5年後の〔3.11〕震災特番「視聴率全滅」が意味するもの、5年後の熊本地震、メルトダウン隠蔽発覚 |
2016年 06月 29日 |
5年後の〔3.11〕震災特番「視聴率全滅」が意味するもの、
5年後の熊本地震・5年後のメルトダウン隠蔽発覚
日本人は冷たいのか? 震災特番「視聴率全滅」が意味するもの
「5年後の3.11」に起きたこと (週刊現代2016/4/9 号)
〔「無力感に襲われる」〕
テレビを見ている人も、震災復興が大切だとわかっています。
でもたとえば、いま話題になっている保育園の待機児童の問題は、
自分が現実に子育てや低賃金、
介護の問題に追い立てられてしまうと、
そんな気持ちはなかなか持てません。
東京オリンピックや伊勢志摩サミットを進める国の政策に対し、
「その予算を復興に回すべきだ」と憤った人は多くいた。
しかし今は「介護士の待遇改善を」「奨学金制度の見直しを」と、
より身近なテーマに引きつけて話すことが増えている。
〔答えが出ないことの疲労感〕
「震災・津波・原発事故(メルトダウン):被災地、被災者」
いつも結論が出ないまま、敏感な視聴者は、
放射能の問題が可視化されにくいことをもう知っているんです。
『結局、答えは出ないんでしょう?』(専門家が議論を交わされても、一般の人々は簡単には理解できない。
次の1年後に先送りしているだけ。
震災をきっかけに移住した被災者は言う。
『目を逸らす』という態度と、『端から無関心』は違います。
無力感だったり、変わらない原発行政への絶望だったり、
家族を喪った人を見るのが辛いという気持ちだったり、
そういうものから目を逸らして生きるのは、むしろ生きる術なのではないでしょうか」
〔忘れられないけど忘れたい〕
『総括はまだ』と言いますが、そもそも総括などできないし、する必要もないと思います。
〔不運とではなく、そういう生だったのだ〕
忘れたいわけではないが、忘れなければ生きていけない。
そんな悲しみが、人間の人生にはあるのだろう。
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今年も3月11日にはテレビで震災や原発事故の映像が繰り返し流された。
しかし、震災特番を見る人は年々減り続けている。
あの日のことを、忘れてしまったのか。
それとも、見られない理由があるのか。
Nスペですらダメだった
誰もが忘れえぬはずの、あの3月11日から、5年が経った。
震災が起こった時刻、14時46分をまたぐ時間帯では各テレビ局が震災特集を放送。
出演者が、犠牲となった方々に黙禱を捧げる姿が映しだされた。
今年も多くの震災特番が作られ、様々な番組内で特集が組まれた。
NHKは、被災地の課題や原発事故をテーマにした「NHKスペシャル」を多数制作。
その視聴率は、3月5日放送分が6.0%、6日が7.5%、8日が4.4%、10日が5.5%と推移し、第5夜の11日に、前述した「津波」特番を放送した。
5年後の3.11に、震災特番の視聴率が全滅した。
この日のことは絶対に忘れない、
自分の力の及ぶ限り、被災地に寄り添っていこう――
誰もがそう思ったはずなのに、人々は震災特番から目を逸らした。
〔「無力感に襲われる」〕
なぜ人々は震災関連の番組から目を背けるのか。
これは日本人の「冷たさ」の表れなのか。
経済ジャーナリストの荻原博子氏は、今の社会の停滞感が、
震災特番を避ける気持ちに拍車をかけていると指摘する。
「テレビを見ている人も、震災復興が大切だと分かっています。
でもたとえば、いま話題になっている保育園の待機児童の問題は、
お母さんたちにとっては本当に切実です。
震災直後は、みんな被災地のために、と心を一つにしましたが、
自分が現実に子育てや低賃金、介護の問題など目の前の問題に追い立てられてしまうと、
そんな気持ちはなかなか持てません」
東京オリンピックや伊勢志摩サミットを進める国の政策に対し、
「その予算を復興に回すべきだ」と憤った人は多くいた。
しかし今は「介護士の待遇改善を」「奨学金制度の見直しを」と、
より身近なテーマに引きつけて話すことが増えた。
だがもちろん、日本人は、あの大災害を忘れたわけではない。
今年の3.11も、「被災地に向き合わなければ」と心のどこかで思っていたはずだ。
でもそれができなかった。
福島の地元テレビ局記者が、こんな経験を語る。
「取材で知り合った、ボランティアで度々福島を訪れている東京在住の30代の男性から、
先日こんなことを言われたんです。
『怒らないで欲しいんだけど、震災の番組は見ていないんですよ』と」
理由を聞いてみると、
「自分のできることなんてたかが知れている。
震災の特番を見ると、自分の活動は自己満足なんじゃないかとか、
被災者の感情にはどうしたって寄り添えないのでは、と無力感に襲われるんです」
と答えたと言う。
「福島で会うとそんな様子は見せないのですが、
テレビを見ることで客観的になると、精神に負担がかかるそうです。
現地の人間の悩みとはまた違ったものだったので、驚きました」(前出の記者)
〔答えが出ないことの疲労感〕
ボランティアや募金など形のある支援でなくても、
誰もが心のどこかで、被災地を思っている。
でも、テレビを通じてあの災害を見つめなおすことは辛い。
そう考える人は多い。
でもそれは、心が冷たいのとは少し違うのではないか、と、
震災をきっかけに東京へと移住した60代の被災者女性は言う。
「『目を逸らす』という態度と、『端(はな)から無関心』は違います。
無力感だったり、変わらない原発政策への絶望だったり、
家族を喪った人を見るのが辛いという気持ちだったり、
そういうものから目を逸らして生きるのは、むしろ生きる術(すべ)なのではないでしょうか」
3.11の報道は、悲しい過去を振り返るものが多くなる。
本当は知らない現実が報じられているのかもしれないが、
伝え方が紋切り型なために、視聴者は番組を敬遠する気持ちが強くなるのかもしれない。
元日本テレビ記者として貧困問題などのドキュメンタリーを手がけた、
水島宏明法政大学教授はこう語る。
「特に民放で顕著ですが、震災特番が、『24時間テレビ』化している。
3月になったから震災を扱わないといけない、という義務感で番組を作っているように感じられます。
それ自体は必ずしも悪いことではないでしょう。
しかし番組作りがマンネリ化し、安易なお涙頂戴や、
3.11前後だけ被災地に足を運ぶコメンテーターが復興の遅れを批判するという、
同じような番組ばかりになっている」
震災から5年が経ち、3.11当時に隠されていた事実が明らかになったり、
新たに大きな困難が発生したりすることは、幸か不幸か少なくなっている。
3・11の「わかりやすい、新しいニュース」が世を賑わすことは多くはない。
そこで、テレビ局はこれまでの蓄積をもとに、番組を作ろうとする。
だがそれでは、どうしても既視感が強いものになってしまう。
象徴的なのが、3月13日21時から放送されたNHKスペシャル「原発メルトダウン 危機の88時間」だ。
90分間にわたり、震災当時の福島第一原発の緊迫した状況を再現。
当時フクイチの所長だった故・吉田昌郎氏を俳優の大杉漣が演じた。
今年の震災特番の中でも規模の大きい番組の一つだ。
しかし、視聴率は7.6%と低迷。
直前に放送された『真田丸』と、続く『ニュース・気象情報』の16%超から、一気に数字を落としている。
大河ドラマを楽しんでいた人のおよそ半数がチャンネルを変えた、見るのを嫌がったのだ。
誰もが関心を持っていた、放射能の問題はどうだろう。
「報ステ」の視聴率が低迷したことは先に触れた通りだ。
原発事故についてはそもそも専門性が高い問題が多いうえに、
放射能の人体への影響は、科学者の間でも議論が定まっていない。
そんなわかりづらさが、事態を難しくしている。
『「フクシマ」論』などの著書がある社会学者の開沼博福島大学特任研究員が言う。
「『報ステ』の特集はセンセーショナルな作りでしたが、
結局は、県民健康調査で報告される甲状腺がんと、
福島第一原発事故由来の放射能との因果関係はわからない。
『報ステ』は昨年からこの問題を追っていますが、
いつも結論が出ないまま番組が終わっています。
敏感な視聴者は、放射能の問題が可視化されにくいことをもう知っているんです。
『結局、答えは出ないんでしょう?』と、はじめから分かってしまう。
見ている側は、報道にカタルシスを求めています。
答えが出ない問題に、疲労感や、もやもやした思いばかりが募る。
そうなってしまうと、視聴者は離れていく」
専門家の間で議論が交わされても、一般の人々は簡単には理解できない。
放射能の問題に不安を抱く人たちに、シンプルな答えを出してくれる人がいるわけではない。
〔忘れられないけど忘れたい〕
本誌は、震災特番の視聴率が低迷していることについてどう考えるのか、
また、今後の放送について各局に問い合わせた。
各局、「総括はまだ」としながらも、
NHKは「視聴率を想定していない」、
フジ、TBS、日テレ、テレ朝の民放キー局からは「震災報道・番組についての視聴率は度外視」との答えが返ってきた。
そして、どの局も震災報道の社会的な意義を強調し、「今後も継続していく」と回答する。
ある民放ディレクターは言う。
「『総括はまだ』と言いますが、
そもそも総括などできないし、する必要もないと思います。
私はもし社に『震災特番を作れ』と命じられたらいい番組を作ろうと考えますが、
正直に言うと、自分から手を挙げようとは思いません。
でもそのことで、自分を責めるのはやめようと思っています」
〔不運とではなく、そういう生だったのだ〕
被災者でもある作家の伊集院静氏は、本誌連載「それがどうした」で、こう書いた。
〈何人かの知人に悔みの言葉を言わねばならない。
どうか笑って欲しいと思うが、
胸の底に残る記憶はそんなに簡単に、
五年くらいで整理がつくものではない。〉
しかし、と氏は言う。
亡くなった人の死を不運と嘆くことは、逆に彼らの生の尊厳を損なうのではないか、と。
〈不運ではなく、そういう生だったのだ。
不運と思っては、哀し過ぎるではないか。
不運と思うな。そう自分に言い聞かせて、今日まで来ている。〉
忘れたいわけではないが、忘れなければ生きていけない。
そんな悲しみが、人間の人生にはあるのだろう。
2016/04/09号
【平蔵の独り言】
五年後の熊本地震(2016年(平成28年)4月14日)
2011年の原発事故を巡っては、東電は発生から3日後の3月14日には1号機から3号機で最大55%の炉心溶融、いわゆる「メルトダウン」が起きたことを知りながら、2カ月後の5月まで明らかにしませんでした。
そして、今年2月になって、炉心の5%が損傷した場合はメルトダウンと認めて公表する社内基準があったことを明らかにし、強い批判を浴びています。
【独り言】
自然に対する無力感
都合の悪いことを知らせない無力感
▲ by asanogawa-garou | 2016-06-29 12:36 | 今 今日この頃 | Comments(0)