〔津川雅彦〕不器用は努力しないと器用になれない、その努力が魅力になる、と言ってくれました。 |
2018年 08月 23日 |
〔公衆トイレで、掃除のおばちゃんに『こいつは嫌なヤツなんよ』って言われたことも。〕役者冥利に尽きますね
〔不器用は努力しないと器用になれない、その努力が魅力になる、と言ってくれました。〕
〔誰に対しても偉ぶらない姿勢こそ、大スターの証だった。〕
【「やたら偉ぶるモンをコテンパンにやっつけてた」】
「死はもう怖くない」津川雅彦が車椅子、鼻チューブ姿で語った覚悟〈週刊朝日〉8/8(水) 11:38配信 AERAdot.

①死の2カ月半前に、本誌独占インタビューに応じた津川雅彦さん。
「死はもう怖くはありません」(撮影・加藤夏子)
4日に心不全で亡くなっていた俳優の津川雅彦さん。そのわずか2か月半前、本誌の独占取材に応じ、体調が万全ではない中で、2時間近くに渡り、自分の人生について饒舌に語った。

② 津川さんへの取材が行われたのは5月中旬の都内。
俳優人生を振り返ってもらうインタビューだった。
その1か月前には妻で女優の朝丘雪路さん(享年82)を亡くしたばかり。
本人も体調不良のため、一度は取材を延期していた。
この日の取材には車いすに乗って、鼻には酸素吸入のチューブをつけて登場。
声がかすれるためか、何度もコップの水を口にしながらも丁寧に質問に応じた。
津川さんが自分の人生を語る上で、欠かせないのが俳優で兄の長門裕之さんの存在。
兄の演技力の高さは手放しで褒めた。
「天才ですね。兄がいなかったら、僕の人生はまったく違ったものになっていたでしょう」
一方で、兄弟はいい意味でのライバルだったとも。
「世間からは、兄は芝居がうまいが、弟は顔がいいだけのド大根、ってののしられてね。しかし、まねしようのがない兄の個性ある役者っぷりがあったからこそ、僕も自分のやり方を探し続けることができた」
〔公衆トイレで、掃除のおばちゃんに『こいつは嫌なヤツなんよ』って言われたことも。〕役者冥利に尽きますね
二枚目俳優からの脱却は、『必殺仕事人シリーズ』で敵役を演じたことがきっかけだと明かした。
「二枚目だと最初から最後まで変われないけど、悪いヤツってのは最初に好感を持たせておいて、後で裏切る。公衆トイレで、掃除のおばちゃんに『こいつは嫌なヤツなんよ』って言われたことも。役者冥利に尽きますね」
脚本家のジェームス三木、映画監督の伊丹十三、作家の渡辺淳一など大御所にかわいがられて、映画「マルサの女」NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」などの代表作を残した。
〔不器用は努力しないと器用になれない、その努力が魅力になる、と言ってくれました。〕
「僕は兄と違って不器用なんですが、新派の花柳章太郎先生が、不器用は努力しないと器用になれない、その努力が魅力になる、と言ってくれました。伊丹、渡辺、ジェームスの御三方は、そういう不器用な津川雅彦を気に入ってくれたのかもしれない」
俳優・津川雅彦を育てた3人のうち2人はすでに亡くなり、兄も他界。
60歳を過ぎたころから、死は遠いものではなくなったという。
最後に死生観について問われるとこう語った。
「死は自分の意思ではどうにもならない。今はもう、死は怖くはありません」
俳優としての人生に未練はない、という感じの語り口だった。
〔誰に対しても偉ぶらない姿勢こそ、大スターの証だった。〕
写真撮影のときは、俳優らしく、鼻からチューブを外してポーズを決め、目には輝きを取り戻した。だが、”らしさ”が最も表れたのは、去り際だった。
送迎の車に乗りこむと、わざわざ車の窓を開けて「今日はとても楽しかったです。ありがとうございました」
と深々と頭を下げた。誰に対しても偉ぶらない姿勢こそ、大スターの証だった。(本誌・鎌田倫子)
※週刊朝日オンライン限定記事
【平蔵の独り言】
〔不器用は努力しないと器用になれない、その努力が魅力になる、と言ってくれました。〕
【独り言】
“努力”してきたかな!
団塊の世代は戦後の高度成長という流れに乗ってきたか?
古稀になって
“長くこの世におれば起こるのは悲しいことばかり”(殺陣師上野隆三81歳)
目に留まるのは先人の生きてきた足跡・・・・・
【「やたら偉ぶるモンをコテンパンにやっつけてた」】
泉谷しげる、亡くなった津川雅彦さんを「やたら偉ぶるモンをコテンパンにやっつけてた」
スポーツ報知 8/8(水) 11:40配信

④泉谷しげる、亡くなった津川雅彦さんを「やたら偉ぶるモンをコテンパンにやっつけてた」
歌手で俳優の泉谷しげる(70)が8日、自身のブログを更新し、4日に心不全のため78歳で亡くなった俳優の津川雅彦(本名・加藤雅彦)さんを偲んだ。
泉谷は「津川氏逝く」と題したブログで「津川雅彦さんが逝去した 5月のオイラの誕生日に高価なプレゼントが郵送されてきたので~すぐさま御礼のメールを出したが、返信は無かった いつもなら直ぐ様メールやら電話やらで返事してくれる津川センパイであっただけに、この時はサスガに何かあったなと思ったな…」と振り返った。
俳優、映画監督と多才だった津川さんを「映画好きのオイラは津川センパイの本格的デビュー作『狂った果実』(1956)が大好きで~当時、フランスのヌーベルバーグ映画に影響あたえたと云われる此の映画の格好良さと云ったら!今だに(DVDだが)観るからねぇ 映画監督としても腕前ありで、祖父の姓を冠に「マキノ雅彦」名義で初監督した『寝ずの番』(2006)は見事な出来ばえ!さすが日本の娯楽映画のスタイルを創りあげたマキノ一家に生まれた者だけあって、映画づくりが本当にウマかった!」と絶賛した。
〔「役者ごときエラソーになったらオシマイだぁな」が口グセだった津川センパイ、〕やたら偉ぶるモンをコテンパンにやっつけてたっけ
さらに「津川センパイに食事を誘われるたび~オイラは津川雅彦…あいやマキノ雅彦監督の次回作に出演したいと云ってたもんさ あの時代を生きた映画放蕩遊び人は「宵越しの金を持たない」とばかり散財して来てるが「役者ごときエラソーになったらオシマイだぁな」が口グセだった津川センパイ、やたら偉ぶるモンをコテンパンにやっつけてたっけ 博学で歴史を語り出したら止まらないが、話っぷりが面白く実にチャーミングでオシャレな津川雅彦だったのだ 今どきは78はまだ若いと思うンだけどなセンパイもう“遊び”に誘われなくなるのが寂しい限り 心よりの哀悼を」と悼んでいた。
【平蔵の独り言】
歌手で俳優の泉谷しげる(70)と津川雅彦、結びつかなかったが
そうか、泉谷しげるも古稀なんだ!
枠からはみ出して人生を歩いて来ているようだけど、
泉谷しげるは向田邦子に映画出演を誘われて出演している。
いい先人を亡くした。
▲ by asanogawa-garou | 2018-08-23 14:45 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)