「上を向いて歩こう人生」【80歳の永六輔】・TBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」(46年で幕) |
2014年 02月 27日 |
・TBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」(46年で幕)
【『上を向いて歩こう人生』(80歳の永六輔)】
ラジオって、そういうふうに日常の暮らしの中に、まるで風が吹くように流れているもの。
【TBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」(46年で幕)】
『しゃべれなくても、あなたがマイクの前にいることが大事なんだから、いろ』って。【永六輔(80)】

【80歳の永六輔「上を向いて歩こう人生」】
サンデー毎日(2014年2月16日号)
パーキンソン病で現在は車椅子生活の永さん。
TBSラジオ『永六輔その新世界』(土曜8時半~13時)の生放送では、
かつてほど饒舌ではありませんが、『かえって励まされる』とリスナーに好評のようです。
数年前、このままでは聴いている人がイライラするだろうから、もうやめると決めました。
すると、亡くなる前に小沢昭一さんが僕に言ったんです。
「絶対やめるな。たとえ絶句しても、マイクの前にあなたがいる気配がすれば、聴いている気配がすれば、聴いている人は『そこにいる』と感じてくれる。
言ってることが分からなくても気にしなくていいんだ。それがラジオだ」って。
結局、46年続けた「永六輔の誰かとどこかで」は休むことにして、週1回の生放送は続けています。
小沢さんの言葉がなければ、やめてましたね。
――東日本大震災でラジオの有用性が見直されました。
情報源としてだけでなく、いざという時、社会とのつながりが感じられると。
3月11日からずっと民放が自粛しましたよね。
バカ騒ぎする番組をやめたり。
ところが、東北の放送局から僕のもとには
「いつも通り続けてください。永さんがいつものようにやっていると思えることが、ラジオにとっては大事なのです」
という声が寄せられました。
ラジオって、そういうふうに日常の暮らしの中に、まるで風が吹くように流れているもの。
それで、聴こうとする人と話そうとする人の意識がつながり合うのです。
「今、車椅子を楽しんでます」
車椅子での生活は全部、上を向いて話したり、聴いたりすることになります。
子どもの目線です。
すると、それまで見えなかったものが見ることになります。
今、車椅子を楽しんでいます。そりゃ疲れますよ。
でも、障害を嘆くよりは楽しみたいと思います。
パーキンソン病の仲間を元気づけられることがあったら、やっていきたい。

小沢昭一の小沢昭一的こころ
【TBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」(46年で幕)】
『しゃべれなくても、あなたがマイクの前にいることが大事なんだから、いろ』って。【永六輔(80)】
【「話せなくてもいい」支えに TBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」46年で幕】
小沢さんは『しゃべれなくても、あなたがマイクの前にいることが大事なんだから、いろ』って。
永六輔氏 46年続いたラジオ終了後も小劇場で話すことに意欲】
──しかも、番組宛のハガキはこれからも受けつけるんですよね。
永:はい。そしたら、いままで以上に来てるらしくて。
これからどういうふうに変わっていくかわからないけど、
いままでのラジオとは違うかたちのラジオに遠藤泰子さんと一緒に戻れればいいなと思ってるの。

③TBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」
【「話せなくてもいい」支えに TBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」46年で幕】東京新聞 2013/9/24朝刊
TBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」46年で幕
永さん「去年くらいから、何言ってるかわかんなくなって」
「昨年暮れから今年にかけ、ろれつが回らずひどかった。
放送の人間としたら許せないぐらい。
ろれつが回らなくて、何言っているのか分からない。
やめた方がいいという人がたくさんいた」
「その中で、小沢昭一さんと毒蝮三太夫が『絶対やめないで』と。
小沢さんは『しゃべれなくても、あなたがマイクの前にいることが大事なんだから、いろ』って。
今はその支えがなくなったけど、小沢さんとの約束で言えば、この番組だけじゃない」。
四十六年続いたTBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」
(月-金曜、午前十一時三十五分)が二十七日、一万二千六百二十九回で放送を終える。
同一パーソナリティーによる最長寿番組の幕引きを控えた永六輔に感慨を尋ねた。
(浅野宮宏)
東京・赤坂のTBSラジオで、八十歳の永は車いすに乗ったままマイクに向かっていた。
アシスタントの遠藤泰子(69)を相手に、はがきを読み、
時折笑顔を見せながら一回十分の放送を収録した。
月-金曜の一週間分を一度にとる。
永が旅先の出来事を語るのが番組のスタイル。
「若い時は土曜日に東京に戻っていた。必ずどこかに行って、誰かと会って。
それを泰子さんに話すのが本来のあり方。でも体を壊し、できなくなった。
車いすでうろうろしていると、本来番組が持っていた旅先のリポートがやりにくくなった」。
一昨年十一月に脚を骨折。パーキンソン病と公表している。
「昨年暮れから今年にかけ、ろれつが回らずひどかった。
放送の人間としたら許せないぐらい。ろれつが回らなくて、何言っているのか分からない。
やめた方がいいという人がたくさんいた」
「その中で、小沢昭一さんと毒蝮三太夫が『絶対やめないで』と。
小沢さんは『しゃべれなくても、あなたがマイクの前にいることが大事なんだから、いろ』って。
今はその支えがなくなったけど、小沢さんとの約束で言えば、この番組だけじゃない」。
永は同じTBSラジオの「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」
(土曜午前八時三十分、関東ローカル)は続ける。
「引退するわけじゃないんで。どうやったら、それが面白くなるか。これからが楽しみ」
NHKしかラジオがなかった終戦直後、番組への投稿が放送人になるきっかけ。
まだ中学生だった。
「だからラジオが好きとか嫌いじゃなく、ラジオから僕は生まれた」
「子どもの時からラジオの仕事を始めたから、そのまま続けている感じ。
学生時代の延長線上。部活と変わらない」
探求心は強い。
「自分の周辺にあるものが、どうしてあるのか知りたくなる。知らないと落ち着かない」。
影響を受けたのが民俗学者の宮本常一(つねいち)(一九〇七~八一年)。
「放送の世界に行くんだったら、放送は電波だからどこにでも飛んでいってしまうけど、
その先に行け。そこで話をして、聞いて、調べて。それをスタジオに持って帰りなさい。
だったら放送の仕事をしていく意味がある」。
宮本の教えを胸に生きてきた。
◇
現在フリーの遠藤はTBS入社八カ月後に番組アシスタントに抜てきされ、
これまで永を支えてきた。
番組終了を「人生の一部で切り離せない。
今はすごく寂しいけど、一、二カ月たってから実感がすごく湧いてくるのかも」と受け止める。
「永さんは言葉の師匠であり、放送の師匠。
一つの物事を思いも寄らない側面でとらえ、実に面白く伝える技はすごい。
永さんと関われ、アナウンサー冥利(みょうり)に尽きる。幸せだった。その一言」
<「永六輔の誰かとどこかで」>
1967年1月に始まった「どこか遠くへ」が前身で、69年10月から現在の番組名に。
全国18局ネット。

④永六輔さん お疲れさまでした! ラジオ番組「永六輔の誰かとどこかで」終了
【永六輔氏 46年続いたラジオ終了後も小劇場で話すことに意欲】
NEWSポストセブン 2013年10月20日
46年間、1万2629回にわたり続いたTBSラジオ『永六輔の誰かとどこかで』が、
9月27日に最終回を迎えたが、その翌日、何事もなかったかのように、
もうひとつの冠番組の生放送に臨んだ永六輔氏(80)。
永氏にとってのラジオとはどういうものか──吉田豪氏(プロインタビュアー)が深掘りインタビューした。
──素朴な疑問で、永さんって昔からいろんな人と喧嘩して、すぐ番組を降りることで有名だったじゃないですか。
なんでラジオは続いたんですか?
永:テレビのスタジオにいると何をしてるんだかわからない人がいっぱいいるんですよ。
あれが不愉快なの。
代理店とかスポンサーとか、真剣にやってる周りに用もないのにただ偉そうなヤツがいると。
「彼らを全部外に出してくれ」って言うと「そうはいきません」って言われて。
でも、嫌だから大抵そこで喧嘩が始まるの(笑)。
スポンサーを怒鳴り散らしたり。
──うわーっ! それでやめることになるんですか?
永:うん。途中で帰ったことのほうが多いの。
でも、番組中に喧嘩してやめるでしょ?
そうすると、すぐ別の仕事を回してくれる連中がいるんですよ。
小沢昭一、野坂昭如、五木寛之とか、中村八大、大橋巨泉、寺山修司にしても、
早稲田時代から付き合いのある仲間がね。
──いい仲間たちがいたから、無茶苦茶なやめ方をしても生き残ってこれた。
永:うん、生き残った!
──テレビではそれだけ喧嘩した永さんが、ラジオでは喧嘩せずに済んで。
永:ラジオはいいアシスタントがいて、
遠藤(泰子)さんや外山(惠理)君が僕が怒りそうになるとパッと間に入ってくれますから。
それができないと、すぐ喧嘩になります。
上手なんです、みんな。
でもこないだ、NHKのアナウンサーが、
この人とは仕事をしたくないっていう表があって、
そこには永六輔があったの。とても付き合えないって。
──ダハハハハ! 言われるのには思い当たる節があるわけですね(笑)。
永:あるの。
田辺靖雄がいま日本歌手協会の代表理事をやってるけど、
彼と昔話を久しぶりにして、
よくディレクターやカメラマンに殴られたっていう話を田辺がしたんだけど、
僕は殴ったほうだったから。
──殴ってたんですか!
永:怒鳴り散らす喧嘩の声の中で、殴ったり殴られたりっていう修羅場だったの、スタジオが。
それが普通だった。
──じゃあ永さんが殴られることもあったんですか?
永:カメラマンに喧嘩で殴られたりしてた。…
殺気立ってる、生放送でしょ?
──それはスタジオによけいな人間がいたら追い出したくなりますよね。
永:殴ったり殴られたりしたっていうのは、みんな一生懸命だったからですよ。
で、いまラジオをやってて感謝してるんだけど、
ホントに居心地のいい環境にしてもらってて。
──『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』は永さんがスタジオにいて、
たまに楽しそうに笑ってるだけで十分ですからね(笑)。
永:ハハハハ! そうなんだよね。
「あなたは笑っていればそれでいいんです」って誰かに言われたな。
でも『誰かとどこかで』はこれだけ長く続いてきて、
遠藤さんは46年、最初からパートナーですから。
46年、入院しても病室から放送して一日も休んだことがなかったの。
それが今回、お休みになったけど、2人の対話をラジオだけで終わらせたくなくて。
ラジオで話せない話っていっぱいあるの。
そういう話を、遠藤さんとライブハウスとか小さな劇場とかでやっていこうと思ってて。
──しかも、番組宛のハガキはこれからも受けつけるんですよね。
永:はい。そしたら、いままで以上に来てるらしくて。
これからどういうふうに変わっていくかわからないけど、
いままでのラジオとは違うかたちのラジオに遠藤泰子さんと一緒に戻れればいいなと思ってるの。
──楽しみにしてます!
■永六輔(えい・ろくすけ)1933年、東京・浅草出身。
中学時代にNHKラジオ『日曜娯楽版』へ投稿を開始。
早稲田大学在学中より本格的に放送の世界に関わる。
以後、放送番組の作家、作詞家、語り手、歌手、文筆家として幅広く活躍。
2010年、パーキンソン病と前立腺がんであることを公表し、治療とリハビリを続けながら現在も活動を続けている。
※週刊ポスト2013年10月25日号

【平蔵の独り言】
〔ラジオって、そういうふうに日常の暮らしの中に、まるで風が吹くように流れているもの。
〕
【独り言】
日常・・・・・・・・・・・・・
日常が如何に大切な日々か感じることが多い今日この頃だ!
1週間の間に心の後ろ盾になっていた人、
二人が旅立ってしまい、それでも流れていく。
〔『しゃべれなくても、あなたがマイクの前にいることが大事なんだから、いろ』って。【永六輔(80)】〕
【独り言】
80歳:永六輔、草笛光子、五木寛之(81)、仲代達矢(81)、高倉健(83)
活躍(存在)の日常が続いてほしい!
▲ by asanogawa-garou | 2014-02-27 16:31 | 人間模様 | Comments(0)