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【所ジョージ】俺は梅を歌いたいの。誰も相手にしない梅。〔60歳を過ぎたら辞める〕60になったら70で辞めよう、70になったら80で、〔失敗も含めて人生でしょ〕   

2018年 07月 25日
【所ジョージ】俺は梅を歌いたいの。誰も相手にしない梅。
〔60歳を過ぎたら辞める〕60になったら70で辞めよう、70になったら80で、〔失敗も含めて人生でしょ〕


――何年か前に60歳を過ぎたら辞める、辞めないみたいな話がありましたけど、いまはまったく引退は考えていないんですよね?そうだね。50代には思うんだよ。60になったら辞めようって。
で、60になったら70で辞めよう、70になったら80で、80になったら90で...ってやってくと、死ぬな、もうそろそろ。そういうことだよ(笑)

〔「理想の上司」と言われるけれど〕
〔困っているのもその人の人生だから〕自分の「底」は見せない方がいい。
〔「一生懸命やったんですけど」〕「じゃあ、お前じゃない方がいいな」
〔コピー取りでも何でも、ハツラツとやる。〕ハツラツとやっていれば、幹以上の太い枝が出てくる。
〔「俺はこんな器じゃない」なんて言い出すなってこと。〕「苦節5秒」
〔俺は梅を歌いたいの。誰も相手にしない梅。〕
〔失敗も含めて人生でしょ〕
〔手応えはいらない〕
〔お笑いビッグ3の個性〕

ビートたけし・明石家さんま・タモリ お笑いビッグ3の個性

〔60歳を過ぎたら辞める〕60になったら70で辞めよう、70になったら80で、

BuzzFeed Japan 2018/04/13「新入社員に伝えたい本当のトコロ」

――――――――――――――――――――――――――――

【所ジョージ】俺は梅を歌いたいの。誰も相手にしない梅。
そんな所さんの仕事場兼遊び場である「世田谷ベース」にお邪魔して、この春、新たな一歩を踏み出した新入社員たちへのメッセージをもらった。
(新入社員に伝えたい本当のトコロ)
〔俺は梅を歌いたいの。誰も相手にしない梅。〕

所ジョージ。いくつものレギュラー番組を抱えるお茶の間の人気者で、クルマやバイク、模型など、趣味を全力で楽しむ人生の達人。
「理想の上司」ランキングの常連でもある。

そんな所さんの仕事場兼遊び場である「世田谷ベース」にお邪魔して、この春、新たな一歩を踏み出した新入社員たちへのメッセージをもらった。
(取材:BuzzFeed Japan 神庭亮介)
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①Jun Tsuboike / BuzzFeed

〔「理想の上司」と言われるけれど〕
――「理想の上司」ランキングでは常に上位にいますね。
新入社員向けにアドバイスをお願いします。

「理想の上司」って言われても、自分ではなんかピンとこない。
「所ジョージ」って字面も簡単だし、聞かれた時にパッと出やすいだけなんじゃない?

たとえばお笑いの世界だと、さんちゃん(明石家さんま)の下に誰それがいて、中堅がいて、若手がいて...ってわかりやすいじゃん。
でもウチの事務所はそういうこともないし。

〔困っているのもその人の人生だから〕自分の「底」は見せない方がいい。
そもそも人に何かを教えようとか、それは違うよって否定するつもりがないの。ある人が困っていたとするじゃん。
困っているのもその人の人生だから。
そこでいいアドバイスをしちゃうと、人生の邪魔してるような感じもするのね。

――たとえ的確なアドバイスだとしても。
そう。アドバイスでその人が解放されたとして、そんな簡単に解放されちゃうと人はつまんないから。自分で考えるのが一番楽しいわけで。

人の話を聞いて、「こうするといいよ」って段取り通りにいくと、あんまり手応えを感じない。
何も聞いてないのに、そこまでいけた自分の方が立派でしょ。
その方が感動できるよ。

人の言うことを聞いてなくて、失敗したとするじゃん。
聞いとけばうまくいくのに。だけど失敗も捨てない、なかったことにしない。
怒られたことを削除しないっていうこと。それも自分の経験だから。

〔「一生懸命やったんですけど」〕「じゃあ、お前じゃない方がいいな」
あとはね、失敗した時に「一生懸命やったんですけど」って泣き言は言っちゃダメ。
一生懸命やったのにできなかったら、「じゃあ、お前じゃない方がいいな」って他の人に代えられちゃうでしょ。

「ちょっと怠けてました」って言う方がまだいいよね。
その場で怒られても「次はちゃんとやれよ」でもう1回復活できる。
だから、自分の「底」は見せない方がいい。
ハツラツとやる

――配属先や仕事の内容が希望通りにならず、腐ってしまう人もいるかもしれません。
腐る人には誰も見向きもしないよ。
ペンキ塗りを頼まれた子どもがニコニコしながらやっていたら、「楽しそうだから俺にもやらせて」って友達がやってくれる話があるでしょ(『トム・ソーヤーの冒険』のエピソード)。

〔コピー取りでも何でも、ハツラツとやる。〕ハツラツとやっていれば、幹以上の太い枝が出てくる。
コピー取りでも何でも、ハツラツとやる。
そうすると、上司の目に留まって「アイツは頑張ってるな」って次の部署に引っ張られるキッカケになるかもしれない。

みんな目の前の仕事が木の幹だと思っちゃうんだよね。
「いい大学出て、会社に入ったのに、何でこんな仕事なんだよ」って変なプライドが出てきちゃう。
だけど、細い枝みたいなところで「これは俺の幹じゃない」って言ってもしょうがないよ。

ハツラツとやっていれば、幹以上の太い枝が出てくる。
「この仕事は合ってるな」って思うところを幹にしちゃえばいいわけで。
苦節5秒

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〔「俺はこんな器じゃない」なんて言い出すなってこと。〕「苦節5秒」

――壁にぶつかって、挫折しそうになった時はどうすれば。
挫折をよけるのは簡単なの。
いい茶碗を使ってたけど、ひび割れて使えなくなっちゃった。
茶碗ランキングでは相当下がっちゃう。
でも下に穴ボコ開けて植木鉢にしたら、トップクラスの鉢になるかもしれない。

「トップの植木鉢になってやる!」って考えたら、ハツラツとできるじゃん。

俺は「苦節5秒」って言ってるんだけど、時間が経つと全部のことが笑い話になるから。
時には、自分で自分に目をつぶるってことも大事。ごまかしたっていいのよ。
「俺はこんな器じゃない」なんて言い出すなってこと。

歌手としてデビューしたのに...
――所さん自身、シンガーソングライターとしてデビューしながら、タレントや司会業という別の領域でブレイクされた経験の持ち主です。
複雑な思いはなかったのでしょうか。

20代で歌手デビューして、30代ぐらいまでは「何で売れないんだよ」って思ってたよ。だってそっちを目指してたんだから。
最初のうちは逆ギレだよね。「どうせ聴かねえんだろ、お前ら!」って。
そこで音楽を辞めちゃって、司会業としてニコニコ暮らす方向にも行けたわけ。でも40年もやっていると楽しくなってきちゃって。
聴かれない歌をどんどんつくる、みたいな。おかげさまで60過ぎていまだに歌をつくってる。

どこかからか面白くなってくるのよ。
だからみんなも、途中で「俺には向いてない」とか「つまんない」とかジャッジしないで、やり始めたことはずっと続けた方がいい。人生は長いんだから。

役者さんで売れなくても、会社員になって全部辞めちゃうんじゃなくて、ちょっと匂いのするところにいる。
「もう辞めたよ」ってウソついて、内緒でやればいいと思うんだ。
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バッグに入ったスプーン。「誰かが『スプーンがあればなあ』って時に、『あるよ』って出したいの。
あとは消毒薬とか絆創膏とか。困った時にスーパーマンになれるじゃん」


〔俺は梅を歌いたいの。誰も相手にしない梅。〕

ユーチューバー所

――父から娘への愛情を歌った『ご自由にどうぞ』をはじめ、隠れた名曲がいっぱいあります。
音楽評論家の萩原健太さんは、所さんのことを「日本で一番過小評価されているシンガーソングライター」と評していました。

それでいいの。過小評価に値するってところがすごく大事なんだな。

――YouTubeにもたくさん曲をアップしてますね。

ここ最近だけで20曲ぐらいあげてる。「またあがってる! この人、限界がないんだな」って呆れさせたいんだよ。広告も入れてないの。こんなんでお金もらうなんて、俺も良心があるからさ。YouTubeはゲーム。バカみたいに歌つくって、あげるのが面白くてしょうがない。

――なんでYouTubeでは「所ジョージ」ではなくて、「世田谷一郎」名義なんでしょう。
野球選手のイチローってスゴイじゃん。「一郎」にしておけば、釣られて来る人がいるんじゃないかなって。

――所さんの名前で出した方が確実に再生されると思いますが(笑)
その考え方がセコくて面白いなと思って。動画を見てても、自分で自分に笑っちゃうの。俺が一番見てる回数が多いと思うよ。
この曲なんて、800回再生のうち600回は俺が見てるね。

誰に手伝ってもらうわけでもなく、自分で作業して、リズムを変えたりして。
そんな自分が超カッコイイわけ。こんなんでレコード大賞取りたいんだよ。直木賞でもいいからさ。
大人数のオーケストラがいて、誰もが立派に見えるような曲で賞もらったって当たり前でしょ。自分だけのもので評価されたいっていうのがすごく強いよね。
芸能界は5合目まで

――便器のことを歌った『いいなり』とか、題名そのままの『カミさんがパチンコでとってきたアンパンマンの風呂桶セット』とか、普通だったら絶対歌にしないような素材を歌にしていますよね。

芸能界、歌謡界っていうでっかい山があって、そっちでは福山雅治が桜のことを歌ってる。
だけど、俺は梅を歌いたいの。誰も相手にしない梅。
梅干しなんかできちゃってさ。
『桜より梅を歌え』なんてすごく庶民的な、実質的な歌になってくわけよ。
そっちの方が面白いやって。
ちっちゃい山をつくりたいわけ。

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④『傘を買おう』世田谷一郎のYouTubeチャンネルより

――過去のインタビューでは「芸能界は敵」なんて過激発言もしています。
世間では所さんこそ芸能界のど真ん中だ、と思っている人も多い気がしますが。

芸能界はあっちの山。たまに行って、5合目ぐらいまでは登るのよ。
で、おみやげ売り場でおみやげ買って、リラックスして車で帰ってくるぐらいの感じ。
そこの高みは、さんちゃんに任せておけばいいの。

俺は山頂まで行かない。おみやげ物もあんまりないし、行くのはつらいから。
さんちゃんはルールが全部ある

――『明石家さんまさんに聞いてみないとネ』という曲もありますが、さんまさんとはどういう関係なんでしょう。
「騒がしく面白いことを言う人」ってみなさん思ってるでしょ?
さんちゃんが面白いのは、瞬発力がすごくあるの。
後輩の面倒見もすごく良くて、「お笑いとは」っていう考え方がしっかりしてる。そこを俺に言われると、照れるんじゃない、きっと。
そうやって照れちゃうところも好きだし。

あの人はルールが全部ある。
「こう言って、こう言ったら、こうなる」っていうキャッチボールのルール。
お笑いの本とか書くんだったら、そっちの方が正しい。

俺は物事が起きなきゃわからない、というところでやってるので、感覚は全然違うんですよ。ただ一緒にいると、瞬発力がすごいね。

――ご自宅にさんまさん用の部屋があるって本当ですか?
さんまさんがずっと独身だった時のために用意してあるっていう。
いまはもう、カミさんのミシン部屋にしちゃった(笑)
さんちゃんが年とって、一人で行くところがなくなったらここに住めばいいじゃない、っていう話をしていたんだけど、いまもハツラツとやってるからね。

〔お笑いビッグ3の個性〕
ビートたけし・明石家さんま・タモリ お笑いビッグ3の個性

――ビートたけしさんも世田谷ベースにはよく来られるとか。
来る、来る。北野さんは底抜けですごく面白いんですよ。

さんちゃんと北野さんの二人に言えるのは、どんな素材を渡しても大丈夫ってこと。木魚だろうが、釣鐘だろうが、すごい笑いをつくっちゃう。

死体を持っていっても笑いをとるよ。
「体温下がってまんな」とかなんとか言いそうじゃん。

かたやタモリさんは、自分のなかから出てくるもので上手いことやる感じ。
そこが二人とは違うね。
ゲストが出てきても丁寧じゃん。
暴言言ったり、つついたりしないでしょ。

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⑤「世田谷ベース」のガレージに飾られたビートたけしさんの写真

〔失敗も含めて人生でしょ〕
たけし編集長と雑誌づくり
――たけしさんが編集長、所さん副編集長で『FAMOSO』(2009年)という雑誌もつくっていましたね。
「フィクションスクープマガジン」と銘打って、「銀座名物、流しの立小便屋」とか「謎の巨人が本栖湖で入水自殺!」とか、メチャクチャやってる。

『FAMOSO』はね、もっと評価されたかった。

――Amazonのレビューも高評価でしたけど。
そんなんじゃダメよ。5千万部ぐらい売らないと。
国が買い上げてくれればなあ。

あの雑誌は、毎週土日にここ(世田谷ベース)に北野さんが来て、一緒につくってたわけ。
「こういうのやろうぜ」って世間話して、そこからつくり話を考えて。衣装を集めて、撮影して、写真をコラージュして...っていうのを繰り返すの。

人に頼むと思い通りのデザインにならないから、全部自分でやって。
3、4冊出したら、俺はもう限界だったね。
北野さんは「またやろうよ」なんて言ってるけど、いやいや。
アンタはいいけど、俺は大変なんだよって。

でもお陰様で、いまだに俺が一番楽しめるの。
こんなことやった、あんなことやったなあって。

湖に巨人のでっかい靴を置いてみたり、畑でモアイ像発見!みたいな写真を撮ったり。
朝方、犬の散歩してるおじさんに「ご苦労様です」なんて言われながらさ。
お地蔵さんに間違われて、モアイの前に果物置かれちゃったりして。
もう、おかしくて、おかしくて。
健康の前に健全を

――そういう大変さは苦にならないわけですね。
ならない。面白いもん。
早起きしたら早起きしたで、この空気感、小学校の夏休みのラジオ体操思い出すなあ、とかさ。すごく楽しいよ。

たとえばの話、体にいいって聞いたものを並んで手に入れたとする。
人より先に手に入れて、サプリメント飲みながら仕事する、みたいな。
でもそれって不健全じゃん。

「健康」より前に「健全」を考えないと。
トースターで焼いたパンをそのままかじって家を出るんじゃなくて、皿を置いて、紅茶を淹れて、バナナを添えて。
ゆっくりした雰囲気のなかで食べるってことが健全なの。
面倒くさいけど、皿を洗うとか、雑巾を絞るとか、そういう刺激が大事。
冷たい水は触らない、いいところだけを口に入れる、っていうのは健全でも健康でもないと俺は思うのね。
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会社を中継所に

――きちんと暮らす、日々を楽しむことが大切だと。
昨日と同じことの繰り返しはつまらない。
「何も起きなくて平凡だ」なんて言ってたらダメ。生きてる意味ないぜ。
昨日より今日、今日より明日が充実してなきゃ。

充実っていうのは、何でもいいのよ。
「朝、クツをはいた時に指も使わずかかとがサッと入ったぜ」とか。
それだけで満足なんだ。前の日の俺、ちょうどいいところに脱げてたんだなって。

会社がつまらないと言うけど、実は自分がつまらないだけってこともある。
そんな時は、会社へ行くまでのアプローチを変えてみる。
最寄駅を使わないで、わざと遠回りしたりさ。

そうすると違う発見があるわけ。
「こんなところに素敵なお店があるんだ」とかね。
綺麗な女子との出会いもあるかもしれないし。

会社に面白みを求めずに、いっそ行き帰りを楽しんじゃう。
会社は休むところでいいんだよ。バカな発想だけど、会社を中継所感でやってるヤツはいつも笑顔でいられるじゃん。
「楽しそうだな、お前は」って上司にも引っ張られるよ。

――面倒なことや不便なことを愛する姿勢がありますね。
不便じゃないの。楽しいんだもん。
やっつけで進むと、やっつけで終わっちゃう。
余計なことに対してエネルギーを使う方が豊かになれる。
合理的になると全部つまんなくなっちゃうよね。

横断歩道を渡らずに、誰も使ってない歩道橋をダラダラ登る方が豊か。
山登りに行ってる場合じゃないよ。まず目の前の歩道橋を登ろうぜ。
カンペは見ない

――所さん流の仕事術についても教えてください。
収録現場でカンペを見ないというのは本当ですか。

カンペは見ないし、見ても自分の感情に全部置き換える。
初回は手探りだから作家の方の書いた順番でやるけど、2回目以降は時間の尺とかも自分でわかるじゃない。

感じたものを発表したいだけで、別に「読む係」じゃないから。
引き金はもらうけど、弾となって飛んでいくのは俺なんで。

いま『所さん お届けモノです!』(TBS系)っていう番組をやってるんだけど、もう楽しいですよ。
スタッフが全国のいろんなおみやげを探してきたり、メーカーの展示会を紹介したり。

日曜日の夕方5時からっていう時間帯もいい感じなの。
『笑点』に向けたならし運転みたいな。魅惑の時間帯だよね。
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⑦『所さん お届けモノです!』(TBS系)

〔手応えはいらない〕
――あえて有名観光地の隣町を紹介する企画とか、切り口が独特で愛があるなと。
面白いよね。有名観光地の隣は、置いてけぼり食らってあわててる感があって。一番人気の温泉地は連休も予約でいっぱいなのに、隣っていうだけでガラガラ。だったら、こっちに行ってみてもいいんじゃない?っていう。

その町の人は紹介してほしいし、褒めてほしい。
俺も乗ってあげたいところだけど、そこまで熱くならないようにはしてる。
消費者として見て、足りないところがあれば言うし。意外と厳しいですよ。

努力している人たちの熱量は褒めるけど、進化する余地がある場合には、「こうした方がいいんじゃない?」とハッキリ言うから。

――番組づくりのうえで、どんなところに気を配っていますか。
「お届けモノ」に限らず、レギュラーの人でも、ゲストの人でも、仕事の手応えみたいなものを感じないで帰ってほしいのね。
「え、こんなんでいいの?」ぐらいで。

「笑ってください」「この情報に驚いてください」っていう感じが画面から伝わってくると、俺は茶の間の人として、うるせえなって思っちゃう。
だから手応えないぐらいがいいの。

編集の仕方でいうと、お客さんが笑ったところだけ流すと、ヤラセの笑いにみたいにしか聞こえなくなるんだよ。
本当はつまんないところも含めてプロセスがあるのにさ。

恋愛だってそうじゃん。
いろんなプロセスがあってカップルになるわけでしょ。
そこをカットして、「なんだかんだうまくいきました」じゃ、おとぎ話にもならないもん。

失敗も含めて人生でしょ


〔60歳を過ぎたら辞める〕
60になったら70で辞めよう、70になったら80で、
――何年か前に60歳を過ぎたら辞める、辞めないみたいな話がありましたけど、いまはまったく引退は考えていないんですよね?

そうだね。50代には思うんだよ。60になったら辞めようって。
で、60になったら70で辞めよう、70になったら80で、80になったら90で...ってやってくと、死ぬな、もうそろそろ。そういうことだよ(笑)

振り返ると、10代で青春だなんだ言ってたあのころから何ら変わらない。
何にも進歩してない。俺のやってることなんて、失敗って言えば全部失敗だし、成功って言ったら全部成功だもん。
自分が成功だと思えば、全部成功だよね。

まとめると、リセットしないってことじゃないですか。
紙を丸めて、クシャクシャ、ポイって捨てないってこと。
失敗も含めて人生でしょ。

「いい文章」だけの人生を送りたくて、みんなクシャクシャ捨てちゃう。
でもそしたら、捨てたことをずっと内緒にして死んでいかなきゃいけないじゃん。

見切らずに続けないと、意味は出てこない。
「意味がないからやらない」じゃなくて、「やらないから意味がない」ってことなんだよね。
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⑧〈所ジョージ〉 シンガーソングライター、タレント
1955年、埼玉県生まれ。1977年に『ギャンブル狂騒曲/組曲 冬の情景』でデビュー。最新作は『Bappan』。
『所さんお届けモノです!』をはじめ、テレビのレギュラー番組は多数。
雑誌『所ジョージの世田谷ベース』も刊行中。
著書に『所ジョージの私ならこうします―世直し改造計画』など。

【平蔵の独り言】
〔困っているのもその人の人生だから〕自分の「底」は見せない方がいい。
そもそも人に何かを教えようとか、それは違うよって否定するつもりがないの。ある人が困っていたとするじゃん。
困っているのもその人の人生だから。
そこでいいアドバイスをしちゃうと、人生の邪魔してるような感じもするのね。

――たとえ的確なアドバイスだとしても。
そう。アドバイスでその人が解放されたとして、そんな簡単に解放されちゃうと人はつまんないから。自分で考えるのが一番楽しいわけで。

人の話を聞いて、「こうするといいよ」って段取り通りにいくと、あんまり手応えを感じない。
何も聞いてないのに、そこまでいけた自分の方が立派でしょ。
その方が感動できるよ。

【独り言】
講習をする立場になった時、最後の〆の言葉に「もし、この講習が役立つことがあったら、1つでも思い出して下さい。
1対1で教える立場の時、考えないで直ぐ聞いてきた人に「やってみてください!」
車の運転で助手席に乗ってナビゲーターになった時、「最初に運転ルートを教える。
大きく間違えの時は指摘する。“ハイそこを右、あの建物を左”とナビゲートしない!(何も覚えていないから、次の時一人で目的地まで着けない)

いいアドバイスは自己満足にしか、ならないと思う。

【平蔵の独り言】〔失敗も含めて人生でしょ〕
――きちんと暮らす、日々を楽しむことが大切だと。
昨日と同じことの繰り返しはつまらない。
「何も起きなくて平凡だ」なんて言ってたらダメ。生きてる意味ないぜ。
昨日より今日、今日より明日が充実してなきゃ。

充実っていうのは、何でもいいのよ。
「朝、クツをはいた時に指も使わずかかとがサッと入ったぜ」とか。
それだけで満足なんだ。前の日の俺、ちょうどいいところに脱げてたんだなって。
【独り言】
突然、救急→入院生活“体に何が起きてる?”
入院生活を継承して、22時消灯7時起床、いままで50年以上の仕事中心から
考えられない生活のリズムに変わって、“へぇ~”

【平蔵の独り言】〔60歳を過ぎたら辞める〕60になったら70で辞めよう、70になったら80で、〔失敗も含めて人生でしょ〕
【独り言】
“還暦”気が付いたら、今、“古稀”
“還暦”60代はアッという間に駆け抜けていた。
“古稀”これが古稀か、
腰・膝の不調、突然血圧が100以下・脈拍100以上
「消火管出血」→貧血で完治まで3ヶ月
ヒザが痛くなったら、その弱ったヒザで何ができるか
今を満喫するために努力することなんですね!

70で辞めようというより、賑やかなこの一ヶ月だった!

所ジョージの生き方にすごく納得・・・・・・・・・・



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by asanogawa-garou | 2018-07-25 16:09 | 今 今日この頃 | Comments(0)

〔五木寛之〕〔回想〕<青春>青春記憶の門の鍵「思い出」は大事な資産   

2018年 07月 12日

〔五木寛之〕〔回想〕<青春>青春記憶の門の鍵「思い出」は大事な資産

■五木寛之さんと「回想」(無限の自身の思い出をかみしめる大事な幸せな時間)

〔五木寛之〕■五木寛之さんと「回想」
〔回想で気持ちが穏やか〕

・気持ちが穏やかになり、記憶の保持、睡眠や栄養、血圧を安定させ、ひいては免疫力の向上にもつながると考えられます。

思い出の抽斗(ひきだし)は色々な場所を繰り返し開けるうちに、やがて自然と湧きだしてきて
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〔五木寛之〕■五木寛之さんと「回想」
無限の回想の広野に身をひたすのは大事な時間です。
自身で思い出をかみしめるだけでも幸せな時間がもてるからです。

思い出の抽斗(ひきだし)は色々な場所を繰り返し開けるうちに、やがて自然と湧きだしてきて、逆に放っておくと錆び付いてしまいかねません。

回想を後ろ向き、退嬰的と批判する人もいます。
過去を振り返ると、時代の変化がよくわかり
話す側も色々内容を変えるなど聞いている人を飽きさせない、
喜んで聞いてもらうための工夫も大切。

聞く方のマナーも(聞き上手)

明日がわからない時代だからこそ、みんな昔のことを考えるのではないか。
大きな目で見ると、歴史も回想の一つ、
今は専門家の予測がことごとく外れ、先が読めない時代には過去の経験則を振り返ることで予測が立つこともあります。

〔回想で気持ちが穏やか〕
「私が若い頃には…」と語る回想法は記憶として必ず残っています。

その記憶を刺激する回想法を行うと、
・気持ちが穏やかになり、記憶の保持、睡眠や栄養、血圧を安定させ、ひいては免疫力の向上にもつながると考えられます。


〔青春 記憶の門と鍵!(五木寛之)〕読売新聞2018/6/4(月)

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【平蔵の独り言】
■五木寛之さんと「回想」(無限の自身の思い出をかみしめる大事な幸せな時間) <青春>青春記憶の門の鍵「思い出」は大事な資産

思い出の抽斗(ひきだし)は色々な場所を繰り返し開けるうちに、やがて自然と湧きだしてきて

【独り言】「回想」思い出の抽斗(ひきだし)
「回想」という言葉と共に歩いている。
ロシア・ワールドカップ(W杯)久しぶりに心が躍っている!
2002年日韓共催W杯 決勝:ドイツVSブラジル(横浜国際)
負けたドイツ キーパー“カーン”が呆然とゴールポストにへたり込んでいた。

予選:決勝のようなカード イングランドvsアルゼンチン(札幌)
ベッカムがいた!
イングランドサポーター:背の高い50代?、イングランドのカードと
JRのフリー切符をもって、イングランドのカードを追いかけていた。
“さすが、サッカーの歴史のある国、サポーターも高齢”
地下鉄を降りて、大通り公園に繰り出して行った。
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【今日の独り言】
先週退院した。
突然、血圧100以下、脈拍100超え、立ちくらみ  救急搬送
”消化管出血”(貧血 Hbが正常値の半分)治療中 後日談へ



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by asanogawa-garou | 2018-07-12 14:31 | 今 今日この頃 | Comments(0)

「否定の壁」に立ち向かった(登山家の栗城史多(のぶかず)) 死を意識することで、生きているんだっていう感覚をもつことができる。生きている間に何できる。   

2018年 06月 09日
「否定の壁」に立ち向かった(登山家の栗城史多(のぶかず)) 死を意識することで、生きているんだっていう感覚をもつことができる。また自分の死を思うことで、生きている間に何ができるのか?と、問うことができる。

〔栗城史多さん、1つぐらい諦めてもよかったのに…〕

【野口健の直球&曲球】産経ニュース 2018.6.7


「否定の壁」に立ち向かった(登山家の栗城史多(のぶかず)) 死を意識することで、生きているんだっていう感覚をもつことができる。また自分の死を思うことで、生きている間に何ができるのか?と、問うことができる。


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エベレストで標高7400㍍付近から下山途中に滑落し、帰らぬ人になった。
「エベレストは生死を意識する山。死は、悲しいことではありますが、死を意識することで、生きているんだっていう感覚をもつことができる。また自分の死を思うことで、生きている間に何ができるのか?と、問うことができる。
安全ばかりを意識していると、逆に生きる力が失われてしまうと思います」

(登山家・栗城史多さんのメッセージ)

〔栗城史多さん、1つぐらい諦めてもよかったのに…〕
【野口健の直球&曲球】 2018.6.7


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登山家の栗城史多さん(大山実撮影)
 また1人、仲間が山で逝(い)ってしまった。
ヒマラヤから帰国したその日に栗城史多(くりき・のぶかず)さんの訃報(5月21日、35歳で死去)が報じられた。
エベレストを単独無酸素で挑戦中の遭難だった。

 4月下旬、ベースキャンプ手前の氷河の中で栗城さんとすれ違った。
その日はうっすらと粉雪が降り、霧に覆われるモレーン(氷堆石)の彼方(かなた)から影が現れた。
栗城さんだった。

その日の栗城さんは、とても小さく見えた。
「健さん、元気そうですね」と小さな声が聞こえた。
言葉の代わりに息遣いによる会話が続く。
手を握り「無事に降りてきてね」に「うんうん」と小さくうなずいていた。

 別れ際、遠ざかっていく栗城さんの後ろ姿をカメラに収めようと構えたが、シャッターを押せなかった。
その行為自体に意味をもってしまうことが怖かったのだ。
「いつも通り戻ってくるさ」とつぶやいてみたが、その言葉が霧とともにモレーンの彼方に消えていくようでむなしかった。
 彼が20代前半の頃「僕も7大陸最高峰を登ります。単独、無酸素でエベレストに登ります」と声をかけてくれたのが初対面。
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多くの学生が同じようにやってきたが、大半は「やってみたい」と言うだけ。
「やってみたい」と「やります」では、まるで違う。
彼は、はにかみながらも「やります」と宣言した。


自ら厳しい条件をつけ、エベレストに挑み続けるが、敗退を繰り返す。
凍傷により手の指を9本切断。

それでも挑戦を続ける彼に「単独か無酸素か、どちらかを捨てるべきだ。
捨てることによってつかめるものもある。
このままでは登れないどころか命を落とす」と話した。

彼はいつも小さくうなずくだけで、翌年には同じスタイルでエベレストに向かった。
世間に大きく注目され、引くに引けない状況まで追い込まれていたのかもしれない。登山家は、無事に登り、生きて帰ってくるためには自分を客観しなければいけない。心の弱さが招いてしまった遭難だろうとも感じる。
登山スタイルを変えても栗城さんの魅力がうせることはなかったはず。
人生、1つぐらい諦めてもよかったのに、と。
                  ◇
【プロフィル】野口健(のぐち・けん) アルピニスト。1973年、米ボストン生まれ。亜細亜大卒。25歳で7大陸最高峰最年少登頂の世界記録を達成(当時)。エベレスト・富士山の清掃登山、地球温暖化問題、戦没者遺骨収集など、幅広いジャンルで活躍。新刊は『震災が起きた後で死なないために』(PHP新書)。

【平蔵の独り言】
登山家・栗城史多さん 凍傷により手の指を9本切断
NHK何かの放送で手の指を9本切断の登山家の記憶だけが
残っていた。
【独り言】
死を意識することで、生きているんだっていう感覚をもつことができる。
また自分の死を思うことで、生きている間に何ができるのか?と、問うことができる。

古稀もあっという間に半年が過ぎ、出来なくなる事が増えて
「これもできない!」

“生きているんだっていう感覚、生きている間に何ができるのか?”

野口健さんの「人生、1つぐらい諦めてもよかったのに、と」

今、1つじゃなくて、できないことこれから増えて行く!
できないことは“できない”と諦めて、ですね・・・・・・


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by asanogawa-garou | 2018-06-09 15:22 | 今 今日この頃 | Comments(0)

〔小林昭子(83)徹子の部屋〕「きょうよう」(教養)と「きょういく」(教育)が歳をとったら必要だ。   

2018年 04月 18日
〔小林昭子(83)徹子の部屋〕「きょうよう」(教養)と「きょういく」(教育)が歳をとったら必要だ。


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①徹子の部屋 美容研究家・小林照子(83歳)「教養と教育」(きょう 用がある。きょう 行くところがある。) 2018/3/28

〔教養〕と〔教育〕歳を取ったら必要だ!
〔教養〕今日 用がある
〔教育〕今日 行くところがある


【『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』 『頭の体操』心理学者の多湖輝(著)】
【朝日新聞「天声人語」  2013年7月14日(日)】
〔多湖輝さんがNHKラジオ深夜便の早朝時間帯で80歳を過ぎたことば〕
【サラリーマン 「定年ホームレス」】(夫源病「わしもわしも」の「わしも族」)
〔■夫源病の恐怖、家も居場所なし〕
〔では、退職後に居場所がない「定年ホームレス」はどこにいるのか。〕
〔■自覚なきナルシストたち〕



〔小林昭子(83)徹子の部屋〕「きょうよう」(教養)と「きょういく」(教育)が歳をとったら必要だ。
〔(前向き)な言葉を言うのが大切〕疲れることがあったとして口にしない。(楽しいことをしたら、疲れない)
〔(マイナス)な言葉は口にしない〕マイナスを口にしたら実現してきてきちゃう。ブーメランのように自分。
・嫉妬しない、もう歳出し、私なんて(自分を卑下しない、その途端に人は老けていく)
(それを書いちゃう、書くことと口にするが大事!)
〔いくつになってもやることで始まる〕8年前に学校をこれから始めるんです!(美意識の強い子が集まって8人)


「美容研究会・小林昭子(83歳)徹子の部屋180328」

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心理学者(多湖輝)「キョウヨウ」と「キョウイク」
教養と教育ではなく「今日、用がある」と「今日、行くところがある」

~“奇跡の美肌"を持つ83歳…美と健康の秘訣~美容研究家・小林照子さんが今日のゲストです。
番組詳細 83歳にして現役のメイクアップアーティスト、美容研究家として活躍している小林照子さんがゲスト。
今日は、すぐマネしたくなる美と健康のコツが満載!
美容業界歴63年、「美容界のカリスマ」とも呼ばれている小林さん。
まず驚いたのは、その美肌。みずみずしいツヤ肌は、とても83歳とは思えない。
興味津々の黒柳さんに、その美しい肌を保つ秘訣を公開。
誰にでも試せる簡単な方法だが、毎日続ければずいぶん変わるという。
また、実年齢を感じさせない若々しさは、姿勢の良さにも。
スッと伸びた背筋の秘密は、実は自宅のキッチンに隠されていた!その様子をVTRで紹介する。


【『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』 『頭の体操』心理学者の多湖輝(著)】
一昨年に出した『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』 『頭の体操』で知られる心理学者の多湖輝(たごあきら)さんの著書にあるそうだ。

『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』
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【朝日新聞「天声人語」  2013年7月14日(日)】

体が引き締まり、日に焼け、すこぶる元気そうである。
すこし前に退職した会社の先輩と先日偶然会い、立ち話をした。
日々の暮らしぶりを楽しげに語ったが、そこには秘訣(ひけつ)があるらしい

▼「キョウヨウ」と「キョウイク」なのだという。
教養と教育かと思いきや、さにあらず。
「今日、用がある」と「今日、行くところがある」の二つである。
なるほど何も用事がなく、どこにも行かない毎日では張り合いがあるまい。
かつての同僚から聞かされて実践しているという
▼その同僚も誰かから聞いたというから、かなり流布している教えなのだろう。調べてみると、『頭の体操』で知られる心理学者の多湖輝(たごあきら)さんの著書に行き着いた。
一昨年に出した『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』で紹介している
▼多湖さんも100歳に近い大先輩に教わったのだそうだ。
「ボケないための頭の使い方」を実に巧みに表現した言葉だと絶賛する。
老後をどう生き生きと過ごそうかと誰しも考える。この話はわかりやすく、納得感もあるから、伝言ゲームよろしく広がっていくのも道理だろう
▼日々の原稿に追われる身としてはまだ先の話と思いたくなるが、山登りや畑仕事に忙しい件(くだん)の先輩に諭された。
「いまのうちから考えておけ」。
たしかに定年を迎え、突然訪れた空白の時間の大きさに心身の失調をきたす人もいると聞く
▼生来のものぐさ向けのボケ防止策はないものか。
多湖さんも勧めるようにせめてよく笑うことにしようか。
*****

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心理学者(多湖輝)「キョウヨウ」と「キョウイク」
教養と教育ではなく「今日、用がある」と「今日、行くところがある」

教養:今日 用がある
教育:今日 行くところがある

[キョウヨウ」と「キョウイク」?? 教養と教育?  いいえ、違います。

「ボケないための頭の使い方」は「キョウヨウ」と「キョウイク」なのだという。
教養と教育かと思いきや、さにあらず。
「今日、用がある」と「今日、行くところがある」の二つである。

その通りだと思う。うまい言い方をするもんだ。


〔多湖輝さんがNHKラジオ深夜便の早朝時間帯で80歳を過ぎたことば〕

「年齢を重ねるほど教養と教育が必要です」と語り始めました。
かなり流布している名言です。
 中高年になって大事なのは「教養」と「教育」?
 さにあらず「きょうよう」は「今日、用事・用件があること」「きょういく」は「今日いく所があること」実に巧みな表現です。いつも好奇心をもち、外出することがボケないための頭の使い方なのですね

【サラリーマン 「定年ホームレス」】(夫源病「わしもわしも」の「わしも族」)
〔■夫源病の恐怖、家も居場所なし〕
 「夫が家にいるようになってから、頭痛とめまいがするようになった」と訴える50代後半の主婦。
離れて暮らす娘に電話で相談したところ「それって夫源病じゃない?」と指摘された。
〔では、退職後に居場所がない「定年ホームレス」はどこにいるのか。〕
図書館と裁判所、そして公園。
お金のかからないこの3カ所が“聖地”らしい。取材班はその実態を探ってみた。
〔■自覚なきナルシストたち〕
「こんなシニアは使えない」

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⑤サラリーマン 「定年ホームレス」の落とし穴
2016/9/20 6:30


【平蔵の独り言】
徹子の部屋 美容研究家・小林照子(83歳)「教養と教育」(きょう 用がある。きょう 行くところがある。) 2018/3/28

〔教養〕と〔教育〕歳を取ったら必要だ!
〔教養〕今日 用がある
〔教育〕今日 行くところがある

心理学者(多湖輝)「キョウヨウ」と「キョウイク」
教養と教育ではなく「今日、用がある」と「今日、行くところがある」

その通りだと思う。うまい言い方をするもんだ。

【独り言】
美容研究家・小林照子(83歳)「教養と教育」
に教えられた。

古稀を迎え、ここ数年(いや、10年)、1日のおわりに
5年日記に寝る前、一日の出来事を書く。明日の予定、
今日はどんな日だったか?誰と話したか、会ったか?
何か書き留めておくイベントは?
を書いて気が付けば三冊目。(還暦から一日7行なので続いているのか?)

1日7行:5年分(同年同月同日)
1行目:天気・起床時間・気温(主な予定(前日に必要なこと記入)
     ・翌日の予定の確認にもなる(特別に変わったことはほとんどない)
2~4行:2行目起床して  3,4行どんなことがあった(した)
5行目:体調は
6行目:
7行目:今日はどんな日だった。(最後に血圧計の数字)

〔教養〕今日 用がある
〔教育〕今日 行くところがある

月初に去年の同じ月にやったこと⇒今月の予定
今日やったこと(イベント)来年の同月同日に必要なことを書く。
4.11(内視鏡検査実施⇒内視鏡検査予約)

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そして、明日のページに予定を書いて、寝る・・・・・・
(月に数回、書いてない。気が付いたら書く、「今 6時」)

【平蔵の独り言】
〔(前向き)な言葉を言うのが大切〕疲れることがあったとして口にしない。(楽しいことをしたら、疲れない)

〔(マイナス)な言葉は口にしない〕マイナスを口にしたら実現してきてきちゃう。ブーメランのように自分。

・嫉妬しない、もう歳出し、私なんて(自分を卑下しない、その途端に人は老けていく)

(それを書いちゃう、書くことと口にするが大事!)

〔いくつになってもやることで始まる〕

【独り言】
(前向き)な言葉を言う。(楽しいことをしたら、疲れない)
→なんとなく納得(楽しい)

(マイナス)な言葉は口にしない。(ブーメランのように自分)
→マイナスの言葉はその通りに実現してしまう、と聞いたことがある。

嫉妬しない、もう歳出し、私なんて。
→以前口にしていたら、自身も周りも気分がネガテッブになってきた、経験がある。

日記に書いちゃうと一日で完結する。

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by asanogawa-garou | 2018-04-18 16:44 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

〔ちょっと一休み〕マリリン・モンローのスカートの下でパンチラ雨宿り、〔鞍馬天狗の鼻が「なんてキュートなの!」〕   

2018年 02月 20日
〔ちょっと一休み〕マリリン・モンローのスカートの下でパンチラ雨宿り、〔鞍馬天狗の鼻が「なんてキュートなの!」〕

マリリン・モンローのスカートの下でパンチラ雨宿り
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みんな一丸となって、マリリン・モンローのスカートの下で雨宿りをしています。
雨宿りのために造られたわけではないので、この光景はなんとも複雑ですよね。
しかし、スカートの幅が大きいので、確かに雨宿りには最適な場所なのかもしれません。

『七年目の浮気』
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「七年目の浮気」(原題:The Seven Year Itch)は、1955年のアメリカ映画。監督・脚本は名匠ビリー・ワイルダー。
主演は「ナイアガラ」、「帰らざる河」のマリリン・モンロー。

【平蔵の独り言】
このようなユーモアを込めた時代、終戦後10年に映像(これは観ていない)
「帰らざる河」マリリン・モンロー(これは名画座で)
それが現在 形を変えて、楽しんでいる。

それにしてもこの1,2年(人物を追っかけないで、不倫・・・・・)
ワイドショーも週刊文春まで “下品”「ほっとけ!」


〔鞍馬天狗の鼻が「なんてキュートなの!」〕
エキサイト・コラム2017年02月04日 18:37
外国人「京都の天狗像の鼻が折れてしまったけど…応急処置のしかたがキュート!」
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⑤京都の鞍馬駅前には、大きな天狗のオブジェがあるのですが、
先日降った雪の重みで、鼻が根元からポキリと折れてしまいました。
補修されるまでの間、応急措置がされたのですが……。
その姿が「なんてキュートなの!」と、外国人に受けていました。
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⑥なんと、折れた鼻の部分にペタっと絆創膏!
痛々しかった姿が、絆創膏1枚貼っただけで愛嬌のある顔に。
しばらくこのままでもいいのではと思うくらいです。
ちなみに鼻の部分は発泡スチロール製で耐久性は低いようです。
海外の反応をご紹介します。
●なんてかわいらしいんだ……。

●これは京都だね。

●これが気に入っている。早く良くなりますように。

●それは鞍馬天狗の像だよ。
治療中って書いてあるので、良い外科医に治してもらえますように。

●ハハハ、そんなすごい雪じゃなかったから、しっかりした鼻じゃなかったんだな。

↑カメラでずっと監視してるわけじゃないからさ。
仮に誰が壊したってわからないさ。

↑あるいは水が入って腐ったのかもだ。

●なるほど、こうやってピノキオは普通の少年になったんだ。
雪が積もるまで鼻が折れるのを待ったんだ。

●これを見に日本に行くぞ。

●鼻が付いているときに見られてよかった。

●もしかして新しい形の鼻をもらうのかな。

トラブルによって注目度も人気も上がった鞍馬天狗。
機転ひとつでプラスに転じるものですね。
でも新しい鼻は、そう簡単に折れないものを期待します。
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【平蔵の独り言】
その姿が「なんてキュートなの!」と、外国人に受けていました。

ホッと、楽しく感じることを探していたら、あった。
外国人の感性が「なんてキュートなの!」



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by asanogawa-garou | 2018-02-20 16:07 | 今 今日この頃 | Comments(0)

向田邦子「眠る盃」〔中野のライオン〕〔新宿のライオン〕   

2018年 01月 07日
向田邦子「眠る盃」〔中野のライオン〕〔新宿のライオン〕

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【中野のライオン】
今の住まいは青山だが、二十代は杉並に住んでいた。
日本橋にある出版社に勤め、通勤は中央線を利用していたのだが、
夏の夕方の窓から不思議なものを見た。

場所は、中野駅から高円寺寄りの下り電車の右側である。

その日は、どうした加減か人並みの時間に吉祥寺行きの電車に乗っていた。
当時のラッシュ・アワーは、クーラーなど無かったから車内は蒸し風呂であった。
吊皮にブラ下り、大きく開け放った窓から夕暮の景色を眺めていた。

私が見たのは、一頭のライオンであった。
お粗末な木造アパートの、これも大きく開け放した窓の手すりのところに、一人の男が坐っている。
三十歳位のやせた貧相な男で、何度も乱暴に水をくぐらせたらしいダランと伸びてしまったアンダー・シャツ一枚で、ぼんやり外を見ていた。

その隣りにライオンがいる。
たてがみの立派な、かなり大きい雄のライオンで、男とならんで、外を見ていた。
すべてはまたたく間の出来ごとに見えたが、この瞬間の自分とまわりを正確に描くことはすこぶるむつかしい。

私は、びっくりして息が詰まったようになった。
当然のように、まわりの、少なくとも私とならんで、吊皮にブラ下がり、外を見ていた乗客が、
「あ、ライオンがいる」
と騒ぎ出すに違いないと思ったが、誰も何ともいわないのである。
両隣りのサラリーマンは、半分茹で上ったような顔で、
口を利くのも大儀といった風で揺られている。

その顔を見ると、
「いま、ライオンがいましたね」とは言えなかった。
私は、ねぼけていたのだろうか。
幻を見たのであろうか。
そんなことは、絶対にない。
あれは、たしかにライオンであった。
縫いぐるみ、といわれそうだが、それは、現在の感覚である。
二十何年前には、いまほど精巧な縫いぐるみはなかった。
この時も私は少しぼんやりしてしまい、駅前の古びた喫茶店でコーヒーを二はい飲んでから、うちに帰った。

〔早口の東京弁で、おしゃべりで、おまけに気が弱いものだから、少しでも他人さまによく思われたい一心で、時々はなしを面白くしてしゃべる癖がある〕

「中野にライオンがいるわよ」
「中央線の窓からライオンを見たのよ」
私ではいつもの嘘ばなしか、暑気当りと片づけられるのがオチである。


そのあとも、私は、中央線に乗り、例の場所が近づくと、身を乗り出すようにして外をのぞいたが、同じような窓が並んでいるだけで、アンダー・シャツの男もライオンの姿も見えず、その後中野方面でライオンが逃げたというニュースも聞いていない。

ーーーしかしーーー
いまだに、あれはほんもののライオンとしか思えないのである。
人にしゃべると、まるで嘘みたい、と言われそうな光景が、現に起っている。
それを五十人だか百人だかの人間が見ているのに、その中にいて、見なかった人間が、一人はいたのである。
ここまで来たら、もうどっちでもいいや、という気持もある。
記憶の証人は所詮自分ひとりである。
そう思って居直りながら、気持ちのどこかで待っているものがある。

実は、二十年ほど前に、中野のアパートでライオンを飼っていました、という人があらわれないかな、という夢である。
つい最近も中央線の同じ場所を通り、同じように窓の外に身を乗り出して眺めて来たばかりである。
(別冊小説新潮/1979春季号)

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【新宿のライオン】
うちの電話はベルを鳴らす前に肩で息をする。

〔「実は、中野でライオンを飼ってた者なんですが」〕

その電話が掛かったのは夕方であった。
中年と思われる男の声が、もう一度私の名前をたしかめ、
ひと呼吸あってからこう言った。
「実は、中野でライオンを飼ってた者なんですが」
咄嗟に私が何と答えたのか覚えがない。
いたずら電話でないか確かめかけ、相手の声の調子で、
これは本物に間違いないとすぐ判り、
それでもまだ半分は信じられなくて、
「本当ですか。本当にライオンは居たんですか」
と繰り返した。

相手は、物静かなたちの人らしく、はにかみを含んだ訥弁で、
「あなたの書かれたものを読み、当時を思い出して懐かしくなり失礼かと思ったが電話した。ライオンは確かに自分が飼っていた」と言い、
岡部という者ですとつけ加えられた。

この電話のあった5日ほど前に店頭に出た別冊小説新潮(1979年春季号)に私は「中野のライオン」と題する小文を書いている。
二十年ほど前の夏の夕方、中央線の窓から不思議なものを見たーーー。

『私が見たのは、一頭のライオンであった。
お粗末なアパートの、これも大きく開け放した窓の手すりのところに、一人の男が坐っている。
三十歳位のやせた貧相な男で、何度も乱暴に水をくぐらせたらしいダランと伸びてしまったアンダー・シャツ一枚で、ぼんやり外を見ていた。その隣りにライオンがいる。
たてがみの立派な、かなり大きい雄のライオンで、男とならんで、外を見ていた。』

私はびっくりして息が詰まったようになり、
まわりを見まわしたが、ならんで吊皮にブラ下がり、
外を見ていた乗客は誰ひとりとして騒がない。
半分茹で上がった顔で口を利くのも大儀といった風に揺られている両隣りのサラリーマンを見ると、
「いまライオンがいましたね」とは言い出せず、
ねぼけていたのか、幻を見たのか、
いや、あれはまさしくライオンだったと自問自答を繰り返しながら、
狐につままれたような気持ちになり、
駅前の古びた喫茶店でコーヒーを二はい飲んでうちへ帰ったのである。

ことがあれば面白おかしくしゃべり廻るところがあるのだが、
これだけは親兄弟にもしゃべらなかった。
中央線に乗って中野駅あたりを通過すると、
記憶の底から鎌首をもたげることもあったが、
それすら二十年の歳月のかなたに霞みかけていた。
たまたま文章にしたものの、
九十九パーセントは自信はないものだから、
五十人だか百人が見た交通事故現場からそんなものは見もしなかった、という風に全く気づかず立ち去った一人の婦人のことを書き、
百人見て一人見ないこともあるなら、一人が見て百人が見なかったことだってありえないことではないと屁理屈をこねた。

もうどっちでもいいやと居直りながら気持のどこかで待っているものがある。


〔中野にライオンはいたのである。〕

実は二十年ほど前に、中野のアパートでライオンを飼っていましたという人があらわれないかな、という夢である。
絶対に帰ってこない、くる筈のない息子を待つ「岸壁の母」の息子は、二十年ぶりに帰ってきた。
中野にライオンはいたのである。
私は受話器を握ったまま、こみ上げてくる笑いを押え切れず、
裂けた夕刊に顔を押しつけ声をたてて笑ってしまった。
悲しくもないのに涙がにじんでくる。
洟も出てくる。


岡部氏は、私の笑いの鎮まるのを待って、
ポツリポツリと話して下すった。
ライオンは、もともとは新宿御苑のそばで「八洲鶴」という酒の店をやっていた岡部氏の姉上が飼っておられた。
姉上がなくなったあと、岡部氏が引き継ぎ、
のちにライオンごと中野へ引越したのだが、
私が見た当時は百キロ近い体重があった。
一番おどろいたのは、ライオンが牝だったことである。
どこでどう取り違えたのか、私は記憶の中で、ライオンにたてがみを生やしてしまった。MGM映画の見過ぎかも知れない。
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二十年前に電車の窓から一瞬見えた、いや、見たと思いながら、
あれは幻だったのだと自分で打ち消していたライオンが本当にいた、
私は間違っていなかった。
大吉を知らせる電話は、
私に刀の柄に手を掛けるゆとりを与えず、
いきなり真っ向唐竹割りにしたのである。

牡だと思ったライオンは、牝であった。
見えなかったが、ライオンのまわりには鉄の格子があった。
電車の窓から見当をつけた場所も少し違っていた。
二階だと思ったのは一階であった。

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5月に入って、新宿で一夕ライオン青年とお目にかかる段取りが整った。

ライオン青年は二十年昔のライオンを語り、
牝ライオンは、名前を”ろん子”といった。
はじめは猫ほどの大きさだったがみるみる大きくなった。
「あいつは、ただの一度もほえなかった」
だから街なかで飼えたのでしょうと、かなしく笑われた。
せまい中で飼っていたので佝僂病になり、
多摩動物公園で預かってもらった。


それにしても、たのしくも不思議な一夜であった。

あと二十年か三十年したら、耄碌した私はこんなことを言うかも知れない。
「昔、新宿でライオンとお酒のんだことあったのよ」
(別冊小説新潮/1979・夏季号) 


【平蔵の独り言】
お客様は、2010/1/23にこの商品を注文しました。

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〔向田邦子〕「眠る盃」のあとがき

「荒城の月」の「めぐる盃かげさして」の一節を「眠る盃」と覚えてしまった少女時代の回想に、戦前のサラリーマン家庭の暮しの手触りをいきいきと甦らせる表題作をはじめ、片々とした日常から鮮やかな人生を截りとる珠玉の随筆集。
知的なユーモアと鋭い感性を内に包んだ温かな人柄が偲ばれるファン待望の書。・・・・・「眠る盃」(向田邦子)

一番おどろいたのは、ライオンが牝だったことである。
どこでどう取り違えたのか、私は記憶の中で、ライオンにたてがみを生やしてしまった。


【独り言】
「めぐる盃かげさして」の一節を「眠る盃」
牡だと思ったライオンは、牝であった。

市井の人の日常はそんなに変わったことが起こらない。
しかし、向田邦子の手に掛かると起きている。

2010年に読んでいたが8年経って、
週刊現代 それがどうした〔男たちの流儀〕伊集院静2017/12/9号
で蘇ったのだ!

向田邦子は20年前に見たライオンが1979年に蘇ったのだ!

【平蔵の独り言】
それにしても、たのしくも不思議な一夜であった。
あと二十年か三十年したら、耄碌した私はこんなことを言うかも知れない。
「昔、新宿でライオンとお酒のんだことあったのよ」

【独り言】
耄碌した向田邦子から“新宿のライオン”の話、
何ていうか聞きてみたい。
でも、聞くことは叶わない!


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by asanogawa-garou | 2018-01-07 17:14 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

【伊集院静】〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい〕中央線から見えたライオン   

2018年 01月 02日
【伊集院静】〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい〕中央線から見えたライオン
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〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい〕
それがどうした〔男たちの流儀〕中央線から見えたライオン【伊集院静】

〔大人になるとさして面白いことなどないのが人生であるから〕
〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい、面白いことであふれてるんじゃないか〕

〔人生は君たちが考えているより長いし、考えているより短い〕

自分の半生の大半が旅路の中にあったことは、この連載でも何度か書いた。
少年の頃から自転車でも、トラックの荷台でも、頬に風が当たり、流れる風景を見るとワクワクした。

それは今も同じで、電車でも飛行機でも、車窓に映る景色を眺めているだけでまたたくうちに時間が過ぎる。

待てよ、もしかして私はこれまでの半生でかなりの時間を風景を見続けていたのか?
そうだとしたら、恵まれた半生と言える。

〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい〕
通院している歯科医院が阿佐ヶ谷にあるので、時折、昼間の中央線に乗る。
その時、私はドアの側に立つ。
そこで沿線の家々や木々、空、雲などを眺める。
見ていて飽きないし、もうすぐ冬だナとかと、
オヤ、こんな時に祭りか、子供御輿しはあるのかと、
その日、その時間でしか遭遇しないものに目が引かれる。

〔中央線から見えたライオン〕
たしか作家の向田邦子さんだったと思うが、
中央線に乗っていて、
或る家の窓から”ライオン”がこっちを見ている姿が目に留まり、
自分の錯覚ではと思い、
その後も電車がそこを通る度に目を凝らして車窓を見ている文章があった。
まさかと思われようが、
結論としてそこに”ライオン”が暮らしていたのである。

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〔大人になるとさして面白いことなどないのが人生であるから〕
楽しい話である。何が楽しいか?
大人になるとさして面白いことなどないのが人生であるから、
その手のことにめぐり逢うのは、
どこか誰かからのプレゼントに思えてしまう。

〔人生はこちらが考えているより、まだまだ楽しい、面白いことであふれてるんじゃないか〕
そう思えるだけで、
現状の些細なことに悩んでいた自分がこまか過ぎるのではと思えて来る。
人生は考え方ひとつで違う風景になる。
ユーモアとはそういう力を持っている。

〔人生は君たちが考えているより長いし、考えているより短い〕
それがどうだ!
通院の折の車両に乗る人たちの7割近くがスマホを覗いている。
初めはたいした普及だと思ったが、すぐに思った。
ーーーこの風景は不気味じゃないか?
そう、不気味どころか、何かが間違っているし、
おかしい時間の過ごし方なのである。

おぞましい光景から目を離し、
私は午後の武蔵野の空を、雲を眺める。
あの雲はどこへ行くのだろうか。
どこかの窓辺で、どこかの散歩道で、
何ごとかをかかえた人たちが、イイ雲だナ、と仰ぎ見ている。

スマホが悪いとは言わぬ。
ライオンを見つけないとも勿論言わぬ。

しかし人生は君たちが考えているより長いし、考えているより短い。
短さは、君の周囲にかつていて、
若くしてこの世を去った人たちを思い出せばわかる。
人は決して順番でこの世を去ることはない。
人は寿命で生を終える。

週刊現代 それがどうした〔男たちの流儀〕伊集院静 2017/12/9号

【平蔵の独り言】
〔人生は君たちが考えているより長いし、考えているより短い〕
それがどうだ!
通院の折の車両に乗る人たちの7割近くがスマホを覗いている。
初めはたいした普及だと思ったが、すぐに思った。
ーーーこの風景は不気味じゃないか?
そう、不気味どころか、何かが間違っているし、
おかしい時間の過ごし方なのである。

〔中央線から見えたライオン〕
以前読んだ記憶があるので、向田邦子を検索したら〔眠る盃〕と出てきた。
本棚から〔眠る盃〕を出して、読み返してみた。

〔中野のライオン〕
今の住まいは青山だが、二十代は杉並に住んでいた。
日本橋にある出版社に勤め、通勤は中央線を利用していたのだが、
夏の夕方の窓から不思議なものを見た。

場所は、中野駅から高円寺寄りの下り電車の右側である。

その日は、どうした加減か人並みの時間に吉祥寺行きの電車に乗っていた。
当時のラッシュ・アワーは、クーラーなど無かったから車内は蒸し風呂であった。
吊皮にブラ下り、大きく開け放った窓から夕暮の景色を眺めていた。

私が見たのは、一頭のライオンであった。
お粗末な木造アパートの、これも大きく開け放した窓の手すりのところに、一人の男が坐っている。
三十歳位のやせた貧相な男で、何度も乱暴に水をくぐらせたらしいダランと伸びてしまったアンダー・シャツ一枚で、ぼんやり外を見ていた。
その隣りにライオンがいる。たてがみの立派な、かなり大きい雄のライオンで、男とならんで、外を見ていた。
すべてはまたたく間の出来ごとに見えたが、この瞬間の自分とまわりを正確に描くことはすこぶるむつかしい。

【独り言】”中野のライオン”は木造のアパートにいたのである!
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「荒城の月」の「めぐる盃かげさして」の一節を「眠る盃」と覚えてしまった少女時代の回想に片々とした日常から鮮やかな人生を截りとる珠玉の随筆集。

ガラ携の“一斉メール”で知らないでいいことが送られてきたり、
“フェイスブック(Facebook)”やりましょう!→「やりません!」
→“せっかく誘ってあげているのに、いつもそうなんだから”

若い頃から今でも興味のある記事、本、情報から得るもので
結構忙しい・・・・・・・・・

「眠る盃」を読み返してみたら、さすが“向田邦子”
2014/11/13(向田邦子)日常の些細な風景も、この人が描けばたちまち色鮮やかに生まれ変わった。

日常の些細な風景(出来事)がこんなに記憶に残るのか!

「中野のライオン」「新宿のライオン」をアップする!
(講談社文庫 と 向田邦子 に許してもらおう)


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by asanogawa-garou | 2018-01-02 16:04 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

<古稀>古稀の壁と扉(なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから)   

2017年 12月 12日

<古稀>古稀の壁と扉(なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから。)


〔古稀〕(人生七十年生きる人は古くから稀 (まれ)である)
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〔古稀を抗うか受け入れるか!〕

〔定年退職者が居場所と孤独に戸惑うのは日本も米国も同じ
60歳からの「黄金の15年」をどう生きるか〕

【〔定年後~60歳からの「黄金の15年」をどう生きるか〕】
〔米国の男性定年退職者も大変〕
〔無気力になって一人ぼっちで過ごす日々〕
〔自分で人とのつながりを築かなければならない〕

【最高の人生の見つけ方】「大切なものは自分の足元にあるのだ」
〔やりたいことをやり尽くしてみると・・・〕
〔覚悟ができていない日本の男性定年退職者〕

【寂聴さん曰く「男はつくづく純情だと思います」】
〔なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから〕

〔褒めちぎるのがいい〕
〔褒められてひとは元気になる〕

―――――――――――――――――――――――
〔古稀〕(人生七十年生きる人は古くから稀 (まれ)である)
「人生七十古来稀なり」・唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)
(人生七十年生きる人は古くから稀(まれ)である)に由来している。
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唐の詩人杜甫

〔古稀を抗うか受け入れるか!〕→〔古稀〕の壁、扉

→「古稀を受け入れる」ことから、新たな人生(扉)が開く。
抗っていても、古稀の壁があるだけ。

(扉)を開けて、踏み出せば、(そこには踏み出すしかない)喜寿を信じて歩んで行く。
“ロードモデル”がない世代、自ら切り開いて行く。

〔定年退職者が居場所と孤独に戸惑うのは日本も米国も同じ
60歳からの「黄金の15年」をどう生きるか〕

DIAMONDOnline 2017.11.8
楠木 新[ビジネス書作家]
生命保険会社に勤務するかたわら、「働く意味」をテーマに執筆、講演などに取り組む。
12万部を超えるベストセラーになった『人事部は見ている。』(日経プレミアシリーズ)、『就職に勝つ!わが子を失敗させない「会社選び」』(ダイヤモンド社)など著書多数。近著に『定年後』(中公新書)がある。

【〔定年後~60歳からの「黄金の15年」をどう生きるか〕】
〔米国の男性定年退職者も大変〕
〔無気力になって一人ぼっちで過ごす日々〕
〔自分で人とのつながりを築かなければならない〕


【最高の人生の見つけ方】「大切なものは自分の足元にあるのだ」
〔やりたいことをやり尽くしてみると・・・〕

〔覚悟ができていない日本の男性定年退職者〕


「いつかは、その日が来る」。
それはだれもがわかっているが、近づかないとピンとこない。
いつまでも「この仕事」が続くかのように感じていても、それは、いずれ終わる。
60歳が定年だとすると、家族の扶養義務からも解放されて、かつ他人の介助も受けずに裁量をもって活動できる75歳位までは案外と長い。
それを「黄金の15年」にできるなら、人生の締めくくりとして素晴らしい。
では、その15年をどのように生きるか。
また、その時が来てから慌てないために、いつから、どんな備えをすればいいか。
書籍『定年後』(中公新書)の著者である楠木新氏が語る。

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③『定年後』

「定年後」の生活は、必ずしも事前に思い描いたようには運ばない。
試行錯誤をしながらも、最後に戻るところは、「誰かの役に立つこと」、「自らの家族のところに戻ること」。
2本の米国映画を題材に、あるべき定年後を考えてみよう。(ビジネス書作家 楠木 新)

〔米国の男性定年退職者も大変〕
 『アバウト・シュミット』(2002年制作)という米国映画をご存じだろうか。
名優ジャック・ニコルソンが演じる主人公シュミットが、保険会社の部長代理で定年退職日の終業を迎えるのがオープニングである。彼は60代半ばである。
 その夜、彼のハッピーリタイアメントを祝う会がレストランで盛大に行われる。
妻と一緒にメインの席に座り、昔からの友人や仕事の後任者からスピーチを受ける。
後任者は「いつでも会社に遊びに来てくれ」と言い、引き続き仕事の指導もお願いしたいと述べる。
 彼は妻と、今は離れて暮らす娘との三人家族で、仕事一筋だったまじめな男だ。
会社中心の生活リズムが染みついていたせいか退職後は手持ち無沙汰になる日々が続いた。
 家では部屋で横になってリモコンをパチパチしてチャンネルを変える姿がスクリーンに現れる。
これは日本でも米国でも変わらないようだ。
 退職後にシュミットが会社に立ち寄ると、「いつでも来てくれ」と言っていた後任者は忙しいからと嫌がる態度を見せる。
また自分が作成した引継ぎ書類がダンボール箱に入れられたまま放置されていることを知ってショックを受ける。

〔無気力になって一人ぼっちで過ごす日々〕
 退職して何もすることがなかったからか、彼はテレビコマーシャルでアフリカの子どもたちを援助するプログラムを知り、6歳の少年ンドゥグの養父になって彼に手紙を書くようになる。
 間もなくして妻が急死してしまう。
妻の手紙を整理していて彼女と親友が過去に不倫をしていたことを知り、親友に対して怒りをぶちまける。
その後、彼は家で一人ぼっちになって食事の片付けもせずに無気力な日々を過ごす。
 シュミット自身もこれではいけないと思い、
「人生は短い。無駄に過ごすわけにはいかない」
と自ら車を運転して旅に出る。
自分が生まれた土地や通った大学にも行ってみるが、
過去のいい思い出が蘇ることはなく、
逆に厳しい現実が次々とシュミットを襲う。

 さらに、一人娘の婚約相手の実家を訪ねてみると、
婚約者本人もその家族もどうみても彼にはまともにはみえない。
娘に結婚をやめるように諭すが全く耳を貸さない。
シュミットは結婚式で心にもないスピーチを終えると、
すぐにトイレにかけ込み、自らの怒りを鎮めるのがやっとだった。
 結婚式を終えて帰宅したシュミットは留守中に届いていたチャリティ団体からの手紙を見つける。
その中にンドゥグが描いた太陽の下で手をつなぐ人の絵があった。
それを見た彼は思わず涙を流してしまうのがラストシーンだ。
 この映画は、シュミットの日常の姿を淡々と描きながら、彼の戸惑いと孤独を見事に描いている。
ジャック・ニコルソンの演技力には舌を巻く。
日本ではここまでリアルに定年後を扱っている作品はないだろう。

〔自分で人とのつながりを築かなければならない〕
 最後の場面は感動的ではあるが、一人になったシュミットに対して新たな助け船は出ない。
自分自身で人とのつながりを築いていかなければならないことを暗示しており、後味にも厳しさが残る作品になっている。
 私は10年以上前にこの映画を見ていたが、自身が定年退職したうえで改めて鑑賞すると、すべての場面でシュミットと自分を置き換えてみることができた。

【最高の人生の見つけ方】「大切なものは自分の足元にあるのだ」
「最高の人生の見つけ方」
 面白いことに、偶然であろうが、名優ジャック・ニコルソンは別の映画で定年後に対処すべきヒントを示している。
 映画『最高の人生の見つけ方』(2007年制作)は、大金持ちの実業家(ジャック・ニコルソン)と、勤勉実直に生きてきた自動車修理工(モーガン・フリーマン)が、入院先の病院で知り合い、ともに余命6ヵ月であると宣告されるストーリーで、病室で意気投合した二人は、残された時間でやりたいことをすべてやりつくすために病院を脱出する。


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④ジャック・ニコルソン

〔やりたいことをやり尽くしてみると・・・〕

 二人は「やりたいことリスト(棺桶リスト)」を作成し、実にさまざまなことに挑戦する。
専用ジェット機をチャーターして、インドのタージマハル、エジプトのピラミッド、ヒマラヤ山脈などの世界旅行を楽しみ、高級料理を食べ歩き、レーシングカーで競争したり、スカイダイビングで空を舞ったりもする。
その中で二人は互いにかけがえのない友情を育む。
 ややもすると、陳腐な内容になりかねないストーリーであるが、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンという二人の名優のやり取りがリアリティーを出している。
 そして「やりたいことリスト」をやりつくした二人が地元に帰ってくると、実業家は今までうまくいっていなかった娘の自宅を訪問して、ぎこちないながらも孫とも時間を過ごす。
また「社会のために」と資産の寄付を申し出る。
家族思いだった自動車修理工は、以前と同様に温かい家族の元に戻る。
「大切なものは自分の足元にあるのだ」
 残りの人生をとにかく好きなことをやり尽くそうと世界中を巡り、いろいろ行動した2人であったが、最後に戻るところは、「誰かの役に立つこと」、「自らの家族のところに戻ること」だと示していた。
「大切なものは自分の足元にあるのだ」とこの映画は主張しているように私には思えたのである。
米国の定年後も、日本の定年後も「想定通りにはいかない」
 この二編の映画を見ていると、自立して個人で生きていくスタンスが強い米国の老人の方が、より大きな孤独に耐えなければならないのではないかと感じた。

〔覚悟ができていない日本の男性定年退職者〕
 一方で、妻や家族を頼りにしていて一人で生きていく覚悟ができていない日本の男性定年退職者は少なくない。
そして彼らは自分が介護や援助をしてもらうことを前提に考えている。
しかし必ずしもそうなるとは限らない。
 例えば、ある地域では親や配偶者の介護をしている人たちの定期的な会合があって、互いに有効な情報を交換したり、普段の苦しい思いを共有することによって精神的な負担の軽減を図っているそうだ。
その会合の世話役を担っている女性によると、参加者の3分の1は中高年の男性だそうだ。
配偶者との間に年齢差があっても、亡くなったり、病に倒れる順番は決まっているわけではない。
 定年退職者の男性が一人で親の面倒を見ている例や、定年を目前にして妻が若年性認知症を患い、片時も目を離せない状況になって介護に努めている男性の話を聞く機会があった。
「50歳の頃は、定年後は海外旅行にでも行こうと二人で話し合っていたのに、想定していなかった事態に陥った」と語っていた。
私のみならず話を聞いていた男性はみな、身につまされる思いだった。
 会合の世話役の女性に対して、「中高年の男性は、定年後を見据えてどう対応すればよいと思われますか?」と私が聞くと、「会社の仕事だけでなく地域の人ともつながりを持ち、最低限の家事ができること、普段から家族とのコミュニケーションをきちんと取っておくこと」という回答が返ってきた。
 米国でも日本でも、定年後に向けて準備することにはそれほど変わりはないようだ。
(ビジネス書作家 楠木 新)

【寂聴さん曰く「男はつくづく純情だと思います」】
〔なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから〕

〔褒めちぎるのがいい〕
〔褒められてひとは元気になる〕


寂聴さん曰く「男はつくづく純情だと思います」
『95歳まで生きるのは幸せですか?』瀬戸内寂聴さんに聞く
日経ビジネス編集部 2017年11月16日(木)
彼女の元には、いまも多くの迷える男女が法話を聞きに訪れます。
ところが、問題は「男のほう」でした。

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⑤迷える「男のほう」
 新刊『95歳まで生きるのは幸せですか?』では、ジャーナリストの池上彰さんと対談されました。
〔なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから〕
なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから。
そしていったん、うつになっちゃうとそこから逃げ出すのはとっても大変です。
 私も出家する直前、40代のころにうつになったことがあるんです。
そのとき診てくださったのが、古沢平作さんという日本の精神分析の権威の先生でした。
古沢先生はなんと戦前のウィーンであのフロイトに直接習った、フロイトのお弟子さんなんです。
古沢先生の、私は最後の患者さん。
その古沢先生のやり方がとってもユニークでした。
とにかく褒めるの、患者の私のことを。
うつになるってことは、自信を失っている。

〔褒めちぎるのがいい〕
だからひたすら一生懸命褒めてあげる。
ああ、あなたは着物の趣味がいいなあ。性格がいいなあ。
古沢先生は、徹底的に私のことを褒めてくださいました。
そうしたらね、治ったの、私のうつ。
褒められてひとは元気になる
褒めちぎるのがいい、と。
歯が浮くような台詞を並べて褒めても大丈夫。
そのくらい盛大に褒めるのが、うつには一番効くんです。
古沢先生に教わった「うつの人は褒めてあげよう」は、その後の私の人生の指針のひとつになりました。
いま、私のところには、法話を聞きにたくさんの人々が訪れます。
法話を聞きたい人には、人生がつらいって人がとても多い。
だから、私はそんな人たちのことを徹底的に褒めます。
お話をうかがって、とにかく褒めてあげる。
するとね、ちゃんと治るのよ。
いままで何人のうつを治したか数えきれないほどです。
どうやって褒めるんですか?
うつ状態のひとはとにかく自信を失っています。
その自信を取り戻すのが目的ですから、褒める内容はなんでもいいんです。あなたはとってもチャーミングよ、今日の洋服の色はとっても素敵だわ、いい声しているわよね。ほんとうにたわいもないことでいいから、そのひと自身の個性を褒めてあげる。
会うたびに褒めてあげる。
すると何度か顔を合わせるうちに、だんだん元気を取り戻してくるんです。
 「日経ビジネスオンライン」の読者でもある、中年以上の男性も褒められると元気になるんでしょうか?


私の法話を聞きにいらっしゃる方たちの中にも、うつっぽくなった中高年の男性、多いですから。
 そもそも、人間、歳をとったら、だいたいうつ状態になりやすくなります。
なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから。
そしていったん、うつになっちゃうとそこから逃げ出すのはとっても大変です。
もう定年で職場を去らないといけない。
でも、そのあとの人生の希望や展望が見えない。
僕はどうすればいいんだろう。

〔褒められてひとは元気になる〕
 褒めちぎるのがいい、と。
 歯が浮くような台詞を並べて褒めても大丈夫。
そのくらい盛大に褒めるのが、うつには一番効くんです。
古沢先生に教わった「うつの人は褒めてあげよう」は、その後の私の人生の指針のひとつになりました。
 いま、私のところには、法話を聞きにたくさんの人々が訪れます。
法話を聞きたい人には、人生がつらいって人がとても多い。
だから、私はそんな人たちのことを徹底的に褒めます。
お話をうかがって、とにかく褒めてあげる。
するとね、ちゃんと治るのよ。
いままで何人のうつを治したか数えきれないほどです。
 どうやって褒めるんですか?
 うつ状態のひとはとにかく自信を失っています。
その自信を取り戻すのが目的ですから、褒める内容はなんでもいいんです。あなたはとってもチャーミングよ、今日の洋服の色はとっても素敵だわ、いい声しているわよね。
ほんとうにたわいもないことでいいから、そのひと自身の個性を褒めてあげる。会うたびに褒めてあげる。すると何度か顔を合わせるうちに、だんだん元気を取り戻してくるんです。

『95歳まで生きるのは幸せですか?』(PHP研究所)


【平蔵の独り言】
〔古稀〕(人生七十年生きる人は古くから稀 (まれ)である)

【独り言】
〔古稀〕の知ると、抗うことも受け入れることも
同じことだと思う。
抗うことを受け入れて「一日一日を過ごす」

【平蔵の独り言】
〔定年退職者が居場所と孤独に戸惑うのは日本も米国も同じ
60歳からの「黄金の15年」をどう生きるか〕
【最高の人生の見つけ方】「大切なものは自分の足元にあるのだ」

【独り言】
「黄金の15年」ということは、現在“古稀”で10年は過ぎた。
まだ、抗う日々の気持ち「そうか、居場所と孤独か!」
喜寿まで 7年、受け入れれば・・・・・

【平蔵の独り言】
【寂聴さん曰く「男はつくづく純情だと思います」】
〔なぜかというと人生に面白いことがどんどんなくなるから〕

【独り言】
 面白いこと、感激することが経験的になくなってくるのか
“純情”???



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by asanogawa-garou | 2017-12-12 16:27 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

【団塊絶壁!】ベビーブームに経済成長、画一教育ーーー。こうした“環境”の中で育ってきたのが、われら団塊世代の特徴である。   

2017年 10月 23日
【団塊絶壁!】ベビーブームに経済成長、画一教育ーーー。こうした“環境”の中で育ってきたのが、われら団塊世代の特徴である。

『週刊新潮』2017/4/13号 から始まった大江舜さん(ジャーナリスト)の「団塊絶壁!」(最終回)

「団塊の世代とは、800万人もの巨大な人口の塊です。」
『団塊の世代』昭和22,23,24年の第一次ベビーブーム期に生まれた世代を指す。


〔「団塊の世代」を設計製作したのは誰か?〕(堺屋太一)
「団塊の世代とは、官僚が創造した作品なのです」


〔官僚が団塊の世代に対して行ったことは5つ〕

1つ目が情報・産業中枢・芸能界・文化創造活動などの
    東京一極集中化
2つ目が流通の無言化。
3つ目が職場単属人間化
4つ目が人生の規格化
5つ目がウサギ小屋と欧米から揶揄された80平方㍍以下の小住宅多部屋主義。


〔こうした状況で育った「団塊の世代」〕

「こうした状況で育った団塊の世代を一言で表すなら『猛烈なエンジン』でしょうか。

〔団塊ジュニア世代以下の「欲ない、夢ない、やる気ない」という形〕


【断崖絶壁!】「おいらたち本当に恵まれていると思うよ。戦争に巻き込まれることもなく、貧乏からバブルまで経験した」(ビートたけし)

戦争に巻き込まれることもなく、貧乏からバブルまで経験した。
〔どうせ死ぬんだからおたおたするんじゃねえってことよ!〕
死ぬまでみんなで夢を見て、わいわいお祭り騒ぎ。
それが団塊絶壁世代らしい生き方というものさ。

――――――――――――――――――――――――
「団塊の世代とは、800万人もの巨大な人口の塊です。」

『団塊の世代』
<一九六〇年代の「若者の反乱」は、戦後直後に生まれた人口の膨らみが通り過ぎる嵐であった。
かってハイティーンと呼ばれ、ヤングといわれた、
この「団塊の世代」は、過去においてそうであったように、
将来においても数数の流行と需要を作り、過当競争と過剰施設とを残しつつ、年老いていくことであろう>

まさにその“予言”は当たった。
われら団塊、正も負もたくさんの「遺産」を残し、老いさらばえようとしている。
でも、まだ終わったわけじゃない。
せめて、あと10年あると思いたい。
お楽しみはむしろこれからなのだ。
よろしいか……そう願いたいではないか。
お楽しみと言うには、いささか気が引けるが、日本列島は千年ぶりの「大地動乱期」に入ったと警鐘を鳴らす学者がいる。
東京オリンピックなどに浮かれていても、かつて寺田寅彦が喝破したごとく、天災は忘れた頃にやってくる。


『団塊の世代』昭和22,23,24年の第一次ベビーブーム期に生まれた世代を指す。
作家・堺屋太一氏が1976年に小説『団塊の世代』を著して広まった造語。

共通の経験として、
①戦争とモノ不足を知らない、
②人生の最初から高度経済成長の中に育った、
③物心がついた頃にはテレビがあった、などが挙げられ、

「安全は至上の正義、暴力は絶対の悪と信じる」
「経済成長を当然と感じ、既存の体制と組織と習慣に全幅の信頼を置く」
「平等思想に染まっている」
などが共通の性格と捉えられている。

「団塊」とは鉱業の用語。
「堆積岩中に周囲と成分の異なる物質が丸みをもった塊となっている状態」を指す。

〔「団塊の世代」を設計製作したのは誰か?〕(堺屋太一)

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①堺屋太一●1935年、大阪府生まれ。東京大学経済学部卒業とともに通産省入省。
日本万国博覧会を企画、実現する。78年通産省を退官、執筆・評論活動に入る。
98年、小渕内閣の経済企画庁長官に就任。現在、上海万博日本産業館総合プロデューサー、早稲田大学大学院ファイナンス研究科学督。『知価革命』『団塊の世代』『秀吉』など著書多数。


「団塊の世代とは、官僚が創造した作品なのです」
戦後は文民官僚によってベビーブーマーたちが「望ましき日本人」に育つよう設計図が引かれたということなのか。
「日本の戦後史をひもとくと、マッカーサーによる占領時代、その後の吉田茂内閣から佐藤栄作内閣までは政治主導だったが、田中角栄の時代になると、官僚丸投げとなります」

〔官僚が団塊の世代に対して行ったことは5つ〕
1つ目が情報・産業中枢・芸能界・文化創造活動などの東京一極集中化
2つ目が流通の無言化。
3つ目が職場単属人間化
4つ目が人生の規格化
5つ目がウサギ小屋と欧米から揶揄された80平方㍍以下の小住宅多部屋主義。


ご自身も『日本列島改造論』の執筆者の一人だった堺屋氏は、戦後、官僚が団塊の世代に対して行ったことは5つあるという。

「1つ目が情報・産業中枢・芸能界・文化創造活動などの東京一極集中化です。
これは田中内閣が“新潟の人間だって、俺のように東京に来て成功できるようにしてやれ”と進めた施策。
だからこそ新幹線はすべて東京から伸びている。
これが首都圏への過度の人口集中を招き、地方との成長格差を助長した。
現在地方都市にみられるシャッター通りはその象徴です。


2つ目が流通の無言化。
かつては雑貨屋の前で店主と奥さんたちが話したりしたものですが、それだと生産性が落ちるので、スーパー、コンビニ、自動販売機など『無言の流通』が拡がった。
このため買い物は『楽しみ』から『仕事』になってしまった。

3つ目が職場単属人間化です。
親類や近所の人とも付き合わず、職場内の人間関係だけで生きる職場人間群の造出です」

都会に出て誰とも話さず、職場にこもって仕事する。
これじゃまるで出稼ぎロボットだ。

「4つ目が人生の規格化。
生まれてから死ぬまでの流れを官僚が決めてしまったのです。
“生まれたら早くから幼児教育を行い、小学校から大学まで浪人をせずストレートに進学し、卒業後はすぐに就職。
ニートになるのは不良だ。就職したら蓄財しろ、お金が溜まったら結婚し子供を作って、夫婦で子育てをしろ。
持ち家を早くローンで購入して、払い終わった頃には中高年。
年金を積んで子供に頼るな。
官僚に年金を払ってくれたら、頭のいい俺たちが上手に運用するからね、そして老後は老人だけで寂しく暮らせ”というものです。
こうした家庭にまで及んだ官僚主導の施策のため、結果として2世代、3世代で住む昔ながらの暮らし方は激減しました。
親と同居すると、嫁姑問題が起きて苦労するといったドラマを盛んに流して、老夫婦単独世帯化に拍車をかけました。
これは、現在の老老介護や孤独死問題につながっていきます。

5つ目がウサギ小屋と欧米から揶揄された80平方㍍以下の小住宅多部屋主義。
この頃の小住宅が空き家になって問題化しているのはご存じの通りです」

これらを、人生の規格化は文部省、小住宅多部屋主義は建設省、流通無言化は通産省……と、各省庁が分担。
さらに官僚制度は終身雇用・年功序列・正社員優遇だから、社会の方もそれに準じさせたというから開いた口が塞がらない。

〔こうした状況で育った「団塊の世代」〕
「こうした状況で育った団塊の世代を一言で表すなら『猛烈なエンジン』でしょうか。
ただしこのエンジンは後押しをするばかりで肝心の方向舵がありません。
操縦席に座るのは、私たち、ひとつ前の世代の官僚です。
大きな力の方向性は私たち官僚と、私たち世代の企業家が決めていたわけです」

それゆえ団塊の世代には、世代的特徴として、自主性・創造性が希薄だという。
「正確に言えば、もちろん、自主性・創造性はあるけれど、集団の中では、そういったものを発揮しない方が得なんです。
その証拠に800万人もいるのに、ユニクロの柳井(正)さんらを除けばこの世代はユニークな企業家を生み出していませんし、ノーベル賞の受賞者もいない」


えろうすんません。不甲斐ないなあ、団塊の世代。
「私が関わった1970年の大阪万博のとき、官僚のシナリオ通りに育った団塊の世代は、大学を出たばかり。
彼らは、消費者として、車やクーラーなど大量生産品を生み出し、経済のパイを大きくしてくれた。
そして会社で中堅社員になる頃、社内のポスト競争に勝ち抜くためにたちあげた過剰なプロジェクトこそバブルの遠因になったのではないか」


〔団塊ジュニア世代以下の「欲ない、夢ない、やる気ない」という形〕

その結果、しわ寄せはそういう親を見て育った、団塊ジュニア世代以下の「欲ない、夢ない、やる気ない」という形で出てきた。
「日本は、安全・安心・正確・清潔の4点では世界1位水準。
すべてに満足をしてしまい、生物として最も根源的な『子孫を増殖させたい』という欲望がなくなってしまった。
むしろ、地獄の風を吹かせて、活力と苛立ちのある競争社会を作った方がいいのかも」

何だ、結局われらは、官僚というお釈迦様の手の平で遊ばされていた孫悟空だったということか。
こう聞くと懸命に生きてきた70年弱が何だかむなしい感じになりませんかね。
猿ではなく、人間に戻るチャンスはまだあるのか。
これからの10年で挽回できるのか。


【断崖絶壁!】「おいらたち本当に恵まれていると思うよ。戦争に巻き込まれることもなく、貧乏からバブルまで経験した」(ビートたけし)

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②おそらく日本で最も知られた「団塊の世代」人、(ビートたけし)
ある意味、「団塊」の枠から外れた生き方をしてきた氏は、こんな風に“総括”する。
「おいらたち本当に恵まれていると思うよ。
戦争に巻き込まれることもなく、貧乏からバブルまで経験した。
なぜか70歳まで生きてしまった。
いまだに金も稼いだりしてホントに困ったもんだ。
バイク事故の後、今こうやって話しているのが夢で、本当は管に繋がれて植物人間で生きているかも。
どっちが夢だか現実だか」

〔どうせ死ぬんだからおたおたするんじゃねえってことよ!〕
死ぬまでみんなで夢を見て、わいわいお祭り騒ぎ。
それが団塊絶壁世代らしい生き方というものさ。

〔オイラは生かされてしまった〕あの人、あの言葉( ビートたけし) 〔ビートたけし〕オイラは生かされてしまった

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③8月2日深夜、原付バイクで走行中に転倒、頭を激しく損傷し入院していたビートたけしが、9月27日に退院会見を行った。
たけしは顔面の半分が麻痺状態という重い後遺症を残していた。
だが、普通であれば即死だったといわれるほどの大事故を生き延び、
約2ヶ月で話せるまでに回復したのは、本人も言うとおりまさに「奇跡」だった。
入院生活中、胸中をずっと占めていたこの思いから、
己の生き方について改めて考え直したというたけしは
「テレビだけじゃ残りの人生つまらない」と語り、
今後の活動に意欲をみせた。
現在の多方面での活躍ぶりは、言わずもがなである。


あの人、あの言葉週刊現代2017/10/14.21号

〔たけしとたけし軍団〕
収録の時にスタジオの床に釘が落ちていたと。

そこで普段は穏やかなたけしさんが
「こんな危ないところで、うちのもんにやらせられるか」と激怒した。

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【平蔵の独り言】
〔「団塊の世代」を設計製作したのは誰か?〕(堺屋太一)
〔官僚が団塊の世代に対して行ったことは5つ〕
1つ目が情報・産業中枢・芸能界・文化創造活動などの東京一極集中化
2つ目が流通の無言化。
3つ目が職場単属人間化
4つ目が人生の規格化
5つ目がウサギ小屋と欧米から揶揄された80平方㍍以下の小住宅多部屋主義。

【独り言】
官僚が設計製作したシナリオに従って、団塊の世代はイケイケどんどん
その結果が年金支給60歳から65歳そして年金では暮らせない社会

東京一極集中、スーパー・コンビニ、
仕事人間、不寛容社会、(ニュータウンとかっこよく蜂の巣(団地))

“うんうん”と納得!

団塊の世代は“痛い”
67%は働いている。

古希を前に、年金を貰い働いていることに“感謝”
42の厄の年にキツイ仕事で話していた言葉を思い出す。
「俺たち何か悪いことしたか!」
定年になったら、年金をもらって・・・・・

この友は60を前に年金も貰わずに旅立った!

【平蔵の独り言】
【断崖絶壁!】「おいらたち本当に恵まれていると思うよ。戦争に巻き込まれることもなく、貧乏からバブルまで経験した」(ビートたけし)
〔どうせ死ぬんだからおたおたするんじゃねえってことよ!〕
死ぬまでみんなで夢を見て、わいわいお祭り騒ぎ。
それが団塊絶壁世代らしい生き方というものさ。

【独り言】
団塊の世代は話をしていて分かる。
同じ匂いがしている。
気が付けば、いい時代を歩いてきたのか・・・・・


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by asanogawa-garou | 2017-10-23 14:58 | 人生 まだ旅の途中 | Comments(0)

〔人生〕“人生って”普通じゃダメなんですか!〔「人生設計」っていうけれど、「人生」って「設計」できるのだろうか?〕   

2017年 10月 05日
〔人生〕“人生って”普通じゃダメなんですか!〔「人生設計」っていうけれど、「人生」って「設計」できるのだろうか?〕

〔人生〕人生って“普通”じゃ、ダメなんですか?

〔「人生設計」っていうけれど、「人生」って「設計」できるのだろうか?〕

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〔理不尽が付きまとう人生〕

〔人生、いまが好きだ。そんな人生になればいいな!〕
そんな充足感は健康でなければ、味わえない。

心も身体も“時の移ろうんだから”合わせて、年齢に応じて変えていかないと!


〔「年のせい!」〕

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「年のせい!」という病気はない。「どう幸せ!」になるか病気に向き合う。

30代で悩んでいたようなことを80代でもやっぱり悩んでいるし
それはいくつになったって同じ

若そうにしても、60歳になれば60歳が、70歳になれば70歳〕

“誉められる”と嬉しいし力が湧くもんだ!
旅はまだ続く(人生まだまだ続く)

〔人生は働くことよ〕(1943年生まれ73歳)メルボルン女性

〔つるむな!〕
人生、欲しく欲しくでもうまく思い通りにいかない!

〔才能はないけど、努力ならできる〕


2017/9/25〔人生は山あり谷あり「それって普通じゃねえか」〕【ビートたけしの一言】

〔君は、いまある自分と、違う自分を想像できるか。〕
想像だけならたやすいが、真剣にそれを考えることができるか。
私は歳だから、もうそういうことはやめる。
「50歳過ぎたら開き直りだ」〔北方謙三1947年生〕


〔人生は山あり谷あり「それって普通じゃねえか」〕ビートたけしの一言
人生は山あり谷あり。良い時もあれば、つらい時もあるものです。


〔だいたい生きるってことが“たの苦しいこと”ですからね〕佐藤愛子
「本音を言えば、「本が売れて、何がめでたい」(笑)」


「生きているなんて辛いなんて思ったことはない。生きているからいろんなことができた(内海桂子(94歳))」

93歳!今なお現役 爆笑漫才師・内海桂子

大正、昭和、そして平成と生き抜く女性は、今もなお三味線と都々逸などを舞台で披露している。
その人は〝芸人〟内海桂子さん、93歳。

「人間、持って生まれた性分で、精一杯生きるより仕方ないんでしょ?精一杯生きる。誰もそれしかないんだな」(新撰組沖田総司)
人事を尽くして天命を待つ。

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【平蔵の独り言】
〔「人生設計」っていうけれど、「人生」って「設計」できるのだろうか?〕

【独り言】
時折思い描いて、歩いてきた道が「人生」だと思うから「設計」は・・・・・

【平蔵の独り言】
〔「年のせい!」〕

「年のせい!」という病気はない。「どう幸せ!」になるか病気に向き合う。

30代で悩んでいたようなことを80代でもやっぱり悩んでいるし
それはいくつになったって同じ

〔若そうにしても、60歳になれば60歳が、70歳になれば70歳〕
“誉められる”と嬉しいし力が湧くもんだ!

【独り言】
古希になって、「健康」と向き合い、悩んでいることは変わらない。
気が付けば、年齢は重ねてきたが、人間としての経験は積んできたのか!

これが「年のせい!」




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by asanogawa-garou | 2017-10-05 15:05 | 今 今日この頃 | Comments(0)