ぬまで野球を見ながら、好き勝手に言いたいことを言い続けるんじゃないかな。
(聞き手:日経マネー 佐藤珠希)
[日経マネー2018年10月号の記事を再構成]


【平蔵の独り言】南海ホークス、鶴岡監督時代のキャッチー、監督、監督の解任
を巨人・近鉄ファンとして見てきて、
サッチーとの二人三脚の最近までの露出度、この記事で初めて知る。

野村家の家訓
1:ずっと働き続ける
2:「これぐらいでいい」は禁止
3:自分でできることは自分でやる
4:健康のために我慢しない

【独り言】
古稀になってまだ働いている。
仕事する事に感謝しながら、
色々と新しいこと(出来ない事が増える、病気に遭遇する)
付き合いながら、自分の足で動けなくなったら全てのバランスが崩れる。

「これぐらいでいい」ではなく、自分でできることは自分でやる
健康のために我慢しない

還暦・古稀を過ぎ早1年・・・・・喜寿に向かって



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# by asanogawa-garou | 2018-10-10 15:05 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

樹木希林「70代になっても、何も変わらない。精神的成熟なんてないわね」(やったことがほんのわずかだもの。やり残したことばっかりでしょう。)   

2018年 09月 20日
樹木希林「70代になっても、何も変わらない。精神的成熟なんてないわね」(やったことがほんのわずかだもの。やり残したことばっかりでしょう。)

〔樹木希林〕年をとると人間が成熟するとは大間違い!
年をとると人間が成熟するとは大間違い。
不自由になった分だけ文句が出るの
自分をみているとよく解る(73才)

「あとは、楽しく面白がる!」

クローズアップ現代(樹木希林、〔人生にエール、直筆の手紙〕)

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①樹木希林「死をどう思うって? 死んだことないからわからないのよ」(前編)

●手土産、謝礼は不要

●いつ逝ってもいい準備

樹木希林「70代になっても、何も変わらない。精神的成熟なんてないわね」(中編)
●みっともなくても1位
●俯瞰でものを見る癖(俯瞰:ふかん(「広い視野で客観的に見る」)
2017.5.12 11:30AERA#シニア#終活

樹木希林「死をどう思うって? 死んだことないからわからないのよ」(前編)
2017.5.10 11:30AERA
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②樹木希林(きき・きりん)/1943年、東京都生まれ。61年、文学座に入り、テレビドラマ「寺内貫太郎一家」などで一躍人気者に。近年は映画に軸を移し「わが母の記」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞。2008年、紫綬褒章、14年、旭日小綬章
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③「死ぬときぐらい好きにさせてよ」のコピーが社会的な反響を呼んだ、2016年の宝島社の企業広告。名画「オフィーリア」がモチーフ。朝日広告賞などを受賞(宝島社提供)

 いい言葉を聞いたことがない。
「少子高齢化」「福祉の縮小」「年金消滅」……。
私たちの老後は本当に真っ暗なのか。
このまま、ひたすら下流老人化を恐れる人生でいいのか。
どこかに突破口はあるはずだ。「年を取るのは怖いですか?」――
AERA5月15日号は老後の不安に向き合う現場を総力取材。
全身がんを告白した俳優の樹木希林さんに、死生観について聞いた。

*  *  *
 アエラの取材依頼に当初は丁重な断りの電話があった。
だが「こういう取材は今回きり」の条件で、樹木さんは「なんでも聞いていい」と重い扉を開いてくれた。

「老い」とか「死」とか、そういうテーマの取材依頼がたくさんきて、困っちゃうのよ。
何も話すことなんてないんだから。
「死をどう思いますか」なんて聞かれたって、死んだことないからわからないのよ。
ひとつ(取材を)受けるとキリがなくなるでしょ。
だから全部お断りしているんです。
映画の宣伝のときは仕方ないけど。

 私がこういう取材を受けるメリットはどこにあるの?
 あなた方のメリットはわかるの。
えっ、私の話で救われる人がいるって?
 それは依存症というものよ、あなた。
自分で考えてよ。

 死はいつか来るものではなく、いつでも来るものなの、私の場合。
全身がんですから。
だから仕事も先の約束はしない。
せいぜい1年以内。
仕事の交渉は留守電とファクスで全部自分でしている。
この間も「2年契約で」なんて話が来たんだけれど「とんでもない。よしてください」って言ったの。
「そのほうがおカネ的にもいいでしょう?」って先方は言うんだけれど、
「2年先(の命)なんて保証できない。
持たせようと思うほうが苦しいから勘弁してください」って言ったわ。

●手土産、謝礼は不要
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 ところがさ、以前聞いてびっくりした。
聖路加(国際病院)の日野原さんは10年先まで計画が入ってるっていうじゃない。
いま100歳過ぎていらっしゃるでしょ。
あなた、そういう方を取材したほうが絶対いいわよ。私なんかより。

「(取材にくるとき)手土産は絶対に持ってこないで」って言ったけれど、それも毎回必死よ。
「くれないで」って。
だってお菓子を持ってこられたら、包装紙を開いて、箱を開けて、それをまた畳んで資源ごみに出してって。
すごく手間じゃない。
私は自分が食べたいケーキがあったら買いに行って、「箱はいりません」ってティッシュに包んで帰るの。
映画会社が「ポスター、送ります」なんて言ってくることもあるけど、それも「送らないでください」って。
切ってメモ帳にするの大変でしょう。

 あ、それから今回の取材の謝礼もいらないから。
こう言っちゃ申し訳ないけれど、大した金額でないでしょう。
私は大家の収入があるから。ファクスがもったいないのよ。
A4の用紙にたった1行で、余白ばかりの通知が2枚送られてくる。
お宅の会社と銀行の2カ所から。「振り込みました」「振り込まれました」って。
紙とインクリボンを消耗するじゃない。
ときどきファクスを7枚も8枚も送ってくる人もいるけど、「すみません。今度送るときは表紙はいりませんから。A4、1枚にまとめてください」って言うの。
インクリボンをむだに使って、取り換えるのは億劫じゃない。

●いつ逝ってもいい準備

 病気をしてから、いつ逝ってもいいように、自分の周りを身軽にしておきたいという思いが強くなったのはあるわね。
朝はひとしきり掃除することから始まる。
ぐちゃぐちゃしているのを見るのが好きでないの。
でも、ものがなければ簡単よ。

 女優だけれど、靴は5足しか持っていない。
雨用の長靴と山登り用のスニーカー。
それに黒と茶と赤の革靴。化粧品もリップクリームだけ。

顔には何もつけない。
シャンプーもしないわね。
仕事で色々つけられてベタベタになったときは床屋さんに行く。
手早いから好きなのね。

 いま着ている上着の背中が縦に切れているのは太っちゃったから。
切ったの。端をまつろうと思ったけど、さっき人が来てできなかったのね。
服もボロボロになるまで着てお終いにする。

(構成/編集部・石田かおる)

※AERA 2017年5月15日号より抜粋

樹木希林「70代になっても、何も変わらない。精神的成熟なんてないわね」(中編)
2017.5.11 11:30AERA
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⑤*  *  *
「老い」への不安もなにも、私はもともと小さいときからキラキラした希望や期待のある子でなかった。
なにかを目指して頑張るというのもなかったわねぇ。
それに私は人と比較しないのよ。それを武器にしてきた。

●みっともなくても1位

 原点は小学校6年生のときの、学校の水泳大会ね。
一応泳げはしたけれど運動は得意でないの。
みんなはやれクロールだ、平泳ぎだって競技を選んでいくんだけれど、私には選ぶものがない。
それで「歩き競走」というのを見つけて出ることにしたわけ。

 当日、順番が来てみたら歩き競走に出場する6年生は私だけ。
あとは1年生や2年生ばかりだった。
小学校の6年生と1年生といったら体の大きさはうんと違うのよ。
「よーいどん」ってスタートしたら、あっという間にゴールした。
1等の賞品はノートと鉛筆と消しゴムだったかな。
2等はそれより少なくて、3等は1品だけだったと思う。

 競技が終わって教室に戻ったら、クロールで3等だった子に言われたわけ。
「あんたはただ歩いただけで1等のいい賞品をもらって。大変な思いをして泳いだ自分の賞品がそれより劣っているのは釈然としない」って。

 最初はみんな私をバカにしていたのよ。1年生に交じって歩き競走するなんてみっともないじゃない。
ところが、いざ賞品の段となると、私のほうがいいわけ。
これで私はきっと味をしめたんだね。
いいんだ、これでって。そのまま来ちゃったわね、私の人生。

●俯瞰でものを見る癖(俯瞰:ふかん(「広い視野で客観的に見る」)<br>

 良かったなぁと思うのは、親がマイナスの部分を持つ子を叱らなかったこと。
4、5歳のときに私は高い所から落ちて頭を打って、その日以来、小学校高学年までずっとおねしょしてた。
毎朝、学校に行く前に布団を干すのが日課だったのよ。
ふつうだったら親が怒ったりすると思うけど、食べることに精いっぱいで子どもに構っていられなかった。
おまけに父はゆったりした人で、私が学校を休んでも叱るどころか「学校を休んだのか。こっちおいでよ」なんて手招きするような人だった。
期待されないのが良かったわねぇ。
 でも、人間だれしも取りえってあるものね。
かけっこはいつもビリだったけれど、私にもひとつだけ得意な競技があったの。
障害物競走が得意なのよ。
足の速い人は先頭を走って、網にはまって四苦八苦するじゃない。
私は5番手、6番手でいって、ほかの人の隙間を見つけてすいすい抜けていくの。
そういうのはうまいのよ。

 ずるいんだねぇ。もし私が政治家だったら、牢屋に入ると思うわ。
賄賂で(笑)。
いま私のところに、おばあさんの役がいっぱいくるのも、同年代の女優さんたちが「私には、まだ早い」ってやりたがらないからなのよ。
実際、みなさん本当にきれいなの。40代の役でもやれると思うわ。
私は映画監督の西川美和さんに「希林さんは普通に年取ってますね」って言われたことがあるけれど、それは褒め言葉だと思っている。

(障害物競走のように)全体をぱっと見てつかむ、俯瞰でものを見る癖はふだんからついているわね。
それがないと役を演じられないのよ。
私は脇が多かったでしょう。主役はいいの。
話がずっと描かれているから。
でも脇は出番がぽこっとあって、その前後の人生が描かれていない。
だから自分の役の立ち位置を考えないと演じられないのよ。

 ドラマ「寺内貫太郎一家」でおばあさん役をやったのは31歳のときだったわね。
外見は老人を真似たけれど、心の中は30代のまま演じた。
実際に70代になってみてどうかっていうと、全く同じ。何も変わらない。精神的な成熟なんてないわね。
(構成/編集部・石田かおる)

※AERA 2017年5月15日号より抜粋

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⑥人生、フルーツ
【平蔵の独り言】年をとると人間が成熟するとは大間違い!
〔樹木希林〕年をとると人間が成熟するとは大間違い!
年をとると人間が成熟するとは大間違い。
不自由になった分だけ文句が出るの
自分をみているとよく解る(73才)

「あとは、楽しく面白がる!」

【独り言】
不自由になった分だけ文句が出るの
自分をみているとよく解る(73才)

言われてみれば、思うように動けなくなる。
気持ちだけ先走って、出来ない。
「あとは、楽しく」・・・・・

【平蔵の独り言】「70代になっても、何も変わらない。精神的成熟なんてないわね」

20160618(五木寛之) 「年を重ねるにつれて人間は賢くなるのか。」“否”
【年甲斐もない生き方】
〔人は年をとると丸くなる〕
人は年をとると丸くなる、という。本当にそうだろうか。
私には、どうもそうとは思えない。
むしろ逆なのではあるまいか。
加齢による成熟などというものはない、感じてきた。
今もそう思う。

【独り言】
還暦は遥か彼方!古稀も早やがて1年!
「70代になっても、何も変わらない。精神的成熟なんてないわね」
「年を重ねるにつれて人間は賢くなるのか。」“否”

ずーと、「いいのかな」思いながら寝る前の日記を埋めていく。
・樹木希林が旅立った日。
と日記に書いた。



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# by asanogawa-garou | 2018-09-20 14:55 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)